第4-3話:NY-見聴きした音楽情報-1


以下はニューヨーク滞在中から作っておいたメモを基に、1980年に原稿化して、ほとんど原文のまま清書(1993年12月31日に完成)し、さらに短く2/3程度に縮めた。青字は2008年に追記したもの。


[レナータ・スコット初見参等]
1979.2.7(水)
メトロポリタン歌劇場(メット)にプッチーニの「トスカ」を観に行く。主演のレオニー・リザネックがお目当てだったが、プログラムにはリザネック嬢にかわってテレサ・ツィリス=ガラ(ポーランド、S)と印刷してあったので心底がっかりした。リザネックを逃したことに加え、ツィリス=ガラの、客に媚びを売るような写真にウンザリしたからだ。ニューヨークに来て何か変化があったとすれば、オペラの場合は視覚的要素に関心を払うようになったことだろうか。1978年12月にメットで観たRシュトラウス「エレクトラ」では舞台装置がかえって邪魔になったが、逆に1979年3月にここで観たグノー「ファウスト」や1979年3月に観たボーイト「メフィストーフェレ」が演奏会形式だったら大した印象は残らなかっただろう、と思う。

1979.2.12(月)
メットへヴェルディの「ドン・カルロ」を観に行く。メットの上演は通常夜8時開始だが「ドン・カルロ」は大曲なので7時15分始まり。それでも終った時は11時55分だった。5幕仕立てだからである(「ドン・カルロ」には4幕のオリジナル版と5幕のパリ版がある)。ジェームス・レヴァインの指揮。7ドルの4階のボックス席。オールスター・キャストで、現在のメットのベスト・メンバー。ニコライ・ギャウロフ(Bs)のフィリポ2世役、シェリル・ミルンズ(Br)のロデリーゴ役は立派だった。ジュゼッペ・ジャコミーニ(T)のドン・カルロ役も朗々として見事なもの。ただレナータ・スコット(S)のエリザベッタ役はレコードほど美声でも精緻でもないのに失望した。日本にいる時、今メットの女王はサザーランド(S)でもシルズ(S)でもなく、実は正統派ベルカント最後のディーヴァであるスコットだ、という朝日新聞の記事を読んでいただけに、スコットに期待していた。録音されているスコットの歌には官能的な響きがあるが、生の舞台では叫び声に近い。

大体メットは3,800人も入る大劇場だから声の演技をするには大き過ぎて気の毒ではある。昔、オペラ・ハウスは大きいほど豪華で良い、と浅はかにも考えていたが今は違う。2,000人でいい。欲を言えば1,200人〜1,500人でゆったりしたスペースがある方が望ましいと思う。そういうスペースがあれば、人の足を踏んだり、鼻先をこすったりせずに通る余裕もできるしなあ、と思う。

マリリン・ホーン(Ms)のエボリ姫役はテクニックは冴えていたが、ベターっとした締りのないフレージングは品が無い。声も乾いているし。それにしても4時間半は長過ぎると思うよ。フォンティンブローの森におけるエリザベッタの場面などまるでメロドラマ。どの幕間でもスコットはカーテン・コールに出ず。聴衆席の仲間達もいぶかし気にざわめく。僕も隣客に、どうしてスコットは出ようとしないんだ?と尋ねてみた。少し前のニューヨーク・タイムズか雑誌で「私は13年間もメットに出演してきました。それなのにまだ一度もシーズン開幕に出して貰えません。初日を与えられるか、私のために新演出を制作してくれるかしないのなら、もうメットに出るのを止めようかとも思います」というスコットの言葉を読んだ。1979〜1980年のシーズンにはスコットはポンキエルリ「ラ・ジョコンダ」のタイトル・ロールを歌うという。

[アシュケナージを聴く等]
1979.2.21(水)
カーネギー・ホールにウラディミール・アシュケナージ(P)のピアノ演奏会を聴きに行く。シューマン「ダヴィッド同盟組曲」、ショパン「バラード3番」、ベートーベン「ソナタ作品131」等で、文字通り「絹をつむぐような」美音だった
(当コラム「音楽のすすめ」第1章第11話参照)。進行性筋萎縮症になったチェリストのジャクリーヌ・デュプレの基金のための慈善演奏会だったから、10ドル払っても天井のバルコニー席だった。舞台袖にはジャクリーヌの銅像が置かれ、開始前にマネジャーが出てきて15万ドルの収益があったと報告し、ジャクリーヌは出席できないが感謝している、という彼女のメッセージが伝えられ、聴衆は喝采した。しかし、チャリティーの為かアンコールはなかった。

