もっとモーツアルトを楽しもう(1)        2011.6.27
モーツアルトのオペラを論じる時は、モーツアルトの全分野の音楽に注意を払わないとなるまい、と思い、またそれらを全て聴くとなると626曲も聴かなければならないな、また絨毯爆撃か、と思って気が重くなっていました。しかし考えてみると、特に気に入ったものだけ聴けばいいのですね。全部というのは私の悪い癖で、実際にできなくてもそうしなければ、と考えるのです。全てを系統的に聴いて、それを系統的に纏めなければ気が済まなく、そのためにはどんな表を用意すれば良いだろう、等考えて悩むのです。しかし、ここではつまみ食いでも良いから、気になる曲、気になった曲、手を伸ばせばすぐCD等で聴ける曲だけを取り上げることにします。ああ気が楽になった。








(184)モノローグ「モーツアルト温故知新」

以下に並んだ曲はひょっとすると玉石混交かも知れません。例えばカール・ベームの指揮の評価ですが、私は彼に対する態度が変更されたことに気がつきました。それは戦後10年程度経たのちのベームは実に優れていることを認めますが、もっと大昔は必ずしもベームの指揮は一番ではないのです。ここに取り上げてある「フィガロの結婚」序曲は1939年の録音で、あんなに速くすることは無いのに、と正直言って感じました。速いなら速いで、全体を覆うような、ホワッとしたベールのようなものが欲しかったな、と感じた次第。それは指揮者も進化する動物だからではないでしょうか。と、エラそうに申しましたが、ベームだけでなく、寿命の長い音楽家を評価する場合に常に気にする必要があると考えると、コトは重大です。一方で短命だった音楽家(リパッティ、ヴンダーリッッヒ、デュプレ、そしてノイローゼに陥ったチェルクエッティも)の場合は割と評価が楽です。必ずしもその評価がその人の生涯を通して表現したかったことと一致するとは限りませんが。そしてモーツアルト自身にもそれが言えそう。モーツアルトが長い寿命を持っていたら、ということはあんまり考えたく無いのですが。

近い所にあったモーツアルトのCDに集中して、毎日聴いた試聴結果を報告します。CDは古いものが多いので、その点は恐縮です。LP等の試聴はやっていません。

千葉のF高








(185)モノローグ「近くにあったモーツアルトのCD(1/4)」

ピアノ協奏曲第20番、K466
ドイツ・グラモフォン、POCG-90460、1975年録音
フリードリッヒ・グルダ(Pf),クラウディオ・アバド指揮ウイーン・フィル
昨日までのCDの音の悪さを思うと、嘘みたい!少し堅い。特に第1楽章で目立ったのですが、キラキラと鋼鉄の音を出します。ある意味ではショパンを弾く時のポリーニと似ています。ペタルの使い方や、アバドの指揮ぶりとの相乗効果で、これは輝くんだと思った次第。第2楽章も第3楽章も同じ。アバドの音ってこういう音だったか。第3楽章ではちょっと前にきいたアルゲリッチのやや乱暴な指を思い出しましたが、こちらの方がずっと良いです。

ピアノ協奏曲第21番、K467
ドイツ・グラモフォン、POCG-90460、1975年録音
フリードリッヒ・グルダ(Pf),クラウディオ・アバド指揮ウイーン・フィル
ややペダルが目立つと思います。全体的に感じたのはスポーツ的快適さで一貫していたことでしょうか。その限りにおいて。グルダは素晴らしいテクニックを持っていると思いました。ピアノ協奏曲に限りませんが、モーツアルトの音楽はたとえ長調で書いてあっても、出始めの部分にほんのチョッとだけ、短調に聴こえるフレーズが混じります。

