「ドン・ジョヴァンニ」のCD比較        2011.2.8
これまでワーグナーの音楽の代表「ワルキューレ」とイタリア・オペラの代表「椿姫」を録音したものを、各々20〜30種類比較して聴いて来ました。正直言って、20〜30ものCD全曲盤を聴くやり方は、くたびれました。そこで、こんどはモーツアルト「ドン・ジョヴァンニ」を取り上げます。ただし全曲を比較するのは、僅か4例(ワルター、クリップス、ジュリーニ、カラヤンの各指揮)に限定します。他には画像付きを2つ(フルトヴェングラー、カラヤン)持っているので、それらも比較に用います。以前書いたもの(「音楽のすすめ」第1章 第5話「ドン・ジョヴァンニの星空」)から少しですが進歩しました。








(167)モノローグ「ドン・ジョヴァンニ」について

ドン・ジョヴァンニの素晴らしさ

ドン・ジョヴァンニって、言ってみればドン・ファンのことですね。それならイヤだと言われるあなた、音楽の素晴らしさに気づいて欲しい! 本当にこの曲の音楽の骨格の素晴らしさを見逃すなんて、もったいないですよ。モーツアルトがどう思いつつこれを作曲したのかは分かりませんが、プロットにはそれほどこだわりが無かったようです。これに比べれば、「フィガロの結婚」も「コジ・ファン・トウッテ」も、随分軽やかな音楽です。「魔笛」に至ってはあのセリフは支離滅裂だし、なぜこうなってしまったのだろう、と、いぶかし気な目で眺めなければなりません。「魔笛」のことはその項目でまた述べます。

ドン・ジョヴァンニは貴族です。貴族の体には青い色の血液が流れていたという伝説。ただ、そこで言われる領地と領民をどう扱うのか、等を深く考えなければなりません。時代が平穏な限り、何も無いし、貴族は威張って贅沢浪費に励んだでしょうが、ひとたび敵の襲来を受けた時、貴族は先頭に立って領民を守らなければなりません。それが「ノブレス・オブリジェ(貴族の義務)」です。逆に領民は日頃から年貢を収めているので、土地を守る義務はありません。18世紀末に国民皆兵の時代を迎え、この関係は終ってしまいました。ざっと粗く言えばこうなるのでしょうか。チェーザレ・シェピのピンと背筋が伸びて、ゆったりと歩く姿に、僅かな名残りを感じます。

ドン・ジョヴァンニの性格

「ドン・ジョヴァンニ」は私にとって最もモーツアルトらしい曲です。これを最高として、後に「フィガロの結婚」、「魔笛」が続きます(私見)。女性軽視のプロットが並んでいて、作曲された時代から非難されてきましたが、そういう指摘を受けますと、高い鉄棒で足を宙ぶらりんにして、アワワ、と当惑するような感じがします。音楽は凄いよ、と言えますが、それを実感してもらうにはまず聴いて頂かないと。大変なエネルギーが詰まっています。単に手紙を書く、笑い転げる、そして転ぶ、といった仔細なことでなく、宇宙の根本原理を表わすかのようです。強制はしませんが、一度「ドン・ジョヴァンニ」の音楽それ自体に浸ってみて欲しい。急がなくちゃ、という強迫観念の塊。どうして急がなければならないのか、という問いについてはモーツアルトがこの世に出すオペラを完成した形で示したい、という急く(せく)気持と、自分自身の存在証明をしておきたい、という思いがあったのではないでしょうか。それは色々な場面の背景に流れる音楽自体に、明らかにされてはいないでしょうか。それにしてもあの「恐怖の和音」の凄まじさ。

ドン・ジョヴァンニの筋立て

「ドン・ジョヴァンニ」はスペインが舞台の2幕の悲劇・喜劇の混合体(ドラマ・ジョコーソと名付ける)。スペイン貴族ドン・ジョヴァンニは召使いの男レポレロを引き連れて悪さを繰り返し、欧州中で1003人もの女性を口説き落としています。ドンナ・アンナという貴族の女性はドン・オッターヴィオという貴族と婚約中ですが、ある夜ドン・ジョヴァンニはドンナ・アンナの住む邸に忍び込んでドンナ・アンナを手に入れようとし、父親(騎士長)に見つかり殺してしまう(ドンとかドンナというのは貴族に対する敬称)。ドンナ・エルヴィラは昔ドン・ジョヴァンニに捨てられた女性ですが、偶然そこにやって来てドン・ジョヴァンニに気をつけろ、と警告。また村娘ツエルリーナはマゼットという農民と婚約中ですが、ドンナ・ジョヴァンニは今度はツエルリーナを誘惑。

