(121)モノローグ    2010.1.9

新年を迎えた。今年こそこれをやろう!と景気よく紙に殴り書きするのは毎年の話。新年早々、Ky大学から「学術創成のための何とやら」というのをやるから、来て欲しいと言われ、松の取れない冬の京都を訪れた。

会場はK施設だったが、ここは地元の人さえ良く知らないところ。やっとの思いで到着し、無事に自分の講演に臨む。学術創成って何をやるんだろう、と不思議に思っていたが、要するに新しい分野ユニットを開設する準備らしい。早速、連絡を担当するAx氏から挨拶を受けた。Ky大の若い人達は元気だ。私は1時間の講演と言うので、55分の話を用意してあったが、途中で飛び込む質問に答えていたため、大幅に伸びトータルで1時間半も費やす羽目になる。しかし質疑が盛んだということは、それだけ関心を呼んだ証拠だから良かったと言うべきか。このような質問の嵐は実に気持ちが良い。

講演後、ここを初訪問だった私のために、K施設の長であるS教授の指示で若い所員が構内を案内して呉れる。思えば昔1955年に、小学校の科学クラブ員として三鷹の天文台を初訪問したのだが、あの時と同じ感触だった。タイガー製の計算機が展示してあったが、これは35年前私はまだ現役で使っていたよ、と説明員に言ったところ、そうですかと古代遺跡を発掘したような顔をされる。会場に戻ると今セッションを閉じる寸前で、私の講演ファイルのpdfファイル(私のコンピュータはマッキントッシュで、教授のはウインドウズだから)をS教授に渡す。夜の懇親会は失礼したが、そこに向かう直前、S教授が写真を撮ろうと言い出し、最後に残った数名と共に写真に収まる。

講演した夜は、内容を思い出し、質疑のあった主要点を反復して見る。Kd名誉教授は私のスライドにあったXXXにつき、別の視点から説明を求めたが、それは深遠な問題だったし、夜中考えたが結論が出ず。また若い人から指摘された星の爆発に伴う現象を表す言葉遣いも気になっていたので、繰り返し頭の中で反芻していたら、寝不足になってしまった。

京都の初日には妻と共に平安神宮等に行って御祓に至近距離で接したが、翌日は仕事、翌々日は京都の冬を満喫し、奈良にも行って遷都1300年の歴史を楽しみ、唐招提寺や薬師寺も拝観した。食べ物にも興味があったので、初日には蕪入りのうどんを、また漬け物屋の食事処で御茶漬けセットとしば漬けのアイスクリームを食べた。なかなか美味しかった。最終日には三十三間堂にも行けたし、良い旅だったと思う。8日に帰宅したらパソコンに早速Ky大学から講演をありがとうと来ており、また講演内容を冊子に掲載する許可を求めて来たので、OKの返事をした。






(122)モノローグ    2010.1.11  「ワルキューレ」の比較その4

ワーグナー「ワルキューレ」の比較をやってきたが、今度は第2幕第1場〜第5場を比較してみる。あと2回やらないと全曲が終らない(!)。

(1936年)フラグスタートの全盛期がどうだったか聴いてみたい場合は、古く1936年サンフランシスコ歌劇場の実況がある。第2幕だけだ。ハンガリー人のフリッツ・ライナー指揮、ノルウエー人キルステン・フラグスタートのブリュンヒルデ、デンマーク人ラウリッツ・メルヒオールのジークムント、ドイツ人のロッテ・レーマンのジークリンデ、エマニュエル・リストのフンディング、そしてハンガリー人フリートリッヒ・ショルのヴォータン、またキャスリン・マイスルのフリッカというキャスト。これは実況だし、1936年という年を考えると恐らくワイヤー録音だと思うが、とにかく録音が残っている。フラグスタートはまだ声が若く、ショルのヴォータンが響かせる物凄い低音(これはバスの声)の方に注意が行く。そしてブリュンヒルデとしての評価を決める第2幕冒頭の「ホ・ヨ・ト・ホ」の叫び声を、フラグスタートは最後の「ホ」音をしゃくり上げる形で歌っている。其の歌い方なら声が出たのだ。また後年ヴァルナイも同様の手法でその場面を切り抜けている。録音特性を問題にすれば「限りなく悪い」からはっきりした事は言えないが、フラグスタートの声は確かに若々しい。それよりも聴きものなのは、レーマンのジークリンデだ。其の声と表現は間違いなく最もロマンティックなもの。最後の音までその点は保証できる。これで第3幕も聴いてみたいと思うのが人情だが、それは(レーマンの歌っている第3幕を、の意味)私は持っていない。ライナーの指揮ぶりはショルティ同様で、ハンガリー人の血が聴ける。

