「フィガロの結婚」のCD比較        2011.3.3
「フィガロの結婚」は、日本で最も人気のあるオペラのひとつ。優雅で甘い雰囲気をたたえていますが、その内容をよくよく考えると、恐ろしくも強固な意志が見つかるかも知れません。昔米国YYY機構の所長が日本に来た時、「フィガロの結婚」はもう少し刈り込んだ方が良くなる、という趣旨のことを言っていました。同氏がカラヤン指揮盤かクライバー指揮盤か、はたまたジュリーニ指揮盤か、そのどれが好きかという話は聞いておりません(もう故人です)。それでは僭越ながら、ここに「フィガロの結婚」を取り上げて演奏を比較してみようと思います。








(170)モノローグ「フィガロの結婚」について

3部作の中での位置づけ

舞台はスペインのセヴィリヤ。これはモーツアルトの後のロッシーニの「セヴィリヤの理髪師」と同じ舞台です。実際の作曲順は逆ですが、まずロッシーニの扱った話が起き、それからモーツアルトが扱った話が出て来る構造です。そして「フィガロの結婚」に登場した諸々の登場人物は「セヴィリヤの理髪師」と同じ土壌から出ています。独身だったフィガロが年月を経て、結婚するというストーリーなので、先記2つのオペラ間ではそれほど時間が経っていないと思います。但し、その僅かな時間の間に伯爵は浮気心を募らせ、今は伯爵夫人となったロジーナの奥女中を勤めるスザンナを狙っています。スザンナはそれに気づいていますが、フィガロは気がつかないまま、という所からオペラは始まるわけです。ロジーナは「セヴィリヤの理髪師」の中では一生懸命に伯爵の気を惹こうとし、そのためならマムシにでもなるわ、と言いますが、その伯爵夫人は「フィガロの結婚」の中では、徹頭徹尾しおらしく振る舞い、可愛そうな貴婦人として扱われています。伯爵の声は「セヴィリヤの理髪師」ではテノールでしたが、ここ「フィガロの結婚」ではバリトンに変わっています。これは象徴的。つまりテノール声の伯爵は脳天気そのものですし、バリトン声の伯爵は疑い深い中年男になっているからです。

さらにその後日談を扱う「罪ある母(ケルビーノが成人して、伯爵夫人との間に子をなしている!)」というオペラがありますが、これはモーツアルトでもロッシーニでもないジョン・コリリアーノが1991年に米国メトロポロタン・オペラの依頼で作曲したものですが、既に余り上演されていないようです(「音楽のすすめ」第1章 第33話「フィガロの結婚の演出」を参照)。そこ(罪ある母)では、貴族達の生活が如何に乱れていたか、という点ばかり目立ちます。しかも伯爵は自分の城を売り払い、パリに住もうとしています。これら3つの戯曲は全てボーマルシェの作品で、一般に「ボーマルシェ3部作」と呼ばれます(但しオペラ「フィガロの結婚」のセリフはダ・ポンテのもの)。これを知っていると「3部作」の中での、「フィガロの結婚」の立場が明らかになります。もう一つ大きな点は、「フィガロの結婚」のプロットを注意深く見ていくと、貴族階級に対する不満が覗けることです。なにしろこの作曲された時代は、マリー・アントワネットが処刑されるフランス革命の前夜。皇帝をとりまく貴族達がこれに気づかないはずがありません。当然、何とかして「フィガロの結婚」の上演を阻止したいと試みます。これは映画「アマデウス」をご覧になった方はお分かり頂けるでしょう。そのイジワルと陰謀をくぐり抜けて「フィガロの結婚」は生き残りました。それは、ひとえに音楽が優れていたからだと思います。

「フィガロの結婚」の性格

3部作の中でモーツアルトは「フィガロの結婚」だけを作曲しましたが、それはそれは開放的な雰囲気と、何より楽しさ一杯という雰囲気を持つオペラ。決して脳天気なオペラではないのですが、だからと言って決して、まなじりを決して歌うという感じでもありません。そういう不思議な、音楽を楽しむ(楽しませる)雰囲気をモーツアルトは持っていたようです。ベートーベン等、あとに続く人々が目をギラつかせて、言いたいことをズバズバ言うのに対し、モーツアルトの発言は穏やかです(言葉で言ったかどうかでなく、表現として)。何と言っても歌劇「フィガロの結婚」は喜劇です。劇中には至る所に笑いの要素が見え隠れしますし、言ってみれば浅草オペラに見られたようなアチャラカ風滑稽劇も含まれます。でも、それらを総合して、とてつもなく素晴らしいオペラになったと私は思います。

