(51)モノローグ    2008.8.3

昨日我が家にお出でになった浜○夫妻、岡○夫妻、鈴○氏との再会は愉快でした。あっという間に30年前以上の昔の言葉にもどり、様々な生き方の違いを忘れさせました。オーディオでは私がクーラーのスイッチを切り、静かな環境にセットしたのですが、あれはやり過ぎだったかも。最初に掛けたのはマリナー指揮ヴィヴァルディ「四季」の春の2番。これが当たりでした。深々とした低音と切れ味鋭い音に、鈴○氏から、これは例のモノとは違うな(例のモノというのはイムジチ合奏団のことです)、という批評。続いて鈴○氏の好きなフルート部分のあるバッハの管弦楽組曲3番からフルート独奏をかけたところ、首を振り振り聴いていました。そしてオルガンで、プレストンによるバッハのトッカータとフーガの第2楽章を掛けると今度は岡○氏が膝を近づけてきました。続けてエリザベート・シューマンによるシューベルト「楽に寄す」。70年前の音とは信じられないほどのまとまりの良さ、口の開け方等、アリアリと感じられるこのCDに脱帽の様子。続いて定番ポリーニ独奏によるショパン練習曲1番(10-1)。そしてモーツアルト「魔笛」からドイテコムの夜の女王。まさに星の煌めくような響きに、人間の出す声と信じられない、というのが彼等の意見。

ここまで私が提供したわけですが、そのあとは鈴○氏希望の、カラスのアリア集からポンキエルリ「ラ・ジョコンダ」より自殺の場を、底深く響くような低音で味わって貰い、岡○氏からは、ショパン練習曲集からエチュード1番(12-1)の注文を受けましたので、ポリーニのそれを掛けました。いずれも万全の音。そこで休憩に入り、私がご愛嬌にピアノ演奏をご披露。岡○夫人に、かつて私が「ピアノは100回弾けば覚えますよ、と言ってらした」と言われましたが、当人は忘却。アンプ等の調子は絶好調で、この日ばかりは神様が手を貸してくれたと信じたい!





(52)モノローグ    2008.8.4

先日、生で聴いたばかりの、NHK青春フォークソング大会の放映を、娘婿がDVDに録画してくれました。実況よりも少し御上品に、時間を気にしながら放映したという印象でした。どこをカットしたかは分っていますが、「アレ?」と思う場面も多々。この放送は実況録音されたモノなのですが、そこでこういう僅かな差異が、クラシック音楽の実況録音盤でも、時たま散見されるアレッ?というものだろうと思います。決して実況そのものではない。それを承知して、録音されたものを楽しみましょう。





(53)モノローグ    2008.8.5

私は子供の頃から物語、小説を読むのが好きでした。小学校の図書館にある本は、百科事典以外は全て読んだ、と言いたいくらいです。子供時代の読書は繰り返して読んだ回数がタダモノではないのが特徴です。

少年(女)小説と言えば古くは「一直線(尾崎紅緑、昭和5年)」や「心の王冠(菊池寛、昭和13年)」あるいは、吉屋信子さんのものを指しますが、それらは小学4年の骨折入院の際に貰った見舞の品にあったのを読んだ程度です。しかし実際、小学校4年生のころから夢中になったのはオールコット「若草物語」と、小学校6年生の頃からのモンゴメリ「赤毛のアン」。「若草物語」は私の子供時代のバイブルでしたし、「赤毛のアン」は少年期の終わりまで良く読んだ。詳しく言うと前者は第1話に、後者は第3話に興味があり、前者第1話からは南北戦争当時の米国コンコードの生活振りが読み取れ、後者第3話からは大学生時代のアンの生活ぶりが羨ましく思えました。ただ当時、どちらがと言われれば「若草物語」が第1で、「赤毛のアン」はやや引け目を感じつつの第2だったと言えそう。今でも私の本棚には両者が並んでいますが、その順位付けは、長年に渡って染み付いたもの、としか言いようがありません。

