音楽のすすめ 第4章

2008.6.19
登場人物の性格

「源氏物語」を纏めようと思った時、真っ先に書いたのがこの長い文章の一部分です。それから約半年を経て、その間にこれを付け加えなくては、あれも付け加えなくては、とやっている内にこのように、ますます長い文章が出来ました。次第にその内容に私の独りよがりが出て来ましたが、そういう変化はいつものこと。どの部分の話を指すのかは読者諸賢のご想像にオマカセします。そして他の所では54帖のストーリーにそって批評しましたが、ここでは各個人に焦点をあてます。この第4話には葵も六条御息所も朧月夜尚侍も出て来ませんが、それは最後の第7話に特別編として書いてあるため。

[前置き]
「源氏物語」が紫式部一人の手で書かれたと考える限り、紫式部というのは恐ろしい洞察力を備えた人間ということになります。勿論文章力も凄い。あれだけの長さに渡り、430名もの登場人物を操ることだけ見ても、その統率力の抜群なこと、全体の設計図を完成させる意志の強さも驚嘆すべきものです。とまあ持ち上げておきますが、私はむしろ清少納言の方が個人としては友人になれそうな気がします。適当にサバサバしていて、適当に顕示欲もあり、アッと言わせるのが大好きな清少納言。紫式部はそういう清少納言を上目遣いにジッと観察していた、少々意地の悪い女性ではなかったか(それは紫式部日記にある清少納言を辱める言葉に現れるのですが、それくらい紫式部は清少納言が気になって仕方が無かったのだろう、と思います)、と思うのですが、それでも彼女の性格の悪さは「源氏物語」を傷つけるものではありません。

この時代、女性の趣味の善し悪しは、音楽の才能の有無と、筆跡の上手さで決まったようです。「源氏物語」では何事も貴族趣味であるほど上位になります。男性は政治能力だけでなく、各種の楽器を操る能力、文を巧みに書くこと、和歌を旨く読むこと等が吟味の対象です。考えてみれば平安貴族といっても、いわば平安高級官僚たち、という意味ですね。毎年ある叙目で外れたら、たちまち市井の人になってしまう。そういう意味では極めて不安定な身分に過ぎない。4位だ3位だと言って、上昇していくのですが、彼等は引退後は「元何何」という呼称しか残らなかったのでしょうか。それとも引退後も、引退直前の身分に応じた年俸が支給されたのでしょうか。この点は私は不勉強で、存じません。音楽の才能に優れ、文学の世界にも通暁すること、という姿は女性陣からみた政治家の理想像だったと思います。しかし実際には政治を離れては、ただの飲んべえかも知れないし、和歌なぞも有能な家来に代作させていただけかも知れません。なかなか政治の才能と、文芸の才能を一致させるのは困難かも知れませんね。

「源氏物語」では各人の音楽の才能を、力を込めて書いています。これは紫式部その人が音楽を何かできたからでしょうね。また物語の中では、全員が何かしらこなすのですが、特に源氏に直接習ったわけでなく、始めから上手だったと記された人がいます。それが明石君です。彼女の弾く琵琶は先祖ゆずりですばらしいと記されています。また紫の上も、明石の人は琴も上手なんですってね、とスネる場面があります。紫と明石君は同じ六条院に住みながら約10年間は全く会うこともなく過ごしますが、ようやく会ったのち、女三宮と明石女御を加えて4名で合奏する場面では、誰も彼も上手なように書かれている。また音楽の才能と並んで大切なものだったのが、筆跡。これは朧月夜が上手と書かれ、また朝顔宮や紫の上も上手と書かれています。明石君の筆はその味わいが、何となく六条御息所と似ていると記載されています。まったく記載されていないのが葵です。また葵は琴を弾こうともしなかった、というのは真実でも、ヘタなはずはありません。