「フィガロの結婚」の筋立て

第1幕

フィガロとスザンナの結婚直前。フィガロが5尺、10尺と物差しで床の長さを計っているところから開始します。スザンナは奥女中として気を使いながらも、伯爵が企んでいる内容をフィガロに告げ、フィガロはそれに愕然とするというシーン(伯爵は廃止された初夜権の復活を考えていると言うのです)。そこに年増女のマルチェリーナと、医師のバルトロが現れますが、まずマルチェリーナはスザンナとの間に火花を散らします。それも最初は穏やかに、やがて強烈になってしまうのは何処の世でも。それから伯爵夫人に憧れるもう一人、ケルビーノが現れますが、伯爵はそれを捉まえ、兵隊になるよう命令。

第2幕

伯爵夫人による夫のつれない態度を嘆く歌「愛の神よ照覧あれ」で開幕。そこにケルビーノがやって来て自作の歌「恋の悩みを知る君は」をスザンナのギター伴奏で披露。まるで女の子みたい、とスザンナが面白がっていたら、伯爵がノックするので皆驚き、ケルビーノは慌てて窓から飛び降ります。伯爵が現れ、誰か居たのか、と疑いの言葉を伯爵夫人に向けます。夫人はスザンナだと答えますが、伯爵の怒りは収まらず。ついに伯爵夫人に城を出て行けと言いますが、誰もいないはずの衣装部屋から本当にスザンナが出て来たので伯爵も夫人もびっくり。そこに庭男のアントニオが現れ、自分が丹青込めて育てた植木が、何者かが落ちて来て台無しにされた、と伯爵に苦情を言います。それを聞いて伯爵は再び疑念をいだく次第。

第3幕

マルチェリーナとバルトロが現れますが、そのやり取りから両人の子供がフィガロだったことが判明。マルチェリーナとバルトロはここで結婚しようと言い、かくして2組の結婚式(フィガロとスザンナ、バルトロとマルチェリーナ)をする事になります。この終幕部はすばらしい音楽の羅列で、うっとりします。伯爵夫人とスザンナは伯爵を懲らしめようと、その方策を考えます。結婚式の前に、多くの使用人達が現れますが、特に行進の音楽(舞踏の音楽とも言える)や、それに引き続く音楽は本当に素晴らしい。


第4幕

庭先でケルビーノの遊び相手バルバリーナが、伯爵夫人から預かった大事なピンを無くしたと嘆いています。肝心なのはその後で、伯爵がスザンナにヨコシマな気持ちを持っていることが明らかになり(スザンナと伯爵夫人は衣装を交換して、伯爵を懲らしめる)ますが、伯爵夫人は何食わぬ顔で現れ、全てを許しましょうと歌います。ここで伯爵の口からは伯爵夫人に詫びの言葉(コンテッサ、ペルドーノ)しか出ません。かくして2組の結婚式が伯爵の城で行われることになり、皆が庭の中へ散ってオペラ全体が終了。ちょっと複雑な構造ですね。

千葉のF高








(171) モノローグ「フィガロの結婚」 録音の比較

この曲については既に沢山の比較試聴が世に出ていますが、ここは私流の比較で。「フィガロの結婚」の評価は人によりけり。T氏は「フィガロの結婚」はもう少しまとまらないと、と余り高く評価していませんし、逆に故Ku氏は何が何でも「フィガロの結婚」が一番と言っていました。また私の居た職場の同僚Hx氏は「魔笛」こそが最高と言っています。そして私個人にとっては「ドン・ジョヴァンニ」が最高です。さて、皆様はいかがでしょうか?ここで細部の比較に用いるのは3点の全曲盤に限定し、それに抜粋盤を一つと、画像の付いたグラインドボーン音楽祭の「フィガロの結婚」を一つ取り上げます。下記のものが比較の対象です。但し発売元は既に消滅したところもあります。

1952年盤:ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ウイーン・フィル、英EMI、CMS 7-69639-2
フィガロ エーリッヒ・クンツ(B)
スザンナ イルムガルト・セーフリート(Sp)
アルマヴィーヴァ伯爵 ジョージ・ロンドン(B)
伯爵夫人 エリザベート・シュワルツコップ(Sp)
ケルビーノ セナ・ユリナッチ(Sp)
バルトロ マリアン・ルス(B)
マルチェリーナ エリーザベト・ヘンゲン(A)
アントニオ ウイルヘルム・フェルデン(Bs)
バルバリーナ ロスル・シュヴァイデン(Sp)


1955年盤:エーリッヒ・クライバー指揮、ウイーン・フィル、ロンドンPOCL-3941・3
フィガロ チェーザレ・シェピ(B)
スザンナ ヒルデ・ギューデン(Sp)
アルマヴィーヴァ伯爵 アルフレード・ペル(B)
伯爵夫人 リーザ・デラ=カーザ(Sp)
ケルビーノ シュザンヌ・ダンコ(Sp)
バルトロ フェルナンド・コレナ(Bs)
マルチェリーナ ヒルデ・レッセル=マイデン(Ms)
アントニオ ハラルド・プレーグルフェプ(Bs)
バルバリーナ アンニー・フェルプマイヤー(Sp)


