(116)モノローグ    2009.10.22    「ワルキューレ」の比較その2

楽劇「ワルキューレ」の比較の続き。今度は第3幕第1場を通しで比較して聴く。これは「ワルキューレの騎行」として有名な箇所を含むところで、私が注目するのはその直後にある部分。ブリュンヒルデが何とかしてジークリンデとそのお腹の中の赤子を助けたい、と必死になる場面だ。ここで肝心なのはオーケストラと、ブリュンヒルデ、ジークリンデの2人であって、その他のワルキューレたちは余り問題でない。

(1941年)前出の通りニューヨークのメトロポリタン歌劇場の実況で、エーリッヒ・ラインスドルフの指揮、アストリッド・ヴァルナイのジークリンデ、そしてヘレン・トロウベルのブリュンヒルデである。まずオーケストラを煽るラインスドルフに驚いた。はじめ、これはどう聴いたらよいやら、と思うくらい音が悪かったが、やがてスピードは上がり、合わせてトロウベルのソプラノの高音が自由で思い切りが良く、聴き手はその早さに喘ぎながらも付いて行く。畳み込むようなドイツ語だ。これを聴くのは小気味良かった。むしろヴァルナイのジークリンデが異質の音色を持っているため、当初は構えて聴いてしまった。ラインスドルフのこのテンポは異常に早いがそれを押し通した点、それなりに価値があると思う。

(1950年)スカラ座実況で、ウイルヘルム・フルトヴェングラー指揮、キルステン・フラグスタートのブリュンヒルデ、ヒルデ・コネツイニのジークリンデ。なにかオーケストラに蓋をして、その中でやっているような音質だ(私のはウラニア盤である)。テンポがラインスドルフより遅くなるし、フラグスタートの声も、当初どうかしたんじゃなかろうか、と思ってしまう。それくらいクスんだ音色だ。それが「誰もあなたを助けようとしない。一人で産まなくてはなりません」とジークリンデに告げる当たりで突然音がハッキリしてくる。やはり音も大事だな、と思った次第。

(1951年)バイロイト音楽祭の実況にはヘルベルト・フォン・カラヤンが指揮する「指輪」がある。その一部分として「ワルキューレ第3幕」だけが発売されている。これは聴きものだと思う。音はますます鮮明になり、ブリュンヒルデの声も次第にはっきりして来るが、当初はあいまいだった。これはブリュンヒルデが舞台上を動き回っていたからだろうと思う。EMI録音チームはそういう点の処理が甘かったと思っている(後にビルギット・ニルソンが書いている「デッカ・ボーイズ」がEMIに存在しなかったためと思う。デッカには当時若いジョン・カルショウやゴードン・パリー、エリック・スミス、クリストファー・レイバーンという強者が居た)。右に言ったり、奥に引っ込んだりするから、音が聴きづらいのだ。その点ジークリンデはただ一人、動かないからその声は良く捉えられている。しかもブリュンヒルデと素晴らしいコントラストを成す。ここまでの3点の比較でもこのジークリンデは出色の出来映えだ。但しレオニー・リザネックはこの後、何年間もバイロイトに呼ばれていない。もう一方のヴァルナイは連続18年間、バイロイトに君臨する。

(1953年)フルトヴェングラーの指揮、マルタ・メードルのブリュンヒルデ、コネツイニのジークリンデで、これはイタリア放送のための実況録音。このあとEMIはスタジオ録音の「ワルキューレ」を出すことになったが、フラグスタートは例の「トリスタンとイゾルデ」吹き替え事件のため、出演を拒否(EMI重役夫人のシュワルツコップがイゾルデの最高音を一音吹き替えた)。そのためマルタ・メードルが(ここでも、またスタジオ録音でも)ブリュンヒルデを担当することになる。メードルの声は下からしゃくり上げるような発声だが、奇妙な魅力がある。ただ、そこでジークリンデを務めるコネツイニが結局は声が無い人だと思うゆえに、フルトヴェングラーを聴くという楽しみを思い出さなければ聴いていられない。例えばブリュンヒルデからジークフリートを妊娠していることを告げられた時のRette mich Kuhne!(勇気ある皆さん、助けて下さい)という箇所では、もっとトップの音は他を突き抜けて欲しい。ワルキューレの騎行のオーケストラの部分では、ジャン、ジャンというシンバルの響きがややうるさい。

