(61)モノローグ    2008.9.22

ここでは、久しぶりに私自身の耳で聴いた音を確かめつつ、実況を中心にして印象記をまとめました。このシーズンは珍しくオペラ関係を3種類も聴きました。

雨の日曜日。ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」を観ることで私の秋のシーズンは始まりました。昨日は飯守泰次郎指揮、緑川まりのイゾルデ、成田勝実のトリスタンを聴(観)きました。私の知る限り、日本人キャストがここまで食い込んで「トリスタンとイゾルデ」を上演するのを観たのは初めてです。場所は江東区公営の「ティアラ江東」大ホール。「マイスタージンガー」の時は、墨田区の「墨田トリフォニー・ホール」でしたが、今回のは江東区です。しかしこれら両ホールは実は地図上で見ると至近距離なのですね。しかも指揮者が同じ飯守泰次郎でした。「マイスタージンガー」の時は第3幕のみの上演でしたが。今回の「トリスタンとイゾルデ」は全幕上演です。

妻と一緒に胸トキめかせてホールに急ぎました。いわく「トリスタンとイゾルデ」は滅多にやらない曲だし、しかも緑川まりが歌う、実質的に最後の機会かもしれないよ、と言って。妻はこの曲の生演奏を聴(観)いたことがないので、ことさらに勧めたわけ。実は僕自身は緑川まりの3種類のブリュンヒルデ(ワーグナー「ワルキューレ」、同「ジークフリート」、同「神々のたそがれ」)を聴(観)いているのですが、これでイゾルデを聴くと、一応この方向の曲は全て聴くことになります。あとはRシュトラウス『エレクトラ』くらいしか残っていない。「エレクトラ」は声が壊れても構わないというソプラノか、壊れかけた喉の持ち主が歌う役。プッチーニ「トウーランドット」もありますが、トウーランドット役の方はイゾルデ並みの喉の負担が掛かる一方、これは美しさの絶頂期の声を響かせなければなりません。正直言って、私は緑川まりのトウーランドット役に疑いを持って居ました。今年のNHK年始コンサートで彼女はこの役を歌いましたが、少なくとも私の耳には失敗したように聴こえました。緑川まりも、もう早くも限界かな、と思った瞬間。

その緑川まりの歌うイゾルデ役の印象。声を休み休み歌う所だったら、美しい響きもありました。ただ、第2幕が一番弱かった箇所(ここで緑川まりの声の弱点が全部見えました)。それが第3幕になると、長い休息時間の後ですから、ことさらに緑川まりの美声が際立ちました。これがある限り、彼女はまだまだ安泰だな、と信じました。このあとは明日以降に書くことにします。今晩は眠い。
千葉のF高





(62)モノローグ    2008.9.23

昨夜の続き。イゾルデ。難しい役です。世界中探してもイゾルデを満足に歌えるソプラノは何人いるでしょうか。少し前までワルトラウテ・マイヤーの名前が宣伝されていましたが、今はメットの体格の良い人びと(ヴォイトやイーグレン等)位しか頭に浮かびません。この公演で最初に注意すべきは第一幕にある高いBの音(Rache!:復讐!)を緑川まりが万全に出せるかどうか、次に第2幕にある2つの高いC音(Seele:魂の、Himmelhochesten:至高の)を出せるかどうか、でしたが彼女はこれを朗々と響かせないで、というよりポツンと切る方法で乗り切りました。アレを響かせ続けられたのはビルギット・ニルソンぐらいなもの。音自体は確かに出ていましたし、出ないよりずっとマシ。NHK年始コンサート「トウーランドット」のアリアの時に心配させたのは、全く出ていなかったからです。このイゾルデで聴かせたのは、時折含まれる、ホッとする美しい響き。

