音楽のすすめ 第4章

2008.7.14
おわりに

「音楽のすすめ」第4章に書いた内容について、今一つ悩みがあります。それは葵の上に対し、かつて東宮からお輿入れの誘いがあったという件。このかつての東宮とは誰でしょうか?3名の候補者があります。桐壺帝その人、朱雀帝の東宮時代、六条御息所の結婚した故東宮。これは考えようによっては大変な問題を含んでいます。何しろはっきりとは書いてないのです。六条御息所のパートナーの東宮だったとすれば、これは面白い。まさに車争いの基がここにつながります。次に瞬間的な候補として朱雀帝の東宮時代とすると、年齢的な問題等は軽くなりますが、お輿入れを断ったのはあくまで源氏を選んだためで、最も普通の判断かもしれません。そして最後に桐壺帝だったとすると?この場合は葵の方がかなり若くなりますから、葵にとっては気楽になります。桐壷帝は人の良い、好色な、そして全体のバランスを考えることの出来にくかった人だと思うのですが、もし葵に振られたとしたら、宮中には六条御息所もいたはずですから、極めて複雑な伏線が張ってある気がします。一体どうなんでしょうか。私はこれをあっさりと朱雀帝の東宮時代の話、と割り切ることが出来ないのです。

上記は「音楽のすすめ」第4章では簡単に書いて処理しましたが、実は分っていなかったのです。なぜ故東宮は東宮で無くなったのか?死んだからか?それとも廃太子の処置によってか?これは全体に影響する重大事なのに、余り議論されていない。原稿が喪失してしまったので、とか未発見のため、とか議論紛々。もしこの問題で、すでに定説があるのなら是非拝読してみたいと思っております。多くは本居宣長の「手枕」の影響を受けているのでしょうか?「源氏物語」のような長大な物語の場合は、所々でそういう不明確な点があっても何も不思議ではありません。「手枕」では明らかに、廃太子という意味の表現が使われていますが、「手枕」は本居宣長の「創作」でしょう? もう一つ。藤壷の入内に際して先帝の后が「あな恐ろしや」と言って弘徽殿女御に肩をすくめる場面があります。これは先帝の時代の中宮が、なお中宮に留まっており、その前の皇太后も、さらにその前の太皇太后も生きていたと考え、三后に空席が無かった故に、桐壷帝と言えども、誰も中宮に出来なかった、というのが尤もらしい第1の解釈になります。そして先帝の后は、間もなく空席ができると見越していたが、そこに愛娘の藤壷を女御として差し出すと、必ずや弘徽殿女御と衝突すると見込んだのだろうと思います。藤壷だけは桐壺更衣みたいに弘徽殿女御にイビラられるのを避けたいと思ったのでしょう。さもなければ、第2の解釈として、桐壷帝はどうしても弘徽殿女御だけは決して中宮にしたくない、という意志を持っていたかです。この長期間に渡って中宮を持たなかった桐壺帝の秘密を知りたいと思います。

また末摘花の父親たる常陸宮は桐壷帝の兄弟なのか、もっと先代の帝の子孫なのか、等の記述が全く無く、想像力で補わなければなりません。そして「紅梅」巻はこれからどうなるのか、という野次馬的な興味をそそりますし、「竹河」巻はもし本当なら、新規に産まれた皇子は親王宣下を受けた(そう信じたのは、それを否定した書き方ではないため)のでしょうから、新皇子には継承権もあるでしょう。「竹河」巻の方は結末が玉鬘の悲劇だと言う事がウスウス分ります。ただ「紅梅」巻の方は宮御方(源氏の弟、故蛍兵部卿宮と真木柱君の遺児)の扱い等、やや理解し難いことは否めない。実は私は昔、宮御方の行く末にいたく興味を持って色々調べたことがありますが、分りませんでした。やはり紫式部が書いたとするなら、イヤになってしまった、早く切り上げて「宇治十帖」へ進みたい!と思った、と言うのは紫式部に対して失礼でしょうか?「紅梅」巻の按察大納言に、昔は音楽を皆やったものだ、という言がありますが、私はこれを大層心強いと思います。実際、現代の紳士諸公にももっと音楽と親しんで欲しい!あるいは音楽に留まらず、文芸に親しんで頂ければ、と思います。公式の席でも青海波を舞ったりしたのは、あの時代だからこそ。現代だったら舞いを舞うのはかなり勇気を要する事と理解できますが、読んだり聴いたりするのは、できますよね?

