(41)モノローグ    2008.6.26

簡易型の再生装置も欲しい!私の現在の装置で、CDを掛ける際は決意を固めてから腰を上げて、重い装置を動かしています。が、それだけで良いのでしょうか。音が良くなるのは明らかでも、真空管は音を出す前にウオームアップの待ち時間が必要です。気楽に掛ける為には、もっと軽いもの、たとえばラジカセのような簡単なCD装置も必要かも知れない、と考えるようになりました。スイッチを入れて真空管が暖まるのを待つ、CDプレーヤーが正確に水平を保っているかどうかに目を配る、ホコリ等で真空管周辺が覆われていないことを確かめる、等々となるといささか大変だなあと思うのも本当です。そこで例えばキット屋で扱っているエレキットの管球式のプレーヤーTU-884CDも購入するか、と考えるところ。それでおっくうがらずに気楽に楽しめるなら良いと思うのですが。どうも私自身はある種の事大主義に取り憑かれていて、本格的な音を出すにはこうしなければ!と思い込んでいるようです。しかし気楽に楽しむという視点がやや薄かったようで、その点いたく反省します。これからドンドン年を取って来て、複雑な手順が必要なシロモノばかり残ったら、宝の持ち腐れになってしまいますから、今からその対策を取っておく必要も感じています。しからばSV-16K(又は17K)というキット屋のアンプはどうでしょうか?良いに違いないと期待させます。





(42)モノローグ    2008.6.28

キット屋製アンプとタンノイ(スターリング)の音を中心とするメイン・システムと別に、N田様特性のアンプ類をロジャーズ(LS3/5A)につないで聴いています。もしロジャーズだけを聴いてきていたら、別のスピーカーも購入しようとは思わないだろうと思えるほど素晴らしい。ジャクリーヌ・デュプレの弾くバッハの無伴奏チェロ組曲1番。誰かが言った通り、スピーカーを固定すると自ずと聴く曲種が絞られてくる、とのことですが、うなずける意見です。特筆すべきは今回はN田様特製のスピーカー・スタンドを使用したのですが、これが当たり! 本当にN田様のように色々役立つものを作れる方を尊敬します。N田様のプリアンプには、低音と高音の調整に無限と言えるほど組み合わせがありますし、スピーカーの想定抵抗値や、スピーカー本体内にある3つの音声調節の選択とか考えるのが大変ですが、実はこれこそやりたかった事ですから、慌てずに一つずつ詰めて行きます。
千葉のF高





(43)モノローグ    2008.7.2

京都を取り上げた流行歌を考えてみました。1970年代に良く聴かれたもの、渚ゆう子「京都の恋」、デューク・エイセス「京都ひとり」、チェリッシュ「なのにあなたは京都へ行くの」、小柳ルミ子「京のにわか雨」、渚ゆう子「京都慕情」、と色々あります。これらの曲は懐かしく思い出しますが、それはこのジャンルで最も優れたもの、という意味ではありません。歌唱、歌詞、メロディー、また時代的背景を思い出させるものです。記録に残っても記憶に残らない曲では、優れた流行歌(歌謡曲)とは言えない。そこで私の考えるベストテンを選んでみました。順不同です。

淡谷のり子「小雨降る径」、美空ひばり「リンゴ追分」、美空ひばり「哀愁波止場」、西田左知子「アカシアの雨の止む時」、西田左知子「女の意地」、都はるみ「涙の連絡船」、弘田三枝子「人形の家」、八代亜紀「舟歌」、八代亜紀「女港町」、北原ミレイ「石狩挽歌」となります。圧倒的に女性歌手が多い。好き嫌いがありますから、もちろん異論があると思います。私の所には歌謡曲のCDは約200枚ありますが、それから選べばこうなる。ただし「リンゴ追分」は録音当時のものより、後日吹き込みし直したものの方が良いと思います(旧盤は子供の声だと思う)。上記10曲の他に、美空ひばり「佐渡情話」、美空ひばり「大川ながし」、美空ひばり「悲しい酒」、岩崎宏美「聖母達のララバイ」、石川さゆり「津軽海峡・冬景色」があります。このジャンルのあらゆる曲を含めて選ぶとこうなります。もちろん最初に述べたように、私が最も好きな歌手はマリア・カラスです。比較し難いものを比較するのは無謀ですがやはり良いものは良いと言いたいのです。

