第4-5話:NY-バレエのこと


以下はニューヨーク滞在中から作っておいたメモを基に、1980年に原稿化、ほとんど原文のまま清書(1993年12月31日に完成)し、さらに短く2/3程度に縮めたものです。青字は2008年に追記したもの。


[ソ連生まれのバレリーナたち]
1979.4.23
オペラ・シーズンの終ったメットではアメリカン・バレエ・シアタによるバレエの春季シーズンが始まった。もともと資金難に悩むメットのギルドが、暖かい季節にも公演収入を、と考え出したのがバレエのシーズン制だったらしい。このアイデアは大当り、1年のトータルの収支は黒字になったという。もっとも3,000万円の黒字といっても、メットの年間予算100億円と比べればわずかに0.3%の利益に過ぎない。そういえばウィーン国立オペラには一晩あたり2,560万円の国庫補助が出ているそうだ。日本では一晩どころか一年間にだってこれだけ出せるだろうか。オペラとは贅沢な文化である。

アメリカン・バレエ・シアタには初め大した興味を持っていなかった。むしろ、関心があったとすればニューヨーク・シティ・バレエの方である。ただ、夏にキューバ国立バレエの公演がメットであってアリシア・アロンゾが「ジゼル」とか"Guitar of Night"に出演するし、定期会員になっておけば切符情報をいち早く入手できる、という宣伝もあり、よくよく考えた末、アメリカン・バレエの定期会員になった。アロンゾの名は僕が18才の時、M女史のバレエ解説本を読んで知っていた。しかし、M女史は周知のごとく大の中国びいきソ連びいきだから、ことさらキューバのバレリーナを『ウラーノワやフォンティーンと並ぶ』と表現したのだろうとひねくれて考えていた。数年前に東京で世界バレエ・コンクールがあり、ゲストによる公演の中にマヤ・プリセツカヤ、マーゴ・フォンティーン、アリシア・アロンゾの3人が並んだ舞台があった。プリセツカヤが中央にたち、左にフォンティーン、右にアロンゾが揃った写真を見て、ある解説者が、これは現在のバレエ界の状態を表したものでしょうと言っていたのが記憶に残った。ある外国の男性舞踏手がこのコンクールに招かれて、「実は到着するまで、誰が相手役なのか知らなかった。こんなに凄いメンバーとは」と言った記事を読み、それでアロンゾが大変高名なバレリーナと知ったわけである。

アメリカン・バレエで最初に観たのは「ジゼル」。同バレエ団の花形ナターリヤ・マカロワが主役。マカロワはレニングラード・バレエからアメリカに亡命した経歴を持つ。ニューヨーク・タイムズの特集で、『今でもレニングラード・バレエこそ世界一と信ずる人がいるだろうが、実は政策的に優秀なバレリーナや演出家はモスクワのボリショイ劇場に移されてしまい、いまやレニングラードは骨抜きにされ、明らかに陥没した。演出家は頻繁に交代しており、昔日のおもかげなし』と言う記事を読んだことがある。20年前ナターリヤ・ドディンスカヤとセルゲイエフの華やかなりし時代、ドディンスカヤとセルゲイエフばかりが主役を独り占めしている等、とレニングラードの若手が告発し、ボリショイのガリーナ・ウラーノワがそのグループを後押ししているという記事も読んだことがあった。ウラーノワも元々レニングラードの出身だが、色々と面倒な話があるようだ。ニューヨーク・タイムズによると、プリセツカヤは現在ボリショイでは大御所のウラーノワと意見が合わず、いわば「干されて」いて、海外公演でもメイン・グループとは別の小グループを作ってしか出して貰えないという。ここのマカロワのジゼル役はなかなか感動的だった。第2幕のコール・ド・バレエはまるで東郷青児の画みたいな色調で、素晴らしいもの。

[キャスリン・マルフィターノとの遭遇など]
1979.4.27(金)
ニューヨーク・シティ・オペラの1978〜79年シーズン最後を飾って、マスネーの「マノン」を観たが、僕には退屈なところがあった。ただマノンを歌ったキャスリン・マルフィターノが見事なソプラノだったのでその点は掘出し物だった。ピアニッシモのコントロールが実に良く出来ていて、しかも声を張った時は十分な声量があり、5線を越えた高音も不安気なく出る。意外にもマスネーの管弦楽部分には分厚い響きがあったのも「発見」だった。マルフィターノはややグラマラスな体躯の持ち主で、髪はブルネット。スペイン語を喋りそうな顔立ちをしている。ともかく安心して聴いていられる歌手。1979〜80年のシーズンにはフンパーディンクの「ヘンゼルとグレーテル」でメットにデビューする予定だそうだ。オペラ・ニュース誌によるとマルフィターノもその母親もメットに出演する日を指折り待ち、その日のためにずっと準備してきたという。確かに良い歌手だし、いずれ大成するだろう。