ピアノ協奏曲第20番、K466
アルトウーロ・ベネディッティ・ミケランジェリ(Pf)、コード・ガーベン指揮北ドイツ放送響、1989年録音、グラモフォン、UCCG-6014
この懐かしい協奏曲は聴くとつい耳をそばだててしまいます。モーツアルトの芸術を代表するのがオペラとピアノ協奏曲だと、最初に言った人が誰かは分かりません。決して技術的に困難な難曲と言う訳ではありませんが、この協奏曲は楽しく、ウキウキする曲です。コレ以外にも21番、23番、24番、27盤などが有名ですね。これらの曲を取り上げる演奏会を探そうとすると、実際にはその種の音楽会が少ない事に気がつきます。そもそもモーツアルトの演奏会なのにどうしてでしょうか。やはりせっかく開く音楽会だから、技術的な困難を乗り越えた証として開きたい、という演奏者の意思が働いているのかも、と素人は不謹慎なことを想像します。実際、モーツアルトを取り上げる事は鬼門です。かつて「コンペティション」という米国映画がありました。その中で結局はピアノ・コンクールで優勝してしまう女性が、モーツアルトの協奏曲を弾くと言ったときは驚きました。モーツアルトで勝負するの?と思ったものです。それくらい、モーツアルトの協奏曲は困難。決して技術的に難しいのでなく、モーツアルトらしく演奏することに巨大な困難があります。

子供にとってはやさしく、大人にとっては困難、とよく言われます。試しに、モーツアルトを取り上げたものがあるかどうかを我が家のレコード/CDのストック目録を調べたら、ホロヴィッツには一つだけ見つかりましたが、ルービンシュタインには一つも含まれていませんでした。この比較で思い出すのがスカルラッティのソナタを、どうして弾かないのかと聞かれたルービンシュタインが、あれはホロヴィッツみたいに純粋な人しか弾けないんだ、と答えたという話。またモーツアルト演奏家というレッテルを貼られた人には、それを嬉しいと思う人と、迷惑だと思う人がいるようです。エッシェンバッハなどは後者でしょうか。本人がそれについて述懐しています。演奏後、拍手が起きるよりはやく、お辞儀してしまうという気持ち。あせり。実際カーネギー・ホールでその現場を見てしまいました。今は指揮者に転向して頑張っていますが、気持ちの整理がついたでしょうか。それほどのプレッシャーを生むモーツアルト。

他方、自分はモーツアルトを弾きます、と正面から公言している人もいますね。その代わり彼等は技術の塊のような曲は見向きもしませんね。コンクールでもモーツアルトで競うような人は滅多にいません。次のゼルキンやルプーやペライアなどは達人です。実際ピアニストの名前から判断するのは危険です。昔の経験ですが、クラウディオ・アラウのショパンのピアノ協奏曲第1番を聴いて、その巧さにびっくりしたことがあります。アルフレード・ブレンデルのギャラントな音にも感心しましたが、それでも米国では一般に、ブレンデル?ダメだよそいつは、という声が聞こえて来るので当惑します。

ピアノ協奏曲第21番、K467
ルドルフ・ゼルキン(Pf)、クラウディオ・アバド指揮ロンドン響、1983年録音、グラモフォン、445516-2
このCDは実に懐かしい響きを聴かせます。最初の楽章で響くせつないような響き、楽想の変化などの楽しみ。モーツアルトはふと立ち止まるように楽想を変えることがあるのですが、「フィガロの結婚」などでも感じますね。そして有名な第2楽章。あの切ないようなピアノ(まるでピアノだけのように聴こえる)は弾き手にとっては鬼門です。映画「短くも美しく燃え」にテーマ音楽のように扱われたこの部分を聴くと、やはり気分が落ち着きます。でも正直言うと、ゼルキンのピアノに何か少し足りない、あるいは余計な音の揺れを感じています。もっと別の表現があったようだが、どこだろう、と疑いが浮かびます。決してゼルキンでは不十分だと言うのでは無いのですが、それにしても完璧ではないような。こういう単純な旋律は、簡単なだけに難しいのですよ。本当に!

ピアノ協奏曲第25番、K503
アルトウーロ・ベネディッティ・ミケランジェリ(Pf)、コード・ガーベン指揮北ドイツ放送響、グラモフォン、1989年録音、UCCG-6014
第1楽章で早速魔笛の「おいらは鳥刺し」に似た旋律が登場し、おまけに3回以上繰り返されました。グロッケンシュピールの音。そして驚いたことにその後でベートーベンの第5(運命)になりそうな旋律も。ピアノ協奏曲は色々な題材の宝庫と言われるわけです。また例によって早々と短調に転調してしまい、この転調は次々と繰り返され、そのうち元の調に戻ったのも記憶に残ります。聴くときは気を許せませんね。

