音楽のすすめ 第4章

2008.4.15

最も魅力的なヒロインは誰か

誰しもが興味をもつであろう命題、それは女君達の中でだれが最も魅力的か、ということではないでしょうか。皆何処かに魅力がありますね。私にとっても六条御息所、朧月夜、朝顔宮、紫、明石そして中君、浮舟までよりどりみどり。魅力に乏しい人は弘徽殿女御、典侍、花散里、明石中宮、そして夕顔まで含みます。中間に位置するのが藤壷中宮と葵と玉鬘。異論があることは承知の上ですが、私には夕顔は魅力が薄い。一般に男声諸氏が投票でもすれば夕顔が一番人気だそうですが、私とは少し異なるようです。ある女性作家は朝顔宮を、毛糸のズロースを履いた老女、と表現していますが、私には朝顔宮は十分魅力があります。年齢的に考えると玉鬘は少々歳を喰っている気がしますが、それなりの生活をしています。但しその晩年は必ずしも幸福では無かったことが伺えます。他の女君達は年齢が殆ど同一でした。だからこそ、熾烈な競争があったのですね。

何度も読み返した結果、読むたびに印象が新たになるのですが、個人的には藤壷はやや敬遠したいタイプ。源氏が最後まで執着したのは紫上ですが、それでも最後の巻で、明石君の屋敷を訪問しています。それに他の女君達がさっさと出家してしまいましたから、諦めざるを得なかったのでしょう。最後まで出家しなかったのは明石だけです。そして明石は最後の勝者として余生をエンジョイ。私には明石は、何か有能な秘書という感じが付きまといます。何でもこなすし、テキパキして気が利く、おまけに美しい、となれば鬼に金棒。私自身をフリかえって見ると、うんと若い20代の頃は明石が好みでした。そのころ紫はどうか、と言いますと、紫にはさして関心がありませんでした。ほんの少し焼きもち焼きだった紫に、興味が向いたのは、結局は彼女が自覚したのちです。何の自覚?それは源氏の目線が何処を探っているかが、分かってしまったこと。決してそれを口にしませんでしたが、その賢明さゆえに、この世は絶望的だったのでしょう。この時期、源氏は朧月夜とまたも逢っています。若い日の思い出はかくも大きかった。源氏が最後まで面倒をみた空蝉や、末摘花や、花散里への庇護は、源氏の意識の根底にある、罪悪感を和らげたかったからに過ぎない。藤壷への満たされぬ憧れも、結局は桐壺への思慕と、藤壷というコマが欲しかったからに過ぎないのでは。藤壷自身だって、源氏が須磨から戻って以来、すっかり変ってしまい、以降は政治家の目でしか見ていない。何しろ源氏は最強のキャスティングを手中に持っていた!

そして六条御息所は、源氏が情熱の赴くままに振る舞えた時代の証拠品です。私は六条御息所に同情を禁じ得ないのですが、あれだけ年齢差があれば、いつか離れて行くのは、理性の目を持った人なら自明の事です。御息所の理性はそれを理解しましたし、そのように振る舞おうとしました。でも現実の体が言うことを利いてくれない。よく理解しながら、無理解者になってしまっている御息所。彼女は決して夕顔に生霊としてなぞ出て来ません。決して!少なくとも、私はそう信じています。それにもかかわらず夕顔は六条御息所の生霊に呪い殺された、という説は依然として少なくありません。これだけ御息所の身分の世界と夕顔の身分の世界は大きく異なっていたのに。自らの競争相手になる訳のない、夕顔ごときに気を廻したりしたら、それこそプライドを傷つけてしまいます。でも六条御息所はあとで、葵や紫等に取り憑きます。これは本当。それは葵も紫もロイヤル・ファミリーの一員だからです。同レベル以上の人達に対しては厳しいのです。

むかしXXX機構の非常勤職員だった主婦の中に、何か家庭の事情で働いているという方がいらっしゃいました。彼女は「源氏物語」が好きと聞いていましたので、ある日、ヒロインの中では誰に最も興味がありますか、と尋ねたことがあります。「葵です」というのが答えでした。葵が好きだって?といぶかし気な顔を返しましたが、彼女は「だって葵ほど可愛そうな人はおりませんもの」と言うのです。それから20年も経ってから、その意味がようよう分かるような気がします。葵の上。ついつい葵が左大臣家の長女であることしか頭に登らないのですが、彼女は桐壺的の妹宮の子供です。男尊女卑の感覚を振り払って考えると、葵は朝顔宮とちっとも差がありません。生まれながらのLadyであり、Princesです(アーサー・ウエイリー本を読むとLadyともPrincesとも書かれています)。葵のあれ程の自尊心の高さはここに根拠があったのですね。女宮とは言え、その直系子孫ですから、強いはずです。他方、六条御息所はどうか、と考えてみるとこれが不明なんです。彼女は前東宮妃でしたが、彼女を単なるLadyか、生まれながのPrincesか区別していないからです。ここに秘密が隠されています。ひょっとすると、六条御息所は生来の皇族ではなかったかもしれません。そう想えば、あの葵祭りの騒ぎも理解できそうですね。再整理しましょう。葵は朝顔宮と同格、紫よりやや上、かつ六条御息所より明確に上、というのが現在の私の判定です。