(1941年)メトロポリタン歌劇場の実況で、エーリッヒ・ラインスドルフの指揮、ヘレン・トロウベルのブリュンヒルデ、フリートリッヒ・ショルのヴオータン、アストリード・ヴァルナイのジークリンデ、ラウリッツ・メルヒオールのジークムント、ケルステン・トルボルイのフリッカである。冒頭にある有名なブリュンヒルデの雄叫び「ホ・ヨ・ト・ホ」の部分をトロウベルは問題なく乗り切り、拍手を受けている。その前にあるオーケストラ部分で太鼓がうるさく響く。トロウベルは魅力的なソプラノだと思うし、特にその低音域の響きは良いと思うが、問題はショルだ。彼は低い音ばかりの箇所では魅力的な低音を響かせるが、Bから上の音がまったくダメで、苦しそうだ。トルボルイはブルーノ・ワルター指揮のマーラー「大地の歌」の録音でソロを担当しているアルトだが、これを聴くと喉がやや苦しく、そしてキャンキャン響くのだ。ラインスドルフの指揮による音楽作りは「立て板に水」という風情。この「ワルキューレ」の悲劇は、フリッカが婚姻の女神として誇り高かったことに遠因があったような気がする。ヴオータンはフリッカの言う事を聞いたが、それはブリュンヒルデが実情を聞いていない、というトリックが前提だったのだ。それをフリッカは見逃さず、ワルキューレもジークムントを助けないことです、とヴオータンに迫る。いやはや。思い通りに行かない主神は、どうにもならない。そのあとに現れるジークリンデは半狂乱状態。それをジークムントはなだめ、休ませる。そして話は悲劇の底へと落ちて行くことになる。快刀ノートウングに与えられた無双の力も、その特別なパワーを抜き取られていたからだ(このジークムントと主神の間に交わされた約束を、フリッカは全く問題視していない!フリッカにとって、ジークリンデはフンディングの妻であり、他の要素はまったく眼中にない)。このフリッカの性格は、ギリシャ神話のヘラと似ている。フリッカを歌うケルステン・トルボルイの声は堂々たるものだった。他方、ショルは大した事ないと思う。

他の場面でも気になったが、このラインスドルフの指揮したものには、何か華々しい場面があると京劇の銅鑼みたいな音が混じる。「フリッカの為に戦え」と苦々しくブリュンヒルデに告げる場面等。他方、ブリュンヒルデ役のトロウベルはあの速いパッセージの続くところでドンドン調子に乗っており、素晴らしい。またヴァルナイも同様で一人眼を覚まして狼狽える場面は真に迫る。その代わり、ジークムント役のメルヒオールは別記した
ギュンター・トレプトウ(1950年参照)より劣るようだ。

(1950年)フルトヴェングラー指揮によるスカラ座公演で、フェルナント・フランツのヴオータン、キルステン・フラグスタートのブリュンヒルデ、ギュンター・トレプトウのジークムント、ヒルデ・コネツイニのジークリンデ、そしてエリザベート・ヘンゲンのフリッカである。フルトヴェングラーのテンポが案外と速い。そして、まず感心したのはヘンゲンの歌うフリッカだった。この声質は好きだ。その歌の表す性格もこの場にピッタリ。当初トレプトウのジークムントは余り頂けないと思えた。その代わり、フランツのヴオータンにも良い点が見つかった。低い音が得意なのは以前から分かっていたが、フリッカにやり込められて、「良いとも。そうする!」と叩き付けるように言う場面でハッとしたのである。これで世界は破滅だ、と嘆く所(Der traurigste bin Ich von allen、またDas Ende!)である。ここでヴオータンほど世界の運命を正しく予測できた者は無かったのである。フラグスタートは娘らしい感じを良く現している。「ホ・ヨ・ト・ホ」の登場の場面に対し、スカラ座盤では拍手が聴こえなかった。

