オペラ「椿姫」の話(その1)
(134)モノローグ  「椿姫」について  2010.4.12

「椿姫(La Dame aux camelias)」というのは森鴎外が付けた通称ですが、もう定着しています。またオペラ「ラ・トラヴィアータ」の意味は「道に迷った女」。最近よくある演出で、ヴィオレッタが実際に恋人アルフレード・ジェルモンに会えないままで終わる、というのは(例えばゼッフィレルリ演出の映画版「椿姫」)、原作がそうなっているためです。アレクサンドル・デュマ・フィスの「椿姫」では、主役マルグリット・ゴーティエはアルマン・デュヴァルに再会しないまま死にます。主役は月のうち25日間は白い椿、5日間は赤い椿を携えて劇場に現れます。実在の話の主役はマリー・デュプレシス、恋人はデュマ・フィス自身とされています。しかしパリのモンマルトル墓地にはマリー・デュプレシスの名でなく、本名のアルフォンシーヌ・プレシスという名前で埋葬されています。

私がオペラ「椿姫」を初めて聴いたのは中学1年生の時(1957年)で、ヴィオレッタはレナータ・テバルディでした。そしてテバルディの忠実なシモベになりました。ところが18歳の時、初めてマリア・カラスのレコードによる「椿姫」を聴き、天地がひっくり返るようなショックを受けました。また、動く「椿姫」を観たのは1959年(中学3年生)にあったNHKの招聘した第2次イタリア・オペラ公演のTV中継で、ガブリエルラ・トウッチのヴィオレッタでした。また18歳の時(1963年)、デュマ・フィスの原作「椿姫」を読んだのですが、その時は、本当に涙が止まりませんでした。

「あの女を許すのは僕の方だと思っていたんです。でも僕はどんなにしても彼女から許して貰えない存在だということが分かりました」、また「ああアルマン様、アルマン様、お会いしたい!」これらの台詞に如何にイカレタことか。
千葉のF高








(135)  モノローグ   「椿姫」の歴代の録音  2010.4.22

「椿姫」は録音にめぐまれていて、よりどりミドリ。しかし最近ではあまり新録音のニュースを聞きません。不況と、聴き手の態度変更で商売にならなくなったためでしょう。以前書きましたが、好きな音楽を聴いて、その後しばし呆然として過ごす、というライフ・スタイルよりも、楽しいイベントを楽しんだ、今度は美味しいものを何か食べよう、という風に変わってしまったせいです。世の中があまりに忙しくなり、余りに楽しみが増えてしまい、いずれも試してみなくちゃ、という煩悩の対象が増えたせい。ここでは改めて歴代の「椿姫」録音の数々を、再度振り返ってみることにします。

前回「ワルキューレ」を比較した時は、指揮者が先頭でした。しかし「椿姫」はヴィオレッタを中心としたプリマドンナ・オペラですから、何と言っても正否はヴィオレッタ役の力量に左右されます。そこで、ここではヴィオレッタを中心に紹介したいと思います。原則として、「ワルキューレ」同様にCDのみとし、VHSやLD、VHSは除外。そして比較は、全体を5つに分けて,第1幕前半と「ああそはかの人か」に分け、第2幕も2カ所(アルフレードの独唱〜ジェルモン退場後、フローラの舞踏会)に分け、そして第3幕、という順で全曲を比較します。

今まで最終回の比較の際にCD番号を明らかにして来ましたが、ここでは先に出す事にします(下記参照)。結局、私が聴いた椿姫はネトレプコで終わっていますが、実は画像付きではロザンナ・カルテリ、ビヴァリー・シルズ、アンナ・モッフォ、テレサ・ストラータス、マリー・マクローリンがヒロインの「椿姫」を持っています。ここではテレサ・ストラータスの画像(*印付き)を論じてみます。ここに抜けているものには、幾つか重要な物(ゲオルギュー等)があります。それらを聴いてみる必要性を感じていますが、今は先送りとします。


なおここで比聴には、英国ミュージカル・フィデリティA3.2CD、N田様特性の管球プリアンプFYN-1MARKII、N田様特性管球パワーアンプYN-208、N田様特性スタンド、スピーカー英国SL-6というシステム。昨年度のワーグナー「ワルキューレ」比聴の時はキット屋さんのシステムを中心としたのですが、それとガラッと違うシステムを用いました。SL-6は能率の点で心配しましたが、堂々と鳴ったので安心しました。ここの比較終了時にキット屋さんのシステムでも鳴らしてみますが、こういう比較と、イタリア・オペラとワーグナーの違いも面白い!
千葉のF高