ある日、日本から小包が届いた。N教授からのプレゼントで、Y田全集の「私の好きな曲」だった。手紙には『シューベルトの第9とブルックナーの第5のところを注意して読んで下さい。僕はそれが大好きなのです』と書いてあった。Y田氏の名を知ったのは僕が23才の時である。またあるFM放送番組で何人かの音楽評論家による座談会で、年輩の評論家(N村氏?)が『Y田さんのお好きな現代音楽が』とやや皮肉っぽく発言していたのが耳に留まったのである。Y田氏はこの発言を無視するように、自分の話を続けた。やがて朝日新聞だかで批評家の文章スタイルが取り上げられた時、自分のスタイルを持っているのはY田氏ぐらいだろう、と書かれた記事を読む。

いつぞや二期会がヴェルディの「マクベス」をやった時、僕も聴きに行ったのだが、しばらくして朝日新聞にY田氏による批評が載っていて、それによると氏は途中で退席したそうだ(氏はつまらないと思うとさっさと退場するので有名である)。確かに「マクベス」の音楽は全部が魅力的とは言えぬ。恐らくY田氏はこの種のオペラに馴染んでいないのだろうと思う。もし僕が劇場の支配人だったら、暗い声色のソプラノのオーディションにはマクベス夫人の"夢遊の場"を歌わせるだろう。表現力の最上のテストになる。そう言えば、昔招かれた先輩のF西家のクリスマス・パーティで会った、F西氏の友人だという女性が『レディ・マクベスはチャーミングだと思いますわ』と言っていた。少なくとも人間の声ほど表現力の豊かな楽器は無いはずだ。たった一人の歌が、100人のオーケストラの、最善の演奏を圧倒することもあるのだよ。

[アメリカン・バレエの鑑賞等]
1979.5.7(月)
アメリカン・バレエ・シアタで観た2回目は「レ・シルフィード」、ハチャトリアンの「スパルタカス」第2幕より、ドボルザークの曲による"The Tiller in the Fields"、プーランクのオルガン協奏曲による"Voluntary"。「レ・シルフィールド」はマルティーネ・ヴァン・ハミルが主要な役を受け持つ。ヴァン・ハミルは昨年「ドン・キホーテ」の途中に足を痛めて休場したそうだ。それで、このシーズンには彼女のための新演出はない。ロマンチック・チュチュに包まれた女性舞踏手たちは幻想的な美しさを持っていたが、オーケストラ版のショパンの音楽は余り魅力的とは言い難い。腰がなくてフワフワしている。「スパルタカス」は男性舞踏手のためのものであるが、なかなかダイナミックで見応えがあった。"The Tiller in the Fields"では随分背の高い(と言うより胴の長い)男がやや不器用に踊っていた。音楽も大した印象は残っていない。"Voluntary"は現代舞踊風の振付けであるが、何せ音楽がつまらない。

セントラル・パークのローラー・スケート
図:セントラル・パークのローラー・スケート

初夏になって、日本のTOK大学のM井夫妻が我が家を訪れたことがある。ヒューストンのシンポジムに出席したあと、アメリカ、カナダを旅行中だったが、コロンビア大学のラモント研究所に用があってニューヨークに来たという。その際、ラモントにいるH来という人を連れて来て紹介された。H来氏はポチャポチャとした雰囲気を持った人だったが、まだ独身で膨大なレコード・コレクションを持っていると言う。ヘンデルが好きだそうだが、「僕はどうしてもロマン派の音楽というのは好きになれないんですよ」と言う。その後しばらくして、ラモント近くのアパートに御招待の電話を受けたが、あいにくその時期はこちらの予定で塞がっていたため、またそのうちにということになり、そのまま会う機会は無かった。帰国後に久しぶりで読んだU田氏との連名論文に「H来」という名前を見つけて懐かしく思い出した。


[2008年に記載]
この最後に登場するH来氏は極めて善人だと思いました。彼の言うようにロマン派の音楽がどうしても合わない、という立場があることは承知しています。反ロマン派に属するピアニストの中に、ギーゼキングもいますし、バックハウスでさえここに数えられるかも知れません。彼等の美学からするとショパンはムード音楽だし、ラフマニノフなんで「おぞましい音楽」かも知れません。現在「ピアノを弾きます」と言う人びとの中にショパンを弾かない人は居ないのでは、と思うのですが、聴き手はCDでもLPでも選ぶことができますから、その選択の際にロマン派のものを除く人もいるのでしょう。彼等はベートーベンやバッハを中心に聴くし、できればベートーベンも除きたいと考えているかも知れません。私は自分の好きな音楽がロマン派丸出しのワーグナーやベルリーニだということは、この席では出さずに済ませました。其の方が良いでしょ?

レコード・コンサートをするけど来ない?と招かれた時、何を中心に聴くのか注意します。リュリとかラモーだったら、もしヒマがあればね、と答えます。バッハばかりだよ、と言われた時は時間と曲を限定して行くでしょう。昔N教授の家に行った時一緒だったM沢氏はバッハ専門でした。それを承知した上で私とレコードの相互貸し借りをしました。オーディオ的な「音」としてはバッハ以前の音楽も魅力的ですが、音楽の味わいを考えると、今の私にはロマン派の方が合っていると思います。でも、これも好き嫌いの問題です。

(ここまで主に1979年の日記より収録。次回へ続く)



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