シミオナートの死
(145)モノローグ  シミオナートの死  2010.6.24

今日届いたOpera News誌により、かねてより気になっていたイタリアのメゾ・ソプラノ、ジュリエッタ・シミオナートが今年5月5日に死去したという記事を目にしました。生まれたのが1910年5月12日だから(諸説あり)、100歳にわずか1週間足りず。シミオナートこそは最大のメゾ・ソプラノ歌手で、マリア・カラスの親友。若い時のロッシーニ「チェネレントラ」(チェネレントラ)とか「セビリアの理髪師」(ロジーナ)、歳をとってからのヴェルディ「アイーダ」(アムネリス)や「ドン・カルロ」(エボーリ姫)等、最も激しく、最も情熱的なヒロイン達を演じました。今となってはイタリア歌劇団の一員として来日した時の「セビリアの理髪師」の切符を近所の住人の希望で譲ってしまったのが惜しい!合掌。
千葉のF高







オペラ「椿姫」の話(その4)
「椿姫」の比較 第4回
III.<第2幕冒頭〜フローラの舞踏会前までの比較>

(1)1928年盤:ヴィオレッタはメルセデス・カプシール、アルフレードがリオネルロ・チェチル、ジェルモンがカルロ・ガレッフィ、ロレンツィオ・モラヨーリ指揮のミラノ交響楽団。カプシールみたいなソプラノをどう言ったら良いのか、迷います。音は出ますが、その音は頭声みたいに聴こえるのです。頭声という表現が正しいかどうかは別としても、歌謡曲でいうと川中美幸みたいな声です。私の偏見だと思いますが、頭声は余り細かい急ぐパッセージには対応できないのかも知れません。最初に出て来るアルフレードの独唱を聴いていると、やや脳天気なテノールだが、案外うまいのかな、と思います。先日車の中で聴いたばかりの藤澤ノリマサに似ていると感じました(彼の周辺にダレかは不明ながら、しっかりした先生がいて、押さえるべきポイントを押さえているようです。それで切れ味とか、オペラ的な歌唱を際立たせています。少し古めかしい感じは否めませんが)。他方ジェルモンは歳が若すぎ、歌唱法もそう言う感じ。その中でカプシールのヴィオレッタが精一杯やっていることは分かるのですが、歌唱が追いつかない箇所があります。例えば最も重要な「Amami, Alfredo!(アルフレード、愛して!)」のところ。ここは全身を投げ出して歌わなければならないのですが、素っ気なく聴こえました。モラヨーリの指揮のテンポでキビキビと進み、ジェルモンに対してヴィオレッタが「ここは私の家です」と答える場面は、威厳に満ちたヴィオレッタでした。

(2)
1935年盤:ヴィオレッタはローザ・ポンセル、フレデリック・ヤーゲルのアルフレード、ローレンス・ティベットのジェルモン、エットーレ・パニッツア指揮のメットの実況録音。いずれも35歳以上の年齢時の実況録音で、音はハッキリ言って悪い。しかしポンセルはこの頃、突然に引退してしまう(次作にチレーア「アドリアーナ・ルクヴルール」を提案したのに拒否されたから引退したと伝えられています)。第2幕はアルフレードの歌から始まります。音が悪いから断定はできないのですが、ポルタメントが少し過剰ではないでしょうか。ジェルモンはずっと大人の風格ある声、と思っていたら、これがクセ者でした。ジェルモンは全く自信が無くなった(歌詞を忘れてしまったんじゃなかろうか、と勝手に想像)ように小さな声になって、テンポも遅くなります。ヴィオレッタは演技が大きく、激しい感情の振幅を聴かせますが、其の分テンポが揺れます。指揮者はハッキリしない人だと思っていたら、「Amami, Alfredo!(アルフレード、愛して!)」の部分では、ヴィオレッタに付き添うようにテンポを揺らし、その大柄な演技を助けているようでした。妻はこれを聴いて「演技しているわね」と感想を述べました。女主人としての誇りは少しだけ感じることができます。

(3)
1946年盤:ヴィオレッタはリチア・アルバネーゼ、アルフレードはジャン・ピアース、ジェルモンはロバート・メリル、そしてアルトウーロ・トスカニーニ指揮のNBC交響楽団。またもトスカニーニのふんふんと歌う声付き(だと思うが?)。テンポは異常とも思える早さですが、その中で歌手達は実は精一杯の演技をしているのが分かります。ヴィオレッタを歌うアルバネーゼは普段はあまり好きではないし、聴かないのですが、ここでは眼を見張るほどの演技ぶり。またピアースはどうにもならないな、と思っていましたが、トスカニーニのテンポにピッタリくっついて歌う場合、凄い歌唱だと評価を改めました。メリルが最もまともな歌手と思っていましたが、結果的にこの録音に関する限り、メリルの歌唱には惹かれません。トスカニーニのテンポ設定は確実なものだし、やはりこれは捨て難い録音だと再認識しました。ただ、アルバネーゼの歌唱にみられる演技しようという意欲と努力は良く分るし、その成果も分かり易いのですが、声自体の限界も否めないものです。いわば、菅原都々子の声の持ち主に弘田三枝子の「人形の家」を歌えと言っても仕方がないでしょう。ピアースの歌声には慣れ切った故のポルタメント(隣りの音に合わせつつ移行する唱法)が目立つほか、慣れたゆえに早回しに先取りして声を響かせてしまう所があります。やはりこの録音は、トスカニーニが指揮しているからこそ、の存在価値です。なお、女主人としての威厳はありません。