ピアノ協奏曲第27番、K595
ルドルフ・ゼルキン(Pf)、クラウディオ・アバド指揮ロンドン響、グラモフォン、445516-2
第1楽章の印象はやや薄い。それに続く、まるで初心者のピアノ曲みたいに響く第2楽章、どこかで聴いたような印象の強い第3楽章。この協奏曲第27番はLP時代に購入したものがありますが、その後長く聴いていませんでした。第3楽章はゼルキンのうっとりした姿が目に浮かびます。実際、これを聴いているとゼルキンが唸り声を挙げているのですよ。私の思い過ごしかも知れませんが、第3楽章でそれが著しい。ゼルキンは普段はベートーベンでしょうが、モーツアルトも行けるな、という印象。

ピアノ協奏曲第20番、ニ短調
ブルーノ・ワルター(Pf)、ブルーノ・ワルター指揮ウイーン・フィル、1937年録音、KC1018、J-Music Tokyo
これは貴重な録音です。ワルター自身のものを録音したもの。驚くべきはこの方がフィッシャーの第22番K482(1946)より古いにも関わらず、音はこっちの方が遥かに上回ることです。私は古い音を聴くのに慣れていますが、やはり基本的に美しい音の響きにぶつかるとホッとします。そしてこれはワルター自身のピアノの腕を楽しめます。巧い。なにより、ここで耳に残るのは、ワルターはオーケストラの顔を覗き込んで、いいだろ?この響き?と尋ねるようなところ。そう言えばワルターはヴァイオリンの名器も持っていたはずです。

ピアノ協奏曲第26番、戴冠式、K537
マレイ・ペライア(Pf)、イギリス室内管弦楽団、1984年録音、ソニー32DC 567
ギリシャ系米国人のペライアの一枚。その玉を転がすような音に耳を奪われます。これは第2楽章が特に優しいので、その部分だけでも弾きたいという人もいます。途中の旋律は耳慣れたもので、どこかで聴いたような印象があります。戴冠式というのはモーツアルトがフランクフルトに行ってレオポルト2世の戴冠式に献呈したといいます。昔少年ゲーテが祖父に伴われて市庁舎の皇帝室を見に行ったという話を読みましたが、その皇帝の話と関係があったかも知れません(私は瓦礫の跡地に建った新しい市庁舎を見たのみ)。特に華やかではありませんが、第一楽章は本当にやさしい肌触りです。

ピアノ協奏曲第24番、K491
マレイ・ペライア(Pf)、イギリス室内管弦楽団、1975年録音、ソニー SRCR 2039
この第1楽章はまるで草原を疾走するような雰囲気があります。特に第1楽章の最後は何かオペラを想像させます。どのオペラだったかを思い出せませんでしたが、こういう結末の曲があったようだ、と思いました。第3楽章は明らかにオペラの匂いがふんぷんでした。変奏曲形式になっていますが、メインの主題を見失わないように聴けば、それは直ぐにわかります。何かスザンナのようなスープレット役が歌うカンツオネッタみたいな曲。あとで気がついたのですが、似ていたのは「コジ・ファン・トウッテ」のオーケストラのパートでした。今朝から気になっていました。

ピアノ協奏曲20番、ニ長調、K466
マレイ・ペライア(Pf)、イギリス室内管、1977年録音、ソニー SRCR 2039
第一楽章は少しテンポを遅くして開始します。曲想がアレグロのはずですが、明らかにそれは遅め。そしてあらゆる音にエコーが掛って聴こえます。このエコーは様々な思いがあると思いますが、私自身はそれほど欲しくない音。だたしそんなに拘泥しません。ただ私は乾いた音が好きなのです。それもモーツアルトであれば。これがショパンとかラヴェルだったら話は全く違います。第2楽章になると、もう何も遠慮は不要という感じがします。素晴らしいのです。ペライアの腕もさることながら、モーツアルトの作曲腕の確かさに感心します。第3楽章では再びエコーが気になりましたが、それを許容すれば文句ありません。