最近TVで聞いたのですが、欧州の歌劇場ではオペラ歌手は歌手というジャンルでなく、役者のジャンルに分類されている、のだそうです。歌舞伎役者を思い出せば納得できます。歌舞伎では何代目の芸がどうだとか、自分はこちらが好き、とか特定の役者に対する思い入れが強いのも分かりますね。そして、「決り」の部分で思わずブラボーと声を掛けたくなるのもオペラと同じ。そして両者とも「この役者はこれが抜群に上手い」とか「この役者は凡庸」なんて勝手な批評に晒されます。カラスはこれに耐えられる稀な役者でした。私はカラスの歌が好きですが、この観点から説明すると分り易いと思います。歌が上手(声を操る技術に長けている)というだけではダメなのです!
千葉のF高





(44)モノローグ    2008.7.5

私の持っている歌謡曲のCD群は年代別に編集・再編集されたものですが、僅かな例外(中島みゆきの「地上の星」等)を除いて、不思議と1989年までしかなく、そこで私の興味はオシマイになります。逆にそれより古い方は、私には淡谷のり子の歌う幾つかのシャンソンが最も古く、もっと古いもの(何人かの歌手は積極的に嫌い)はさっぱり興味がありません。こうやってまとめると、やはり演歌が好きなんでしょうか?何か体に刷り込まれているようですね。マリア・カラスが好きなのも、何か演歌のような要素を感じるからでしょうか。案外、そうかも知れません。マイク抜きで、あれだけ現実味を帯びて聞こえる歌を歌った歌手、カラスは偉大です。他の多くのクラシックの歌手達の歌にこれほどの現実味を感じることは稀であり、クラシック歌手の大半は下手だと、いう極論さえ出てきます。こういう批評はクラシック批評専門家から出るはずのないものでしょうね。

男性歌手を省いた形になりましたが、実は省いたのではなく、私が女性歌手の方が好きだからに過ぎません。実際、順位はあとの方かも知れませんが、バンバンの「イチゴ白書をもう一度」、三橋美智也の「古城」、北島三郎の「なみだ船」、森進一の「港町ブルース」等がどこかに含まれます。ここにある北島三郎のデビュー曲は、実は私の大学受験時代の真っ最中、元日の晩にお隣の2階で新規購入されたステレオのお披露目会があって、それが大音量で鳴っていました。当時の私は元日も大晦日も区別無く、夜は11時に寝込み、朝は5時には目を覚まさなければならない生活でしたので、少し困った記憶があります。
千葉のF高





(45)モノローグ    2008.7.7

クラシックでも、ここで息を吸おう、とかあそこで嘆きの調子を出そうとか、色々と歌の演出をすることがあります。それは詩を尊重するからです。それが無ければ、歌として詰まらなくなります。およそクラシックの声楽でも、詩に対する敏感な応答を無視したような、声を万全に出すので精一杯、という人々がいますが、そういうのは聴いていても実際(私には)つまらない。何を歌い出したいのか、が鮮明でないと。当然そういう表情を付けようとすると、どこかに声楽的な破綻が生じます。カラスのすごい所は、そういう破綻を、構わない、やっちまえ、という勇気があったことです。詩をもっと重視しないと。歌謡曲の世界でも、作曲家と作詞家がいますが、プロの作詞家はやはり重要です。これを無視してはいけない。時折見かけるのは自作の詩を用いた、という歌手たち。そんなにお手軽に詩ができるとは信じられません。シロートの詩だと直ぐ見ぬかれるような歌ではまずい。

「朝起きて時計を見たら7時だった、メールをチェックしたらどうだった、もっと寝ていたいと思った」なんて詩はどうにかならないものかと、苦笑しています。オペラ作曲家のベルリーニは、ロマーニという作詞家を全面的に信頼し、ロマーニが作詞するのなら、と言って作曲を引き受けたそうです。あとは出来上がったものを、ジュディッタ・パスタに歌ってもらい、その是非を問うています。パスタにも気に入らない所も多々あり、結果的にオペラ「ノルマ」の詠唱カスタ・ディーヴァの箇所は何度も修正した上で決めたと言います。最終的に我々の耳に届くまでには、作詞家、作曲家、歌手の夫々の手を経ているのですが、こういう作り方は今日の歌謡曲の作り方と似ています。今日もう死んだ過去の作曲家の歌を考えるには、過去を探る必要があります。それはスコアの研究しかありません。その努力を払った歌手だけが今日栄光を得ているのではないでしょうか。問題があるとすれば、上記の「ノルマ」作曲の折りは作曲家、作詞家、歌手だけが集まり、演出家が抜けていた点でしょう。それが今では演出家が昔の復讐戦を挑んでいるかのようです。もちろんこれには反対意見の方もおられるだろうと思います。私自身は鬼気迫るような、思い詰めたような、汗が飛び交うような、憎悪と復讐心に満ちたような、そうして放心状態に至る「ノルマ」が好きです。そういう「ノルマ」を歌う為には、音域的にも、装飾技術の面でも、万全なものを備えていなければなりません。同じカラスでも、1956年の公開実況録音盤(アントニオ・ヴォットー指揮)こそが私が最高と信じる「ノルマ」です。
千葉のF高