成田勝実のトリスタンは立派なものでした。日本人もここまで来たか、という印象。それに両人共通に言えることですが、演出家の指示によっている箇所は素晴らしいが、それに自発的なものを感じ取れれば最上のものになります。両人が手を携えて舞台にすっくと立つ場面は素晴らしかった。クルヴェナール役、ブランゲーネ役、マルケ王役もそれぞれに素晴らしい。家内はクルヴェナール役を推奨していましたが、私の耳にはブランゲーネ役が良かったと思います。あのブランゲーネがイゾルデと声で競う場面は立派。あの役は第一幕中で、イゾルデと同じ高い音を競うのですよ。ところで第3幕末でクルヴェナール役とブランゲーネ役は死ぬのでしょうか?舞台では見えなかった。
千葉のF高





(63)モノローグ    2008.9.23

そして全体に言えることですが、この「トリスタンとイゾルデ」を上演するにあたっては、無いものねだりかも知れませんが、第2幕の畳み込むような、音の暴力とも言えるような、もの凄い響き、これはついに聴き取ることができませんでした。指揮者のせいか、演出家の技量不足のせいか、は分りません。それでも第一幕の幕切れで、トランペット奏者達を舞台に並べ、船のコンウオール到着を知らせる場面など、素晴らしい場面があったのも事実です。おろおろする二人の演技と背後に流れる音楽に思わず涙腺が緩んでしまいました。これは良かった。でも他の場面では狂うような情熱が欲しかった。狂熱と言った方が良いかも知れません。それくらいこの曲は魅力的です

舞台をどう処理するのか興味がありましたが、オーケストラは基本的に舞台の前の方を占め、その更に奥に、小さい舞台が用意してありました。良い演出だったと思います。背景に幻灯を投影していましたが、あれは論議の余地あり。余り関係ないような場面が色々と映し出されたからです。むしろ始めに私が予想した通り、青い光が突然に赤い光に変る、という第2幕での演出の一部が、望ましいと思います。

いずれにせよ、この曲の上演に接する事ができたのは嬉しい。午後1時15分開場で2時上演開始、閉幕が夜7時頃。千葉県の海岸に近い自宅に戻ったのは夜の10時近くになりました。それだけの値打ちがあります。この公演の印象記をワーグナー協会のパンフレットに投稿しました。今さら何で、とも思えますがワーグナー協会に投稿するのは日本人によるイゾルデ役を聴いた時に、と考え続けてきたからです(第1回目の総会は逃しましたが、第2回目の時「さまよえるオランダ人」の上映会をやった時は参加しました。大昔の話)。今回の「トリスタンとイゾルデ」の公演の時で思ったのは、観客の構成が少し変って来たな、という所でしょうか。以前行ったワーグナー「ニーベルングの指輪」の時より、かなり女性客の割合が増えたこと。
千葉のF高





(64)モノローグ    2008.10.4

明日観るのはキエフ国立歌劇場の引っ越し公演によるプッチーニ「トウーランドット」の上演です。千葉県文化会館に出掛けるのは妻と二人ですが、東京のオーチャード・ホールや神奈川県民ホールの公演の前に千葉でやる公演です。おまけにこの公演は、3時開始ですから、終了時間は恐らく7時位でしょう。このようなスケジュールは海外では、トンでもないことでしょうが、ここ日本ではマチネーの方が親切です。ウクライナのオペラって、ロシア語圏内では3番目に大きいそうですが、あとは良く知りません。ここはお手並み拝見というところ。「トウーランドット」ってまるでイタリア語の練習台みたいです。"In questaReggia, or son mill'anni e mille"で開始される姫の歌も、ゆっくりと噛み締めるような響き。ウクライナのソプラノのお手並みを拝見しましょう。未完の大作ですが、アルファーノの補筆部分もそれなりに面白いと思います。あれを聴くと「トウーランドット」を聴いたな、と毎回思うのです。「トウーランドット」らしい結末ですし。唯一懸念するのは、ユーリ・シモノフ指揮によるモスクワ・フィルハーモニー交響楽団の伴奏。ロシア派の常として、派手さが出るのではないだろうかと思います。
千葉のF高





(65)モノローグ    2008.10.5

トウーランドットのタイトル・ロールを歌ったのはソプラノのオレナ・スクヴォルツオヴァ、カラフ役のヴァレーリイ、・ペンデロウ、カラフの父ティムール役はボフダン・タラス、女奴隷リュー役はアッラ・ロジーナ、中国皇帝アルツム役はステバン・フィツイチ、指揮者はヴォロシミール・コジュハルで、ウクライナ国立歌劇場管弦楽団と合唱団とバレエ。