この曲は2幕仕立てになっていますが、筋の展開があちこち飛びます。あれやこれやとあったあげく、ドン・ジョヴァンニは騎士長の石像に会い、騎士長を晩餐に招待します。ドン・ジョヴァンニが自分の城で晩餐を摂っていると、まさかと思った石像が現れ、悔い改めよ、と説得しますが拒否し続け、ついに悪霊達によってドン・ジョヴァンニは地獄墜ち。最後に主要な登場人物全員が登場して、今後の生き方を述べて終幕を迎えます。この余りに複雑で、人情味と悪事のごた混ぜのため、ベートーベンはこの歌劇を嫌い、その音楽は天国的だが、ストーリーは怪しからぬ、と言ったとか。モーツアルト歌劇の最高峰のひとつ。
千葉のF高








(168)モノローグ 「ドン・ジョヴァンニ」録音の比較

下記4つのCD全曲盤を比較しますが、さらに2つのザルツブルクの録音で、画像付きのものに触れます。参考までに、カラヤン盤は音だけの盤と、画像付きの盤の2種類ありますが、両者間にはオーケストラとドンナ・エルヴィラ役が違う程度の差しかありません。でもその差は重要!また、ワルター指揮のものはかなり音が古いのですが、そこで歌っている人達、ノヴォトナ、ピンツア、キプニス、クルマン、サヤンなどの実演ぶりを知るには、こういうものを聴くしかありません。そしてジュリーニ盤やクリップス盤等で歌っている人達も、皆一時代を築いた人であることは明々白々。

「ドン・ジョヴァンニ」全曲の比較は下記の順番でします。
1.序曲〜騎士長の死〜ドン・オッターヴィオ
2.カタログの歌〜ツエルリーナ行こうか行くまいか〜お待ち悪い人
3.ドンナ・アンナ:今こそ分かったでしょう〜彼女の心の安らぎ
4.ドンナ・エルヴィラの煩悶〜ぶってよマゼット
5.ドン・ジョヴァンニとレポレロの交換〜薬屋の歌〜あんただったのね
6.ドンナ・アンナ:冷たい人ですって?〜石像招待〜ドンナ・エルヴィラの説得
7.地獄墜ち〜終曲

比較に用いたCDの配役は下記の通りです。なお販売会社と番号は青字で書いてありますが、東芝とLDを扱う会社は既に存在しません。現在の番号は、ここに記したものを参考にしてお調べ下さい。

1942年盤:ワルター指揮、NYメトロポリタン歌劇場管、ナクソス 8.11 0013-4
ドンナ・アンナ:ローズ・ハンプトン
ドンナ・エルヴィラ:ヤルミラ・ノヴオトナ
ドン・ジョヴァンニ:エツイオ・ピンツア
ドン・オッターヴィオ:チャールズ・クルマン
レポレロ:アレクサンダー・キプニス
ツエルリーナ:ビドウ・サヤン
マゼット:マック・ハレル
騎士長:ノーマン・ゴードン


1956年盤:クリップス指揮、ウイーン・フィル、ポリドール POCL-3944/6
ドンナ・アンナ:シュザンヌ・ダンコ
ドンナ・エルヴィラ:リーザ・デラ=カーザ
ドン・ジョヴァンニ:チェーザレ・シェピ
ドン・オッターヴィオ:アントン・デルモータ
レポレロ:フェルナンド・コレナ
ツエルリーナ:ヒルデ・ギューデン
マゼット:ワルター・ベリー
騎士長:クルト・ベーメ


1959年盤:ジュリーニ指揮、フィルハーモニア管、東芝 6331-33
ドンナ・アンナ:ジョーン・サザーランド
ドンナ・エルヴィラ:エリザベート・シュワルツコップ
ドン・ジョヴァンニ:エバーハルト・ヴェヒター
ドン・オッターヴィオ:ルイジ・アルヴァ
レポレロ:ジュゼッペ・タディ
ツエルリーナ:グラツイエルラ・シュッティ
マゼット:ピエロ・カップチルリ
騎士長:ゴットロープ・フリック


1985年盤:カラヤン指揮、ベルリン・フィル、グラモフォン UCGG-4292/4
ドンナ・アンナ:アンナ・トモワ=シントワ
ドンナ・エルヴィラ:アグネス・バルツア
ドン・ジョヴァンニ:サミュエル・レイミー
ドン・オッターヴィオ:エスタ・ウィンベル
レポレロ:フェルッチョ・フルラネット
ツエルリーナ:キャスリーン・バトル
マゼット:アレキサンダー・マルタ
騎士長:バータ・ブルチュラーゼ


