3月11日に日本を襲った東北関東大震災にはビックリしました。私は当日某大学病院で歯医者に掛かっていたのですが、呼ばれてイスに座り今日の治療は、と医者がメスみたいな小棒を取り出したら頭がグラグラしたので、これはめまいだろうか、と思った途端です。大揺れが始まり、医者もこれは危ないから今日は止めましょう、と言い出したのです。そこは大きなビルの地下室だったのに、これだけ揺れるのは恐ろしい。足がすくんで早々に逃げ出しました。そうしたら待合室が大揺れ、絵画が落ちて来るかもしれないから、そこはダメ、もっと中央に、と衛視が呼びかけるのですが、皆々無視して一斉に逃げ出す構え。あとで聞いた所、震度6だとか!今までで最大の揺れの経験でした。

クルマで迎えに来た妻は直ぐに見つかったので、私も追いかけて行き、ほぼ全員が棒立ち。ようやくクルマで逃げ出したら、地震のため停電で信号が止まっています。何とか暗やみの中をノロノロと進み、交通警官が手信号でやっているのに従いました。何といっても我が家に戻るには、津波のくる海岸よりを走るしかありません。それでもいつもより2時間余計にかけて、無事に自宅へたどり着きました。

心配していたオーディオ機器類は皆大丈夫でした。大きいスピーカーは重さを考えて大丈夫だろうと思いましたが、小型スピーカーの方はスタンドの上に乗せただけですから気を揉みました。CD類も床に落ちたかと思ったら無事。だた、翌日風呂の水を入れたら少し濁っていた程度。千葉市から約100kmの我が家は特殊な地層上らしく、地震に対してフィルターがあるようです。

翌日ノルウエー人の古い友人からメールが入っていて、「このメールが届くかどうか分からないが、安全であることを願う、あなたの友U」と書いてありました。こういうメールは嬉しいものです。国内では大震災の起きる直前に、岡山から仙台に引越したばかりの古い友達にメールを打った所、大揺れに揺れたけれど大丈夫だ、という返事が届きました。鳥取の友人からは何か送ろうか、との問い合わせ。メールのお蔭で世界中とすぐ連絡がとれます。まだまだ地震に伴う原子炉の話が続いています。野菜と飲料水はどうなるのでしょうか。





「魔笛」のCD比較(1/2)        2011.3.22
ここからモーツアルト・シリーズは「魔笛」に入ります。これはモーツアルトの最終期の作品(実際には「魔笛」のあと、「皇帝ティトの慈悲」を完成させています)ですが、実質的にモーツアルトの最後のオペラと考えても良いでしょうか。モーツアルト35歳の作品。生涯に17曲のオペラを完成させ、そのうち4曲(バスティアンとバスティエンヌ、劇場支配人、後宮からの逃走、魔笛)だけをドイツ語で書きました。私自身は、20代の始めころ、日曜日毎に、コンピュータ・プログラムの修正等をしながら、その背後に「魔笛」のレコードを掛け流しておりました。また友人達と初めてオペラを観に行ったのが、二期会のやった「魔笛」でした。

今でも私の自宅に旧友達が集まって「魔笛」の話になると、その時の印象が披露され、「あの貧相な衣装」とか演出の貧弱さがヤリ玉に上がります。実際、その時の「夜の女王」役はベルリン帰りの人でしたが、あまり高音は自由でなく、物々しい衣装とメークアップながら、声はついに最高音(F)までは出ませんでした。そういう時、私は自分が選んだ演目だけにチョッと後ろめたさを感じながらも、「でもあの時分は仕方が無かったんだよ」と言い訳しております。私も「魔笛」は当時のテレビ番組等から得た程度の知識しかなく、説明を求められて、あわてて本屋に走りピアノ・スコアを買って読み、予習してから二期会の「魔笛」に出掛けました。








