オペラ「椿姫」の話(その3)
(141)モノローグ  「椿姫」について  2010.6.10

CD番号は前号の新表<オペラ「椿姫」の話(その2)>を参照して下さい。
千葉のF高


  「椿姫」の比較 第3回
II.<「ああそはかの人か」の比較>

(1)1928年盤:ヴィオレッタはメルセデス・カプシール、アルフレードがリオネルロ・チェチル、ロレンツィオ・モラヨーリ指揮のミラノ交響楽団。カプシールの声は前半尤もらしく響きますが、後半は少し古いなあと思わせ、テンポも自由気ままな歌いぶり。声質それ自体はストラータスと似ていて、全音階均一な響き。最後の跳ね上げは十分に出しています。最も古い盤ながら、音はうまく整形されて聴き易くなっています。笑い声はありません。最終部には伝統的なカット(ある音節を無視して其の部分の演奏をはしょること)があります。

(2)
1935年盤:ヴィオレッタはローザ・ポンセル、フレデリック・ヤーゲルのアルフレード、エットーレ・パニッツア指揮のメットの実況録音。こちらはカプシールより新しいのに、音は悪い。極めて遅く始まり、カバレッタの部分は恐ろしく速い。途中で音階を半音下げています(テバルディと同様)。声質はやや「含み声」でカラスを思わせます。要はこの部分を受け入れられるかどうかで判断が決まります。また声質は均一でした。この盤はポンセルと同じ米国生まれの先輩ジェラルディン・ファーラーの解説が付いていて、ファーラーがピアノ伴奏で歌うヴィオレッタや、ジェルモンの歌を聴く事が出来ましたが、なかなか上手いと思います。もちろん高音は避けていますが、中低音をゆっくり歌うところは、ファーラーもナカナカ聴かせます。ポンセルのはカバレッタに入る直前部分に笑い声が入っており、最終部分には伝統的なカットがあります。

(3)
1946年盤:ヴィオレッタはリチア・アルバネーゼ、アルフレードはジャン・ピアース、そしてアルトウーロ・トスカニーニ指揮のNBC交響楽団。トスカニーニの指揮だから基本的に楽譜通り。アルバネーゼの声はやはり好きではありません。年取ったソプラノが何とか音階を保っているように聴こえます。途中でトスカニーニ自身の鼻歌の声が混じりますが、こういうことはトスカニーニでは良くあるところ。慣習的な跳ね上げは聴かれません。音曲の終了時の響きがもう少し欲しいなあ。カバレッタに入る直前には笑い声が入り、また最終部分は楽譜通り(伝統的なカットでなく)に歌われていました。

(4)
1952年盤:ヴィオレッタはレナータ・テバルディ、アルフレードはジャチント・プランデルリ、カルロ・マリア・ジュリーニ指揮のイタリア放送管弦楽団。極めてゆっくりしたテンポで歌われ、その中で精一杯優雅に表情づけされています。サザーランドに見られる様な遅さの一歩手前にあるのは、全体としての優雅さを保つためだろうと思います。カバレッタの入り口では急にテンポが速くなりますが、これは穿って考えると早くその箇所を通過してしまいたい、と考えたからでしょう。カバレッタの音階が半音下がっているのは、ローザ・ポンセルと同様であり、本来のコロラトウーラ歌手でないので、そうせざるを得なかったのだろうと思います。カプシールからこのテバルディまで、声は均質であり、DVDで聴く(観る)ストラータスと同様でした。カバレッタ直前の笑い声は大きく品の無いもの。最終部分に伝統的なカットあり。

(5)
1953年盤:ヴィオレッタはマリア・カラス、アルフレードはフランチェスコ・アルバネーゼ、ガブリエーレ・サンティーニ指揮のトリノ・放送管弦楽団。チェトラ盤なので、テンポがジュリーニ盤よりやや早目。また各パッセージを際立たせている音節冒頭のアクセントは、こちらの方が鮮やか。全体像を探っていたと思われる歌い方。意外にも、このチェトラ盤も捨て難いと思いました。カバレッタ直前の笑い声がほんの少し、含み笑いのような感じで入っています。最終部分には伝統的なカットあり。

(6)
1954年盤:ヴィオレッタはレナータ・テバルディ、アルフレードはジャンニ・ポッジ、モリナーリ・プラデルリ指揮のローマ・サンタ・チェチェーリア音楽院管弦楽団。テバルディは優艶な声を聴かせ、殆ど問題ありません。音程を下げた点だけが問題です。もし音程を楽譜通りに歌ったら、と想像したが、やはり無理かな、と言うところ。コロラトウーラ歌手でなくて、これだけ歌ったことで我慢しなければなりません。カバレッタ直前の笑い声は品が無く娼婦的。最終部分で伝統的なカットあり。

