オペラ「椿姫」の話(その6)
「椿姫」の比較 第6回      (2010.9.1)

これでようやくオペラ「椿姫」のストーリーは終りになります。財産を使い果たし、おまけに胸の病魔が進行し、今やヴィオレッタには何も残されていません。鏡に映るのは衰えた容貌。覚悟は出来ていたと思います。その中で僅かな希望をもたらすのはアルフレードの父親からの手紙。これが有るからこそ、持ちこたえていたのですが、残念ながらゼッフィレルリの映像版では、この手紙を示唆する場面を読み取り難くなっています。またアンニーナに、財産の残りの金額を尋ね、大半を自分よりさらに貧しい人々の為に寄付するように、と告げます。さらに深読みをすれば、これらを夢物語として処理できるでしょうが、私自身はこのオペラの筋書きを真実の話として育ちましたので、ゼッフィレルリ説に必ずしも満足できず。いずれにせよ、この悲しい物語は終焉を迎えます。まるで新聞小説のような味ワイ。

V.<第3幕序曲から〜最終幕まで比較>
(1)1928年盤:ヴィオレッタはメルセデス・カプシール、アルフレードがリオネルロ・チェチル、ジェルモンがカルロ・ガレッフィ、ロレンツィオ・モラヨーリ指揮のミラノ交響楽団。指揮者のテンポは適切です。また出始めの箇所でカプシールは切々と訴える様に歌っています。テンポが遅めで、引きずるような歌い方等、なかなかこれは良い味だと思いました。ただアルフレードが登場してからのカプシールは、激しく声を大きくして歌っています。これは微妙なところですが、プリマドンナの誇りでしょうか(相手がアンニーナの場合はどうでも良かった?)。逆にアルフレード役の方は、「パリを離れて」の箇所では鼻歌程度にしか歌っておりません。ジェルモンは何とも言えないような役柄ですが、ここでの歌もそれに準じます。カプシールの発声法はやや古く、高音域のそれは口先で受け答えをする旧時代の女給さんのような感じ(現代の秋葉原辺りのそれとは違う)がします。

(2)
1935年盤:ヴィオレッタはローザ・ポンセル、アルフレードはフレデリック・ヤーゲル、ジェルモンはローレンス・ティベット、エットーレ・パニッツア指揮のメットの実況録音。指揮者のテンポが異常と言える程遅い。ポンセルは声は上々だが、対するヤーゲルのアルフレード役は、「パリを離れて」の箇所など、イヤイヤ歌っているみたいで、まるで来たくなかったのにジェルモンが余計なことを言うから来た、という風に聴こえます。そのあとの箇所では音楽のテンポも適切だし、ヤーゲルも熱っぽく聴こえるのですが、「パリを離れて」だけは頂けない。それを、ポンセルは見透かしたかのように、どうせ、もう私はオシマイよ、と歌うと解釈するのは穿ち過ぎでしょうか。ジェルモンの手紙を読んだあとの吐き捨てる様に言う、「tardi!(もう遅いわ)!」。ここと、最後部にあるセリフに聴く事が出来るのは、ポンセルの地声です。彼女は実際の声はアルトだったんだろうと想像しました。この部分は楽譜をよくよく調べると、歌うべき音符がありません。そして全ての楽器はTutto(全奏)という指定になっています。つまりここでは音符を歌うのでなく、叫ぶのが正解なのです。さすがはポンセルでした。

(3)
1946年盤:ヴィオレッタはリチア・アルバネーゼ、アルフレードはジャン・ピアース、ジェルモンはロバート・メリル、そしてアルトウーロ・トスカニーニ指揮のNBC交響楽団。トスカニーニの鼻歌が諸所に聴き取れるもの。アルバネーゼとアンニーナ役のヨハンナ・モーランドの声の対比が良くなく、知らないと両者を混同してしまいそう。慎重な滑り出しでしたが、「さらば過ぎ去りし日よ」あたりからテンポが加速し始め、やはり私の好みとは違うな、とため息をつきました。アルフレード役のピアースは中年期のような声を出しています。ただ最後のシーンあたりから急速にドラマティックな味ワイがありました。アルバネーゼは声がまず弱いのです。かつてメットでカラスがデビューした当時(1956-57)、アルバネーゼは色々なスター歌手のバックアップ(私の解釈では)を歌っていましたが、やはり代役は代役と思います。