1959年盤:カルロ・マリア・ジュリーニ指揮、フィルハーモニア管、東芝EMI TOCE-9123・24
フィガロ ジュゼッペ・タディ(B)
スザンナ アンナ・モッフォ(Sp)
アルマヴィーヴァ伯爵 エバーハルト・ヴェヒター(B)
伯爵夫人 エリザベート・シュワルツコップ(Sp)
ケルビーノ フィオレンツア・コソット(Ms)
バルトロ イーヴォ・ヴィンコ(Bs)
マルチェリーナ ドラ・ガッタ(Sp)
アントニオ ピエロ・カップチルリ(Bs)
バルバリーナ エリザベッタ・フスコ(Sp)


1985年盤(抜粋盤):ネヴィル・マリナー指揮、イギリス管、フィリップス、PHCP-10374
フィガロ ホセ・ファン=ダム(Br)
スザンナ バーバラ・ヘンドリックス(Sp)
伯爵夫人 ルチア・ホップ(Sp)
ケルビーノ アグネス・バルツア(Ms)
伯爵 ルジェーロ・ライモンディ(Bs)
マルチェリーナ フェリシティ・パーマー(Ms)
バルトロ ロバート・ロイド(Bs)
バルバリーナ キャスリン・ホープ(Sp)


1971年盤(画像付き):ジョン・プリッチャード指揮、ロンドン・フィルハーモニー、演出ピーター・ホール、(レーザーディスク)、東芝EMI、TOLW-3551・2
フィガロ クヌート・スクラム(B)
スザンナ イレアナ・コトルバス(Sp)
アルマヴィーヴァ伯爵 ベンジャミン・ラクソン(B)
伯爵夫人 キリ・テ=カナワ(Sp)
ケルビーノ フレデリカ・フォン・シュターデ(Ms)
バルトロ マリウス・リンツレル(Bs)
マルチェリーナ ヌッチ・コンドー(Sp)
アントニオ トーマス・ロウラー(Bs)
バルバリーナ エリザベス・ゲイル(Sp)


実際にはもっと沢山のものを比較したく、もっと最近の「フィガロの結婚」を取り上げたかったのですが、音楽を確認し、音楽を楽しむ目的なら、これで足りると信じます。


千葉のF高








(172) モノローグ「フィガロの結婚」の演奏の比較

1.序曲の比較

妻は最初の序曲から一緒に音楽を聴いていましたが、1952年盤:ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ウイーン・フィルを評して、「テンポが速いわね」と感想を述べました。1955年盤:エーリッヒ・クライバー指揮、ウイーン・フィルは私の耳には少し音を延ばして(ポルタメントを掛けて)いるな、と感じましたが、テンポはカラヤン程ゆっくりしてはいないのかも知れないと思います。1959年盤:カルロ・マリア・ジュリーニ指揮、フィルハーモニア管の所で妻は「私はこれが良いわ」と述べましたが、ジュリーニではぐっと遅くなります。もっと遅いオットー・クレンペラー盤だったらどうか、と思いましたがそれはここでは比較していません。

2. 五尺、十尺・・・の比較

1952年盤:ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ウイーン・フィル
この部分は最も「フィガロの結婚」らしさが現れ、他の多くの人と同様、私も大好きです。カラヤン盤は相変わらず速いテンポですが、取り様によってはキビキビしていると思います。これに比すとクライバー盤はほんの少しだけテンポが緩みますが、どちらがよいかは好きずき。カラヤン盤でフィガロを務めるエーリッヒ・クンツ(Br)は大変素晴らしく、ああいう声は宝物だと思います。自伝を読むと、クンツは子供達の前で口を開けて、この喉からお前達の食料が得られるのだよ、と言ったとか。またクンツは当時はまだ雑魚の一匹に過ぎませんでしたが、宮廷歌手の名前をかたって暮らしていたという逸話もあります(本人の自白あり)。でもここのフィガロは素晴らしい。ただ欠点はあって、声の有効レンジが少し狭いような気がします。でもその黄金領域で勝負すれば勝ち目があるわけです。

カラヤン盤のスザンナ役、イルムガルト・ゼーフリート(Sp)は、なかなか素敵な声でした。ゼーフリートとエリザベート・シュワルツコップ(Sp)を比べると、ホンの少し、常に、ゼーフリートは一歩下がっていなければならない宿命を背負っている気がします。でも此処でのスザンナは良いと思いました。