  「椿姫」の比較
I.<序曲〜「ああそはかの人か」より前の比較>

(1)1928年盤:ヴィオレッタはメルセデス・カプシール、アルフレードがリオネルロ・チェチル、ロレンツィオ・モラヨーリ指揮のミラノ交響楽団。ヴィオレッタ役のカプシールは、今から82年前の録音という、その古さが原因で、「椿姫」のレコードを論じる際は抜かせません。実際に聴いてみると、録音技術はまあまあですが声の出し方が古いのです。余り熱心に歌っていないようにも聴こえます。それでも出すべき音はしっかり出ています。ただ最高音域で無い箇所では、投げやりな発声法に聴こえます。リズムはしっかりしており、テンポはどこでも速く、ぐいぐい引っ張っているのが分かります。なおカプシールは欧州でのみ活躍し、メットに出演したことがありません。そのためか無名のまま。

(2)
1935年盤:ヴィオレッタはローザ・ポンセル、フレデリック・ヤーゲルのアルフレード、エットーレ・パニッツア指揮のメットの実況録音。カラスを指導した指揮者セラフィンは後年回想して、自分は今まで3名の素晴らしい声楽家と会ったと言い、ソプラノとしてはローザ・ポンセルの名をあげた事を思い出します。2種類のポンセルの「椿姫」を持っていますが、ここで採用した盤は幕間のインタヴューに、ジュラルディン・ファーラーの声が入った貴重なもの。両者は同じ音源のようです。もうひとつの盤では、1928-29年のベルリーニ「ノルマ」の一部を聴くことができます。ポンセルの声そのものはビロードみたいで、声を延ばす所は十分ですがラジオ放送のため、あまり音質を云々し難いのが本当のところ。「ああそはかの人か」の直前に、どんどんテンポが速くなり、まるで群衆シーンみたいな大騒ぎになっているのはやり過ぎかも。またこのCDに書いてある解説ではポンセルは1976年に死んだと書いてありますが、それは間違い。彼女は1981年に死んだのです。1979年にベルリーニ「ノルマ」の実況中継があった時、ゲストとしてインタヴューに出演していたのを記憶しており、そのテープをとってあるので私の耳を信じて欲しいと思います。また1981年に死んだのは、Opera Newsの記事や、インターネットでも確かめられます。

(3)
1946年盤:ヴィオレッタはリチア・アルバネーゼ、アルフレードはジャン・ピアース、そしてアルトウーロ・トスカニーニ指揮のNBC交響楽団。そして例の有名なスタジオ8Hで録音したもの。モラヨーリ同様にテンポが速く、ぐんぐん突き進むような音です。これは緊張感があって説得力に富んだものです。トスカニーニのテンポだから、あらゆる意味で、これが標準だといわれれば、引き下がる他ありません。しかしモラヨーリの方は一貫して速いのに、トスカニーニの場合は、時折遅くなる瞬間があるのです。問題はアルバネーゼの発声法が古いこと。まるで老女がヴィオレッタを歌っているような声。トスカニーニ好み、と言われてもこれは承服できません。オーケストラはどの音も無駄が無く、ぐいぐい引っ張って行く調子。

(4)
1952年盤:ヴィオレッタはレナータ・テバルディ、アルフレードはジャチント・プランデルリ、カルロ・マリア・ジュリーニ指揮のイタリア放送管弦楽団。標準的なテンポです。またテバルディの声も標準的なヴィオレッタ。ここでは最も笑うヴィオレッタになっています。まだ病気の前だからそうなっても不思議はありません。ジュリーニの指揮はおそらく、誰からも信頼されるもの。トスカニーニみたいに楽譜を断固主張する訳ではなく、またセラフィンみたいに歌手の都合を先回りして援助するわけでもないのです。テバルディがスカラ座でヴィオレッタを歌ったのはこの前年で、それは失敗だったと言われています(「ああそはかの人か」のつなぎの箇所でオーケストラ毎半音下げたら、観客からどよめきが起きたと言います)。それほどまずいわけではないのですが、カラスとの競争を考えると何か言いたくなるんだと思います。