ジークムントとの対話の場面はじっくりと聴いた。ここでフラグスタートの声はやはり神の娘の声のごとく聴こえたし、実に威厳があるのだ。トレプトウのジークムントははじめ精一杯の努力でこれに答えるが、どうしても助かりそうもない、と観念して「それならこのノートウンク(太刀)は自分達の命を奪え!」と叫ぶのをブリュンヒルが必死で止める場面、ここの緊迫感は素晴らしい。またフンディングの声が響いて来る直前、ジークムントはやさしくジークリンデに別れを告げるのだが、その時は思い切り声をセーブしており、聴くものをシミジミとさせてしまう。コネツイニがひとり、目が覚めて半狂乱状態になる場面も印象的。ヴオータンがフンディングに向かって「フリッカの所に行って自分がどうしたか告げたら良い」と言う場面、「Geh! Knehit!」の言葉、そしてそれに続くブリュンヒルデに対する怒りの凄まじさ!やはりフルトヴェングラーの指揮だった。

(1953年)クレメンス・クラウス指揮のバイロイト音楽祭、ホッターのヴオータン、ヴァルナイのブリュンヒルデ、イーラ・マラニュークのフリッカ、ラモン・ヴィナイのジークムント、レジーナ・レズニックのジークリンデ。ヴァルナイの登場の「ホ・ヨ・ト・ホ」は、最後の音をキュッと絞り出す方法。これでも高音が出ているのだが、メードルの努力ほど素晴らしいとは思えない。ここではホッターがシミジミとして素晴らしい。但し「破滅だ」と嘆いて去る場面ではオーケストラが弱いのだ。これは全く指揮者クラウスのせい。どうしたんだろう?マラニュークのフリッカも堂々としている点は良い。ヴオータンがフリッカに向かい、「誓う!」と吐き捨てる時は声を潜めている。それほどヴオータンとしては屈辱的だったのである。フリッカが色々要求を出すうちに、ノートウング(剣)を持ちした時は、ギョッとしたような声を上げる。あれまで取り上げよと言うのか?ここでホッターの声は百面相だ。

フリッカは図に乗ってますます威丈高になる。マラニュークのフリッカはそれを十分に表す。デッカ社が「ラインの黄金」を録音しようと言う時、マラニュークをフリッカ役としてではなく、フロースヒルデ(ラインの乙女の一人)に割り振った時、マラニュークは、自分はフリッカとしても経験を積んでいるのに、と抗議した。それに対し、フリッカ役はフラグスタートが引き受けるかどうかを考慮中だから、と告げた時、マラニュークはフラグスタートと一緒に録音できるのは光栄だから、是非どんな小さい役でも欲しい、と逆に頼み込んだ、というエピソードが残っている。最後にヴオータンがヤケになる場面で、ラインスドルフ指揮ほどではないが、オーケストラから京劇の銅鑼みたいな響きが少し聴こえる。神々の危機を救える男として、神々の意を継ぎ、表向き全く神々とは独立した男が必要になる。そこでヴオータンはウエルズンク族を創造し、その一人にジークムントがいたのだが、フリッカの目には、そういうマヤカシ(ジークムントはヴオータンとは独立した男だが、実は神々の意志通りに動く、という設計)はミエミエだったのである。ヴオータンは「Das Ende!(おしまいだ!)」と吐き捨てるように言う。この場面ほど心に響くところは無い。それを伝える者としてホッターほど優れた役者も他にいない。

