(113)モノローグ    2009.9.6

8月23日にルネ・フレミング、レジーヌ・クレスパン、レナータ・テバルディの独唱の各CDを聴いた。フレミング(ヘンデルの「セルセ」と「リナルド」)はバロック風の伴奏が気にならなければ満足な出来映え。音色も安定していてメットの数多いコロラトウーラ・ソプラノの一員として活躍を続けられる。クレスパンの方(ヴェルディ「トロヴァトーレ」、「仮面舞踏会」)は、テンポが遅く、純粋のベルカントだった。フレミングのもそうだったが、「控え」の一人として彼女を抱えることは有意義だ。その代わり、クレスパンは血の滾るような歌唱をしていない。テバルディは久しぶりのプッチーニ「トウーランドット」。リュウ役ではなくトウーランドット役の方だが、このLPが出た1960年代には感動したものだ。それを今聴くと、どんな高音でも一応出ているが、エレキの助けだと言う事は明らかだ(エコーを付けている)。いずれも歌唱集としては合格だが、それで全曲も歌えるとは思わない。全曲は別の世界だし、私の勘では、テバルディもクレスパンも決して「トウーランドット」に向いた声ではない。ただ当時20代の私は、テバルディがようやくカラスの領域を歌い始めたので有頂天だったのである。

最近オペラ以外の音楽も聴く。9月2日には、大好きなモーツアルトのクラリネット5重奏曲を、それもウラッハでなく、ベルリン・ゾリスデン(カール・ライスターのクラリネット)によるもの。ウラッハに比すとやや早いテンポだが、なかなか快適に音楽は進む。またグレン・グールドのゴールドベルグ変奏曲を1955年のデビュー版で聴いたら、味わいが感じられて良かった。1981年のステレオ録音も聴いたが、こっちはテンポが遅すぎて付いて行けない。
千葉のF高







(114)モノローグ    2009.9.8

昨年(2008)、私版「源氏物語」をここに書いたが、一年ぶりに大阪で購入した明治大学教授の日向一雅の著作「謎解きー源氏物語」(ウエッジ社)を読んだ。男性による「源氏」論である。ここで「謎解き」とあることから連想される安易なものは、まったく見当たらない、真面目な著作だった。全体を読んで感じたのは、やはり著者が男性だけに女性版のこの種の本とは視点が違うな、という点である。内容に違いは無いはずだが、それにしても随分差があるものだ。ヒロインたちの心理描写に賭ける女性版とは違い、その文脈の間にある男性の視点からみた「源氏物語」。確かにこういう見方もあると思う。女性が念入りに書きたがる部分を、あっけないくらいサッと処理してあるので、読者の方はポケーッとしてしまう。そこには橋本治の描いたような視点が含まれると感じた(あの初版本を読んだ時、いったい橋本治は何を言いたいんだろう?と思ったが、今は分かるようになった)。終り近くに、玉鬘とか浮き舟等の描写で、少し心理に踏み込んだものを感じたが、やはり男性版だというのが結論である。数多い源氏論だが、決してコレだけを読んで源氏を読んだ錯覚を持たないこと。多面体のような「源氏物語」の魅力を知るために、プラス・マイナス含めて、一度試しに読んでみることをお勧めする。
千葉のF高







(115)モノローグ    2009.9.24

大テーマ「音楽のすすめ」に相応しく、ワーグナーの楽劇「ワルキューレ」を再度取り上げることにした。ただし第1幕第3場のみを集中的に聴いて比較。これは声楽編の先頭に登場した曲だが、あそこでは演奏に余り立ち入らず、「ワルキューレ」を聴く時の印象のみを記した。当初の書きっぷりはそう言う傾向が強く、あとになると微に入り細に入り演奏を比較していたから、もう一度最初の部分を補う必要があるな、と秘かに思っていた。全曲を比較したいが、それをすると厖大な時間を要するだろう。音源はCDによるもの。