この両者は、殆ど暗唱できるほど繰り返し読んだので、翻訳者を含めて乾杯。後年NYブルーミングデールズの特価品売り場で英語版を求めた時、「ところで誰が読むの?」と微笑んだ年輩の女性店員の顔を今でも覚えています。「若草物語」で最も印象的だったのは、欧州からエイミーとローリが戻った時、ジョーが言う「私には寄りかかる人がいない!」というつぶやき。なんて悲しいんだろう、と1956年小学生時代に思った次第。ただ、このシリーズ作品は、あとの方になると衰えが感じられて面白くなくなります。むしろ前に書かれた「昔気質の一少女」等の方が印象的。「赤毛のアン」の方は、第3話のレトモンド大学時代に、友人のフィリパがアンの下宿に来て、「何があったの?」と詰め寄り、「それにこの床は恐ろしく堅いわ」と言う場面。これは印象的だ。実際「パティの家」のような家に住めたらな、と言うのが私の高校生時代の夢でした。「赤毛のアン」が面白いのは第3話までで、あとの「アンもの」は正直言って前述のように類型的過ぎて詰まらない(今となってはそう言い切れます)。そういう物語を読みながら、1963年から次第にトマス・マンや「源氏物語」の読者へとカーブを切って行ったのはご承知の通り。そして音楽でもオペラを好み、ワーグナーに溺れて行く方向に向かいました。
千葉のF高





(54)モノローグ    2008.8.6

もうひとつ夢の家がありました。私の幼年時代、1948-1952年に住んだ山口市の借家の、50メートル先に米軍将校の家がありました。そこに同年輩の子供がいて、決して仲良しとは言えないまでも、自然に近づきました。門をくぐると芝生があり、車庫があり、池があり、ボートが浮かび、台所を覗くとMJBのコーヒー缶が転がっているという雰囲気。いつも横縞模様のTシャツを着用。その頃からアメリカへの憧れを刷り込まれましたが(2005年に50年ぶりに山口市を訪問しましたが、あの将校の家は既に無くなっていました)、追い打ちを掛けたのが1958年ごろから見たTVの「アイ・ラブ・ルーシー」とか「パパは何でも知っている」いう番組。「アイ・ラブ・ルーシー」のNYのアパートの間取りや、「パパは何でも知っている」の間取りが染み付きました。テレビでは住宅番組に熱中。要するにお金が無いから、ああいう家を夢みて家の設計図を描き、それに血眼になったのです(当時の新聞の三面広告では、田園調布でも1坪=3.3m²あたり2,000円でした)。当時回路まで踏み込んだオーディオは遠い世界でしたが、もしオーディオを知っていたら、回路図に夢中になったに違いないと思います。いつも何かに夢中になるノダ。
千葉のF高





(55)モノローグ    2008.08.10

アグネス・ザッパーの「愛の一家」も重要。これこそ、自称で100回、他人の目でも30回は繰り返し読んだシロモノ。読んだのは1953年小学3年生の時から1956年まで。魅力的だったのは主人公フリーダー。印象が残ったのはフリーダーを遊び相手として呼んだ、あるヴァイオリン奏者の少年が演奏会の直前に「はしか」で熱を出してしまい、メンデルスゾーンの代わりに簡単な曲に変更しようか、という話。また作曲家では誰が好きですか?と問われたある人が、ワーグナーですと答える話。これには驚きました(子供心にも、ワーグナーをベートーベンやバッハより上にするなんて、と思ったのが真実)。さらに気に入っている箇所は、クリスマスの席に、ツエツエリエ夫人が「もうこれ以上子供達がドキドキするのを聞いていられませんわ」と部屋を開けて子供達を部屋の中に入れる話。この続編もあるそうですが、目を通していません。
千葉のF高





