(11)モノローグ    2008.2.12

NHKの歌謡コンサートの切符が手に入ったので観に(聴きに)行きました。やはり歌謡曲ですからマイクロフォンの魔術だなあ、と思わせる場面が多かったのですが、それでもこのコンサートは充分楽しみました。都はるみと岡千秋のデエットで始まり、五木ひろしで締めくくられるプログラム。五木ひろしと木の実ナナのデユエットでは、木の実ナナの抜群の演技力にうっとりしましたし、また岩出和也という初めて聞く人のフランク永井の歌もなかなかにこなれたものでした。あと美川憲一、坂本冬美のソロも堂々としたもの。たまにこういう歌謡曲も楽しいものです。私は第一章に書いたとおり、歌謡曲だから、といって敬遠しておりません。ただ、辛抱が長く続かないのですが、このコンサートは45分間の生放送でしたし、これくらいなら大丈夫です。また終演後に、坂本冬美、美川憲一、岩出和也の各ソロをサービス曲として聞かせてくれましたが、その印象は、彼等の歌は生放送用ですがホール内に響くのは音響的には全く別の音でした。実際これを後でビデオを通して聞いてみなると、すんなりと聴こえるのです。だから、歌手の技量を判断したいなら、放送は放送と割り切って聴くのが一番かな、と思った次第。そして中村美津子や渥美二郎も実際には、この時は声が少し痛んでいたようですが、放送では電気的に修正された音が流れていました。思ったのですが、NHKホールって、巨大な空間ですが、あくまでスタジオの延長だと感じました。国立劇場の方がはるかに劇場らしい空間です。
千葉のF高





(12)モノローグ    2008.2.15

前回の件、それではクラシックではどうか、と言うとやはりあるんです。第1章で、私はレナータ・スコットの歌うヴェルディのオペラ「ナブッコ」のCDを激賞しましたが、あとで思うに、それには制約が伴うことを記すべきだった、と思います。彼女は確かに「ナブッコ」で精緻な表現をしていましたが、それは録音だったから。実際のメトロポリタン(例えば)は3,800名も入る巨大な舞台空間ですから、そこでは決して聴こえなかっただろう音が、このCDには過度に強調されて録音されています。彼女の声量は比較的小さい。もしせいぜい200名を収容する小ホールだったら、ああいう精緻さも出るでしょうが、3,800名ホールでは決してそうではありません。これを誤解して、現実の彼女もそうだろうと考えると、おそらく裏切られるでしょう。例えばヴェルディ「ドン・カルロ」の公演に対する私の批評を御覧下さい。彼女のCD「ナブッコ」はマイクロフォン技術を駆使した、芸術品だと思っています。その限りにおいての推薦盤でした。

逆にデル・モナコの傲然たる声はそういう大劇場でこそ生きるのであり、小さなホールでは浮き上がってしまうかも知れません。実際デル・モナコが他の声の小さい歌手と一緒の歌を歌った場合、批評家からデル・モナコはデクの棒だという批評を受けたりもします。ホセ・カレラスは余り声が大きくないのですが、彼がパヴァロッティやドミンゴと言った歌手と一緒に3大テノールの舞台に出る時、声を張り合おうとするとどこかに無理が生じるのでは?ホセ・カレラスには彼しかない様な甘い声がありますから、自分の声の範囲で歌った方が良いのでは、と思います。録音から歌手の技量をどうこう批評する場合は、何時の、どのホールの録音かを明らかにしないで、まるでいつもそうであるかのような批評をしてはいけません。このコラムの趣旨はCDを再生することですが、CD再生といってもそれが実況録音そのままの音を批評するのと、お化粧を済ませた後を批評するのとではかなり違います。
千葉のF高





