第4-2話:NY-放送の多様さ


以下はニューヨーク滞在中から作っておいたメモを基に、1980年に原稿化、ほとんど原文のまま清書(1993年12月31日に完成)し、さらに短く2/3程度に縮めたものです。青字は2008年に追記したもの。


["動くマリア・カラス"の番組を見る等]
ニューヨークで開かれる演奏会は"CUE"とか"New Yorker"という雑誌を見れば一覧表になっている。東京だと、今日はこれしか無いからという消去法で演奏会に来る人も多いだろうが、ニューヨークでは同じ晩のうちにキラ星のごとき演奏家たちがあちこちのホールで演奏をしているので、積極的に「それを聴きたい」という聴衆しか集まらない。これでは本当に実力のある人しかニューヨークで成功するはずがなく、随分と厳しい世界だと思う。ニューヨークにはFM放送局が60以上もあるが、特にクラシック音楽専門局が3つあり、毎週リンカーン・センターの中継をやっている。またテレビの第13チャンネルは視聴者献金制のPBS(公共放送)で、よく音楽番組を放送する。1978年の秋には小沢=ボストン交響楽団とショルティ=シカゴ交響楽団の演奏中継を2回ずつ見た。目下売り出し中のフレデリカ・フォン・シュターデ(Ms)をタイトル・ロールとするトーマ「ミニヨン」も聴いたが、フォン・シュターデは乾いた声で歌っていた。FM放送でエイブリー・フィッシャー・ホールの生中継、サザーランド(S)/パヴァロッティ(T)のジョイント・コンサートも聴いた。

テレビ番組の白眉はマリア・カラスの記念番組であった。同じアパートの地下(家主のTLは1階と称するが)に住む女の子から電話があり、「今カラスの番組をやっているから見るように!」と言われて急いでスイッチを入れたのだが、メットにおけるプッチーニ「トスカ」、スカラ座のケルビーニ「メデア」、パリ・オペラ座のベルリーニ「ノルマ」そしてロンドンのコヴェントガーデン歌劇場やハンブルグでやったコンサート(ノーカット)、たった一度演じたシカゴでのプッチーニ「蝶々夫人」の一部、1958年大スキャンダルとなったローマ歌劇場でのベルリーニ「ノルマ」の第2幕以降中止事件のシーン、ジュリアード音楽院での教授風景その他、お初の"動くカラス"にすっかり嬉しくなった。テバルディやヴァーレット、スコット、カバリエ、レッシーニョ等というソプラノ達や指揮者のインタビューをはさみ、おまけにパゾリーニが監督したカラスの映画「メデア」まで全部放送するという念の入れようで、2日間にまたがる13チャンネルのプログラムは世界一のカラス・クレージーを僭称する僕にとって最良の番組であった。

ニューヨークにはテレビ局はもの凄く多く、実際幾つあるのか分らない位だ。新聞のテレビ欄を見てもUHF番組は全く出ていない。スーパーでTVガイドを35セントで買って来ないと分からない(あるいは銀行に置いてある無料のTV番組表を貰ってくることだが、これは粗悪なインクのため手が真っ黒になる)。FM放送はWNCN(104.3MHz)とWNYC(92MHz)、WQXR(96MHz)の3つがクラシック音楽専門の非営利放送局だが、やはりFMも60局もあればそれも成り立つのだろう。だって一方にはディスコ専門局もあるのだから。もっともディスコ局ができて以来ディスコ・レコードの売上げが急に減り、レコードに頼っているディスコティックが斜陽化した、という妙な現象が起きているそうだ。中波ラジオにはCBSのようなニュース専門局があって朝から晩までニュースと天気予報ばかりを流している。また中波とFMの両方で同じプログラムを流す局もある。またテレビで音楽番組やバレエをやる時にFMでも同時放送をする。

[周辺の人びとの音楽の好み]
ニューヨークの音楽会は、メトロポリタン歌劇場以外は、驚くほど切符が安く、カーネギー・ホールは最高12.5ドルである。ボックス席でも10ドル。エイブリー・フィッシャー・ホールでも同じで、例えばポリーニでも最高8ドル。ステート・シアタ(ニューヨーク・シティ・オペラとニューヨーク・シティ・バレエ)もそうである。最低は3〜5ドル。YYY機構で僕が籍を置いたPPP部ではWl氏が大の音楽好き。彼は学生時代にギリシャ悲劇のコーラスに入っていて、何かの合唱曲のレコーディングに参加したこともあるという。ブルックナーが大好きで、またイタリア・オペラもよく聴くと言う。ただしリヒャルト・シュトラウスはどうも、と言っている。ベルリオーズの「トロイの人々」を絶賛する。Cはチャイコフスキーなどが好きらしい。余りオペラは聴かないがモーツアルト「魔笛」とR.シュトラウス「ばらの騎士」は好きなところもあると言っている。かつてメットでレナータ・テバルディの「西部の娘」を見たらしい。YYY機構所長夫人であるH夫人はモーツアルトを尊敬していて、その代わりワーグナーはダメ、またヴィルトゥオーソ的(名人芸)なものは苦手だと言う。御主人のHy氏の方は膨大なレコード/テープ・コレクションを持つそうで、マリア・カラスの生舞台を見たことがあると言う。フラグスタート(S)は見ていないそうだ。「だって彼女は大昔の人だもの」と言っていたから、Hy氏は僕が失礼にも考えていたほど年寄りではなかったようだ。