[我々が持つ音楽のくせ]
それではどんな音楽を採用すれば「源氏物語」に相応しいのでしょうか。それを考える前に、我々の「くせ」を明らかにしておきましょう。如何に客観的にやっている積りでも、どこかで「クセ」が出て来ている可能性があるからです。

(1)西洋の音の響き
そもそも1,000年前の人々はどんな音に感性を持っていたのでしょうか。初めて西洋音楽を聞かされた時、日本人はどう思ったのでしょうか。うるさいとか、雑音みたいだとか、奇妙きてれつで理解を越えているとか、何かあったはずです。これは常に付きまとう疑問です。明治の始めころの一般聴衆の耳にとって西欧音楽はどのように響いたか、これを記した本があれば是非読んでみたい、と思います。我々の住む現代について言えば、比較的すんなりと耳に入ったと信じられるのですが、その前に教会オルガン等の執拗なまでの啓蒙活動があった御陰かもしれません。今日でも人に寄っては耳ざわりだと思われている一部のポップス系の音楽も、いずれ、案外すんなり受け入れられるかもしれません。昔からあるジャズ系の音楽も、今では立派な古典の仲間入りをしています。かつてジャズと言うだけで拒否反応があったのにですよ。そしてミュージカル「キャッツ」の項で書いたように、私自身もそれを思い知らされた経験があるからです。

(2)音の語感
善し悪しの問題では全くないのですが、中国語に感じる「ヤ、ユ、ヨ」を強調したような発音、ドイツ語に感じる「プッ、トウッ、クッ、ン」の強調、韓国語に感じる「チェ、チュ、チョ、ダ」の強調、フランス語の「ジェ、ジュ、ホワッ」の強調、ミャンマー語の「ニヤア、ミャア」等の響きがあると私は思うのですが、日本語をよその世界から見たらどうなんでしょうか。例えば、「キャッツ」にある東南アジアの舟で戦闘する猫の場面がありますね。あそこでバック・コーラスの音色が突然子供のような黄色い声に変化すると感じるのは私だけでしょうか。やはり西欧人の耳には黄色い声に聞こえているのだろう、と思います。そして、あの場面をカットする「キャッツ」演出も海外で見たことがあります。

(3)音階と音色
昨年(2007.11.4)朝日新聞に、和太鼓では音階が出せない、という話がありました。解説として、西欧音楽は正確な音階を尊ぶが、アジアでは音色や響きを大切なものとして扱う、という話がありました。だから和太鼓では音階は無くても、音色を比較したり、楽しんだりできる、という話です。ある種の民謡では、高音を高々と響かせます。喉は詰まったような発声になりますが、あれだけエネルギ〜を詰めて発声するのも修業が要るだろうなと、思う次第。かつて一度だけ外国人と一緒にお座敷に同席したことがあって、そこで「磯節」を聴きました。その声はピンと張った声でしたが、至近距離で聴く肉声には圧倒されました。決してベルカントではないのですが、ああいう音色は特徴的です。確かに我々の住居は音が響かないし、響きの加わった音になじみが薄い、と言えそう。我が国を代表する音楽を選ぼうとすると、色々難しい問題が山積しているようです。