まず耳を捉えたのはオーケストラの分厚い響き。其の分、声楽ソリストの声に不十分なモノがあったのも否めない。まずカラフ。声が少し散らばって聴こえるので、大丈夫だろうかと思いましたが、次第に回復。「きっとあとに備えているのよ」とは妻の弁。3人の大臣ping、pong,、pang役は意外にも良かっと思います。リュー役はありふれたソプラノ・リリコでしたし、まあ良いか、という所。肝心のタイトル・ロール、トウーランドット役ですが、この人は特に声の焦点がシャープに決まらない、既に絶頂期を過ぎていると感じさせた点はマイナスですね。カラフの歌う「誰も寝てはならぬ」の箇所で唯一、拍手が起きました。リューのアリアに対しては全く生ぜず、おやおやと思った次第。
千葉のF高





(66)モノローグ    2008.10.6

一昨夜の公演を思い出すと、オーケストラの音造りがよくスラブ系に見られる重厚(低音域に重心があって、ことさらに重大な音だぞ、と強調する音)なものです。ケレン味があると言えばあるし、それもあっさりと処理していると言えば、そうだし、という感じ。とにかく大きな音は徹底的に大きく、劇場空間を壊しそうな大きさでした。それに合わせて演出もまた上手く処理していました。本格的なオペラ・ハウスならもっと幻想的な雰囲気を出す事も可能だったでしょうが、千葉県文化会館というホールではこれが限界だろうし、全体として私は満足しました。今日の「トウーランドット」の観客は年輩の女性が多く、それに付き合う形で男性の姿もちらほら、というところ。
千葉のF高





(67)モノローグ    2008.11.11

明日聴くのは、韓国生まれのコロラトウーラ・ソプラノのスミ・ジョー。サントリー・ホール。声楽分野における韓国人のシェアは極めて高い。それにスミ・ジョーの歌の素晴らしさは十分に承知しているところ。僅か半年前の日本公演は放送でのみ聴きましたが、素晴らしいものでした。二人で出掛けましたが、今度はマチネーではありません。終了後、電車で千葉に戻ることは諦めました。従って、東京泊まり。出し物はコロラトウーラの大展示会。ドニゼッティ「ランメルムーアのルチア」、ベルリーニ「夢遊病の女」、ベルリーニ「清教徒」、そしてトーマ「ハムレット」の各狂乱の場。こういう企画をようやくやって呉れた、という感じです。それもスミ・ジョーが居たからこそ、です。残念ですが日本人ソプラノにこれらを期待しても無理かな、と思います。妙な事大主義に陥らずに、この韓国人ソプラノの声を楽しみたい!
千葉のF高





(68)モノローグ    2008.11.12

千葉のF高
ベルリーニ「清教徒」のアリア「君の御声」で始まりました。あの『人類が作った最も美しい旋律』を弱々しい声で表現する彼女の声は、半分ハラハラしながらも、あと半分は最後に勝利することを確信しながら聴きました。ここで彼女はまとめの部分で、一遍に最高音(Eフラット)を出さず、いったん中二階に上げてから、そこからまた最高音に持ち上げる、ということをやりました。やはり無理かな、と思ったら中二階方式だったので、ほっとしました(この最高音は原典には無く、慣習的に歌われるだけです)。続けて歌われたドニゼッティ「ランメルムーアのルチア」の「狂乱の場」は、そういうexcuse(言い訳)無しに、申し分なく、彼女の圧勝でした。これは全く文句の付け様のない、素晴らしいもの。最高音をクリアしたとき、客席から歓声が沸き上がり、特に隣席のご婦人方から「ホワーッ」という歓声が聴こえたのも当然でした。これで彼女はこの晩を征服したと思いました。