1954年盤(画像付き):フルトヴェングラー指揮、ウイーン・フィル、キング436L-2503-4
ドンナ・アンナ:エリザベート・グリュンマー
ドンナ・エルヴィラ;リーザ・デラ=カーザ
ドン・ジョヴァンニ:チェーザレ・シェピ)
ドン・オッターヴィオ:アントン・デルモータ
レポレロ:オットー・エーデルマン
ツエルリーナ:エルナ・ベルガー
マゼット:ワルター・ベリー
騎士長:デジェー・エルンスター


1987年盤(画像付き):カラヤン指揮、ウイーン・フィル、ソニー SRLM 951-2
ドンナ・アンナ:アンナ・トモワ=シントワ
ドンナ・エルヴィラ:ユリア・ヴァラディ
ドン・ジョヴァンニ:サミュエル・レイミー
ドン・オッターヴィオ:エスタ・ウィンベル
レポレロ:フェルッチョ・フルラネット
ツエルリーナ:キャスリーン・バトル
マゼット:アレクサンダー・マルタ
騎士長:バータ・ブルチュラーゼ

千葉のF高








(169)モノローグ 「ドン・ジョヴァンニ」演奏について

1.序曲〜ドンナ・アンナ/ドン・オッターヴィオ、までの比較

(1) 1942年盤:ワルター指揮、NYメトロポリタン歌劇場管
音が悪いことは承知していましたが、それにしてもワルターの指揮の溌剌としているのには感心しました。よくよく聴いてみるとピアノの左手に相当するオーケストラのジャン、ジャンという音を、少し「ためて」出しているのに気がつきました。開始後2分後です。これが心地よくさせているし、ワルターが音楽を楽しんでいるな、と思わせた原因。解像力の高さでベルリン・フィルは明らかにこれより勝りますが、それはベルリン・フィルは「シャキシャキした感じ」で演奏するからです。しかし音楽は速さを競うスポーツではないのですね。ローズ・ハンプトンのドンナ・アンナはあまり印象が残りませんでしたが、全体に早いテンポで進められていて、それが快適さを感じさせる原因の一つだろうとも思います。

(2) 1956年盤:クリップス指揮、ウイーン・フィル
意外な程、洗練された音に驚きます。そしてシェピやコレナの巧いこと!またドンナ・アンナを歌うシュザンヌ・ダンコの声に魅了されました。ドンナ・アンナの気の強い性格がよく表されています。声そのものがピンと張っていて、強い透過力を備えています。ダンコを「声に魅力が乏しい」とか、「もう先の無い人」などと言われる批評家もおられますが、私はこの声に満足しました。そしてウイーン・フィルの音の清々しさ!ヨーゼフ・クリップスがこんなに巧いとは思いませんでした。家内はこれを聴いて、「何か音楽が素晴らしいわ」という趣旨の感想を述べましたが、古い時代の実況録音を聴いたあとだったので、スタジオ録音の清々しさにホッとしたのでしょう。

(3) 1959年盤:ジュリーニ指揮、フィルハーモニア管
例によってEMI社の録音に特有と思われる「潤滑油」のような滑りの良い音。妻はこれを聴いて「これだと歌手達が皆上手に聴こえるわ」とコメントしました。全体に大人しく、決して攻撃的でないのでゆったりした気分で楽しめます。

(4) 1985年盤:カラヤン指揮、ベルリン・フィル
カラヤン好みの、ムダのない、キビキビした指揮ぶりが聴けます。ただしワルターの指揮のような、遊び心がないのは、好きずきだと思います。歌手達の中では、トモワ=シントワはこの上なく攻撃的なドンナ・アンナですが、ああいう役柄だから許されるでしょう。はじめ男性陣の声をよく聴き分けられたのですが、フル・パワーになると皆声が似ているので混乱します。

ただ感じるのは(演技が無い場合)、ここでは歌手達に比してオーケストラはやや軽く扱われていないか、と思いました。つまりオーケストラは余り雄弁でない。これはどういうことでしょうか。演技が加わると完成度が高いのですが、音だけでは妙な感じを持ってしまいます。