(174)モノローグ「魔笛」について

様々な工夫
このオペラ、鳥の羽根に覆われたパパゲーノが出て来たり、3人の童子が雲にのって現れたりするので、幼児でも楽しめるところがあります。WEBには、オーストリアでは「人生で最初に接するオペラ」、と「魔笛」を紹介する記事があります。目で観ても楽しめる上に、ワクワクするような旋律や、鳥や蛇などの動物も登場するので楽しい。しかし、「魔笛」はそれだけではないのです。先に述べた「夜の女王」の最初のアリアはどんなイタリア・オペラより高い声を要する難曲ですし、技術的にも難しく、大変な曲です。大変親しみ易く、そして物凄く難しい曲。ああいう音の階段は滑らかにレガートで歌うのも良いし、逆に階段のエッジを立ててキリキリと歌うのも良いと思います。私自身はどちらかと言えば後者が好き。その方が、「魔笛」全体としての夜の女王のイメージと一致します。もしこれを歌い分けて、2ツあるアリアのうち最初の方で滑らかさ、切なさ、哀しく訴えるさまを強調し、後のアリアの方では復讐や、怒り狂った心をキリキリと歌うのなら、本当に驚異的な夜の女王になりますが、実演でも録音でも、そういう歌い分けはまだ聴いたことがありません。

初期にTVで観たのは畑中良輔氏のパパゲーノ。ただし畑中氏は当時から少し中年太りだった(失礼)し、一般にパパゲーノ歌いと言われる人は殆どが中年太りです。まずい! ここで鑑賞に堪えるような体形をしたクヌート・スクラムとかチェーザレ・シェピのような人が演じたら良いのに、と考える次第。3人の童子役は大概は大人の女声に頼っていますが、あれだって本来のボーイ・ソプラノ(ベルイマン監督の映画や、ショルティ盤はボーイ・ソプラノです)だったら良いのに、と思います(実際には、歌う勤務時間が深夜に及ぶので、不可能)。それでも第1幕第1場でパパゲーノとタミーノ、そして3名の侍女と夜の女王、と次々と現れるところは圧巻ですね。そして第1幕第2場に至ると黒人モノスタトスが登場し、舞台はエジプトっぽくなります。これらはしっかりした演出があれば、確実に観衆の目を釘付けにできます。演出計画が肝要! めまぐるしい程の変化と、それぞれに珍しい人間の姿、これで子供の目を引きつけられないはずがありません。手練手管を尽くし、子供達でも退屈しないように工夫してあるのが「魔笛」。

これが第2幕に入るや否や全体がザラストロの支配に屈してしまう。これは返す返すも残念です。音楽は良いのですが、あのプロットの醸し出す教訓臭さに、私はうんざりしてしまいます。音楽の作曲が進んでいるのに、途中で劇の進行プロットが変更されたからですね。という訳で、私が楽しんで聴くのは主として第1幕です。第2幕でも2人の武士が歌う壮大な2重唱とか、夜の女王の怒り狂う歌とか、素晴らしい音楽が次々と飛び出して来ます。でも、基本的にそこはザラストロの世界。尤もらしいが、しつこく、重厚壮大な一方、面白くもへったくれも無い結末になってしまう(これは全く私の独断です)。第2幕で初登場するモノスタトスって、英語で言えばモンスター(化け物)ですし、ザラストロとは拝火教徒のゾロアスターでしょう? と書くと色々物議をかもし出すかも。