葵は死ぬ直前にようやく源氏が優しくなって、有頂天になった時に、死んでしまいます。これは六条御息所の生霊のせいです。但しどちらにも責任はありません。それぞれに賢明に、賢く振る舞おうとしたのに、こういう結果を招いたことに源氏は愕然とします。源氏の「高い位好み」を考えると、葵だけを守って行こうという決心もウソでは無かったでしょう。本当にそれが実現していれば、源氏物語はこれでオシマイになります。やはり葵の影響は大きかったと考えます。歌を一首も残さなかった葵。美しいと書かれていますが、それは皮肉にも源氏に取っては長い間、絵に描いた姫君でした。「添え臥し」として源氏に捧げられた故のコンプレックスが祟ったものと考えます。もし葵が御所から要望されたように入内して中宮にでもなっていれば、「源氏物語」のストーリーも大きな変更を求められたでしょう。

玉鬘に対しては少しねじれた感覚を持っています。元々私は玉鬘には全く興味が無かったのです。いつの間にか社会のセンセーショナルな話題の中心になり、華やかな存在になって行きます。「蛍」巻で、突然パッと放たれた蛍の光に玉鬘のシルエットが浮かび上がる素晴らしい場面がありますね。あれを書いた人は、演出を知っている人、という感じです。先日(2008.3.12)京都の仁和寺・御室御所に行ったら「源氏物語」千年紀行事の一つとして、源氏周辺の色々な出来事を描いた小さな屏風が展示してあり、その中に蛍の場面もありました(人物像がやや明る過ぎるかも)。そして源氏が玉鬘にまつわりついて、アレコレ言ったりするので、玉鬘がウンザリする場面。しかし嫌がりながらも源氏に寄りかかるような玉鬘に、やはり夕顔の子かなあ、という感想を持ちました。夕顔には幾分、娼婦的なところがあったのでは。

さらに幼い女三宮の立ち振る舞い、これも同情の余地があります。あれだけ何も出来ない人間に、これ以上責任を持てというのはコク。源氏に対する年寄りの典侍みたいに、女君の側から積極的に誘ったのなら別だが、女三宮にそういうことは出来ない。ただ流されるに任され、その結果ああなったのです。少々注意力が無かったかもしれませんが、それでも女三宮は被害者でこそあれ、加害者ではない。しかし源氏を中心としてこの物語が動くために、話の進行上やむを得なかったのでしょう。可愛そうな人です。紫はそれを理解していたと思います。紫には何もかも分かってしまいました。源氏が真に求めていたのが誰で、藤壷さえも、いわんや自分は「人形(ヒトガタ)」に過ぎないことも。

宇治の姉妹について言うと、大君がなぜあれ程まで薫を引きつけたのか、私には分かりません。大君って、まるで空蝉ですよね。作者が空蝉に似ていたのでしょうか。私は誰からも独立してそれを考えついたのですが、最近それを看板にした本も出てきました。むしろその妹の中君に興味があります。あれだけ薫が無関心だったのに、あれよあれよと引きつけられてしまうのは、薫は不甲斐ないとも、意志が弱いとも言えそうです。でも私の印象では、中君はいずれ中宮になりますね。その伏線は明石中宮からの産養の品と、帝からお守りの刀を貰ったからです。これで夕霧のところの六君なぞ吹っ飛んでしまうでしょう。それには匂宮の努力が必要ですが、彼はそれを固めてしまうでしょう。匂宮がいかに世間を動かして行くか、政治力が問われます。要するに匂宮と源氏とは共通点が多いと思います。そして冷泉院の養子格の薫の方は、頭の中将の役割に近い。

最後の浮舟ですが、これは難しい。あれで本当に終わりでしょうか。その方が良いと思うのですが。折角出家して落ち着いたのを、還俗なんて言われたら迷惑ではないでしょうか。というのも、私には薫の態度に煮え切らないものを感じるからです。何を考えているんだろう、あの男は、と。そして浮舟には安らかに横川の山地で、静かな時を過ごしてもらいたい、という希望を持っています。薫は本気でない、という読みも。頭中将(昔の)の振る舞いを考えて下さい。頭中将も溢れんばかりの若さをまき散らしていたのに、体形に腹が出て来て以来、すっかり疑い深い、政治的人間になっています。そしてそのような人間の子孫もまた、そうなって行くのでは。

本文中にはアンチ源氏の女性陣がいます。まず桐壺帝の弘徽殿女御ですが、彼女の言葉をそのまま並べてみると、いずれも尤もらしいことに気づきます。彼女の頭には源氏の意図がアリアリと浮かび上がり、その意味を理解したからこそ、彼女はそれに腹を立てているのです。また回りの弱い人間、例えば朱雀帝に対しても、そういう弱気は天候不順だからこそ起きるのだ、と喝破した件。今日の基準で言えば全て当たり前のことだし!同様に式部卿宮北の方の非難の言葉、紫なんて素性もはっきりしないし、源氏は何を考えているんだか、玉鬘なんて何処の馬の骨か、という下り、源氏にしてみればグサッと来たのでは。また左大臣の落とし子、近江君というキャラクタもここでは周囲から浮き上がっていますが、彼女のキャラクタは現代のそれ。最も健康的に、元気良くやって行けるでしょう。このようにアンチ源氏女性陣の言動は、決してそれ自体がおかしいことはなく、ただ彼女らの言葉は源氏の栄光のためには邪魔だった。式部卿宮北の方の言なぞ、そのまま現代にも通用します。