(4)
1952年盤:ヴィオレッタはレナータ・テバルディ、アルフレードはジャチント・プランデルリ、ジーノ・オランディーノのジェルモン、カルロ・マリア・ジュリーニ指揮のイタリア放送管弦楽団。やや戸惑った録音。まずプランデルリの音が決まらず、やや音程が悪いような気がします。輪をかけて欠点を見せたのがオランディーノのジェルモン。ジェルモンはここで何を歌いたいのでしょうか。何とか表現を探っているうちに音楽が済んでしまったようです。テバルディは声は均質ですが、表現がこれまたハッキリしません。こんなに印象の悪いテバルディは初めて、という気がします。其の分、テバルディはプロットに合わせて「泣き」の演技を頻繁に入れています。それも質も量もオーバーなほど。ジュリーニの指揮ぶりも音楽を引っ張って行く力が弱いように聴こえました。当時のジュリーニは更なる勉強が要ったようです。このCDは余り頂けない。

(5)
1953年盤:ヴィオレッタはマリア・カラス、アルフレードはフランチェスコ・アルバネーゼ、ウーゴ・サバレーゼのジェルモン、ガブリエーレ・サンティーニ指揮のトリノ放送管弦楽団。アルフレードの声が、少し青臭さの残ったディ・ステーファノの声と歌い方に似ています。呑気な歌い方ですが、それを許せる人なら受容できます。フローラの舞踏会へ行こうとするところなど、聴かせ方を知っているテノールだと思いました。カラスは全体に表現が小さく、プッチーニ「蝶々夫人」の録音を思い出した次第。こんなに遠慮することはないのになあ、と思っていたら、幕切れの「Amami Alfredo!(アルフレード、愛して!)」の箇所で突然、我慢しきれなくなって爆発、咆哮します。これを聴いてすっきりしました。この場面や幕切れのアルフレードの「パリへ行こう!」の歌があるから、この録音は捨て難いのです。なお、ジェルモン到着時にヴィオレッタが示す女主人としての威厳は、多くは感じません。

(6)
1954年盤:ヴィオレッタはレナータ・テバルディ、アルフレードはジャンニ・ポッジ、ジェルモンはアルド・プロッティ、モリナーリ・プラデルリ指揮のローマ・サンタ・チェチェーリア音楽院管弦楽団。あらためて聴くとテバルディの声と表現にゆとりが感じられ、良いCDという印象を再確認することになりました。彼女がたった一度だけの、あと一音高い音を、ゆとりを持って聴かせることが無かったのは、返す返すも残念です。

テバルディはここではあまり「泣き声」を使っていません(2カ所のみで使用)。ここでのテバルディは美しい声と、それを操る技術を持っていたようです。このCDではそういう判断ができます。テバルディは強い声でジェルモンに対抗していますし、最後にアルフレードがパリの舞踏会に行こうとする辺りの緊迫感も十分です。テバルディは「Amami Alfredo!(アルフレード、愛して!)」の咆哮の箇所では声を強く張り上げていますが、それでも53年盤カラスの咆哮には匹敵していません。それでも、このテバルディ盤も素晴らしい録音だと評価します。なお、テバルディ1954年盤では、女主人としての威厳も、僅かばかりですが感じられます。

(7)
1955年盤:ヴィオレッタはマリア・カラス、アルフレードはジユゼッペ・ディ・ステーファノ、エットーレ・バスティアニーニのジェルモン、カルロ・アンナ・ジュリーニ指揮の1955年スカラ座実況録音。これは物凄い熱気に満ちています。ディ・ステーファノは素晴らしい声を出しているし、ジェルモンは憎らしい声を放っています。何よりカラスの熱気が感じられます。ただ先頭に出て来るアンニーナの声は貧相で、まるでくたびれた年輩の老女の声。カラスとジェルモンのやり取りの場面で、あのバスティアニーニの物凄い圧力を、劣らない反発力で押し返すカラスも凄いものです。カラスはここで泣き声を入れていますが、演劇としても凄い迫力!幕切れに絶望して叫ぶ「Amami Alfredo!(アルフレード、愛して!)」の箇所の迫力は、他に考えられない程のもの。その代わり少し前の、「che a lei il sacrica …(あなたに犠牲を捧げて)」のところでは少し声がセーブされています。それでも肝心な部分は強調すべきものを放散しています。アクセントが効いている!カラスの発声の秘密は、長い旋律を捉え、その先頭部分でエネルギーが最大になり、それを長く、尾をひくように放出するのです。例えば「Morro!(死ぬわ!)」における力の込め方はどうでしょうか!観客の熱狂ぶりが伝わって来ます。こういうのを聴くと、あと何を聴けば良いのか茫然としてしまう。唯一の弱点と思われるのは、ヴィオレッタが「Dite alla giovine….(お伝え下さい)」とジェルモンに対して歌う場面の、最初のところで音がややシャープ気味に上がって聴こえる、十分な低音を出していないからでしょうか。