(46)モノローグ    2008.7.15

千葉のF高
ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」を分り易くすることを考えています。というのは、9月末にこの公演を観に出掛けるからです。夫婦で切符は手配ずみ。あの長い全曲を見るのも久しぶりですし、妻は初めてです。下記のプロットはその為の一部で、プロットを再構成したもの(まるで抜粋盤を作るみたいですね)。

序曲
     重い空気
     媚薬の薫り

第1幕
  ブランゲーネの問いに黙るイゾルデ

     え?トリスタン様を
  トリスタンに迫るイゾルデ
     これを飲んで頂くわ!
     まだ騙すつもり?半分は私のよ!
  毒杯をあおぐトリスタンとイゾルデ
     トリスタン!イゾルデ!
  コンウォール到着
     コンウォール万歳!下船の準備を!

第2幕
  密会を待つイゾルデ

     まだ聞こえて?
     これがあなた?
  トリスタンとイゾルデの密会
     でもあの「と」という言葉!
  夜明けの絶頂
     もうトリスタンじゃない!
     広大無辺をさまよえば!
  ブランゲーネの警告
     気を付けて!夢をむさぼるご両人!
  マルケ王の嘆き
     何故だ、トリスタン!

第3幕
  トリスタンと牧歌

     なつかしい歌だ
     毒は全身を駆け巡り
  トリスタン上昇
     イゾルデがやって来る!クルヴェナール何でも譲るぞ
     間に合わなかった。酷い人!
  イゾルデ愛の死
     宇宙の万有の中に

これでストーリーを追えるでしょうか。あとは音楽を鳴らしましょう。大いに楽しみにしています。





(47)モノローグ    2008.7.18

昨夜私は妻と一緒にNHKホールに出掛け、「青春フォークソング」の実況取りを聴いてきました。出演者は加川良、GARO(大野真澄)、上田正樹、五つの赤い風船、因幡晃、尾崎亜美、海援隊、小室等、杉田二郎、ダ・カーポ、Song for Memories、谷村俊司、石川セリ、BORO、ムッシュかまやつ、山崎ハコ、岡林信康、そして司会が南こうせつ、イルカでした。聞き始めてしばらくして、すっかり音楽を「鑑賞」している自分を発見しました。彼等の歌は鑑賞に耐えられるのですよ。彼等も年配ですし、お客の方は輪を掛けて年配でしたからどうなるかと思っていましたが、杞憂に終りました。本当に、彼等の歌は鑑賞できます。尾崎亜美とかSong for Memoriesのリード女性(元ハイファイセット)とかも勿論のことですし、加川良の歌にも共感を覚え、杉田二郎にもあっと言う間に巻き込まれてしまいました。これは私自身が彼等と余り年齢差が無く(?)、同じ時代に生きて来たから、各シーンに共感を持てたからでしょう。新宿がどうだったとか、各地のコンサートがどうだったとか、という話も同様です。おまけに自分達の古さ、歳を強調する話も面白かった。「フォークの神様」と称される岡林信康は例外的に一人で5曲も歌ったが、声は次第に強くなったし、彼なりのことはあったかな、という感じ。お蔭で終了が遅くなり、2時間半の予定が4時間半になりました。出演者達が舞台に集合する姿をチラと見て、すぐにバス乗り場に急ぎました。千葉駅に着いたのは12時を少し過ぎた頃でした。編集の上、8月10日にBS2で放映予定と聞きます。

