(109)モノローグ    2009.7.26入力、8.24修正

シェークスピア「ヘンリー6世」意訳:
ジヤン「フランスのために戦え」
サマセ「自分は赤薔薇を選ぶ」
リチャ「自分は白薔薇を選ぶ」

マーガ「外国から来た人は、あの女が王妃だと思っています」
グロー「あれの不始末はお詫びいたしましょう」
エリナ「私はそんなに悪い?」

ヘンリ「アイヤランドからの諸卿、見て御覧。ヨークはあそこから動かない気だろう」
ヨーク「ランカスターの公爵になりなさい。従兄弟よ」
ヘンリ「せめて自分の代だけはこのままに」
エドワ「私がどうして廃嫡されるのか分かりません」

マーガ「お前の息子の血のついたハンカチで顔を拭え」
ヨーク「ああ虎のような心の女め」

ヘンリ「先王は広大な領地を残してくれた」
相手方「それをあんたは皆無くしてしまった」
ヘンリ「それは保護職が悪いのだ。俺は赤ん坊だった」
相手方「いずれにしても無くしそうな男だよ」

マーガ「どうか私どもを助けて下さい」
仏国王「イングランドの妃殿下、どうか腰をあげて下さい」

伝達者「王はグレー未亡人と結婚されました」
ウオー「こんなピエロみたいな役を振りおって。俺に恥をかかせた男め」
ボーナ「彼にお言い。ボーナは怒りの衣をまとっていると」

守備側「おおクラレンス、戻ってこられたか」
クラレ「間違えるな、俺はヨークの為に来たのだ」




そして、次作「リチャード3世」に突入:
マーガ「おのれ、昔忠誠を誓ったじゃないか。恥知らずめ。そこに伏しおれ」
家来衆「あの時はあんたが王妃だったから」

マーガ「ヨーク家にも先が見えて来たようだ。あとはフランスに戻って眺めていよう」




ここに記したのは、12歳の私の脳裏に刻み込まれたもので、あまり正確ではない(第一、坪内逍遥の訳語は古めかしいし、男も女もあったものではないから)。史劇の範疇中でも初期の作品なのに、それらを日本で上演するというのだ。第1部、第2部、第3部の全体で9時間を要する超大作を(日によっては)全部通して上演すると言うが、我々が観に行くのは、通しでは無い日。とにかく嬉しい。52年前に中学校の図書館から借りて読んだ坪内逍遥訳の「ヘンリー6世」の舞台に初めて接する事ができる(次作の「リチャード3世」は46年前に日生劇場で、また約20年前に東京グローブ座の舞台で観ている)。英国史にある争いの中で、コレくらい争いが続くのは珍しい。ヨーク家対ランカスター家の争い、そしてプランタジェネット家の終焉を意味するようなフランスでの敗北と撤収。かくして現在まで続く英国の恨みつらみのオンパレード。「ヘンリー6世」第1部にはジャンヌ・ダークも別名で出て来るが、英国人の眼でみたジャンヌ・ダークは魔女に他ならない。

当初は今年はシェークスピア「テンペスト」を観るつもりだった。但し、今年上演されるのは演劇ではあっても人形浄瑠璃に翻案したもの。ところがふと、インターネットにあった広告をみたら、「ヘンリー6世」をやるらしく、観るならコレダ!となった次第。執念の勝利!

あとは11月までに役者達はセリフまわしに磨きをかけて欲しい。9時間もの芝居をやるのは大変なこと。何役も掛け持ちで、平均一人5役をこなさなければならない。しかも4週間近くの間、演技の繰り返しに耐えねばならないのだから、ため息が出る。

上に書いた文章をみていると様々なことが思い出される。王が自分より下位のものに呼びかける時用いた、「従兄弟よ」という言葉。いかにヘンリー6世が自信を欠いていたか、いかに其の時々の暮らしに追われていたか等々。そして坪内逍遥訳には「誓言(ザウンツ)!」と書いてあった言葉は何を指すのだろうか。今日我々の眼で見るとヘンリーには王者の風格が無く、むしろ妃のマーガレットかヨーク公爵の方が頭領として相応しい。坪内逍遥の本は寝室のどの棚にあるかも分かるが、あえてここで紐解かないことにした。現在の私の感性に最も近いのは、福田恒存の翻訳じゃないかと思う。ただ、国立劇場で用いるのは、小田島隆志版だと聞く。