(4)高音と低音
日本人が本質的に高音が好きなのか、あるいは低音が好きなのか、という問題。結論から申せば、日本人は高音が好み、と言うことになりそうでしょうか?中国の京劇に現れる高音もそうですね。言葉の響きについても、日本語を全体として捉えると、西欧人の耳にどういう印象を与えているのか興味深々です。ギリシャの民謡を聴くと、発声が少し西欧のものと異なります。また日本のある種の民謡でも正しく歌うことが必ずしも高く評価されないそうです。ホンの少しだけ、やや上ずった高めのキーにするのが正解だとか。例えば吉幾三の幾つかの歌(例えば『酒がア』のアの発声)、あれもキーがやや上がり気味です。沖縄のグループ「ビギン」の歌にもそれが指摘できます。何か鼻腔を全開したような発声で(『行こうかア』とアを強調するもの)、高音を強調する傾向。村田英雄も高め。決してキー音を外すのではなく、発声スペクトルの広がりの中に確かにキー音を含みますが、それでも全体としては高め。このように、その国の特徴とでも言う何かが、各国各地の民謡の中にあると思います。これは強いて言えば、その国のオーディオ装置全般に影響を与えているかも知れないと考えられないでしょうか。

これらの問題がどこかにあると考えられます。これらは我々のDNA、あるいは繰り返された習慣によって、耳に刻まれたもののような気がします。フトこれらがオモテに出ることがあるのではないでしょうか?好き嫌いを越えた問題です。それを承知して、私はここに私流の「源氏物語」の音楽を選びました。当然ながら、これは偏っていますし、それを指摘されればグーの音も出ない。生活習慣は各自の極めてプライベートな生活ぶりを反映するからです。ここでは「源氏物語」全編を選ぶのでこういう選曲になりましたが、特定の巻のみを取り上げるなら、もっと違う選曲も可能です。「特別編」を設定したのはそれを実際にやってみたかったため。さらに細かく、ある特定シーンだけ取り上げるなら、イタリア・オペラの叫び声の満載になりますよ。全体と特定シーンの違いにご注意下さい。

[源氏物語に選んだ音楽]
さて、ここで選んだ音楽を再検討してみましょう。一番多く引用されたのがモーツアルトの音楽で11回、次点がバッハで8回です。ワーグナーは2回のみ。これらは意外でした。ヴィヴァルディも多いのですが、例えば「春3」とあれば、「春」の部分の3曲目という意味です。またある程度意図的にしたことですが、宇治十帖ではピアノ曲ばかり、それ以前の本編ではオーケストラ曲が中心でした。逆にすることも考えましたが、結果的にここでの選択が当たっていると思います。夕顔はバッハで初登場したら、玉鬘もまたバッハで初登場するなど、かなり工夫しました。さらに畳み込むような速いテンポは、浮舟の心情にそうものと考えます。とにかく聴いてみて下さい。各曲の雰囲気が何とも「源氏物語」に相応しく思えるはず、と思っています。私はこのような組み合せを6種類考えてみました。これが6回目の組み合せです。途中で消えた曲も、もちろんあります。

繰り返しますが、ここで採用した曲は、オーケストラ曲であろうと、ピアノ曲であろうと、良く知られた曲ばかり。決して珍品はありません。そしてこれは大切な点だろうと思います。ある曲がポピュラーか、ポピュラーから遠いかも、人によって差があるからです。ある人にとって「ラ・ジョコンダ」のアリアはありふれた曲でも、そもそも「ラ・ジョコンダ」なんて聴いたことも無い人だっています。私自身が偏る事無く曲を選んだ積りでも、その曲には自ずとバイアスが掛かって来るし、それを完全に除くことは無理です。しかし、そのままお見せするのが一番良いと考えました。それに私の意見は私の意見であって、ご自分の意見をそれで左右しなければならない、なんてことは全くありません。ここに示すのは私の2008年における選択結果ですが、将来また変動があり得ると思います。それをご承知の上、ぜひ聴いてみて下さい。