また笛なども例えば薫の音色を聴くと何となくその亡父柏木のことがしのばれる、という記載があります。それは薫の出生の秘密を曝露するようなものですが、音色は遺伝するものでしょうか。詩文を読む場面では、光源氏のそれは、老人の審査員達から、もう直す必要もない、と合格印を貰っています。でも決まって、そのようにほめられた詩文は、文章で確かめたくても、確かめられない箇所なんですよ。またスポーツの場面、たとえば蹴鞠とか、弓とか若い人々を記載した所があって、夕霧はそれに登場しますが、源氏は登場しません。源氏にスポーツの才能は欠けていたのでしょうか。源氏は色々楽器を弾きましたが、和琴にしても箏の琴にしても、腕前ははっきりとヘタとは書いてありませんが、上手とも書かれていません。玉鬘に教えたくらいだから上手なのは当然、ということかも知れません。

もう一つあるのが香の道ですね。蛍兵部卿宮をレフェリーに、源氏や紫、明石君、齋院(朝顔)宮、花散里が出品して競う競技会の場面がありますが、蛍兵部卿宮は勝ち負けを付けていません。香というのは、むせ返るほど強く薫らせるのは邪道ですし、そこはかとなく薫らせるのは、そこの温度や通風に影響されるでしょうから、一概に腕が良いかどうか判定できない、というのが真相だろうと思います。いずれにせよ、音楽、筆、色彩、香、などの才能とセンスも備わっていること、が一流の必須条件だった訳です。現代の政治家諸公に当てはめれば大方失格ではないでしょうか。

私は時々思うのですが、「源氏物語」の時代の人々が聴いたことも無い音楽、現代なら何時でも聴ける西欧音楽をいきなり聴かされたら、どう感じたでしょうか。織田信長はオルガンを聴いたことがあるらしいのですが、その感想は読んだことがありません。平安朝だったら、オーボエの響きや、ピアノの響きにどう反応したかを考えるのは楽しい!そういう音に対する感性は万国、万人、各時代に共通でしょうか、あるいはやはり慣れの問題が肝心なのか、主に教育によるのか等、悩むところ。

[各登場人物の批評]
浮舟。宇治における浮舟の登場は突然です。何か筆者にひらめくモノがあり、それを説明するために付け加えられたヒロイン、という印象です。実際それ以前の巻では全く匂いもしない。しかし浮舟は「源氏物語」全体の要とも言える重要な存在となります。少なくとも今日、「源氏物語」54帖全体が紫式部の手によると解釈する限り、浮舟の重大さに驚かされます。浮舟はその出生も明らかにされていますし、何となく貴族の端くれ。でも、そういう女性は高位の貴族たちにとっては取るにたらない存在だろう、ということも想像できます。あれほど匂宮に愛されても、匂宮が浮舟獲得に成功しても、結局はどう遇するつもりだったのでしょうか。せいぜい姉の女一宮の女房にされるのが精一杯のところに違いない。薫だったらなおさらで、影の存在「なぐさみ」で終わってしまうでしょう。浮舟の重要性は彼女が高貴な人生を送れるかどうかでなく、彼女の存在によって、貴族の生活とは、むなしさ半分の、どうにもならない、やりきれない生活の連続でしかないのだ、ということを読者に実感させた点です。そして「源氏物語」は物凄く長い時間をかけて醸成された作品であり、それを読破する方もまた長時間かけないと分らない、そういう性格の物語だと思います。

齋院宮(朝顔宮)。前にも書いたのですが、彼女は私にはある女流作家が言ったように「毛糸のズロースを履いた」女性とは思えないのです。ただ彼女はやや中性っぽい、セロリみたいな感触の持ち主でしょうか。源氏と同世代の従姉妹という設定ですが、おそらくは源氏より1歳くらいは年上でしょう。聡明なる姉宮として充分受け入れることができそうです。言ってみれば、まだ好きでもどうでもなく、慣れ親しんだ中学同級生という感じ。これに尽きます。「源氏物語」の中では、彼女の筆跡が素晴らしいと書かれていますが、それを考慮しても、油気が抜けていて中性っぽい。源氏は惹かれつつも強烈にでは無く、どうにもならない情熱は掻き立てられず、だからこそ、最後の努力を払ってまで強く求婚しなかったのではないでしょうか。