(13)モノローグ    2008.2.27

今週の日曜日、友人のN田様が我が家にお出でになりました。いい友人です。プリアンプの新作の修正版が完成したので、それを持参しての御来宅でしたが、帰りにロジャーズのLS3/5Aを持って行かれました。これを修理してみようか、ということですが、昨日電話で聞いたところ、コーンに少々ひび割れが見つかり、その他時間を経た品だということが分ったそうです。このロジャーズのスピーカーって何と言えば良いか、とにかく心地よく、安心して長時間聴ける音だという強い印象が残っています。N田様の天才的な技術で復活できたらいいな、と思うのも当然ですね。またN田様のお蔭で入力用に復活に成功したプレーヤーのトーレンスのTD-321MKII+デッカMark-7があります。実を言いますとLP復活にこだわったのは、フラグスタート/ムーアの共演によるブラームスの歌曲をCDで聴きたいからです。同曲はLPとして持っていますが、どういう訳かどこを探してもCDとして発売されていません。同曲はキャスリン・フェリアーのものを見つけたので、それで代用していましたが、余り私の心に響かない。幸い、フラグスタートの歌は万全に再生されましたので、コレダ、と思ったのです。ホコリだらけの倉庫の中に何百枚のLPが眠っていますから、これらを復活させたい!
千葉のF高





(14)モノローグ    2008.2.28

トーレンスの復活のために、まずは弛んだベルト交換をしたい、と千葉市のある方に申したところ、さっそく送ってきました。その後、そこからハガキが来て、オルトフォンの旧機SPUや、昔はやった刀鍛冶の作った「光悦」などを格安にて販売しています、と言ってきました。しかしそこまでは、と苦笑しているところ。配置も決め直さないといけませんが、今までミニマムの長さの信号ケーブルで繋いでありましたのを、今度は長目のケーブルを買ってくる必要がありそうです。N田様のような有り難い存在が近くになければ、こんなには出来ないだろうと思います。
千葉のF高





(15)モノローグ    2008.2.29

N田様から電話があって、ロジャーズ復活の状況を説明されました。N田さんはかなりロジャーズが気に入った様子。耳の側で再生する時に相応しいんじゃないか、との説。実際、聴き始めますと一体この音のどこが不満なんだ?と言いたくなりますね。それくらいロジャーズの完成度が高いと思うのです。次に欲しいのはESLとクレモナの両スピーカー。こういうのを何と表現すれば良いのでしょうか?ゼータク? 無いものねだり?私なぞESLが買えるとは思えないので、いっそ同じQUADの小型のブックシェルフが出ているのを買うのも魅力的だな、と悩んでいます。
千葉のF高





(16)モノローグ    2008.3.16

この日、N田ご夫妻が例のロジャーズLS3/5Aをお持ちになって我が家に来られました。直ったので、その試聴をしに見えたのですが、これをタンノイのスターリング/HEの代わりに繋いで、ポリーニの弾くショパン練習曲1番とグリュミオーの弾くフランクのヴァイオリン・ソナタを掛けたところ、素晴らしい倍音が聞こえました。ショパンの方は低音不足だったかも知れませんが、フランクの方は申し分ない音でした。明日から機器接続を再検討してみようか、と思います。
千葉のF高





(17)モノローグ    2008.3.18

テレビでアンナ・トモワ=シントワの歌うR.シュトラウスの「夕映えに」を聴きました。テレビで音質等が分かるのか、と言われそうですが、これは案外出来るんですね。良く音楽を知っていることが必要ですが、経験を積めばわかります、そしてトモワ=シントワの声は細かいことを言えば既に衰えた歌手でした。現在70歳程度だということを考えれば当然か。でもマイクを使わずに毅然として歌う姿は感動的でした。衰えというのは、まず音程の揺れが感じられるようになったこと、また音程を切り替える毎に音色が汚く濁ることでしょうか。これは現場では気がつかない程度の傷かも知れません。全体としてはシュワルツコップのCDを聴く方がずっと楽しめますが、トモワ=シントワのこれはこれで楽しんで聴けました。他方、去年聴いたフィオレンツア・コソットのアズチェーナ役(ヴェルディの歌劇「トロヴァトーレ」)の方はかなりひどい出来上がり。高音が全く出ず、叫び声でごまかしておりました。1965年から約15年間の絶頂期を知る人間としては、生の声を知る者としては、もっと早く引退すべきではないか、と思います。
千葉のF高