1955年盤:エーリッヒ・クライバー指揮、ウイーン・フィル
フィガロ役のチェーザレ・シェピ(Bs)はそれに比すと、やはりドン・ジョヴァンニ風のお殿様だな、と思います。少し声が重たい上に、堂々とし過ぎるという感じ。スザンナ役のヒルデ・ギューデン(Sp)は、予想どおり甘い声で耳をくすぐりますが、1幕の半ばではやや声の諸所にエッジを感じる瞬間がありました。そしてケルビーノ役のシュザンヌ・ダンコ(Sp)は、ここでは良さが余り伝わってきません。

1959年盤:カルロ・マリア・ジュリーニ指揮、フィルハーモニア管
フィガロ役のジュゼッペ・タディ(Br)は、声が有り余ることは良くわかりましたが、1幕の始めのところ、まるで馬方の声か、と思いました。スザンナ役のアンナ・モッフォ(Sp)は随分良い役を貰ったと思います。モッフォは何でも良いからエリザベート・シュワルツコップ(Sp)と共演したかったでしょうし、声に力を要求されない役(スープレット)を歌う時は聴き手をホッとさせます。妻は「ここのモッフォはなかなか良いと思うわ」と感想を述べました。そしてケルビーノ役のカラヤン盤セナ・ユリナッチ(Ms)は少し老けて聴こえました。

3.伯爵夫人の嘆きの比較

1952年盤:ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ウイーン・フィル
この最初の伯爵夫人のアリアは速度が極端に遅い。エリザベート・シュワルツコップ(Sp)の声に聴き惚れると言うより、シュワルツコップが如何に歌うか、注意深く聴きました。その声は万全ですが、万全に歌おうという意志の力に寄っているようです。シュワルツコップは驚く程の忍耐力でここを乗り切っています。

このアリアはかつてレナータ・テバルディ(Sp)の告別演奏会の先頭の曲として歌われ、シミジミと聴いたものです。これがテバルディとの実質的なお別れだろうと思うと、どんなフレーズも逃さじ、という姿勢で生の声を聴きました。そういう特殊なケースを経験した後でシュワルツコップの同じ歌を聴くと、何か呑気だな、と思ったのも事実です。そのシュワルツコップ自身の告別演奏会も生で聴きましたが、記憶に残ったのは大きく体を揺さぶって歌う人だな、と言うこと。

1955年盤:エーリッヒ・クライバー指揮、ウイーン・フィル
伯爵夫人役のリーザ・デラ=カーザ(Sp)が少し弱い。あの第2幕開幕のアリアも弱い印象です。そしてヒルデ・ギューデン(Sp)ももっと魅力的かと思ったら、ただ歌ったという程度で、少しがっかりしました。何よりチェーザレ・シェピ(Bs)のフィガロが「役違い」と言いたいところ。シェピの輝きを備えた声は、それ自身が値打ち品ですが、フィガロにはどうも相応しいとは思えません。音が低過ぎるのです。其の分、伯爵が頑張ってくれるかと思いきや、軽めの声。実際、伯爵役のアルフレード・ペル(Bs)の声は余り思わしくない。声の対比を考えてキャストを組むことが肝要です。この複雑な第2幕、庭師アントニオやヒルデ・レッスル=マイデン(Ms)の歌うマルチェリーナまで登場する場面は、画像ぬきでは楽しみ難いのではないでしょうか。私に取ってはこの曲の全体は大変すばらしいものの、このCDはキャスティングが良くないのでは、と思います。途中で「魔笛」を彷彿させる旋律が響きます。

1959年盤:カルロ・マリア・ジュリーニ指揮、フィルハーモニア管
エリザベート・シュワルツコップ(Sp)がカラヤンほど遅くはないテンポで歌い始めます。その歌の半ばで、ジュリーニのテンポが速いため、シュワルツコップがようやく追いついています。結局は両者はヌキツヌカレツになります。フィオレンツア・コソット(Ms)の歌ですが、これはいけない。まるで声楽コンクールで歌うような、一人だけが舞台中央に立って、見せびらかすように歌う、という感じ。「フィガロの結婚」は決して単独では成功しないのです。ただし、そのあとのケルビーノ役コソットとスザンナ役アンナ・モッフォ(Sp)の2重唱は巧みなジュリーニの棒さばきと相まって、なかなか聴かせます。巧いし、面白い。またフィガロ役のジュゼッペ・タディ(Br)の声はフィガロとしてはやや重たいな、という感じ。軽やかさがほとんど感じられません。フィガロって軽いというか、時として軽薄にも見える所がありますね。このフィガロでは伯爵役のエバーハルト・ヴェヒター(Br)との声の対比が尽き難いのです。伯爵はいわばヒステリーを起こして伯爵夫人に当たりますが、その疑いが晴れて、伯爵自身の無節操が疑われる時には女性陣(伯爵夫人とスザンナ)は強く、シュワルツコップの怒りの声がリンリン響きます。なるほど、だからシュワルツコップに「ドン・ジョヴァンニ」のドンナ・エルヴィラを歌わせたのだな、と思う次第。アントニオ役のピエロ・カップチルリ(Br)の声は少し軽すぎるのではないでしょうか。でも声の対比は一番付いています。幕切れ近くの「結んで開いて」を彷彿させる音楽は印象的でした。

