第4-7話:NY-ローザ・ポンセルの解説


以下はニューヨーク滞在中から作っておいたメモを基に、1980年に原稿化、ほとんど原文のまま清書(1993年12月31日に完成)し、さらに短く2/3程度に縮めたものです。青字は2008年に追記したもの。


[バレエ百花撩乱]
我々が逃したのはピアノではギレリス、ラ・ローチャ、アルゲリッチ、クラウス、シフ、バレンボイム。ヴァイオリンではメニューヒン、スターン、ミルステイン、クレーメル。フルートのランパル、ニコレ。ギターのセゴビア、ウィーン少年合唱団。オーケストラは小沢=ボストン響、オーマンディ=フィラデルフィア響、ジュリーニ=ロスアンゼルス響、マゼール=クリーブランド響、アバド=NYフィル、ドラティ=デトロイト響、トーマス=バッファロー響、マズア=ゲバントハウス響など。声楽コンサートではカバリエ(S)、コトルバス(S)、ルートヴィヒ(Ms,S)、ゲッダ(T)、ジョーンズ(S)、サザーランド(S)、パヴァロッティ(T)、フォン・シュターデ(Ms)、ロス・アンヘレス(S)、タルヴェラ(B)、ベイカー(Ms)、プライス(S)そしてバンブリー(Ms,S)。オペラではメットのマスネーの「ウェルテル(クレスパン主演)」、ヴェルディ「ルイザ・ミラー(リッチャレルリ主演)」、フンパーティンク「ヘンゼルとグレーテル」、ヴェルディ「リゴレット」、チャイコフスキー「エフゲニ・オネーギン」、ブリテン「ビリー・バッド」、ビゼー「カルメン(クレスパン主演)」。シティ・オペラではジョルダーノ「アンドレア・シェニエ」、モーツアルト「フィガロの結婚」、プッチーニ「ラ・ボエーム」、ロッシーニ「セビリアの理髪師」、ドニゼッティ「連隊の娘」、パーセル「ディドとエネアス」、リムスキー=コルサコフ「金鷄」etc。つまり我々が聴いたのはほんの氷山の一角に過ぎない。シーズンの終わった初夏には放送が主たるソースになる。

ある週のTVでは、日曜ウィーンからバーンスタイン指揮のベートーベン「フィデリオ」、火曜パリからルービンシュタイン(p)、水曜サンフランシスコ・バレエで「ロミオとジュリエット」、木曜ロンドンからズッカーマン(Vn)とパールマン(Vn)、またハイフェッツ(Vn)の古いフィルム、金曜ロンドンからショルティ=シカゴの演奏を聴いた。この時期はどこもバレエだらけで、シュツットガルト・バレエ、キューバ国立バレエ(アリシア・アロンゾ参加)、カナダ国立バレエ(ヌレーエフ参加)、デンマーク王立バレエ、ボリショイ・バレエと目白おし。13チャンネルの劇場中継もバレエに集中していた。サンフランシスコ・バレエやニューヨーク・シティ・バレエ、アメリカン・バレエその他を毎週放送していた。プロコフィエフ「ロミオとジュリエット」とかチャイコフスキー「胡桃割人形」とか。メットでやったアメリカン・バレエはチャイコフスキー「眠れる森の美女」であった。悪い魔女の役が男性だとは初め気がつかなかった。幕間の楽屋インタビューでやっと気がついたのである。

このバレエ中継の中で最も印象的だったのは有名なマーサ・グラハム舞踏団の「クリテムネストラ」という現代舞踊。例のエレクトラの話を思いきり拡大したもので、その中にはエレクトラ、クリテムネストラ、クリソテミスだけでなく、タウリスに住むイフィゲニアとか、トロイのヘレンとか、カッサンドラ等のキャラクタが登場する。大変ダイナミックな踊りで、手も足も頭も思いきり大きな振りで表現する。しかも長いソロが続く。こういうのはなまじ「型」がないだけに覚えるのが大変だろうし、また随分疲れるだろうなと思った。しかしダンサーに同情をしなければ、大変楽しく、見ごたえがある舞台だったと言える。