(8)
1956年盤:レナータ・テバルディのヴィオレッタ、ニコラ・フィランキュリディのアルフレード、ウーゴ・サヴァレーゼのジェルモン、トリオ・セラフィンの指揮するフィレンツェ市立歌劇場管弦楽団。これはフィレンツエ実況でしかも抜粋。まずテンポが極端に遅い。歌手を尊ぶセラフィンの指揮だから、歌手たちの不調をカバーするために違いありません。実際テバルディを聴いていると、苦しそうな箇所が色々とあることに気がつきます。表情付けどころの段階ではないようです。リリコと言うより、全くのリリコ・スピントの声です。テバルディは自分でも声が重くなりすぎたと述べていますが(1957年)、それ以前に既に重い声になっていました。ただこんなに重い声だったら、例えばヴェルディ「仮面舞踏会」を歌えばよさそうなものですが、「あの曲は重たい」と言って寄り付かなかったのはテバルディの方でした。ジェルモンの声は軽すぎるし、アルフレードの声は更に軽い。別れの場面ではテバルディはやっと歌い終えたのですが、拍手ばかりでは無かったようです。一応拍手が盛大にあって延々と続きますが、その中に「Boo!(ダメ!)」が混じって聴こえる気がするのは私の空耳でしょうか。テバルディはそれに応じて、最後の場面をアンコールとして再度歌っていました。

(9)
1957年盤:ヴィオレッタはアントニエッタ・ステルラ、アルフレードはジュゼッペ・ディ・ステーファノ、トリオ・セラフィン指揮のスカラ座管弦楽団。ディ・ステーファノが相変わらず素晴らしい。もともと余り興味の無かったディ・ステーファノですが、これほど上手いとは想いの外でした。オペラの「泣き」を熟知した歌手。ステルラは精一杯頑張っていますが、出来映えは「良家の小金持の奥様」というところ。スーツを着こなした婦人が、田舎から出て来たジェルモンを接待するような錯覚を覚えました。ですから「ここは私の家ですから」と諭す場面もさり気なく。ジェルモン役はティト・ゴッビ。これは憎々しい声の持ち主で、どうしてもプッチーニ「トスカ」のスカルピアを彷彿させます。でも、ジェルモンの声って、それが相応しいのですね。

セラフィンの指揮が素晴らしく、ジェルモンとヴィオレッタの対決の場面は緊迫感が盛り上がりますが、残念ながら、ステルラはこの最後に爆発しない。少しばかりエネルギーが不足していますが、それは本人が一番承知しているでしょう。なお、セラフィンは休止符の場面では、さり気なく、しかし万全に休止符を演奏(!)しています。この休止符は計らずも、指揮者の技量を試すものでした。なお、アルフレードがパリへ行こうと飛び出す箇所は余り熱気が感じられません。スカラ座の実況の方では激しく、情熱を感じたのに。面白いことに、このCDのリフレットに、主役のヴィオレッタの肖像画の納まる位置に、何とカラスの顔の絵が描かれています。途中でヴィオレッタがジェルモンに対峙して「Dite alla giovine….(お伝え下さい)」と歌う場面がありますが、その初期に背後で何か倒れるような雑音が聴こえました。スタジオ録音だから、舞台と違って何か事情があったんだろうと想像します。

(10)
1957年盤:ヴィオレッタはレナータ・テバルディ、アルフレードがジュゼッペ・カンポーラ、ファウスト・クレーヴァ指揮のメトロポリタン歌劇場管弦楽団。メットの実況録音。これはテバルディの最後の「椿姫」メット出演(終了後に米国地方公演をして、この役から降りました)となります。まずカンポーラの脳天気なテノールを楽しんだあと、盛大な拍手と共にレナード・ウオーレンのジェルモンが登場します。指揮者はここでは適切なテンポ。肝心のテバルディですが、ここでは一貫してリリコ・スピントの声で聴かせます。決してリリコではありません。1954年盤のテバルディの声はリリコでしたが、ここはリリコ・スピント。

確かにそれなりに美しく歌われていますし、本当にこの声でヴェルディ「仮面舞踏会」を歌って欲しかったと思う次第です。もし「リリコ・スピントの声でヴィオレッタを歌う」という課題でもあれば、この歌唱は優勝ものだろうと考えます。でも、例えばワーグナー「ワルキューレ」で成功していたアストリード・ヴァルナイがヴィオレッタを歌うことは全く考えられないことです。音域の問題でなく、色彩の問題です。最初ジェルモンを迎える時のヴィオレッタの威厳は少し感じますが、あとは美しく歌うことに徹しています。決して破綻を来たさず、リリコ・スピントのお手本のような声。ただ、「Dite alla giovine….(お伝え下さい)」の箇所等では、あまり心を奪われません。そして「Amami, Alfredo!(アルフレード、愛して!)」も淡々と歌われます。それらの場面で、テバルディは小さな「泣き」を入れています。ジェルモンの「プロヴァンスの海と陸」では再度ウオーレンが拍手を浴びていますが、確かにゴッビのジェルモン役と並んでこれも印象的なジェルモンでした。最後にカンポーラが熱気をチラと見せるのはご愛嬌。