(4)
1952年盤:ヴィオレッタはレナータ・テバルディ、アルフレードはジャチント・プランデルリ、ジェルモンはジーノ・オランディーノ、カルロ・マリア・ジュリーニ指揮のイタリア放送管弦楽団。以前ジュリーニの指揮ぶりに少々不満を述べたが、ここでは問題ありません。開幕から一貫してテバルディは申し分ない声で一貫していますし、冒頭部のアンニーナ(ルイザ・マジェンタ)との対比もよく付いています。またここで手紙を読んだ直後の「tardi(もう遅いわ)!」の場面では、テバルディはかなり激しく吐き捨てています。プランデルリのアルフレードは声が弱く、余りお勧めできない出来映え。まるで気がない感じです。ヴィオレッタの方は死ぬ直前の病人ですから弱々しいのは当然ですが、アルフレードのこの気のなさは何でしょうか。最後のシーンではテバルディは「泣き」を入れていますし、それは結構効果をあげています。実際この「椿姫」なら、このテバルディ盤を標準の一つに数えても良いのでは、と思いました。

(5)
1953年盤:ヴィオレッタはマリア・カラス、アルフレードはフランチェスコ・アルバネーゼ、ジェルモンはウーゴ・サバレーゼ、ガブリエーレ・サンティーニ指揮のトリノ・放送管弦楽団。カラスは安定した発声です。指揮者も尤もらしいテンポを取っています。ただアルバネーゼのアルフレードは、やや熱が薄く、やはりお前もか、と言いたいところ。特に「パリを離れて」では何と言うテンポの遅さか、と思います。本気でヴィオレッタと向かい合っていないようです。それはヴィオレッタの方でも承知していて、適当にあしらっているように聴こえました。「 taridi(もう遅いわ)!」の箇所は叫んでいますが、あまり強くない。最後付近のシーンは、カラスは全体に合わせて遅めのテンポをとっていますが、「estrano(不思議だわ)」の箇所からあとはカラスの独壇場でした。まずこの「estrano(不思議だわ)」の音色にご注意下さい。そのあとの人生に絶望した叫びの激しさ!最後のセリフの声の力強さにも。

(6)
1954年盤:ヴィオレッタはレナータ・テバルディ、アルフレードはジャンニ・ポッジ、ジェルモンはアルド・プロッティ、モリナーリ・プラデルリ指揮のローマ・サンタ・チェチェーリア音楽院管弦楽団。束ルディは期待どおりの出来映え。また意外に良かったのがポッジの歌うアルフレード。ここで初めて情熱的な若者らしさを感じさせます。もっともそれはオメデタイということの別の表現でもあります。テバルディは諸所において意外なほど自制して、弱々しい声を聴かせます。それでも時折響き渡るそのフォルテは十分美しい。美しいヴィオレッタを聴きたければこのテバルディが良いと思います。ただ、欲を言うと、最後のフレーズをもっと強く表現してほしかったなあ。同じテバルディでも別の年度のもの(1952年フィレンツエ)の方がもっと印象的かも知れないし、またカラスの1953年のチェトラ録音(どこか、魔法が掛かっています)の方が、より魅力的かも知れません。それでも全体としてこのスタジオ録音版の「椿姫」は推薦ものです。素晴らしい!

(7)
1955年盤:ヴィオレッタはマリア・カラス、アルフレードはジョゼッペ・ディ・ステーファノ、ジェルモンはエットーレ・バスティアニーニ、カルロ・アンナ・ジュリーニ指揮の1955年スカラ座実況録音。ジュリーニの指揮ぶりにやや戸惑いを感じながら進みました。カラスは徹頭徹尾弱々しい声で歌っています。最後の「estrano(不思議だわ)」は余りの弱声で聴こえないくらいです。胸の病気に苦しむ女性の絞り出した最後のセリフ等がここにあります。一種、猫みたいな声ですが、それを容認できる人は、楽しんで聴くことができます。またこれは決して1953年のチェトラ盤での解釈と同一ではありません。ここでは演劇的要素が強く出されています。ディ・ステーファノのアルフレードは情熱的で、これは素晴らしい。いずれにせよカラスの全盛期の「椿姫」の録音が他になく、これで察するしかありません。

(8)
1956年盤:レナータ・テバルディのヴィオレッタ、アルフレードはニコラ・フィランキュリディ、ジェルモンはウーゴ・サヴァレーゼ、トリオ・セラフィンの指揮するフィレンツェ市立歌劇場管弦楽団。これはいわば抜粋盤のようなものだから、これだけで全体を判断するのは難しい。しかし部分から全体を想像することもある程度は可能と考えると、ここでテバルディは決して絶好調だったとは言えないようです。あちこちで発声が堅く、これでは、と思いました。おまけに相手方のフィランキュリディのアルフレードが何とも言えないほど貧相な声の持ち主でした。途中で声が震え、ひょっとするとテープがタルんでいたのではないか、と思いましたが、妻は「これ、何?」と正直な印象を述べました。そして最後のシーンでテバルディは「泣き」をふんだんに取り入れており、それは楽譜に無い音までそうでした。せっかくセラフィンの指揮なのに、これは残念でした。私はこのCDは好事家だけにお勧めします。