なお、トスカニーニはテバルディがお好みだったようで、色々とアドヴァイスを与えています。他方、カラスからの諸モーションに対しては無視したようで、余り好きで無かったようです。

(5)
1953年盤:ヴィオレッタはマリア・カラス、アルフレードはフランチェスコ・アルバネーゼ、ガブリエーレ・サンティーニ指揮のトリノ・放送管弦楽団。ものすごくオーケストラ進行が遅い。序曲などでは音楽が死んでしまわないかと心配しました。歌はさすがにカラスですが、笑い声を発するようなことはしていません。カラスだったら、もっと自在に音楽を歌って欲しいと望む所。アルフレード役のアルバネーゼは声が余りなく、基本的に情熱に乏しく聴こえます。ああいう声は、受け身で歌うドニゼッティ「愛の妙薬」等にしか向かないんじゃないでしょうか。アルフレードという破天荒な、世間知らずな青二才を歌い出すには声が穏やかな節度に満ちていました。もっと貧相な声はガストーネ子爵を歌ったマリアンノ・カルーソ。やはりカラスはここでチェトラ社とは契約すべきでなかったと思います。このレコード録音によって、後で絶頂期の「椿姫」を録音する機会を失ってしまったのですから。

(6)
1954年盤:ヴィオレッタはレナータ・テバルディ、アルフレードはジャンニ・ポッジ、モリナーリ・プラデルリ指揮のローマ・サンタ・チェチェーリア音楽院管弦楽団。どこをとっても標準的なもの。テンポの設定も尤もらしく、しかも揺れません。ただ音が小さ目。節度ある「椿姫」。ただ、これはサンティーニ盤みたいに、音の遠近感を強調したものとは違い、どこでも強弱には余り差がないのです。テバルディの声は破綻していませんが、時折ここは苦しいのかな、と思う瞬間があります。笑い声は相変わらず含まれています。ポッジの声は甘く、もう少しパンチが欲しい。やはり上記のアルバネーゼ同様にドニゼッティ「愛の妙薬」のテノールにこそ相応しい声でしょうか。

(7)
1955年盤:ヴィオレッタはマリア・カラス、アルフレードはジョゼッペ・ディ・ステーファノ、カルロ・アンナ・ジュリーニ指揮の1955年スカラ座実況録音。指揮者のテンポが極めて速くなったり、遅めになったりします。1952年のテバルディの「椿姫」とこの点が異なります。気のせいか、ステーファノの歌の場面で遅くなるようです。その意味でセラフィンみたいに歌手を尊ぶ指揮ぶりと言えます。カラスの声は千変万化の妖怪。これだけ声が出れば、あらゆる冒険が可能でしょう。カラスは「乾杯の歌」の続きの部分で、明らかに病気らしく響きます。これはサンティーニ盤とは異なります。サンティーニ盤では病気を示唆していなかったからです。ジュリーニのテンポ設定ですが、聴いて行くうちに、今まで聴いたCDから選ぶのだったらコレかな、と思いました。実際、1955年はカラスの絶頂期。

(8)
1956年盤:レナータ・テバルディのヴィオレッタ、ニコラ・フィランキュリディのアルフレード、トリオ・セラフィンの指揮するフィレンツェ市立歌劇場管弦楽団。セラフィンの指揮ぶりに異常さを感じます。歌手をかばおうとするセラフィンの態度が見え見えなのです。テバルディだけでなく、フィランキュリディの歌うところになると突然テンポが落ちる。これはトスカニーニだったら怒り狂うところでしょう。御陰で声は良く出ているし、テバルディの高音も問題ありません。

(9)
1957年盤:ヴィオレッタはアントニエッタ・ステルラ、アルフレードはジュゼッペ・ディ・ステーファノ、トリオ・セラフィン指揮のスカラ座管弦楽団。曰く付きの録音。これが出たためにカラスの「椿姫」はついに再録音の機会を逸してしまったからです。カラスは伊チェトラと「椿姫」を録音した時、そのあと何年間かは他の会社とは録音しない、という契約条項があったのに、前後を考えずにサインしてしまいました。ですからカラスの所属するEMIには「椿姫」の録音テープがありません。EMIではカラス以外のヴィオレッタ歌いとしてステルラを使いましたが、これがカラスの癇に障わりました。大げんか。それは指揮者セラフィンにも向けられ、この大恩人に対して、背を向けてしまうことに。これはカラスの我が儘に違いありません。確かにステルラは当時EMIから売り出し中でしたし、契約を考えると無理からぬ話だとは思うのですが。