(18)モノローグ    2008.3.18

今日テレビを見ていたら、ばんばひろふみが「いちご白書をもう一度」を歌っていました。この歌はこのジャンルで最も好きなものの一つ。初めて気がついたのですが、「いちご白書をもう一度」の作者は荒井由美だったのですね。これは驚きでした。今頃そんなことを言うなんてお笑いでしょうが、私は「いちご白書をもう一度」が荒井由美の作品だとは本当に知りませんでした。すみません。荒井由美というとすぐに思い出すのは、あのプラスティックのような声、ビブラートが無くて、声そのものに情念が乏しく、本人もまた情念なんて軽蔑していたようですし、どう聴いても嫌な声でした。昔FM番組雑誌にあった記事に、彼女は歌謡曲みたいな声は嫌いだ、と言っていたのがグサッと脳裏に突き刺さり、それ以来荒井由美は大嫌いでした。彼女の歌を聴くと、どんな歌でも声の色彩感が変化せず、声色をもっと大切にしないと、と常に反論したく思ってきました。逆に言って、私の好きなのは歌謡曲だったら、もっと情念の詰まった声です。クラシックの世界では、何と言ってもマリア・カラスです。声色それ自体が妖しい雰囲気を醸し出し、ドラマを感じさせます。シュワルツコップのリートの世界も同様です。こういう声色の芸が見下されるのは忍び得ない、と思ったからこそ荒井由美の声は好きになれない。最近クラシック歌手でも音色を持たないような歌手達がほめ称えられ、出来るだけ音色の変化を消去することが奨励される気がするのは、私のひがみでしょうか。音色の変らない歌手なんて!と思います。音色変化を消してしまって、どうして声楽を名乗ることが出来るでしょうか。音色変化の消えた歌を極論すると、最後に行き着くのは人形みたいな声になってしまう。既に、ある種のロックとか、ある種の流行歌には人形の声が尊ばれていると思います。他方、「いちご白書をもう一度」の作曲作詞者が荒井由美だということを聞いて、荒井由美の才能を見直すことにしました。メロディーだけでなく歌詞も良い。あれより少し前の時代の雰囲気がよく出ています。この歌があっただけで、印象が変わってしまった!但し御自分で歌わない方が良い。これは私の信念です。荒井由美の声が好きな人には口出ししません。
千葉のF高





(19)モノローグ    2008.3.21

私が追う夢の音、コンデンサー・スピーカーの音って、本当に良いのでしょうか?ダメだよ、と言われた方が個人的にはキッパリと諦める言い訳になるのですが。下記は、本当は欲しくて仕方が無い、しかし値段が高いな、と指をくわえている人間の言い訳じみた雑記帳です。コンデンサー型は透明感のある、全てを透かしてしまうような音、最も原音に近い音なんでしょう?という疑問。これは原音の定義によります。録音したその場の音なのか、それにマーケットに出す為の様々なお化粧を施した音なのか、マイクを使った場合に限定しても、スタジオで採った音なのか、人間という音の吸収体の詰まった状態で採った音なのか。この問題は多くの先輩達が苦労して書かれています。自分で確かめるしかない。第2章に書いたように、私はグラマラスな音が好きですが、グラマラスな音というのは劇場の反射音や、スピーカー・ボックス特有の音を含んだものですし、これはコンデンサー型だってCDに封印された諸雑音をそのまま出すという点では同罪です。それにニューヨークで感心したコンデンサー型の音は、至近距離で聴いた音でした(そして部屋はデッド)。

