(71)モノローグ    2008.12.15

明日はアルゲリッチの姿を久しぶりに見聴きすることになりました。これは「見たい」のが主たる動機という、不純なきっかけがあったにせよ、とにかく聴けるのはめでたい。11月末のある朝、ふと手にした朝日新聞の漫画欄の下方にあった幅2cm程度の小さな広告。「アルゲリッチが突然東京で公演します、だって!」と叫ぶ私に妻は行く事に即賛成してくれました。その日は東京での娘の展覧会に行くことになっていたので、帰路、会場のすみだトリフォニー・ホールに寄る事にしました。窓口で尋ねてみると、切符はどこでも任意に買えるのでなく、インターネット用、会場用、東京用等に分配してあるため、会場のチケット・ビューローでも、割当以上は入手できないとのこと。おまけに今日は会員だけの売り出し日だという説明。一般の人々はその次の日から、と言うので一旦帰ることにしました。翌朝妻がトリフォニー・ホールに電話を掛けて無事にチケット二枚を入手。

演奏曲目はシューマンとベートーベンとショスタコーヴィッチの室内楽。どうして室内楽の演奏会に行くのかと言えば、彼女は普段は、そういう団体戦しかやって呉れないからです。彼女は明快に答えたことは無いのですが、おそらく自信喪失のためだろうと噂されています。アルゲリッチともあろう者がどうして怖がるんだろう、とも思うのですが。これは恐らく、舞台のピリピリした雰囲気のためだろうと、その心情をある程度は理解できます。舞台に立つのは、本当にもの凄い神経戦です。私も自分の講演のことを考えると思い当たるのですが、恐ろしい緊張です。とにかく一秒でも予定していないことが起きて欲しくない、時間ギリギリで終わるように設計してあるのだから、全部が終わるまではつつがなくやらせて欲しく、質疑等はその後に願いたい、と思います。中身が濃いほど、準備万端整っている自信がある時こそ、せっかく用意したものを全て、まずは聴いて欲しい,と思う。それでも私の講演なぞは間違っても「ああ、またか」で済みますが、アルゲリッチ級の演奏家は間違いが許されないだろうから、あるいは間違いたくないから、間違えたらそれはキャリアの終わりを意味するから、超・万全整えて置かなければ、と考えるでしょう。それもムベなるかな、と思えるのです。

かつてテノールのマリオ・デル・モナコが、初日にはいつも神経症になって、頭を抱えていると言われていたのを思い出します。「これでもうデル・モナコもおしまいだ、と世界中に電報が打たれるんだ」という最悪の事態を予想する彼の弱気癖はどうにも直しようが無かったようです。そういう神経戦に耐えられない繊細な気質だと、ついには引退してしまうか、あるいはアルゲリッチみたいに団体戦にしか出ない、ということになるのでしょう。日本でもかつてそのようなヴァイオリニスト(巌本真理など)がいましたね。私などでさえ講演終了時には、もうくたびれ果てた、もう嫌だという感じを持ってしまう。それにあらゆる講演では、必ずどこかに不如意な箇所が見つかり、あそこをしくじった、ここを間違えた、等々の欠点を次々と思い出してしまう。その意味で、私は一度も完璧な講演をやった覚えがありません。だからパーティに出て後の雰囲気を楽しむ、なんて気分からほど遠いのです。お分かりでしょう?
千葉のF高





(72)モノローグ    2008.12.16

アリゲリッチの公演にはいつも不安がつきまといます。いつ「もう止めた」と言い出さないか、なにか不如意なことがありはしないか、等々。でもまったく余計な心配でした。昔と変わった点は、以前は、黒または赤のロングドレスしか着なかったのに、今日は上半身に黒の編み物(のように見えた)、下半身には100円ショップで買ってきた(そう見えた)ようなロングスカート姿でした。また靴がペッタンコであり、それでノッシノッシと舞台を歩く姿は、知らない人が見たら、ただの「おばはん」でした。