(9)
1957年盤:ヴィオレッタはアントニエッタ・ステルラ、アルフレードはジュゼッペ・ディ・ステーファノ、トリオ・セラフィン指揮のスカラ座管弦楽団。ここでセラフィンに特別な印象はありません。ステルラも極普通に歌い出していて、アルフレードの登場まで特段のことはなく、ひたすらディ・ステファーノの声に聞き惚れていました。ステルラはここではフィオリトウーラ(声を震わす)の技術が不足しており、「力が湧きましたわ。御覧になって(Ora son forte. Vedi)?」の箇所を上手く歌えておりません。それでも最後のシーンでは巧みに処理していますが、せっかくの努力ですが最後の音が強過ぎるかも知れません。ここでジェルモンを歌うティト・ゴッビの声は少し明る過ぎるという印象でした。やはりカラスが抜けている欠点をカバーするのは至難の技のようです。

(10)
1957年盤:ヴィオレッタはレナータ・テバルディ、アルフレードがジュゼッペ・カンポーラ、ファウスト・クレーヴァ指揮のメトロポリタン歌劇場管弦楽団。メットの実況録音。リリコ・スピントの声で歌ったヴィオレッタです。全体としてはあまり芳しくないのですが、それに慣れてしまえば聴くことができます。ここではテバルディの「tardi(もう遅いわ!)」の叫びも、最後のシーンの叫びも他より華々しくはない。アルフレードを歌うカンポーラも何か遠慮しがちでした。これに慣れた後は、こういう「椿姫」もあり得るかな、という印象。また始めの部分ではオーケストラが伴奏のリズムを取るのに、金属製の扇をジャラジャラさせているような印象を受けました。

ここにオマケとして、1956年フィレンツエでのセラフィン指揮による「椿姫」の抜粋が付いていました。これはかつて「ダメ」と書いた記憶がありますが、ここで改めて聴くと、尤もらしく聴こえるのです。セラフィン指揮のテバルディの「椿姫」があって良かったな、というところ。全く同じテイクです。その原因を考えると、ここのオマケでは、相手役のアルフレードが遥か地下深い岩盤浴の部屋で歌っているように響くことから、技術的な問題だろうと思いました。また病室にジェルモンが登場する場面で録音テープの音が不自然に流れていることに気がつきました。逆に言うと、技術的操作によってこんなに変化してしまうのですから、CDは誰が技術顧問になり、だれが技術面で実際に操作したかで、大幅に印象が異なることになります。恐ろしいことです。テバルディの声はここで既にリリコ・スピントになっていることがよく伺えます。批評をする時、または批評を読むときは十分注意する必要がありますね。

(11)
1958年盤:ヴィオレッタはマリア・カラス、アルフレードはアルフレード・クラウス、マリオ・セレーニのジェルモン、フランコ・ギオーネ指揮のリスボン・サン・カルロ歌劇場管弦楽団。カラスは弱々しい声で歌い始めます。アンニーナに幾ら残っている?と聞いて、20ルイあります、という答えを貰う場面がありますが、ここでアンニーナは今までで最も明瞭に20ルイと答えています。クラウスが登場した時の声は余りに青臭くて辟易します。「パリを離れて」はdolcissimo a mezza voce(メッツア・ヴォーチェで最も甘く)で歌うように指示されていますが、これはよほど上手く歌わないと、なぜ甘く歌うのか、不明になってしまいます。今までこれを上手く歌っていたのはディ・ステーファノだけでした。「パリを離れて」の直前にあるやり取りで、カラスは女王のごとく(!)歌っていますが、青臭いクラウスと比較するので、イヤでもそれが目立ちます。カラスはここでも「estrano(不思議だわ)」を弱々しく歌っていますが、最後はメゾ・フォルテでした。そういう表現をどう考えるべきか、大変迷ってしまいました。

(12)
1958年盤:ヴィオレッタはマリア・カラス、アルフレードはチェーザレ・ヴァレッティ、ジェルモンはマリオ・ザナーシ、ニコラ・レッシーニョ指揮のロンドンのコヴェント・ガーデン歌劇場管弦楽団。あらゆる点で中庸を行っています。ヴァレッティのアルフレードもほどほどの情熱を見せます。カラスはリスボンでの「椿姫」のように、女王のごとく君臨する歌い方はしていません。そしてこのロンドン公演の方が、弱声のコントロールが利いています(リスボンやミラノのは、弱声部になると声が不安定になるようで、気になっていました)。最後のシーンのカラスは、もう少し何か工夫があっても良いような気がしますが、声は十分にコントロールされ、印象的です。他の出演者たちがこのシーンで、黙っているように思えたのは私の耳の錯覚でしょうか。カラスの「椿姫」で残された最後期の録音です。あとはダラスでの公演がありますが、マーケットには出ていないようです。