落ち葉宮。落ち葉宮もまた突然登場します。後の夕霧に重要な意味を持っているらしいのですが、なぜあそこで登場したか等は、よく分りません。夕霧は雲居雁という恋女房を持ちながら、いい歳をしてあれだけ妻を苦しませた気持が不明。それとも雲居雁がベランメエの長屋の女房そのものに変身してしまったからでしょうか?落ち葉宮その人は、ごく普通の女性に思えます。雲居の雁もプリンセスの血を引いているとしても、血統で争えば落ち葉宮の勝ち。最近娘が私の誕生日祝いに呉れた「京都源氏物語地図(2007.11.1第一刷、社団法人紫式部顕彰会)」を見ると、落ち葉宮の邸は堂々たる邸宅で、その広さは六条御息所の邸位あります。落ち葉宮の容貌の評価に関しては何も具体的な記述がないようです。とにかく不幸な女性です。本来の夫の柏木はあまり落ち葉宮の相手をしなかっただろうし、彼女を柏木にあてがった宮中も、コマの整理をしたという感覚だったような気がしてならない。落ち葉宮はあまり情熱的ではないが、ただ不躾な振る舞いや、無作法な振る舞いをされると殆ど本能的に手を振り払う、位の気位の高さはある感じ。

雲居の雁。夕霧の正妻だった雲居雁は、落ち葉宮が登場する段階になると、もう情熱の対象足り得なくなっています。だからといって夕霧の振る舞いに雲居雁が怒り狂うのも当然だと、同情を禁じ得ない。第39話の雲居雁の振る舞いは過去の諸場面、7年間以上待ち続けた姿しか読んだことのない読者にとって、想像もできないほど生々しい。あそこまで世帯じみたら、神秘性を求める人は離れていくかも知れない。慣れた女房だとは思いますが、夕霧とはお互いさま? 夕霧は律儀だと書かれていますが、五節姫(源氏の従者の惟光の娘)とも付き合ったし、結構女性関係はあったのではないでしょうか。雲居雁、落ち葉宮には等分の時間を、五節姫には半分の時間を当てがう、という律儀さが奇妙に目立ちます。

夕顔。夕顔は大して生まれも追求されておらず、ただ若く、愛くるしい存在で、たちまち源氏を虜にしてしまい、あっけなく死んでしまう、と書かれていますが、私自身はそれほど魅力を感じない。前にも書きましたが、男性間のみで人気投票すれば確実に1位を獲得すると言われる夕顔。彼女はまったく掴み所がないのです。愛嬌があっても、愛嬌は愛嬌に留まるでしょうし、何か強烈に訴えてくるものに乏しい。彼女の言動を注意深く読めば、なんとなく、世慣れていて、ズバッと言わず、何かを含んでいるように思えるのです。夕顔が「たそがれ時のそら目なりけり」と言った「夕顔」巻のセリフなぞ、それに当たりますね。要するに源氏みたいなお坊ちゃんには、珍しく、夕顔の見てくれが素直そのもののように思えたから、あれ程の情熱を貰ったのでしょう。あとは好きずきですから、源氏にとって重大な人だったのは認めなければなりません。源氏17歳の「夕顔との恋」は本物でした。

玉鬘。夕顔の娘の玉鬘はシンデレラ物語になって突然中央に躍り出てスポットを浴びますが、その玉鬘の末路は哀しいものです。そこに至る伏線はあったし、また読み取ることも出来ます。私の読み取りでは玉鬘の年齢が既に盛りを過ぎようとしていたこと、また彼女自身がそれを自覚していたので、それを考慮すれば彼女の振る舞いは各時点でベストと言えます。でも、玉鬘は賢すぎたのですね。余りに自分を客体視する目を持ち過ぎたのではないでしょうか。あれがもし夕顔みたいに、過去は過去と割り切れたなら、もっと幸せな老後を送れただろうに、と思います。でも玉鬘編は全体としては大変おもしろいと思います。その意味で「竹河」巻をもう少しキリッとできたら、と惜しんでいます。是非一度読んでみる事をお勧め。

