第4-8話:NY-夏のあいだに


以下はニューヨーク滞在中から作っておいたメモを基に、1980年に原稿化して、ほとんど原文のまま清書(1993年12月31日に完成)し、さらに短く2/3程度に縮めたものです。青字は2008年に追記したもの。


[夏はTVで]
ニューヨークの古い顔であるマンハッタン南部、ウォール街の突き当たりにトリニティ教会がある。17世紀の石造りで黒ずんだ古風なカトリック教会だが、この庭にはハミルトン財務長官の墓などもある。ここのホールに入ったことがあるが、ちょうどオルガン演奏をやっている最中だった。というより、ミサの最中だったのである。ここのオルガンの音色は今まで聴いたものとは随分違っていた。まるで空気が鳴っているように柔らかい雰囲気をかもし出す。決して鋭い叫び声を上げない。こういう音は長時間聴いても疲れないだろうと思う。いつかニューヨーク・タイムズを見たら、この教会で僕の大好きなフランクのコラールの無料音楽会を開く、という話が出ていた。不幸にして他のもう決まったスケジュール(パルシファル)と重なってしまい、行けなかった。もう一度機会があったら是非聴いてみたい。

また北部マンハッタンにあるコロンビア大学の近くには、世界最大という聖ヨハネ教会がある。ここに入った時はどういうわけか、ベートーベンの「第九」の合唱部がオルガンで弾かれていた。ここのオルガンはトリニティ教会のものほど柔らかではない。しかしオルガンは弾き方でも随分音色が変わるものだから、一概にこの教会はどう、あの教会はどう、と言い切れないだろう。フラッシングのアパートの2ブロック先にも小さな教会があるが、ここにもオルガンがちゃんとあるらしく、日曜日にはステンド・グラス越しに柔らかく豊麗な音が聴える。

このあと、6月、7月、8月の夏季は音楽会もバレエも少なく、休日は主に市内観光と博物館・美術館めぐりで過ごした。たまにFMやTVで音楽を聴く程度。なにしろ猛烈に蒸し暑いので、クーラーの無い我家は音楽に相応しい環境では無かったのである。夏の間よくセントラル・パークやその周辺を歩き回ったが、時おりアマチュアの野外演奏や練習風景に出くわすことがある。メトロポリタン美術館の横では黒山の人だかりができるほどだったし、公園の中でもヴァイオリンとかフルートとか携帯楽器の合奏を耳にすることが多い。太鼓橋の下のよく響くところでフルートを一人練習している人もいる。たいがい若い学生風の人達である。クラシックばかりでなく、「ヴェスタの噴水」へ通じるコロンバス・サークルの角では、ジャズの練習をしているのにぶつかる。また5番街の目抜き通りでは、人目もはばからず一人でチゴイネルワイゼン等を弾いている若い女性を見かけたが、あれはただの練習かしら。地下鉄の中ではよく大きな釜みたいなものに弦を張って、太鼓みたいに叩いて金を集めている者を見たが、いつも同一人物に見えたし、もの凄く太って体格が良く、我々よりずっといいものを食べているに違いないと思った。演奏は確かに巧い。5番街でもその種の楽器をよく見かけた(アフリカの楽器らしいが、音色もきれいだ)。

8月にTVでプッチーニ「トスカ」の映画化されたものを見た。ライナ・カバイバンスカ(S)のトスカ、プラチド・ドミンゴのカヴァラドッシ(T)、シェリル・ミルンズ(Br)のスカルピアというキャストで、実物の聖アンジェロ城を背景に用いたもの。口と合わなかったから、あらかじめ録音しておいたのに合わせて、口をパクパクしていたに違いない。ミルンズのスカルピア役はスカルピアらしい。ドミンゴは当代としては最上のものだろう。前に見たパヴァロッティよりずっと良かったと思う。パヴァロッティのは全く熱気がなかった。あんなカヴァラドッシ役に心底惚れるトスカなどがいるとは思えない。肝心のカバイバンスカは劇的な凄みという点で今ひとつ足りない。イザという時に冴えが不足している。実は彼女もう45歳を過ぎたらしい。やはり峠は越えてしまった人なのだろう。NHKのイタリア・オペラ団でも、カバイバンスカの「トスカ」をやったが、あの時インタビューで、「なぜレコード録音をなさらないのですか?」というストレートな質問に対し、「したいとは思っていますワ。でも何処のレコード会社も声を掛けて呉れませんのよ」と答えたという。正直な答えだが、レコード会社も見抜いていたのだろう。

8月に今度はTVでモーツアルト「フィガロの結婚」の映画を見た。ベーム指揮ウィーン・フィル、ヘルマン・プライ(Br)のフィガロ、ミレルラ・フレーニ(S)のスザンナ、D.F.ディスカーウ(Br)の伯爵、キリ・テ・カナワ(S)の伯爵夫人、マリア・ユーイング(Ms)のケルビーノ、パオロ・モンタルソロ(B)のアントニオ。おそらく今日のベスト・キャスト。ウィーン・フィルの音は軽やかで、ふわっとしている。そのかわり、重厚な低弦なぞは余り聞こえない。キリ・テ・カナワの伯爵夫人は大変美しくチャーミングだ。女盛りのエレガントでグラマラスな魅力がある。ユーイングのケルビーノはいたずら小僧そのもの。目の演技も巧い。D.F.ディスカーウの伯爵はいやらしいが憎めないところがある。フレーニのスザンナが視覚的にもう少し美しかったら、と思うが贅沢か。
セントラル・パークにある丸池
図:セントラル・パークにある丸池。