(11)
1958年盤:ヴィオレッタはマリア・カラス、アルフレードはアルフレード・クラウス、マリオ・セレーニのジェルモン、フランコ・ギオーネ指揮のリスボン・サン・カルロ歌劇場管弦楽団。アルフレード役のクラウスは歌い出しからして、他のイタリアのテノールと違うことに気がつきます。そしてセレーニのジェルモンにウッカリ聞き惚れている自分を見つけ出して、あわててcritical review(審査)に相応しい耳にチューニングし直しました。カラスのヴィオレッタは所々で確かに1955年のスカラ座より改善した歌い方をしていますが、残念なことに、声が追いつかなくなっています。「Dite alla giovine…(お伝え下さい)」の場面では低音を支えきれず、浮ついたやや高めの声を出していますし、あの「Morra!」の場面など重要な箇所も、あと少し声の力があればな、と思いました。そしてこの幕切れでは「泣き」を入れています。今までに比較を試みた諸先輩の中には、この1958年リスボン盤を最高と評価した例もありますが、私の耳はそうではなく、やはり1955年スカラ座のものを越えていない、と判断します。そういう所は聴衆からの拍手も小さめなことで証明されていると思います。刻々と、カラス最後のヴィオレッタ出演の日が近づいています。ジェルモンはなぜかここで自信を失い、声の震えが目立ちますし、音程もあやふやな感じに。

(12)
1958年盤:ヴィオレッタはマリア・カラス、アルフレードはチェーザレ・ヴァレッティ、ジェルモンはマリオ・ザナーシ、ニコラ・レッシーニョ指揮のロンドンのコヴェント・ガーデン歌劇場管弦楽団。これはリスボンでやった公演の3ヶ月あとに行なった公演の実況。最初に出て来るヴァレッティの声はやや青いですが、先に進むと(ヴィオレッタと別れる手紙を見たあと)声に真剣味が出て来ます。ジェルモンは音色がやや若過ぎる感じ。でも、それだけを取り出して聴いているとウットリするような音色です。

カラスの声はリスボンより回復していて、必要な箇所では強い声を聴かせます。ただ人間の耳とは恐ろしいもので、やはり私には3日前に聴いた1955年盤の声が最高に響き、この記憶が残っていました。カラスは最後でチョッとだけ「泣き」を匂わせますが、あとは沈黙が支配しています。1958年のカラスの声は、低音の共鳴を失ったのです。其の分、高い声で鋭く歌う時は記憶に残りますが、その音色は基本的に高音のみの成分から出来ています。ごく普通の、1960年盤のベルリーニ「ノルマ」等で聴かれた声です。そして、実演でも実況録音でも、いつの、どこの公演なのかが問題です。カラス自身もリスボンで歌うより、ロンドンで歌う方が楽しかったのではないでしょうか。これがスカラ座だったら益々そう!そういう公演の場所というのは案外影響しますよ。

(13)
1958年盤:ヴィオレッタはヴィクトリア・デ・ロスアンヘレス、アルフレードはカルロ・デル・モンテ、ジェルモンはマリオ・セレーニ、トリオ・セラフィン指揮のローマ歌劇場管弦楽団。これは困った。ロスアンヘレスは声楽上、欠点のないヴィオレッタです。でもその欠点の無い点こそが、最大の欠点だと感じました。最初から最後までどこを取っても同じような声だし、どこにも谷底が無い代わりに山も無い。この表現に尽きるのではないでしょうか。ジェルモンとの対決も、単なるエレジーを歌っている様に聴こえ、独唱会をやっている感じ。と、書くとどうにもならない歌手と捉えられるかも知れませんが、彼女の歌は安心して聴いていられますよ。セレーニの歌うジェルモンの「プロヴァンスの海と陸」では、カラス1958年盤で聴いたのと同様に、少し震え声が聴き取れます。またアルフレード役の方は実際はかなり若作りしているのではないか、と思いました。声自体が若々しくなく、また表現がオーバーです。中年歌手の歌。なお、ロスアンヘレスは1923年生まれですから、カラスと同じ年齢です。そういう人が声を保っているのは感心しますが、声を保つことと,強烈な印象を残すのは別。