2.カタログの歌〜行こうか行くまいか〜お待ち悪い人、の比較

(1) 1942年盤:ワルター指揮、NYメトロポリタン歌劇場管
ワルターの指揮は相変わらず速い。ここでノヴオトナのドンナ・エルヴィラを興味深く聴きましたが、余り味ワイはないようでした(この古い音から判断する限り)。続いてサヤンのツエルリーナ役もか細い声。ドン・ジョヴァンンニの誘惑に、内心では既に負けたツエルリーナが「マゼット、許して」と呟く場面ははっきり聴き取れました。キプニスのレポレロは千変万化の声を操り、早口のイタリア語をしゃべるレチタティーヴォ・セッコも上手く行っています。

(2) 1956年盤:クリップス指揮、ウイーン・フィル
これは秀逸でした。難をいえばダンコの演じるドンナ・アンナとデラ=カーザの演じるドンナ・エルヴィラの声の対比がややあいまいな点か。レポレロはコレナが朗々と演じていますが、もう少しコミックな味ワイがあっても良い。そしてギューデンのツエルリーナ役は、またもやホッとするような味ワイでした。上下に均質で、ホンのすこし語尾をひきずる発声。たんに楽譜通りというのではないのです。クリップスの指揮もなかなかのものです。

(3) 1959年盤:ジュリーニ指揮、フィルハーモニア管
ドン・ジョヴァンニ役のヴェヒターの声にやや「?」を感じました。疑問というより、当時のドン・ジョヴァンニ歌いにはかくもヒトが少なかったのかなあ、と言うところです。それに輪を掛けているのが、タディで、そのレポレロの声が少し弱い。ツエルリーナ役のシュッティに、当初は少し堅くないかと思いましたが、そのうち甘い声が響きましたので満足しています。

(4) 1985年盤:カラヤン指揮、ベルリン・フィル
レイミーの声には余り凄みを感じなかったのですが、現状ではこれで我慢しなければなりません。対してレポレロを歌うフルラネットが素晴らしい。彼方此方見えない所で目の演技をしているのが分かります。バルツアのドンナ・エルヴィラ役の声と表現は、場所に寄ってこれは素晴らしい、と言いたくなりますが、べつの箇所では、これではドンナ・アンナ役と大して違わないではないか、と思ったりします。ツエルリーナ役のバトルは、細く透明な声ですが、ツエルリーナに求められる甘さ、粘っこさ等でやや距離があるな、と思いました。妻は「このツエルリーナなら絶対ドン・ジョヴァンニに騙されないわね」とコメントしました。




3.ドンナ・アンナ:今こそ分かったでしょう〜彼女の心の安らぎ、までの比較

(1) 1942年盤:ワルター指揮、NYメトロポリタン歌劇場管
面白い音楽でした。ハンプトンのドンナ・アンナを聴いていると、音色にはさして魅力はないものの、その表情が読み取れます。明らかにドンナ・アンナは怒っています。このCDで聴く時響くのは、チェンバロを弾く音でしょうか、それともピアノ?まるで電気ピアノのように響くのですが。

(2) 1956年盤:クリップス指揮、ウイーン・フィル
クリップス盤は録音が良いだけに聴けます。ダンコの歌うドンナ・アンナはまさに怒り狂う女です。ドンナ・エルヴィラの方は貴婦人らしさを失わない様に歌っています。ツエルリーナの場面に切り替わる時、ホッとするような雰囲気があります。またここで強調したいのは、ドン・ジョヴァンニを歌うシェピの素晴らしさ。素晴らしい声を出しています。背後にピカピカ星が光るよう、と言えば良いでしょうか。

(3) 1959年盤:ジュリーニ指揮、フィルハーモニア管
ここではドンナ・エルヴィラを歌うシュワルツコップの声に魅せられます。その明解な発音の後でドンナ・アンナのサザーランドの歌を聴くと、やはりサザーランドは弱いかなと思います。しかしサザーランドの歌はここのアリア「今こそ分かったでしょう」の先に進む程、ぐんぐん良くなって行きます。こういう歌だったら良いんだけどな。アルヴァの歌う「彼女の心の安らぎ」はこのテノール唯一の聴かせどころですが、実際アルヴァはこれを魅力的に歌っています。

(4) 1985年盤:カラヤン指揮、ベルリン・フィル
冒頭のドンナ・エルヴィラのところでも思いましたが、これではドンナ・アンナとの声の対比がついていません。バルツアは申し分ない声の音色と音域の広がりを持っています。この声だったらドンナ・アンナかな、それともやはりドンナ・エルヴィラかな、と悩むところ。ドンナ・アンナは常に怒ったようなツンとした姿勢で歌っていますが、声楽的にはそれはまずい、と思うのです。他方、ドンナ・アンナ役は怒れる女なのだから、とも思い、悩んでしまいます。バルツアが後の方でどう表現するかが見ものです。カラヤンの棒ならこれ以外の表現も可能かもしれません。