「魔笛」の筋立て
第1幕の時代は大昔。世の中は夜を支配する夜の女王と、昼を支配する昼の王がいました。両者の間にはパミーナという娘がいました。やがて昼の王が亡くなり、その後を継ぐのがザラストロ(プロットが混乱して、まるでザラストロがパミーナの父親のように思っている方は御注意)。ストーリーの始め、ある国の王子タミーノは大蛇に追いかけられ、逃げ回っています。恐怖のあまり失神してしまったところ、夜の女王に仕える3人の侍女が現れ、大蛇を殺してタミーノを救います。そこにやって来たのがパパゲーノ。彼は自然児で、自由に鳥を捕らえては夜の女王に献上し、その代償としてパンやワインを貰って生計を立てています。彼が、目を覚ましたタミーノに問われ、大蛇もパパゲーノ自身が殺した、と説明します。このウソに怒る3人の侍女達は、パパゲーノに罰を加えますが、そこに現れたのが夜の女王その人。娘を拉致された悲しみを歌い上げます。タミーノとパパゲーノはザラストロの宮殿に押し入る約束をして、一緒に救出に出掛けることにします。侍女達は魔法の笛と、危機から救い出してくれるグロッケンシュピール(チェレスタみたいな楽器)をタミーノ、パパゲーノに渡し、さらに3人の童子の乗った「空飛ぶ雲」の後をついて行くように申し渡します。(ここまでは別段不思議でも無いのですが、それはプロット作者が最初はそのように書き、モーツアルトはそれを忠実にオペラ化したからです。ところがプロット作者はここで別の考えに基づき、悪玉だったザラストロを善玉の修道者にしてしまい、逆に善玉だった夜の女王はヒステリーを起こした哀れな女として悪玉にしてしまいました)

第2幕でパミーナはザラストロの集団の中にいますが、パミーナにはまだなぜ自分が此処に、という疑問が解けません(解けるはずが無い。ザラストロのやり方は拉致ですから)。タミーノは修道士たちから試練の大切さ、その難しさを刻み込まれ、もうすっかりザラストロの手中です。夜の女王の侍女達が現れ、なぜそこに居るのですか、と聴きますがもう手遅れ。パミーナの目の前には夜の女王本人が現れ、父親手製の短剣を与え、あのザラストロを仕留めるように、と命じて消えます。パミーナは躊躇いを見せますが、そこに現れたザラストロから静かに時を待て、と言われます。試練は続き、タミーノとパパゲーノは沈黙を守るよう教え込まれます。じっと我慢すれば、タミーノはパミーナを伴侶として得られ、またパパゲーノはパパゲーナを伴侶として得られることを告げられます。タミーノはそうしようとしますが、パパゲーノの口を塞ぐのは大変なこと。おまけにパパゲーノの目の前にはパパゲーナが変装して現れたりして、撹乱します。一方パミーナは沈黙を強いられたタミーノに何も聴いて貰えないので絶望しており、手にした短剣で自らの命を断とうとしますが、あの雲に乗った童子達によって止められます。ついにパミーナはタミーノと共に修練を積むことを許され、これから一緒に行くようにと言われます。多くの悪霊達のいる炎の中に入って行きますが、両人は修練に耐えました。また夜の女王とその一群は最後の勝負に出ますが、あたわず、地面の割れ目に落ちて行きます。一方パパゲーノはそういうことに関心無く、パパゲーナと一緒に森の中に走って行って子沢山になったというストーリー。

千葉のF高








(175)モノローグ 録音の比較

決して嫌いでは無いオペラ、そして音楽的には万全だと思うオペラ、しかしプロットにやや面倒クサさ、お節介さを感じているオペラ、それが私にとっての「魔笛」です。全部で11種類のCDとLDが私の手元にあります(実はモーツアルトでは「魔笛」が一番多い)。ざっと眺めると古いものが多いですね。でも世の中にはもっと古い録音(サー・トマス・ビーチャム指揮の1937/8年の録音等)もあります。私は1990年代を最後に「魔笛」を購入していません(そしてこの1990年頃を境にして、ノン・クラシックの歌謡曲に対する興味も失いました)。それではその11種類を比較試聴してみましょう。先ず歴代(1950年〜1990年代)の「魔笛」のうち私の持っているものを録音順に下に並べます。

1952年盤:ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ウイーン・フィル、英EMI、CHS-7-69631-2
タミーノ:アントン・デル=モータ
パミーナ:イルムガルト・ゼーフリート
パパゲーノ:エーリッヒ・クンツ
夜の女王:ウイルマ・リップ
ザラストロ:ルートヴィヒ・ウエーバー
弁者:ジョージ・ロンドン
第1の侍女:セナ・ユリナッチ
パパゲーナ:エミー・ローゼ
モノスタトス:ペーター・クライン