(1953年)クレメンス・クラウス指揮、ヴァルナイのブリュンヒルデ、レジーナ・レズニックのジークリンデで、1953年のバイロイト音楽祭の実況録音である。相変わらずクラウスの指揮は早い。そして心地よい(少なくとも私の耳には)。1953年となるとどんどん音の状態が良くなっていくのが分かる。ヴァルナイの声は中心にあることがはっきりし、他のワルキューレたちを圧倒している。その声の高音部は堅く、決してクリスタルのような透明感のある響きではなく、もっと硬質の鋼鉄の音だ。またブリュンヒルデが畳み込むように歌う箇所のドイツ語は素晴らしく生き生きと響く。ヴァルナイの声は1951年のカラヤン盤の時代と比しても進歩しており、楽しめるワルキューレだと思った。そしてここでの聴き物は、レジーナ・レズニックのジークリンデの声だった。Rette mich Kuhne!(勇気ある皆さん、助けて下さい)の声は悲鳴のように鋭く強い。その代わり最後のセリフ、Dich segnet Sieglindes Weh!(私の陣痛が祝福しますように)という箇所で、フッと声が弱くなっている。

(1955年)ヨゼフ・カイルベルト指揮、ヴァルナイのブリュンヒルデ、グレ・ブロヴェーンスティーンのジークリンデで、バイロイト音楽祭の実況のステレオ版。音が突然良くなったのを感じた。ここではワルキューレたち一人一人を区別できる。ヴァルナイの声と調子も上々。ブロヴェーンスティーンのジークリンデも素晴らしい声で響かせるが、最初のRette mich Kuhne!(勇気ある皆さん、助けて下さい)の部分がハッキリしない。カイルベルトの指揮も分かり易いと思う。デッカ社録音の中でも、これのステレオ化を計ったのも宜なるかなである。その意味が初めて分かったような気がした。オーケストラのジャン、ジャンという響きはやはりうるさい。もっと他の音と上手く融合してくれないかな。

(1957年)ハンス・クナッパーツブッシュ指揮、ヴァルナイのブリュンヒルデ、ビルギット・ニルソンのジークリンデで、やはりバイロイト音楽祭の実況。昔クナッパーツブッシュの指揮した「指輪」に憧れたものだ。内容に立ち入らないが、1951年の「神々のたそがれ」のバイロイト音楽祭実況を発売直前まで準備したのに、突然業務命令として発売が止められたいきさつには、憤懣やるかた無かった。一部は世に出たというから、もし手に入るのなら10万円支出する用意があった(私が20歳当時の値段。今日だったら50万円か。恐ろしや)。

クナッパーツブッシュの指揮は遅い!これが遅いということを実感したのも今回が初めてである。これを聴いていた家内は「何か遅いわね」と、感想をポツリと述べていた。ここのヴァルナイの声はこれだけ聴いていれば素晴らしい、というひと言で済むが、年度の違う版を色々聴いてくると、ここではある種の疑念が生じてしまう。つまりヴァルナイは、自らの声を美しく響かせるコツを覚えたのではないか、と。つまり若い戦意に満ちたワルキューレでなく、歳の行った大ベテランの歌手として登場していると思う。ベテランということは、すでに守りの体勢に転じるということである。それが上手く働いたから、響きと完成度は素晴らしい。その代わり失ったものもある!恐ろしいことだ。色々な分野で言えることだが、完成度の高いプレゼンテーションが必ずしも覇気に満ちた公演ではない!そしてこれを聴き終わるまで、うっかりニルソンがジークリンデを歌っていることを忘れていた。ニルソンはまだ「新入り」であり、当時はヴァルナイの代役程度の扱いだっただろうと思うし、それは正しくそうなのだ。声を張り上げてはいるが、ヴァルナイの敵ではないと思う。テンポはやはり遅いと思う。