バレエとオペラ。両者は実は深い関係がある。パリなどでは歴史的にバレエの方にウエイトがあり、バレエ鑑賞の途中の息抜きにオペラをやったと聞く。それに、そうすればオーケストラは夏シーズンにも失業しない。今日オペラは贅沢な出し物として扱われ、時としてウンザリするようなものとして考えられており、バレエはなおさらその類いに思われているが、歴史的にはバレエ優位で、しかも娯楽だったのである。両者の関係が逆転した現在は、バレエの方が切符代も安く抑えられているし、オーケストラもバレエ専門というと低く見られる。バレエ指揮者も、他の指揮者と比べて低く扱われかねない。しかし英国のコヴェント・ガーデン王立劇場でやったガラ・コンサートの際は、オペラ歌手の誰を第一楽屋とするか、が問題になった時、バレエ・ダンサーのマーゴ・フォンティーンにその部屋を提供して事なきを得たと聞く。

僕自身はバレエは好きなジャンルである。舞台ではダンサーの技量がすぐ分る。誰の目にも上手いか下手かの区別がつく。おそらくそれを支えるのは指揮者であり、指揮者はダンサーの年齢や技量に注意をはらいつつ、微妙なテンポの設定をしているに違いない。となれば、これはオペラに於いてプリマドンナの喉の状態に気を使う指揮者と同じだ。その指揮者を軽んじる事ができるだろうか?オペラ指揮者なんて、とかバレエ指揮者なんて、と考えるのはどうも。オーケストラだって色々な人が居る訳だし、指揮者に至っては様々なはず。

[野外音楽会等]
エイブリー・フィッシャー・ホールでは6週間ほど"Mostly Mozart"というモーツァルト専門のプログラムが続く。入場料も大変安くせいぜい5ドル。以前は夏の間のエイブリー・フィッシャー・ホールでは座席を取り払い、絨毯の上にクッションを置いて皆で寝ころんで聴いたという。バスケット・ランチが出る。バスケット・ランチはさすがに上演前に食べるものらしい。野外オペラの場合はワイン持参で聴きに行くのだそうだ。セントラル・パークのシープ・メドウで毛布にくるまって星空の下で聴くのも悪くあるまい。また5月には軽いプログラムばかりの時期があり、アンドレ・コステラネッツ指揮のポップスで ヴォルフ=フェラーリ「マドンナの宝石」とかマスネー「タイスの瞑想曲」といった軽いものをやる。妻に勧めたが止めておくと言う。しかしコステラネッツは1980年に亡くなってしまった。最後のチャンスを逃した。

エイブリー・フィッシャー・ホールの内装は全く頂けないと思う。何か体育館か演説会場、下手をすれば格納庫みたいな造作だし、空間は大きいがガランとしていて照明もTVスタジオみたいだ。アパート事情の悪いニューヨークでも、リンカーン・センター界隈は特に値の張るところだが、リンカーン・センターのメンバーは練習に近くて便利というので高い家賃を払ってこの近くに住みたがる。でも2ベッドルームで月2,400ドルもするというので、複数人でシェアしたり、サブ・リースするケースが増えているそうだ。

実際、リンカーン・センターに通うのは意外に時間を喰うから。フラッシングからの場合、余裕があればMain Street駅から終点のTimes Square駅まで出てしまう。ここで1番線の"up town"に乗り、50th St.、59th St(コロンバス・サークル)と過ぎて、3つ目の66th St.で下車。ここから地下道を通って直接リンカーン・センターの3つの劇場のいずれかに行ける。経験的にTimes Squareで"up town"の電車が7:45までに来ないと間に合わない。(不思議なことにニューヨークでは地下鉄やバスの時刻表というものを見たことが無いのである)。不幸にして1番線のlocal(各駅停車)は余り数が多くない。そこでたまにExpressに乗って66th St.のもう一つ先の駅まで行ってしまい、そこからブロードウエイを走ってリンカーン・センターまで戻ることもあった。