プログラムの変更があり、ベートーベンとシューマンが入れ替わりました。またベートーベンは変ホ長調の弦楽四重奏曲からハ長調の弦楽四重奏曲に変更。まずシューマンのヴァイオリン・ソナタ2番で始まり、そのあと上記ベートーベンになった次第。3曲目のシューマンは幻想小品集から。最後はショスタコーヴィチのピアノ3重奏曲第2番。ベートーベンを早めに登場させたのには私も賛成です。またそこに、アルゲリッチの愛娘リダ・チェンがヴィオラで登場。あとはヴァイオリンがルノー・カプソン、チェロがゴーティエ・カプソンでした。彼らは兄弟でしょうか。こういう構成からは彼女の現在の心境が伺えます。もはや有名ソリスト達を並べようとはしない。

シューマンの幻想小品集は楽しい雰囲気を持っており、心底楽しみました。ショスタコーヴィチは次第に気分が乗り、ものすごいフォルテで、オクターブで弾く部分ではゾクゾクしました。あそこをアルゲリッチは思い切りスタッカートで弾いたのですが、かなり遠い席からでも(我々の席は3階正面左側)スタッカートがちゃんと見えたのですから、至近距離では凄い演奏が実感できただろうと思います。

アルゲリッチの描く線が少し太くなったかな、という点を感じました。決して鈍感になった、と言う意味ではありません。もっと若い時点で録音されたのと比較すると、次々と変貌する曲想を巧みにリードし、冒険心に満ちた音楽を創っていた時代とは少し違い、今や太書きをするようになったのでは無いでしょうか。この「太書き」は私の信奉するやり方ですから印象が悪いはずがありません。実はその直前に、昔のホロヴィッツの弾くチャイコフスキーの協奏曲(1940年実況)を自動車の中で聴いたばかりでしたが、そこでは、次の曲想、次の音をどう料理するかで緊張し、演奏が終わるとホ〜と息をついたものです。そういう曲想の変化を、息を詰めて楽しむのも一つの方向ではありますが、もっと別のタイプの泰然自若の音楽も良いな、という事を実感させてくれたのが今回のアルゲリッチでした。

これらの音楽の後、アルゲリッチは自分が何が何でも先頭を歩くのでなく、さりげなく皆と一緒に舞台袖に消えましたが、再度出てくる時も同様でした。ホロヴィッツがコンサートで見せたような「早くお帰り」、というポーズもココにはありません。アルゲリッチにとって、そういうネズミ競争(ネズミ競争まがい)はどうでも良いものと見えました。ただそう書くと、老けた老大家の姿が目に浮かぶかも知れないので、もう一つ追加しましょう。

それは彼女が楽譜めくりの若い人に対して火を噴いた瞬間です。楽譜めくりは、ピアノ進行に合わせて、楽譜をめくっていかなければなりません。初めこれで良いか、と尋ねるような態度で、恐る恐るアルゲリッチの目を確かめたところ、ああ良いわよ、と大きく頷いて答えて呉れました。しかしシューマンのソナタでは曲の進行について行けず、楽譜めくりの人は間違えてしまう。結局それは正しく直したのですが、そのような修正にも、アルゲリッチは「良いわよ、良いわよ」と頷いて、音楽は進行して行きました。それが次第に打ち合わせしていなかったのか、ある箇所でアルゲリッチが自ら手を延ばしてページをめくりました。ありゃりゃ、というところ。場所が場所で丁度切れ目でしたから、そうするのが尤もなのかな、と私自身も思いました。ところが次に同様の箇所が来たときに、アルゲリッチはピシャッと音が聞こえる程の勢いで、ページをめくりました。恐ろしい瞬間。

そういう類いのコトはあと数回起きましたが、もはやアルゲリッチはページめくりの者に怒る事も無く、と言うより目もくれず、無視したまま、曲を進めました。若いページめくりは恐らくは学生でしょうが、しおらしく座っていましたが、どういう気持ちだったでしょうか。アルゲリッチが全部を終了して楽屋裏に引っ込んだあと、アンコールを求める者達の拍手が続いても、アルゲリッチは出で来ようとしなかったのです。それは実に長い時間。余りに長い時間でした。このまま音楽会も終了か、とも思えたほど。ようやくアルゲリッチの姿が現れた時は心底ほっとしました。
千葉のF高