(1957年)ショルティ指揮ウイーン・フィルに寄るもので、キルステン・フラグスタートがブリュンヒルデを歌っている。ジークリンデはマリアンネ・シェッヒ。まずはテンポである。私の中に「ワルキューレ」に相応しいテンポが決まってきたようだ。だからショルティのテンポ設定が大変好ましく聴こえた。カルショウが若い日にショルティを聴いて、いつの日かショルティと「指輪」を録音できたら、と夢想したという話がある。今頃になってその意味が分かるようになったのである。フラグスタートは堂々たる声を響き渡らせている。そしてそれは疑う余地もなく、前にヴァルナイに対して述べたことなのである。フラグスタートの場合はヴァルナイより性格が明解だ。つまり周辺の女性陣を黙らせてしまうような所がある。それが若き戦(いくさ)乙女たるブリュンヒルデに相応しくないかも知れない。マリアンネ・シェッヒのジークリンデは少し違う。シェッヒはそれなりに強い声で割り込む。しかしフラグスタート相手では同情せざるを得ない。今までどう思ってシェッヒを聴いてきたのだろう?それは若々しく、それだけ貫禄に欠けた声だ、と思っていなかっただろうか。間違いだったと思う。

(1965年)ショルティ指揮、ウイーン・フィルは同じでも、ここではニルソンがブリュンヒルデを担当し、ジークリンデはレジーヌ・クレスパンである。やはりショルティのテンポは快適だ。そしてジャン、ジャンと響く箇所も適当だと思う。ニルソンのブリュンヒルデは音の中央にたち、他を寄せ付けない。そこで喉のトランペットを全開するのを聴くのは心地よい。考えてみれば、それではブリュンヒルデは「考えなしの娘」という感じになるが、実際プロットではそうなっている。これがヴァルナイとかフラグスタートだとどうしても思慮深い中年の家庭教師みたいに響くのである。名唱集としてレコードを出す場合はこういう「思慮深いブリュンヒルデ」も良いと思うが、全曲ではそうではない。まさにニルソンの歌唱が必要なのである。ジークリンデのクレスパンはこれまた適切な声を響かせるが、惜しむらくは「Rette mich Kuhne!」の箇所だけ、あと一歩の声と響きがあれば、と思う。それにしてもそれら表現と、ぐっと改善された音質の両方から見て、恐るべき「ワルキューレ」録音である。

(1966年)最後を飾るのはカラヤン指揮ベルリン・フィルによるスタジオ録音で、ブリュンヒルデをレジーヌ・クレスパン、グアンドラ・ヤノヴィッツがジークリンデである。カラヤン盤はちょっと聴いて気がついたが、ショルティ盤に比してややキー音が高く響く。というより、低音を強調していないから、音が派手に響く。テンポはこれなりに説得力があると思う(最後の箇所を除く)。大戦中の戦意高揚の音楽として、「ワルキューレの騎行」が大空を飛び交う戦乙女の姿を反映したものとされ、ニュース映画によく使われたと言う。まさにそれである。カラヤンの指揮は、リズムを強調し、一定のテンポで1、2、3、1、2、3と拍子を取っていたに違いない。カラヤンのリズム感は素晴らしい。さぞや良く練習した結果だろうと思う。クレスパンはやはり早熟なワルキューレとして、上手い部類に入れたい。一カ所、Dich segnet Sieglindes Weh!の場面でもう一寸だけ、確固とした声を聴けたら言う事なし。ジークリンデの声は小さいかと思ったが、最後まで聴いて得た印象はやや違っていて、これは指揮者のテンポのせいだと思った。小さな声で歌われるジークリンデも、尤もらしいとは思うのだが、ジークリンデが登場する最後の場面で、カラヤンはどういうわけかぐっとテンポを落とす。どうしてメロドラマみたいに変えたのか分からない。

(1970年代以降)これは既に先にも述べたように、映像付きのものを映像抜きのものと対等には比較できないと思うため、除いた。画像つきだったら、ヒルデガルト・ベーレンスがブリュンヒルデとして出て来る、バイエルン歌劇場のものが好きだ。

(私の推薦する「ワルキューレ」第3幕第1場)やはりショルティ盤が最も私の趣味にあう。テンポは大切だと思うし、あれを保てたのはハンガリー生まれのショルティのお蔭だろうと思う。あとは1955年のクラウス盤と、1966年カラヤン盤である。これらの批評は決して私がヴァルナイとかメードルを貶めようと考えたからではなく、昔の古いレコードから聴こえる彼女達の声を、聴いたままに批評したものである。フラグスタートも同じ。そしてレオニー・リザネックとレジーナ・レズニックも同様である。
千葉のF高