(56)モノローグ    2008.8.26

もう一つあります。ジェームス・バリのピーター・パンものです。ここで「ピーター・パンもの」と、持って回った表現をしたのは、同じピーター・パンと言っても、いわゆる「ピーター・パンとウエンディ」と、「ケンジントン公園のピーター・パン」の2種類が存在するため。さらにこれらの基になった同じ作者による「小さな白い鳥」があります。これを纏めてピーター・パンものと称することにしました。前2者は英語版と日本語版の両方とも我が家にあり、愛読しました。「小さな白い鳥」は英語版は見当たらなく、残念ながら翻訳版のみです。これらは私が高校生時代から大好きで、秘かに新潮文庫の本多顕彰版と石井桃子訳の岩波少年文庫版を買って、しまって置きました。晴れて大学生になり大手を振って読んだのですが、童話好きというヒトが周囲に余り居らず、残念な思いをしていました。結婚する直前、家内は童話が大好きだと言ったので、さっそく本屋に連れて入り、「ケンジントン公園のピーター・パン」の翻訳版をプレゼントした次第(今もどこかにあるらしい)。こちらのバージョンは余り多くのヒトは知っていません。ディズニー映画になったのが「ピーター・パンとウエンディ」だからだろうと思います。新潮文庫の方は薄いし、安いし、何より内容がすばらしく、本多顕彰の翻訳も格調高く、お勧めします。大人の童話です。

「小さな白い鳥」の存在は当初から承知していましたが、その鈴木重敏訳が世に出たのはずっとあとで、2003年3月にバロル社から出版されたので早速購入。その調子は本多顕彰よりも普段着風で読み易い。ただ、バロル社版の方はさすがにピーター・パンの源流だけあって、あらゆるモノがここに見つかります。そこにある一章分がそっくり「ケンジントン公園のピーター・パン」に当たります。と言うことはそれ以外の部分もあるということになります。一読あれ。

また同じ鈴木重敏監修の写真集が出ていて、バリの生活環境が分ります(新書館、1989年10月、鈴木重敏)。つまりバリは隣家の子供たちを溺愛したけれど、子供たちの方がさっさと卒業して行ったのですね。ここでマイケルとかピーターとか、なじみの名前が登場します。この特徴はバリ周辺でバックグラウンドをなす人々の顔が分るだけでなく、「ピーター・パン」劇のロンドン公演の熱狂ぶりを伝えていることです。我々はうっかりすると忘れていますが、ピーター・パンで流行ったのは劇なんですよ。特に「ピーター・パンとウエンディ」の方は。これらの英語版は、ニューヨーク出張の際に買いました。
千葉のF高





(57)モノローグ    2008.8.27

ケンジントン公園の響きは何ともヴィクトリア女王時代を思わせます。向かいにあるアルバート・ホールはアルバート公を記念するホールですが、「ケンジントン公園のピーター・パン」の中には、ヴィクトリア女王を比喩する話が多い。あの広い公園の中にある「瘤山」、と「丸池」。これらはこの作品を彷彿とさせます。そしてハイドパーク寄りにあるピーター・パンの銅像や、近くにある葦のしげる小島。そこにソロモン(フクロウ)等が居たという設定。全てが現実の地図と対応がつきます。私は1984年の欧州旅行の際に、これら両公園に初めて接しました。ずっと後に、ここのベンチに腰掛けてケンジントン宮殿で起きている悲劇(ダイアナさんの離婚騒ぎ)に思いを巡らし、出る時は迷ってケンジントン宮殿の救急口から外に出た覚えがあります。"Peter Pan in Kensington Gardens", Arthur Rackham, Weathervane Books, New Yorkにはこの物語に関わる全イラストが載っていますが、これを改めて現実の地図と対比させてみると、味わいが倍増します。マッブ女王(妖精の女王)の話もこの「ピーター・パン」に含まれます。
千葉のF高