ピアノ協奏曲20番、ニ長調、K466
マルタ・アルゲリッチ(Pf)、アレクサンドル・ラビノヴィッチ指揮、パドヴァ響、2006年録音、TELDEC
このCDには第3楽章しかありませんが、第3楽章を恐るべきスピードで弾くのは異常ではないか、と思います。もう少し丁寧に、柔らかさも出せたのではないでしょうか。個人的には余り好きではありません。普段アルゲリッチは最も好きなピアニストの一人ですが。

ピアノ協奏曲21番、ハ長調、K467
ダニエル・バレンボイム(Pf)、イギリス室内管、1967/69年録音、EMI 7243 5 75365 3-3
これは先にあるピアノ協奏曲第20番と立て続けに作曲されたものです。先にルドルフ・ゼルキンのものを聴いているので、その差を書きますと、バレンボイムの方がやや早めではないかと思います。第1楽章の初めではまるでオペラそのものでした。大きなアリアでなく、小さなやり取り、合唱等に相応しいと思えるピアノ曲でした。そして第2楽章で気がついたのですが、バレンボイムはここでペダルを使用しているようです。ペダルがいけないとは言いませんが、モーツアルトにペダルを使用するには、よくよく考えて、その頻度を最小にしたいと思います(個人的な好みです)。第3楽章では速度に気をとられましたが、あの速度とペダルを組み合わせるのがバレンボイムのピアノだろうか、と思いました。実際ピアノの練習をする時、ペダルを踏みたい、という欲望にかられますが、バッハなぞでペダルを踏んだら台無し。そのコントロールが難しいですね。

ピアノ協奏曲23番、イ長調、K488
マレイ・ペライア(Pf)、イギリス室内管、1984年録音、ソニー 32DC 567
あまりに有名なこのモチーフを聴いていると、ついさっき聴いたばかりのような印象を持ってしまいます。言ってみれば分散和音に支えられたこの曲は、本当に素晴らしいと思います。あっけない程の単純な和音ですが、如何にそれが印象的なことか。モーツアルトのピアノ協奏曲の中で最も聴く頻度のある音楽であることを再確認しました。

ピアノ協奏曲第9番(ジュノーム)、K271
ダニエル・バレンボイム(Pf)、イギリス室内管、1967/69年録音、EMI 7243 5 75365 2 3
K466と比較すれば演奏会数が少ないと思います。でもこの曲を聴くと、モーツアルトがオペラを目指していたことが良く分かります。第一楽章にはいかにも「フィガロの結婚」に相応しい前触れが聴き取れますし、第2楽章には良く聴く弦楽器の曲にこれがあったなあ、と思います(私は詳しくないためか、どうしても思い出せません)。第3楽章には驚いたことにトランペットのような音が響き渡りますが、どうして(モーツアルトはラッパ嫌いで有名)?しかし猛烈なダッシュでオペラ風に仕立てています。バレンボイムの腕はマレイ・ペライアと比較すると、少し、何か足りないものがあるかも知れません。ただし途中のピアノはノロノロと動きますし、これは音符が少ないせいでしょう。余りに少ないので、弾く方も,聴く方も、音調や気配を保つのが大変です。

ピアノ協奏曲第22番変ホ長調、K482、KC-1018、J-Music Tokyo
エドウイン・フィッシャー(Pf)、エドウイン・フィッシャー指揮、ウイーン・フィル、1946年録音
これを聴いて最初の印象は、我々はLPとか8mmテープとか、CD、DVD等のオーディオに関する最新の技術を楽しんできたのだなあ、というところ。これは戦後直ぐですから、何も無いところでウイーン・フィルもどうやって音楽を楽しんだのでしょうか。ピアノはまずまずでしたが、ヴァイオリンなど遠くからカソケキ音しか出していません。これが実況だと言う事は最終楽章のあとの拍手で分かりました。

ピアノ協奏曲第23番、K488
ダニエル・バレンボイム(Pf)、イギリス室内管、1967/69年録音、EMI 7243575365 2-3
これもマレイ・ペライアと比較することになります。やはりバレンボイムには聴衆にアピールすることを考えているようです。諸所に音をためている所がありますし、それは魅力的な方法だし、私自身もそう弾きたいところですが、音楽そのものを冒涜するのかも知れません。特に第3楽章のあの速さはどうでしょうか。思い切り速いのです。アレグロ・アッサイと指示されていますが、その実時間を調べるとペライアが8分台なのに、バレンボイムは7分台でした。合計時間が7〜8分の曲で、1分も違うことになり、これはイヤでも目立ちますね。