(1953年)ウイルヘルム・フルトヴェングラー指揮、イタリア放送のための実況。フェルナント・フランツのヴオータン、マルタ・メードルのブリュンヒルデ、エルザ・カヴェルティのフリッカ、ウオルフガング・ヴィントガッセンのジークムント、ヒルデ・コネツイニのジークリンデ。例によってフランツの限界を感じさせる声のヴオータンに始まったが、メードルの方は1949年まではアルトだったのだから、それを考えると彼女の高音は脅威的だ。「ホ・ヨ・ト・ホ」など、キチッと最高音まで出している(メードルは昔を回顧して「バイロイトに出ていた当時、私は既に歳を取っていたのよ」と上手く高音が出ない点を弁解しているが、私の耳では立派な高音を出していると思う)。フリッカ役のカヴェルディの方は、まるでメードルがそのまま年を取ったような声で、幻滅だ。残念ながらこの人の声は勧められない。終幕近くでオーケストラのならすジャン、ジャンという箇所はここではかなり派手に鳴っていた。そしてヴオータンが「それがワルキューレの仕事だ!」とブリュンヒルデを怒る場面があるが、その声は散漫だ。フランツがGeh!と叫ぶ場面ではそのまま「叫んで」おり、ホッターの様な工夫は見られない。

ここでジークリンデを歌うコネツイニだが、やはり才能が無いのかな、と思わせた。そしてジークムントだが、これが難しい。これを歌うヴィントガッセンのどこが悪いのか、と言われた時、正直言って、私にはヴィントガッセンは旋律をなぞっているだけのようにしか聴こえない。無機的過ぎると思う。透明感のある歌い方ではないか、という反論も聴こえてくるが、やはり私は自分の耳に正直になろう。彼はジークフリートだったら適役かもしれないが、ここで務めているのはその父親、ジークムントである。ジークムントにはもっと情熱が欲しいのだ。冷めた歌い方ではがっかりしてしまう。これに対峙するブリュンヒルデは体当たりの歌唱で、私はこういう歌い方の方が大好きだ。上手いヘタ、の問題ではない。情熱が感じ取れるかどうかの問題。フルトヴェングラーの指揮ぶり、特にそのテンポだが、ジークムントとブリュンヒルデの対決の場面ではぐっと遅く聴こえる。それが後半に至ると俄然早くなり、聴く者をしてワクワクさせる。この第2幕はそういう構成なのである。

(1955年)ヨゼフ・カイルベルト指揮のバイロイト音楽祭。ハンス・ホッターのヴオータン、ヴァルナイのブリュンヒルデ、ゲラルディネ・フォン・ミリコンヴィッチのフリッカ、ラモン・ヴィナイのジークムント、グレ・プロヴェーンスティーンのジークリンデ。やはりここの問題はミリコンヴィッチのフリッカだろう。このフリッカはどのフレーズも単調に聴こえる。ホッターもこれ相手では反応が遅くなってしまい、間に合わないような箇所があり、全体に、ホッターはどうしたんだろう、と思わせる所。ヴァルナイもやや歳食った娘だが、それでもホッターにすがり「お父様、どうなさったの?」という辺りはハッとさせられる。プロヴェーンスティーンのジークリンデも、これなら、と期待させる突進力を聴かせるが、実は長続きしないのが欠点。ヴィナイの声はそれ自体どうという魅力に欠けたもの。カイルベルトのテンポは適正なものだった。この演奏、決して悪いものではないが、もっと素晴らしい演奏もあることを我々は知っているのである!

最後のシーンではヴィナイの歌い方が情熱を帯びる。なるほど、ジークフリートとジークムントの違いか、と納得。あとで第一幕を聴く時に、この点に注意して聴いてみよう。テンポが速いのもヴィナイの声を支えている。またプロヴェーンスティーンが恐怖のあまり狼狽えるのが良く分るし、その最後には悲鳴を上げている。全体を締めくくるホッターは毎回歌い方を変えるが、ここでも変る。すなわち、最後の「フリッカの所へ行け!」では絞り出すような声を出している。決して声が無いのではなく、有り余る声を自在に使い分けているのだ。