1953年盤:ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、イタリアRAI響、ウラニア、URN-22-237
タミーノ:ニコライ・ゲッダ
パミーナ:エリザベート・シュワルツコップ
パパゲーノ:ジュゼッペ・タディ
夜の女王:リタ・シュトライヒ
ザラストロ:マリオ・ペトリ
パパゲーナ:アルダ・ノニ
モノスタトス:アントニオ・ピリノ


1955年盤:カール・ベーム指揮、ウイーン・フィル、英デッカ、448-734-2
タミーノ:レオポルド・シモノー
パミーナ:ヒルデ・ギューデン
パパゲーノ:ワルター・ベリー
夜の女王:ウイルマ・リップ
ザラストロ:クルト・ベーメ
僧:パウル・シェフラー


1955年盤:フェレンス・フリッチャイ指揮、RIAS響(現在のベルリン放送響)、独グラモフォン、435-741-2
タミーノ:エルネスト・ヘフリガー
パミーナ:マリア・シュターダー
パパゲーノ:ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ
夜の女王:リタ・シュトライヒ
弁者:キム・ボルイ
モノスタトス:マルティン・ヴァンティン
パパゲーナ:リーザ・オットー
第1の侍女:マリアンネ・シェッヒ
第3の侍女:マルガレーテ・クローゼ


1959年盤:ジョージ・セル指揮、ウイーン・フィル、ガラ、GL-100.502
タミーノ:レオポルド・シモノー
パミーナ:リーザ・デラ=カーザ
パパゲーノ:ワルター・ベリー
夜の女王:エリカ・ケート
ザラストロ:クルト・ベーメ
弁者:ハンス・ホッター
パパゲーナ:グラツイエラ・シュッティ
モノスタトス:カリ・デンク
第3の侍女:ジークリンデ・ワーグナー


1964年盤:オットー・クレンペラー指揮、フィルハーモニア管、東芝、TOCE-9121-22
タミーノ:ニコライ・ゲッダ
パミーナ:グアンドラ・ヤノヴィッツ
パパゲーノ:ワルター・ベリー
夜の女王:ルチア・ポップ
ザラストロ:ゴットロープ・フリック
弁者:フランツ・クラス
第1の侍女:エリザベート・シュワルツコップ
第2の侍女:クリスタ・ルートヴィヒ
第3の侍女:マルガ・ヘフゲン
モノスタトス:ゲルハルト・ウンガー
パパゲーナ:ルート・マルグレートピュッツ
第2の童子:アンナ・レイノルズ
第3の童子:ジョセフィン・ヴィージー


1969年盤:ゲオルク・ショルティ指揮、ウイーン・フィル、ポリドール、F90L-50230-2
タミーノ:スチュアート・バロウズ
パミーナ:ピラール・ローレンガー
パパゲーノ:ヘルマン・プライ
夜の女王:クリスティーナ・ドイテコム
ザラストロ:マルティ・タルヴェラ
弁者:ディートリッヒ・フィッシャー=ディスカーウ
第2の侍女:イヴォンヌ・ミントン
パパゲーナ:レナーテ・ホルム
3人の童子:ウイーン少年合唱団
武士1:ルネ・コロ
武士2:ハンス・ゾーティン


1993年盤:アーノルド・エストマン指揮、ドロットニングホルム歌劇場管、スウエーデン、英デッカ、470-056
タミーノ:クルト・シュトライト
パミーナ:バーバラ・ボニー
夜の女王:スミ・ジョー
パパゲーノ:ギリス・カシュマイレ
ザラストロ:クリスティン・ジークムントソン


