(101)モノローグ    2009.7.1

「Logistics」という言葉がある。「兵站(へいたん)」の意味だが、私達が遭遇するのは学会やシンポジウムにおいて運営、食料、会場、日時を指す場合である。その「logistics」という表現をすっかり忘れていた。それを何かの弾みに思い出し、また忘れ、これで3度目の正直である。兵站という意味だということは覚えていたので、和英辞書を調べたが、出ていなかった。それが今朝ニュースを聞いていたら、ふとその言葉が耳に留まったのである。コレダ。私のクセとして、こういう場合は、何かに書いておくと覚える。確か、「音楽のすすめ」のAppendixに書いておいたはずだ、と言う記憶が甦るが、Appendixのどの辺りだったかを忘れて、また探し回るに違いない。

このLogisticsは米国の大学や、欧州の会議で学会セクレタリーが実際頻繁に使う単語だが、聞くたびにこういう言葉を自在に使いこなせたらなあ、と思っていた。その種の言葉では、古くから「Agenda」がある。これはプログラムの進行表を意味し、また「Adjourned」という言葉は「これで今日のところ終了します」という意味だ(本来は「休廷」という意味の裁判所用語らしい)。これらは古く、1982年以来使って来た。XXX機構のTK氏が教えて呉れたものだ。聞いて良かったと思う。それまでは、飛んでもない言葉で、これらを表現していたからだ。間違いではないが、スマートではなかった。言葉を使いこなすのは難しい。
千葉のF高






(102)モノローグ    2009.7.2

この夏の音楽会はどれにしようか。一昨日の新聞広告には若い男性ピアニストがショパンからラフマニノフまで、目一杯のプログラムを展開していた。ドイツから一時帰国しての公演だと言う。でも暑いさかりに出掛けるのは面倒だなとも思う。別の日には牧阿佐美バレエ団の「ジゼル」公演の広告も見た。これが「ドン・キホーテ」とか「ロミオとジュリエット」だったら考えるのだけど。「ドン・キホーテ」はまだ見たことが無い。ただ劇中に、物凄いアラベスクの箇所があって(古いメッセレルの写真で見た)、あれを一度見てみたいと思っている。
千葉のF高



昨日1.ベルリンの雨−その1 2009.7.3入力
             ベルリンの雨
          休暇で行った初の欧州  1984.5.3〜5.26


24日間の長期休暇を取りたいと言った時の庶務課の受付係の顔を思い出します。そんなに長く、なぜです?と。大臣決裁を要するので、あまり休暇をやりたくないという態度がミエミエ。既にニューヨークから戻って2年以上経ったし、もう出ても可のはずですね、と念を押しました(帰国後2年間は外国に出られない、という規定)。そもそもは仕事のためなのに、自費で行かざるを得ないのだから、思いっきり自由にしたい、と繰り返し主張したところ、係のヒトは諦め顔になりました。今考えると随分生意気な若造だったと思います。でも言わなければ、何も変わらない。初めての欧州旅行で、こちらも舞い上がっていました。

というわけで最初の欧州旅行をここに紹介します。今までにも、その片鱗は書きましたが、詳細はこれが初めてです(但し一部カット)。日記を残しておいて良かったと思います。この欧州旅行は初めて見る風物に驚いた印象が主で、音楽やオーディオを聴くための旅行ではありません。音楽の視点は
「音楽のすすめ」の本編に、書いてあります。でも、どういう所を訪れたかを見れば、そこに既に趣味が現れていますね。






1984年5月3日(成田/アンカレッジ)

英国航空機のお隣さんは東京でお茶屋さんを営む54歳のご婦人。娘が英国人と結婚するので式に出席するためだという。その右側は学生風でパリに行くのだという。日本発だから当然としても日本人の多いこと。日本時間で朝4時半ごろ、アラスカのアンカレッジに着く。外気温は4℃だという。空港ビルの窓からアラスカの雪山が見える。韓国人らしい売り子が多く、表示もハングルが目立つ。