その晩テレビではウィーンのシュターツ・オーパー(国立歌劇場)からの生中継で、バーンスタイン指揮のベートーベン「フィデリオ」をやっていたが、時間がかち合っていたので見れず。ウィーンと言えば年末にもJ.シュトラウス「こうもり」をやっていた。FMではここ4週間ほど、イギリスのナショナル・オペラからの中継で、英語版のワーグナー「ニーベルンクの指輪」をやっていた。1978年には1957年バイロイト音楽祭の実況テープで「ニーベルンクの指輪」(クナッパーツブッシュ指揮)を全部放送した。用事があったので第一部の「ワルキューレ」第2・3幕と第2部「ジークフリート」の第3幕しか聴けなかったが、アストリード・ヴァルナイの声はすぐに分かる。1957年度のバイロイトものを聴くのは初めて。ビルギット・ニルソンがジークリンデ役として唯一度出演した年だから興味はあったが、海賊テープで世話になっている舞鶴の某氏のメモに「録音不良」とあるので迷っていたもの。この1957年のジークリンデは驚くほど生き生きして鋭い反応があり、全身で表現しているのが聴きとれた。深夜、再びFM放送のスイッチを入れたら、第3部「神々のたそがれ」の途中で、まだジークフリートは生きていた。

YYY機構に到着してしばらくした時、XXX機構のO氏より手紙を貰う。ウィーンで2年間過ごしたO氏によれば、ウィーンの自分のまわりにも音楽家が色々いて、プロでない素人でもかなりのウデだったという。O氏はウィーンのシュターツ・オーパーでワーグナー「トリスタンとイゾルデ」とプッチーニ「トスカ」を聴いたと言う。「僕はトスカが良いと思う。日本人には決してオペラはできない」と書いてあった。O氏の文章は時として翻訳を要する。残念ながら僕自身は「トスカ」はそれほど高くは評価しかねるんだけど。ただ「トリスタン」を、それもウィーンで生舞台を観たというのは何ともうらやましい。O氏がウィーンにいた1975−77年ごろ、と言うと誰がイゾルデを歌ったのだろう。ギネス・ジョーンズ(S)かベリット・リントホルム(S)か、それともカテリーナ・リゲンツァ(S)か。ひょっとするとビルギット・ニルソン(S)かも知れぬ。

新人がよく登場するもう一つの会場であるカーネギー・リサイタル・ホールについては、日本で誤解が無きにしもあらず。あの有名なカーネギー・ホールはあくまでカーネギー大ホールのことであって、その建物の端に付属しているリサイタル・ホールは別の物である。ニューヨークに住んでいる者にとっては両者の違いは明らかだが、「1万kmも離れた日本まで来ると区別がつかなくなってしまう」とは誰の言だっただろう。カーネギー大ホールに進出するのは生易しいことでは無い。後年YYY機構所長のHy氏が来日した際、表参道の「スエヒロ」で一緒に昼食を取りながら「アリス・タリー・ホールはニューヨークで最も良いホールだと思う。あなたがあそこへ行ったことがないのは残念だ。この次には是非行ってご覧なさい。」と言っていた。

逃がした音楽会は、モンセラ・カバリエ(S)独唱会、クリスタ・ルートヴィッヒ(Ms)のドイツ・リードの夕べ、アバド=ポリーニ(P)のベートーベン・ピアノ協奏曲4番、マゼール=コーガン(Vn)のベートーベン・ヴァイオリン協奏曲、ブレンデル(P)のシューベルト、etc。またカーネギー・ホールでリサイタル形式でやったシュトラウス「エジプトのヘレン」(ジョーンズ(S)、ポップ(S))とか、マイヤベーアのローマ物、コトルバス(S)のリサイタル、さらに大晦日にあったワーグナー「トリスタンとイゾルデ」(ジェス・トーマスだけがプロのソリストとして出る予定で、他は学生のはずだったが、実際は逆にトリスタンが学生でイゾルデとしてベリット・リントホルムが出たらしい)。女性の指揮者(サラ・コードウェル)だったが、とどのつまりはトレーナー風の音楽の作りだったとニューヨーク・タイムズは評した。

1979.3.1(木)
メットにモーツァルト「魔笛」を夫婦で観に行った。指揮はプリッチャード、舞台装置はシャガールが制作したもの。メットのホールにも大きなシャガールの絵がかけてあるし、リンカーン・センターに近い土産店ではシャガールのサインの入った複製画を150ドルで売っている
(「魔笛」の詳細は当コラム「音楽のすすめ」第1章の第13話「魔笛」を参照)
1978/9年のマンハッタン名物の季節限定アイス・スケート・リング。
図:1978/9年のマンハッタン名物の季節限定アイス・スケート・リング。
春になるとこの氷の上にオープン・カフェが開かれるが、1978/79年当時は定常的にフトコロが寂しく、ここで飲み食いしたことはありません。実際に食べたのは更に8年後でした。