この録音はEMIのオール・スター・キャスト。ただ、カラスがいません!何とかして録音だけ済ませ、年月がくるまで倉庫に保管できなかったでしょうか。実際、ステルラで録音して、その次のロスアンヘレスで録音し直すまで、わずか3年しか経っていません。結果論として、例えチェトラが示した期限が10年だったとしても、今思えば、それでも構わないと言えるでしょう。要するにEMIには資金が無かったのでしょう。オペラの場合、1年違うと声は別人のようになってしまいます。カラスが向かう所敵無し、と言えたのは1953年末期〜1958年初期だけでした。最善の時点を捕らえるのはやはり難しい。のちにスリオーティスの声に黄昏時を感じた英デッカが、大急ぎでヴェルディ「マクベス」やドニゼッティ「アンナ・ボレーナ」等を録音させたことを思い出してしまいます。以上の事情は当時の厳しい専属関係を知らなければ理解不能でしょう。後々まで語り草になりました。

そのステルラの録音。改めて聴いてみると巧さに聴き惚れている自分を発見しました。セラフィンの指揮の為です。セラフィンのヴェルディ「トロヴァトーレ」でも言えますが、テノール(トロヴァトーレではベルゴンツイ、椿姫ではディ・ステーファノ)の声が素晴らしいのです。基本的に彼の歌は前出のポッジのような歌手と大して変わりませんが、ディ・ステーファノは必要な箇所で、堂々と声を引き出す強さも兼ね揃えている所が良いと思います。ステルラの声は可もなく、不可もありませんが、ちゃんと歌っているのは軽い驚きでした。なによりセラフィンが、歌手を幇助しつつも、ぐいぐい引っ張って行く所が素晴らしい。

(10)
1958年盤:ヴィオレッタはマリア・カラス、アルフレードはアルフレード・クラウス、フランコ・ギオーネ指揮のリスボンのサン・カルロ歌劇場管弦楽団。音はかなり鮮明で、ギオーネの指揮って案外行けるかと思いました。リズム感が心地良いのです。クラウスはまだ青臭い。カラスは声がキャンキャンとする箇所あり。あれがなかったら良いんだがな。リスボン盤に囁かれている話として、これは録画が残っているという噂!

(11)
1958年盤:ヴィオレッタはマリア・カラス、アルフレードはチェーザレ・ヴァレッティ、ニコラ・レッシーニョ指揮のロンドンのコヴェント・ガーデン歌劇場管弦楽団。全体に音がくすんでいます。こんなものか、と思っていたら、はっとするようなコロラトウーラの攻撃(!)もあり。ヴァレッティはどうでも良いのですが、レッシーニョの指揮はなるほど、これでカラスは後世のヴェルディ・アリア流等の諸録音をレッシーニョと一緒にやったんだな、と納得しました。分からないのは、序曲の中に、始まって36秒付近にソプラノのソロが聴こえること。2カ所、立て続けに。しかもそれらの部分は主旋律そっくりの所ですからややこしい。CD化の作業で何かに使ったのを消し忘れたのでしょうか。カラスの歌は病気の表現もしっかりしているし、何より感情が籠っています。少なくともこちらの方がリスボン盤より優れています。初めて1955年スカラ座の公演と拮抗するものを感じました。

(12)
1958年盤:ヴィオレッタはヴィクトリア・デ・ロスアンヘレス、アルフレードはカルロ・デル・モンテ、トリオ・セラフィン指揮のローマ歌劇場管弦楽団。この序曲を聴き始めた時、なんとなくこれから少女小説が始まるぞ、と示唆しているような妙な感覚に捕われました。考えてみれば、ロスアンヘレスの声ではそうかなあ、と思った次第。ところが、本編に入った途端やはりセラフィンだと思わせるキビキビしたテンポになりました。本編ではデル・モンテの声は焦点が定まらず、声質がエネルギーの抜けたディ・ステーファノ風。肝心のロスアンヘレスは声が十分に音域をカバーしていて、この点はお手本と言えます。感情表現も何となく伝わってくるし、結局は全体として殆ど満足な出来映え。しかしコロラトウーラは完璧でありません。完璧さを求めると裏切られそう。テバルディみたいに高音域にキャンキャンした響きもつかず、ステルラみたいにただ歌った、という感じでも無いのです。何が完璧とそうでないのを区別させるのか。これは難しい問いです。カラスを聴き直して、確かにこちらの方が完璧に近いことを確認しましたが、どうしてだろう?