(1957年)クナッパーツブッシュ指揮のバイロイト音楽祭、ホッターのヴオータン、ヴァルナイのブリュンヒルデ、ゲラルディネ・フォン・ミリコンヴィッチのフリッカ、ラモン・ヴィナイのジークムント、そしてビルギット・ニルソンのジークリンデ。まずテンポが急に遅くなったのに気づく。ホンの少しだけ油を敷き詰めたような音で、やはり本質的に遅い。ミリコンヴィッチのフリッカはやはり問題だと思う。女神としての威厳が無く、年増の家庭教師が教え子を懇々と諭すような声だ。その相手をする場面ではホッターですら手に余る感じ。ヴァルナイのブリュンヒルデと交代した後は俄然ホッターの演唱力が光る。ホッターは他のどの年のバイロイトよりも、ここでイライラし、やりきれない想いをしているのが良く分る。「ああムダな栄華よ、ムダな力よ」と叫ぶ所でそれが顕著になる。ヴァルナイにはやや声が衰えたような箇所を一点見つけたが、ここでの聴き物はニルソンのジークリンデだった。もう一度、ニルソンのジークリンデを信じようという気が戻った。これは消えたり現れたりするが(前出)、ニルソンの歌唱をもっと聴こうとして、それを実感した。演唱にのめり込んで聴く場合と、ダラダラ聴く場合では受け取り方が違うのだ。

ヴィナイのジークムントは、声が小さい上に、この音色は何とかならないだろうか、と思った。若々しいというより、家賃を督促して回る中年の家主という感じなのだ。他方ヴィントガッセンの声では透明過ぎる。若々しい、英雄的な声を求む。ヴァルナイはいわば最後期の声を聴かせる。最後の音も尤もらしく、力が抜けていなかった。ホッターは最後の「行け!」は相手を追いやるような強目の声だったが、そのもう一つ前の「行け」の箇所とのコントラスト上、問題が残るような気がした。なお、このクナッパーツブッシュ盤「ワルキューレ」と前のカイルベルト盤「ワルキューレ」の両方で、オルトリンデ役をゲルタ・ラマースが歌っていた。イタリア・オペラのケルビーニ「メデア」を歌ったソプラノである。

(1965年)ショルティ指揮のウイーン・フィル、ホッターのヴオータン、ニルソンのブリュンヒルデ、クリスタ・ルートヴィヒのフリッカ、レジーヌ・クレスパンのジークリンデ、ジェームス・キングのジークムント。登場順にいうとまず、ホッター。彼は実を言うと、ここで少し物理的な力が衰えている。余り言いたくない話。ホッターには数年前までの、あれ程の、神々しいほどのヴオータンの記憶があるから、その時はどうしても厳しく評価されることになる。決して他のヴオータンより劣っている訳ではなく、今もなお彼等よりずっと良いヴオータンである。それでも「あのヴオータン」の姿はここにない。ニルソンは元気一杯だが、ホッターのヴオータンとの対話でどうしても影響を受けるのか、やや話の内容も軽そう。ヴオータンが悩むのを見て「お父様、どうなさったの」の場面もあっさりしているし、ヴオータンの命に背いて、その逆提案をしたところ「何をいうか!」と叱られる箇所、これは大切な所なのに、ホッター共々に浅い。

フリッカのルートヴィヒは全体としては満足いくもの。諸処に上手い表現をちりばめている。ただし、彼女の弱いところは、声そのものが「普通の声」という点だ。あそこに少し「硬質の影」がつけば、と思うのは私だけだろうか。そういう声はあったのである。例えばアストリード・ヴァルナイが「もし」ここのフリッカを引き受けていれば、問題なく誰しも喝采したに違いない。長年務めているオッカナイ家庭教師みたいな声。そしてクレスパンの声は相変わらず素晴らしい。この時点で最高のジークリンデである。またキングのジークムントが素晴らしく思えるのは、まるでイタリア・オペラの英雄みたいに、声にチョッとだけ不純物があるせいかも知れない。ヴィントガッセンではそういう不純物を含んでいないのだ。ワーグナーの英雄もこの不純物を適切に含めば、極めて効果的になるが、そのサジ加減が難しいところ。

ブリュンヒルデがジークムントの前に姿を現し(つまりジークムントは間もなく死に、その魂だけワルキューレたるブリュンヒルデに運ばれて天上のワルハラ城に行く、という設定)、これから一緒にワルハラへ行きましょう、と言ったところ、ジークリンデを連れて行けないなら自分は行かない、と答える。あれこれ対話したあと、ブリュンヒルデはヴオータンの命に背いて、ジークムントを助ける事を決意。このあたり、ショルティの音楽はスポーツ的快感に満ちている。元気溢れるニルソンのブリュンヒルデもそれに答えて、思い切りよく彼女のソプラノをまき散らす。またあとに残されたヴオータンはフンディングにむかい、「行け」と言う場面で、やはり声が出ていない。これは声を潜めたというより、声を失っていることを思わせた。残念ながらこれがショルティ盤のホッターに対する私の評価だ。

