オペラ「椿姫」の話(その10)
(161)モノローグ 「椿姫」のCDを聴く楽しみ 2010.11.20

「椿姫」を楽しんで聴くコツのような話をしてきました。何しろ何十種類もの「椿姫」のCDが世の中に出回っているのですから、それら全てに耳を通すのは案外シンドイ。こういう聴き方はアブノーマルです!本当は其の時聴きたいと思った歌手や指揮者のCDを選べば良いのではないか、と思います。ただ、アブノーマルな聴き方(私も初めて!)をしたお蔭で分かったこともあり。カラスと言えども不完全な音や響きを感じたり(リスボン盤とロンドン盤)、サザーランドの録音でエコーが深くかかった盤(1963年盤)と、それほどでない盤(1960年盤)があること、またアルバネーゼやスコットのようにあくまで楽譜に忠実な盤があること、等が分かりました。そして「楽譜に忠実」ということは決して楽譜通りに発声せよ、と言うのではなく、そこにも各人の工夫が入る余地が十二分にあることも、実感しました。

時代が下るほど歌手達はヘタになったでしょうか?そんなことは言えないと思います。またCD化技術そのものも、近年のものの方が遥かにうまく処理しています。歌手達も、後の歌手の方が前の歌手よりも魅力的という例にもぶつかりました。ここではアンドレア・ゲオルギューを取り上げていませんが、これはまだ聴いていないため。また古いモンセラ・カバリエも入っていませんね。この人も同様。今回は不十分なことは承知の上、今私の手元にあるCDで、実際に私の耳で聴いたCDだけで比較しました。少しでもこの拙文がお役に立てば、と思っています。
千葉のF高
(「椿姫」1〜10章の終り)








(162)モノローグ パブロヴァとウラーノワ 2010.11.25

古いレーザーディスク(LD)を整理したら約90セット有ったので、一部を聴き(観)直してみました。但しオペラではなくバレエで、1953年にレニングラードのキーロフ・オペラ(マリインスキー劇場)で撮影したもの。このヴァージョンではオデット役をガリーナ・ウラーノワが踊り、オディール役をナターリヤ・ドディンスカヤが踊っています。当時競ったこの両人は面白い。ウラーノワはまるで蝋人形のような顔だちで、表情がありません。以前からそう思っていましたが、印象はそう簡単に変わらないもの。対してドディンスカヤの方は、目にもの見せてくれよう、という闘争心丸出しで、32回のグラン・フェッテは目をまわすようなスピードで踊り抜く。1点に立って32回まわるのでなく、大きく円をえがいて移動しながらの方式。ひょっとして、これはトリックがあるかも知れないと思いました。つまりフィルムの方をゆっくり撮影して、それを早回ししたのか?とも想像。本当の所はわかりません。首を前に突き出すような姿勢ですが、一気に踊るのを観るのは壮快でした。ドディンスカヤは顔の表情も豊かですが、ウラーノワは表情を殺していました。ただ、最初のシーンで白鳥達のアンサンブルが余り巧くなく、アレレというところ。皆が揃っていないのです。

そのLDの巻末には、ウラーノワの踊るサンサーンス「瀕死の白鳥」の画像が収録されていました。ウラーノワの自伝を読んだことがありますが、彼女は真面目人間なのですね。画面からもそれは分かります。続いて別のLDに1930年代から録画した色々な人のバレエを観ましたが、そこにアンナ・パブロヴァの「瀕死の白鳥」が入っていたので、ウラーノワと比較するためこれも鑑賞しました。パブロヴァの方はやや尻切れトンボ見たいな終わり方でしたが、これがかの有名なパブロヴァだと思うと、印象も格別です。
千葉のF高








(163)モノローグ 深町純の死亡 2010.11.30

高校時代の同窓生に深町純がいました。彼の方が後輩にあたります。彼は私自身の卒業式にピアノを弾いてくれた(リスト「ラ・カンパネラ」等)ので印象が特に残っているのです。深町はその方面では有名人になりましたが、私の記憶にあるのは彼が芸大を卒業する半月前に退学したこと。昔の知人も鬼籍に入る時代になりました。合掌。
千葉のF高





  ジャカルタの雨
1988年9-10月 IAXA派遣でインドネシアへ行く(その10)



1988年10月20日(木)

朝食にマリオボロ通りのレストランでKnoが勧めたフレンチ・トーストを食べていると、また小学5年生くらいの男の子が靴磨きの箱を抱えて寄ってくる。必要はないと言うと、その子は自分の胃をたたいてみせる。革靴を履いているのは我々くらいなものだから、ここに来たのだろう。一斉に皆の目がこちらに向くのを感じる。食べるために働きたいのは良くわかるし、痛々しいのだが、皆が食事しているレストランで靴磨きさせるのは難しい。逆に横柄だと取られては困るし。その時店の主人が出てきて子供を怒鳴って追い出してしまった。ああいう時どうしたらいいのだろう。