1984年5月4日(アンカレッジ/ロンドン/フランクフルト)

機中では通路際の窓から白人女性が外を覗いているのを見つけた。見てご覧なさいと呼び留められた。何事かと思ったら、何と氷山が見えるのだ。白夜だからはっきり見える。ヒースロー空港で乗り継ぎ便を待つ間、売店でベルリッツの英語版「旅行者のためのイタリア語」、「同フランス語」の2冊を買う。大陸方面行きのロビーまでの遠いこと。これより日本人の姿はぐっと減る。

大陸の上にいることが分かったのはフランクフルト空港に着く直前になってから。ライン河かマイン河かよく区別ができないが、大きく蛇行する川、その回りは緑が果てしなく広がっている。巨大なフランクフルト空港へ着陸。AusgangとかGepackとかいった表示を頼りに出口に向かう。入国手続きそのものは簡単だった。それからが大変。まず銀行でマルクの旅行小切手を現金化。硬貨が欲しいので何を何枚づつ、と注文したのだが決まった数しか呉れない。ここからタクシーで町中へ行けば簡単なのは分かっているが、何としても地下鉄を利用して節約したい。ホームへ降りていく階段のそばに切符の自動販売機を見つけたが、料金が不明。ゾーン方式に分類してあるが、フランクフルト中央駅がどのゾーンに当たるのかまるで分からない。手持ちの硬貨を入れて多目と思われる料金ボタンを押したあと、しまったと思う。間違えて子供用を押してしまったのだ。もう硬貨が無いのだ。遠く離れた階段近くにやっとコイン交換器を見つけ、やれやれと思い10マルク札を差し込んだら全く応答なし。困った顔をしていたら近くのドイツ人が寄ってきて、この機械は壊れているからもう1階上の銀行でコインを貰ってきた方が良いでしょう、と英語で教えてくれた。ドイツ人は親切だな、と思う。入国したばかりの時の、こういう第一印象はすごく大事。

ここまでで1時間も無駄にしてしまった。荷物を抱えているため、移動が大変なのだ。ちなみに空港から中央駅までは橙色のボタンが正解のようだ。地下鉄もフランクフルトの町中に進むにつれ、地上を走るようになり、窓の外の風景を食い入るように眺めた。やはり森や林の多い環境で、その中に労働者用アパートとおぼしき集合住宅がポツポツ建っている。その壁の色はくすみ、やや黒ずんでいる。屋根は濃い赤茶色。何といっても初めて間近かに見るドイツ。

フランクフルト中央駅の櫛状のホームに入った時、思わず目をみはる。このドーム、知っていたのだ。小学生のころ持っていた子供用の年鑑に写真が載っていた。鉄骨むき出しで、いかにも戦禍をくぐってきました、という様子で写っていた。全くその写真のままだったのである。思わず唸った。目指すホテル・ナツィオナルは近かった。小学生とも思えるボーイが荷物をヨロヨロと運んでくれた。2番目に大きなカバンを開けようとしてびっくりした。開かないのだ。小さな南京錠がバカになってしまったのだ。さんざん試したがビクともしない。あきらめた。カバンを壊すしかない。不幸中の幸いは、これは薄いナイロン製なのでカッターで簡単に切り裂くことができる。そのかわり新しいのを買わなければならない。とんだ出費になる。教訓は、「いい加減な鍵は、付けないよりたちが悪く、付けるならしっかりしたものを付けること」。すぐに買物に出る。