(73)モノローグ    2008.12.17

昨日のこの欄に書いたように、ページめくりというのも、実は大切な仕事です。そういう間違いのために、音楽がメチャメチャになってしまうこともあり得ます。アルゲリッチは通常は、明るく陽気な性格です。その代わり自らの信念に対してはメチャメチャに忠実です。昔ショパン・コンクールで実際にあった事件、「イーヴォ・ポゴレリチはテクニックだけ」と退けようとする人達に腹を立てたアルゲリッチはポゴレリチを擁護する言葉「ピアノにはテクニックも大切よ!」を残し、ショパン・コンクール審査員席を奮然と蹴ってしまい、2度と戻ることはありませんでした。そういう激しいエピソードを知っているから、このページめくりで起きた事件に注目したのです。でも、それも単なる私の想像であって欲しいと思います。

実は私も大学のT先生の御指名で、ピアノのページめくりを勤めたことがあります。私自身は人前で弾いたことはありません。ある結婚式で弾くように依頼されましたが、そういう場ではトンでもないこと、として断りました。代わりに木d君がショパン「黒鍵のエチュード」を弾きましたが、挙式前から派手に練習していたのに関わらず、本番では余り上手くは行きませんでした。もう一つ、私の学んだ大学では12月のクリスマスの頃に「ニュートン祭」というパーティがあって、それが済むと翌日から冬休みになる、というので楽しみにしていました。祭りには「地軸傾く冬の夜に、興ぜずや君」で始まる歌がついていました。このニュートン祭で、F田君はショパン「木枯らしのエチュード」を巧く弾いたので、見かけと違って強心臓を持つ人をうらやましく思った次第。要は自信があるかどうかなのですね。

客層は全体に女性が多かったようです。それも30歳前後を中心とし、20代少し、50代少しという感じの年齢構成。また当世流というか、髪を長く伸ばしたものが多い。せめて髪型くらいはアルゲリッチ並みに、というところでしょうか。その肝心のアルゲリッチ当人ですが、白髪はあまり気にしていない様子。中国バレエ「白毛女」の主役みたいな房々した白髪を見せていました。色々なことが起きましたが、我々はこの音楽会を楽しみました。ただ、すみだトリフォニー・ホールのピアノの響きはチョッと疑問。あまり響かない。自宅に戻ったのは夜11時半。
千葉のF高





(74)モノローグ    2008.12.23

2008年12月22日に、20日にロシアのかつての名バレリーナ、オリガ・レペシンスカヤが死亡したという記事を新聞上で発見しました。小さな記事でしたが、レペシンスカヤという名前には特別、思い出があります。高校生のころ、まだボリショイ劇場でウラノワが現役だったころに、その跡を継ぐものとして、レペシンスカヤが紹介してありました。レペシンスカヤの亡くなったのは享年92歳だったから、大昔に初めてその名前を聞いた時、すでに彼女は40歳代半ばだった訳です。その当時私は自分の若さ(まだ10代)におごり、マリーナ・セミョーノワなんて随分昔の人だし、アレクサンドラ・ダニロワはもう60歳だ、もう骨董品だな、と思っていました。それが今や、自分自身が若い人の目から見れば、骨董品の部類に分類されているのを自覚しなければなりません。しかし皆、自分だけは年をとらないのですよ。そして自分を中心に考えますから、自分になじみの人は昔のイメージを保っている(つまり敬意を払う、あるいは愛着を持っている)が、もっと若い世代の人に接するときは、冷静かつ分析的な目でじっくりと眺めてしまいます。自分が余り観たり聴いたりしない音楽や舞踏を久しぶりに聴く時、その衰えにガクゼンとすることが多いのは、当然だと思います。実際衰えているのですよ!

声楽の世界で言えば、先日聴いたアンナ・トモワ=シントワ(S)に少し衰えが出で来たんじゃないか、と感じました。実際それは本当に衰えた声だった、と言うのが事実。またフィオレンツア・コソット(Ms)の声に、救いがたいような衰えを感じましたが、それも本当にそうだと思います。だいたいクリスマスイブの晩(本当に!)に、日本まで来てコンサートを開くという根性には、稼ぎに来たのかとも思います。演歌の歌手にはそれこそツクダニに出来るほど多くの例があります。あんなに音程が怪しくなって、よく舞台に立とうと言う気になれたもんだ、という点にのみ敬意を感じますが。その点バレエでは誰の目にも明らかなため、おのずと節制がかかります。いつの間にか、オデット役やジゼル役から遠いところに立っているのですよ。森下洋子も私の中では永遠に若いままですが、実際はもう丸めて60歳だということに注意しなければなりません。幸い、彼女はそれを意識していると思います。レペシンスカヤに黙祷。
千葉のF高