4.ニ組のカップル誕生と舞踏の比較

1952年盤:ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ウイーン・フィル
スザンナ役のイルムガルト・ゼーフリート(Sp)の歌に魅惑されました。彼女の声をじっくり聴こうとしたのはここが初めてですが、ナカナカ良いと思います。ここでエリザベート・シュワルツコップ(Sp)を聴いているうちに、どうも独唱会みたいな歌唱だな、と思いましたが、後に修正。つまりあの強い声で伯爵夫人を歌われると、思い出されるのがその前身であるロジーナ(ロッシーニ「セヴィリアの理髪師」)でした。ロジーナのような性格(攻撃的な、やや野蛮とも言える策略屋)なら、ここでのシュワルツコップの歌も理解できます。あとで聴くキリ・テ=カナワ(Sp)は生まれながらの貴婦人という態度でした。それでも構わないのですが、やはりボーマルシュの3部作(セビリアの理髪師、フィガロの結婚、罪ある母)という視点も忘れてはならないだろうと思います。伯爵を歌うジョージ・ロンドン(Bs)はもう少し声が何とかならないか、と思いました。色々有りましたが、あの結婚式に向かう2組の背後に鳴る舞踏の音楽とそれに続く行進曲の音楽、これらは本当に天国の音楽です。カラヤン万歳と言いたいところ。

パーティのBGMとして、これに対抗できるのはJ.S.バッハの管弦楽組曲の2番と3番の両冒頭ですが、2番の荘重な響き、3番の高貴さを伴う響きと比較して、モーツアルトのこの結婚式に向かう音楽は、何と庶民の音楽になっていることでしょう。素晴らしいモーツアルトです。又思い出すのは、昔職場で○○講習会の100回記念のパーティを開いて、歴代の関係者を招いた時のこと。私は音楽を担当しましたが、もちろんこの結婚式に向かう音楽を使いました。この頃から、どう処理すればあの声の入った音楽から、管弦楽だけを引き抜くことができるか、と悩んだものです(結局、短い部分だけ取り込みました)。声が入っても構わないとは思うのですが、どうも声楽だけは敬遠する空気を察して、余計なこと(全くの!)をしてしまいました。

1955年盤:エーリッヒ・クライバー指揮、ウイーン・フィル
クライバー指揮の同じ場面では、伯爵役のアルフレード・ペル(Bs)の声がいささか古い気がします。また応答を聴いていると、まるで馬方みたいで、伯爵らしくありません。女性陣のスザンナ役のヒルデ・ギューデン(Sp)と伯爵夫人役のリーザ・デラ=カーザ(Sp)の2重唱は実に美しく歌われました。これは行けそう。伯爵夫人が一人で歌う場面は、当初は良いのですが、それがクビの長い女性(不思議とそのような姿がメに浮かびます)がひとり悦に入っているような雰囲気があります。フィガロ役のチェーザレ・シェピ(Bs)は、やはり声が立派すぎて、ここでは伯爵と区別がつきません。行進曲は素晴らしいのですが、クライバーは特定の音符にアクセントをつけるのでなく、少しずつオーケストラ全体の音を大きくしていく方法でやっています。私の趣味から言えば、ここは各フレーズ冒頭にアクセントをつけたカラヤン流の方がピンと来ます。それにしても、第3幕の終幕部は素晴らしい音楽だということを再確認しました。またクライバーの指揮に全的な信頼を置いて来たのですが、ここで初めて他の表現法もあるかな、という気持になりました。

1959年盤:カルロ・マリア・ジュリーニ指揮、フィルハーモニア管
ジュリーニ指揮の同じ場面。最初に気づいたのは、エバーハルト・ヴェヒター(Br)の伯爵の声の立派なこと!こういうのが貴族の声ではないでしょうか。少し金属の粉をまぶしたような声。そのため、フィガロ役のジュゼッペ・タディ(Br)が霞んでしまいます。伯爵夫人役のエリザベート・シュワルツコップ(Sp)は1952年盤より弱めて歌っていますが、この方が良いと思います。どこをとっても落ちがありません。またスザンナを歌うアンナ・モッフォ(Sp)の歌のうまさも十分に感じ取ることができました。其の分、フィオレンツア・コソットの歌うケルビーノの影が薄くなりました。マルチェリーナ役のドラ・ガッタ(Sp)の声もここでは意外なほど立派。そして結婚式へ向かう行進曲は相変わらず素晴らしい。