(14)
1960年盤:ヴィオレッタはアンナ・モッフォ、アルフレードはリチャード・タッカー、ロバート・メリルのジェルモン、フェルンド・プレヴィターリ指揮のローマ国立歌劇場管弦楽団。どうしてか分かりませんが、このCDケースの表面に印刷してあるのは、どう見てもモッフォでなく、テバルディの顔の肖像画です。まずプレヴィターリの指揮ですが、可も無く不可も無しというところ。熱気はありません。ここでの拾いものはメリルの演じるジェルモンでした。この声は役柄に合っています。ただ、「プロヴァンスの海と陸」の部分では、この歌全体に特別なエコーがかかっていると判断しました。ジェルモンが普通の場面に声を戻すところで、明らかな差があります。タッカーの演じるアルフレードは若さの限界ギリギリというところ。

問題はモッフォで、当初歌い始めには声が少し小さいかな、だけでしたが、そのうちにこれが最大の欠点となって聴こえました。ロスアンヘレスのヴィオレッタの声だけを小さくしたような声。本当に声が無いのです。ですからジェルモン相手の場面で「Morra!(死ぬわ!)」では声を投げ出す様に歌っています。それでも声が割れて聴こえるだけで、全体の効果は薄い。また手紙を書くシーンでもヴィオレッタは「泣き」を入れていますが、これは他の歌手と比較すると最長の「泣き」。そしてアルフレードとの別れる場面の叫び声は、なさけない声でした。大好きなモッフォですが、残念ながらその技量はこのようなものでした。私見ですがヴイオレッタは「炎の女」であり、その声に「雌虎の要素」が匂わなければなりません。ただ匂い過ぎる必要はなく、100%「雌虎の要素」が揃っちゃうと、「椿姫」と言うより、ベルリーニ「ノルマ」とかケルビーニ「メデア」の世界になります。難しいことですが、要するに単にコロラトウーラが歌えるだけではダメで、もっともっと強い表現が出来なければ、ヴィオレッタ歌いと認定できないと考えます。単なる技術でなく、本来持っている声のリソースがパワーに満ち、鮮度が無いと無理。それらを有効に放出できる歌手がヴィオレッタたり得ます。

(15)
1963年盤:ヴィオレッタはジョーン・サザーランド、アルフレードはカルロ・ベルゴンツイ、ロバート・メリルのジェルモン、ジョン・プリッチャード指揮のフィレンツエ五月祭管弦楽団。プリッチャードの快適な指揮棒。アルフレードは端正な歌いぶりで、どこを取ってもお手本になるようなもの。ただ、それがアルフレードという人物を過度に清潔に見せてしまい、情熱が後退する結果になっています。ベルゴンツイはアルフレードを歌うには立派過ぎるのです。もう一方、メリルは堂々たる歌いぶりで、これは行ける!そしてアルフレードにも、ジェルモンにも普段聴けないカバレッタ(リズム感のある部分)が付いています。そのうちジェルモンの方は「プロヴァンスの海と陸」の後に続く部分に当たりますが、その前奏部分を聴くと何か懐かしい気分が高まりました。どこかで聴いたようなメロディーです。

問題はヴィオレッタを歌うサザーランドです。どんな点をとってみても、声楽的な意味で破綻は無いし、どんな音程も十分です。ただそれにも関わらず、サザーランドの歌は「後だしジャンケン」見たいなところがあって、反応が少し遅くなります。途中で諦めてしまわずに、あくまでゆったり楽しむ聴き方をするなら、このヴィオレッタも楽しむこともできます。それでもアルフレードとの別れの場面では力を込めてフルヴォイスで歌っていて、その部分だけは魅力的でした。全体をそういう歌い方で聴かせて呉れれば!他のキャストが立派な上、録音も良いので残念です。握手をしたこともあるサザーランドなので何とか良い面を探しましたが、これが結果でした。サザーランドは最後の部分で「泣き」を聴かせます。

(16)
1968年盤:ヴィオレッタはピラール・ローレンガー、アルフレードはジャコモ・アラガル、ディートリッヒ・フィッシャー=ディスカーウのジェルモン、ロリン・マゼール指揮のベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団。マゼールの指揮ぶりはキビキビしているし、オペラはこの方が気持が良いと思います。アラガルはスペイン人ながらイタリアのテノールでしか聴かれないと思っていたポルタメント(半音移行)を、ここで聴けたので、今までのは誤解でした。ジェルモンにはお上手!という掛け声を掛けましょうか。とても上手なんですが、立派すぎて、こんなに立派だったら、あんなヒドいことはできなかろうに、とも思えます。もっと田舎紳士ですよ、ジェルモンは。そしてローレンガーの歌うヴィオレッタは、全編通じて震えるようなヴィヴラートが気になって仕方がありませんでした。確かに途中の感情表現では聴くべき物があるのですが、それにしてもヴィヴラート過剰。それでも最後のアルフレードとの別れの場面では全力投球していました。この盤では、「プロヴァンスの海と陸」のあとにもう一つジェルモンのアリア(というより短いカバレッタ)を聴くことができます。最後のアルフレードの場面は余り情熱的ではありません。