4.エルヴィラの煩悶〜ぶってよマゼット、までの比較

(1) 1942年盤:ワルター指揮、NYメトロポリタン歌劇場管
ワルターの指揮のテンポが猛烈に速いのに気がつきます。ここでのドン・ジョヴァンニとレポレロのやりとりもメチャクチャな早口でなされますが、チョッと遠方(物理的な距離ではなく)から聴くと、言い方は悪いのですが、町のアンチャン同士のヤクザっぽいやりとり、という感じです。ここではサヤンの演じるツエルリーナもさして魅力的ではありませんでした。ただ、六重唱のところで一寸聴こえるドンナ・エルヴィラとドンナ・アンナの駆け引きは、彼女達の声がまるでイタリアで歌われた流行歌のようだった、と錯覚したのが印象的です。音色の対比は女性陣だけ合格です。

(2) 1956年盤:クリップス指揮、ウイーン・フィル
音色の対比は最も明らかでした。それにしてもシェピのドン・ジョヴァンニは素晴らしい。ギューデンも魅力的な声をコケティッシュに響かせますし、テンポも適正でした。六重唱の箇所で明解に区別できましたし、これは設計者(レコーディング・プロデューサー)の見識でしょう。

(3) 1959年盤:ジュリーニ指揮、フィルハーモニア管
ここではバックに流れるオーケストラ音楽に何とも言えない気品を感じました。モーツアルトはこういう所が素晴らしい!舞踏会の音楽になっている。実に素敵だと思います。かそけき音量ですがそれも見識。音色の対比も申し分なし。ドン・ジョヴァンニ自体はやや存在感が薄いかも知れませんが、管弦楽のバックが素晴らしい。ツエルリーナは相変わらず素敵ですし、シュワルツコップは全体をカチッと絞めています。なにか思い詰めたような彼女の歌は魅力的ですが、ああいう歌だけがモーツアルトではないような気もしました。

(4) 1985年盤:カラヤン指揮、ベルリン・フィル
カラヤンの颯爽と指揮する才能が発揮されます。計算ずくと言えば良いのでしょうか。但し女性陣2人の声の対比は余り改善されていません。私はバルツアにもトモワ=シントワにも魅力を感じるのですが、同時に出て来ると、もっと差が欲しいなというところ。レイミーは声が素晴らしい。ただ、今ひとつシェピに見られる天性の貴族性を感じることができず。おそらく私の聴き方が悪いのでしょう。

バックに舞踏会のような、オーケストラの音楽が流れますが、これを聴くとホッとします。モーツアルトがこういう音楽を作曲したら、向かう所敵無しです!




5.ドン・ジョヴァンニ/レポレロの交換〜薬屋の歌〜あんただったのね、までの比較

(1) 1942年盤:ワルター指揮、NYメトロポリタン歌劇場管
ワルターの指揮は相変わらず速い。実況らしく時折観客席からの笑い声が聴こえてきます。このあたりの音楽は、耳慣れた旋律ばかり。次々とそういう旋律が襲って来ます。やはりモーツアルトは天才! ここでハミルトンのドンナ・アンナに初めて一種の魅力を感じました。なるほど、これかというところです。

(2) 1956年盤:クリップス指揮、ウイーン・フィル
デラ=カーザの声がやや影に隠れてしまうのですが、ダンコの歌うドンナ・アンナが素晴らしい。シェピとコレナのやり取りも同様。ギューデンは薬屋の歌を魅力的に歌い、それをクッリプスの指揮は巧みにサポートしています。クリップス盤を聴くと、このデッカ盤、かなり良い録音ではないかということ。いままでクリップスの指揮で欠点とおぼしき箇所はありません。やはり、ウイーン・フィルのおかげでしょうか。

(3) 1959年盤:ジュリーニ指揮、フィルハーモニア管
シュッティの歌うツエルリーナは素敵な歌だと思いますが、ジュリーニの指揮のサポートがややせっかちかも知れません。「薬屋の歌」で聴かせるジュリーニのテンポをもう一度聴いて見れば分かります。シュワルツコップが合唱に加わると、俄然音が締まります。

(4) 1985年盤:カラヤン指揮、ベルリン・フィル
二人の女性陣の声の対比は悪い。気になって仕方が有りません。全体について言いますと、ワルター盤、クリップス盤、ジュリーニ盤と比較した場合、カラヤン盤はワルター盤の次に具合が悪いのではないでしょうか。バトルはここでは尤もらしい歌い方を聴かせます。