5.大団円の比較

1952年盤:ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ウイーン・フィル
カラヤンの指揮のテンポがぐっと遅くなります。それで正解なのですが、実に幸せそうな結末でした。カラヤン盤はレチタティーヴォ・セッコを省いているためか、かなり有名な歌が省かれています。でもそれも尤もらしいな、と思います。バルバリーナ役のアリアは残しても良いけれど、マルチェリーナ役のアリアや、音楽教師バジリオ役のアリアなぞは無くても良いと考えるからです。それらを省いた結果、この第4幕はぐんぐん先にすすみ、アッと言う間に終曲を迎えます。やはりこの終曲部はハイライトですね。

1955年盤:エーリッヒ・クライバー指揮、ウイーン・フィル
クライバーの指揮はステレオ録音であることを含め、なかなか素晴らしい。フィガロ役のチェーザレ・シェピ(Br)は意外にもここで尤もらしく響きます。その代わり、伯爵夫人役のリーザ・デラ=カーザ(Sp)が弱いようです。また伯爵を歌うアルフレード・ペル(Bs)の歌からも、劇の進行に伴う伯爵の心情を感じ取ることは難しいと思います。スザンナ役のヒルデ・ギューデン(Sp)は、第1幕の幕開けの場面で、素晴らしい声を聴かせましたが、ここでは少し条件がつきます。つまりスザンナは立派な女中ですが、もう一つ、少しチャッカリしたところを備えているのかも知れません。ギューデンの声からはそう思わせる音色が聴き取れます。そうでなくて、もしスザンナはひたすらに奥様に忠実な女中だとするなら、ギューデンでなく、カラヤン盤のイルムガルト・ゼーフリート(Sp)の方がスザンナとして適役だろうと言うのが、私の仮の結論です。

1959年盤:カルロ・マリア・ジュリーニ指揮、フィルハーモニア管
ジュリーニの指揮はクライバーより、もう少しドラマが感じられます。バルバリーナの独唱はこれで尤もらしいと思いますが、マルチェリーナの「雄ヤギと雌ヤギは仲が良い」なんて歌はカットされている?もう一度確かめないと。フィガロ役のジュゼッペ・タディ(Br)の声はやや魅力に乏しい。エリザベート・シュワルツコップ(Sp)が登場した後は、伯爵夫人の声だけは例え合唱でも全体に押されませんので、その声は良く分ります。スザンナを歌うアンナ・モッフォ(Sp)の声ですが、何となく、楽しいような、楽しくもないような、どっち付かずの印象が残りました。スザンナの本性はどっちなんでしょうか。妖怪?それとも忠実?スザンナみたいな奥女中には両方の要素があるのでしょうか?伯爵の負けが確定するところの流れが、今ひとつ掴み難かった。しかしフィナーレを聴くと、ああモーツアルトだな、という印象だけが残ります。いっそあの素晴らしい第3幕の幕切れに、全体のフィナーレを付けてしまったら、と乱暴なことも考えました。しかし、それでは伯爵夫人とスザンナのいたずらの意味が無くなりますから、その復讐劇を挿んでからフィナーレに進みましょうか。

マリナーの抜粋盤について

1985年抜粋盤:ネヴィル・マリナー指揮、イギリス管
オマケとして、ネヴィル・マリナー指揮イギリス室内管弦楽団の「フィガロの結婚」抜粋盤も聴いてみました。マリナーは昔ヴィヴァルディ「四季」を引っ提げての登場が余りに衝撃的(私にとって)だったので、マリナーの指揮だったら室内楽だろう、と勝手に考えてしまいます。ですがその初回の印象というのは、それほど違っていないのでは。少なくともマリナーが指揮するドイツ・ゲルマンのドロドロしたワーグナーなんて、想像し難い。でも案外、「ローエングリン」とか「トリスタンとイゾルデ」なんて面白いかも知れません。その代わり、切符をただで貰っても気が進まないのは「ニーベルンクの指環」かも。N響は色々な曲にマリナーをよく招聘していますね。「フィガロの結婚」では何と言っても、全体のテンポの速い遅いが問題であり、どこにハイライトを置くか、どこはサッと済ませるか、というところの勝負が肝心です。全体のセンスが問われると思います。オーケストラは余り重い大編成でなくても可。その点、マリナーが指揮するイギリス管弦楽団は適当でしょう。

スザンナの歌うバーブラ・ヘンドリックスは昔コンサートで生を聴いたことがありますが、当時有名だったキャスリーン・バトルより応用範囲が広いかも知れない、と当時の私の日記に書いてあります。さて、実際に聴いて見ると僅か3小節でヘンドリックスのクセが分かりました。即ち「アー
ディオー、デルーサトー」(これは例え話)となるのですね。それが全編そうなっていました。女声陣が揃いも揃ってセロリの様な声の持ち主で、サラダにすると新鮮なモヤシみたいな、絶対絡まないけれど、やや筋っぽい声です。ルチア・ポップの歌う伯爵夫人の2度目のアリアは、もしそれだけならば立派な歌だと思いますが、「フィガロの結婚」の中のシーンだと思うと少し抵抗があります。ポップの声は「ヴィーシー、ールテー」(これも例え話)と響くクセがあります。ケルビーノを演じるアグネス・バルツアも随分クセのある歌い方でした。他の女声に合わせようとする時は良いのですが、一人になると俄然強くなってしまう。以上は全てマリナーの指揮が速過ぎるのが原因かも知れません。追いかける方が大変です。もう少し速度を押さえて、歌手達にも気を配って呉れないかな。