(17)
1971年盤:ヴィオレッタはビヴァリー・シルズ、アルフレードはニコライ・ゲッタ、ローランド・パネライのジェルモン、アルド・チッコリーニ指揮のロイヤル・フィルハーモニック管弦楽団。これは変ったCDでした。当初、ビヴァリー・シルズの歌に魅せられて聴き入っていましたが、最後にはシルズの歌が歌舞伎風の、思い切りゆっくりしたテンポへ変貌したのに驚きました。それまではキビキビとして、快適なテンポでしたから、その差異に驚いた次第。アルフレードは十分に情熱的であり、イタリア人に遜色ありません。アルフレードのアリアは跳ね上げています。またパネライの歌は力強く、ある意味で粗野な感じがしましたが、これはかえってジェルモンに相応しい。また途中ある全休止符の所はきちんと、ここは休止符だよ、いう点を強調して演奏しています。また「プロヴァンスの海と陸」の後で、ジェルモンのアリアに追加したカバレッタがあります。

(18)
1976年盤:ヴィオレッタはイレアーナ・コトルバス、アルフレードはプラチド・ドミンゴ、シェリル・ミルンズのジェルモン、カルロス・クライバー指揮のバイエルン国立歌劇場管弦楽団。ここで褒めるべきはクライバーの指揮棒だと思います。例の全休止符のところで、さり気なく、しっかりと休止符を表しています。ドミンゴは声も技術も立派ですが、それはイタリアのテノールでいうとベルゴンツイのようです。ミルンズのジェルモンは田舎紳士として通用するでしょう。「プロヴァンスの海と陸」のあとにあるジェルモンのカバレッタもしっかり記録されています。

そしてコトルバス。この人を今まで誤解していました。表現力の乏しい割に表情付けが過剰ではないか、と思っていたのです。声のリソースが無いのにねえ、と思っていた次第。しかしここで私は自分の意見を変えました。つまり彼女のヴィオレッタは、演歌歌手の香西かおりみたいな歌い手だろう、と想像しました。ああいう雰囲気が好きな人には説得力があるだろうと思います。そこここに「泣き」も入っていて、その説得力は十分ありました。

(19)
1982年盤:ヴィオレッタはレナータ・スコット、アルフレードはアルフレード・クラウス、レナート・ブルゾンのジェルモン、リッカルド・ムーティ指揮のフィルハーモニア管弦楽団。アルフレードが上手く歌い出していますが、やがて退屈なイメージになって行きます。例えば、「プロヴァンスの海と陸」の後のアルフレードの声には情熱が乏しいようです。ジェルモンはまずまず。スコットのヴィオレッタは声のパワーが弱くなっているのを、必死になってカバーするため、場所によっては聴きづらい。例えば「che a lei il sacrica…(あなたに犠牲を捧げて)」とある箇所で最初の「che a」の所は高音を出すために力を込めて歌い放しています。ムーティは決して原譜に無い高音を歌わせないために、全体の調和は取れていますが、やはり歌手の年齢との競争ですね。それらの欠点を除くと、スコットの歌には惚れ惚れしてしまいます。また「Amami Alfredo!(アルフレード、愛して!)」の部分はビックリするほどドラマティックな音楽になっていました。これは指揮者ムーティの趣味。またこれは全曲原譜通りを標榜するものですから、当然カットされた場面はありません。

(20)
1990年盤:ヴィオレッタはルチア・アリベルティ、アルフレードはペーター・ドヴォルスキー、ロベルト・パテルノストラ指揮の東京交響楽団。これは東京における実況の記録です。指揮者のパテルノストラの棒の意思がハッキリ伝わりません。そしてドヴォルスキーのアルフレードが好調なのか、逆なのかも分かりにくい。ただ最後の「パリに行こう」とう箇所では少しですが、情熱のほとばしりを感じました。直前の「プロヴァンスの海と陸」までは、ジェルモンは余り歌おうという意欲が無いのでは、と感じました。上記アリアの最後部では普通でないエコーの響きを感じましたが、あれは何でしょうか。またジェルモンには通常カットされるカバレッタが付いていました。アリベルティはずっと、熱気があるような、ないような歌いぶりでしたが、ジェルモンとの対決の場面で、これは少し不満が残るな、という結論に至りました。それでもアルフレードとの別れの場面で一瞬、ヴィオレッタは悲劇の主人公らしい響きを聴かせてくれます。東響のオーケストラは残念ながら、これを聴く限りは、オペラに慣れていない感じ。オペラは贅沢な音楽ですね。