(7)
1955年盤:ヴィオレッタはマリア・カラス、アルフレードはジユゼッペ・ディ・ステーファノ、カルロ・マリア・ジュリーニ指揮の1955年スカラ座実況録音。チェトラ盤と比して、テンポがぐっと遅くなります。拍手等が聴こえるので、初めて実況盤だ、と気づきます。ぐんぐん突き進み、最後の慣習的な跳ね上げは十二分。図らずもジュリーニはテバルディとカラスの両名を録音しましたが、その印象はいかが、と尋ねてみたいところ。カバレッタ直前の笑い声はここでは聴かれません。カラスの声はチェトラ盤よりもここぞという所で、猛烈に光っていますし、笑い声は聴かれません。最終部分には伝統的なカットあり。

(8)
1956年盤:レナータ・テバルディのヴィオレッタ、ニコラ・フィランキュリディのアルフレード、トリオ・セラフィンの指揮するフィレンツェ市立歌劇場管弦楽団。セラフィンはテバルディの声を最大限に上手く引き出そうとしています。音階を下げてやっているのは他指揮者と同様ですが、音を下げた結果、テバルディは其の部分で全く違う声質を聴かせます。カバレッタ直前の笑い声は最も下品。最終部分には伝統的なカットあり。

(9)
1957年盤:ヴィオレッタはアントニエッタ・ステルラ、アルフレードはジュゼッペ・ディ・ステーファノ、トリオ・セラフィン指揮のスカラ座管弦楽団。カバレッタ直前の笑い声はありません。ただステルラの声を聴いていて気がついたのは、やはりこれは彼女の持つ声のリソースの限界だったな、ということ。カバレッタは少しだが声が引きつって聴こえます。一部、声をどうして音階に合わせようか、と探るような響きも。それは声というリソースをギリギリまで出した絶叫みたいな感じ。あとは殆ど問題なく、諸要求をこなしています。最終部分は慣習に従ってカットされています。

(10)
1957年盤:レナータ・テバルディのヴィオレッタ、ジュゼッペ・カンポーラのアルフレード、ファウスト・クレーヴァの指揮するメトロポリタン歌劇場管弦楽団。カバレッタに入る直前の繋ぎの部分は、テバルディは高い音のバージョンを採用しています。しかしカバレッタ最後の音は低い音なので、あれれ、という感じ。でもこの方が楽譜通りでした。

(11)
1958年盤:ヴィオレッタはマリア・カラス、アルフレードはアルフレード・クラウス、フランコ・ギオーネ指揮のリスボンのサン・カルロ歌劇場管弦楽団。ますます鋭さを増しており、カバレッタの前の笑い声はありません。ここぞというポイントで示されたアクセントの的確なこと!ただ最後の跳ね上げの直前に予想される一旦低い声で体勢を整えてから最高音を出す、という箇所は低い声が聴こえず、いきなり高い音になったから驚きます。伝統的なカットがあります。

(12)
1958年盤:ヴィオレッタはマリア・カラス、アルフレードはチェーザレ・ヴァレッティ、ニコラ・レッシーニョ指揮のロンドンのコヴェント・ガーデン歌劇場管弦楽団。基本的にリスボンと変らないが、ロンドンに舞台を移すとサッとレースのカーテンが目の前に下がったような感じに襲われ、つまり、くすんで聴こえます。カバレッタの前の笑い声はありませんし、アクセントの付け方もリスボン同様。ただこちらの方は声の限界をフト感じ、最後には力まで少し抜けて聴こえました。カラスを持ってしても、「行く所敵無し」とはもはや言えなくなったようです。そしてこのあと、ヒューストンで2回ヴィオレッタを歌ったあと、永遠にカラスの「椿姫」を聴くことが出来なくなりました。カラスも1958年をもって「椿姫」から引退したのです。伝統的なカットあり。

(13)
1958年盤:ヴィオレッタはヴィクトリア・デ・ロスアンヘレス、アルフレードはカルロ・デル・モンテ、トリオ・セラフィン指揮のローマ歌劇場管弦楽団。楽譜を見ながら歌うお手本のような歌唱。善くも悪くも。それでも最後のカバレッタの部分で、突然それが熱心に聴こえるのは面白い。カバレッタの繰り返しは全部歌っていますが、最後の慣習的跳ね上げは聴かれません。笑い声も無く、最終部分は楽譜通り(慣習的なカット無し)です。全体としてヴィオレッタらしくないという印象でした。

(14)
1960年盤:ヴィオレッタはアンナ・モッフォ、アルフレードはリチャード・タッカー、フェルンド・プレヴィターリ指揮のローマ国立歌劇場管弦楽団。モッフォの特徴として、個々の部分は万全に歌っていますし、何も指摘する所はありません。笑い声は無く、またカバレッタの繰り返しもありません。最後の跳ね上げは歌われていますが、その直前には伝統的なカットあり。残念ながら声が少し小さい。

(15)
1960年盤:ヴィオレッタはジョーン・サザーランド、フランチェスコ・モリナーリ・プラデルリ指揮のコヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団。これは良くも悪くもサザーランドのヴィオレッタ。カヴァティーナの部分は出来るだけ早く済まそうという風に聴こえます。笑い声はなく、最後部分のカットもありません。ただ高音を響かせる箇所は精一杯高く、長く歌っています。1963年盤と比較すると、こちらの方がまだ発音が明瞭です。また最後のカバレッタの部分に、歌声のない版を採用していました。最後はもちろん跳ね上げ式。