夕霧。夕霧は律儀で着実な生活をします。但し何も面白味はありません。これは父の源氏の生活ぶりを見ていたからです。夕霧は最後には落ち葉宮を六条院の主に据えます。この時、雲居雁は三条宮に住んでいてもう隠居している形。落ち葉宮は正妻の扱い、その御殿は元々花散里のいた夏の御殿でした。夕霧は宇治十帖では自ら喋ることはなく、堅い生活を着々として進める「まめ人」ぶりを強調します。何を理想とし何を望んでいるかは、彼の生活ブリから実に良く分ります。かなり強引です。そして五節姫が産んだ自分の娘の六の君を落ち葉宮の養女にし、その売り込みに必死です。まずは薫に売り込みたいと考えますが、女二宮の薫への降嫁でそれがオジャンになり、今度は匂宮に狙いを定めます。そして強引に婚儀の日取りまで決めて実行に移してしまう。その間、既に匂宮と結婚して二条院に収まった宇治の中君はじっと我慢。結果的に、私は六の君は悪くはないが、皇統の宇治中君には勝てなかっただろうと想像します。つまり「源氏物語」全体が皇統が勝ち続けるようにできているからです。元の頭中将の娘から産まれた六の君と、八宮の正妻から産まれた中君では、勝負は最初から付いていたのではないかと思う次第。

近江君。近江君も突然登場しますが、いつの間にか退場してしまいます。最後に現れたのは明石君を産んだ尼をおがみ、「明石の尼君、明石の尼君」と言ったところ。何時の世にもこういうタイプの人間は居た、というべきか。近江君は散々馬鹿にされていますが、紫式部はどうやら藤原家を徹底的に嫌っていたように思えます。父内大臣の性格と共に、作者のイジワルさが目立つところ。

花散里。彼女も不思議な存在です。美人とは書かれず、否定的なことばかり書かれています。それなのに何故あれほどの優遇を?花散里は源氏からは堂々と正妻に準じる扱いを受けていて、しかも延々とそれが続くところが凄いと思います。彼女は夕霧の養母になり、続いて玉鬘を側に置く事を引き受けます。あの玉鬘をそこに置けば、若い男達が興味津々で集まるだろうことは自明なのに、源氏はそれを選ぶ。結局のところ、花散里は六条院で何か不都合なことが起きた時の、ガス抜き栓だったのではないでしょうか。源氏は玉鬘をどこに置こうかと迷います。そして一番都合良く空いていたのは秋好中宮の御殿ですが、そこに入れるのは忍び得なかっただろうと思います。それは女主人が誰か、はっきりしている場合は、そこに後から入る者は女房格と見なされるからです。そうならないのは女三宮のように、これが新しい女主人だよ、と言える場合のみ。同じ理由で紫の御殿も、明石君の御殿も避けたかったものと思われます。玉鬘の場合は後から入っても女房格とは違うよ、という点を源氏は強調したかったのでしょう。そういう不都合さも聞いてしまう従順な女君、それが花散里です。彼女は子供ができなかったし、経済的にも明石君みたいな莫大な財産も無かった故、最後は二条院の東院に移っていきます。この東院というのはいわば源氏の「その他大勢」である末摘花、空蝉等の収容先でしたから、花散里の運命も想像できます。

末摘花。彼女は皇統の姫です。その親の時代の話は僅かしかありませんが、彼女の家は元々豊かだったことを示唆する文があります。実際、幾つかの立派な品が残りましたし、末摘花の家にはセーブルの毛皮があったりしたのです。セーブルというのは今日で言うところ黒貂(てん)ですが、これは今日でも最高級の毛皮です。私の米国時代、「ブラックグランマ」という黒色の毛皮は庶民の憧れだった事を思い出させます。「音楽のすすめ」第2章に記したように、私の親しくしていたCの夫人はこれを着て出掛ける時ゾクゾクしたと言っています。そういう品を持っていたのが末摘花です。侮りたくないものです。そして源氏はその姫の純情さに惹かれたのです。ただ、余りに見苦しい容貌をしていたのが欠点ですが、それを補って余りあるもの、それを末摘花は持っていました。