(1935年)最も古い「ワルキューレ」は1935年6月のSP原盤のブルーノ・ワルター指揮によるもので、全曲ではなく第1幕だけで、後は戦争のために中断。ラウリッツ・メルヒオールのジークムント、ロッテ・レーマンのジークリンデが聴ける。SP原盤の制約があるが、それを考慮するとこれは十全だと思う。特に第1幕終幕に向けて煽り立てるようなあたり、快適なテンポ、情熱的な歌唱など、全てが素晴らしいと思う。まるで全身から絞り出すような歌だ。レーマンのジークリンデは、やはりこうでなくては、と思う。メルヒオールの歌唱はどこをとっても英雄的で、お手本になるもの。

(1941年)フルトヴェングラーと並んで評価されるトスカニーニの「ワルキューレ」。トスカニーニが1941年2月に公開で行なった演奏会の記録で、再びラウリッツ・メルヒオールのジークムント、そしてヘレン・トロウベルのジークリンデ。驚いた。どこをとっても決して古くないのだ。キビキビしたテンポは聴き手を引きつけて放さない。通常、トスカニーニと聞くと異常なテンポの早さが頭をよぎるのだが、ここではそういうことは全く無し。トロウベルは高音が自由でポンポン出すので、心地良いというか、恐ろしや、というべきか。但し味わい自体は薄い気もする。そしてオーケストラだが、テンポは速い箇所も指揮者に押されて付いて行っているのが良く分る。しかもギシギシと軋むようなボウイングだ。力一杯弦楽器を弾かないと指揮者に怒鳴られそう。あのテンポは良いが、あと少しだけ陰影が感じられるとさらに素晴らしくなるだろう。1941年2月の録音だから、この時まだフラグスタート(Sp)は米国にいたものと考えられる。彼女は4月にリスボン経由でノルウェイに戻った。このことはトスカニーニの神経を逆撫でしてしまい、フラグスタートの声の黄金期は失われてしまった。

(1941年)次は1941年12月6日の晩(つまり太平洋戦争勃発の2日前!時差を考えると1日前か?)、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場での「ワルキューレ」、エーリッヒ・ラインスドルフの指揮によるもので、ラウリッツ・メルヒオールのジークムント、アストリード・ヴァルナイのジークリンデ。テンポが遅い感じだ。但し、ところどころ猛烈なスピードで歌手を振り回しているような箇所あり。まるで大戦がヒタヒタと迫っているので急がなくちゃ、という感じなのだ。実際あそこでは歌手達は必死になって指揮棒に付いて行こうとしているのが分かる。メルヒオールはワルター盤と同一だが、ここの方がWalse! Walse! の叫びをオリンピック並みに伸ばしている。ナニ、そういうのもオペラの楽しみの一つとして達観すれば良い。ヴァルナイは若干23歳。このジークリンデが産まれて初めての舞台だったのである。それもロッテ・レーマンの代役としての舞台だった。こういう話はよくあるが、突然の代役を充分にこなした場合、それが新星を産むことがある。正直に言うとヴァルナイはまだ表現が甘いが、無理も無いだろう。低い音は出ていると想像できるが、十全でない。

(1950年)今度は1950年3月のミラノ・スカラ座の実況の「ワルキューレ」。言うまでもなくウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮のもので、第2幕以降にキルステン・フラグスタートが出て来る。実況盤らしく、全体を覆っているのは実に重苦しい空気。しかし実況盤に慣れていると、そういうのは別段邪魔にならない。聴き手の私はフルトヴェングラーに脱帽という他ない、魅力を感じた。どの場面でもそう!其の通り!と合いの手を入れたくなるのだ。そして終幕部分ではオーケストラを煽り立てて、追い込んで行く。このアッチェレランドは素晴らしい。声が付いて行けないくらいである。

ギュンター・トレプトウのジークムントとヒルデ・コネツイニのジークリンデのコンビは聴き手をやや苦笑させる。トレプトウは何か投げ出すような歌い方をするし(ポーン、ポーンという感じ。おまけにテノールらしくない声。ここで音質を論じることができない、心しないといけないと思いながらも、音の悪さから、実際にどの程度の声だったか、と思ってしまう)、コネツイニは邪魔しない程度の出来映え。これらは戦後直ぐのスカラ座だから目をつむろう。フルトヴェングラーには長生きして欲しかった、と彼の死を惜しむ。フルトヴェングラーは最後までレコード録音に疑いの念をもち、疑心暗鬼だったと聞く。ここにある記録は、レコードのための録音ではない。