(13)
1960年盤:ヴィオレッタはアンナ・モッフォ、アルフレードはリチャード・タッカー、フェルンド・プレヴィターリ指揮のローマ国立歌劇場管弦楽団。これ以下1960年代の録音。プレヴィターリの指揮ですが、とんでもなくテンポの速いもの。タッカーはなにか学生が忘れないうちに歌っておこう、として歌ったみたい。まるで歌手のドサ周り「営業」をやっている感じ。そしてモッフォ。彼女も声は小さいのだろうと思います。その範囲では精一杯のことをやっている感じ。しかしモッフォにこれ以上を望んでも、無いものは無いと言うしか、仕方が無いでしょう。序曲の開始後1分9秒後に男の声が一瞬聴こえた気がしたし、それは繰り返しても同様でしたが、これは何だろう?上記(11)の女の声といい、モッフォ盤のこれと言い、不思議なことがあるものですね。

(14)
1963年盤:ヴィオレッタはジョーン・サザーランド、アルフレードはカルロ・ベルゴンツイ、ジョン・プリッチャード指揮のフィレンツエ五月祭管弦楽団。デッカ社が「椿姫」のようなポピュラーな曲を、テバルディ以後録音しなかったのは不思議です。プリッチャードの指揮はテンポが異常と言える程速い。ベルゴンツイはやや青臭いアルフレードを歌っていますが、アルフレードとしてはディ・ステーファノと双璧だと思います。でも両人の歌うセンスはまったく正反対です。サザーランドは、やはりサザーランドだなあ、という感じ。つまり一瞬テンポが遅く、本来のものと違う。これは何回聴いても毎回感じます。これから後に吹き込んだ様々な曲目でも同様ですが、早くもこの初期の「椿姫」でそのスロー・テンポが現れます。声はどこをとっても、出るとか出ないの次元では問題ありません(出るのです!)。どうせ出るんだったら、思いっきり出せば、と思うのは素人でしょうか。旦那様の注意(ワーグナーのような声を慎め)を厳守しているため?

(15)
1968年盤:ヴィオレッタはピラール・ローレンガー、アルフレードはジャコモ・アラガル、ロリン・マゼール指揮のベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団。最初に感じたのは序曲の付近のテンポが不安定ではないか、と思った点。間違いかも知れませんが、私の耳にはそう感じました。そして次の開幕のシーンのテンポがメチャメチャに速い。思い出せば、1963年にロリン・マゼール(当時は、まだ若かったから一般には無名に近く、呼び名もマーツエルと呼ばれた)がベルリン・オペラに同行して初来日し、ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」を初演しました。その時、日本の評論家から、その早いテンポを「トリスタン・マーチ」だと言われ、失笑を買いました。そうしなければ聴衆は寝てしまうから、と笑い話にされたのです。アラガルは案外いけると思いましたが、ローレンガーの声に細かいヴィブラートが付きまくり、まったく楽しめないのです(!)。第一幕からこの配役は失敗だな、と思いました。

(16)
1971年盤:ヴィオレッタはビヴァリー・シルズ、アルフレードはニコライ・ゲッタ、アルド・チッコリーニ指揮のロイヤル・フィルハーモニック管弦楽団。チッコリーニのテンポはありふれたものですが、安定しています。ゲッダはあまり巧くない。シルズは結構巧く歌っており、これならカラスはともかく、テバルディ、ステルラ、ロスアンヘレスの3名と拮抗するかもしれません。ただ「ああそはかの人か」に入る直前のフレーズの終わり際に、似た女声の二重唱(上下に分かれる)が聴こえるので驚いた。楽譜を調べても、そういう箇所は無かったのに!