(16)
1963年盤:ヴィオレッタはジョーン・サザーランド、アルフレードはカルロ・ベルゴンツイ、ジョン・プリッチャード指揮のフィレンツエ五月祭管弦楽団。前の録音と同様の印象ですが、こちらの方が発音が暗く、霧がかかったように聴こえます。カバレッタ最後の音は跳ね上げていますが、その直前も音を出し続けています。かなり自由に歌ったと思われます。笑い声もありますし、またおかしなテンポが目立つ箇所もあります。

(17)
1963年盤:ヴィオレッタはレオンタイン・プライス、アルフレードはレイランド・デーヴィス、ファウスト・クレーヴァ指揮のロンドン交響楽団。このヴィオレッタを一口に言うと、声質はややアンナ・モッフォを彷彿とさせ、良い時のキリ・テ・カナワを思わせる声質。また歌い出しがやや遅れる所はジョーン・サザーランドに通じるような気がしました。各所は高音で終わるように歌っていますが、カバレッタの終了直前には普段余り聴かないような装飾音を付けています。最後は慣習的な跳ね上げで終えています。指揮者は相変わらずスピードを楽しむような、スポーツ・カーの運転みたいなところがありますが、全体としては歌手に寄り添うように棒を振っています。

(18)
1968年盤:ヴィオレッタはピラール・ローレンガー、アルフレードはジャコモ・アラガル、ロリン・マゼール指揮のベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団。この歌手の声のヴィブラートの強さに辟易しましたが、ここでは歌としては楽しんで聴けます。ただヴィオレッタの素性をかなり上品に歌っているようです。つまり清純過ぎる。各所の終了時は高い音で終わっていて、最後の跳ね上げは慣習的。音はカバレッタ中に途切れることはありません。

(19)
1971年盤:ヴィオレッタはビヴァリー・シルズ、アルフレードはニコライ・ゲッタ、アルド・チッコリーニ指揮のロイヤル・フィルハーモニック管弦楽団。耳慣れた音楽として流れて行きます。シルズの声もほどほどに心地よく、指揮者のテンポもほどほどに良い。また通常繰り返して歌わない所も歌っています。繋ぎの部分は高音で繋いでいますし、カバレッタの最後まで声を途切らさず、全ての音を出しており、最後の音も高音で終えています。ただし、途中で3カ所ほど楽譜から離れて自由に修飾して歌っている箇所あり。これは目立ちます。

(20)
1976年盤:ヴィオレッタはイレアーナ・コトルバス、アルフレードはプラチド・ドミンゴ、カルロス・クライバー指揮のバイエルン国立歌劇場管弦楽団。コトルバスの声は、近くで聴かないで少し離れて聴くと、あれ程強かったイヤさが減じて、心地よいものに変りました。クライバーの指揮はほどほどに歌手をバックアップしていて、意外なほど。繋ぎの部分は高音でつないでおり、カバレッタの最後部は高音を途切らさず、しかも最後は最高音で終えています。意外なことの連続。カバレッタあたりから自由度が増しますが、おやおやと思う装飾音も含みます。またカバレッタの中に1カ所、苦しそうな音があり(やり過ぎだと思う)、他の所には表情つけのためでしょうか、妙な息づかいの箇所があります。

(21)
1978年盤:ヴィオレッタはシルヴィア・シャーシュ、アルフレードはイアン・ケイリー、ランベルト・ガルデルリ指揮のナショナル・フィルハーモニー管弦楽団。シャーシュの声はこもった響きがあって、開放しておらず、テンポもぐっと遅い。彼女はドラマティックな響きを得るよりも、何とか難関を突破したいと考えているようです。カバレッタに入る前の時は楽譜通りに、そして全体の終りは原譜どおりではなく、高くは出さないで済ませています。彼女がスカラ座に出た時の出し物はこの「椿姫」でしたが、その時の評判は余り芳しいものではなかったようです。

(22)
1982年盤:ヴィオレッタはレナータ・スコット、アルフレードはアルフレード・クラウス、リッカルド・ムーティ指揮のフィルハーモニア管弦楽団。声がそもそもは小さいようです。カバレッタの直前では下げるコースをとっていますが、カバレッタ後の最後は、原譜通りに歌っています。面白い演奏だと感じました。これがマイクやエレキ抜きでもこう出来ればねえ。

(23)
1987年盤:ヴィオレッタはジューン・アンダーソン、アルフレードはアルフレード・クラウス、ミケランジェロ・ヴェルトリ指揮の国立パリ・オペラ座管弦楽団。カバレッタの直前では高音を避けています。またカバレッタ最後の所では、いったん音を出さずに済ませたあと、最後の音は高く歌っています。指揮者が余りに歌手に奉仕するのは、どんなものかと思いました。また最後の部分は慣習的なカット付きで、笑い声はありません。