6.石像招待〜ドンナ・アンナ:冷たい人ですって?〜ドンナ・エルヴィラの説得、までの比較

(1) 1942年盤:ワルター指揮、NYメトロポリタン歌劇場管
昔の音ですから響きは余り良くない。ハンプトンはよく歌っていますが、ハッキリとした評価はできません。音が悪いのに批評はシビアでは気の毒なので。ノヴォトナの歌うドンナ・エルヴィラの方がチャーミングでした。ピンツアの声は、こちらが余り慣れていないせいか、何処がそんなに面白いのだろう、と客席からの拍手の度に思いました。またオーケストラの演奏部分の中に、せいぜい1小節ですが、私の耳にはベートーベン「第9交響曲」の中のオーケストラが聴こえました。こういうことは、既に多くの方々の耳で確かめられているんじゃないかと思います。

(2) 1956年盤:クリップス指揮、ウイーン・フィル
音が良いのを改めて実感しました。特にコントラバスやチェロといった低音楽器のボウイングに伴う空気のような音、これが聴こえます。ぐっと引きつけるような音。そして私が最も好きなシェピの演じるドン・ジョヴァンニの声。シェピの声には常に貴族的な響きがあり、レポレロとのやり取りでも、決して聴き違いの無い声です。ダンコのドンナ・アンナも尤もらしく聴こえます。どうしてこの声では時代遅れなのでしょうか(昔読んだある批評家の評では「時代遅れ!」)。むしろドンナ・エルヴィラの方がどう歌ったら良いか迷っているような気がします。このCDは劇のストーリーとの繋がりも、まとまりが良いと思います。

(3) 1959年盤:ジュリーニ指揮、フィルハーモニア管
ここではサザーランドの歌うドンナ・アンナに、ややがっかりした感じを持ちました。あれほど一時は聴いたのに。ただ其の直後に出て来るドンナ・エルヴィラ役のシュワルツコップを聴くと、また別の感じが出てきます。つまりシュワルツコップは常に正しく堅く正義感溢れる人物なのですが、ちょっと強すぎないかな、と思った次第。もう少し声自体の周辺にホワッとした霞を掛けるとか、ホンワリした歌い方が欲しい。例えば、レジーヌ・クレスパンが歌ったらどうだろう、と思いました(歌ったことは有るのか知らん)。逆にサザーランドの頼り無げな歌も、これが貴族の娘で、しかも犠牲になったと解釈すれば、あれが精一杯でしょう。ドンナ・アンナが犯されたか否かについては諸説ふんぷんですが、もし犯されていたら、という仮説を立てると、サザーランドの歌い方に同情したくなります(ドンナ・アンナは婚約者に、結婚は1年待ってと頼みます)。ここで素晴らしいのは騎士長の声。ゴットロープ・フリックの声は十分に低く、ドスも効いています。これがカラヤン盤ですと、騎士長の声はレイミー、フルラネットのチームと区別がつき難い(私には)のです。

(4) 1985年盤:カラヤン指揮、ベルリン・フィル
カラヤンは颯爽としていますが、少しテンポが速目。優れたモーツアルト指揮者って難しいことは承知していますが、それでももう少しベールで覆い、全体をホワッとさせた方が良いのかも。ここでは全てのエッジが立っています。そしてジュリーニ盤の項で述べた二人の女性ですが、はじめトモワ=シントワの歌に聴き惚れましたが、そのうちトモワ=シントワはオッカナビックリ歌っているのではないか、という疑いを持ちました。守るべき確たるテンポが見当たらないのです。もし、可能なら、バルツアがドンナ・アンナを歌ってはどうでしょうか。これは行けるかも。




7.地獄墜ち〜これから私達は、までの比較

(1) 1942年盤:ワルター指揮、NYメトロポリタン歌劇場管
どんな音がするにしても、どんな喉を聴かせようと、「地獄墜ち」には指揮者の思想が現れると考えます。それを考えた時、このワルター盤は俄然光ります。猛烈にテンポが早くなり、歌手たちはそれに付いて行くのがやっと、という感じですが、騎士長が歌い出した途端にマジックが働き、この声は行けるし、オーケストラを動かすワルターはさすがと思いました。バックの悪霊たちの声がもう少し大きく、もう少しハッキリしていれば、なんて文句は言いません。この凄いオーケストレーションがあるから「ドン・ジョヴァンニ」のリストからワルターを除くことは出来ないのです。加えて、次々と歌い出すソリスト達のバックに流れる旋律の中に、ドンナ・アンナのアリアにある旋律もしっかり聴き取れます。ワルターがドンナ・アンナとドン・ジョヴァンニの関係をどう考えていたかを示す? ここで石像の到着を示す音を、メットではなにか擬音を用いている様に聴こえます。また風が「ピュー」と吹きすさぶ音も聴こえますが、これは前に述べたワーグナー「ワルキューレ」で用いられたメットお気に入りの方法。