やはりKnoの勧めで取ったココナツ・ジュース(ケラパ・コピョールと言う)は素晴らしく美味しかった。すがすがしい風味と味わいがある。ちょっとアイスクリームみたいな味だ。それを飲みながらKnoとIAXAに出す報告書の内容の再検討をした。食後直ちにボロブドールに出発。何百年もジャングルに覆われて眠っていたこの世界最大の仏教遺跡には、なんと言っても神秘的な魅力がある。遺跡の周囲は整地されて大きな公園になっている。幾層もの回廊を上から降りながら回ることにした。Knoは疲れた上、既に見たことがあるとか言って下で待つ。高みから見渡す中部ジャワ島の風景はまさに熱帯地方のもので、地平線までココナツの茂みが続いている。昨日行ったプランバナンは仏教というよりヒンズーの遺跡だが、ここは間違いなく仏教遺跡であって多くの仏像が刻まれている。もっとも半数以上の仏像の首が無いのは単なる事故ではなく、昔イスラム化の動きの中で偶像として破壊されたのかも知れない。今はユネスコ等の国連の援助とインドネシア自身の巨額の資金で、修復が進められている。

たっぷり2時間もかけて上から下まで降りて歩いた。最上階こそ観光客で混んでいるものの、下半分は誰もいないので一人でのんびり歩き回る。日本人の新婚カップルが2組、また中年のカップルが1組日本語のできるガイドと一緒に見物していた。仏蹟を降りてみるとKnoは学生と雑談中。この学生も英語ガイドをすべく外国人観光客を待ち受けているらしい。外国に行きたくてウズウズし、何とかして機会を掴もうと窺っている感じだ。こうなるとあのジャカルタの博物館の男も、本当の学生だったのかなという気がしてきた。明治時代の日本でもこういう学生達が相当数いたのだろうか。ボロブドールを引き揚げる前に、御土産屋でウチの子供YuとHiに「ボロブドール」と地名入りのTシャツを1枚づつ買ったら新聞紙に包んでくれた。1枚1500ルピア。さらに近くのチャンディ・ムンドットの仏教寺院へ。これは現役のお寺なので、500ルピアお布施して線香を立てる。さあ、ボロブドールを見たからには次はカンボジアのアンコール・ワットでも見なくちゃ。それにメキシコのチェチェン・イッツア(マヤの遺跡)。

2時にショクジャカルタ空港までKnoに送って貰う。Knoとはここでお別れとなる。本当に30日もの間つき合ってくれて有難う。ジャカルタのBXXN所長あてのKnoの手紙を預かって、翌朝届けることにした。飛行機はDC-9だったが、なかなか出発しなくて気を揉む。ジャカルタに到着したのは夕方6時頃。今度は闇タクシーは振り切り、普通のタクシーをつかまえる。サヒド・ジャヤ・ホテルに着いたのは7時近かった。今度は前の427号室がとれずに別の1410号室になった。427号室からはプールがよく見えたのだが、1410号室からはジャカルタ中心街のビルの灯が美しく眺望出来る。さっそく帰国荷物の大整理をやった。全て済んだ後、バーでマンハッタンとブラッディ・メアリを飲む。




1988年10月21日(金)

ホテルのチェックアウトを済ませ、ベル・ボーイに荷物を預けた後、ベーカリーで大きなケーキを買ってブルーバード・タクシーを拾ってBXXNに向かう。今日はBXXNに行くかどうかわからないと言ってあったので、迎えの車は来ないと思ったからだ。この運転手は少しだけ英語ができるものの、運転はやや乱暴で勝手に車線を変更したり、時にはバックして、折りからやっていた交通整理の警官に捕まり1500ルピアの罰金を払う。運転手は「あいつら気が狂っている。」などとブツブツ言いながらケバヨラン・バルーのブロックMを通りすぎ、そのうちに道に迷ってしまう。あちこちで車を止めては尋ねていたが、ラチがあかない。そのうち店屋でお茶を買って飲み出す。「旦那も飲んだらどうですかい?」などと気楽なことを言う。

やっといつもの見慣れた仏像みたいなヴィーナス像を発見した時はほっとしたが、あとは僕が道案内することになった。やっとBXXNに着いた時は11時ごろだったが、僕の部屋にはSwn氏をはじめ何人もがたむろして待っていた。Swn氏は、どうしてBXXNに迎えの車を寄こすように電話してくれないんだ、と言う。今日は僕のお別れパーティをするつもりで待っていたのに、ひょっとしたらショクジャカルタから帰ってこれなかったのではなかろうか、それともチェンカレン空港に向かったのではなかろうか、と心配していたそうだ。悪い事をしたと思いあやまった。

若い人たちからワヤン人形だののプレゼントを貰い、Akd君や女の子達と御喋りする。それにImo夫人や管理部長のSrsd氏も加わる。1時近くになって2階に上がると、例の大きな教室に円卓状に机が並べてあり、ローストしたラム(?)や様々なご馳走が広げられている。これはSwn氏の心づくしに違い無い。Swn氏と僕が並んで席をとり、皆で会食する間に事務の人々が盛んに記念写真を撮っていた。この席でも、僕の滞在延長の件や、来年以降に再びIAXA・エキスパートとして来所することについて話が出た。割と本気らしい。