中学校の図書館にあったからこそ「ヘンリー6世」または薔薇戦争の存在に気づいたのだが、偶然以上のものを感じる。何度も書いたが、私の通ったあのリベラルな雰囲気の中学校は素敵だった。「ヘンリー6世」、大いなる楽しみ。

我家の庭に、盛りを過ぎたエニシダ(プランタジェネット)が一輪残っているのを眺めながら。
千葉のF高






(110)モノローグ    2009.7.27

昨晩はテレビで昨年10月に国立劇場であった、プッチーニ「トウーランドット」の初演版に近い物のビデオ放送を録画で観た。ドイツ人のヘニング・ブロックハウスの演出と、昨今のバイロイトのイゾルデ、デンマーク人のイレーネ・テオリンのトウーランドット役。始め大した歌手ではないな、と思っていたらそのうち、高音をキッと決め始め、しかも高音の度に決まるのだから凄い。カラフ役のイタリア人ワルテル・フラッカーロは余りショッキングな声では無かった。リュウ役の浜田理恵はやはり王子様の付け人か、と思わせる感じで、アンナ・モッフォの王女様のようなリュウと対極的なもの。
千葉のF高






(111)モノローグ    2009.7.29

昨晩テレビで30年前位前の古い映画「コンペティション」が放送されたのを録画して久しぶりに観た。良い映画だと思う。ただ女性ハイディが決勝で弾くモーツアルトの協奏曲の途中でピアノ線が切れて、指揮者に「一寸前にやったばかりでしょ」と迫ってピアノをスタンウエイに替え、プロコフィエフのピアノ協奏曲3番に取り替える場面がカットされていた。なぜカットしたのか、分からない。この映画ではピアノの部分を実際に俳優が頑張って弾いたと記憶しているが、ヒーローのポールのウデだろうか。実際彼が弾くベートーベン「皇帝」では、必死になって音を探る姿を、見つけたと思うのだが。大体必死になる時の表情は、到底演技では作れないものだ。私自身も弾くアダージョの箇所も拾われていたし、その勘も当たっているのではないか、と思う。
千葉のF高






(112)モノローグ    2009.8.21

今朝の新聞で、2009年8月18日に東京でドイツのヒルデガルド・ベーレンスが無くなったという記事を見た。ベーレンスはバイロイトやニューヨークで活躍した歌手で、もともとそれほど強い声の持ち主とは思わなかったのが、あれよあれよと言う間に主役に躍り出たソプラノ。それほど特徴的な発声でなく、すなおに耳に入って来るから、ブリュンヒルデだけの歌手でなく、もう少し幅が広かった。幅が広いということは、それほど個性的な音色ではない、ということだから忘却されるのも早いかも知れない。レヴァイン指揮「ニーベルンクの指輪」の主役として、これからもDVDで楽しむ事ができる。
千葉のF高




昨日1.ベルリンの雨−その3      2009.8.24入力



1984年5月7日(西ベルリン)

口頭発表する演者だけを集めて朝食会がプルマン・レストランで開かれる。朝7:30からだからペンジオンの朝食の前に出かけなければならない。ここの朝食は7時からだからである。出かけの途中で台所を覗いたら一番背の高い女の子がやっと準備を始めたところだった。「コーヒーぐらい出して貰えないの?」と尋ねてみたら、自分はここで働き始めたばかりで、どこに何があるのかよく分からないから、と言われた。でもジュースなら出せると言うので、まだ誰もいない食堂に一人座った。早朝6時20分頃。結局、女の子が集めて来たジュースやパンやサラミ等を食べるはめになった(これから朝食会だとは言いづらくなって)。それから大急ぎで地下鉄でカイザーダムへ行き、大股で歩いてICCXへ。まだ7時を過ぎたばかりで正面入口は閉まっている。右横の入口にはガードマンが立っていた。こんな早い時刻に何事か、と言われたが、朝食会の招待状を見せたらエレベータを教えてくれた。

科学セクレタリーと座長が何人いるか確認して回っていた。全席セッション毎の指定席だったのである。僕は最初に到着した演者だったようだ。代表格のドイツ人が近づいてきて、定刻前だけど座って待っていて下さいと言う。朝食会は最初に諸外国の者と顔合わせする場だから、こちらも張り切っていて、精一杯気取って、愛想も知恵も一番いいところを振りまくようにした。それに僕は今日唯一人の日本人なのだ。