1987年盤(抜粋盤):ネヴィル・マリナー指揮、イギリス室内管、フィリップス、PHCP-10375
タミーノ:フランシスコ・アライザ
パミーナ:キリ・テ・カナワ
パパゲーノ:オラフ・ベーア
夜の女王:シェリル・スチューダー
ザラストロ:サミュエル・レイミー
パパゲーナ:エヴァ・リンド
モノスタトス:アルド・バルディン
3人の童子:テルツ少年合唱団員


1974年盤(画像付き):エリック・エリクソン指揮、スウエーデン国立放送響、(イングマル・ベルイマン監督)東芝、WV045-3508・9
タミーノ:ヨーゼフ・コルトリンガー
パミーナ:イルマ・ウルミラ
パパゲーノ:ホーケン・ハーゲゴート
夜の女王:ビルギット・ノーデン
ザラストロ:ウルリック・コード
弁者:エリック・サエデン
モノスタトス:ラグナール・ウルフンク
パパゲーナ:エリザベート・エリクソン


1983年盤(画像付き):ウオルフガング・サヴァリッシュ指揮、バイエルン国立歌劇場管、フィリップス、CDV-7001-2
タミーノ:フランシスコ・アライザ
パミーナ:ルチア・ポップ
パパゲーノ:ウオルフガング・ブレンデル
夜の女王:エディタ・グルべローヴァ
ザラストロ:クルト・モル
弁者:ヤン=ヘンドリック・ローテリンク
モノスタトス:ノルベルト・オル
第1の侍女:パメラ・コバーン
僧侶:クルト・ベーメ
パパゲーナ:グドルン・ジーベル


千葉のF高


まずLDを用い、映像付きの「魔笛」を全幕復習して、プロットの予習をしましょう。続いて「魔笛」の各論に入り、CDのそれぞれの部分を比較する方法をとります(もし途中で分からなくなったりした場合は、再度映像付きのものを観ることにします)。これらの作業に用いる映像付きのものは、スウエーデンのベルイマン監督の映画「魔笛」です。それらの作業が全部済んでから、改めて映像付きとしてのサヴァリッシュ指揮「魔笛」を観ることにしましょう。それでは第1幕の各論に入ります。そして第2幕の各論も済んだ時に、今度はLDを観て視覚を伴う「魔笛」全幕を論じます。








(176)モノローグ 「魔笛」第一幕の演奏比較.

1. 序曲〜タミーノの出発の比較

(1)1952年盤:ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ウイーン・フィル
カラヤンの指揮にしてはテンポが遅く、そこで歌われるアントン・デルモータ(T)のタミーノの声は少し歳取っているように聴こえます。夜の女王に仕える3人の侍女達は、いずれも声をセーブしているので、巧いのかどうかは分かりません。パパゲーノを演じるエーリッヒ・クンツ(B)の声は優しく、柔らかで、丸い感じの音です。それは夜の女王についても言えます。ウイルマ・リップ(Sp)の声は優しく響きますが、怒りを感じ取るのは難しい。ただ、それをどう評価するかは、聴く人に依りけり。

(2)1953年盤:カラヤン指揮、イタリアRAI響
同じカラヤンですが、聴いた瞬間にこれは前出のものと少し違うな、という印象でした。カラヤン・チームのイタリアでの演奏が何度かあったのですが、これはスカラ座で演奏した時期に、ローマまで出掛けて行なったコンサートの様です。弦楽器が滑らかに響きますが、人声はそれほど響かない気がします。また人声というので気がついたのですが、これはイタリア語でした!よくCD添付の資料を読むと、確かにセリフはイタリア人の俳優による、と書いてあるのです。あの長いセリフを覚えるのは大変だな、と思った瞬間でした。ここでのタミーノはニコライ・ゲッダ(T)で、声も表現もまだ若い。そして夜の女王はリタ・シュトライヒ(Sp)。これはスタッカートを多用したもので、割に正確でしたが、それでも最高音(F)に僅かですが達していないような感じを受けました。オーケストラをドライブする速さは前年(1952年盤)より速い感じ。