中央駅から振り向くと駅のドームを真正面から見ることになる。古いドイツの町だなあと思える。奥に進むとショッピング街でデパートなどが建ち並ぶが、かなり奥まで進んで、郵便局で切手を買う。自動販売機のボタンを押すのかハンドルを回すのか分からずに困った顔をしていたら、またも見ず知らずのドイツ人がこうするのだよ、と教えてくれた。ドイツ人ってなんて親切な人種なんだろう! カウフホーフに入る。3階が家庭用品なので、そこでカッターを探す。カッターで景気よく切り裂くのと、金ノコで鍵の方を切り離すのとどっちが楽だろうかと迷う。20分も考えた挙げ句、カッターに決める。これでカバンの運命は決まった。

大通りを外れてカタリーナ教会のある小道を通り、ゲーテ・ハウスへ向かう。ゲーテ・ハウスは小さな標識しかなく、一見普通の民家と変わらない。この家は小学生の時にゲーテの伝記を読んで以来、一度訪れてみたかったのである。あの伝記の調子にあおられて自分自身も作家の道に憧れたものだ。年少期の伝記の影響は大きい。ゲーテ・ハウスはつつましく質実剛健な造りに見える。もっとも戦災を受けたはずだから小道具は焼失してしまったのかもしれない。しかし何であれ、こういう伝統的な木造の格子組み壁を持った高層住宅の内部を覗けたのは嬉しい。木造とは言え、ビクともしない頑丈なものである。

再び地図を頼りに市庁舎へ行く。これもゲーテの伝記でおなじみ。少年ゲーテの祖父がある日、ゲーテを「皇帝室」に連れて行く場面がある。神聖ローマ帝国の皇帝の戴冠式を行なう広間である。これが市庁舎の中にあるのだ。実は先の大戦で全壊してしまったのを、その瓦礫の中から一つづつ残された残骸を拾い集め、博物館風に展示したのが、今日再建された市庁舎の「皇帝室」なのである。公共の建物だから入場料は要らない。歴代の皇帝達の肖像や銅像が並び、武器や印刷機械、地図や年表も展示してある。一角には皇帝の寝泊まりしていた部屋も再現されている。

戦争で徹底的に破壊されて廃虚となったフランクフルトの町の当時の模型と写真も展示されている。こういう点、ドイツ人は自虐的かと思わせるほど自分達の痛いところを避けずにさらけ出す。フランクフルト壊滅を報道するアメリカの当時の新聞も並べてある。戦争によってドイツの多くの美しい町は消えてしまった。「皇帝の間」を後にして、マイン川の川淵の散歩道を歩く。ザクセンハウゼンのある反対側へ渡り、街並みを川越しに眺めた。川にはビヤホールになっている観光船が浮いていたが素通り。市立劇場の脇を通って駅前に出たが、市立劇場の中にあるフランクフルト・オペラでは今晩「マノン・レスコー」をやることが分かったが、素通り。






1984年5月5日(フランクフルト/西ベルリン)

コブレンツまで行くローカル列車に乗り、再びフランクフルト空港に向けて出発。やはりこれは異常なほど巨大な空港だ。荷物をカートに乗せてあっちへ行き、こっちへ行きして時間を潰し、ゲート番号が標示されるのを待つ。こういう時は一人旅はつらい。どこへ行くにも荷物ごと移動しなければならないからだ。機内アナウンスで、東ドイツ領内に入ったら窓の外の写真は撮らないようにと要請された。西ベルリンのテーゲル空港には、手荷物を受け取る場所にIRXAのビラが貼ってあり、IRXA会議に出席する人は当空港のインフォンーション・デスクまたはICCXのレセプション・カウンタにて情報を貰うべし、と書いてあった。ついでに西ベルリン市内4日間有効の市営交通パスを買って置く。

9番線を走る空港ー市内直通バスに乗り、ウーラント街で下車。降りたとたん楽しい気分になる。クアフェルステンダム通り(クーダム)の町並みのビルの姿が、これぞヨーロッパの都会と言えるような雰囲気を持っていたからである。せいぜい数階建て、それぞれ別々の装飾を持ちながらも、背丈や色彩は基本的に統一されていて実に落ち着いたムード。目指すマイネッケ街を曲がると、直ぐペンジオン・ユーヴェルの標識が見つかった。普通のアパートの入口みたいで、アメリカ同様ドア・ロックは室内から自動的に開閉できるシステムになっている。インターホンを通じて名前を告げるとブザーが鳴ってロックが解除されたのであわてて中に飛び込む。