ピアノ協奏曲第27番、K595
ダニエル・バレンボイム(Pf)、イギリス室内管、1967-69年録音、EMI 7243575365 2-3
最後に登場したこの27番には、私はLPの時代から親しんで来ました。特にこの第3楽章ですが、あのメロディーはどこか他所で聴いたと思うのですが、どこの誰の曲でしたっけ?モーツアルトはこの27番をもってピアノ協奏曲という分野から引退します。これから約15曲ほどは、歌曲やカンタータ、オペラにレクイエムと続きますが、ここの声楽偏重ぶりは確かです。そうだったんですね。やはりモーツアルトが最後に親しんだ分野は声だったのか、と思います。実際その通りです。この曲の成果を取り入れた歌曲が見つかりました。「春への憧れ」です(モーツアルトの次の作品)。

ピアノ協奏曲15番、KV450、変ロ長調
ベネディッティ・ミケランジェリ(Pf)、エットーレ・グラシアウス指揮、ミラノ交響楽団、CEDAR、IDIS-337、1947年録音
ピアノをドライブする力には目覚ましいものがあります。そもそも最初に耳をそばだてたのは、ピアニストは自在に音を進めたり、遅らせたりしていることに気がついたからです。決してピアノに音の進行を任せず、時としてピアニストが介入しています。常にそうなので、これは面白いと思いました。苦言を一つ、イタリアのCDなので(失礼!)文句は言えないとは思いますが、これかなりいい加減な録音ではないだろうか、と思った点です。特に第2楽章冒頭部はそうでした。そこをクリアしたら、あとは問題ありません。第3楽章におけるピアニストの腕は冴えているのが良くわかりました。連続的にオクターブを上下するとか、ああいう箇所の指使いは素晴らしい。もう一度、もっと良い録音で聴いてみたい。ただし、ミケランジェリだからこそ、という点もありますから、そういうCDがあれば、という条件付きで。

ピアノ協奏曲第9番、変ホ長調「ジュノーム」、K271、1959年2月録音
リリー・クラウス(Pf)、ジアンフランコ・リボリ指揮アムステルダム・フィル、SCRIBENDUM、SCO 018
出始め早々でクラウスの右手がサラッと弾く箇所でまず耳をそばだてました。この人は行ける!と思ったのです。以前に他のピアニストについて書いたこともありますが、これは明らかに「フィガロの結婚」からのパクリがあります。モーツアルトが最も愛した分野がオペラだってことは既にここで明らかにされています。第2楽章の冒頭も何かのパクリだという自信があるのですが、残念なことに曲名まで覚え浮かびません。これを作曲した時モーツアルトは若干20歳でしたから、あまりオペラにのめり込むことが出来なかったのでしょう。でも密かに準備をしていましたね。リリー・クラウスの技術に注目してみると、彼女はエコーの付け方が大変巧い人だと思いました。モーツアルトの時代ですからエコーはそれほど必須ではないでしょうが、これだけ使い分けているのは音楽を理解しているからだと思います。

ピアノ協奏曲第26番、K537「戴冠式」、1960年12月録音
リリー・クラウス(Pf)、ジアンフランコ・リボリ指揮、アムステルダム・フィルハーモニックO、SCRIBENDUM、SCO018
これはクラウスらしい出始めです。第1楽章ではぐっと力を込めて音の進行を遅らす箇所が聴き取れました。アコーギクと言うのでしょうか。これは終わり近くでますます盛んになりますが、あの力を込めた箇所の感触はここだけでした。最後の楽章は終わり方が何ともモーツアルトらしくありません。これで終わり、と思ったのに繰り返し、また今度こそ終わりと思ったらまた装飾音が続く、これはモーツアルトとしては普通とは思えないのです。まるでチャイコフスキー。