フラッシングの日常的な風景。左下の腕は妻。
図:フラッシングの日常的な風景。左下の腕は妻。

そのうち新しいルートを開発した。複雑だがうまく行くと15分早くなる。まずフラッシングのMain Street駅から乗った電車は74th Street(Roosevelt Avenue)で降りてしまう。ここでE Trainに乗り換えて一旦ロックフェラー・センターまで行ってしまい、そこでD Trainに乗り換えてコロンバス・サークルに出る。そこから余裕があれば1番線に乗って66th Streetまで行って下車。あるいはコロンバス・サークルで地上に出てしまい、そこからブロードウエイを走るようにしてリンカーン・センターへ急ぐのである。コロンバス・サークルを出るとニューヨーク・コロシアムがある。ここは自動車ショウとかエレクトロニクス・ショウが開かれる会場だが、これを左に見つつ3ブロック程度を駆けぬけてエンパイア・ホテルの横を通ってコロンバス・アベニューを横断すればリンカーン・センターである。

帰る時、急ぐ時は大概コロンバス・サークルまで歩くコースをとった。ただ接続が悪いので運が悪いと74th St.駅のホームで15分以上待たなければならない。冬の寒さはひとしお身にしみる。まるで裸足で氷の上に立っているような、しんしんとした冷たさが体に伝わる。あの寒さは並の寒さではなかった。楽しみの代償は楽でない。

[ある週末の日記]
ニューヨークがいかに音楽的環境に恵まれているか、を示すために、具体的な日記を下に示す。ある週末の金曜日の夜、FM放送でルービンシュタインの彈くショパンの小品集を聴く。翌朝の土曜日、地下のランドリー場と近所のスーパーマーケット"Dan's Supreme"で用事を済ます。妻はその間に掃除と台所のかたづけ。2人の親は2人の子供を分担し、相手するわけである。その後、4人で近所のデパートKorvettesへ行って僕の靴を買い(税別で29ドル)、ついでにカセット・テープ(メキシコ製)を買う。帰って昼食後FM放送でメトロポリタン・オペラの中継でベルリーニ「ノルマ」があるのを録音。

我家のステレオはFMのアンテナをちゃんと張っていないので入力にムラがある。そこであれこれ位置を変えて最も安定のいい位置にセット、ついでにスピーカーも思いきり離して置き、万全の構え。我々がメットで実演を観た時と違って、代役でなくシャーリー・ヴァーレット(S)が予定どおりノルマを歌っている。指揮はペーター・マーク。ヴァーレットは実に良く歌っていた。良くコントロールされている。その代わりスタミナ不足か、所々セーブしているのが聴き取れる。それにしても実に鋭く、激しい表現だ。この素晴らしいノルマを聴くと、彼女、かなりいい歌手じゃないか、という気がしてきた。もし適当なレコードが出たら買ってもいい(当時の印象。これが今、落ち着いた状態で聴き直すと、ヴァーレットの「ノルマ」にはまだ問題点が散見していると思う)

幕間のインタビューで出てきたのは何とローザ・ポンセルだった。ポンセルはイタリア系米国人で背が高く、若い時には姉と一緒にヴォードビルで歌を歌って生計を立てていたが、21才の時ヴェルディ「運命の力」でカルーソとの共演でメットにデビューして以来、オペラ界に入り成功する。その音色が武器である。聴いてみるとまるでビロードの様な肌触り。彼女だったら何でも歌えそうだと思うが、実際にはビゼー「カルメン」だけは上手く行かないという。またプッチーニを全くレパートリーにしていない(この点は私がラジオ放送で聞いた時も言及していた)。

しかし彼女の存在を決定的にしたのはベルカント・オペラである。スポンティーニ「ラ・ヴェスターレ」も、ベルリーニ「ノルマ」も彼女のレパートリー。カラスもまず「ラ・ヴェスターレ」をスカラ座で歌い、そのあとで「ノルマ」を歌った。カラスを応援した指揮者トウリオ・セラフィン曰く、自分は3人の偉大な声に出会った。一人はカルーソで、あとはルッフォとポンセルだ、と言ったという話は有名だ。同じ米国人(ただしギリシャ系)のカラスがこれで平気なはずが無い(注:下記)。