(13)
1958年盤:ヴィオレッタはヴィクトリア・デ・ロスアンヘレス、アルフレードはカルロ・デル・モンテ、ジェルモンはマリオ・セレーニ、トリオ・セラフィン指揮のローマ歌劇場管弦楽団。 なぜセラフィン指揮でこの録音が急がれたのかは分かりません。普通の間隔なら、カラスで再録音しそうなものですが、カラスでなくロスアンヘレスでした。ロスアンヘレスを聴いていると、なぜかこじんまりまとまった少女小説を思わせます。そう解釈すればこういう解釈も成り立つだろうと。ただ、ロスアンヘレス自身がそれを一貫して持ち続けていないのが気になります。デル・モンテのアルフレードは情熱的ですが、それほどのものか、と疑いも持てます。なぜかここで故五味康祐の言葉「君はアルフレードという男を尊敬できるか」という問いを思い出します。結局は「椿姫」はアルフレードが問題でなく、ヴィオレッタの悲劇なんですよ。

(14)
1960年盤:ヴィオレッタはアンナ・モッフォ、アルフレードはリチャード・タッカー、ロバート・メリルのジェルモン、フェルンド・プレヴィターリ指揮のローマ国立歌劇場管弦楽団。やや弱い音で始まったこのCD は最後まで小さめの音だったし、結果的にこの録音の特徴を表していました。タッカーは恋人というより、まるで父親のようだし、ヴィオレッタはやや手に負えない小娘という感じがします。モッフォは途中でセキをしてみせますし、また「さらば過ぎ去りし日よ」は徹頭徹尾、小声で呟くようにささやきます。しかも最後のフレーズ近くのヴィオレッタの声はあと一つ小さい。モッフォ自身が「椿姫」やドニゼッティ「ランメルムーアのルチア」を歌う時の難しさを述べている記事に時折出会いますが、もっと自身の声を磨いておかないと、説得力が薄くなるんじゃないかと思います。オペラは芝居であり、声楽曲なんです。

(15)
1963年盤:ヴィオレッタはジョーン・サザーランド、アルフレードはカルロ・ベルゴンツイ、ロバート・メリルのジェルモン、ジョン・プリッチャード指揮のフィレンツエ五月祭管弦楽団。ようやくここで私が大学1年生時代に録音されたものになりました。それだけ、如何にして日本の広告欄に登場したかは良く覚えています。「椿姫」第3幕ではヴィオレッタは病気なんだ、と幾ら強調してもやはり、サザーランドはサザーランドなんだ、と絶望的な気分にさせられます。「tardi(もう遅いわ!)」の箇所だけはぎくっとするほど、明解な発音でしたが、あとはどうにもならず。せっかくの資質なのに、どうしてだろうと考えてしまいます。また「さらば過ぎ去りし日よ」は御丁寧に繰り返して歌っていますし、ジェルモンが登場する最後から一つ前のフレーズでは、普段耳慣れない旋律が耳を襲います。ひょっとするとサザーランド本人はヴィオレッタという役柄に愛着がないのかなあ。

(16)
1968年盤:ヴィオレッタはピラール・ローレンガー、アルフレードはジャコモ・アラガル、ディートリッヒ・フィッシャー=ディスカーウのジェルモン、ロリン・マゼール指揮のベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団。ローレンガーはここで再びワーブル(震え声)が目立ちます。そしてジェルモンの手紙のあと「tardi(もう遅いわ!)」では最も大きな嘆きというか、非難の言葉が出て来ます。また「さらば過ぎ去りし日よ」の後にも激しい嘆きが聴かれますが、これは不要かな。最後のシーンの「estrano(不思議だわ)」は、あまりハッキリとは聴こえませんが、ここではシンバルの音がやや五月蝿く響きます。やっぱり、ローレンガーを好むかどうかは、あのワーブルに耐えられるかどうかに掛かると思いました。

(17)
1971年盤:ヴィオレッタはビヴァリー・シルズ、アルフレードはニコライ・ゲッタ、ローランド・パネライのジェルモン、アルド・チッコリーニ指揮のロイヤル・フィルハーモニック管弦楽団。よくよく聴いて見ると、シルズもまたワーブルの多い歌手でした。ただローレンガーほど目立ちません。アンニーナはソプラノとして記載してありますが、あの声はメゾだと思います。「さらば過ぎ去りし日よ」は2回繰り返して歌われ、またジェルモンが登場する直前には普段聞き慣れない旋律があります(サザーランド版と同様)。最後のセリフは弱く始まりますが、あまり訴えて来ないのです。シルズと言う歌手の人気の源はどこなのか探ってみましたが、余りはっきりしませんでした。