やがて科学セクレタリーのGs博士(西ドイツ)と、セッションの座長を務めるUz博士(フランス)が現われ、続いて僕と同じセッションで講演するKl博士(西ドイツ)、Vi博士(西ドイツ)もやって来て互いに自己紹介。オーストラリアのGd博士がなかなか現われないまま会食が始まる。パンにチーズにヨーグルトにポーチドエッグ、ベーコンにハムにソーセージ。サラダに果物にミルク。やがてボーイが紅茶かコーヒーかを注いでいく。皆英語なのだが、僕もありったけの知識を動員して皆に遅れをとらないように努力。今会議の大会委員長を務める西ドイツのKu博士と総括セクレタリーのNi博士が各テーブルを回って一人ずつに握手と挨拶を繰り返す。

Gd博士が参加者名簿に載っていないことを僕が座長氏に注意したら、彼は慌ててそれを確認してGs博士と相談を始めた。もし彼が最後まで現われなかったら、各人に数分ずつ時間を分けてくれる、ということになった。Us博士は、皆にできるだけゆっくり話せ、と何度も念を押す。そのあと突然、自分が座長を受け持つセッションはフランス語で司会したいと言いだした。フランス人は英語が得意でない定評があるがそのためか。他のメンバーは仕方がないという風にうなずく。僕だけが大反対した。とんでもない、フランス語なんか全く分からない、このセッションは英語と決まっているのだから、と主張した。しかし、とどのつまり、どうせ英独仏の3ヵ国の同時通訳がオン・エアーされているのだから、フランス語が出ている間はイヤホーンで聞いて呉れ、と頼み込まれた。そこへGd博士が遅刻を詫びながら到着。

それでは午後にまた、と散会。開会式までたっぷり時間があるのでしばしロビーをゆっくり散歩。レセプション・カウンターでは日本人の団体が一斉に登録しているのにぶつかる。日本のNy大学のNk氏と会う。彼はポスターセッション組。飛行機と西ベルリンのホテルだけは日本の参加団体の一員として加わるが、あとは自由に行動することになっていると言う。帰国後、Ky大学のYz氏に打ち明けられたのだが、皆は連夜一室に集まり、スーパーで買ってきたハムなどを肴に、免税品のウイスキーを飲み続けたとか。団長格のKy大学のKtsu教授が呑兵衛だからか。

9時から3階にある巨大な2番ザールで開会式。IRXA会長や西ベルリン市長の挨拶が続く。IRXA会長のBg博士(オランダ)は銀髪の堂々たる女丈夫。ほとんどの人のスピーチは英語だったが、中には時々ドイツ語が混じる人もある。続いてSx賞の授与式があった。Bg女史が受賞者の功績を称える演説をし、そのあと本人が記念講演。日本のXXX機構のAX氏がやって来て当地で初対面。

時間に余裕があったのでポスター会場を覗いてみる。日本から提出されたものはいずれも生真面目で、何mm×何mmの字体を使え、という指示書きをキチンと守っているが、外国人のはともかく目立とうという気持ちがよく伝わって来る。思いきり大きな活字を使ったり、色彩を用いたり写真で注意を引いたり、手練手管を尽くして人目を引くように工夫。日頃接する国内の会議発表の多くは何と下手なことか。日本古来のタイジンは寡黙、分かる人は分かる、以心伝心、という伝統が「雄弁術」を遠ざけているのかも知れない。ウィーンのIAXA機構を代表してSi博士の特別講演があったあと昼食時になる。日本のKr氏の率いるNA機構、DN機構の人達に昼食を誘われたが、今回は気乗りせず辞退。一階のロビーにあるバーのスタンドに止まり、ビールを一本あおってから自分のセッション会場に向かう。アルコールで心の抑制を外したのである。