少し古いですが1980年頃に中村晃子が歌った「恋の綱わたり」という歌を覚えておられるでしょうか。これは巧い歌だ、歌手も巧い歌手だ、と思っていました。そうしたら、最近車の中で聴く機会があったのですが、注意深く聴くとエコーが掛っていました。さあココという聴かせどころで必ずエコーが掛っています。それは商品だからです。商品は、そのままCDを掛けて、楽しく聴ければ可です。ドミンゴ、パヴァロッティ、カレラスの三大テノールの公演でも色々と言われた点ですが、生の声では無くてもお祭りレコードと割り切れば、気分よく聴ける形であれば構わないと私は思います。程度の問題もありますが。

本当の生の声って、それを聴くことができるのは、録音技師とか、監督だけではないでしょうか。歌っている当の本人だって、耳にイヤーフォンを掛けて、自分の声を気持ちよく響かせていないと、安心して自らの声に酔って歌えないのでは、と思います。あくまで生の音が良いとお考えの場合は、生録音で、無響音室の中の再生になってしまいます。しかし、もう亡くなった過去の演奏家を我が家に招くことは不可能ですし、その録音を気持良く再生できた方が良い、と私は考えます。

歌手の生の声と言いますが、響きの良い劇場とそうでない劇場があることは良く知られています。特定の劇場でもある方向に向いて歌った時は良く響く、この方向はダメだとか。オーバーオールに見て、出来上がった録音を聴いて、気持ち良ければ、それで満足する他無いか、と思うようになりました。マリア・カラスのレコードは実況盤の方が良い、なんて言いましたが、あのデッドな録音のケルビーニの歌劇「メデア」セラフィン盤は実は楽しみにくいのです。少しエコーを加えれば、素晴らしく響く巧い歌に変わるでしょうに。もっともフィレンツェでの海賊盤録音はエコー過剰ですが。これらを考慮した上で、原音をうまく想像しながら聴くのが上手な聴き方だと思うのです。かのレナータ・テバルディの全盛期の録音でも、B音を一つ越えてその上のC音をどうするか、と思うと、必ずエコーが掛けられています。それでもB音以下の所は黄金です。エコーを認めただけで、聴くのを怯んでしまうような歌手だったら、それまで。

そう考えると、コンデンサー型も楽しみ方次第ということになりますね。CD音源が当初から持つ諸問題は不問にして、その再生だけに注目した時、コンデンサー型とマグネット型とどちらが良いかということですね。そして、あとは自分の感性ではどっちがピッタリか、という問題になります。原理的に優れていると言っても、CDに入っている音をそのまま再生した場合、それが好みの音色かどうかは別の問題。やはり自分で色々なCDを聴いてみて、自分の気に入ったように聴こえるかどうかを自分の耳で確かめ、あるCDはコンデンサー型で、別のCDはマグネット型で、と使い分けるのがベスト。その実行には長時間を要しますし、だからこそ余裕があればコンデンサー型も入手したいという欲望も大事にしたい、とい答えを無理矢理に引き出しました。
千葉のF高





(20)モノローグ    2008.3.24

今年3月3日にイタリアのテノール、ジュゼッペ・デイ・ステーファノが亡くなりました。私もテノールに関してはアンテナ感度が悪く、今頃になって気がついた次第。デイ・ステーファノは声を楽しく響かせるタイプであり、ストイックにならずに自ら楽しんで歌いまくっていた、と言う印象があります。レコードに吹き込んだ多くの役柄を聴くと、やはり良くも悪くもデイ・ステーファノだなあと思います。1964年にメットにカムバックの積もりでホフマンの役で戻ったのに、口笛を吹かれてしまい(引っ込め!という意味)、2度とメットの舞台に立つ事はありませんでした。その後サンレモ音楽祭でカンツオーネを歌うというニュースを聞き、その後彼の声は表舞台から消えました。一口で言って、デイ・ステーファノの声には、デル・モナコのような高貴な悲劇の主人公という風情が乏しく、鼻歌風に何でも歌ってしまう印象がありました。レパートリーは随分広い。例え「テノール馬鹿」と言われかねないとしても、楽しい歌を提供してくれたデイ・ステーファノに合掌。
千葉のF高













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