(24)
1990年盤:ヴィオレッタはルチア・アリベルティ、アルフレードはペーター・ドヴォルスキー、ロベルト・パテルノストラ指揮の東京交響楽団。アリベルティは歌で何を歌い出すのか、焦点が余りはっきりしません。声はあらゆる場所で、適切に出ていますが、熱気に乏しい。テンポも同様。カバレッタ直前の高は伝統的なものに従い、楽譜通りではありません。またカバレッタ全体の終了時には最高音は避けながらも、高音の修飾のための高音で終了。この声の出し方は、少し前に聴いたシャーシュに近いと感じました。

(25)
1990年盤:ヴィオレッタはシェリル・スチューダー、ガブリエーレ・フェッロ指揮のミュンヘン放送管弦楽団。色々な意味で、スチューダーのヴィオレッタは理想に近い。リズム、テンポ、高音の華やかさ等、どこも落ちが無いのです。カバレッタの後半から急にテンポが速くなりますが、これは適切だと思います。カバレッタ終了時は高いバージョンを用いており、カバレッタ全体の終了時には素晴らしい高音を出しています。私はスチューダーの「ルチア」のCDでも感じましたが、彼女の歌は録音に関する限り、落ちが無い。どうしてミュンヘン州立劇場から、技術劣化というレッテルを貼られてクビになった(あとで凱旋したと聞く)のか分かりません。

(26)
1992年盤:ヴィオレッタはキリ・テ・カナワ、アルフレードがアルフレード・クラウス、ズービン・メータ指揮のフィレンツエ五月祭管弦楽団。声には相変わらずヴィブラートが感じられるし、余り熱気がありません。カバレッタ直前の箇所は楽譜通りだし、またカバレッタ全体の最後も楽譜通り。なお「ああそはかの人か」の繰り返しが歌われています。笑い声はありません。

(27)
1992年盤:ヴィオレッタはエディタ・グルべローヴァ、カルロ・リッツイ指揮のロンドン交響楽団。これはカヴァティーナしか歌っていないので、厳格な比較はできませんが、その最後は楽譜通り。また「ああそはかの人か」の繰り返し部分(通常は繰り返さない)を歌っています。熱気が乏しい上に、声を出す練習みたいな所が気になります。一口に言うとオズオズしているようです。笑い声は無く、余りに遅く、おっかなびっくりの歌唱なので、ネガティブの意味で記憶に留まりました。

(28)
1997年盤:ヴィオレッタはスミ・ジョー、アルフレードがオッターヴィオ・アレヴァロ、ジュリアーノ・カレッラ指揮のイングリッシュ室内管弦楽団。ジョーはやや深みのある声で歌い出しますが、ちょっとテンポが遅め。カバレッタのつなぎは高音でつないでいます。また全体の終りは楽譜に無い高音で終了。笑い声はありません。カバレッタの中に、装飾音らしき音あり。

(29)
2004年盤:ヴィオレッタはアンナ・ネトレプコ、アルフレードがセミール・ピルギス、クラウディオ・アバド指揮のマーラー室内管弦楽団。声はかなり良く、攻撃的ですが少し音程が悪いか。カバレッタ直前は楽譜通り、最後には楽譜に無い高音で終了しています。笑い声はありません。終わった時の印象として、これは行けそう、と思いました。ただ、最後の近くで歌声の無い空白部分があります。

(30)
参考までにここに画像付きのものを紹介します。1982年盤:ヴィオレッタはテレサ・ストラータス、アルフレードはプラチド・ドミンゴ、ジェームズ・レヴァイン指揮のメトロポリタン歌劇場管弦楽団。ここでストラータスは奔放さを出すべく、四方八方に走り回ります。あれほど走り回らなくても良いかも。またドミンゴは顔の表情は殆ど変化しません。ドミンゴの声は若い時分の声だけに、申し分ない出来映えで、熱気も感じられます。ストラータスはここまでと比すと、声がやや不安定に響く瞬間がありますが、最高音はチャンと出ています。ストラータスの第2幕後半の不安定さは、音程をしっかり捉えることに失敗したものと思います。





(142)モノローグ 「源氏物語」の新しい男性版(2010.6.7)

林望氏の「源氏物語-1」(祥伝社)を昨夜読み終えましたので、その記事をここに記します。当然のことですが、これは前の号で紹介した林真理子の「六条の御息所 源氏がたり-1.光りの章」と比較されます。林望のものは初めて読んだのですが、その文体にクセがあるか、どんなクセか、等に興味がありました。結果としてこれは林真理子に負けないくらい女性的な「源氏物語」だったということです。至る所に「 …..」が挿入されていて、その数は「若紫」までの5巻で、301個です!(「桐壺」に30カ所、「帚木」に62カ所、「空蝉」に19カ所、「夕顔」に78カ所、「若紫」に107カ所。但し数え落としがあるかも知れません)。各巻の字数で割算すると、各ページ辺り0.7個前後です。こんなに多いと目立ちますね。そもそも「 .….」って何でしょうか。作文力の不足を表すのかも知れない、と素人が余計な心配をしました。ただ、その「 ……」の特徴は、ある場面に集中して現れます。別のページでは数ページに渡って「 ……」は現れていません。校正を担当された方の好みが集中して現れて来るのでしょうか?