一番の不満は、第3幕の幕切れ近くの舞踏の音楽がこの抜粋盤に登録されていない点でした。あの素晴らしい音楽が!本当に誰がこのような選曲にしたんだか。それら全てを無視しますと、終曲部の合唱や弦楽器のトレモロも皆素晴らしく響きました。この「フィガロの結婚」はソプラノに重点を置いたのかも知れません。それぞれ透明感のある美しい声の持ち主なので、それにウットリする為のヴァージョンと思えば楽しめます。フィガロ役は時として(全部ではありません)伯爵役と役柄を交換できるかも。例えば第4幕のスザンナとの2重唱では伯爵も随分甘い声を出していましたし。

グラインドボーン音楽祭の画像

グラインドボーン音楽祭:(画像付き、第1幕)1971年盤:(ジョン・プリッチャード指揮、ロンドン・フィルハーモニー)
これは個人の館で演奏する「フィガロの結婚」らしく、舞台は小作りで、大道具類も必要最小限度しかありません。ここでフィガロ役を演じるクヌート・スクラム(名前から分かるようにノルウエー人です)の姿に微笑みを感じました。声楽的にどうということの無い声と歌でしたが、視覚が入ると違う、という良い例。実際後の方でもスクラムの振る舞いや、演技の仕方は如何にもグラインドボーンに相応しいものです。スザンナ役のイレアナ・コトルバス(Sp)はまったく暗い影の無い、天真爛漫なもの。それに比すと、ケルビーノ役のフレデリカ・フォン・シュターデ(Ms)の方は、まだオズオズとした感じが否めません。マルチェリーナ役はまるでドイツの田舎のオバさんという感じでした(想定している場所はスペインですが)。この「フィガロの結婚」全体の雰囲気は、スペインと言うより、オーストリアか南ドイツ風(やはり同じハプスブルク家の範疇)。

考えてみればグラインドボーンは凄いことをやるものですね。キャスティングは全くのインターナショナル。伯爵が英国、伯爵夫人がニュージーランド、スザンナはルーマニア、フィガロはノルウエー、ケルビーノはアメリカ、そして指揮者ジョン・プリッチャードは英国です。演出は英国のピーター・ホール。約60年近く前の出しものの配役を調べたら、ビルギット・ニルソン(Sp)が登場していましたし、ジョーン・サザーランド(Sp)も1960年に登場しています(但しモーツアルトではありません)。

グラインドボーン音楽祭: (第2幕、画像付き)1971年盤:(ジョン・プリッチャード指揮、ロンドン・フィルハーモニー)
ここではまずキリ・テ・カナワ(Sp)の伯爵夫人が嘆きの歌を歌います。考えてみれば、ストーリー上この前の話であるロッシーニ「セビリアの理髪師」では伯爵は(軽薄な)テノールだったのに、モーツアルトの作曲に切り替わった途端にバリトンになっています。話の上でも伯爵が歳を取ったと言うべきでしょうか。テ・カナワは豊かな声で、これだけ出れば(ヴェルディ「椿姫」と比較しています)悪口も出て来ません。全体として言えるのは、イレアーナ・コトルバス(Sp)の演じるスザンナの縦横無人な活躍でしょう。録画したオペラでは、伯爵だって、フィガロだって、皆が十全に思えてしまうのですよ。妻は「この場面でこういうことを歌っているとは分からなかったわ」と感想を述べましたが、イタリア語の早口でペチャクチャと喋るレチタティーヴォ・セッコは言語まで理解しないと本当の所は分かり難しいことを痛感しました。私自身もこの場面は耳だけでは分からなかった。

グラインドボーン音楽祭:(第3幕、画像付き)1971年盤:(ジョン・プリッチャード指揮、ロンドン・フィルハーモニー)
此処で感じたのは、イレアーナ・コトルバス(Sp)の巧さです。本当に仕草も出来るし声も立派。それに対してキリ・テ=カナワ(Sp)の方は仕草が少し堅い。演技らしい演技をしていません。ただテ=カナワの声はピンと張る上に、 豊暁さを備えた大きな声です。これは良かったと思います。伯爵は煩悶するあたりの演技が上手。なにより良かった場は、フィガロとスザンナ、またバルトロとマルチェリーナの結婚式に向けて、舞踏のために大勢の村人達が集まるところ。そのフィガロの的確な演技。そこで行進曲がなり始めた時、昔私の職場であった出来事(前出のパーティ)を思い出しました。本当にこの行進曲の場面、舞踏の場面は出色で素晴らしい。