(75)モノローグ    2008.12.24

クリスマス・イブの晩には、私が料理を担当し、ボローニャ風茄子の煮物を作りました。一昨年に開始した料理熱は衰えることなく続いていて、最近はスペインのパエリャ、ロシアのボルシチ、ドイツのジャガイモ料理等々が続いています。ボルシチのためにビーツ(砂糖大根)を近所であちこち探したのですが、どこにも売っておらず、錦糸町のクーインズ伊勢丹でようやく買いました。今探しているのはオイスター・ソースもどき。「もどき」と言うのは、牡蠣を用いてない牡蛎風味(シイタケを発酵させたものらしい)ソースだからで、牡蠣が妻の健康と合わないため。インターネットでは幾つか見つけましたが、まだ注文以前。私の料理はほとんど全て本邦初演であり、それを少し手直ししたものを二度目に作ります。御陰で、既に300種類近くの品を作りました。怖いもの知らずですが、怖い物知らずというのは恐ろしいことであり、挑戦的でもあります。自分で気に入ったものが出来る確率は最近のもので6割程度。クリスマス料理は家内におまかせですが、その代わり、おせち料理のうち何品か自分で作ってみようと思います。最近は和風料理が増えたことも事実です。ただエビは扱えますが、魚の処理はまだ苦手です。味に対する好みもありますし(「音楽のすすめ」第3章を参照)

自分でやってみて体得したことは、料理とは創作活動であり、それを作る作業は(少なくとも自分では)芸術家になった気分を楽しめること。毎日作る主婦の料理とは少し違うかも知れません。気に入ったものが出来るかも知れないし、あるいは出来ないかも知れない。本当の主婦だったら、そういう気まぐれは邪魔なだけ。それを敢てやっているのが私の作業です。結果にめげずに次々と挑戦したい。もちろん、食材の購入や、食後の皿洗いやナベ洗い、ゴミ捨て作業等もやっていますよ。それらは省略しません。御陰様で食材棚には各国のアルコール類や、スパイス等が増えました。その中には私も家内も聞いたことも無いような物も含んでいます。それら自分で作った時のレシピは共通様式の記録ノートに残しており、作り終えた時それを再修正しているので、いずれまとめられるかも。ただし料理に対する興味はあっても、菓子類に対する興味はまだありません。将来はどうなるか分かりませんが、現在専ら料理だけに関心を持っております。また紅茶やコーヒーや茶道の世界も同様に、まだ興味の対象外です。





(76)モノローグ    2008.12.25

クリスマスの朝。今年のクリスマス・プレゼントは私から家内にはエミール・ガボリオの「ルルージュ事件」の初の邦訳版、そして家内から私にはスウエーデンの名ソプラノ、ビルギット・ニルソンの自伝の邦訳版。「ルルージュ事件」を選んだのは家内の推理小説好きを考えて、私自身が56年前に読んだ「ルコック探偵」と同一人の作品だから。ガボリオの作品は推理小説の元祖みたいに扱われているし、一度読んで見るのも意味がありそうと思った次第。実際、「ルコック探偵」を繰り返し読んだ御陰でパリの地理がいかなるものか、サンジェルマンが高級住宅街だということ等を初めて知りました。ヴィクトル・ユーゴー「レ・ミゼラブル」でも同様にパリの地理を仕入れました。それらは私が骨折で入院した小学校4年生の夏休みに、退屈しのぎに親が買って呉れたもの。でも「ルルージュ事件」を実際に読んだことはなく、面白いかどうかは最初に読む人(妻)に聞いてみる必要があります。

ニルソンの自伝の方は東京の本屋で偶然見つけたもので、それを私が希望したからです。歌手(女声)の伝記は、今までアストリード・ヴァルナイの自伝(英語版)、ジョーン・サザーランドの自伝(英語版)、マリア・カラスの各種伝記(英語版と日本語版)、レナータ・テバルディの伝記(英語版)ならびに写真集、そしてエリザベート・シュワルツコップの自伝(日本語版)、ジュリエッタ・シミオナートの伝記(日本語版)、さらにヴァルナイやマルタ・メードルやリタ・シュトライヒ等の自伝のアンソロジーを入手して読み、残すところはニルソンだけだったからです。