大学図書館みたいに天井の高い階段があり、その2階の右側がペンジオン専有部分の入口。金髪の女の子が案内してくれた。何と表通りの鍵を含めて鍵を4回も開けないと自分の部屋まで行けないのだ。従って鍵を4つ持ち歩くことになる。アメリカのアパート生活並みだ。その代わりペンジオン(ペンション)と言ってもホテル同様に深夜でも締め出しを食う心配がない。門限がないのは有り難い。部屋は悪くないが、ただシャワー・コーナーしか無く、使う度にコンセントを差し込んで排水ポンプを回さなければならないのと、トイレが共同のため、その度に自室の鍵を開け閉めする必要があるのが面倒臭い。でもベッドは清潔だし、天井は驚くほど高い(翌日の発表の際にジョークにこの天井の高さのことに触れたら聴衆はゲラゲラ笑い出した)。壁には巨大な絵が掛かっている。恐らくは、この建物には以前は羽振りのいい持ち主がいたと想像。それが身売りされて、小さく仕切られてペンジオンと化したのだろう。

カメラとコートを持って外出することにした。たまたま土曜日だったせいもあって、西ベルリンは沸きに沸いていた。繁華街のクアフェルンダム通りの近くで、東京で言えば銀座4丁目みたいな所のすぐ傍だから、何とも賑やかだ。皇帝ウィルヘルム教会のそばを曲がってツォー駅方面に進む。人々も何とも幸福そうに見える。しかも何と若い人々が多いのだろう。西ベルリンは老人ばかりとは誰が言ったか早トチリだ。そして西ベルリンはクリーンだ。ニューヨークに負けないくらいエネルギッシュでありながら、清潔さと節制を保っている。江戸っ子は3代住まないと江戸っ子たり得ないが、ニューヨークは3日住めば立派なニューヨーカーになれる。ところが西ベルリンはたった3時間でベルリーナー気分だ。すっかりこの町が気に入った。波長が合う。

地下鉄に乗ってカイザーダムまで行く。そこから歩いて8分程度でICCX(国際会議場)に着く。会議場が開くのは明日からだから今日は交通手段の下見に来ただけ。学会の案内書にもICCXの建物のどこがメインの入口なのか書いてなかったので、ぐるっと一周してみたがまだ何も標識が出ていない。フラッグポールに各国の旗がたなびいている。不思議なことに、ブラジルとか韓国は出ていたが、まだ日章旗も星条旗もユニオンジャックも出ていない。

クアフェルステンダム通りは銀座通りにあたるが、両脇の幅広い歩道には一定の間隔ショーケースが立ち並び、西ベルリン名物が展示されている。このケースは箱型の総ガラス張りで、その近所の店の品が入っていることが多い。ゾーリンゲンの刃物や革製品や、マイセンの磁器など、高そうなものばかり。靴屋さんのショウウインドウには産地国別に陳列してあるが、ドイツ、イギリス、フランス、アメリカ製と共に日本製のコーナーもあった。ただし一番はしっこ。途中、ふと右側のアーケードをくぐって奥深く入ってみたら、トルコ人のバザールがあった。あらゆるガラクタ、古道具が並べられている。アラビア風の水差し(真鍮製)が素敵なデザインだったので手に取って眺めていたら、遠くにいたトルコ人の女店員がすっ飛んできて「それ、15マルクで売る!」という。75マルクと書いてあるのに定価など無きがごとし、らしい。「重すぎる。それにまだ道中が続くから今は買えない」と答えた。がっかりしたような表情が見える。20分もためらった挙句に出てしまった。














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