(1953年)そして1953年バイロイト音楽祭の「ワルキューレ」。クレメンス・クラウス指揮で、チリのテノール、ラモン・ヴィナイのジークムント、レジーナ・レズニックのジークリンデ。レズニックは歌謡曲の大月みやこみたいだ。表現は聴き手(私)がここはかくあるべし、かくあらねばならない、と思う通りだが、残念ながら、声というリソースに制約があって、十全ではないのだ。レズニックはしばらくしてメゾ・ソプラノに転向することになった。ヴィナイは元々バリトンだったが、その低い声には、どう聴いても若々しさが足りないと思う。猛烈に早いスピードで、規定より約1時間早く全曲が終了している。クラウスはそういう指揮者だったのだが、私はこのテンポが割に好きだ。

(1953年)そして今度は1953年10月/11月のイタリア放送(RAI)のための「ワルキューレ」。これは放送が目的だが、それを公衆の前に公開しているのである。同じくフルトヴェングラーの指揮、マルタ・メードルのブリュンヒルデと、フェルディナント・フランツのウオータン。ジークリンデはヒルデ・コネツイニ、ジークムントはウオルフガング・ヴィントガッセンである。そのジークムントだが、声はまじめ、音離れもよい。メルヒールと比べると、声が軽目だが透明感では勝る。だから余り重々しくなく英雄的でない。英雄的な声はやはりメルヒオールのものだ。ジークリンデの方は、ちょっとばかりレナータ・テバルディが歌えばこうなるのかなあ、という感じ、つまり美しく歌うことをまず優先した様な歌い方。なによりも、フルトヴェングラーの指揮が少し冷えて聴こえる。冷えたというのは1950年スカラ座盤と比較した場合である。最後のアッチェレランドが聴こえて来ないのだ。

(1955年)今度は1955年バイロイト音楽祭に於ける「ワルキューレ」。ヨゼフ・カイルベルト指揮、アストリード・ヴァルナイのブリュンヒルデ、ハンス・ホッターのウオータン、オランダ産のグレ・ブロヴェーンスティーンのジークリンデ、そしてラモン・ヴィナイのジークムントである。これは当初モノラル録音とされたが、約4年位前に、実は試験的にステレオ録音をしてあったと報道されたもの。但し現代のマルチ録音と違い、単純に左右にマイクロフォンを配置したもの。ここではステレオ録音の方を取り上げる。オーケストラの低音がよく響く。ただブロヴェーンスティーンはあまり声のある人でなく、というか既に盛りを過ぎた人のようだった。喩えれば、菅原都々子の声みたいなのだ(あるいは声が衰えた水前寺清子とかペギー葉山など)。全音域にワーブルが認められる。それに彼女の歌うドイツ語はなぜか妙だ。

(1957年)今度はクナッパーツブッシュ指揮、1957年バイロイト音楽祭の「ワルキューレ」。ここではビルギットニルソンが唯一バイロイトでジークリンデを歌った例を聴く事ができる。ジークムントはまたもラモン・ヴィナイであり、ある意味ではまるでウオータンを歌いそうな低めの声だった。ニルソンのジークリンデは、勿論それは素晴らしく透明感のある声で、前述のブロヴェーンスティーンとは比較にならない。ただ、ニルソンは響きが現れるホンのわずか後に声の勝負を賭けているようで、私としてはもっと前のめりに出てくれないかな、と思う。ニルソンの印象は声楽編には「体当たりの表現」と書いたのだが、これは少し違うと、今は思う。ここではヴァルナイがブリュンヒルデを、そしてホッターがウオータンを歌っている。

(1957年)今度はスタジオ録音で第一幕しか存在しない「ワルキューレ」。1957年録音のハンス・クナッパーツブッシュ指揮、そしてキルステン・フラグスタートのジークリンデ、セット・スヴァンホルムのジークムントである。これは最初からステレオ録音。何と言ってもクナッパーツブッシュのスタジオ録音(彼は現場が最も良く、スタジオでは一般に余り良くないとされる)であり、キルステン・フラグスタートの録音だということがセールス・ポイント。確かにフラグスタートは素晴らしい。しかしほんの少しだけ歌とオーケストラがずれている。それに目をつむっても、あんなに女王然として、あるいは女神然として歌ってよいものか、と思ってしまった。ここはもっと情熱的に、例えばロッテ・レーマンのような歌い方が好ましい。贅沢な不満だが。