ニルソンは日本デビューのころから承知しており、各種の文献を通じていかに凄い歌手かと、叩き込まれていました。サザーランド、プライスと共に喧伝されたものです。ニルソンの声は例えようもなく透明で、どこまでも切り込む力強さを持ち、どんな高音でもクリアできると信じられる声でした。ひたすら驚嘆すべき声。後にそれは修正されましたし、透明なだけでは満足できないと思うようになりましたが、私の若い当時は、オーケストラの強奏に対抗する力にただ感心するのみでした。

この伝記の所々に挿入されたエピソードは既に良く知られたものでした。たとえば「フラグスタートが自分の出番がない時は編み物をしていた」こと、「ヴァルナイは天使のように歌っていた」こと、これらの表現はカルショウの伝記で何回も読んでいましたから、頭に染み付いています。その目でニルソンの伝記をみると、どうも筆者がこれを引用したか、あるいはその文章が頭の中に、私同様に、染み付いている人が書いたようだ、という印象を持ったのは事実です。

これを読んでまず思ったのは、ニルソンとカラヤンの仲の悪さ。そしてジョン・カルショウに対する印象の悪さ等が目立ちます。とくに後者は私自身がカルショウの日記を繰り返し読んでいるので、ニルソンがまったく異なる印象を持っていたことが感じられました。デッカ社がヴェルディ「仮面舞踏会」の録音から、ユッシ・ピョルリンクをクビにした理由に対する感想とか、ワーグナー「神々のたそがれ」における声部と管弦楽部のどちらにウエイトを置くか等、興味深く思った次第。テバルディに対する印象も注意深く伏せてありましたが、1960年頃の録音はテバルディが多数していますからかなりの確率で当てられます。尤もカルショウはデッカの人間だから当然なのでしょうが、ワルター・レッグに対する2人の印象が随分違う。ニルソンの自伝では自分はレッグの所に行きたかった、と言わんばかりです。またマリオ・デル・モナコを引用もしていない点も注意を引きました。

グレース・ホフマンに肩入れしているのも目立ちます。なぜだろう?私自身は、ホフマンよりもリタ・ゴールの方が良いと思うため、ここでの判断に対しては眉唾モノでした。カラヤンとの仲の悪さは良く知られていますが、だからと言ってベームにそれほど入れ込んでいる訳でもないようです。やはりこういうことは、それぞれの言い分を聞かないとならない、ということを痛感しました。バーンスタインが指揮台から飛び上がった話とかもありましたが、これはやり過ぎでは、と思います。
千葉のF高





(77)モノローグ    2008.12.30

ニルソンの自伝全体を読んだ印象は、この人も若い時分にはどうやって世に出るかで苦労した人だな、という所です。決して恵まれた環境ではなかった。マリア・カラスも血を吐くような思いの生活から世に出た人ですが、ニルソンも別の面では苦労人です。あっと言う間にキャリアの階段を登りつめ、輝かしい戦績を残しましたが、前半の苦労話は余り知られていない。またこの本はさすが自伝だけあって、掲載されている写真がいずれもニルソンの姿が美しく、楽しく見えます。

アストリード・ヴァルナイは20代に代役ながらいきなりロッテ・レーマンの代りにメットの舞台を踏み、厳しいバイロイトの審査を経験しないまま、バイロイトに採用されて17回連続出場しましたが、ヴァルナイは米国でのギャラが安く、そのため欧州に行ったのだと思います。テバルディの相手役としてヴェルディ「アイーダ」のアムネリス役を歌いましたが、その真の理由として「1,000ドルも呉れれば、ヴォータン(男性)だって歌うわ」と答えたそうです。「音楽のすすめ」第1章22話「アイーダの威厳」に私の疑問を書いておきましたが、これで解決。バイロイト時代のヴァルナイは素晴らしい声で一世を風靡しましたが、ニルソンの台頭によって1960年直前に両者の関係はたちまち逆転してしまう。

ニルソンもヴァルナイも同じ年に、同じスウエーデンで生まれた人達です。ただしニルソンは生粋のスウエーデン人ですが、ヴァルナイはハンガリー系米国人。ヴァルナイはモノラール時代の人間であり、一方ヴァルナイに少し遅れたニルソンはステレオ時代の寵児になりました。そしてニルソンはテクノロジーの恩恵を受け、思い切り才能を発揮し、記録も残しましたが、ヴァルナイの方はモノラルの実況録音だけと言っても良い。ようやく最近になって契約問題が時効になるにつれ、ヴァルナイの素晴らしい声が再認識されてきました。