昨日1.ベルリンの雨-その5 2009.10.1入力



1984年5月9日(西ベルリン/シュツットガルト/ミュンヘン)

ベルリン最後の朝食をとりに食堂に降りていくと、また昨日逢ったIAXAの男と会う。(あとで分かったのだが彼はAmdといってLS局のNo.2らしい。)再び同じテーブルに着く。突然Inaを知っているかと聞かれた。もちろん知っているとも、隣の部屋だ、と答えたが、ははあこれはIna氏のウィーン採用の情報集めだなと直感したから大いに宣伝に務めた。いわく彼はXYZ学の専門家と言われるが何もそれだけでなくSATに関する解析の専門家でもある、いわく彼は国連○○委員会に行くなど国際活動のキャリア有り、エトセトラ。フムフムと聞いていた。ついでにと思って僕のビルマ派遣の件を告げたら、まだ自分のところに書類が回って来ない、来るはずだ、と言う。お前さんの専門は?論文の数は?今やっていることは?大学卒業後の研究キャリアを順に言ってみよ、等々畳み込むように質問攻めにあった。物理が本来の専門だが今はCOSがメインだと言った時、彼は僕の顔をのぞき込んで、お前さんいったい何歳だと言う。その歳には見えなかったと言う。研究テーマがくるくる変わったので、短期間には無理と疑問に思ったらしい。

ウィーンに電話するから、ついでにお前さんの名刺を呉れ、と言われたので自分の部屋にかけ登って取ってきた。後で逢おう、とは言われたものの当方はもうベルリンを発たなければならない。これで姿を消したらかえって印象を悪くするかな、と心配した。ペンジオンをチェックアウトする時、女の子にここはすごく気に入った、今度ベルリンに気たらまた泊まりたい、また友達にも宣伝する積もりだ、と告げたら「そうでしょう。家庭的だし、ね!」と嬉しそうな顔をした。

テーゲル空港では今度は手押車を利用。後で分かったのだが、ドイツ、オーストリアではどこでも把手を押さえ込むと車が動き、手を離すとブレーキが掛かる。従って坂道であっても手を離せば車はその位置に止ったままである。ところがイギリスでは逆だった。つまり把手を押さえ込む時にブレーキが掛かるのである。待合室で待っていたら"Dr.K、レセプション・カウンタ8番とコンタクトをとって下さい"というアナウンスが2回聞こえた。ひょっとして僕のことを言ったのでは?と思い、一瞬IAXAの男の顔が目に浮かんだがチェックインを済ませてしまった後で仕方があるまい。別人のことであって欲しいと思う。

思ったより短時間でシュツットガルト空港に着く。どうせ今晩はミュンヘンに泊まるのだから直接ミュンヘンへ飛んでもよかったのだが、一度シュツットガルトを垣間見てみたかったのだ。シュツットガルト・バレエとかミュンヒンガーの室内楽アンサンブルよりも、子供の頃からあのユニークなテレビ塔の写真を見ていたからだ。シュツットガルト空港は全くのローカル空港で小さく、空港ビルなぞまるでバスターミナル。その外にある本当のバス停から25分ほどバスに揺られて市中へ向かう。なだらかに緑なす丘陵地帯を通り抜け、黒い森(シュヴァルツヴァルト)のはずれにあるこの小さな王城都市へ入る。

シュツットガルト駅の塔のてっぺんにはベンツのマークが付いている。ここはベンツの本拠地なのだ。まず手荷物をコインロッカーに入れた。初めて長距離列車に乗ることになるので窓口でFD列車の予約の要ありや無しや、と尋ねた。ほっとしたことに窓口の若い駅員は英語を話し、その必要なし、と言う。そこでユーレイルパスの使用開始日時だけスタンプを押して貰い、その後市街地へ出かけた。公園の緑は眩しいほど美しく、色とりどりの花が咲き乱れ、噴水と見事な調和をなしている。緑という色は大好きなので昔からよく写真を撮るのだが、正直なところ一度だって満足に撮れたためしがない。王宮広場はそんなに混んでおらず、市の中心とは思えない程。花壇が美しかったので、それを入れるアングルで建物を撮影したいと思っていたら、全く同じことをやっている老婦人をみつけた。駅と広場を結ぶ道路は歩行者天国になっていて両脇はおみやげ屋と高級品店が並ぶ。例のバヴァリア・クリスタルやゾーリンゲン製品、革製品が多い。ベルリンではついに食べなかったカリーブルストを初めて食べてみた。なかなか良い味だぞ。