(2) 1956年盤:クリップス指揮、ウイーン・フィル
ワルターの指揮の直後にこれを聴くと、クリップスの棒は少しテンポがダルだという感じでした。それに決定的なのが騎士長を歌うクルト・ベーメの声で、それが怪しく不安定なのです。ベーメは例えばシュトラウス「薔薇の騎士」ではオックス男爵をしっかり歌っているのに何故?ただ、事件が全て終わろうとする頃、クリップスの棒がしっかりと冴えて聴こえました。なおここではワルター盤で聴こえたドンナ・アンナのアリアの旋律は聴こえたものの、余り強調する気はないようです。

(3) 1959年盤:ジュリーニ指揮、フィルハーモニア管
ジュリーニの指揮のテンポは適切だと思います。ただ繰り返して聴くとサザーランドがやはり弱点かな、と思う次第。あらゆる箇所で対処の仕方が甘いのです。もう一つ目立つのはドンナ・エルヴィラが最後の説得に来た時の声はやや貧弱でしたし、最後に悲鳴を上げて出て行くところはシュワルツコップらしからぬ声(貧相)でした。またドン・ジョヴァンニの声がまた、弱さの一つかと思いました。特にフィナーレ付近ではオーケストラも、単に穏やかさだけを示してはいないでしょうか。何となく「ドン・ジョヴァンニ」が悲劇でなく、人情劇のような感じ(もともと「ドン・ジョヴァンニ」はドラマ・ジョコーソとしか書いてありませんが)。そうは言っても、これらは贅沢な不満ですね。実際、歌劇「ドン・ジョヴァンニ」を聴く上でどこに不満があるでしょう、というのが本当のところ。

(4) 1985年盤:カラヤン指揮、ベルリン・フィル
冒頭の騎士長の歌に驚きました。これは素晴らしい。そしてこれがドン・ジョヴァンニだったら、と、とてつもないことを考えました。本当に素晴らしい声です。対するドン・ジョヴァンニ役のレイミーは声が騎士長に押されているようです。でもここで騎士長、ドン・ジョヴァンニ、レポレロという男声3名の声の対比は実に上手く行っています。やはりこうでなくては。その代わり、2人の女声はやはり問題があり、ドンナ・アンナが歌う声はハッキリわかりますが、対するドンナ・エルヴィラの声がそれほど明解ではありません。バルツアはドンナ・アンナの音域を歌えるでしょうか。もし出来れば一度聴いてみたかったところですが、既に遅すぎます(決してドンナ・エルヴィラとしてのバルツアを貶めるつもりはなく、立派なドンナ・エルヴィラでした)。レポレロ役のフルラネットの声も、画像抜きではそれほど特記する程では無いことに気がつきました。そしてオーケストラを操るカラヤンの魅力はこれで十分わかりました。無理に傷を探すのは止めましょう。これは颯爽としていて、音に関するダイナミクスも十分あります。




8.画像付きの全幕に渡る比較

(A) 1954年ザルツブルク音楽祭:フルトヴェングラー指揮、ウイーン・フィル
フルトヴェングラー盤は画質が朦朧としているのが特徴です。フルトヴェングラーの顔を見ているだけで、何か始まるぞ、という感じが押し寄せて来ます。実際この録画を8月に撮ったあと、11月末には亡くなってしまいます。最後の録画でしょうか。レポレロを歌うエーデルマンは少し真面目過ぎる感じがしますが、最初に登場するドン・ジョヴァンニの声と風貌には、やはり引きつける何かがあります。ドンナ・アンナはやや声の点では余り良い声では有りません。昔、私が18歳のころ、ベルリン・ドイツ・オペラの引越公演があり、そこにエリカ・ケートが出ていたのですが、ケートと握手をするつもりだった同級生Ttはつい手が滑ってエリザベート・グリュンマーと握手してしまった、という話を聞いたものです。そのグリュンマーがドンナ・アンナ役です。