ロバート・キャンベル氏(現東大教授)は「漆黒の」という表現などは巧みだと林望を褒めていました。あの「 …..」の部分がどうにかなればな、と思います。色々引用して比較する方が分かり易いと思いますので、下に各出版社から出ている(又は出ていた)文章を並べます。
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青表紙本(原文:阿部秋生校訂、小学館)帚木巻
「御文は常にあり。されど、この子もいと幼し、心よりほかに散りもせば軽々しき名さへとり添えむ身のおぼえを、いとつきなかるべく思へば、めでたきこともわが身からこそと思ひて、うちとけたる御答へも聞こえず。ほのかなりし御けはひありさまは、げになべてにやはと、思い出できこえぬにはあらねど、をかしきさまを見えたてまつりても何にかはなるべきなど思ひ返すなりけり。」

これが林望訳では次のようになります。
林望:祥伝社
「源氏からの手紙は小君が運び手となって、常に到来する。けれども、姉は(この子はまだ幼い。もしかしてうっかりどこかに落としでもすれば、浮ついた評判が立ちもするだろうから、ほんとうに困ったもの 。。。。。)どうせ、自分はこんなしがない受領老人の後妻で、源氏さまとはまったくつり合わない、どんなに素晴らしい貴公子からの求愛も結局自分の身の上次第なんだわ」などと思って、思わしい返事も書かずにいた。( 。。。。。それにつけても、いつかの夜、暗い灯のなかでほんのりと見えた源氏さまのご容姿やご様子は、ハアッ、ほんとになんともいえないくらい素晴らしかった 。。。。。)と、そんなふうに思い出さぬわけでもなかったけれど、( 。。。。。といって、自分のほうから色好みのありさまをお見せしたって、どうにもなるものじゃなしね 。。。。。)などと考え直したりするのである。」

もっと古い訳をならべると下記群のようになります。
与謝野晶子:河出書房「女は、しじゅう源氏から手紙をもらった。けれども弟は子どもであって、不用意に自分の書いた手紙を落とすようなことをしたら、もとから不運な自分が、また正しくもない恋の名をとって泣かねばならないことになるのは、あまりに自分がみじめであるという考えが根底になっていて、恋を得るということも、こちらにその人の対象になれる自信のある場合にだけあることで、自分などは光源氏の相手になれる者ではないと思う心から返事をしないのであった。ほのかに見た美しい源氏を思い出さないわけではなかったのである。真実の感情を源氏に知らせても、さてなんにもなるものでないと、苦しい反省をみずからしている女であった。」

谷崎潤一郎:中央公論社
「おん文も始終お授けになります。しかし女はこの児も幼いことであるから、ひょっと世間へ漏らしでもしたら、なおこの上にも軽々しい名を流すであろう、お志は有り難くても釣り合いということがあるから、どんな結構なお話でもこちらの身分を考えなければと、打ちとけたおん返りごとも差し上げません。ほのかに拝んだおん面影は、本当にたぐい稀でしたので、お偲び申さないわけではありませんが、そんな素振りをお目にかけても何なろうと、思い返しているのでした。」

円地文子:新潮社
「お文は始終女の許へ来るのだった。しかし、この子もまだ年のいかないことで、気をつけていてもひょっと落としでもしたら、不注意ということのほかにも、世間に浮名のひろがることさえ覚悟しなければならぬ。それもいかにもふさわしからぬことと思うと、結構なお話も、身のほどにつけてこそと思われて、女からはうち解けた御返事などはしない。ほのかに、見えた折の面影や御様子はほんとうに何に譬えてよいやら 。。。。。類いないお方と思い出されるにつけても、心のざわめき迷っているさまをお見せしたところで、いっそう辛さが増すばかりでどうにもなるものでもないなどとも、思い返すのであった。」

瀬戸内寂聴:講談社
「女へのお手紙も始終お持たせになります。けれども女は、この子もまだ幼稚なところがあるので、ひょっとして落としたりして、うかつに手紙が人目に触れでもしたら、悲しい身の上に加えて軽々しい浮き名まで流すことになるだろう。自分の境涯が源氏に対してあまりに分不相応だと思うため、どんなに結構なお話でも、こちらの身分につけてこそと考え、うち解けたお返事などはさし上げません。ほのかに拝したあの夜の源氏の君の面影や御様子は、ほんとうに噂にたがわず、たぐいまれなすばらしさだったと、おなつかしくお偲びしないわけではありませんけれど、今更恋心の綾も理解する女のように振舞ってみたところで何になるだろうか、などと思い返すのでした。」

こう並べて比較すると、林望の訳文が変っていることに気がつきますね。まるで田辺聖子の意訳版「源氏物語」みたいです。
千葉のF高








(143)モノローグ  真空管オーディオを聴いて(2010.6.7)