ミュンヘンへ向かうFD(長距離)列車のコンパートメントには先客が一人いたが、コンパートメントは初めてです、と断って同室した。飛行機みたいに一つづつ照明灯があるし、温度調節もある。詳しい時刻表が各乗客のために置いてあり、車内販売のメニューまである。いたれりつくせり。相客は途中で降りてしまったので、あとの車中は寝そべったり、枕を外してみたり探検にいそしむ。ウルムの町を過ぎる時、あのドイツ一高い聖堂の塔をチラと見た。びっくりするほどではない。旅行計画を立てる時、一度はウルムに泊まるプランを作ったのだが、ウルムを過ぎたら急に眠くなり、アウグスブルクも見損なってしまった。

ミュンヘン駅もフランクフルトみたいなドームがあるもの、と先入観があったので、ドームの方向を探せば正面出口だろうと考えてキョロキョロしたが見当たらず。地図でカイザー通りを探しだす。ドライヴェーレン・ホテルは1km以内にあるはず。ひょっとするとこの重い荷物を持って歩くのかなあ、と思いながらも節約心が勝ち、ヨロヨロしながら歩きだした。案内書によく出ているホテルだが、実際はレストランの中にホテル部があるという感じ。せっかくポケットの中にはチップ用の1マルク硬貨を幾つか忍ばせていたのにポーターもいない。自分で運ぶ。おかげで汗ぐっしょりだから、すぐに洗濯をして軽装となる。まだ陽があたっているのに外出しない手はないと思い、カメラと地図だけ持って飛び出す。どうせ高級レストランに入る予定はないしネクタイは不要だろう、と思って出たのが後になってみると浅はかだった。

明日にでもノイシュヴァンシュタイン城へ行こうかと思ったので、まず南ドイツ行きバスの発着するレンバッハ広場を探し出す。広場そのものはすぐに分かったが、バスが停れそうな場所がない。普通の市内バスのホームにでも停車するのだろうか、と首をかしげる。旧市庁舎の裏手の方へ行く。けっこう遠くまで歩いて州立劇場のあるレジデンツ付近まで足を伸ばすことにした。ともかく未知の町を知りたければ足を使って歩くことだ。車で移動したのでは決して分からない町の空気が感じられる。

州立劇場(ミュンヘン国立歌劇場)の堂々たる姿。この町に滞在中に一度でもいいから何か観たいと思っていたので、プログラムを調べるべくBox Officeを探す。正式のBox Officeは別のビルにあって、このオペラハウスと同居している売り場はアーベントカッセと言って当日券だけ。開演1時間前にならないと開かない、と表示してある。今は6時頃であるが既に若い人々が何人か行列している。せめて演目は何かと思って、行列していた一人にプログラムを持っていたら見せて欲しいと声をかけてみた。ところが彼が言うには、お前さん日本人か、それならここにも日本人が一人いるから彼に話した方がよかろう、と言う。オヤ、日本人なぞ居たかしら、と思っていたら若い男が出てきて日本語で話しかけてきた。(ヒゲ面のため、日本人と分からなかったのダ)「いい人と会ったと思って下さいよ」と言う。今晩の出し物はR.シュトラウスの「エレクトラ」。歌手のリストの先頭に書いてある名前を見てあっと驚く。アストリード・ヴァルナイ。

今まで随分色々なソプラノを聴いてきたが、ついに聴く機会を逃したのがマリア・カラス(切符を持っていたのに!)、そして、もう諦めていたのがこのヴァルナイ(66歳だもの)。エレクトラ役は前に聴いたことのあるイングリット・ビョーナー、エギストはフリッツ・ウール。指揮はムント。何としても今晩の切符を一枚欲しい。行列の一人として加わり、ヒゲ男の助けを得たら、何という幸運か27マルクの席が買えた。全くの偶然から千歳一遇のチャンスを掴んだのだ。