藤壷。藤壷は源氏の流浪時代までと、帰還後では全く別人みたいです。前半では東宮を守りたい、という一心で全て動いたし、その日常もその為を意識した、母親としての強い姿を見せていました。彼女の突然の出家宣言は、まるで史実の世界で「中宮定子が自ら髪を切った」という、道長の「お調べ」が入った時の姿を思わせます。本当にその場面は緊張感溢れるもの。しかし源氏が帰って以来、東宮は即位したし、全てが戻る。初の女院の称号を入手してからは、ひたすら源氏と共謀するので、その姿にやや戸惑いを感じます。絵合わせの場面での、源氏に対する藤壷のテコいれは完璧なもので、ある意味で陰謀そのものでした。彼女の筆跡は旨いと書かれていますが、何かひとつ抜けているようでもあります。美しい人でしょうが、女そのものを演じた藤壷でした。

紫。紫は源氏の正夫人ではありません。源氏が略奪によって手に入れたのを、一応の儀式を踏んで妻にしたものの、全くの自分だけのクローズした世界で処理。これでは当時は正式の結婚と認められないと思います。また明石君のような莫大な財産の持ち主でもない。源氏の後援があってこそ、の妻の座でした。実際源氏があれほどの庇護を与えたからこそ、世間的にも「正妻モドキ」として扱われ、宮中では手車の宣旨まで受けました。しかし源氏の庇護しか無いのです。もし源氏がある日突然、紫に飽きた、とでも言ったら次の日には放り出されてしまい、母親は死に別れ父親は源氏家と不和ですから、行く所がありません。源氏に齋院宮(朝顔宮)との噂があった時、紫に生じた最大の関心事はこれでした。葵が死んでいますから、齋院宮が受け入れさえすれば、正式に結婚できたからです。しかし同じ皇統と言っても、紫は式部卿宮の子でしたが、当時姫の価値を左右する上で肝心だった母方は大納言に過ぎませんでした。つまり紫は按察大納言の孫に過ぎません。「過ぎない」なんて言いますが、このトップ・ロイヤル・ファミリーを扱う小説では父親が大臣であることが必須条件であり、その一段下の大納言では太刀打ちできません。しかもこの時、式部卿宮には正式な北の方(恐らく大臣家の)がいましたから、紫のシチュエーションは押して知るべし。

紫の立場は、あの少し暗い「紅梅」巻の宮御方(宮御方は父親たる蛍兵部卿宮から莫大な財産を引き継いだそうですが、それでも時流に取り残された姫として、低い扱いしかされない。宇治の姫達も父宮の全盛期には溢れんばかりの財宝に囲まれていたそうですが、落ちぶれた後は低い扱いしかされません。それが見直されるのはもう少し時間が経ってから)とほぼ同等。ですから紫は正当な式部卿宮(当時)の子である朝顔宮より一段低く見られ、競争になれば到底かなわない。心配で仕方が無かったはず。そんなに不安定な立場にある紫だからこそ、堪えなければならないことも多々あります。とどめを刺したのが女三宮の降嫁。女三宮は内親王ですし、お輿入れの儀式からも分るように、女御の入内に準じる扱いです。辛抱に辛抱を重ね、ウチに込めた想いはついに病を呼び込みこむ。小説としては長い期間を記述していますが、紫には同じ辛抱の日々に過ぎず、絶望のうちに寿命が尽きました。こんなことは事実としては皆が知っていることですし、高校生でもスラスラと正解を出すでしょうが、高校生にこの心理劇を真に理解せよと言っても、そう言う方が無理。私自身、還暦を迎えるころに、ようやく意味が分りました。今は紫の悲劇として捉えています。そして、そんな物凄い物語を書いた紫式部は怪物だと思います。