昨日、キット屋主催の真空管オーディオのフェアを覗きに行きました。毎年、なぜ世の中で真空管がかくももてはやされているのか、その原因は何だろうかということを考えます。昔自分で作ったキットの音を聴いて「うん、やはりこの音だねえ」と悦に入るのは誰しも同じでしょう。私もそう。もちろん、キット屋さんが昨年から使用するスピーカーは、タンノイから自社製の新製品等に交代しましので、スピーカーの特徴をしっかり把握する必要はあります。それでも最後に紹介された真空管アンプの音のゴージャスなこと!まるで昔のキャデラックです(今だったら欧州産のクルマが色々ありますが、私の頭の中にはキャデラックぐらいしか思い浮かばなかったため)。一度だけ米国のある会議があった時、あちらの人が無料でショーファー付きの大型リムジン(長〜い車体の)を手配して呉れたので、東欧の同僚と2人で、砂漠の中を200km走ったことがあります。ゆったりしたサイズと、設備と、余裕と、かの国の贅沢さを思い、複雑な気分になりました。オーディオも色々あるな、と思いました。あのゴージャスな機器で聴くとしたら、どの曲が相応しいか等、思いめぐらすのも楽しみ。
千葉のF高







(144)モノローグ 「テンペスト」上演をみたこと(2010.6.12)

昨年はシェークスピア「ヘンリー6世」を2日間で全幕観たことがハイライトでしたが、今年もシェークスピア「テンペスト」を観ました。話せば長くなりますが、私が小学4年生の夏休みに腕を複雑骨折して、新宿の大学病院に3週間入院したことがあり、そのお見舞いに持って来て呉れたのが(ダレかは忘れた)この「テンペスト(嵐)」でした。子供の本でしたが、今思い出すと、セリフ回しは本物でした。冒頭の嵐の場面にある「父王様の亡がらは、深〜い深〜い海の底」という歌など、今聴いても懐かしいものです。福田恆存の和訳に慣れていたのですが、今回観るのは小田島雄志の和訳。色々な演目を観て来ましたが、この「テンペスト」の上演にはぶつからず、不幸をかこっていたのですが、偶然これを2010年6月に上演する話を知りました。もう上演まで1ヶ月を切っていたのですが、5月末に切符を2枚手配しました。
画像
シアター・グリーンの入り口風景(2010.6.12撮影)
場所は池袋のグリーン・シアターで、客席数150程度の小劇場です。大昔に銅鑼がやって観たことのあるジェームズ・バリーの「あっぱれクライトン」の時みたいに、座布団の上に座って観なくちゃならないかな、という不安もありましたが、実際はパイプ製の折り畳みイス。結構年輩のオジさんやオバさんが来ていました(左側のオバさん達はやや五月蝿かったけど)。銅鑼の時みたいなこじんまりした会場でしたが、天井に色々なエレキ仕掛けがあります。冒頭、エリエールが起こす嵐の場面から始まりましたが、このエリエールが拾いものでした。背の高い男性でしたが、終始体をくねらせ、プロスペローにすり寄ったり、すねたりしていましたが、適役だと思います。また歌も良く歌っていましたから、案外ミュージカルの経験があるのかも。

冒頭の嵐の場面では各人のセリフがやや効果音にマスクされてしまい、聞き取り難かったのですが、後半はそういう難点は消えました。アロンゾ王、アントーニオ、セバスチャンそしてゴンザローの周辺を、妖精達が色々な楽器を奏しながらぐるぐる回る場面も秀逸。ミランダは一生懸命やっているのは分かりますが、少し演技が青かった(あのままだと、ありふれた女性の会話みたいにも聴こえます)ので、もう少しセリフ回しに慣れる余地があったかも知れません。ファージナントは背丈が低かったので、ミランダとぎりぎりのバランスでしたが、本当に楽しくてたまらない、という青春をうまく表していたと思います。そしてミランダと一緒に屋外で、精霊の劇を楽しむ場面では、若い男性一人と若い女性一人、そしてかなり年輩の加藤登紀子みたいな年のいったジュノーが登場したのが印象に残ります。本当に芝居は楽しい。キャリバンは大柄でしたが、セリフ回しは非常に懐かしく聴きました(当たり前か)。プロスペローの最後にあるエピローグの観客に向かっての言葉「これは皆さんの祈りが欲しいところ」等と言うセリフはシミジミとした味ワイ。全体として、このテンペストは成功でした。こういうのを彼方此方でしょっちゅう観ることができればなあ、というのが私の印象です。本当に、芝居は観るものです!評価はAです。

これをやった劇団は「俳小」で、演出は桐山知也、プロスペローは斉藤真、エリエールは村松立寛、ミランダは今井鞠子、ファージナントは大庭光昭、キャリバンが山田喜久男、アロンゾは松永陽三、ゴンザローは勝山了介その他でした。6月13日(日)で千秋楽になります。12日は満員御礼の表示が出ていましたが、皆様にも一度御覧になって欲しかった。
千葉のF高








  ジャカルタの雨
1988年9-10月 IAXA派遣でインドネシアへ行く(その3)



1988年9月28日(水)