食後、研究所から、Knoの研究部から、Imo夫人の研究部から、それぞれ記念品が贈られた。バティックのテーブル掛け、黒檀の壁飾り、そして黒檀で作った重たくて大きな名札である。この名札は余りに堂々としているので、これを置くには大きなテーブルと大きな部屋が必要だろう。有難く感謝の言葉を述べて別れを告げた。次の機会にはイリアン・ジャヤ(ニューギニア)にも行こうと言っておいた。所長はAkd君とNre君に、運転手と共に僕をチェンカレン空港まで送るように命じる。

荷物を請け出さなければならないから、一旦サヒド・ジャヤ・ホテルに戻る。途中でいつもと違う裏通りを通ったら、川沿いにスラム街がある。ああいうスラムは日本にもあるかと彼らは聞く。また御土産用に考えていたインドネシア特産の、丁子の入ったクレテックと呼ばれるタバコについて意見を尋ねた。あれは癖があるから、ガラムとか弱いものにしておけと言われた(それでもあとで日本で配ってみたら癖が強過ぎると言われた)。彼らに報いるため、ホテルのコーヒー・ショップでインドネシア料理とカリフォルニア・ブレイクというアイスクリームをご馳走して一緒に食べる。そうして着いた空港では荷物は預けたものだけで、33kgを越していたが、機内持ち込みを含めれば、優に40kgは越えていただろう。しかし目をつぶってくれたのでパス。そこで、それまで外で見守っていた彼らとも別れた。

ジャカルタの空港免税店は余り品数が無い。アルコール類の値段表を見せて欲しいと言ったら、そういうものは有りませんなどと言う。年輩の西洋婦人が同じことを言ったらリストを丸毎貸していたのに。ともかくここでルピアをほぼ使い果たす。アルコール類は4本買ったが、我家用にはオランダ製のチョコレート・リキュールを1本。ケーキに入れるかアイスクリームに掛けたら良さそうだ。これで、インドネシアですることは全部おわり。トイレでは番人のボーイに200ルピアのチップを渡す。普通は100ルピアでも多過ぎるくらいだ。

この空港の建物は、赤茶色の角錐形の尖った屋根がいろんな高さで連なっているが、こんな構造は珍しい。バンドン工科大学の建物の構成に似ているし、日本の寝殿造りとも似ている。ただ、待合室へ行く通路は吹きさらしなのだ。屋根があっても壁がない。折りしも激しい雷雨になったため、横なぐりの雨が吹き込んで床はすっかり水浸し。世界広しと言えども空港ビルの中を傘をさして移動する所は多くあるまい。待合室で周りを見ると日本商社の駐在員の帰国組がわんさといた。殆ど男性だが、一様に似た雰囲気を持っている。いつか大学のAsd教授が言ったが、世の中には2種類の人間がいて、一方には仕事バリバリで30才ぐらいで副社長になるほど腕が立つが、家に帰ったら寝ころんでスポーツ新聞とテレビしか見ないタイプがあり、他方には古今東西の諸芸百般に通じるが、世間的にはうだつのあがらないタイプがいるそうだ。どっちを目指す?




1988年10月22日(土)

再びクアラルンプール空港経由。マレーシアの山肌は至る所切り刻まれて赤土が露出している。空から見ると大地が痛々しい。錫の価値が下落し、何が残ったのだろう。原油価格の下落に悩むインドネシアはウラン探しに躍起だが、何が最善なのか生活のかかった経済がからむと判断が難しい。
(終了)

この2年後にIAXA・エキスパートとして、再度ジャカルタを訪れて、また1ヶ月を過ごした。その時は7〜8月だったので、家族を同伴し、ボロブドウールやバリにも行っている。但しその記録はとっておらず、娘達の夏休み帳だけが残っている。
(1988年11月脱稿)







追記

以前この「椿姫」第7話と第8話に、楽譜を載せるた方が分かり易い箇所がありました。ここにまとめて載せます。ベルリーニ「清教徒」に関する部分が4ツと、ヴェルディ「椿姫」に関する部分が一ツあります。

「清教徒」は、同じような旋律が繰り返されますが、実は皆違います。
「清教徒」の補逸(「椿姫」第8話を参照)
1)Fig.1:導入部(青色箇所に注目)
2)Fig.2:変化部(青色箇所が上記1と違うが、同時にスラーも違う)
3)Fig.3:変化への準備部(青色箇所に注目)
4)Fig.4:結論部(青色箇所が上記3と違うが、強弱や、<、>も違う)


「椿姫」の補逸(「椿姫」第7話を参照)
5)Fig.5:前回の箇所と比較して下さい。色々な装飾の仕方があります。

(終り)

Flig.1
Flig.2
Flig.3
Flig.4
Flig.5

(「椿姫」の章全体の終り)
















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