[グルベローヴァ発見等]
1979.3.6(火)
メットへ一人で行き、R.シュトラウスの「ナクソス島のアリアードネ」を観た。最近、英国・デッカが録音したのと全く同じキャストというので割と期待していたが、主役にマユツバを感じていたら、案の定プログラムにしおりが挟んであって、レオンタイン・プライス(S)が病気のため、ヨハンナ・マイヤー(S)がアリアードネ/プリマドンナの2役をするという。赤いカーペットを敷き詰めた階段をぐるぐる駆け登って、ファミリー・サークル(天井桟敷席)へ飛び込む。開演ぎりぎり。ところが、ふと気がついてみるとまだ開演前なのに幕が上がっている。しかも舞台では色々な人物が仕事を始めている。これは「アリアードネ」という、劇中劇ドラマに合わせた演出の一つなのだと悟った。タチアナ・トロヤノス(Ms)が作曲家の役を勤めたが、なかなか上手い。自分の作品を台無しにされた悲しみのようなものが良く伝わる。トロヤノスは生はおろかレコードでも、放送でも、殆ど聴いていなかったが、いい歌手だと思う。ショルティ盤のビゼー「カルメン」に当初ベルガンサが予定していたが、急にトロヤノスに変更されたのだが、これならトロヤノスのカルメンも悪くあるまい。
(注:トロヤノスにはギリシャの血が混じっており、後に買ったベルリオーズ「トロイの人々」のLDではカルタゴの女王ディドを堂々と演じています。1993年8月21日に死去)

何よりも聴き物だったのは、ツェルビネッタ役を歌ったエディタ・グルベローヴァ(S)だった。あの難しい高音の続くアリアを色気を漂わせて楽々と歌い、余裕たっぷりだった。肉付きの良い練れた声質で、コケティッシュな味も十分あり、ツェルビネッタとして適わしい。今迄に生で聴いた声楽家の中で、最も印象が残った。観客は熱狂した。バッカス役のルネ・コロは1カ所声が裏返ってトチッた。ヨハンナ・マイヤーは丁寧に立派に歌ってのけたが、グルベローヴァの超人的な歌唱の前に影が薄くなったのは否めない。序曲の室内楽風の出だしなどゾクゾクするような魅力がある。いつもだと、帰りの地下鉄の時刻が気になって、幕が降りると同時に飛び出すのだが、この日ばかりはグルベローヴァのために立ち去り難い気がして、しばしボーッとして舞台前を見つめていた。こんな名歌手がどうして日本で知られていなかったのだろう?

1979.3.11(日)
カーネギー・ホールにラザール・ベルマン(P)のピアノ独奏会を聴きに夫婦で行く。ベートーベン「悲愴ソナタ」、ショパン「ソナタ2番」等。ベルマンの人気はとりわけアメリカで高いと聞いていたが、それほど客が入っていない。8割の入り。ベルマンはまるで熊みたいな風采で、のそのそしており、世間にうといロシア流の化学者という感じか。率直に言って、なぜベルマンの世評が高いのか理解に苦しむ。音離れが悪く、全ての音が繋がって聴こえるのだ。おまけにペタルが常にかかっているようにも聴こえる。
(ベルマンのこの実況レコードを、帰国後に買って聴いてみたが、尤もらしく響いた。このレコードは、高城氏の評が残っているが、それは当コラム「音学のすすめ」第1章第11話を御覧下さい。ベルマンは2005年2月6日に死去)。


[2008年に記載]
ピアノやヴァイオリンでこれは目覚ましい演奏だ、とすぐ分る為には、よほど機会に恵まれないと難しいでしょう。目覚ましい奏法や、目覚ましい技巧は耳だけで分り難く、じっくり聴き込んでようやく分ることが多々あるような気がします。但しそういう判断も、私が声楽に比べ、器楽を熱心に聴いていないからかも知れません。実際、声楽ならチョッと一曲、相応しい曲を歌って呉れれば、それからある程度は分るのでは、と思います。先日TVのある番組で、目覚ましい新人ソプラノという人の歌を聴きましたが、TV程度の機器でも、それほど優れたものとは思えませんでした。音が膨らんでいて、焦点が甘く、音色もありふれたリリコでした。リリコのソプラノは、掃いて捨てるほど多い(失礼!)ので、その競争も勢い熾烈になります。

よほど何か優れた資質がないと認めてもらえません。その時、その人は何歳か、声はこれから大きくなり得るか、等が計られるのですが、日本では新人歌手と言っても既にトウのたった人も居るので、あと何年持つかな、という心配が付いて回ります。声楽の先生のお許しを得たから舞台に出てみようか、と決心するのに時間が掛かり過ぎるかも知れません.何よりもコンクール等の数が少なく、いわんやオペラ上演の機会は限られるから、安全第一で行こうとしても自然。中には、実際千葉の海岸の筆者の住むところのホールで経験した話ですが、自分の赤ん坊を抱えて舞台に登場するという、前代未聞のソプラノもいました。

私はニューヨークを満喫しましたが、この環境は特殊かも知れません。職場の真下に地下鉄駅があり、それに乗ったまま25分でリンカーン・センターに着きますし。それにYYY機構では17時を過ぎると、ピストルを持ったガードマンがやって来て、早く帰れと促しますし、音楽会開始が夜8時始まりですから、夕食の時間も気にしないで済む。おまけに地下鉄は終夜運転、となれば、楽しめて当然かも知れませんね。ただ音楽を聴こう、というモチベーションが無ければ話は別です。そのような恵まれた環境も、生かしてこそ。

(主に1979年の日記より収録。次回へ続く)



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