(1966年)カラヤン指揮ベルリン・フィル。トマス・スチュアートのヴオータン、レジーヌ・クレスパンのブリュンヒルデ、ジョセフィーン・ヴィージーのフリッカ、グアンドラ・ヤノヴィッツのジークリンデ、ジョン・ヴィッカースのジークムント。まずスチュアートのヴオータンだが、彼なりに工夫して聴かせるが、残念ながらホッターの敵ではない。あの長いバスの部分の終りで、あっさりと聴こえる。また全体はまるで飲んだくれの父親のようだ。カラヤンは威勢良く颯爽としているが、それでもブリュンヒルデの「ホ・ヨ・ト・ホ」の「ト」から「ホ」への移行をクレスパンがしゃくり上げる様に歌うため、その部分だけテンポを急に落とす。これは2度繰り返されるから間違いなく遅い。カラヤンはそのようにクレスパンをサポートしているが、ヤノヴィッツのジークリンデ、ヴィージーのフリッカと対比するとあまり上手い配置ではない。皆々、叙情的な声の持ち主だからだ。区別がつかない程だ。カラヤンは彼女達が可愛くて仕方がなく、何とかしてそれぞれ生かそうと努力しているようだ。ヴィージーは英国の歌手らしい美しい顔立ちをしているし、発声はまるで教会音楽の歌い手みたい。あまりフリッカになろうと言う意識は無いようだ。クレスパンも父親の命を受け入れる場面がハッキリ聴き取れない。ショルティ同様にスポーツ的快感が支配するが、「ワルキューレ」全体に上手くコントラストが付いていない。ただ、とにかく颯爽としているのだ。ただ2回あるシャン、シャンという音は、うまくマスクされていて、ラインスドルフみたいに目立たず、カラヤンは上手くやっていると思う。

そして最後のシーンだが、ヤノヴィッツの歌うジークリンデが美しいので、ついついウットリと聞き惚れてしまう。カラヤンの仕掛けたワナである。ブリュンヒルデは力強く、その辺りでは最高に素晴らしく響くが、それでも最後のパワーが不足し、ブリュンヒルデ向きでない(大変惜しいことに!)。ジークムントは声を潜め、その限りでジークムントらしい。ここはカラヤンのテンポが遅過ぎるようだ。一音一音を大切に響かせようと意図したものだろうが、私には遅過ぎる。そしてヴオータンはホッターばりに、最後の「Geh!」を叫び落とす。カラヤン指揮のベルリン・フィルは格好よく、キビキビ音を響かせ、テンポも分解能も凄まじい。ただ、ふとその美音を聴きながら思ったのは、これはまるでリヒャルト・シュトラウスみたいだ、と言う点だ。映画みたいな構造の、無機的な音の伽藍である。

(私の推薦する「ワルキューレ」第2幕)全体としてはショルティ盤が第一である。特にテンポがそうである。カラヤンには耳を奪われるが、ただ聴き終わった時に何かむなしさが残る。1955年のカイルベルト盤も素晴らしい部分を含んでいる。
千葉のF高





(123)モノローグ    2009.12.10

昨日四谷で開かれたXYZ機構の説明会で進捗条項を聞いたあと、今日は大手町の建物でXXXの検討会が開かれたので出席した。忙しいらしく、いつもより欠席者が多いようだ。ここで新しい結果を含む報告を聞いた。早く全貌を聞きたいもの。
千葉のF高






(124)モノローグ    2009.12.18

今夜、ようやく先日出た12月の新刊「バイオリニストは目が赤い」(単行本を文庫本化したもの)を読み終えた。面白い!全て本音が書かれているし、他人を誹謗していないのが良い。ハイフェッツの所で詳しく書かれているが、私が大学1年生の時、いつも右側に座っていたHo君が「ハイフェッツってテクニックばかりだから嫌い!」と言っていたのを思い出した。声楽家も多く引用されているが、それに含まれないマリア・カラスをどう思ったのかを知りたいところ。
千葉のF高