[特別編:重要な姫君達に相応しい音楽を求めて]
今までここに登場していない重大な姫達がいます。すなわち葵、六条御息所、朧月夜の3名です。彼女達は「源氏物語」の底辺を支える重い存在ながら、此処のリストには出て来ません。それは特別扱いしたかったからです。どう読んでも彼女達を除いては「源氏物語」は成立しない。そこで各々に相応しい音楽をイメージとして捉えると下記のようになります(ここではCD番号は省略)。

葵の心境は切々たるものがあります。ここはワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」の序曲を当てましょう。ただしオーケストラでなく、ピアノ編曲版を当てます。イゾルデの心境が葵の心境とピッタリと合います。両人とも若すぎたのだと思います。源氏は当時まだ十代ですよ。そういう夫の年齢を考えれば、これはある意味では当然かも知れない。夜な夜な遊びの方に興味が向いて、自分に集中して呉れない、という不満と不安。ただ葵はそれまでお姫様として育てられ、あなたはこの世の中心ですよ、と言い続けられて来たのですから、源氏の本当のところが分るはずがない。夫は自分に関心がない、それに対して眼に見える形で対処することは不可能、いったいどうしたら良いのだろう、と思い、針の蓆の上で長い時間待ち続けるだけ、そしてたまさか逢う時も、いったいどういう顔をすれば良いのか、全く分らない、この寂しくも哀しい心境を音符の間から読み取って下さい。ピアノの音符一つ一つが真に当てはまります。それに続いてフォーレの歌をチェロ版によって聴きます。せつせつたる葵の心境が伝わりますね。さらにシューベルトの即興曲から。そして初めて登場するフランクのコラール2番。パイプ・オルガンの音に叩きのめされましょう。これは彼女が車争いに巻き込まれたことを表します。「車争い」に表される葵の嘆きとお考え下さい。葵自身が悪いのでは無いのです、あの車争いは。元を正せば、そこまで事態を無視して来た源氏が悪い。最後にマルタ・メードルの歌でイゾルデの独唱を聴きましょう。葵の血を吐くような叫びが聞こえるはずです。

葵に相応しいと考えた音楽
1)ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」序曲をシプリアン・カツアリスのピアノ版で
2)フォーレ「夢のあとで」パブロ・カザルスによるチェロ版で
3)シューベルト「即興曲Op90-3」エドウィン・フィッシャーで
4)フランク「オルガン・コラール2番」のフィナーレをマルセル・デユプレのオルガンで
5)トリスタンとイゾルデより「愛の死」のマルタ・メードルのソプラノで

次に六条御息所ですが、リヒャルト・シュトラウスの最後の4つの歌から、「夕映えに」で始まります。既に年齢的な限界が見えて来た御息所の複雑な心境がこれでヒシヒシと伝わります。彼女はそれに決してヒステリーを起こしたりしないのです!元東宮妃の誇りをもって凛としてみせなくてはなりません。続いてまたもリヒャルト・シュトラウスの「子守唄」。同じ作者を並べる事で、その本質に迫ろうという意味です。第3曲もリヒャルト・シュトラウスの楽劇「薔薇の騎士」から第3幕「トリオ」の部分。これこそ、ある年に達した貴族にピッタリの音楽。そしてリストのピアノ曲「愛の夢」。リヒャルト・シュトラウスとかリストというと、やや軽いイメージがありますが、この場面ではよく合います。最後はドビュッシーのピアノ曲「沈める寺」。これらのソプラノ独唱、そして3番目の女声3重唱ほど、六条御息所に相応しい曲はありません。さすがに葵と比較すると六条御息所の音楽はやや細く、低音の支えも弱い。そもそも六条御息所は30才そこそこ、「薔薇の騎士」の元帥夫人もまた32才以下です。これに注目しましょう。両者の立場は一致するのではないでしょうか?元帥夫人は部屋中の時計を止めたい、と言っています。間もなく確実に訪れる自らの老いと衰え。その予感を恐れる気持が異様な「物の怪」を心の中に産む。そこまで貴族を気取ることがあるか、と注意する人があれば良かったのに、オックス男爵を御覧よ、と申し上げたい心境です。もっと自由になれれば元帥夫人も幸せになれたはず。オクタヴィアンはその時点でのアバンチュールの相手に過ぎない、これを自覚すれば良かったのに、と思います。私は「音楽のすすめ」第1章で、「薔薇の騎士」を最高のエンターテインメントと評しました。そこには、この曲を聴く人が、甘酸っぱさを噛み分けられる年齢に達した人ならば、という意味が含まれています。軽快なワルツ、少々浅薄な響きも、エンターテインメントという音なら許されるでしょう。そうすれば、ウイーンでの初演禁止に対し、代りに初演したドレスデン歌劇場に、各地からゾクゾクと「薔薇の騎士号」と銘打った列車で人々が聴きに集まった意味が良くわかります。この六条御息所=元帥夫人というのは、いかがでしょうか?