このまま入場すれば時間的に問題ないが、何と行ってもラフな格好をしていたのである。グリーンの半袖セーターにブレザーを引っ掛けただけ。ヒゲの日本人も僕の格好を見て「服装から推察するに自由業ですね」と言う。あと小一時間あるので一旦ホテルへ戻って着替えることにした。小走りに歩いて急ぎ、再び汗だくになって帰着。あと30分弱しかない。ホテルの前にタクシーが並んでいるのを見て、それを利用することにした。今回初めての(結果的には全行程を通じて唯一回の)タクシー利用だった。車の渋滞にやきもきしながら時計をチラチラ見た。運転手もこちらが焦っているのを察してかなりのスピードで飛ばす。9マルクのところを11マルク払ってオペラハウスに駆け込む。アーベントカッセの横の入口から入ると、そこはバーになっていて着飾った男女がシャンパンやケーキを持って混み合っていた。僕も喉がカラカラだったのでレモネードを流し込む。プログラムを買って即入場しようとしたら、コートを預けろと言う。

Rang3の右側の最前列に座り、内部を見渡す。すごく豪華な劇場だと思う。ニューヨークのメトロポリタン歌劇場のような現代的な劇場ではなく、ここは明らかに宮廷劇場のにおいが残っている。開幕のベルと共に大シャンデリアが天井に吸い込まれるように上昇するのはメトロポリタンと同じ。

「エレクトラ」はこれで3度目の観劇だが、3度目ともなるとあのヒステリックな不協和音の流れから和声を聴き取れるようになったのは面白い。演出は今回のが一番分かりやすい。以前のは象徴的すぎて肩がこった。ヴァルナイは演技なのか地なのか、全く老いたドイツのお婆さん姿をみせた。太って背が丸くなり、丸太のような腕に杖を持ってヨタヨタと歩く。まさに70歳も近い老婆である。しかしその声は間違いなくあのヴァルナイの声。ドスの利いた、えぐり出すようなシャープな切れ味。クリテムネストラというギリシャ悲劇の最大の悪女を余すところなく描き出す。もちろん声の艶は衰えているし、音色が割れているところもある。しかし、全て許す。20年間崇拝してきた歌手の最初の、そして多分最後の舞台姿を見たのだから。カーテン・コールで「ブラーヴァ!」と叫んだら膝が震えてしまった。

眩いばかりの豪華な内部装飾をめでながら、ゆっくりと正面階段を降りていったら、先ほどのヒゲの日本人が待っていた。ヴァルナイを評して「ああいうの、渋いと言うんでしょうかね」と言う。彼の誘いで有名な酒場ホーフブロイ・ハウスへ行く。ヒットラーが最初に気勢を上げ、ナチスが誕生した有名な酒場。ドイツ人のおじいさんが一人でジョッキを傾けているところに割り込んだ。ヒゲの日本人の名はKtといって、医者だという。ただ志すところがあって芸大を浪人中なのだという。建築の勉強のために欧州を回っているのだそうだ。奥さんはピアニストでウィーンにいたという。お金が無くなると日本で医者をやって稼ぐのだそうだ。明晩はグルックの「オルフェウスとエウリディーチェ」で、彼はそれも観るという。あなたは観ないのか、と言うから、明日はノイシュヴァンシュタイン城へ行く予定だが、ミュンヘン帰着の時刻が遅くて間に合わないと思う、と答えた。彼はまだノイシュヴァンシュタインへ行ったことがないと言う。でもかつて、最も好きな建築様式としてノイシュヴァンシュタインを挙げたことがあると言う。あれほど装飾をつけても良いのだ、という点が心強いという。建築をシンプルにするのは簡単で、今では飾り立てる方が難しいのだそうである。

明後日はカルロス・クライバー指揮の「ばらの騎士」だが、もし僕が行く気があれば切符を明日買っておいて呉れるという。100マルクまでの切符を一枚頼む、と言った。彼は本当は歌舞伎とか劇の方が好きで、オペラは余り知らないのだという。何かレコードを買って帰りたいので推薦してくれ、と言うから町のレコード屋でアニタ・チェルケッティのアリア集を見かけたけれど、あれは日本では廃盤中でお値打ち品ですよ、と勧めた。またエーリッヒ・クライバーの「ばらの騎士」のレコードも見かけたが、あれは自分の結婚式のバックグラウンド音楽に使ったくらいだ、と話す。あなたもかなり重症ですね、と言われた。














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