(18)
1976年盤:ヴィオレッタはイレアーナ・コトルバス、アルフレードはプラチド・ドミンゴ、シェリル・ミルンズのジェルモン、カルロス・クライバー指揮のバイエルン国立歌劇場管弦楽団。再びここに娼婦的な雰囲気が漂います。なぜかイワシの干物をかじりながら、焼酎を飲ませるような居酒屋のイメージ。ジェルモンの手紙を読み終わった時の「tutti(もう遅いわ!)」は他の歌手達のだれよりも激しく響きます。ただ「さらば過ぎ去りし日よ」の途中で急に速度が速まるのは頂けない。またこのアリアを歌う声が、余りに娼婦的だったのには驚きます。ドミンゴのアルフレードは適切に歌っていますし、「パリを離れて」でもあまり声が凹まずに歌っています。このドミンゴ(あるいはそれを承認した指揮者のカルロス・クライバーの指揮)の流儀に私は賛成です。多くの他の歌手達が、なぜここでおっかなびっくり歌うのか、不思議でたまりませんでしたから。最後のフレーズはコトルバスは大きな声ですが、やはり居酒屋風のヴィオレッタでした。

(19)
1982年盤:ヴィオレッタはレナータ・スコット、アルフレードはアルフレード・クラウス、レナート・ブルゾンのジェルモン、リッカルド・ムーティ指揮のフィルハーモニア管弦楽団。ムーティの遅めのテンポで始まります。スコットは初めからゆったりしたテンポで歌い出しますが、「さらば過ぎ去りし日よ」は2回歌われます。この頃になるとはっきりしてくるのですが、スコットは声の最盛期を遥かに過ぎています。そもそも彼女が1980年代に入ってから「椿姫」を録音したと聞いた時、軽い驚きを覚えました。なにか30歳代のヴィオレッタ、それも37歳くらいの女性が昔を思い出して歌うような雰囲気があります。アルフレード役のクラウスは初めは尤もらしい声でしたが、まるで鼻歌のような「パリを離れて」を歌ったのは幻滅でした。あとは良かったのに!アルフレードを完璧に歌うのは案外難しい。ディ・ステーファノとドミンゴのアルフレードだけが上手く行った例と言えるでしょう。最後に残った印象は、やはりスコットのは「粉化粧のヴィオレッタ」でした。その直前は普段あまり聴かない音楽を聴けます(省略しないのがムーティの趣味)。

(20)
1990年盤:ヴィオレッタはルチア・アリベルティ、アルフレードはペーター・ドヴォルスキー、ロベルト・パテルノストラ指揮の東京交響楽団。この威勢のいい音楽は何だろうと思いました。オーケストラが強いのです。アリベルティは前半申し分無い声で歌っていますが、ジェルモンの手紙を読む声は何とも威勢がよく、下町のお姐さんみたいで、その後に吐き捨てる「tardi(もう遅いわ!)」は期待はずれに弱い。ドヴォルスキーのアルフレードは到着後、ヴィオレッタと喜び合いますが、その時の両人の声は、まるでようやく逢えた高校生みたいな、キャンキャンした響きです。時折ひびくアリベルティは良い素質を持っていますが、全体としてはコントロールを外れた発声です。それは最後のシーンに持ち込まれ、強い声と強いオーケストラで派手に終了します。「椿姫」って、もう少ししんみりした曲だったのでは、と苦笑しました。

(21)
1990年盤:ヴィオレッタは中丸三千繪、エヴェリーノ・ピド指揮のボローニャ市立歌劇場管弦楽団。中丸がようやく登場しました。彼女はどう言う訳か「ああそは彼の人か」を録音しておらず、代わりに「さらば過ぎ去りし日よ」を入れています。私自身は実は「ああそは彼の人か」を覚える前に「さらば過ぎ去りし日よ」の方を覚えたので、懐かしい気がします。

その歌ですが、これを聴き終わった時、あるいは聴いている最中に思ったのですが、「これは声楽コンクール向けの歌唱だ」ということです。コンクール向きには上手く歌えていても、全曲は耐えられないという意味が含まれます。これが中丸に対する私の感想でした。

(22)
1992年盤:ヴィオレッタはキリ・テ・カナワ、アルフレードがアルフレード・クラウス、ディミトリ・ホロストフスキーのジェルモン、ズービン・メータ指揮のフィレンツエ五月祭管弦楽団。これで驚かされるのはオルガ・ボロディナをアンニーナに採用したことです。セールス上の配慮からでしょうが、声質がメゾ・ソプラノだし、恐ろしい声を、しかもヴィオレッタより大きな声を響かせていました。他方、医師役はなかなか良い声をしています。アルフレード役のクラウスは何ともどうしようもない、中年男を演じています。実際「パリを離れて」はいくらdolcissimo a mezza voce(メッツア・ヴォーチェで最も甘く)で歌うように指示されていても、これは行き過ぎではないでしょうか。ちっとも甘くないと思います。まるでジェルモンのような感じがしました。テ・カナワのヴィオレッタは推定年齢が35歳程度の女性として響きましたし、そういう年増好みだったら、これを選ぶ人もいるだろうと想像します。何よりも指揮者のメータが余り「椿姫」には馴染んでいないのではないか、と想像しました。最後の和音の派手で、うるさいこと!「さらば過ぎ去りし日よ」は2回歌われ、最後のシーンの直前では、通常省かれる旋律が響きます。