六条御息所に相応しいと考えた音楽
1)R.シュトラウス「4つの最後の歌」より4曲目「夕映えに」をエリザベート・シュワルツコップで
2)R.シュトラウス「子守唄」をエリザベート・シュワルツコップで
3)R.シュトラウス「薔薇の騎士」より最後の「トリオ」を、エーリッヒ・クライバーの指揮で
4)リスト「愛の夢」をジークフリート・シュテッキクトのピアノで
5)ドビュッシー「沈める寺」をアルトウール・ルビンシュタインのピアノで

もう一人、朧月夜は華やかなチャイコフスキー「弦楽セレナーデ」で開始しましょう。直ぐにイメージが掴めると思います。朧月夜は明るく、誰にでも愛想がよく、愛嬌がありますから、それが相応しい。それだけ少々考えの至らない点も持っています。2番目にはヘンデル「水上の音楽」より。これもチャイコフスキーに続く選曲にピッタリ。その後はバレエ曲でアダンの「ジゼル」よりグラン・パ・ドウ・ドウ。これら朧月夜にテーラーメイドで選んだ曲の後は、ボロディン「弦楽四重奏曲」よりメヌエットが続きます。これもピッタリ。この弦楽四重奏曲にはホンの少しですが、かげりが感じられます。それを採用したのは秋期に至った朧月夜を表すため。さらに最後にラフマニノフの「ヴォカリーズ」。これはアンナ・モッフォを採用しますが、彼女こそ相応しい。彼女自身が朧月夜だからです。若き日にはピチピチして飛び回った朧月夜ですが、年を取るにつれ、ウッスラながら後悔の念が生じています。何とも言えない気だるさを感じます。まず音楽そのものを聴いて下さい。グダグダとした説明は不要だと思います。

朧月夜に相応しいと考えた音楽
1)チャイコフスキーの「弦楽セレナーデ」冒頭をヘルベルト・フォン・カラヤンで
2)ヘンデル「水上の音楽」より第1曲「ラルゴ」をブダペスト管弦楽団で
3)アダンのバレエ組曲「ジゼル」よりグラン・パ・ドウ・ドウをヘルベルト・フォン・カラヤンで
4)ポロディン「弦楽四重奏曲2番」よりメヌエットをドロルツ弦楽四重奏団で
5)ラフマニノフ「ヴォカリーズ」をアンナ・モッフォのソプラノで