ここで思うのですが、紫式部の筆はこれらアンチ源氏の箇所で突然と言って良いほど、ピカッと光を増します。紫式部は本当は源氏が嫌いだったのでは?とも思えます。これらアンチ源氏群の口を借りて源氏批判を繰り替えしている、と思うのは私だけでしょうか。あの時代にそういう発想が出来たこと、それを記述することができたこと、これだけとっても紫式部の才能を認めたくなります。紫式部という一人の女性が一環して書いた、という仮説に立っての話ですが。

雲居雁は源氏と直接関係なく、夕霧のみと関係していますが、彼女も結婚後は主婦業に専念し、色気を忘れ、そして世間的な意味での活発な主婦を演じるようになります。そういう雲居雁を現代は好むと思います。やはり夕霧と関係していますが、夕霧がしつこく付きまとう落ち葉宮。彼女は賢明に身を処そうとするのに、それを理解しない夕霧。なぜあれ程まで執着したのか?さらに宇治十帖で薫が自分の奥さんである女ニ宮に本当は興味が無く、ひたすら女一宮に憧れ、それを女ニ宮に女一宮とそっくりの着物を勧めて着せたり、女ニの宮の手にも氷の塊を持たせたリしますが、あれにはぞっとします。薫は怪しい、アテにならない、と言われる原因は、彼のこういう性向にあります。全く頼りにならない。

ここでの文は、「源氏物語」が好きなディレッタントの独り言を纏めたもの、と捉えて頂ければ幸いです。この世には源氏狂いの人達が星の数ほどいて、それぞれ論文や文章を残されています。私が何を言ってもどうにもなるまい、と思います。だから外の世界で「源氏物語」を喋ったことは全くありません。やはり怖いものは怖いから。繰り返します。ここに示したのは、私の独断と偏見に満ちた読みに基づいたものです。その限りで、ここに示す音楽も分かって頂けるんじゃないか、と期待しています。



 満開の御所桜(右)と、その庭の写真(左)。2008.4.12撮影

そしてここに示す音楽は、私が鼻歌に歌いたくなるような好きな音楽ばかりです。あくまで「源氏物語」にちなむイメージですが、嫌いな音楽を採用するはずがありません。何のてらいもなく、正直に何も気取らず採用しましたし、私の直感を重視しました。このように並べてみるとアレっと思われるかも知れません。ここに登場した音楽の種類に注意して下さい。確かに「トリスタンとイゾルデ」第3幕冒頭の音楽等はありますが、モーツアルトが異常に多いですね。そしてショパンのピアノ音楽とバッハの音楽。他方、大好きな「ニュルンベルクの名歌手」の音楽はここでは採用していません。あまりに祭典的だからです。楽しい、楽しい、だけですむなら、絶対採用したでしょうが、「源氏物語」となると話は別です。またベルリーニの音楽もケルビーニの音楽も無く、ヴェルディやロッシーニも含まれません。どんな音楽が好きですか?と聞かれた時、どのように答えたら良いのでしょう?私の心の中に、大きな柱が2つあるようです。人生の為の音楽(文学)と、音楽の為の音楽(音楽)と。これはよくよく考えないと答えるのは難しいですね。

これに音の肉付けをする時、どんなCDを選ぶかも重要ですし、またどんな装置で演奏したものを選ぶかも大きな違いとして現れます。私はこれを選ぶ際、最新録音のものばかりを選びませんでした。ノイズの多い録音もありますが、それがここに一番ぴったりだと判断したものを選びました。装置はTL51X(D出力専用CDプレーヤー)+Model 2(D/Aコンバータ)+SV-722(マランツ型プリアンプ)+SV-501SE(300Bパワーアンプ)+Stirling/HE(フロアスピーカ?) を選び、元の音楽ソースは各社の幅広い年代にわたるものから採用 (一番古いのが1927年原盤、最新が2005年盤)。装置が違えば音が違うのは当然ですし、また音源ソースが違えば音楽の印象も変るのも当然です。両者はかなり硬く結びついておりますが、ここでは私の装置と私の信じる音源ソースを選びました。カラヤンの録音を3ツも使いましたが、それは若い時代のカラヤンの音楽作りが相応しいと考えたため。実際にはモーツアルトのレクイエムなぞ、ワルターの方が好きですが、ワルターのは余りに音が悪く朦朧としていたのでカラヤンを採用しました(恐らく本当は若きカラヤンが好き?)。このような限界がありますが、その限りでの、文学と合わせた現在までの私の趣味のカテゴリーの総決算です。それでは!



フォルテ マーク


ショパン前奏曲第24番終曲部
ショパン前奏曲第24番終曲部




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