明石君。彼女がまだ8歳程度の時に、若紫の巻の中で家来達のうわさ話に登場します。彼女はなにか有能な秘書みたい、とどこかに書きました。どこをとっても減点法で採点すれば彼女は優勝者です。美しく、慎ましく、楽器は琵琶も琴も上手だし、筆跡は六条御息所を思わせ、決して取り乱さず、源氏の突然の来訪にも十全な対応をします。でも何かが不足しています。朧月夜尚侍の持っていた開けっ放しの明るさには乏しく、紫のホンのちょっと身勝手な(可愛らしさの原点)点にも乏しく、葵の持っていた氷に閉じ込めた情熱もありません。末摘花の持っていた徹底して従うという従順さも無いようです。フィッティング(最適化)という工学的手法がありますが、それで作り上げた理想的な状態みたいな存在、それが明石君です。何もフィッティングが悪いとは言いませんが、なぜそうなるのかを原理に遡って説明して呉れない。今日の工業製品はこのフィッティング法を大いに利用しているし、消費者もまたその恩恵に預かっていますが、何か不満が残ります。なぜ?どうして?という科学にとって最も原理的な説明が後回しになっているからです。そして彼女は国母の実母という座を入手しました。でも幸せ?

明石の尼君。明石の尼君はもとを正せば、中務宮という皇族の孫です。ですから彼女はここではありふれた受領階級の妻として描かれていますが、決して血統が極端に低いわけではないのです。だから女房達も大勢いたし、尼君達の日常的な挙動は全て外の世界に筒抜け。女房達が漏らすのです。それ故、近江君がサイコロを振る際に「明石の尼君、明石の尼君」などと言うのです。彼女なりに精一杯役割を演じ切りました。ただ明石の入道は念頭に無かったようで、その点のみ、はてな?と思います。

明石入道。この明石入道の存在こそ、この「源氏物語」の進行にとって、無くては成らなかったものです。彼があれ程の上昇志向を持っていなかったら、決して源氏を迎えたり、源氏に娘を紹介したりしないでしょうから、そこでストーリーは変ってしまいます。「若菜」下巻で男宮が産まれたあと、彼の手紙が尼君に所に届き、これで明石家の孫が帝になることは間違いなし、その上は「かひなき身をば、熊、狼にも施しはべりなむ」と書かれ、決して探してくれるな、と言い含めています。それだけ欲望が強かったのでしょう。そして弟子達をつれて山に入って消えます。これを読んで明石君は涙を流す。明石君は父を思う場面でのみ涙を見せるのである。入道の、時として見せたあの強引さは読む最中には辟易しても、「源氏物語」全体にとって無くてはならない人。

匂宮。そして匂宮という女たらし。彼は源氏の孫であり、源氏のコピーです。先述した宮御方にも、夕霧の六君にも、宇治の八宮の下の姫にも、そして八宮から認知を拒まれた浮舟にも色気を示すのが、その匂宮です。それぞれの瞬間には恋も本気だったと信じられますが、長続きしない。たちまち次の狩りに出掛けてしまう。それでも何かが彼自身にとって必要となれば、それを後生大事にできるというシタタカさも備えています。意志と執念です。つまり匂宮は八宮の第二女(中君)を中宮に仕立てるために、それなりの努力を払うに違いありません。一方、浮舟は匂宮にとって瞬間的な「なぐさみ」にすぎない。これは匂宮が当座どんなに真剣に思っていても、結果的には捨てるに違いないからです。恐らく姉の女一宮の所に浮舟を捨てるだろうと思います。匂宮には「現実的で正統的な世界」と「夢みたいな世界」が両立していたようです。帝位を目指す者にとってそういうのが必須だっただろうことは、充邸伺えます。不甲斐ないのは、匂宮の兄たちである一宮と二宮です。彼等はそれなりの地位を得たのでしょうが、作者に愛されていないし、読者にも愛されていない。