(21)
1992年盤:ヴィオレッタはキリ・テ・カナワ、アルフレードがアルフレード・クラウス、ディミトリ・ホロストフスキーのジェルモン、ズービン・メータ指揮のフィレンツエ五月祭管弦楽団。なお参考までに付記しますと、端役ですが、アンニーナはオルガ・ボロディナが歌っています。これは説明に窮するCDでした。まず疑ったのはメータの指揮ぶりで、メータは「椿姫」の指揮に慣れていたのだろうか、とクビを傾げました。楽譜通りを標榜するなら、アルフレードの登場の箇所で、最後の高音まで、沈黙があるのはおかしいし、もっとオペラ上演に付き物のオーケストラにするなら、「Morra!(死ぬわ!)」の場面の続きにおけるオーケストラの音の大きさに差をつけて、もっとキビキビした「伴奏」にすることも必要だと考えます(ヴィオレッタとジェルモンの所では、音が殆ど変化していない)。また「プロヴァンスの海と陸」に付いているジェルモンの歌ではジェルモン役にもっと力が必要でした。何か出し惜しみをしている様です。そしてアルフレードはヨレヨレの状態です。実際、力つきて、やっと歌っているような感じ。そしてテ・カナワのヴィオレッタが全く元気なく、ヴィオレッタも歌っておかなくては、と単なる義務感で引き受けたような感じ。私は「オーベルニュの歌」という歌曲集のCDが最初に聴いたテ・カナワでしたが、あのデビューした頃のクリーミーな声はもう失われています。何でボロディナのような貴重なメゾ・ソプラノを起用したのかも不明。幕初めではボロディナは場面を仕切っていました。メータを含め、この録音には疑問符が残りました。

(22)
参考までにここに画像付きのものを紹介します。1982年盤:ヴィオレッタはテレサ・ストラータス、アルフレードはプラチド・ドミンゴ、ジェームズ・レヴァイン指揮のメトロポリタン歌劇場管弦楽団。ストラータスの動きは最後の場面にむかって徐々に熱を帯びています。ただカラスと比較すると、結局カラスの競争相手にはならない、という結論に至ります。アルフレードの顔の表情は全く変らず、それほど意欲をそそられません。






  ジャカルタの雨
1988年9-10月 IAXA派遣でインドネシアへ行く(その4)



1988年10月2日(日)休み

早朝から明日のセミナーの準備で忙しい。2つのテーマを1つにまとめなければならないし、スライドの順序を決めるだけでも大変だ。昼前から3kmも歩いてスラバヤ通りのアンティーク街へ行く。サヒド・ジャヤ・ホテルの北隣りにはトヨタの大きな店があり、さらに北に歩いて行くとマンダリン・ホテルが小高い丘の上に建っている。さらにうんざりするほど歩くと左側にインドネシア・ホテルがある。ここは図体は大きいが、あまり高級感はない。恐らくジャカルタで最も高級なホテルはヒルトン・インターナショナル・ホテルで次はボロブドウール・ホテルであろう。

プレジデント・ホテルを過ぎてムルデカ広場へ向かって歩くと右側にサリ・パシフィック・ホテルがある。これもしゃれたホテルだがここは東急系だと聞いた。Knoが言うにはフランスからBXXNに来る客はよくサリ・パシフィックに泊まるという。フランス大使館がそばにあるためかも知れない。スラバヤ通りは大昔の秋葉原もこんなものだろうと想像させる。銀食器がいろいろあったのだが、ニセ物も多いと聞いたので敬遠した。店先で古いガラクタの錆を、やすりで磨いたり油汚れを落したりしている。うまく探せば安い掘出し物もあるに違いない。オランダ植民地時代の遺産らしく、クリスタル製品や陶器も沢山ある。

途中で通った通りはフランス大使館とか、ニュージーランド大使館とかの並ぶ高級住宅街らしいが、何となく町並みがすっきりしていない。どこでも雑草が目だつし、道路がひび割れていたり、何かキチッとしていないのだ。庭師みたいな者が草を取っているのを見たが、一本残らず除草しようという意気込みは無いようだ。これも南国風と言うべきか。その足でプレジデント・ホテルへ行ってみた。ジャカルタに来る日本人旅行客の殆どはこのホテルに泊まるという。このホテルはオフィス・ビルみたいだ。日本の菓子パン屋みたいな店が中にある。エレベータの扉のそばには「国立博物館ツアー募集中。何日何時集合」とか日本語のチラシが貼ってあった。商社マンの奥様達の遠足だろう。そこのバティック・ショップを覗いて買物をしたあと1階のコーヒー・ショップで昼食。プレジデント・ホテルは南隣りにヌサンタラ・ビル(日本の商社の多くがここに入っている)があり、お向いは日本大使館という所だから食堂でも日本人男性が目立つし、日本語の新聞や雑誌もある。

このホテルの向いにある日本大使館は軍指令部みたいな偉容を誇っていて、あたりを制圧する感あり。食事後、火事で焼けて改修工事中のセリナー・デパート(ブロックMとは別の所にある)へ行ってから裏通りをずっと歩いてサヒド・ジャヤ・ホテルに戻る。やはりこっちの方がプレジデント・ホテルより上等そうだ。猛烈に暑いのでプールで泳ぎたいが、この間泳いだ翌日お腹をこわしたので今日は見送る。明日のセミナーが大事だからだ。夜のテレビでは懐かしいアメリカ映画「ヘアー」の英語版をやっていた。いい映画だと思う。



1988年10月3日(月)

なかなか迎えの車が来ないので気を揉む。講演は9時半開始の予定だが、間に合うだろうか。9時ぎりぎりに赤い車が到着。9時25分にBXXNに飛び込み、3分の遅れで相手方研究所に到着。30名ぐらいのスタッフを相手にGSの話を2時間しゃべる。途中でスライド・プロジェクターが壊れたのでハード・コピーを使用して済ます。その後、インドネシアを代表するというJoj氏の部屋を訪れ、12時まで若干のディスカッションを行う。GSの専門家でもない僕が、それらしい顔をして話すのは恐いもの知らずに違いない。