(17)
1976年盤:ヴィオレッタはイレアーナ・コトルバス、アルフレードはプラチド・ドミンゴ、カルロス・クライバー指揮のバイエルン国立歌劇場管弦楽団。極めて貴族的な「椿姫」だと思います。序曲の中低音を強調した弦楽器の弾きぶり、確固たるテンポにそれが現れます。これは一流の音楽だと思った次第。歌手ではアルフレード役が、低音が強く聴こえました。ベルリン・オペラでアラガルが歌っていた場合も他より強い、と感じましたが、ここでも確固たる低音として聴こえます。コトルバスはやはり私の好みではありません。声が弱く、それをどう使おうと、どう表現意欲を燃やそうと、空回りしかしていないようです。この貴族的なクライバーをバックに、テバルディが歌ったら、と夢のようなことを考えました。いやサザーランドだって構わない。ただカラスは合わないだろうと思います。

(18)
1982年盤:ヴィオレッタはレナータ・スコット、アルフレードはアルフレード・クラウス、リッカルド・ムーティ指揮のフィルハーモニア管弦楽団。これは素晴らしい「椿姫」。ムーティの颯爽たる指揮ぶりと、情熱的な音楽の盛り上げが身に染みます。スコットはそれに最大限応えています。この時のスコットの年齢を考えると驚くべきことです。但しクラウスのアルフレードは、やはり「迷いの年」を卒業しておらず、余り魅力的とは思えません。録音の際に、スコットから、何処そこを強く響かせて、等の注文があったのでしょうか?録音された音を信ずれば素晴らしくても、原音がそうとは限らないからです。スコットの録音には要注意!

(19)
1990年盤:ヴィオレッタはルチア・アリベルディ、アルフレードはペーター・ドヴォルスキー、ロベルト・パテルノストラ指揮の東京交響楽団。アリベルティは京都のK医師と一緒に聴いたことがありますが、彼はアリベルティは好きでない、とクビを横に振っていました。確かにアリベルティみたいな歌手は流行りにくい。世の中にそっぽを向いたような暮らしぶりだし(大変な寒がりで、周辺をものすごい熱で覆わなければならない等)。今回久しぶりに比較してみましたが、やはり予想は的中していて、発声がホンの少し、遅れるようです。ダメ、オン,ディオと、後出しジャンケンみたいな「ハヒフヘホ」が多いと感じました。それを気にすると耳につく。サザーランドにも同様のものを感じるアレです。テノールはまずまずの出来映え。指揮者は歌手に寄り添うタイプ。

(20)
1992年盤:ヴィオレッタはキリ・テ・カナワ、アルフレードがアルフレード・クラウス、ズービン・メータ指揮のフィレンツエ五月祭管弦楽団。メータはテンポがしっかりしていますが、クラウスは相変わらず「迷いの声」と、またもや言えます。テ・カナワは声が既に消耗していて、味を出すのが難しくなっています。そもそもテ・カナワの喉にヴィオレッタは難しいのではないでしょうか。クリーミーな声でヴィオレッタが歌えれば、それはそれで良いのですが、出ていないよ!病人の印の箇所も繰り返し聴いてみましたが、出ていない。歌手としての寿命が過ぎていた?テンポやリズムでは問題ありません。

(21)参考までにここに画像付きのものを紹介します。
1982年盤:ヴィオレッタはテレサ・ストラータス、アルフレードはプラチド・ドミンゴ、ジェームズ・レヴァイン指揮のメトロポリタン歌劇場管弦楽団。ストラータスの「椿姫」。妻は誰が何と言おうとこれが好き、と主張しています。録音だけで判断してきた今までと、画像がついたものを直接比較するのは難しいので、比較判断からは除き、紹介だけにとどめます。もっと画像付きで色々聴いてみたいものです。オペラは舞台で観るものだからです。印象だけ紹介しますと、まず、レヴァインのテンポが少し遅めに設定されていて、ストラータスの声がカプシールに近いことに気がつきます。又ストラータスはホンの少しですが、猫背で上目遣いに見えました。せっかくの画像付きですから、様々なヴィオレッタを楽しみましょう。




  ジャカルタの雨
1988年10-11月 IAXA派遣でインドネシアへ行く(その1)