[レナータ・テバルディのこと]
最近のOpera News誌にカーチャ・リッチャレルリ(S)が色々な歌手について批評した中に、テバルディ(S)について、「彼女は素晴らしい声の持ち主でしたわ。でももっと軽い声質の役に徹するべきでした。彼女はアンナ・ボレーナ(ドニゼッティ作曲)を完璧に歌えたはずです。それなのにラ・ジョコンダ(ポンキエルリ作曲)とは!」と述べていた。"Young Tebaldi"というニックネームを持つリッチャレルリがそのテバルディ本人をそう評したのはおもしろい。同業者仲間を批評するのを聞くのは楽しいものである。特に現役同志の批評は、辛辣なのが愉快だ。リッチャレルリはシャーリー・ヴァーレット(S)に対して「シャーリーは良い歌手ですわ。彼女のロッシーニ『コリントの包囲』は立派です。でもどうしてベルリーニ『ノルマ』を歌いたがるの?ノルマは本質的にソプラノの役です。アダルジーザだってソプラノよ。メゾ・ソプラノは音域だけでなく声質も色彩もみな違うのよ。フレーニ(S)がアダルジーザを歌うのなら分かるけど。」と言っている。リッチャレルリは母親から、「お前の声はカラスともテバルディとも違うし、レイラ・ジェンサー(S)や若いスリオティス(S)とも違うんだから」と言い含められてきたそうである。

メットでリッチャレルリ(S)が登場したのは、1978〜79年はヴェルディ「ルイザ・ミラー」、1979〜80年はヴェルディ「仮面舞踏会」だが、前者は見送ってしまった。FM放送で中継されたものは聴いたが、音楽そのものが大して魅力が無いし、リッチャレルリも強烈な魅力があるとは思えなかった。リッチャレルリ自身は「仮面舞踏会」が最も重要な曲だと言っている。少し前にレナータ・スコット(S)が、色々な歌手を批評しているのがニューヨーク・タイムズにあった。フレーニ(S)の声は素晴らしいと思うし、カバリエ(S)もプライス(S)も好きだと言っていたが、「サザーランド(S)? イエスorノー」と答えていた。本音はノーだと思う。サザーランドのベルカントはイタリア人のベルカントとは少し違う。サザーランドは1980年にローマでドニゼッティ「ルクレツィア・ボルジア」を歌うそうだが、どうだろう。リッチャレルリは「もしアイーダ役とルクレツィア・ボルジア役の両方を提供されたら、後者を選ぶ」と言っている。ドンナ・アンナも歌いたいそうだ。画像付きで見たテバルディのプッチーニ「トスカ」のアリアはお手本みたいに申し分ない。1961年僕が高校2年生の時、運動会が終わり、ファイアー・ストーム、フォーク・ダンスと続いて少し遅めに帰宅したら、TVでちょうどこの場面をやっている最中だった。


[2008年に記載]
レナータ・テバルディは1963年に休養期間に入る。休養の前後ではレパートリーが違う。なるほどカムバックした時はプッチーニ「ラ・ボエーム」だったが、それは例外的だったと想像する。彼女はかつて希望したチレーア「アドリアーナ・ルクヴルール」で(今度は)成功し、「ラ・ジョコンダ」で成功をする。上記のリッチャレルリが文句を言った曲である。「ラ・ジョコンダ」の本当の成功のためには、それもカラスに真に対抗するには、テバルディを持ってしても、なお深い低音が必要だったと想像する。そしてテバルディはイタリアにもカムバックしてナポリのサンカルロ劇場でジョルダーノ「アンドレア・シェニエ」を歌っている。とにかくこの時期、彼女が実際に歌ったのはこれら、やや重い曲ばかり。

当時ニューヨークで活動することが多かったこともあり、イタリアから歌手達、特にレナータ・スコット(S)に手紙を書いては、あれこれを持って来て欲しい(石鹸まで)と注文している。ここで気になるのは、テバルディみたいにニューヨーク生活が長かった人だったら、さぞや英語が上手くなっただろうと想像することだ。彼女は日本に来た時も、ヤマハの会場で英語でもイタリア語でもオーケーですから、という触込みだったが、今は少しマユツバだと思っている。テバルディがニューヨークのテレビに出た時のインタビューでは、確かにカラスとのやり取りを、流暢とは言えないまでも、容易に喋っていたが、ある時それに疑いを持つ。つまり他の場でもカラスとの一件は良く引き合いに出たので、比較できたのだ。すると彼女は毎回同じ内容を、同じ繰り返しで喋っているのに過ぎなかった。

「レナータ・テバルディ(S)?もちろん英語を喋るよ。ただ内容はいつも同じだけれどね」と言ったのは誰だっただろう。その通りだと思う。語学に関しては、マリア・カラス(S)の方が才能があった。カラスは英語とイタリア語とフランス語をこなす。テバルディはイタリア以外の歌劇場に招かれてもイタリア語で歌うからボロは出ない。もっとも語学の才能は歌の才能とは別物だけれど。テバルディの「ラ・ジョコンダ」はLPしか持っていないので、いつかCDを探して(現在廃盤中)、その低音を再生してみたいと考えている。

(ここまで1979年の日記より収録。次回へ続く)



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