日本からN先生が来て会った時、「日本の同業者は音楽好きが少なくて」とこぼしていたが、それは日本の音楽愛好家の多くは一人ひっそりとバロック音楽やモーツアルトを聴くのを最上と考え、あれが好き、これがたまらない、などと熱中して喋るのは品下る、という認識があるためだろう。しかしN先生も僕もその意味では品下る人種なので、互いに精神安定剤として利用している。Wl氏は楽曲をよく理解するためにピアノ・スコアを弾いてみると良い、特にブラームスが良いと言う。残念ながら現在の僕はC同様に、ブラームスは苦手だ。(注:今はブラームスは大好きです)

[ボックス席から"アイーダ"を観る]
1979.1.25(木)
夫婦でメットでヴェルディ「アイーダ」を見る(そして妻はこれがメット初見参)。その前の晩には、予め劇の粗筋と聴きどころを妻に解説しておいたが、これはずっと恒例になった。3階のボックス席で一人18ドル。カーテンをくぐり抜け、またボックス毎に付いているドアを開けて先着4人のメンバーと一緒になる。先客4人は老夫婦2組で常連らしい。自分達は何回も来ているのだから、と言って年輩の男性は自分の椅子をのけて妻のHaを見通しの良い前方に押しやる。彼等は25ドル払っているので手すり側の見やすい席、我々は18ドルだから後方の見にくい席だったからだ。

どうも先客の男性方2人は、それほどオペラに興味があるわけではなく、仕方なしに女房につき合って来ているという風情。2人ともタキシードを着ている。一人のほうは娘が日本に行っていると言って伊勢丹のネクタイなぞを見せてくれた。あちらは日本語を混ぜて喋るがかえって分からない。こちらは逆に英語で喋ろうとし、端目には滑稽な会話だっただろう。お前さんの職業は何だ、と言うから公用で来ていると答えると国連の職員かと言う。休憩時間には我々をロビーに連れて行き、あれこれ場所を教えて呉れた。面倒くさいから途中でまいてしまい、妻と2人で歩き回る。メトロポリタン・オペラ・ギルドがOpera News誌を売っているので、レジーヌ・クレスパン(S)の特集号を1部買う。ロビーをブラブラして、ベルの鳴る直前に平土間のトイレに飛び込み、席に戻ろうとしたら例の老紳士が心配そうな顔で待ちかまえていた。第2幕が始まると紳士は眠そうな顔をして、頬杖をついて眺めている。夫人達がオペラ・グラスを構え、身を乗り出して舞台を見ているのと対照的だ。

今夜のアイーダ役はジルダ・クルス・ローモというお初に聴くソプラノ。僕は彼女がスカラ座に登場して久しいとは知らなかった。メキシコ人で、ややヒリヒリする感じの声のリリック・ソプラノ。アムネリス役は御存知フィオレンツア・コソット(Ms)。クルス・ローモは情感を込めて歌ったが声の力が弱い。ただ、演技が大変うまく"悩むアイーダ"をよく表現していた。コソットは例の通り轟然たるアムネリス。ラダメス役はエルマンノ・マウロ(T)、指揮はレヴァイン。ボックス席は社交場としては有意義だが、音響的にはファミリー・サークル(天井桟敷)に劣るということが分かった。低音が壁にはね返ってくるため、音によってやって来る方向がまちまちなのである。
当時マンハッタンにあった玩具店シュワルツの売り場のウインドウ。上の娘が赤ずきん姿で映っている。
図:当時マンハッタンにあった玩具店シュワルツの売り場のウインドウ。上の娘が赤ずきん姿で映っている。

[ヴァレンシン演出の"コッペリア"を観る等]
1979.2.3(土)
カーネギー・ホールにクリストフ・エッシェンバッハのピアノを聴きに夫婦で出かける。演奏曲目はベートーベンの109番、110番、111番のソナタ。我々の席は一人5ドルのバルコニー。妻はこの日手に入れたばかりのミンクのハーフ・コートを着て行く。カーネギー・ホールの天井桟敷に登る階段は鉄骨そのものという感じで、1階や2階のボックスとはまるで違う雰囲気。その階段も別の専用階段なのだ。ロビーにトイレがあるものの、狭く、女性用は長蛇の列ができていた。