グラインドボーン音楽祭:(第4幕、画像付き)1971年盤:(ジョン・プリッチャード指揮、ロンドン・フィルハーモニー)
そして第4幕は、色々な登場人物に歌う機会を提供する、という意味があるようです。フィガロ(クヌート・スクラム:Br)やスザンナ(イレアーナ・コトルバス:Sp)の歌はもう結末が分かっていますから、安心して聴けますし、伯爵の怒りも伯爵夫人の登場でケリ。そして全ての人々がフィガロとスザンナを祝福するというハッピー・エンド。この場面の演出には感心しました。さすがピーター・ホールの演出です。こういう小規模の舞台作りも良いものだな、との印象が残ります。ただし「フィガロの結婚」に残る疑問点として、「無くしてしまってどうしよう」とか「雄ヤギと雌ヤギは仲が良い」、「人世経験も乏しく」というバルバリーナ、マルチェリーナ、バジリオの歌は、なぜそこにあるのか分かりません。恐らく初演の際の契約にあったのを果たそうとした結果ではないでしょうか。無くても良いか、と思います(やや乱暴な私見です)。

ここでふと感じたのですが、テ=カナワ(Sp)は少し演技を遠慮しながらやっているな、と思います。声自体は堂々と出ていますから、演技にもっと熱をいれても良いのでは。髪が黒色ですが、これは金髪の方が貴族らしいのに、と感じました。そう言えばエリザベート・シュワルツコップ(SP)だって、昔一度だけ「ドン・ジョヴァンニ」のドンナ・エルヴィラを演じるのに文字通り(Schwartz Kopf=黒い頭)黒い髪色で出たそうですが、その際の評判は悪かったと聞きます。

そして最終場面では人々は松明をかかげて庭を走り回り、いよいよ結婚式を上げる準備をし、その中で全体の話は終わります。そのきっかけとなった伯爵の謝りの言葉「Contessa perdono(伯爵夫人よ許して呉れ)」は何と素晴らしい言葉でしょうか。

全曲が終了してカーテン・コールを受ける順番は、フィガロ、スザンナ、伯爵夫人、伯爵でした。フィガロは、他にも良い例がありそうですが、でも視覚的要素を含めるとスクラムのフィガロ役は良い線を行っていました。クンツが音域に限界がありそう、と前に書きましたが、スクラムにはそう言う制約がありません。やはりオペラは画像があった方が分かり易いことは確かです。ただ、画像向きの歌手が必ずしも素晴らしい歌唱ぶりを示すとは限らないのが、悩みのタネ!「フィガロの結婚」で明らかにされた点、それは成功と不成功を分けるのは、やはり指揮者ですね。

千葉のF高

ここであり得ない、私流の理想の配役を示します。

フィガロ エーリッヒ・クンツ(B)またはクヌート・スクラム
スザンナ イレアナ・コトルバス(Sp)またはイルムガルト・ゼーフリート
アルマヴィーヴァ伯爵 エバーハルト・ヴェヒター(B)
伯爵夫人 エリザベート・シュワルツコップ(Sp)
ケルビーノ アグネス・バルツア(Ms)
バルトロ フェルナンド・コレナ(Bs)
マルチェリーナ ヒルデ・レッセル=マイデン(Ms)
指揮者とオーケストラ ヘルベルト・フォン・カラヤン(1950年代の)、ウイーン・フィル






(173) モノローグ モーツアルト讃歌

もうゴチャゴチャ言うのは止めましょう。音楽が本当に素晴らしいのです。特に第3幕の行進曲の終りから2つ目のところ、一体どうしてモーツアルトはあの旋律を考え出したのでしょう。さらにそれに続くポルカ風の舞踏音楽!あれがポルカかどうかは私には分かりませんが、例えばポルカとしておきましょう。そして最後に出て来る全員の合唱の、何とも表現できない素晴らしいリズム感あふれる旋律。それらをつなぐ音楽のさらなる素晴らしさ。大団円の近くの、弦楽器の弱いトレモロみたいな音が繰り返されるところの魅力!何をとっても天才の作品です。本当にモーツアルトは凄い人です。これ以上私は何を言ったら良いのでしょうか?(ここでは『検事の耳』が死んでしまいました。まずは聴くものを捉えるのは『弁護士の耳』です!)。

この「フィガロの結婚」は様々な雑音を蹴散らすような、そして敵をも味方にしてしまうような、素敵な作品です。それも30歳そこそこの男の作曲したものです。
千葉のF高

(「フィガロの結婚」の節の終り。次回からは「魔笛」です)













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