(1962年)クナッパーツブッシュ指揮による最後は、1962年のウイーンにおけるコンサート版「ワルキューレ」で、クレア・ワトソンのジークリンデ、フリッツ・ウールのジークムントのコンビ。この演奏は異常だと思う。余りに遅いのだ。クナッパーツブッシュの死の2年前の録音。ウールは確かに声は若く、これから歌うぞ!と意気込んだ時は素晴らしく英雄的な声だが、叙情的な部分はまるで初々しい学生みたいだった。そしてワトソンは始めこれなら、と期待させたが、そのうち引導を渡してしまった。やはり声のパワーが無い。私自身は昔クナッパーツブッシュだったら何でも万歳だったが、今これはどうかな、と正直言って思う。1200年前の話だから何も慌てることはないよ、大海に浮かぶ舟に乗った気分で聴けば、と言う声も聞こえるのだが、クナッパーツブッシュの1957年盤と比しても全く別の音楽作り。トネリコの木(母系社会)から剣を抜く、というあの重要な場面がちっともアピールして来ない。こういうのを突きつけられると、まるでデッカの録音技師ジョン・カルショウの言うように、「指輪」はクナッパーツブッシュで行なうべきでない、という意見も頷ける気がする。

(1965年)次は私がスタンダードにしている、1965年スタジオ録音のゲオルク・ショルティ指揮によるデッカ版「ワルキューレ」。ハンス・ホッターのウオータン、ビルギット・ニルソンのブリュンヒルデ、そしてレジーヌ・クレスパンのジークリンデ、ジェームズ・キングのジークムントである。前にも書いたが、これを聴くまで私はレジーヌ・クレスパンを聴いた事が無かった。それが、素晴らしいのだ。まずオーケストラの音の清々しさに耳を奪われる。ステレオの音ってこうだったか、と思い知らされるのだ。そしてジークリンデもジークムントも、それぞれに相応しい声で歌い上げ、それと組むオーケストラも素晴らしい音とテンポで網を編む。これは指揮者の勝利だと、ショルティのリズム感とテンポ設定の良さをあらためて思い知った。

(1966年)負けじ、と情熱を注いだのが、翌1966年スタジオ録音の、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮の「ワルキューレ」。レジーヌ・クレスパンをブリュンヒルデに起用し、ジョン・ヴイッカーズのジークムント、グアンドラ・ヤノヴィッツのジークリンデ。当時、この「ワルキューレ」全曲録音に各社が賭けた情熱のすごさに眼を回した。(同時期にグラモフォンはカール・ベームを指揮者として、ビルギット・ニルソンのブリュンヒルデで実況録音した。それらに先駆けて録音を達成したのがデッカであり、其の録音時にはノイズが入らないように、録音中のウイーンのゾフィエンザール周辺をパトカーが管理したと聞く。クレスパンはショルティ盤ではジークリンデだったのに、カラヤン盤ではブリュンヒルデ役だから神経質になっていたという)。当時の私の印象ではヤノヴィッツはもっと叙情的な歌手だし、ジークリンデなんか歌って大丈夫かしらん、と心配した。

歌手達の声に失望。まずヴイッカーズの声は何だろう?ミーメの声?女衒の声?金貸しの声?あれでは頂けない。ヤノヴィッツの方は初め多いに期待させたが、たちまち非力さが眼に余るようになった。オーケストラはそれに合わせるようにピアニッシモで、ゆっくりしているから、透明感充分で、それは美しいのだが、あの美しさなら私には不要だ。まるで「椿姫」をやっているような美しさなのだ。「椿姫」は「椿姫」で大好きな曲だが、「ワルキューレ」とは世界が違うと思う(この種の美しいヴィオレッタも一つの在り方だと思うが、私自身はマリア・カラスの歌ったような凄みのある、虎視眈々と狙う狼みたいなヴィオレッタの方が好き)。これは自信を持って言えるが、相対評価でなく、私の絶対評価として、この1966年のカラヤン盤「ワルキューレ」には魅力を感じられなかった。終幕に向かってますますその傾向を増して行った。でも、このCDが好きな方もおられるとは思う。