ピアノ・ソナタ第11番(トルコ行進曲付き)、K311
ウイルヘルム・バックハウス(Pf)、告別演奏会(オーストリアのケルンテン山地のシュティフト教会)、1969年録音、ロンドン POCL 9941/2
この告別演奏会と名付けられたピアノ・ソナタが、このコンサートに入れられた唯一のモーツアルトの曲です。聴いているとアレレという箇所が見られましたが、それはそれ。高名なるピアニストの本当に最期の演奏会でした。過ぎた日々の輝かしい経歴を忘れ、ひたすら音楽に奉仕する姿が目に浮かびます。歳をとった時にこういう曲を弾けるのは幸せかもしません。昔NHKは現在も続いている素人音楽会のラジオ中継をやっていました。日曜日には「腕比べ声(喉?)比べ子供音楽会」という趣旨のコンクールをやっていましたが、そこでは歌を歌うか、ピアノ等の楽器を披露するか、を競うものでした。そして必ず誰かが弾いたのが、モーツアルトのK311のソナタからトルコ行進曲。これが耳に入ってくると、ああ今日はお休みだな、と思ったものです。またこれはオペラが花開く以前のもので、まだ「後宮からの逃走」より早い時期に作曲されました。近い時期の曲では「フルート協奏曲1番」があります。

ピアノ・ソナタ第11番(トルコ行進曲付き)、K311
オイゲン・ダルベール(Pf)(1917録音)、音楽の友社OCD-2090
あらえびす氏の選んだ名盤。ちょっと途中でテンポが揺れます。4つの楽章の全てで、ほんの何分の1秒かの遅れが認められます。こういう古いタイプの演奏家に特有のものですし、最初からそれを承知して聴く分には問題ではありません。

ピアノ・ソナタ第11番(トルコ行進曲付き)、K311
エドウイン・フィッシャー(Pf)、ピアノ・ソナタ11番(K331)、J-music、Tokyo、KC-1016、1934〜1936年録音
実に懐かしい音です。ゆっくりと噛み締めるようなテンポ、時として間違えて弾く大らかさ、等々は聴くものにとって親しみ深い演奏にしています。ここでは全章が弾かれていますが、ただ第4楽章で落ち着かない箇所がありましたが、あとは悠々自適。こういうのをもっと聴きたいと思いました。全体を通して、ペタル処理が適切です。

ピアノ・ソナタ第17番ニ長調、K578
ワルター・ギーゼキング(Pf)、1944年録音、J-Music、Tokyo、KC-1916
これは技術がかち、落ち着いて聴いていられません。ギーゼキングの指は如何に速く回るかをテストするかのようです。少年時代に蝶々を追いかけることしか興味がなかったそうですが、これだけ示されると、私としては、これでは落ち着けません、としかお答えできません。家内はコレを聴きながら「技術ばっかりという感じね」と言っていました。

ピアノ・ソナタNo.8、K310
ディヌ・リパッティ(Pf)、ブザンソン音楽祭実況、1950年録音、EMI TOCE 3159
白血病で早世した天才肌のピアニスト、ディヌ・リパッティです。このK310は耳慣れた曲ですが、こんなに速く弾かなければダメかなあ、と目を見張ったものです。ただ気になったのは、各章の始めを少し「ためて」弾いていた事です。僅かに、ほんの一瞬ですが音が引きずられます。そうして引きずられた音は前駆音ではなく、少し伸びる普通の音でした。全ての音がそうではなく、各第一回のところでそうなって聞こえるのです。今まで呑気に聴いてきましたし、呑気に弾いていたのを恥じます。この曲は全体として勢いがあり、急かされるように弾いています。そして音符がたっぷり詰まっています(米国の友人Cの言)。急ぐ曲では勢い、音符数も増えようというもの。リパッティはこの2ヶ月後に亡くなりました。

ピアノ・ソナタ第11番(トルコ行進曲付き)、K311
ウイルヘルム・ケンプ(Pf)
これはまともな響きをもっています。またこういうリズムを刻むような所はこれでオーケーだと思いました。但しケンプにはリズムの揺れがあって、聴き終わった時にかなりコーダの強調があるようです。モーツアルトの場合、こいうのを許容するかどうかは議論がありそう。但しこれは全曲ではなく、あくまでトルコ行進曲の部分しかありません。

ピアノ・ソナタよりメヌエット、
アルフレッド・ブレンデル(Pf)F-Moll、Op.2.Nr1、録音年不明、CD-72226
珍しくこれはピアノ・ソナタ。ブレンデルのピアノには不満は全くありませんでした。