下記は1988年と1990年の2回、ジャカルタに行って2ヶ月間過ごしましたが、このうちの最初の時の記録です。二度目の時は記録はありません。他の記録との違いは、私が自分の仕事のためででなく、開発途上国のサポートのために行った時の記録なので、音楽や音楽機器の話があまりありません。また幾つかの話は省略しました。削ったあと、全体で8割の記録の公開です。

1988年10月23日(木)

乗り換えのため途中一旦降機したマレーシアのクアランプールは、むっとするような蒸し暑さ。いよいよ熱帯に来たなと言う感じ。IAXAの派遣なので、珍しくもビジネス・クラス。成田を出たとたんにシャンパンが出たり、コーヒーと一緒にブランデーが出たりするもので、やや酔い気味で気分が悪い。飲まなければいいのだが、せっかくの旅を満喫しよう、等という貧乏症が災いした。食後のワインは総て辞退。クアラルンプールからジャカルタへ行くために乗り込んでくる客のためもあって、成田=クアラルンプール、クアラルンプール=ジャカルタ両路線合わせて、7時間の間に3回も食べる羽目になって胃が重い。

ジャカルタへ着いたらBXXNの出迎えの職員が、僕の名をかいたビラを持って待っていた。ガラス窓の向こう側の待合いロビーには旧知のKno氏が待ちかまえている。4年ぶりの再会を祝した後、公用車に同車して市内のホテルへ行く。サヒド・ジャヤ(Sahid Jaya)ホテルと言うのは四ツ星ホテルで大変立派なもの。あとで聞いたのだがSahid Jayaとはアラビア語で「英雄の勝利」という意味だそうだ。幸か不幸か今晩に限って混んでいて、シングル・ルームがないので今日だけスイート・ルームに泊まって欲しいという。但し料金はシングル・ルームと同じにするという。KnoはUXのUNXPの仕事をしに来たとフロントに言え、と耳元でささやく。このホテルはUNXPと契約があって、その仕事で泊まる客には、料金の25%特別割引があるそうだ。今回の僕のスポンサーであるIAXAもUXの関連機関であるためこの恩恵に預かれる。

スイート・ルームは実に立派なもので、今までに泊まった中では、ウイーンのブリストル・ホテルに次ぐ立派さ。トイレット・ペーパーの心配をしたのなど馬鹿みたいだった。他の部屋でもそうだが部屋毎にルーム・ボーイがいて、その名前を書いた札が置いてある。ルーム・ボーイはどの部屋にも割り当ててあるが、あまりに頻繁に現れるので面倒だ。例えば、毎晩7時ごろになるとベッド・カバーを外すだけのためにやってくるのだ。そのたびにチップがいる。ランドリー・サービスも欧米のホテルのように袋に入れてドアの内側に置いておくのでなく、定刻にボーイが取りに現れる。全てが終るまでは寝る格好になれない。日本旅館の女中さんみたいなものか。ただおかしいのは、彼らはドアの前で声を掛ける時は夜昼かまわずGood Morning! なのだ。

普通の洗面具・文房具・テレビ・冷蔵庫のほかにミニ・バーや体重計やシャツのボタン・セットや、頼めば室内運動用の自転車まで用意。最初のジャカルタの夜はテレビの音楽番組を見た。ここはただ一つのチャンネルしか無い。インドネシアのオーケストラがベートーベンのピアノ協奏曲第4番をやっていたが、管楽器の腕前はほどほど。



1988年10月24日(金)

Kno氏の車でまずUNXPオフィスへ行く。AmEという名のソフィア・ローレンみたいなグラマーな美女が担当官で、その人がすぐに僕がUNXPの仕事で来ているという証明書を作ってくれた。その帰り道にBXXNを始めて訪問し、主要な人物と挨拶を交わす。KnoはここのXYZ部門の部長なのだが、PQR部長のIsm夫人と2人が当面の相手と言うことだ。2つの部長室にそれぞれ僕のデスクが用意されていた。管理部長のSusd氏も交えて4人でランチをとる。初めてのインドネシア料理のランチだからおっかなびっくりだったが、チャーハンみたいなナシ・ゴレンというものだった。他の人たちはロントン(ごはんをヤシの葉でつつんだもの)だった。ただし、ナシ・ゴレンに入っていた肉は何の肉だか分からないし、独特の匂いがある。赤い唐辛子はいいが、緑色の唐辛子は辛いから気をつけるように言われた。左手を使わないように気を配るのは大変だ。皆、そんな必要はないと言ってはくれるのだが。管理部長氏は自から左手で飲物をとってみせ、安心させようとする。Knoは「サルタンにでも会う時は気を付けなければならないが、我々科学者の世界では問題はありませんよ」と言う。