女性陣の演技を見ていて気がついたのですが、チョッと古風です。表情は余り変えず、身体上の演技だけやっています。ベルガーだけが顔の演技をしていますが、その代わりベルガーは田舎暮らしのお年寄りを彷彿とさせる顔。でも彼女達とドン・ジョヴァンニは姿勢が良いので、随分印象で得をしています。本当に背筋がピンと張り、それで颯爽と飛び回るのは素敵です。そして人々の参加する宴会から、悪事の露見までの演出も、これは同じザルツブルクでも、フルトヴェングラー盤の方に惹かれます。

そして第2幕以降も同じ印象が有り、シェピのドン・ジョヴァンニ役はやはり貴族的に振る舞い、エーデルマンのレポレロも意外な程、顔の演技に励みます。ドン・ジョヴァンニとレポレロの役割交換の場面はこのフルトヴェングラー盤の方が分かり易い。ただし、ドンナ・アンナとドンナ・エルヴィラの2人は、良く似た声質のため区別しにくい欠点があります。この女性陣はやはり古風で、歌っている間は余り演技をしません。その点はカラヤン盤の方が良かろうかと思いました。「地獄墜ち」そのものはフルトヴェングラーの方では、石像付近で茫然としているドン・ジョヴァンニを強調しているし、悪霊たちが登場してからも悪霊そのものを余り明解に図化していないようです。でもこの場面は素晴らしい。このDVDでは終幕に、ほんのチョッとだけ拍手の気配を録っていますが、直ぐに切ってしまっています。先頭部をあれだけ映したのだから最後も映せば良いのに、という印象です。

(B) 1987年ザルツブルク音楽祭:カラヤン指揮、ウイーン・フィル
カラヤン盤はザルツブルク音楽祭の実況。ここでカラヤンはややテンポが遅めに聴こえました。本当にカラヤンは2年の間にスピードが衰えたのでしょうか。CD録音はベルリン・フィルで1985年、画像付きはウイーン・フィルで1987年でした。何といっても画像付きのものをオーディオ的な感覚だけで、同じ土俵上で評価するのは危険です。フルラネットのレポレロ役は当初、姿だけしか見えず、表情が分からなかったのですが、カタログの歌は正面から撮ったので実に良く見え、巧いと思いました。声もいざと言う時は低いバスですが、カタログのシーン等ではコミックな声を出して申し分ありません。逆にトモワ=シントワの画像ヴァージョンのドンナ・アンナ役はキャンキャンした声だけが目立ち、いい声ではありませんでした。でも1日前にオーディオCDで聴いたばかりですから、本当はもっといい歌手なんだけれどなあ、と思った次第。

全体に思うのですが、この演出で設定された街並みは、やや明る過ぎるというのが正直な印象です。特に街並みの上に見える碧空が何とかならないかな、と言うところ。もう少し時代がかった古い感じが出た方が好きです。ツエルリーナはここでは抵抗無く観ることが出来ました。コケティッシュな味ワイが勝ったようです。食事の場面ではフルラネットが相変わらず巧く演じていますが、ドン・ジョヴァンニが突然オオカミに変身するあたりをもう少し、と贅沢なことを考えました。ドンナ・エルヴィラが最後までドン・ジョヴァンニをかばう姿勢はシミジミとした味ワイがあります。そして騎士長が登場した音楽とその背景の星空は素晴らしい。こういう星空を使うのはアイデアだと思いますが、これはボーイト「メフィストーフェレ」をニューヨーク・シティ・オペラでやった時(メフィスト役は同じくレイミー)も同様の星空でした。最後にずらっと登場人物が舞台に並んだ姿を観ながら、この「ドン・ジョヴァンニ」という曲に特定の主役は無く、全ての役が主役だ、ということを痛感しました。幕切れの登場はフルラネット演じるレポレロ。
千葉のF高








あり得ない、私の理想(?)のキャスティング
ドン・ジョヴァンニ シェピ
レポレロ フルラネット
騎士長 ブルチュラーゼ
ドンナ・アンナ バルツア(!)
ドンナ・エルヴィラ クレスパン(!!)
ツエルリーナ ギューデン、またはゼーフリート
ドン・オッターヴィオ アルヴァ
指揮者 ワルター、またはカラヤン
オーケストラ ウイーン・フィル

(注釈)
ここに記したドン・ジョヴァンニは私の乏しい知識を総動員したもので、社会にはモーツアルトに関する専門家や専門家に近い方々が沢山おられます。その事情を承知しているので、ここに「私のお話」を出すのには躊躇いがありました。あえて、初歩的ではありますが、笑ってお読みくださるよう、お願いいたします。

(「ドン・ジョヴァンニ」の節の終り。次回は「フィガロの結婚」です)













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