(23)
参考までにここに画像付きのものを紹介します。1982年盤:ヴィオレッタはテレサ・ストラータス、アルフレードはプラチド・ドミンゴ、ジェームズ・レヴァイン指揮のメトロポリタン歌劇場管弦楽団。それなりに筋が通った演出ですが、いきなり手紙を読む場面になるのには驚きました。もう少しアンニーナに対する呼びかけや、20ルイほどしか残っていない、と言う会話があっても良かったのではないでしょうか。後半で、全てはヴィオレッタの夢想であり、結局はダレも来ずに一人で死んでいくという話は(ヴェルディのオペラというより)、原作の小説「椿姫」に近いと思います。








(147)モノローグ  DVDの「椿姫」とCDの「椿姫」

演技力をチェックするには、DVD等になっているのを観なければなりませんが、先に述べたゼッフィレルリ/テレサ・ストラータスのものに加えて、以下の物を持っています。1956年のロザンナ・カルテリのヴィオレッタ、チェーザレ・ヴァレッティのアルフレード、ピエール・モントウー指揮のローマ歌劇場のもの、1968年のアンナ・モッフォのヴィオレッタ、フランコ・ボニゾッリのアルフレード、ジュゼッぺ・パターネ指揮のローマ歌劇場のもの、1976年のビヴァリー・シルズのヴィオレッタ、ヘンリー・プライスのアルフレード、ジュリウス・ルーデル指揮のサンディエゴのフィリーン・センター管弦楽団のもの、また1988年のマリー・マクローリンのヴィオレッタ、ワルター・マクニールのアルフレード、ベルナルト・ハイティンク指揮のグラインドボーン音楽祭のものです。

いずれも古い画像ですが、楽しむには充分。カルテリは一時有名でしたが、結果的には消えたも同然の人。彼女自身のインタビューによれば、ウンと若い頃、カラスとも上手く行っていたのに、ある時期から突然無視された、と言っています。モッフォは例のとおり、スティール写真のような、静止した美女。だれもが彼女の美しさを褒めたたえていますが、動くモッフォを評していないのが難点。モッフォはモッフォです。その意味では「シルズはシルズ」とも言えそう!ビヴァリー・シルズは慣れた演技ですが、特段印象にのこるものではありません。マクローリンのは日本で入手できたごく初期のもの(他の画像はニューヨークで購入)ですが、グラインドボーン音楽祭というのが売り。割に行けそう、という印象でした。「でした」と書いたのは、これはレーザーディスクで我が家の奥の院に置いてあるため、再度聴かないで、記憶を頼りに書いたためです。

最近はグルべローヴァとか、ゲオルギューとか、ネトレプコとかの画像が出ているようで、多数、DVD販売店の広告欄を埋めています。余りの多さにため息が出ますが、ここで注意すべき点は、画像の動きに注意が集中しがちだという点です。オペラですから、これはどうしても避けられず、それで良いと考えます。ただ過去の歌手達の「音」しか残されていない人達と比較する時、どうしても不公平になることに注意を要します。声だけで評価された時は素晴らしかったのに、演技を評価されると困ったな、という時。例えばレナータ・テバルディが良い例ですね。彼女の演技は写真から判断するかぎり、田舎芝居のようです。それでも声は素晴らしかった。やはりDVDはDVD同士で、新しい基準で評価しましょう。





  ジャカルタの雨
1988年9-10月 IAXA派遣でインドネシアへ行く(その6)



1988年10月10日(月)

Moniの講義をする。Moniとは大型施設の監視活動のことだが、今迄これを人に教えたことはない。BXXNとホテルで3日ずつ費やして、にわか勉強で原稿をまとめたが、出来上がったものを改めて読むと、この分野が少なくとも実用的な意味で重要なものだと実感される。何と言っても技術、法律、社会心理等を包括する大テーマだから時間を食う。結局、今日は準備した内容の半分しか講義が進まなかった。続きは12日の朝にやることになった。その翌13日はEnsの件で皆に同行する予定。

夕刻自分の部屋に戻ると、Knoが今日の講義内容の英文のフル・テキストができ上ったらBXXNで印刷するから、帰国後に完全な原稿を送ってくれと言う。あとで又この種の講義や講演のチャンスもあるだろうから、これを機会にまとめてみようと思う。何しろEnsは技術的側面に限っても、物理学から生物学や、遺伝学まで網羅する雑学なのだから楽でない。スペシャリストの多い先進国と違ってインドネシアではまだまだ何でも屋が多く、僕にもそれを期待しているらしい。僕はKnoに、僕が何でも知っているなんて幻想は持たないでくれ、と言ったが中々わかってくれない。しかし、聴衆はこの講義の聴講には常よりも熱心だった。