ヴァルナイの全盛時代はレコード会社の専属関係がうるさく、苦汁を飲んだ人も多く、ヴァルナイもその一人。これらを考えると、早く世に出た人と遅く出た人とどっちが得をしたか、という面白い問題に気がつきます。また二人が同じ年齢ですから、それぞれの良い見本。今日のイーグレンやヴォイト等の歌手とはまったく別の条件、それもテクノロジーの点でも大差があります。今日レコード、CDを買おうという人が少なくなってきたので、こればかりは「昔は良かった」と、苦笑できそう。

もう一つ。ニルソンは1968年頃から9年間ストーカーにつきまとわれたと言う記事がありますが、その1968年の冬にノーベル賞の儀式で、ニルソンはべートーベンを歌い、それを私はテレビ中継で見ました。数年後に私の職場に、スウエーデン人が訪問して来て、例によってパーティになったのです。私が偶然お客と話をすることになり、その席で私がオペラ・ファンであることを明らかにしました。そして、ニルソンのノーベル賞授賞式での歌唱ぶりが問題になったついでに、彼女の夫君が「ラインゴールド」という名前のホテルを経営している事など、雑多な話題になりました。そういう話は、彼ら(私の同僚達)にとっては耳新しく、複雑な顔で聞き耳を立てていました。
千葉のF高





(78)モノローグ    2009.1.31

今年最初の音楽会はアミルカレ・ポンキエルリのオペラ「ラ・ジョコンダ」。広告を見てすぐ切符を買うことにしました。家内も「ラ・ジョコンダ」に含まれるバレエ場面に関心があるらしく、即賛成。場所は上野の文化会館で、マチネー。今日は大雨という注意報を何度も聞かされましたが、それほどでもなく、神田明神に行ってお参りもして来ました。本日のキャストは指揮が菊池彦典、東京フィル、藤原合唱団、ジョコンダ役はエリザベート・マトス、エンツオ役がチョン・イグン、ラウラ役がエレナ・カッシアン、バルナバ役が堀内康雄、それにバレエはスターダンサーズ・バレエ団。

ジョコンダ役のマトスは、出始めはそれほどでなく、ナンダこの程度か、という感じ。そもそも第一幕は余り聴き所が無い。これが火を吹いたのは第4幕。緊迫感があってさすがアリゴ・ボイートの書いたプロットだと感心しました。最後のバルナバのセリフ「あの婆さんは殺してやった」と言って幕が降りるのはゾッとしますが、いかにもボイート風。その直前のジョコンダとエンツオのやり取り、バルナバとの対決では、ドラマティック・ソプラノらしい声を楽しみました。彼女の声は中音部から高音部までスキがなく、朗々と響きます。特に高音トップの音は実によく響き、これだけでも聴きごたえがありました。低音部はあと少し(カラスに近づくには)ですが、それは無いものねだり。本当にドラマティック・ソプラノとはこれだ!と言わんばかりでした。上背があって舞台姿も堂々としています。要するにマトスは去年聴いたコロラトウーラ・ソプラノのスミ・ジョーとは全く別の指向を持った歌手として極めて優秀だったと言えます。

他方エンツイオについては、有名なアリア「空と海」は焦点が決まらない感じでしたし、第2幕の最後に船が炎上する場面も、視覚的にはともかく音楽がやや不完全燃焼。演技に関して言えば全員に、もう少し注文があります。例えば第2幕でジョコンダがラウラと対決する場面で、ジョコンダの母親チエカのロザリオをラウラが持っていることを知り、友情に切り替わる場面。あそこはもっとリアリティが欲しい。ロザリオが余りに容易に扱われていることに不満があります。もっと何とかならないかな。バルナバとジョコンダの対決する第4幕もさらに緊張感を高められないかな。これらが感じられるのは、主として演出家のせいだとは思うのですが。もっと強く、もっと高揚して、と言いたいのです。ジョコンダは映画「風とともに去りぬ」のスカーレット・オハラに繋がる人と言うのが私の解釈。