ピアノ協奏曲第21番、ハ長調、K467、第2楽章のみ、1986年録音
ウラディミール・アシュケナージ指揮(Pf)、フィルハーモニア管、キング、K30Y 3037
BGMにぴったりの曲です。このCDはテンポの取り方といい、音量といい、申し分ないものです。

ピアノ協奏曲第20番、K466
ダニエル・バレンボイム(Pf、指揮)イギリス室内管、1967-69録音、EMI7243 575365-23
これは間違いなくバレンボイムの演奏でした。つまり前半はウットリしますが、後半にくたびれが感じ取れました。随分派手なエコーをかけ、オクターブ奏法で平然と引いているような。でも第1楽章、第2楽章は本当にウットリします。まるで自分が弾いている時のような感じです。そう、この部分は実はモーツアルトの教え子達用の練習曲だったのでは?だから左手が弱々しく聴こえ、旋律を静かに刻むだけのように聴こえるのでは無いでしょうか。

ヴァイオリン・ソナタ第25番ト長調、K301
クララ・ハスキル(Pf)、アルテュール・グリュミオー(Vn)、1958年録音、フィリップス、PHCP-10368
かけた途端に感じたのは、ああいい音だ、と感心したことでした。日頃古い録音のものを聴いていたから、ゆったりしたステレオの音が実に心地よく響きます。またハスキルの音がややくすみ気味に聴こえました。グリュミオーのヴァイオリンの音は時として力強く、心地良かったです。

ヴァイオリン・ソナタ第28番短長調、K304
クララ・ハスキル(Pf)、アルテュール・グリュミオー(Vn)、1958年録音、フィリップス、PHCP-10368
前者と同じ印象ですが、ハスキルの音はついに復活しないで、グリュミオーの音ばかりが流れて行きます。

ヴァイオリン・ソナタ第32番へ長調、K376
クララ・ハスキル(Pf)、アルテュール・グリュミオー(Vn)、1958年録音、フィリップス、PHCP-10368
ここに至ってハスキルの真珠を転がすような音がはっきり聴き取れるようになりました。実際、ここではグリュミオーのヴァイオリンよりピアノの旋律が主導しています。でもハスキルは時として慌て賦ためいているようにも聴こえるのですが。

ヴァイオリン・ソナタ第34番変ロ長調、K378
クララ・ハスキル(Pf)、アルテュール・グリュミオー(Vn)、1958年録音、フィリップス、PHCP-10368
これはハスキルとグリュミオーは丁々発止の音のぶつけ合いを演じています。これでもう少しハスキルの音がはっきり聴こえたら、と思いました。

ヴァイオリン・ソナタ第34番変ロ長調、K378
シモン・ゴールドベルク(Vn)、リリー・クラウス(Pf)、J-Music、Tokyo、1937録音
クラウスのピアノは快調ですが、ゴールドベルクのヴァイオリンは松ヤニをつけた弦を擦る調子が、やや練習曲みたいな印象だと思いました。ただ私がヴァイオリンを貰うことになったとすれば、このヴァイオリンは欲しいだろうか、と考えると面白い。特にこの第2楽章を聴いていると、それは床が板張りの部屋でしょうが、案外このヴァイオリンも面白いか、と思います。少し油を敷いた床というのは複雑な表現ですが、やはりそういうのが一番相応しいようです。

ヴァイオリン・ソナタ第35番ト長調、K379
シモン・ゴールドベルク(Vn)、リリー・クラウス(Pf)、J-Music、Tokyo、1935録音
これは、余り面白い曲ではなく、従ってヴァイオリンを貰うとすれば、という楽しい夢にふけることもありませんでした。

ヴァイオリン・ソナタ第40番、K454
クララ・ハスキル(P)、アルテュール・グリュミオー(Vn)、1956年録音、フィリップス、PHCP-10369
これを掛けた時最初に感じたのは、よく言う「玉を転がすような」音でした。ハスキルの名技です。そしてグリュミオーのヴァイオリンもまたシームレスな美音で、これには感心しました。何かを目指すような曲想は感じません。

ヴァイオリン・ソナタ第42番、K526
クララ・ハスキル(Pf)、アルテユール・グリュミオー(Vn)、1959年録音、フィリップス、PHCP-10369
第2楽章と第3楽章がなぜかせわしない感じがしました。でも相変わらずハスキルのは玉を転がすような美音だったし、グリュミオーはうっとりと自己陶酔に浸るような音でした。そういう美しい音で、せわしないのはどうしてでしょうか。