柏木。ここで「源氏物語」を彩る情熱的な恋をした3組を取り上げたいと思います。即ち、源氏と夕顔、柏木と女三宮、匂宮と浮舟です。いずれも常識の範囲を越えて、その瞬間には恋の成就以外全く何も考えなかった情熱的な時を過ごしました。そしていずれも物に成らず。女2名と男1名が死に(消え)ました。私はこれらの物語は、「源氏物語」のハイライトだと思います。それが無ければ「源氏物語」は光源氏のラブ(サクセス)・ストーリーに過ぎず、こんなに話題を呼ぶものにはならない。源氏や柏木や匂宮の一途さ、これは信ずるに値します。ただ、源氏も匂宮も後のことまで考えると「若い頃にあった話」で終わってしまう。柏木だけは違う。柏木は自らが滅びることで恋を全うしました。女三宮が最後に柏木に宛てた手紙に「思ひみだるる煙くらべに、遅るべうやは」とあるのも、当時の女三宮の本心の叫びだろうと思えます。あの女三宮がこういう歌を詠めたというのは凄い。驚きです。その前後では女三宮ほどデクの棒は居ないからです。また読者に、ああ可哀想にと思わせた唯一の男が柏木でした。破滅型の典型ですが、破滅というのは恋愛の極致ですね。

薫。彼こそ最大の偽善者ではないだろうか、と最近思っています。薫は自分が如何に恵まれているかを充分に理解せず、冷泉帝(院)の厚い庇護を受けてヌクヌクと暮らし、挙げ句は降嫁した今上帝の藤壷女御腹の女二宮を大事にせず、同じ今上帝の明石中宮腹の女一宮に憧れる余り、女二宮に同じ服装をさせたりするというプロット、これには言葉も出ません。それほどまでして、高位の女を望むのか、と言いたいところ。その女二宮との婚礼は宮中として可能な限りを尽くした、きらびやかなものでしたが、それに全く満足もしていない。そういう雰囲気の中での「宇治の恋」ですからご注意。あの実父、柏木の一途さはどうして遺伝しなかったのでしょうか?薫の計算高さは、酸いも甘いも極める仏道から遠く離れた世界のもの。形式的に夕霧の弟たる薫は冷泉帝(院)に溺愛され、養子扱いされます。浮舟に振られたあと、故式部卿宮の姫(宮の君のこと。かつて東宮妃にも喩えられたが今や上記の女一宮の話し相手、と言えば聞こえは良いが、結局は女房扱い)にも関心を持ちますが、結局は新しい恋人も作れず、老けて行ったのでは無いでしょうか。もう一波乱があるかも知れませんが、確実に王朝のたそがれを感じますね。

明石中宮。彼女は「源氏物語」前半に登場する后達と比すと、驚くほど庶民的な中宮です。すなわち「おばはん」っぽいのです。彼女の関心は愛しい息子の匂宮を帝位に付けること、これしかありません。だから八宮の中君に対しても初めは匂宮の出世の邪魔になると考え、中君は召人として呼べば良いのに、と匂宮を叱ります(まるで4帖半の家庭小説)。それが次第に心変りして行き、最後には中宮の地位を想定させるような贈り物まで中君にしています。しかし私にはやはり明石中宮は余り興味がもてない。興味を持てと言われても無理です。海人の娘として終わったかも知れないのに、此処に至った経緯と感謝が全く感じられません。