ラウラ役のカッシアンの声は、往年のメゾソプラノ、ジュリエッタ・シミオナートを思わせる声でしたが、この人の演技力は今イチ。エンツイオとの再会の場面でも、「あらら、逢っちゃったのね」という風にしか見えません。この場面ではエンツイオ役にも責任があって、この嬉しい役をまだこなしていないと感じました。上背がジョコンダ役、ラウラ役に比して、少し足りない気がするのです。舞台では、「見て呉れ」はどうでも良くはありません。ジョコンダ役を楽しんだレナータ・テバルディも大柄でしたから、相手を選んだろう、とふと思いました。逆に、テバルディの後を継いでジョコンダ役を歌ったレナータ・スコットは小柄だったから、テノールは皆ほっとしたでしょう。

バレエ「時の踊り」の場面はオペラの息継ぎとして楽しみましたが、妻はあと少し何か言いたかった様子。こういうバレエを挿入すると、オペラのドラマ進行上邪魔にならないようにしなければならず、難しいだろうと思いますが、このオペラではさして邪魔な存在ではありません。小学校5年生頃日本で公開されたディズニー映画「ファンタジア」で、カバやワニの踊る「時の踊り」のバレエ場面を初見参しました。ただ、その「ファンタジア」の踊りはオペラ「ラ・ジョコンダ」のプロットとは何も関係ありません。色々言いましたが、全体として、この「ラ・ジョコンダ」は成功したと思います。特に最後の緊迫感溢れる場面は印象的です。また背景を支える合唱の素晴らしさ!そして、オペラで歌手は役者でもあることを再確認しました。
千葉のF高





(79)モノローグ    2009.2.1

「ラ・ジョコンダ」は、様々な陰謀うずまくヴェネツイアの光景と、そこに生きる者の生態を描いたもので、このジョコンダ役の職業は「街の唄うたい」です。1963年頃にフォンタナというレコード・レーベルが色々なオペラの抜粋盤を出したことがありますが、そこに「ラ・ジョコンダ」(記憶違いだったらごめんなさい。「ホフマン物語」だったかも知れません)が含まれていました。当時のそのレコード批評は、バレエの場面で足音を加えてあるのは臨場感があって良いけれど、という程度。そして、これは同時期に来日したパリ・オペラ座のチーム演奏によるものでした。同チームの花形だったジャンヌ・ロードというソプラノがビゼー「カルメン」を歌った時です(メットに進出したロードは「声が小さい!」と野次られたとか)。

マリア・カラスのイタリア・デビューはヴェローナの野外劇場跡でやった「ラ・ジョコンダ」。これは1947年8月2日でしたが、その翌8月3日には、レナータ・テバルディが「ファウスト」でヴェローナの同劇場にデビューしており、今考えれば、凄いメンバーを次々と投入したものだと思いますが、当時の評価はいずれもまあまあと言う程度。ヴェローナの「ラ・ジョコンダ」は、元々ジンカ・ミラノフを想定したようです。ミラノフ、カラス、テバルディと並べただけで、その音楽の特性が匂うでしょう?ドラマティック・ソプラノです。強い声の持ち主で、強烈な個性を歌い出さなければなりません。テバルディがその条件を満たす声に変ったことを自覚したのはずっと後。1964年頃になってようやく自らの得意役に加えましたが、後輩のカーチャ・リッチャレルリからは、あんな重い声の要る「ラ・ジョコンダ」を歌うなんて!と非難の言葉を受けました(いきさつは「音楽のすすめ第2章」を参照)

また、アニタ・チェルクエッティも英デッカ社で「ラ・ジョコンダ」を1958年に録音しました。その時のメンバー表を見て直ぐ気がつくのは、これは当時同社が心づもりしていたベルリーニ「ノルマ」の想定録音メンバーだということです。しかしチェルクエッティの病気によって「ノルマ」録音計画は流れてしまい、結局、10年間待ってエレーナ・スリオティスの登場により実現しました。スリオティスはその「ノルマ」録音(1967年)の1年前にブエノスアイレスで「ラ・ジョコンダ」を歌っています。往々にして「ノルマ」の前哨戦として、「ラ・ジョコンダ」に特別な関心が持たれるのです。いつか日本で「ラ・ジョコンダ」をやる時には観に行きたい、と思っていました。既に誰かがやったような気がしますが、覚えておりません。