ヴァイオリン・ソナタ第41番、K481
クララ・ハスキル(Pf)、アルテュール・グリュミオー(Vn)、1956年録音、フィリップス、PHCP-10369
このコンチェルトの第1楽章と第2楽章は全く声楽曲とのリンクがあるとは思えませんが、第3楽章に至った時、これは声楽曲だと思いました。ただハスキルの指が少し雑になったように聴こえました。何か雑になる理由があったのでしょうか?

ヴァイオリン協奏曲 第5番、K219
ヤッシャ・ハイフェッツ(Vn)、ジョン・バルビローリ指揮、ロンドン・フィル(1934年録音)、J-Music Tokyo、KC-1015
ハイフェッツと聞いて驚きますが、このロマンティックな表現はやや大時代的な演奏に属するのでは無いでしょうか。こういうのを聴いていると、私が小学生の頃、同学年の女の子がヴァイオリンの練習曲を弾いていたのを思い出します。ここではまるでエルマン・トーン。ケッヘル番号から判断して19歳の頃の作品ですが、最初にあれ!と思ったのは、この旋律はどこかで聴いたことのある旋律だと思ったため。第3楽章は舞踏曲でした。

ヴァイオリンと管弦楽のためのアダージョホ短調、K261
ゲオルク・フリートリヒ・ヘンデル(Vn)、カール・リステンバウム指揮ザール放送室内管弦楽団、1964年録音、ERATO
これは実に柔らかい響きのある曲でした。優しい響きでまったくストレスを感じさせないので、どんな場面でも最上のBGMになるでしょう。BGMと言っても馬鹿にしてはいけません。そもそも、あらゆるこの時期の音楽はBGMだったのですから。さも無ければ不眠症対策でした。またこの曲の次には、モーツアルトの父親たるレオポルト・モーツアルトの作品が続いていて、
弦楽と通奏低音のための交響曲ト長調というのがありました。これも意外に面白いものでした。テンポを急に緩めたりするので、まるでロマン派の音楽かと思わせます。

ヴァイオリン・ソナタ第28番、ホ短調、K304
ヨゼフ・シゲッティ(Vn)、ニキータ・マガロフ(Pf)、1926-37年録音、OPK-2000
シゲッティと聞いて真っ先の思い出すのは、せっつくような弦のこすり方や、美音でないことです。昔よんだ対談形式の議論に、ソプラノを分類するとき、マリア・カラスはシゲッティだ、といわれ、それに対して相づちが打たれた、という記事がありました。たしかにここで美しく響かせようという意思は無いだろうと思いました。最初わたしはうっかりヘンデルの曲(ソナタ ニ長調作品1-13)を掛けたのですが、ヘンデルだとそういう癖が良くわかります。

ヴァイオリン・ソナタ第35番、K379
シモン・ゴールドベルク(Vn)、リリー・クラウス(Pf)、1935年録音、J-Music Tokyo
この音を聴いていると昨日聴いたヨゼフ・シゲッティとの差が目立ちます。ゴールドベルクのはシゲッティより音が長いのです。長いだけでなく、ボウイングにも特徴があります。最初に置いた弦の音をそのままぐっと引き延ばして弾く感じ。これは少しやり過ぎかも知れません。

ヴァイオリン・ソナタ第40番、K454
ヤッシャ・ハイフェッツ(Vn)、エマヌエル・ベイ(Pf)、1936年録音、J-Music Tokyo
ハイフェッツの音はゴールドベルクともまた違います。恐らくハイフェッツの方が正確なのでしょう。恐らく、と言ったのは音符を正確に置き換えることが、音楽の本質とは少し差がありはしないか、と思ったから。ヨゼフ・シゲッティのゴツゴツした音がむしろ懐かしく響きます。ヴァイオリンは余り良く分かりませんので、この程度しか申せません。

千葉のF高





(ここでピアノ、ヴァイオリンの項は終了。次回はフルート、クラリネット、弦楽四重奏・五重奏曲、レクイエム、歌曲、序曲と弦楽曲です)














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