要するに、上記の3人、葵、六条御息所、朧月夜尚侍は長い間源氏にとって重い足かせであったり、気になる監視者であったり、アブナッカしさを感じさせる存在であったり、と源氏を支配してきました。結局、最終勝利者になったのは葵でした。あれだけ暗く不幸だった葵、あれだけ不満だらけだった葵ですが、逆転によって勝利者になったと思います。あるいは別の見方として、勝利する代わりに、はかなく亡くなってしまったのかも知れません。私は個人的に、少なくとも明石君よりも遥かに葵に同情しますし、葵の方が幸せを実感しつつ命尽きたと信じます。それに比して、六条御息所はどうしても一枚役者番付が下がるような気がします。それにしても、元帥夫人に付けた音楽は甘い、切ない、堪らないような音楽です。それはどんな結末に至かを我々が知っているからでしょう。本人は猛烈な愛情を注ぎ込んだかも知れませんが、ついに「本当に」別れられなかったのは人生設計の失敗です。最後に朧月夜尚侍ですが、彼女は活発にもなれるし、夕顔みたいにもなれるし、相手次第でいかなる種類も演じられる人でした。私は夕顔に興味が無い、と申しましたが、これは朧月夜尚侍に対しても興味が無いことを意味します。

正直になりましょう。そうしなければ、「源氏物語」の歌なぞ選べません。後で重要な役割を担当する紫と比較したら?あるいは浮舟と比較したら?幸いなことに、彼女たちは別々の時期に登場しますから、かちあう心配はありません。繰り返しますが、葵、紫、浮舟の3名こそ「源氏物語」にとって最も重要な存在でした。他の役者達はそれぞれに美しく、興味深い役割を演じていますが、全体としてそこに響くハーモニーは、悩ましいバックグラウンド音楽です。背景を描くだけかも知れませんが、それはそれで充分に魅惑的です。

[総まとめ]
私は「音楽のすすめ」第3話の最後の、浮舟を論じる箇所にピアノ音楽を登場させました。ピアノが最も相応しいと思ったからです。ここでラフマニノフに関連する話を一つ紹介しましょう。モスクワに「モスクワ救世主キリスト教会」という教会がありますが、これはナポレオンに戦勝したのを記念して、ロシア皇帝アレクサンドル1世が建造したもの。ところが約100年後に根こそぎ壊されてしまいました。何でも破壊し尽くすのが戦争や政治体系の変動。ポーランドは数回に渡って破壊され分割された歴史を持ちます。第4回目にポーランドが消滅した時は、ショパンがこれを聞いて悲憤慷慨し、前奏曲第24番の最後に印象的なお弔いの鐘の音を残したと言われます。このコラム第4章第2話の最後に、ショパンの前奏曲第24番の楽譜をお示ししましたが、少々の時代のずれは、此処では目をつぶりましょう。そしてラフマニノフは19世紀生まれのピアニスト。彼にも前奏曲があり、特にその作品3-2は有名です。その作品3-2の前奏曲にはモスクワの教会の鐘の音が刻まれていると言われます。ラフマニノフは例のピアノ協奏曲第2番にも、ロシア教会の重々しい鐘の音色を自作の中に取り入れたことで有名ですが、作品3-2の方にもっと早く取り入れられた。そこには壊れかかった帝政ロシアの匂いが付きまとう。ショパンとラフマニノフ、この両者にはお弔いの鐘という共通の言葉があるようです。ポーランドは帝政ロシアが分割されますが、その帝政ロシアはラフマニノフの前奏曲が出来てから僅かで滅んでしまう。帝政ロシアと一緒にポーランド分割に加わったドイツ(当時プロシャ)もまた、それから30年を経ずして破壊されました。その始末で産まれたドイツ東半分もさらに約45年たってから壊されました。私はベルリンの壁の構築完成を告げる、当時の新聞記事を覚えています。結局第二次世界大戦はポーランド国境を西側に移動させてしまう。そして「モスクワ救世主キリスト教会」は、ベルリンの壁の崩壊の頃に復活再建され、今またその鐘の音が響いている。。。。。等々と考えると、このコラムにショパンやラフマニノフが登場する訳も、私が何故ショパン前奏曲第24番の楽譜を載せたかも分る気がするでしょう?因果応報の繰り返し。祇園精舎の鐘の音のごとく響きます。そして万物流転。まるで「源氏物語」の大筋です!このコラム「音楽のすすめ」第1章25話(さまよえるオランダ人)にも登場する旧友、故W辺君が呉れたラフマニノフの前奏曲作品3-2 の楽譜を見ながら、色々と考えてしまいます。
ラフマニノフの前奏曲作品3-2の最後の部分
図:ラフマニノフの前奏曲作品3-2の最後の部分。