当日発売されたCDを1階(我々の席は2階の最後部で、中央ど真ん中というところで、良く聴き取れました)で売っているというアナウンスがあったので、さっそくそれを求めた次第。ユーリ・シモノフ指揮によるモスクワ・フィルハーモニー交響楽団の伴奏は、予想どおり、やや乱暴だったと思います。4つの曲それぞれの全体を抜粋するのですが、金管は徹底的に金管っぽく、太鼓もうるさく響き、運動会の伴奏をするような調子でした。ここでは我慢するしかありません。

後半が始まり、最初はベルリーニ「夢遊病の女」の最後の部分。実はそれ以前の部分も歌いましたから、かなり長いもの。その前のカバティーナにおけるレガートで歌われる旋律も、抗しようのない素晴らしさをたたえていましたが、最後のカバレッタ「おおこの喜び」におけるコロラトウーラの洪水が圧巻でした(通常アリアは叙情的なカバティーナと、華やかなカバレッタで構成される)。ただし、オヤっと思ったのはその版が色々あって、彼女がここで用いたのは私のなじみのない版だったこと。最後のトドメの超高音が出て来る直前の1小節位が見当たりません。こればかりはどう言う版を用いたかを尋ねなければ、私には分りません。スミ・ジョーは音楽に乗って来ると、どうにも我慢できない様子で、体を左右に大きくよじります。これは彼女が音楽に没入している時の証し。後ろに合唱団が控えていたので、フィナーレに合唱を加える版を期待しましたが、これもありませんでした。指揮者はあまりスミ・ジョーをサポートしようと言う意識が弱く、最後までオーケストラを派手に鳴らしていました。それでこの「夢遊病の女」の幕切れ部分ではオーケストラと必死で戦うスミ・ジョーの姿がありました。オーケストラの息が切れた後もスミ・ジョーの声が残っていたのでホッとしました。

そしてプログラム最後の曲はトーマ「ハムレット」の「オフィリア狂乱の場」。これをフランス語でやりました。なかなかのものです。同じ狂乱の場としては他よりなじみが薄いけれど、この歌も良く知られたもの。スミ・ジョーは一生懸命気分を乗せようと体をよじっていました。実際ここで聴かれた最後のブラヴーラ唱法(母音のみで歌う唱法)の箇所は素晴らしいものでした。彼女のサントリー・ホール公演は成功だったと確信。

平たく言うとスミ・ジョーはコロラトウーラ・ソプラノであり、その範囲で評価すると、間違いなく合格です。世界中を探してもこれだけコロラトウーラを見事に歌えるソプラノを私は知りません。ただ、最近声の端に少し現れている低い声、あれをもっと聴かせてくれるともっと魅力が増します。でもそういう種類の声の発現は、コロラトウーラ歌手としての限界がそろそろ現れた印でもありますから、彼女の為には今のままが幸せでしょう。これで本当のドラマティックなソプラノ・ドラマティコ・ダジリタの歌も歌えというのはコクです。低音が出るなら、とドニゼッティ「アンナ・ボレーナ」や、ヴェルディ「マクベス」、ベルリーニ「ノルマ」を想像したいのは、ここでは我慢しましょう。昔初めて聴いたエディタ・グルベローヴァの歌を思い出します。グルベローヴァはもう少し大きな声を持っていたのですが、スミ・ジョーはやや声が細いのです。





(69)モノローグ    2008.11.14

スミ・ジョーのあったサントリー・ホール入り口の広告を眺める筆者
スミ・ジョーのあったサントリー・ホール入り口の広告を眺める筆者

アンコールは3曲歌われましたが、その本当の最後にJ.シュトラウス「こうもり」のロザリンデの歌が歌われましたが、なかなかスマートな方法だと思います。この方向で行くのでしょうか?スミ・ジョーは現在47歳位です。