やや疲労気味だったので今宵のディナーには、いつもより豪華にステーキを食べる。その後お向いのバーに移り、マルガリータを飲む。いつもピアノとヴォーカルの同じデュオが、いつも似た英語のジャズをやっていたが、今日はピアノ、サキソフォン、ドラムスを含むクインテットだった。ドラムのリズムがこんなに心地よいものだとは知らなかった。昼間に全力投球したあと、どうして重たいワーグナーの音楽なぞ聴けよう。今はモダン・ジャズの冷たい響きの方がふさわしい。要するに、くたびれたのだ。

ここのバーは飲物を注文するとピーナッツ、カシューナッツ、それに得体の知れないナッツの3種類を大量に盛った器を持ってくる。幾ら食べてもいいし、適当に追加してくれるのだが、腹が膨れる。長いドレスを着たホステス達(客席に侍るわけではない)は頃合を見て飲物の追加注文を取りにゆっくり歩いて寄ってくるが、そのタイミングのうまいこと。灰皿を調べるような格好をして客席に近付きつつ、実はグラスの中身を検分しているのだ。一番安いのはコーヒー。カクテル一杯が5000ルピア程度。僕が大てい座るのはステージのほとんど真正面、但し離れた距離の一人用のテーブル。プレーヤーからはよく見えるので、時々拍手をする必要がある。一人でも拍手が出ると一々礼をいう。照明は各テーブルの赤いローソクで、ローソクがちびる頃が切り上げ時だろう。テーブルには置きチップがいる。



1988年10月11日(火)

Imo夫人を含む5人でジープに乗ってセラポン近くへEnsに出かけた。水を入れる容器がまだ用意していないとか言って、市内の荒物屋でポリタンクを幾つか買う。こんな用意の悪さは、日本では考えられないのだが、これは大らかなお国柄。ジャカルタ市の外に出るのは初めてだが、市街地を少し出るともう全くの田舎の風景だ。日差しが強く、ホテルに帽子を置いてきたのが悔やまれる。川は泥だらけの濁水だったし、この国にはまだAEは早過ぎるのじゃないかという気になってくる。その前にすることが一杯ありそう、という意味だ。

川辺では住人達が水浴しているし、洪水のあとで、ありとあらゆるゴミが岸辺にひっかかっている。川の両岸に太いロープが張ってあって、それをたぐり寄せながら渡し舟が移動するというのがあった。もちろんロープをたぐる船頭はいる。それに乗ってEnsサンプリングをするのにつきあう。同じ舟に乗っていた小学生くらいの男の子に頼んで、カメラのシャッターを押して貰い、我々の記念写真を撮った。ジープで移動する途中の道端の雑貨屋で、珍しく冷蔵庫で冷やしたソーダ水があったので買って飲んだのだが、一本500ルピアだった。同じものをホテルの部屋の冷蔵庫から取ると、3000ルピアもする。

セラポンは日本の筑波みたいな研究・実験センターの集合地区だが、地盤が柔らかい。赤い粘土質の地面は雑草が覆っている。小規模な建物が幾つかできていて実際に稼動中。管理棟と給水塔だ。問題の研究棟の予定地も整地済みである。問題はその水の取り込み口と排水の出口。そもそも川が浅く、乾季には水位が下がり過ぎて水の出し入れに支障がでるのではないかと思った。後でKnoには率直な印象を伝えた。

線路が泥の中に埋もれたような鉄道駅とか、うっそうと繁った木立を通り抜けたあと、初めてワルン(屋台)で昼食。この種の食堂ではありったけのメニューの品々を、小皿に盛って全部運んでくる。その中から食べたいものだけを食べ、その分だけ払うシステム。いわば富山の置き薬みたいなものだ。従って、いつ作ったかわからない料理が、一日に何度も出たり引っ込んだりする可能性あり。ともかく食べる。ニワトリをローストしたのとか川魚を煮たのとか。その前に紅茶に氷を入れたのが出た。Imo夫人自ら砂糖を入れてくれたので飲まないわけにはいくまい。どんなガイド・ブックも、またあらゆる経験者も、田舎の氷水は飲むなと警告しているが、飲んだ。印象づけるためにお代わりまでして。田舎で氷を作る時は、その辺の溜り水をそのまま用いることが多いので、大腸菌やコレラ菌等の混入の恐れがあると聞く。日本を出る前に肝炎、ジフテリア、コレラのワクチンは打ってきたのだが、ホテルに戻ったら即ぐ薬を飲んでおいた。予防注射をしてくれた日本の医者は「何にでも効く」特効薬までくれたが、これは貴重だから飲まずにとっておいた。ホテルの自分の部屋のテーブルには、又もや支配人からプレゼントが届いていて、今度は大きなパウンド・ケーキだった。インドネシアの庶民はこんなものを食べていない。




1988年10月12日(水)