そして桐壺、弘徽殿女御、桐壺母、典侍、式部卿宮の北の方、五節舞姫、太宰大弐の北の方、三条大宮、宮御方、真木柱、宮の君、女房たち、そして小野の尼君が居ます。彼女達の役割にも簡単に触れておきます。桐壺はまるで夕顔みたいな性格では?源氏はこういう性格が好きだったのでしょうか。弘徽殿女御の言うことは大方が正当ですが、キチンとしないのが最悪と考える人間。桐壺母はまるで落ち葉宮の母親と同様で、御息所共通の身分を丸出し。典侍は歳を取ったときに上手に振る舞い損ねた人。この人は4位ですから、大納言の娘でしょう。式部卿宮の北の方も言う事は殆ど正当ですが、表現の極めてヘタな人。ただ、式部卿宮というのは東宮に次ぐ身分ですから、その北の方も大臣家の出身に違いないと思います。五節舞姫は遠く離れていても意識はしっかり繋がっていると自らに信じさせた人、太宰大弐の北の方も基本的に弘徽殿女御と同じです。太宰府は遠い所ですから都の目でみれば田舎ですが、太宰府の当地では堂々たる立場だったに違いありません。位は4位ですから国守階級です(参考までに少弐は5位)。三条大宮は皇統の高貴な姫ですが、それにも関わらず孫がひたすら可愛いと抱きしめる普通の人。宮御方は故蛍兵部卿宮と真木柱の遺児ですが、母親の真木柱が紅梅家と再婚して、そこの姫の面倒をみています。ただしこの時点では大納言ですから、その姫も更衣でしょう。宮御方は故蛍兵部卿宮から莫大な財産を受けついでますから、ゆったりと生活していて、決して結婚をあせりません。似た名前ですが式部卿宮の遺児、宮の君が東宮にお輿入れの話まであったのに、今は女一宮の相手をする女房格になってアップアップしているのとは大違い。やはり経済力は大きな要素。位なんてと、こだわりますが位は位に過ぎず、紫式部が遠慮して位の高い人ほど美しく、そうでない人は美しくない、と書いたため、誤解が生じております。現在も強いファクタは経済力ですが、それは1,000年前から変っていません。明石君が六条院の中に数多い倉を持っていたことを思い出して下さい。そして女房たち。あらゆる勤め先の噂話をまき散らしています。何時の世にもそういう人間は見つかりますね。尼君は浮舟を可愛がりますが、積極的に何かを起こさせたりはしません。また桐壷帝、冷泉帝、式部卿宮、蛍兵部興宮、頭中将、惟光、髭黒大将、監、八宮、僧などもいます。桐壷帝は甘い、わがままな人。冷泉帝は本編では大人しいが、宇治十帖の世界が近づくと、突然に活躍して玉鬘を悩まします。紫の父たる式部卿宮は北の方ほどではなくても、風見鶏。蛍兵部卿宮は優雅だが、やや軟弱で意志薄弱な人。頭中将は若い日にはさっそうとして魅力を振りまきますが(!)、大臣になって以来付き合い難い人。惟光は信頼できる腹心の友。髭黒大将はおのが欲望に燃える人。監は6位で、これは中くらいの国の国守相当ですので、もっと下つ方から見れば低い身分ではないのですが、玉鬘周辺の人達は、そういう品下った男とは一緒にさせられないと言って玉鬘を都に運んだのでしょう。八宮は軟弱で意志薄弱。何をやりたいのか全く不明で、生活力なし。僧は藤壷の時の夜居を務めた僧と、浮舟を出家させた僧の2人がいますが、いずれも意志の弱い人。夜居の秘密を漏らすなんて仏罰ものだし、出家した者に還俗を勧めるなんてやはり仏罰もの。

最後に残りの人たち。そして「源氏物語」にはマトモに登場しない大勢のワキ役達がいます。例えば六条御息所の女房の「中納言君」がそうですが、源氏との情事は匂わされているだけ。「源氏物語」を構成する人物の相関図に殆どの人が網羅されてしまう点を考慮するなら、色々な貴賓達はかくも好色だったと言うべきか、それとも、かくも狭い世界の付き合いで一喜一憂しながら生活していた、というべきか。どっちだと思われますか?

前に決して高校生に分るはずが無い、と失礼なことを申しましたが、それを書いた紫式部は年齢より老けていたのでしょうか。あるいは国文学をめざす方々には、この程度のことはスラスラと分る自明のことなんでしょうか? 私のようなシロートの「源氏物語」読者にとって、これは解けない疑問です。そして、ここに述べた様々な性格が入り混じり、これが渦巻くと「源氏物語」の音楽を鳴らすことになります。


(次回は「第5話カレイダグラフで描いた年齢分布図」を御覧に入れます)



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