BXXNへ出勤する途中、庭園用品を売る露店が延々と続く道路がある。ギリシャ風の円柱からミロのヴィーナスまで売っているのだが、おかしいのはヴィーナスが全く仏像みたいな顔をしていることだ。おまけに、首を傾けないで真っすぐのままなのは笑える。

到着後、若い連中につかまる。昨日の続きを話して欲しいという。今日はTM法について話すことにした。午前、午後全部を使って延々と話す。普通のスピードの半分以下に落し、ゆっくりゆっくり、噛んで含めるように話さなければ通じない。スマートな表現だの、上品でえん曲的な表現なぞ、通じるべくもないから、直接的で簡単な表現を探さなければならない。またその内容も、初等的な問題に絞らないとダメということも分かる。今後、東南アジアから研修生を迎える際に心しなければなるまい。高等数学を駆使した理論だの、コンピュータをフルに使った解析だの、は教える側の自己満足に終ってしまい、結果的には全く無駄になる恐れがある。彼らの国で、彼らの手を使ってできること、に絞らなければナンセンスだということが実感された。

学生が一人、このあいだのCOSNの講義を聴きそびれたから、と言って僕の部屋まで来た。彼が参考に見せてくれた論文コピーというのがニューヨークのYYY機構の人々の書いたもので、例のHやCや、Jimの古い著作だった。YYY機構を介して世界中と知合いになれるわけだ。KnoはBXXNの若い人々をYYY機構に派遣したがっているようなので、その点を2人で話す。また、近いうちにSuWid君を筑波のXCA研修センターに送るそうだ。言葉の問題や、西洋人との習慣の差や住宅の問題などいろいろ出てくる。「ともかく彼らには英語を練習するように言ってあるんです。だから今回はいいチャンスなんですよ」と言うので、僕も「でもこちらの英語にも問題がありますからね」と笑う。Knoは「でも米国人よりましでしょう。彼らは早く喋り過ぎるので、ここの連中は聴き取るのを諦めちゃうんですよ」



1988年9月29日(木)

午前中Knoと一緒にBXXNに隣接するGS研究所(正式にはKM物質研究所とかいうらしい)を訪れた。まるで軍人みたいな貫禄のあるEFT所長と会見した。偉い人たちが周囲を囲む。KMの話はお手のものなのでCOSNやXXよりもむしろ話が進み、残った時間で紅茶とクッキーをつまむ。不思議とこの国では公式の機会にはコーヒーではなく紅茶だ。かつて紅茶飲みだった時代のオランダの残影か。この研究所はかねてより日本のJAN機構と協力関係があるというが、Ua資源を探しているらしい。来週の月曜日にここで特別セミナーを開き、日本のBGNRサーベイに関して僕が一人で講演することに話がまとまった。その代わり、インドネシアに関する情報を貰う約束をとりつけた。

ここの所長は、僕からみれば軍人そのものの感じがするが、直接会えば、何でも即決でまとまりそうで、親分肌を感じた。しかし、Knoはあの人は大層恐ろしい権力者で周りでは皆恐がっていると言う。ヤマハの音楽センターのあるブロックのお向いに住んでいるらしい。「あそこのスタッフは本当に皆ビクビクしているんですよ。どうしてああまで、と思うんですがね。研究では同僚に過ぎないのに」

午後は若い人たちに、MTOパラメータと解析法について教えて過ごした。彼らは大変熱心である。ホテルに帰る車中でKnoはよくエイブリー・ブラザースのカセットテープをかける。1950年代に大好きだったそうだ。その代わりビートルズは嫌いだと言う。「中学生のころは余り先のことは心配しなくてすんだし、最も楽しかったと言えるな」と彼は言うが、その点は同感。「僕も中学は美しき少年時代というべきかな。そのかわり、高校生の頃は勉強しかやらなかったから、ちっとも懐かしくない」

10月の中旬にある三連休を利用してバリ島へ旅行するつもりで、昨夜ホテルのインフォメーション・デスクに資料入手を頼んでいたのに、何もメッセージが入っていない。そこで改めて別の受付嬢に依頼を出した。割りに安く済みそうだ。飛行機代、ホテル代、ガイド料込みでも日本円でいえば2万円程度だと言う。今宵はサヒド・ジャヤ・ホテルのプールで初めて泳ぐ。300mだけ流す。バーではマンハッタンとオレンジ・ジュースを一杯ずつ。



1988年9月30日(金)

ジャカルタのテレビはチャンネルが一つしか無いが、時間を限って英語番組を流すチャンネルがある。ビデオなのかケーブル・テレビなのかは知らない。ただこのホテルの上階に日本語のラジオ局がある、ということをしばらくして知った(ただしラジオを持っておらず聴いたことが無い)。英語テレビでは朝6時からジェーン・フォンダの"モーニング・エクササイズ"というエアロビクス番組を毎日やっている。フォンダは歳にもめげず元気なものだ。インドネシア語テレビではバリ・ダンス講座をよくやっている。迎えの車が来るまでロビーで待たなければならないが、その間ソファーに座ってホテルの客を観察するのが毎朝の日課だった。やはり旧宗主国のオランダ人が目立つ。アメリカ人もいるがここでは日本人は少ない。ロビーの真中には大きな花瓶があって、毎日一杯の花が生けられる。入り口左側には黒檀の彫物が並べられる。ただしこのロビーはあの団体客相手のプレジデント・ホテルと比べてもずっと狭い。