1979.2.9(金)
ステート・シアタに夫婦で行き、ニューヨーク・シティ・バレエでドリーブの「コッペリア」を観た。有名なバレエ団だし、一度観てみたいと思い、何かないかと捜し出したのが「コッペリア」。1978年末は「胡桃割人形」ばかりだったし、暇もないからあきらめていた。ステート・シアタの客はメットとは比較にならない程くだけて庶民的である。ホールの中にも最上段の両側に電話室とトイレがあったのだが、その電話機のおかげで上演中にもかかわらず、誰かが長話をしている声が響き渡り、舌打ちをしたものである。

4th Ringというのはメットのファミリー・サークルに当たり、普段着の庶民ばかり。この夜は特に子供が多くてうるさい。アメをしゃぶり、おしゃべりをしつつ、後部席の視界を塞ぐ座り方をしたりして、仕様のない悪ガキどもだ。オーケストラの音は粗い。バレンシンの演出。バレンシンはバレエ・リュッスの流れをくむ演出家だそうだが、実は初めてお目にかかる。スワニルダ役はステファニー・サランド。パステル・カラーの多い舞台で、全面に照明が当てられていて影がつかない。終幕で子供達のコールド・バレエがおまけに付く。なるほど、これを見るために仲間の子供達が大勢来たのだろう。


[2008年に記載]
数ヶ月後、ようやく落ち着いて、今度は音楽を楽しみたいな、と言う心境になりました。ナベ・釜が揃えば当然。ここに書いたことを読めばお分かりと思いますが、ニューヨークではロクな再生装置は持っていませんでした。いずれ帰国しなければなりませんし、荷物は極力減らさなければなりません。ステレオはFM受信機付きで100ドル以下の物しか持っていなかったのです。それで十分です!それよりも実物に接する大きな喜びがありました。カーネギー・ホールやエイブリー・フィッシャー・ホールでピアノ演奏会等の生演奏を聴き、またメトロポリタン歌劇場やシティ・オペラでは生の歌手達、それもキラキラと煌めくスターを沢山聴きました。バレエもアメリカン・バレエや、ニューヨーク・シティ・バレエの生の演技を観る事ができました。全体で何回観たのか不明ですが、ベビー・シッターを依頼したのが約30回です。私一人でもよく出掛けましたから、それを含めるとかなり観たり聴いたりしたはず。生演奏を頻繁に聴ける環境だと、再生機器はそれほど気にならなくなる!次々と出てくる生放送、現れるスターの洪水に目を見張っていると、まるで水道水を流れるままにして眺めているような気分になります。しかも素晴らしい質のミネラル・ウオーターです。ああいう雰囲気だと、再生機器を買うお金があれば、むしろ生舞台や生コンサートの切符を買おうか、ということになるのではないでしょうか。

ビラや広告を見れば、何処で何をやるか分りますから、思い立ったら直ぐに出掛けられます。そういう贅沢な環境がニューヨークです。欧州でも音楽会は良く開かれていますが、そこに出演するのは、必ずしも技量が特に優れていない人々も含みます。しかしニューヨークでは、功なり名を遂げた名手達ばかり。黄昏時になったらニューヨークではやって行けない。ただ厳密に言うと、ニューヨークに出るようになる時は、既に真のピークの時期を過ぎかけた時かも知れません。

功罪ある所ですが、私はニューヨークを選んで良かったと思います。始めからそういう環境だと意識したのではありません。あくまで仕事に相応しい所を選んだのですが、フリンジ・ベネフィット(本来の仕事の周辺で得られる便益)がこんなに大きいとは!おまけに日本も米国も斜陽期に入る前の時期に私がそこを選べたこと、これが何とも言えず素晴らしかったと思います。今私の楽しんだ環境に行こうとしても、仕事場そのもののアクティヴィティ、昔日の面影は薄らいでいます。運が良かったとしか言いようがありません。

そして繰り返しますが、それらをエンジョイできたのは、ひとえに私自身がまだ若かったからだろうと思います。歳をとった今はくたびれ易く、従ってもっとペースダウンしたく、すると楽しむ機会も減るだろうな、と思います。ニューヨークでなく欧州の方が落ち着きますね。

一生は一回しかありません。それを目一杯楽しませて頂いたので、私のニューヨーク行きを許して呉れたシステムに感謝しなくてはなりません。これなら楽しく毎日過ごせる、ここなら快適に過ごせる、という環境。帰国の3ヶ月前頃、永住したい、と本気で考えました。でも私の持っていたビザには、それは不可能なことが明記してありました。私がニューヨークで味わった仕事も音楽も、また交遊も、あらゆるもの全てが真の財産になったと、思います。

(主に1979年の日記より収録。次回へ続く)



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