朝、ホテルのベーカリーで大きなチョコレート・ケーキを買い、それを抱えてBXXNへ行く。ケーキは職員達にプレゼントするためだ。10時からEnsの講義の後半をやる。これが終ってほっとした。しかし、ショクジャカルタ市とバンドン市でも1回ずつこの題目の短縮版講義をする予定なので、新たな原稿を用意しなければならない。ポータブルのワード・プロセッサーがあったらと本当に思う。ジャカルタに来て以来、時間的に優雅な生活ができたのは初めの1週間だけで、あとは講義の準備と調べ物でてんてこ舞いだった。原稿が手書きだったからだ。Knoは自前のタイプライターを貸してくれそうだったが、一番問題なのは推敲の手間だから、ただのタイプライターでは余り役に立たない。

午後はImo夫人の部屋でNar君と3人で昨日のEnsについて意見を話し合う。正直に感想を述べた。実はきのうKnoに話した時、それは是非Imo夫人にも伝えるべきだ、と勧められた。何となく前から肌で感じていたが、KnoとImo夫人は必ずしも意見が合わないようだ。Imo夫人はKnoがXYZ部長になった後をうけてPQR部長になったらしいが、Knoに言わせると彼女は金満家で、所長の覚えもめでたいのでBXXN事業の運営に色々と影響力を与えたがっている、という。特にHotSWやSeaWの計測では、彼女と親しい前所長の意見をそのまま持ち込もうとしているから、特に注意、と忠告された。

僕はきのう驚いたポリタンクの件をまず挙げ、日本だったらああいうものは予め用意しておき、純水で洗浄した上、酸でも洗っておくものであり、仕事の行きしなに買うなんて有り得ないことだと言った。だがImo夫人は笑いこけて、何でも率直に聴いてくれた。BXXNの予算が全体で2000万円程度であり、しかもそれは人件費込みだ、ということはKnoから聞いていたし、一部門あたりの年間予算は30万円程度に過ぎないのだから、余り文句を言うのは気がひける。もっとも彼らは予算の少ないことを別に卑下するわけでもなく、無いものは仕方がない、と割切っているようだ。背伸びしないから、かえって好ましく思える。Imo夫人は太っ腹だから話やすくて有難い。現地の係争に巻き込まれるな、とIAXAは僕との契約時に忠告していた。

Knoは今日は所内のテニス・トーナメントがあって定刻に帰れないので、Nar君とAkad君2人と一緒にタクシーでサヒド・ジャヤ・ホテルに帰る。Nar君はかつてフランスに留学したことがあり、Akad君は次のアメリカ留学候補生。人当りはNar君がやさしいが、英語はAkad君の方がうまい。せっかくだから彼らをコーヒー・ショップに呼んでスナックを振る舞う。彼らはジャカルタ市内にあるインドネシア大学の卒業生だというが、話ぶりからすると当国一のエリート校で、2人とも誇りに思っているようだ。多分あと10年もすれば彼らはこの国のスーパー・エリートになるだろう。Knoが言っていたが、「何でも屋」を尊ぶ風潮のせいもあって、ここでは何年かキャリアを積んで専門家になりかけると、すぐに行政的なポジションに引き抜かれるそうだ。一つのことを深追いさせて呉れないから、真のエキスパートが育ちにくい。余り論文を書く習慣がないらしいのは残念なこと、所内刊行物なぞで満足して安住するな、と忠告した。




1988年10月13日(木)

今日はジャカルタBXXNにおける最終講義なので、半袖はやめ、長袖のシャツに綾模様のネクタイをつけて出勤。BXXNの方でもカメラを用意してあり、記念写真を撮っている。最終講義に選んだのはADyn学のテーマ。その後Knoとバンドン、ショクジャカルタにおける講義内容について打ち合わせる。

午後はIAXAに提出する報告書についてKnoと議論して過ごした。IAXAには僕が勝手に書いて送れば済むのだがどうせIAXAからそのコピーがインドネシア政府に回ってくるのだから、予め打ち合わせて置いた方が無難。契約では僕はインドネシア政府、BXXN、IAXAの3者に勧告する権利と義務がある。

結局インドネシア政府に対してはEnsサーベイに対して財政支出を惜しまないこと、BXXNに対しては若い職員にもっと学会発表や論文制作に情熱を燃やすように環境作りをすること、IAXAに対しては色々なプロジェクトの事務処理を早急にすること等を盛り込むことで合意した。2年前にインドネシア政府がIAXAに申請した技術援助の書類がいまだにウィーンの方(本部)でクリアーされていないため、BXXNの計画が滞っているそうだ。IAXAの資金でインドネシアからアメリカ、オーストラリア、日本に留学生を送る計画については細かく生活費の計算までやった。KnoとImo夫人からかねてより僕の滞在延長の話は出ていたが、今度はBXXNディレクターのSwn氏からも日本政府と相談して2カ月の延長を計ってはどうかと言われた。しかし、やはり公用旅券の問題で不可能だろうと答えた。さあ、明日はバリ島見物だ。

(続く)















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