(3)1955年盤:カール・ベーム指揮、ウイーン・フィル
ここで夜の女王を歌うのは再びウイルマ・リップ(Sp)です。確かにコロラトウーラの技術はあるようですが、声が少し弱いかも。でも、まずまず。全体に音が良いのに感心しました。カラヤンのウラニア盤みたいに温泉場の中で聴くような、湿った響きの音とは違います。おまけに3人の侍女チームの歌の素晴らしさ。クリスタ・ルートヴィヒ(Ms)が第2の侍女を歌っています。これはカラヤン・チームよりベーム・チームの勝ち。しかもベームの指揮が適切というか、ツボを押さえています。これならベーム、ベーム、と一時騒がれた理由も分かるような気がします。実は今までベームは嫌いな指揮者として私の頭に分類されていました。あれほど歌手達から第一にベームと言われながら、私がそれにも関わらずベームは除外しよう、と思ったのは何故でしょうか。ビルギット・ニルソン(Sp)のようにカラヤン嫌いの人も、ベームは讃えているのに。

考えて見ると、ベームを嫌った著名人が一人いました。デッカの録音ディレクターだったジョン・カルショウですね。彼の書いた本(「ニーベルンクの指環」)を読むと言葉を尽くしてベームを貶しめております。なぜだろうか、と常に不思議に思っていましたが、カルショウの好みと合わなかったのでしょう。私はこの「魔笛」のCDを聴いて、ベームに対する評価を改めました。ドクトル・ベーム、済みませんでした、と言うところ。惜しむらくは、このCDはセリフ省略版です。そして3人の童子も成人した女声によって歌われます。レオポルト・シモノー(T)がタミーノを引き受け、「何と美しいこの絵姿」を歌いますが、これだけが欠点かもしれない。正直に申しますとあのような長い叙情歌を挿入した訳が分からないのです。恐れ多くも、もしあれがスタッカートを含む短めの歌だったらなあ、と思っております(済みません、他のモーツアルト・ファンの方々)。タミーノより、ワルター・ベリー(Br)の歌うパパゲーノの方がずっと魅力的ですよ。それも、思い切り良いところをさらけ出しています。

(4)1955年盤:フェレンス・フリッチャイ指揮、RIAS響(現在のベルリン放送響)
これはザルツブルクで年中やっている人形劇の「魔笛」で使用しているCDです。夜の女王は再びリタ・シュトライヒ(Sp)。当時はウイルマ・リップで無ければリタ・シュトライヒだったようです。そしてマリア・シュターダーがパミーナ役を歌います。これは逸品でした。素晴らしい。ディートリッヒ・フッシャー=ディースカウ(Br)がパパゲーノを担当しますが、少し老けたパパゲーノだなあという感じ。シュトライヒはまだある声を駆使しており、第1幕に十分な夜の女王でした。このCD ではセリフ部分の大半が俳優達によっていますから、その発声は明快そのもの。

ザルツブルクには人形劇場があって、毎晩のように人形劇とオペラのCDを組合せていますが、家内と私はその「魔笛」を観ました。その時、たまたま同じ公演を観たのがXXX機構のHx氏でしたが、彼は「魔笛」狂いの一人。フリッチャイの指揮は猛烈に速くなる箇所があります。考えてみればフリッチャイも、ジョージ・セルも、ゲオルク・ショルティも、みなハンガリー人です。なにか共通するものがあるでしょうか。フリッチャイのは、序曲やそれに続くシーンの管弦楽が、アジタートというか、アパッショナートと言うか、大急ぎで走るようなテンポです。言ってみればフーガ(遁走)そのものの感じ。ああいう指揮棒の振り方は何かベートーベンにこそ相応しい。そして全体に少しずつテンポが増していきます。そこで思い出したのがフェレンスという名前。これはニューヨークのYYY機構に居た同僚と同じファーストネームです!彼もハンガリー系だと聞きます。また、3人の侍女達は、ベルイマンの映画を除くと、最も心地よく響きました。ある箇所ではまるでシューベルトの「野ばら」を彷彿とさせるような旋律でした。