1988年10月25日(土) 休み

朝、Knoとその息子のAnt君がホテルまで迎えにきてくれて、3人でジャカルタ市内見物に出かけた。あいにくの雨模様だったが独立記念塔へ行って展望台とその地下の博物館を見る。修学旅行の高校生と小学生でごった返している。インドネシアでは高校生は男女とも薄い青ネズミ色のズボンないしスカートと決っているのだそうだ。中学生まで半ズボン。小学生はボーイ・スカウトが義務付けられているが、これは公立学校の場合の話。Ant君は私立に行っているそうで、その場合はボーイ・スカウトは無いと言う。Knoに言わせると最も上等とされる学校は、私立のカトリックの学校だそうだ。1年間に日本円で30万円もかかると言う。物価を考えれば、日本の300万円に相当。あとでわかったのだが、Kno自身もカトリックの学校の出身だそうだ。この国のスーパー・エリートなのだろう。土曜日だがKno夫人は13時まで仕事があるため、それまでゆっくり見物する。展望台から見るジャカルタは雨煙で霞んでいたが、いかにも南国らしく、遠くに黒い雨雲が見えた、と思ったらたちまち物凄い豪雨(スコール)が始まった。

Kno夫人と13時に合流し、4人で郊外のレストランで昼食をとる。数々のサテ・アヤム(ヤキトリとまったく同じ。ピーナッツ・ソースを付けて食べる点だけが違う)を食べた。夫人の名はIetと言って、余り英語は得意ではないようだが、一生懸命話そうとする。こちらの言っていることは分かっているようだ。ここで飲んだ赤いジュースは、底にトコロテンみたいなものが沈んだ、何とも言えない甘味の強いものだった。これは彼らも特別な時にしか飲まないのだそうだ。



1988年10月26日(日) 休み

ホテルにKno夫妻が来たのは10時近かった。大変なラッシュにあったせいだと言う。「ミニ・インドネシア(タマン・ミニ)」という巨大な公園に連れて行ってくれる。いわばユネスコ村みたいなもので、インドネシア各地をそっくり移植してある。なにしろインドネシアは1万3000もの島から成る多民族国家だから、島毎に文化が異なるのだ。セレベス(インドネシアではスラベシと呼ぶ)のトラジャの建物は、どう見ても日本の出雲大社を思わせるし、スマトラの建物に多用される赤と緑の色彩の組合わせは、日本の神社や朝鮮の廟のものだ。こういうことは肌でわかる。おもしろいのは日本人は「日本人の祖先の一部が南方から来た」と言うのだが、インドネシア人は「インドネシア人の祖先は北方から来た」と言うのだ。

スマトラの花嫁衣装を見て驚いた。北京を舞台にしたプッチーニのオペラ「トウーランドット」の扮装そのままだったからだ。証拠写真を撮っておいて後で比べたら、メトロポリタン歌劇場でビルギット・ニルソンが20年前に演じた写真そのままだった。もちろん、どっちが真似したのかは明らかだ。Knoは、確かにスマトラ北岸は中国の影響を大きく受けたという。

帰途、果物を売っている屋台に寄り、Iet夫人がかの有名なドリアンを買ってくれた。その場で皆でつまんだが、噂どおり大変なしろものだ。その臭いは腐った沢庵か生ゴミみたいだが、味はこってりしたチーズ風で甘味がある。匂いさえ無ければ珍味だと思う。あとで現地の英語新聞で読んだのだが、ドリアンは、好きな人にとっては焦げた玉葱にカラメル・ソースをかけたような味わいがあるが、嫌いな人にとっては公衆便所で食べるアイスクリームみたいなものだ、と書いてあった。この表現は当を得ている。ホテルで食べなさいと言ってマンゴーやランブーチン(ライチーに似ている)をどっさり買って持たせてくれた。ホテルでひそかに正露丸をのむ。途中から降りだしたスコールはもの凄い豪雨となり、大通りはまるで洪水。これではインドネシアではジープがはやるはずだ。華奢なスポーツ・カーでは水浸しになる。

(続く)














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