(1970年)最後を飾るのはオットー・クレンペラー指揮による「ワルキューレ」第一幕である。もともとこれはEMIが全曲録音する積りで、ブリュンヒルデ役にアニア・シーリアと契約したとか。クレンペラーはワーグナーと特に関係が深いものの、一度もバイロイトに招かれたことが無い。昔聴いた時はこれは遅い!と思ったが改めて聴き直してみるとそうでもなかった。ジークムント役のウイリアム・コクランは後になるほど上手くなるが、最後の「ウエルゼの子孫、栄えよ!」の部分でも力を抜かないで欲しかった。ジークリンデ役のヘルガ・デルネシュには色々注文がある。最後の付近は素晴らしいのだが、殆ど全編で、デルネシュの歌は節度の利き過ぎだと思う。声に力が無いのだ。モーツアルトの「フィガロの結婚」での伯爵夫人の歌みたいに聞こえる。伯爵夫人を歌ったかどうかは分からないが、R.シュトラウスをよく歌ったとあるから、なるほどと思った。クレンペラーの指揮は彼なりに力が入っているのを感じ取れる。

(2000年代に入って)「指輪」はDVDで見ることができる。手元にはジェームズ・レヴァイン指揮のものもあるが、ここでは比較から除いた。ブーレーズ指揮の「指輪」も除いた。どうしても画像付きだと画像の無いCDとは比較し難いと思ったからだ。後者のジークムント、ペーター・ホフマンは素晴らしい演技力と英雄的容姿を持っていたけれど。ここでは試聴しなかった「ワルキューレ」の他の場面、例えば第3幕第1場の終りの部分等、は別の機会にやってみたい。なぜ「ワルキューレ」第1幕第3場のみの比較か、と言われれば、そこが最も好きなシーンであり、最も慣れ親しんでいるからだ。私は指揮法の勉強をしたことが無いが、やるならこの場面をやってみたいと思う。ドイツ語のテキストもほぼ暗記した。見果てぬ夢だと思うが。

(2009年における結論)第1幕第3場に関して、私の判断ではショルティ指揮1965年盤が最も好みに合い、ついでワルター指揮の1935年盤とクナッパーツブッシュ指揮1957年盤が好きだ。これが今回の仮の結論である。これはさらに将来、変ることもあると思う。この比較試聴には一日一つを原則として聴いたから、随分時間がかかった。次回は第3幕第1場の後半に集中して、改めて聴いてみたい。
千葉のF高




昨日1.ベルリンの雨-その4 2009.9.10入力



1984年5月8日(西ベルリン)

意外に朝早く目が覚める。食堂へ降りて行くと昨日のセッションで見かけた男に同席を勧められた。たしかIAXA機構に所属している人だったと思い出し、尋ねてみるとその通りだという答えが返ってきた。昨日の僕の講演を聴いたがお前さんはよく喋る、と言われる。会議場では韓国のKAT機構の人も発表したが、世界の一線からはやや遅れをとっている印象が否めない。恐らくこの演者は自らが研究にタッチしているのではなく、部下がまとめた仕事をただ運んできただけなのだろう。その証拠に質問に対して殆ど答えられない。あるフランス人が質問を出したがまるで分からないらしいので、僕が代わりに手を挙げて答えてあげた。やりすぎたかも知れない。気を悪くしたかな、と気にしていたのだが後で僕の所に来て、さっきは代わりに答えて呉れて有難う、と礼を言われたので安心した。こういう場合、日本だと怒る人もいるからである。

このセッション終了と同時にポスター会場へ飛んでいって、米国YYY機構のBo氏を探したが相変らず見当たらない(後でKeから手紙が来て、Boは軽い病気のため西ベルリンへは行けなかった、と知らせてきた)。昼時にまた日本のXXX機構のAX氏につかまり、ICCX内の2階にあるカフェでピザ風のサンドイッチとファンタを食すことになる。ドイツではコーラ、ファンタが3.5〜4マルク、ワイン(並)が2.5マルク、ビールが2マルク程度であって、ソフトドリンクが最も割高である。