BXXNに戻って昼食後1時半から今度はCOSNの講義をする。一日の間に身の回りから宇宙まで駆け巡るのだから大忙しだ。ERNという学際分野では何でもこなさなければならない。この次はMETの講義をすることになっている。それにしても1日に2つのテーマで、合計4時間の講義というのはかなりきつい。COSNの講義後、卒業実験で来ている若い学生が僕の部屋までやってきたので、家庭教師みたいに補習をする。

Knoにホテルまで送って貰うあいだ、昨日のサリナー・デパートの買物の話が出た。いくら使ったんだ?と聞くので約20万ルピアだ、と答えたらKnoは自分の月給の半分だねと言う。それを1日で使うとは、と笑って口を閉じた。新聞によるとインドネシアの普通の勤め人の月収は5万円相当らしい。僕のサヒド・ジャヤ・ホテルの1泊分の料金でちょっとした1軒家の1カ月分の家賃が払えると聞いた。夕食をとりながらコーヒー・ショップを眺めると、同じコーヒー・ショップでもニューヨークとは段違いだ。こちらの方が上である。サヒド・ジャヤではシャンデリアや壁灯がいくつも燦然と輝き、天井や壁はエキゾチックな木彫で埋められている。こういう生活をしていると、いつの間にか植民地風の感覚になるのではあるまいか。ここでは金銭感覚が10倍狂っている。




1988年10月4日(火)

朝からずっとImo夫人向けのセミナーの準備に費やす。ESNのフィロソフィーに関する問題だから容易ではない。日本ではこのようなテーマは偉い大先生が訓辞をたれるように喋るもの、とされていて、僕は今まで経験がない。またウィーンのIAXAに提出する最終報告書の内容についてKnoと相談した。制度上は僕が独断で何をIAXAに勧告してもいいのだが、どうせなら希望を聞いておいた方が現実的だろう。SSS装置が欲しいらしい。事実上IAXAも供与を約束したらしいのだが、さらに確実なものにしたいようだ。力になりましょうと請け合った。

BXXNは日本のJAN機構と協力関係を結びたがっているようで、その具体的なプランについて助言を求められた。かの機構部長のNai氏が近くジャカルタに来るらしい。目標とする協同研究の内容はかなり欲張ったものだったので、これを全部やったら世界一になりますよ、と感想を述べた。Knoは笑いながら、実際それが可能だと思っているわけでなく、ただコミュニケーションの糸口が掴めればいいのだと言う。ARR建設からACT対策からAWSTまで網羅できる研究所なんて、世界中どこを見ても存在しないと思う。かなり大風呂敷プランである。

ホテルの自室に戻ったら、テーブルの上に果物篭が置いてある。何かと思ったらホテルの支配人からの贈物だった。小さなカードが付けてある。妙な形をしたスター・アップルやローズ・アップル、マンゴー、パパイヤなどおいしく食べたが、まるで大名気分だなあ。




1988年10月5日(水)

Imo夫人の要請に応えるべく、朝からセミナーの準備にかかり切りになる。午後Imo夫人の部屋へ行き、あとは日程の話をする。彼女はジャカルタから40km離れた地点に建設中のARNで計測をやりたいのでBXXN所長に要請しているが、なかなか認めて貰えないと言う。そこで僕にIAXA・エキスパートとしての資格で、その必要性をIAXAに勧告して欲しいと言う。そうすればBXXN所長も認めざるを得ないだろうというわけだ。それに関連して、10日後にそのARN近くで測定をやるから一緒に来てくれないかと頼まれた。自分達のやり方を観察してコメントをくれという。両者の予定さえあえば喜んで同行しましょうと答えた。Imo夫人に、1カ月の滞在では短か過ぎる、もう1カ月延長しては貰えないものか、と尋ねられたが、それは不可能だと答えた。日本政府に要請してもダメかと重ねて言われたが、こればかりは公用出張の規則を曲げるわけに行かない。勿論、早く帰って欲しいと言われるよりは、もっと居て欲しいと言われる方が有難いに決っているが、現実問題としてXXX機構とMFA省を説得して延長を計るのは難しい。

Knoは来年6月にニューヨークのYYY機構を1カ月訪問したいので、僕が副所長のGlに紹介状を書いてくれないかと言う。特にYYY機構のAdの所でXXのディスカッションをやりたいと言う。そのあと4人のスタッフを3カ月づつYYY機構、日本のXXX機構とスウェーデンにそれぞれ派遣したいと言う。ニューヨークの住宅難と物価高は念のため警告したが、できるだけ力になりましょうと約束した。Glは受け入れに協力してくれるだろうが、Adのような古典的タイプの人が教えることに時間を割くだろうか、とは思う。夜はホテルのバーでマティニを2杯飲む。

(続く)















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