スミ・ジョーのような生粋のコロラトウーラ・ソプラノを他に探すと、人が居ないのです。高音の良く出るソプラノなら色々いますが、それらは生粋のコロラトウーラではない。最近メットで歌いまくっているフランス人(ナタリー・デッセー)のあの喉をもってしても、なお残る不満を満足させてくれるという意味で、スミ・ジョーが最高ではないでしょうか。昔のリリー・ポンスまで遡らなくてはならないかも。スミ・ジョーのあの声の弱さ(力の弱さ)はカバーしないで、むしろそれを巧みにコントロールした方が良いのでは、と思います。声を大きく無理すると他の箇所がスカスカになってしまい、口先だけの歌になってしまいます。それを恐れます。カラスじゃないのです。この分野で活躍したマリア・カラスは、ソプラノ・ドラマティコ・ダジリダです。ある意味では異常な声の持ち主です。今まで何人のソプラノ達がカラスをまねようとして消えて行ったか、を考えましょう。それに、本当にソプラノ・ドラマティコ・ダジリタを楽しもうとするなら、スミ・ジョー以外の人を探した方がベターではないでしょうか。通常のソプラノ・ドラマティコ・ダジリタの出す最高音Dと、コロラトウーラ歌手にしか出せない最高音E、このDとEという2つの音は、峻厳たる境界で接しています。

色々な歌手と音域の分布図(自作)
色々な歌手と音域の分布図(自作)。

[注意]
上記の図を注意深く見ると大変興味深いと思います。最初から100%満足できる「椿姫」や「ノルマ」は望む方が無理。そのような満足な歌とは「椿姫」だったら、あのカバティーナ「ああそはかの人か」からカバレッタに移行したあと、ますます力を込めて、ドラマティック・ソプラノの声で「花より花へ」(カバレッタ)を歌って欲しいし、「ノルマ」だったらある場は綿々たる震えるような声で歌っても、別の場面ではガラっと変わってドラマティック・ソプラノの声で威嚇して欲しい。これが本音だろうと思います。努力中の歌手には良くお目にかかりますが(レナータ・スコット等)、スコットの声は決してそんな大きくなく、マイクロフォンの魔術で息使いの妙や、びりびりするほどの音色の変化をつけることができただけです。夢を実現できたのは、マリア・カラスしかおりません!スミ・ジョーは力が弱いけれど美しい音色を持っていますから、カラスの真似はしない方が良いと思います。

そもそもコロラトウーラとは技法を指すもので、厳格にはソプラノ・レジェロと言わなければなりません。レジェロとは『軽い』という意味ですから、そもそも無理なんです。そしてEより上は一般にレジェロでないと出ないと思っています。また私があちこちで最高音を褒めたたえているのは、長い旋律がいよいよ終わる時(歌舞伎役者だった大見得を切る)、ソプラノ歌手がそこで最高音をエイヤっと出すのを聴くと、実に気持が良いからです。カタルシスです!強い声でも、弱い声でもこの開放感が素晴らしい。左の歌謡曲の歌手たちの音域は詰めて記載してありますが、そこで音域は左に向かって線形に書いてないのですが、書いてみると興味深い。また実際には各歌手は単色のモノトーンではなく、幅広いスペクトルのある声を出している点に注意しなければなりません。
[注意終わり]


「夢遊病の女」の最後のカバレッタをスミ・ジョーは歌いましたが、この難しい所を、かのジョーン・サザーランドはかつて公演の際に省いてしまい、カバティーナの部分のみを歌って、聴衆(私)をがっかりさせました。前出のように、ベルカント唱法による歌だけを集めたコンサートを渇望して来たのですが、このスミ・ジョーのコンサートによって、欲求不満がかなり解消しました。企画の勝利です。ただし客席は満席ではなく、約9割の入り。TV中継がいつかあるらしく、今日はTVカメラが入っているというポスターが貼ってありました。
千葉のF高





(70)モノローグ    2008.11.15

美しい秋なのだから、美しく過ごさなくてはもったいない、と考えて過ごしております。このままアレをやろう、コレをやろうと考えている内に、どんどん寒くなってしまう。これが例年の常です。まずは倉庫の整理。毎年の悩みの種です。3種類のオペラ関係を聴いた結論は、やはり実演ほど色々な経験が得られる場は無い、というところ。

さあ今度は冬のシーズンの到来です。この冬はマルタ・アルゲリッチとその仲間達による室内楽の切符、上野の文化会館でのポンキエルリのオペラ「ラ・ジョコンダ」の切符、国立劇場でのワーグナー「ラインの黄金」の切符を揃えました。楽しみです。
千葉のF高












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