私は仕事でウイーンに何回か行きましたが、ある時の会場となったのはベートーベン・ホテルという小さなホテル。そこに米国、英国、フランス、スウエーデン等から合計7〜8名の者が集まって、英国から出る予定のXYZ規制がらみの条文の議論をしました。その場所と言うのが、実はアン・デア・ウイーン劇場の道路のお向かいです。パパゲーノ門があるところ。そう考えるとこの「魔笛」とはご縁があったと言うべきかと思います。アン・デア・ウイーン劇場では「魔笛」の他に、ベートーベンの「田園」や「運命」や「英雄」や、はたまたヨハン・シュトラウス「こうもり」やレハール「メリー・ウイドウ」、最近のミュージカル「キャッツ」をやった所として有名なんですね。これは後で知りました。

(5)1959年盤:ジョージ・セル指揮、ウイーン・フィル
セルの元気の良さが出ています。始めタミーノが登場するところなど、一体どうしたのだろう、と思う程のうろたえ振りでしたが、考えて見ればこれは大蛇(竜)に追いかけれていたのですから、ああなっても当然か、と納得。ワルター・ベリー(Br)の歌うパパゲーノは野性味がありますが、レオポルト・シモノー(T)の歌うタミーノと声質が似ているのでやや損をしているかもしれません。全般的に言えるのは元気一杯の「魔笛」でした。夜の女王はエリカ・ケート(Sp)が歌いますが、ケートのことを「あと少し品があればモーツアルト歌いとして絶品になるのに。でも目下のところドイツ切ってのスーパー・コロラトウーラと言うべきだろう」なんて言った昔の批評家を思い出しました。ところが最後まで聴いた後、全く批評家が正しく批評していたことを得心しました。なおこのCDでは、セリフのやり取りはカットされています。そしてこれはザルツブルク音楽祭の実況。

(6)1964年盤:オットー・クレンペラー指揮、フィルハーモニア管
これは実にまともな「魔笛」でした。音が良く響きますし、それを巧みに録っています。第1の侍女がエリザベート・シュワルツコップ(Sp)、第2の侍女がクリスタ・ルートヴィッヒ(Ms)、第3の侍女がマルガ・ヘフゲン(A)という一種のドリームキャストを組んだもの。この録音は私が大学2年生の時代ですから、私の耳には本当に「今」の録音と言えました。ワルター・ベリー(Br)が再々度パパゲーノを務めますが、少し大人っぽくなったパパゲーノでした。その点は野生児を表現したベームの1955年盤や、フリッチャイの1955年盤の方が上だろうと考えます(いずれもベリーがパパゲーノを担当)。そしてタミーノを歌うニコライ・ゲッダ(T)は力強く、妻はこれが気に入った様子。夜の女王のルチア・ポップ(Sp)は、声はしなやかだし、全ての音符を出すことに成功しています。ただ最高音(F)でもう少し余裕を見せれば、と思うのですが、それは贅沢。要するにこの「魔笛」は実にマトモな「魔笛」であり、しかも最も安定した指揮者クレンペラーを迎えたこともあって、全ての面がオーソドックスです。3人の次女達の声は良く訓練されたもので、それを聴くだけでも価値があるでしょう。豪華キャストですが、反面、セリフ等は省略されています。