昼休みにAX、Ino両氏とシャルロッテンブルク宮殿の方へ向かう。宮殿の向いにあるエジプト博物館へ入ることにした。有名なネフェルチチの像があったのでガードマンに写真を撮ってもいいかと尋ねたら"Ohne Britz!"を強調して認めてくれた。この有名な像をうまく撮ろうと至近距離にカメラを静止させ、思い切り慎重にシャッターを切る。博物館を出るとき寄付金入れの箱に10マルク札を一枚入れた。入場無料のミュージアムでこんな大金を寄付したのは初めてだ。両名はシャルロッテンブルク宮殿に入ると言うので、僕はそこで別れてバスを乗り継いでICCXへ戻る。ロビーに降りてみると朝までは無かったおみやげ屋が開いていた。子供のためのバッチを買う。またロビーの銀行で旅行小切手をマルクの現金に替えた。さらに地下の倉庫から段ボール箱を貰い、重たいコンパクト(プロシーディング)をICCX内の郵便局から船便で日本へ送った。17.5マルク取られた。

歩いてヴェルトハイム百貨店へ行く。ここは戦前はベルリンきっての高級デパートだったというが、今日ではもっと気さくなスーパー風だ。お隣のカーデーヴェー、オイローパツェンターものぞく。ベルリンの古画を一枚買い、その他小さなおみやげ品を抱えてペンジオンに戻った。シャワーを浴び、髪を洗ってからドレスアップ。今回初めてダーク・スーツに着替え、銀色の入ったネクタイと真珠のタイピンとカフスボタンをつけ、黒靴をはいた。シャツにはヒラヒラのヒダが付いている。コートをはおってIRXAのレセプション・パーティのあるインターコンチネンタル・ホテルへ向かう。ここで"Berlin Abend"と銘うった学会主催の大パーティがあるのだ。予め招待状が届いている。

ホテルの入口では民族衣装を着けた若い女の子たちが入場者一人一人の胸襟に、赤いカーネーションを一輪さして呉れる。すぐにボーイがカクテルをのせた大盆を持って近づく。西洋梨が底に沈んだカクテルだった。もちろん飲み干した。そのカクテル会場はかなり広かったのだが、やがて満員の状態になる。突然、片側の仕切壁が開けられると目の前にはもっと巨大なディナー会場が広がっていた。その側面にある細長いロビーにビュッフェ式に食べ物がずらっと並び、ボーイ達がサービスする。1,000人はいたと思う。

ここでまたNy大のNj氏と逢う。足が悪いのに大変だろうなと思い、一番目立つところに座りましょうよ!と声をかけて中央のテーブルに一緒に席をとった。食料を獲得するためにロビーへ行くと、そこは押すな押すなの大盛況。ハムにサラミにマリネに、詰め物をしたパイにミートボール、揚げバーガーみたいなもの、牛肉、トリ、魚、卵をまず確保。再び、おかわりをした後、さらにプディング、ケーキ、コーヒー、パン何種類かを取りにまた出かける。よく腹に入るものだ。Nj氏がビール党だったためもあって、最初はビールをジョッキで。続いて白ワイン、ウイスキーの水割り、得体の知れないリキュール。「それ強いけれど美味しいでしょう」とNj氏が言う。ふと、まだ赤ワインを味わっていないのに気がついた。ドイツ語を叫ぶとボーイが飛んで来て注いで呉れる。これで全種類味わったぞ。

楽団がBGMを演奏してムードを高める。遠くのテーブルにあのイタリアのSeR女史の姿を認め、ご挨拶に出向く。帰ろうとしたら、隣の部屋では別のバンドがロックンロールをやっていてディスコ会場と化している。ダンスはできないので残念だが、リズムは心地良い。Ina氏がどこかジャズを聴きに行きたいなと言う。西ベルリンは今が一年で最も快適な季節らしい。またも大騒ぎした一日であった。毎日こういう生活をしていると、気がつかないうちに疲労がたまるだろう。














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