(125)モノローグ    2009.12.19

朝刊に平成21年の紀伊国屋演劇賞が発表され、シェークスピア「ヘンリー6世」のマーガレットをやった中嶋朋子とヘンリーをやった浦井健二の二人がそれぞれ、個人賞を獲得した、とあった。当然だろう。もう少し世の中があの演劇の意義に注目して欲しかった。
千葉のF高






(126)モノローグ    2009.12.19(II)

今日の夕食はベシャメール・ソースによるライス・コロッケにした。台所は大騒ぎ。ベシャメールとは何だろう?と思い、調べてみたら元々イタリアのメディチ家のお姫様がフランスに御輿入れの際、持ち込まれたものという説もあった。今でこそフランスは大きな顔をしているが、当時はイタリアの影響が多大だったのだろう。平たく英語で言うと、ホワイト・ソースのこと。ベシャメールとはフランスのある有名な御代官様の名前だという。このコロッケ、妻には好評だったようだ。
千葉のF高



昨日1.ベルリンの雨-その8          2010.1.10入力



1984年5月15日(ニュルンベルク/ハイデルベルク)

美しいニュルンベルクに別れを告げて西に向かう。ガラガラの列車だったのでコンパートメントの通路側のガラス越しにもキョロキョロ外の景色を眺めた。ドイツの町は本当に小じんまりまとまっていて、決して東京みたいに横に際限無く繋がってはいない。ほとんど隣の町とも言えるアンスバッハを通過。ここも奇麗そうだ。そしてドイツ体験談の本に交通事故の話で登場したハイルブロン。そのうちネッカー川とおぼしき川が見え隠れすると思いきや列車はハイデルベルクへ滑り込んだ。

良い天気だった。日差しが強すぎると言うべきだ。暑いのなんの。コートを着て大荷物を両手に持ってこの日差しの中を歩くのは大難儀だった。「地球の歩き方」か何かに、ハイデルベルクの駅からホテル街まではかなり遠いうんぬん、という記事があったのが頭の端に残っていた。いやはや実際遠いのだ。歩いても歩いても、それらしい光景にならない。これは道を間違えたかと思って、あちこちで立ち止っては地図を調べる。くたびれて50mと続けては歩けない。もう汗ぐっしょりだ。疲労困憊でやっとの思いで今宵のホテル「アルト・ハイデルベルク」の看板を探し当てた。

チェックインして部屋に入るとすぐにシャワーを浴びて洗濯。まだシャツも何も着ていないうちにメイドが掃除に入ろうとして、慌てて"Schuldigung !" と出ていく。荷物の整理のあと、しばしロッキングチェアで休む。わりに良い部屋だと思う。半袖のセーター一枚を着て町に出ることにした。ハイデルベルクの名は耳にタコができるほど聞かされてきたし、例のアメリカ映画ですっかりお馴染み。半年前に再会した米国YYY機構のWy氏もハイデルベルクは素敵なところ、と溜息をついていた。

カラっと晴れ渡り、昨日までの雨模様がウソみたいに日差しが眩しい。ハイデルベルク大学の広場をちょっと横切り、地図を頼りに余りヒト気のない通りを進む。ケーブル・カーに乗って行くつもりだったが、どうも乗り場が見つからない。おまけに乗車券代を節約したい気持ちが強くなり、ついに長い坂道を歩いて登り始めた。前に年配のアメリカ人夫婦がゆっくりと歩いていたが、途中でくたびれてしまったらしく、道端のベンチに座り込んでいた。本当にアメリカ人観光客が多い。英語が溢れている。ハイデルベルクはアメリカ人好みの町なのだ。ラフマニノフの音楽と同じ。そしてもうひとつ目立ったのが、意外にも中国人の団体客が多いこと。観光バスを連ねて大挙して押し寄せていた。