ポンセルの「ノルマ」を実際に聴いたのは後だが、含み声だった。そして音階の上下するとき、あまり音色が変化しない。後年カラスが発声障害にあった時、ある人がポンセルに逢って教えを乞うたら、と勧めたら「あの人だけには逢いたくない」と答えた、というエピソードが残っている。ポンセルはメトロポリタン歌劇場のスターになったが、チレーア「アドリアーナ・ルクヴル-ル」を歌いたいとメットに申し出たら、あれはダメ、メットのレパートリーでない、という答え。どうしてもか、という問いに同じダメの回答をしたところ。あっさりと引退を宣言してしまう。後日レナータ・テバルディ(S)も「アドリアーナ・ルクヴル-ル」を歌いたがっていたが、開幕日に失敗している。鬼門である。ポンセルの引退宣言後に録音されたレコードを聴き直すと、引退が惜しかったと痛感する。以上はポンセルのファンだったら誰しも知っているところ。これほどのポセンルだが、日本では若い世代に余り知られていないのが残念だ。

Korvettesのレコード売り場で、アメリカに来て初めて買ったレコードがポンセルのアリア集だった。この高名ばかりを承っていて、実際に聴いたことのないソプラノの声を、このレコードで初めて聴いて感心した。録音状態の悪い50年も昔の吹き込みなのに「ノルマ」ではカラスそっくりの含み声で印象的に歌っており、あの貧弱な音から感動が得られるということは、やはり彼女、才能があったようだ。そして現在もなお、ポンセルはかくしゃくとしているようだ。メリーランドの自宅に住む(彼女は1981年に死去)

以前古いメットがリンカーン・センターに引っ越すため閉場する告別演奏会に、ポンセルはHonored guestとして招かれたが、「メットはオペラの神殿です。メットを壊すということは神殿に火をつけるようなものです。」と言って応ぜず、自宅に篭っていたという記事を読んだ(僕が21歳のころ)。私はその引っ越しの当時、オールド・メットの緞帳の切れ端をいれた特別記念レコードが出た(国内プレス!)のを覚えているが、大学に入って間が無く、ついにそれは買わなかった。放送の内容は、ノルマ歌いとしてのマリア・カラスの全盛期にもポンセルと比較する古いファンが少なからずいたこと、ポンセルはメットがアメリカ人を採用する試金石であったこと、なぜ彼女はプッチーニをレパートリーに持たなかったかということ、「ノルマ」の準備に2年を要したこと、エトセトラ、エトセトラ。テクニカル・タームは知ってたし、何よりも話に興味があったため、この放送はほとんど全て明瞭に聞き取れた。

翌日曜日、午前中FM放送のスイッチを入れると、先ごろメットで観たばかりのR.シュトラウス「ナクソス島のアリアードネ」(ショルティ指揮)のレコードを流している。アリアードネ役(S)以外は舞台と全く同じキャストなのだが、グルベローヴァ役(S)は舞台の方がよりキビキビしていたと思う。どうしても生とレコードは歌い方、演奏の仕方に差が出るようだ。昼過ぎにベビーシッターを呼び、親だけリンカーン・センターへ行き、ポリーニ(P)のピアノ・リサイタル。6時半ごろ帰宅。

夕食を食べながらFMのスイッチを入れるとベーム盤のモーツアルト「ドン・ジョバンニ」をやっている。しかし女声陣の魅力の無さに飽きて、別の局に回すと、またも観たばかりのシティ・オペラのグノー「ファウスト」を実況中継している。僕の観た時とはキャストが違うので、最後まで聴いた。音楽だけだと「ファウスト」は余り印象的なものとは思えない。月曜日、6時起床。帰宅7時。地下鉄の防犯取締が始まって、異常ダイヤだったので少し遅れて帰宅した次第。夕食後FMのスイッチを入れると、リチア・アルバネーゼのプッチーニ「蝶々夫人」をやっていた。エトセトラ、エトセトラ。


[2008年に記載]
このような環境がニューヨークでした。そしてポンセルがまだ生きていました。彼女は私の帰国後1981年に亡くなりましたから、直前の声をラジオ中継で聴いたことになります。低い声でゆっくり話すその声は実に印象的でしたし、素晴らしいもので、言葉の意味も良く分ったし、私の一生の宝物です。だからオペラの趣味は止められません。

(ここまで1979年の日記より収録。次回へ続く)



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