僕の講演はGd氏の後の2番目だった。会場となった4/5ザールの後方上部にはガラス張りの音響コントロール室があって、そこで英独仏3ヵ国の同時通訳達がいて、刻々と各国語翻訳して電波で流す。それを参会者はイヤホーンを通じて3ヵ国語のうち自分の好みのもので聞けばよい。僕は英語で話したのだが、後になってみると、そのドイツ語版とフランス語版をテープに録音して持って帰ればよかったと悔やまれる(原稿は22回も書き直し、のべ数十時間を費やして暗記した)。漫才師だって舞台裏の猛稽古なしにはお客を笑わせることはできないだろう。講演後イタリアのSeR博士に僕の論文の別刷を送って欲しいとリクエストされた。また加速器の遮蔽に関して意見を求めてきた男性の研究者もいたが、僕は加速器は専門でないからと言って首を振った。すると、あなたの研究の一部は加速器の研究に負っているはずだという。恐らく中間子の散乱に関してアイジス理論を用いたことを指しているのだろう。3番手のKl博士の講演はXXに関するものだが、僕は今度は質問する側にまわり、いろいろ質問。ビールのおかげで遠慮なく舌が回る。

その講演セッションの終わったあと、ロビーで日本のXXX機構のFmo、Ine両氏に現地では初めて会う。XXX機構のAX氏を誘って有名なドライベーレンというカフェテリアに行く。クアフェルステンダム通りに面した路上のテーブルに席をとり、僕はクリームをかけたアップルケーキとポット入りの紅茶を、AX氏にはアイスクリームを注文した。クリームは全然甘くなかった。AX氏は6時にIna氏とICCXで待ち合わせの約束があるという。そこで僕のペンジオンへちょっと寄ってもらい、手荷物を置いてから急いで92番バスに乗ってICCXに向かった。靴だけ黒いのに履き替えて。

ICCXの正面玄関を入るとすぐにFmo、Ine両氏が目に留まり、どこかで夕食を、ということになる。オペラの時刻が気になるのですぐ食べられる所がいいと主張した。結局近所のアルゼンチン料理へ行く。席について驚いたことに、先ほど逢ったばかりの Ina、AXのご両人およびSHのKaw氏、Ky大学のTsj氏らも同席していた。僕はチリバーガーに決め、彼らはミニステーキみたいなもの。僕とFmo氏がドイツ語で注文し、Ine氏は英語で注文。彼らはベルリン・フィルのコンサートを期待してカーデーヴェーの予約券売り場へ行ってみたら、全部売り切れだった、という。ベルリン・ドイツ・オペラの「ペレアスとメリザンド」(ドビュッシー)なら手に入ると言われたがどんな曲か、と聞く。「メーテルリンクが作ったのさ。音楽より詩が優先したフワフワした曲だよ」と答えたら頭を掻いていた。時間が気になるので、自分の分をチップ込みで20マルク置いて一人先にで出る。

オペラハウスに着いた時、オペラは既に始まっていた。飛び込もうとしたらボーイが押しとどめ、台本と進行表を調べて、音楽の切れ目を選んで中へ押し込んでくれた。ちょうどドン・ジョバンニを追いかけるドンナ・アンナの歌の場面である。ツエルリーナは日本人のKaHiという。小柄なのでこの曲にはピッタリ。ドンナ・アンナ役は演技がうまい。第1幕、自分がうっかり人違いした相手が実はドン・ジョバンニだったと分かった時のあの姿勢、静止した手ぶり、そして「オッターヴィオ、助けて!」という叫び、これはこの歌手の資質を明らかにしている。ドンナ・エルヴィラのピラール・ローレンガーはレコードと同じ声と発声だが、少しヴィブラートが付く。最後に石像がやってきてドン・ジョバンニが地獄に墮ちる場面は、石像は現われずにただ雷鳴と稲妻で表現された。幕間の休憩時間にはロビーの売店でヴァルナイ(Sp)のポートレートを見つけ2枚買う。前の方にいた見知らぬドイツ人が、こっちの空いている席へ来い、と合図するので途中からもっと良い席へ移る。

かくして色々なことのあった一日が終わり、心地良い疲れを感じながら地下鉄に揺られてツォー駅へ。深夜の電車も別段危険な感じはない。ペンジオンはもう真っ暗で手探りで鍵を開け、やっと自分の部屋へ辿り着いた。Mude, mude; Schlafen, schlafen Ich muss.(ワーグナー「パルシファル」よりクンドリーの、「ああ疲れた、眠らなくちゃ」というセリフ)。














<<Appendix 雑記帳トップへ戻る