レコードでは「ラ・ジョコンダ」はカラスがステレオで録音した稀な例に入ります。他にはプッチーニ「トスカ」、ドニゼッティ「ランメルムーアのルチア」、ビゼー「カルメン」、ケルビーニ「メデア」、ベルリーニ「ノルマ」、「セビリアの理髪師」。そして「トスカ」、「ランメルムーアのルチア」、「ノルマ」と「ラ・ジョコンダ」だけが再録音。それだけカラスは録音に意欲を燃やした訳ですが、生増、声そのものが衰え始めていました。

ここで女性歌手の音域に注意してみましょう。下記のような図を自分で作ってみましたので、御覧下さい。
女性歌手の音域と曲目
女性歌手の声域と、各演目の名。左側に演歌・ポピュラー歌手達も緑字で並べてある。赤字はメゾソプラノ。

これをみると「ラ・ジョコンダ」役を完璧に歌おうとすると、広大な音域を等しく力強さを持って歌う喉の力が必要。カラスがこの役を大切にしていたのは、まさにその点を意識したため。なまじの声を出しても、音域によって力不足になったり、声が汚くなったりしてはならないのです。どこの音域でも力強く響かなければなりません。ヴェルディ「アイーダ」よりも、ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」よりも音域が広く、ヴェルディ「運命の力」のようなリリコ・スピントの展示会みたいな曲より広い音域を要します。この上端をもう少し延ばせばヴェルディ「椿姫」になります。つまり「ラ・ジョコンダ」は色々なオペラを歌うための、原石たり得ます。ただオペラとしての構成力がそれほど高くないかも知れません。
千葉のF高





(80)モノローグ    2009.2.3

音域の話が出たので、ここでメゾソプラノの世界に目を転じてこの図を見ると、ビゼー「カルメン」の音域が異常に狭く、逆にロッシーニ「シンデレラ」の音域がソプラノ並みに広いことが分かります。なぜカラスが現役の晩年になって、ようやく「カルメン」録音を引き受けたか等も理解できますね。そしてチェネレントラ(シンデレラ)役がとんでもなく難しいことが分かって頂けると思います。ただ、このシンデレラは軽い声で歌わなければなりません。その軽さを十分に出せないとシンデレラにならないのです。チェチーリア・バルトリや、ジュリエッタ・シミオナート、アグネス・バルツア、テレサ・ベルガンサ、ルチア・ヴァレンティーニ=テラーニ、マリリン・ホーンあるいはフレデリカ・フォン・シュターデと言った名手達が「シンデレラ」歌手とされます。マリリン・ホーンなぞは力が有りすぎてシンデレラらしくないかも知れません。2009.1.31の「ラ・ジョコンダ」の演奏会では特設スタンドで、この「シンデレラ」演奏会の予約を受け付けていましたが、ホテルIとの提携という事もあって、その料金は天文学でした。

一方歌謡曲の分野に目を移すと、美空ひばりの母親が生前、「哀愁波止場」をひばりに歌わせてはダメ、と猛反対した、という伝説があります。冒頭から裏声ですね。結果的にこの演唱は素晴らしい出来映えになりましたが。あとは西田左知子にしても音域は低め、音域も狭めです。美空ひばりの音域の広さ(実際にうたった音域)がダントツです。彼女クラスならば声域だけからいえば「カルメン」を歌える?要するに歌謡曲の世界で、この歌手は凄いなと言われても、クラシックだったら、その音域は、普通はメゾソプラノの守備範囲をようやくカバーする程度。こういう比較は面白いですよね?

さて「ラ・ジョコンダ」。この曲は音域が広いため、特に高音にこだわらない限り、中低音域の格好の練習台になります。ドラマティックに過ぎるから、というのを理由にして歌うのを断るのも分かりますが、蝶々さんだって本来、ドラマティックな曲です。普通の音域を狙う人は意欲的にこの曲にアタックすることを期待します。むろんその高音部は魅力的ですが、しかし高音が無い人まで、それにこだわると、喉を潰すので注意。中低音域に集中する方が理に適います。ただカラスの真似はしない方が(一般的に言って)賢明です。カラスは「ラ・ジョコンダ」の輝かしい高音域から、胸声で歌う低音域まで、どこでも力を落さずに、一貫して歌った唯一の歌手です。あれは凄い!
千葉のF高












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