私の「源氏物語」の音楽はこれらの音楽と、本編に書いた「源氏物語」の音楽を合わせたものです。総勢430名もの人物が登場するこの巨大な小説、その印象はいかがだったでしょうか。これは私が2008年現在で持っている「源氏物語」に関する全知識を書いたもので、これ以上はありません。我ながら、よく長いものを書いたことよ、と思っています。1年前には思いも寄らないことでした。話が少々発散気味になった点を含め、私が国文学のシロートである点を斟酌していただけますよう。そして、私が好きなヒロインに数えなかった人が大好きな方、そのご不満は、それぞれご自分のヒロインを選ぶことで反映させられますし、それができるのが古典文学と呼ばれる所以です。

(あとがき)
「京都源氏物語地図(最後の図。娘から貰ったもので、社団法人紫式部顕彰会、2007年)」を見ると当時の家々が軒を接して立ち並んでいるのが容易に分ります。平安朝では縦横が矩形をしていることを考慮し、1-2条付近をアッパータウン、3条あたりをミドルタウン、5条あたりをダウンタウンと名付けますと、それぞれに貴族の館が集中しています。ここでアッパータウンに住んだのは朝顔宮、末摘花、落ち葉宮等であり、ミドルタウンの住人は葵、雲居雁、女三宮、玉鬘、真木柱、朧月夜等であり、またダウンタウンの住人は、もちろん光源氏その人や、六条息所や紫、明石君です。それぞれは至近距離にあって、例えば玉鬘邸と紅梅邸は隣り合わせです。それだけにツケトドケの多少などから容易に世の盛衰を計れただろう、ことも想像できます。つまり、この3つの町はそれぞれ隣組を形成していました。隣組の情報は筒抜けになりがちなことも、おしゃべりな女房達の存在を考えると容易に分ります。また実質的にミドルタウンが社会を牛耳っていたことも。そして不思議なことに、殆どの家は左京区にあり、右京区には朱雀院しかない。それが平安貴族社会でした。随分狭いでしょう?私はその確認のため、京都で実地踏査をしてみました。あったはずの道路で仕切られた邸地を160m刻みとすれば、「なるほどこの広さか」を実感できるはずと思い、3つの町の全てを足で確認しようと思ったのですが、足がクタクタになりました。二条通りは狭く、生活道路そのものでしたが、牛車が通った昔はもっと広かっただろうと思います。情報伝達には徒歩でかろうじて可能かな、という広さ。歩き続けていると午後には、日ごろの運動不足と盆地の暑さにアゴを出してしまいましたが、妻の叱咤激励を受けて、何とか予定どおりの範囲をカバーした次第。その詳細はAPPENDIXに記します。ここには京都源氏物語地図を改変したものを示します。この地図をもとにして、現実の地図との関係を描くと別のものが出来ますが、それもAPPENDIXを参照して下さい。

ここでは「源氏物語」の舞台になった所、は史実の舞台を表します。



妻の一句     せみしぐれ平安京へ迷い道   晴


さらに下に撮影した写真をお見せします。のこりの写真はAPPENDIXを見て下さい。
廬山寺の庭(紫式部邸跡) 末摘花の邸の辺り
京都御所の回りを流れる排水路 夕顔の跡碑
左上:廬山寺の庭(紫式部邸跡)
左下:京都御所の回りを流れる排水路
右上:末摘花の邸の辺り
右下:夕顔の跡碑

(これで第4章全体が終了します。次回は「音楽のすすめ」最終章の、第5章「ピアノ大好き〜私の最初のNY留学記〜パリ最終講演」になります。ただしAppendix編は時々書きますので、そちらも参照して下さい。お楽しみに)

 

フォルテ マーク


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