(7)1969年盤:ゲオルク・ショルティ指揮、ウイーン・フィル
これは私の学生時代の愛聴盤で、これで私は「魔笛」に慣れましたし、初めてモーツアルトって良いな、と感じたもの。これを聴いていて、どう言おうかと迷いました。つまり何か欠点を探してアゲツラオウか、それはどこだろう、と考えて迷った次第。つまり、それだけこの「魔笛」は完成度が高いということです。妻は演奏のテンポを聴きながら「これは心地良いわ」と申しましたが、それは納得。序曲からして普段聞き逃しているような音もくっきりと聴こえます。最初に登場するスチュアート・バロウズ(T)の声は若々しく、ツヤがあります。これならアントン・デルモータ(T)(カラヤン1955年盤)で感じたような、この「何と美しいこの絵姿」のアリアには関心を持てない、なんてことは言いません。そしてパパゲーノを歌うヘルマン・プライの声にも魅了されます。このプライ(T)とワルター・ベリー(T)(1955年盤、1959年盤)の両人が双璧でしょう。少しテンポが速めだと感じた箇所はありました。そしてクリスティーナ・ドイテコムの夜の女王は、昔初めて聴いた時ほどの衝撃は無かったのですが、それでも後半の速いスタッカートで歌うカヴァレッタの歌いぶりは見事でした。ただし最高音(F)は僅かに(16分の1ぐらい)時間が短すぎました。あそこは歌い手は皆サッと済ませようとするのですが、聴く方はそこに顕微鏡をあてて、眼を見開き、耳を凝らす習性がありますので。

(8)1993年盤:アーノルド・エストマン指揮、ドロットニングホルム歌劇場管
キャスト表を見ると分かることですが、多くの歌手達は余り有名ではありません。ただ夜の女王を韓国のスミ・ジョー(Sp)が歌っているのと、バーバラ・ボニー(Sp)がパミーナを歌っているのが売りです。全体を聴いて気がつくのは古楽器の響きがあることですね。弦楽器の最後の響きに特徴あり。そしてジョーの夜の女王を聴くと、テンポの取り方で指揮者の意向も反映されているようです。最高音(F)に対する印象は前出のドイテコムと同様。でも、とても美しいソプラノ声だった上に、必要ならもっとピンと張った声でも出そうだと思いました。パパゲーノとタミーノは両者が共に年を取っているようで、魅力に乏しい。インターナショナルなキャスティングのせいかも知れませんが、ドイツ語の発音のエッジがあまり立っておらず、少し甘い様子。しかし3人の侍女達がパパゲーノを叱る声が次第に大きくなって行くのには感心しました。次の日にもう一度聴いてみたら、この古風な「魔笛」の響きに愛着を覚えました。

(9)1993年盤(抜粋盤):ネヴィル・マリナー指揮、アカデミー室内管
このキャスト表をみますと、なかなかの豪華版です。ただマリナーの指揮がかなり速いので、それが気になる人はご注意。各楽器は余り有機的に繋がっていない様です。それぞれ独立に、但し、セロリみたいに演奏していると感じました。

オラフ・ベーア(Br)のパパゲーノはショルティ盤のスチュアート・バロウズ(T)ほどではありませんが、ナカナカのシロモノです。フランシスコ・アライザ(T)のタミーノは声が小さい気がしますが、全体のバランスは絶妙。実際このキャストが、ザラストロ征伐に向かう時に「さようなら」を言う場面の重唱アンサンブルを聴いていると、タミーノとパパゲーノの声の対比も、三人の侍女達の声の対比も完璧なものと聴こえました。ははあ、マリナーはこの線をねらったか、と得心。つまり室内楽というか、声もまた楽器として全体の調和を狙っているようです。人間くさい声楽(ベームやショルティ等)と、人間臭さを消した声楽(マリナー等)の違いだろうと思います。当然ですが夜の女王を歌うシェリル・スチューダー(Sp)にもそれが当てはまります。スチューダーの声は響きが純粋で、音程も良い(決して完璧で無いとしても。無機的な発声をしていました)し、最後の最高音(F)に向かってぐいぐい進みますが、それはあくまで人間の声で可能かどうかを試すというより、全体の調和に貢献しているでしょう? と問いかけている感じ。

千葉のF高



これで第一幕の比較はほぼ終わりました。次の第2幕ではモノスタトスが登場し、ついにはザラストロが登場します。それらと画像付きのオペラを録ったものを、まとめて次回にお見せしましょう。

(「魔笛」1/2の節の終わり。次回は「魔笛」2/2です)













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