古城の上から見るネッカー川の風景は悪くない。古い煉瓦積みの廃虚の上をゆっくり歩いて回り、結局飲まず食わずで降りることにした。土産店でスライドとカラー写真を何枚か買った。下りのケーブルカー乗り場はすぐ分かったが順番待ちの人が長蛇の列をなしていたし、ケチに徹し再びやってきた坂道を歩いて降りることにした。途中、ドイツ人の小学生の団体が登ってきたが一人のチビが何気なくキーナとつぶやくのを耳にした。問題はその時両手をちょっと両目の端に当てたことで、これはよく知られている通り中国人や日本人を指すゼスチュアである。あちらも何気なしにしたことは分かるし、気にすることは無いのだが、何かわだかまりが残ってしまった。

城の下の街には大きな広場があって、高校生ぐらいのグループが楽譜を広げ、下手なフォークソングを歌っていた。マルクト広場の周りはお土産店だらけで、どこでも錫皿とか似たようなものを山積みしている。ともかくネッカー川越しに古城を見たいと思い、カール・テオドール橋を渡って対岸の川岸に立ってみた。観光客だけでなく学生達が2〜3人づつグループを作って草の上に寝そべっている。このアングルから橋越しに見る古城の姿は観光写真でよくお目にかかるものだ。ヨット遊びをしているのは学生だろうか。

何か食べたい。アスパラガスを供す、と看板の出ていたカフェ・レストランが窓越しに見ると随分混んでいる。その他何軒ものレストランを物色したが、高そうか、みすぼらしいかのどっちかなので、なかなか決まらない。いつもの事だがレストランと食べ物選びに関しては、僕は全く優柔不断なのだ。迷い出すと1時間ぐらいは平気で費やしてしまう。いくら安くてもハイデルベルクまで来てハンバーガーでもあるまいし、白布のかかったテーブルの店はチップをたっぷり取られそうで敬遠したいし。長い道のりを行ったり来たりしていたら観光馬車が通り過ぎていった。

結局マルクト広場の端にある古びたレストランに入った。右が酒場、左がレストランという感じだが、まずフィルムを交換しようといじっていたら、店のオヤジが出てきて、「1時間で現像を済ませます!」と印刷したDPEの宣伝カードを呉れた。シュニッツェルとビールを摂りながら、ふと壁を見ると何と「椿姫」の舞台写真が掛かっている。第2幕と第3幕らしいのだが何となく風変わりな演出だ。興味を持って食後も壁面を覗き込んで回ったら確かに「椿姫」だ。そこでオヤジに何でレストランにトラヴィアータの写真なぞ掛けておくんだと、と尋ねてみたら、いいだろう?変わっているけど良いプロダクションだったよ、と自慢そうに言う。お互いに素性が分かってしまったので、僕もあさってウィーンに行ってスメタナを見るんだ、と言った。とたんに、隣のテーブルを囲んでいた労働者風の男達も加わってオペラ談議が始まる。妙な場所で妙な会話が盛り上がる。こういう偶然は面白い。

聖霊教会の横の長い通りを通り抜け、新市街の方へ進む。西側にあるいろいろな店を見ているうちに、ふとこの町の底の浅さのようなものを感じてしまう。学生町なのだから学生は確かに多いのだが、それにしても目立つのはお土産店とアメリカ人だ。日光や熱海の感じ。一番いけないのは舗装された道路だろう。バンベルクやニュルンベルクの石畳を見たばかりだから、ことさら近代的な舗装道路や、その上を走る自動車が疎ましく見えるのである。要するにハイデルベルクとはありふれた町なのだ。その名前の響きに伴う諸々の期待や夢は裏切られる可能性があるが、それは日本を訪れる無知な外国人が、京都の駅前通りを歩いてがっかりするのに似ていよう。

あの道のりの長さを思うと、明日もまた駅まで歩くという元気は無いから、市電の乗り場と時刻を調べておいた。そして、その近くの街路樹の下に張り出したカフェ席に席を取り、ポット入りの紅茶とアイスクリームを注文してこれからの予定を立てた。外の日差しはいつまでも明るく、時計を見るともう9時近いというのにまだ太陽が出ているようだ。この季節の日本の5時ぐらいの明るさか。

自動車と通行人の音が部屋の中までうるさく、なかなか寝つけない。明日は夜行列車なのだから今晩はどうしても良く寝ておかなければ、という思いがかえって神経を刺激して目が冴えてしまう。














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