午前中はXXXの話をした。11時にIsm夫人の部屋でBXXNのPQR計画について相談を受ける。Swt計測をやるべきか、Hestの計測をどう思うか、MKの計測は必要か、など矢つぎ早に質問を受ける。彼女は15年前にオーストラリアに行って以来、英語を使うのは久しぶりだと言う。時々言葉に詰まると"what you call"と合の手を入れる癖がある。

昼休みにKnoと話をしている内に、彼は安全性の問題、つまりリスク解析に関心があると言うので、それなら職員を米国YYY機構に派遣するよりニューヨーク大学の方が適当ではないかと、H夫人のところを紹介した。午後も引き続きIsm夫人の部屋におもむき、前半は若い人たちにBta法を説明し、後半はIsm夫人の居室で彼女の希望を聞く。僕はTM計測の部屋の天井灯を黄色に代えるべきだとか、BroレベルがZZZというのは高過ぎるとか、研究室の中に多くのASが貯蔵され、そのすぐ側に職員の机があるのは安全上疑問がある、等の率直な印象を伝えた。Imo夫人は約半年前にKnoから引き継いだばかりなので知識を蓄積したいと言う。

夜7時に約束通りKno一家がホテルに現れた。ホテルの18階にある「サヒド・グリル」レストランのディナーに僕が招待したのだ。まずはグリルの隣にあるバーでメイン・コースのメニューを調べながらカクテルを飲み、30分後にグリルに移る。Knoも儀礼程度には酒も飲む。XXX機構で研修生として半年間受け入れたマレーシアのSLN氏のような厳格なコーランの徒ではない。この点Kno氏の在り方は有難い。飲食物に制約が多いと、本当につらいからである。ここのシェフはフランス人だが、味付けがやや濃過ぎと思った。デザートのアイスクリームが来た時は胃が重たくなっていた。約22万ルピアを支払う。

彼らをロビーに見送った後、バリ島旅行の件を頼んであった受付嬢を呼び出し、彼女が取ってくれた予約を受け入れることを確約した。どうも彼女はこの件(私が本当に行くのかどうか)で不安に思っているようだったからである。




1988年10月1日(土) 休み

昨晩の重い食事のため胃が痛い。月曜日のセミナーの準備を始めた。10時にKno父子がやってきた。ロビーに座って待っていたらAnt君が一人で入って来て「Are you ready?」と聞く。あとでKnoに貴方の息子さんは英語を喋るじゃないかと言ったら、実は言うべき言葉を予め教えておいたのだと言う。まずはケバヨラン・バルーのブロックMにあるセリナー・デパートへ行く。日本に比べれば確かに安い。但し、日本でおなじみの細かい縞模様のシャツは日本より高い。御土産用の様々なバティックを沢山買い込み、地下にあるカフェテリアでヌードルを食べた。これは日本のラーメンとかわらない。昼食後、最上階にあるエレクトロニクス・ショップものぞく。ステレオやパソコンも並べてあるが種類は少ない。デパートの中でKnoの隣家の御主人に出会う。彼はオーストラリアからやってきたUNXP専門家の付添いをしている最中だった。同じ様な立場の人間が2組かち合ったわけだ。彼らは銀製品を物色中。

ブロックM地区はまさにカオスだった。デパートを後にして旧バタビヤ地区(コタ地区)へ行く。かのジャガタラお春が暮らしていたのはこの辺りである。Kno達はお春の話は知らないと言う。港にはボルネオ(当地ではカリマンタンと呼ぶ)との間を行き来する材木船が何十隻もつながっているのだが、その船は帆船で、甲板が弓なりにそっていて、まるで御朱印船みたいな船である。ボートを雇って帆船群の中をゆらゆらと縫って見物する。この大帆船群は時計の針を400年も逆回しにしたような印象だったが、コタ地区は40年ほど逆に回したような印象がある。ただ日本人の目には特に奇異に見えることはなく、古いなあと思うだけだ。帰途またもや強烈なスコールに見舞われ、ジープはまるで川の中を走っているみたいだった。

夜は月曜のセミナーの準備をしたあと、テレビでアメリカ製の英語の恐怖映画と、インドネシア製のメロドラマを見た。前者は郊外の廃邸で開かれた若い人々のパーティで次々と殺人事件が起きる話で、後者は日本でも今はやりの不倫もの。医者が主人公だがこの国でも、医者は金持ちとして描かれるらしい。但しインドネシア語だから推量するだけ。
(続く)
[お詫び]「ジャカルタの日記」を調べているうちに、日付が1ヶ月ずれていることに気がつきました。先回から表記は直っていますが、第1回分は違っています。どうもすみません。















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