(58)モノローグ    2008.8.28

私は小学校4年生の頃に子供会の行事として、「ピーター・パン」の上演を観るために、皆と一緒に三越劇場へ行ったことがあります。西部新宿線から高田馬場で都電に乗り換えての長時間かかるコースでしたが、この都電は今でも唯一残った都電として現役です。初めてみる生の公演ですから、すっかり魅せられました。子供会の世話人の方々、有り難うございました。実際、こういう生の公演を観る時は、ワクワクするような興奮をともないますね。それは後々、プレゼンテーションの仕方に大いに役立ちましたし。学生の間にこういう実演とか、生身のショし方の勉強、もっと平たく言えば話術、レトリック、弁論術といった分野の勉強が必要ではないか、というのが私の持論です。中身さえあれば、話し方なんてどうでも良い、という態度では上手く行かない。でもアインシュタインのように講義がまるでヘタ、というヒトが居たではないか、という反論があるでしょう。しかしアインシュタインは同時にヴァイオリン演奏会を開くほど、広い意味での弁論術の大家だったことを思い出しましょう。

偉そうなことを申しましたが、実は私自身、初めての講演では足が震え、声が震え、どうにもならない出来映え。始めの2年間の講演は思い出したくもない。あとで次第に慣れて行きました。ひたすら慣れること、これしかなかったと思います。舞台の上から、聴衆の顔が見えるようになったら勝ち。厳格さを犠牲にしても、講演は講演と割り切って流線型に済ませるためには、独特のレトリックを要します。

高校生時代に、劇団によるジョルジュ・サンド「愛の妖精」の上演を高等学校の講堂で観ることが出来ました。これは始めから演劇ではありませんが、演劇化したものを観ると別の味わいがありました。さらに高校生時代に、金春流の能「隅田川」の上演を能楽堂まで観に行きました。ある国語の先生がその道の達人だったからですが、不幸にして、その先生は当日に骨折の憂き目に。とにかくこういう生講演に接する機会をもっと作って欲しいな、と思います。学生時代の勉強は知識だけでなく、こういう方面に接するのも重要ではないでしょうか。今や小学校の行事から学芸会は全滅に近い状態ですが、スポーツばかりでなく、こういう学芸に親しむ機会も良いと思うので、復活を!





(59)モノローグ    2008.8.31

前述の「ピーター・パン」の補足。私はこれが好きでしたので、他にどんな作品を書いたのか、と言う点に興味を持ちました。大学の図書館で調べたところ、「あっぱれクライトン」というのがその図書館にあることが分りました。でもその上演に接したのは、結婚後暫く経ってから。ある日朝日新聞紙上で公演案内を見つけて、雨の日曜日、目白の住宅地とおぼしき中にある会場に出掛けました。まるで素人の劇団のように、会場の外で手書きの切符を売っていましたが、千葉から来た、と私が申しましたら、「千葉だってさ。○●さんの紹介かなあ」という反応。「あっぱれクライトン」は正式の上演でしたが、やっている本人達にとっては、余り収益は眼中になく、好きで好きで仕方が無いからサークルとしてやった、という所でしょうか。靴を脱ぎ、床に敷かれた座布団の上に座っての鑑賞。上演そのものは学芸会みたいな雰囲気でしたが、結構楽しめました(劇団「銅鑼」)。

中学校の同窓会から、M本さんがこんど○●を演じるから観て下さい、という案内が届きました。M本さんは学生のアイドルでしたが、直後に夕刊に劇評が出て、良い演技だった、と書いてありました。そしてこの公演は彼女の引退講演でもありました。私の演劇好きと、何を観たか等についてはこの「音楽のすすめ」第4章の第1話「源氏物語と音楽」の2ページ目にも書いてあります。
千葉のF高





(60)モノローグ    2008.8.31

今年の2月5日の当WEBを読み返すと、今年は「おわら風の盆唄」の実地鑑賞に行こう!と景気よく書かれていますが、その後で余計な会議を引き受けたので、それも9月3日だったので、「おわら」計画の方はオジャンになりました。来年以降にまた計画を立て直しましょう。延ばすのも楽しみのうち。色々なことがあった夏が幕を閉じ、秋の開幕となりました。
千葉のF高












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