上記のフォーク大会では、70年代のフォークとか80年代になってどう変化した、とかいう話も出ましたが、米国盤しか無い時代に、耳から歌詞を覚えた話にも同感。ピーター、ポール&マリーというスタイル以前にビーチ・ボーイズのスタイルとかあり、それ以前に既にコニー・フランシス等の完成した歌があり、さらにその前にポール・アンカやパット・ブーンの歌が、もっと古くエルビス・プレスリーの歌があったこと、それもまたもっと古いフランク・シナトラ等の歌があったこと等を思い出させられました。私が中学生になった時がポール・アンカの日本デビュー。過去50年間のポップスの歴史を一応承知していたのは幸でした。私自身、ラジオを聞きながらコメ・プリマとかボラーレとかをイタリア語で覚えました。当時私は13歳だったのですが、やはり記憶力は若い程有利ですね。今やさっぱり。
千葉のF高





(48)モノローグ    2008.7.20

夏の集まりを、我が家で8月初めに開くことになりました。去年も来てくれたH野夫妻、今回初めてのO田夫妻、そしてS木氏がOKの返事を呉れました。全員がまだ現役で働いていて、修業時代からの親しい友人たちです。この中では私一人が宇宙を対象とし、あとの人々は地球を対象としました。古い友人達に逢うのは、なつかしく、嬉しい。中でもO田様はかつてアンプキットを自作していましたし、大きなフロア型スピーカーを鳴らしていた(私のオーディオ歴の初期、40年近く前)ので、彼が我が家の装置をどう言うか興味深々です。





(49)モノローグ    2008.7.23

Opera News誌によると今年5月9日に、トルコのソプラノ、レイラ・ジェンサーが死去したことを知りました。レイラ・ジェンサーのように有名にも関わらず、5月からかなり時間を経て発表になったのは、トルコという地名のせいではないか、と思います。レイラ・ジェンサーは20代でスカラ座に抜擢されながら、またそのレパートリーがマリア・カラスそのものだったため、専ら「海賊版の女王」として有名であり、一般には知られませんでした。CD盤の時代になって簡単に海賊盤が作れるようになったので、今日ではレコード屋で探せばあると思います。私が最初に買ったのはドニゼッティの「アンナ・ボレーナ」でしたが、彼女の若さを考えると、例えそれが余り熱くなくても、皆も、もう少し暖かく彼女の歌に接すれば良かったのにな、と思う次第。評論家T氏は自分はジェンサーなんて嫌いだし、スカラ座での印象も彼女が金をばらまいて雇った拍手屋達が邪魔だった印象しか残らない、などと申しております。それほどでは無いと信じますけど。彼女のレパートリーは本当にカラスそのものでした。ノルマあり、ルチアあり、椿姫あり、アンナ・ボレーナあり、マクベス夫人ありでした。水準には達していましたが。いかなるレコード会社もジェンサーを起用しようとはしなかった、大変不幸な女性でした。やはりトルコだからでしょうか。日本人だってスカラ座に出た歌手を考えると、主役級では林康子しかいないし、林をほめ讃えながらもジェンサーを等閑視するのは、何か意地悪しているような気がします。とにかくカラスと同時期に、同じようなレパートリーを持って居たソプラノ、それがレイラ・ジェンサーでした。実際に聴いてみて下さい。それが一番です。ご冥福を祈ります。





(50)モノローグ    2008.7.24

指揮者のホルスト・シュタインが死去しました。今朝の新聞で知りました。この指揮者がワーグナーで有名になってから直ぐの頃(約30年前)、私はN響の生演奏を聴きにNHKホールまで出掛けたことがあります。当時XXX機構に来ていた学生のY君と一緒です。当日の出し物はカール・オルフの「カルミナ・ブラーナ」でしたが、当時は「カルミナ・ブラーナ」がどんな音楽なのか全く知らず、初めて聴く音楽でしたから、あまり期待しないまま臨んだのです。それが大当たり。実に迫力があり、驚かされました。実は僕はこういう音楽を余り知らなかったのだ、ということを思い知りました。カール・オルフの名前は知っていましたし、そのLP(「暴君エディプス王」)も持っていましたが、現代音楽だなあと思っていたのです。それが「カルミナ・ブラーナ」では何と魅力的な音楽になるんだろうと、感じ入った次第。手元にヨッフム指揮のものと、シャイー指揮のものの2種類のCDがありますが、前者の方が好き。シュタインはバイロイト音楽祭で有名になりましたが、その風貌と言い、なかなか良い指揮者でした。合掌。












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