もっとモーツアルトを楽しもう(3)        2011.8.20
(187)モノローグ「近くにあったモーツアルトのCD(3/4)その1」
(交響曲、序曲、オペラの項。但しオペラは、他で比較したものを除く)

1946交響曲第33番、K319
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウイーン・フィル、1946年録音、K319
これを聴きながらどう表現するか迷ってしまいました。はっきり言うと、まるでハイドン風なのです。モーツアルトらしさが出てこないし、あのフォワッとした雰囲気が感じ取れない。調べてみたらモーツアルト23歳の時の作品で、長大なパリ・マンハイム旅行から帰った翌年です。天才にも休みが必要だったようです。相変わらずこのCDは録音技術にも問題あり。

1949交響曲第39番、K543
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウイーン・フィル、1949年録音
これはまるでベートーベンでした。どうしてこの曲がそういう印象をもたらしたのかは分かりません。一貫して速いテンポですし、おまけに太鼓を頻用しています。モーツアルトが太鼓を使用するのは、何か意味があるのですが、どうしてここで?第3楽章の速さ、際立つ音の鮮明さも気になります。これでもう少し音質がよければ、と思うのは私だけではないと考えます。

1942交響曲第41番「ジュピター」、K551
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮イタリア放送(RAI、トリノ)管、1942年録音
音は同様に悪いのですが、最初からオペラ的な旋律を感じたし、そのあとでもオペラにそのまま挿入できそうなメロディーがありました。なにより目立ったのは、テンポが遅いことです。前記の39番の交響曲ではナイフをかざして突進する姿でしたが、こっちの方はまるでワルターの指揮のようです。それは決して悪いことではありませんが、どうしたのでしょう。同一人物が短期間にそれほど変われるものでしょうか?1942年の41番でこれほど枯れて穏やかだったのが、その7年後の1949年には前記のように激しくなっています。それは第2次世界大戦のせいで、それ以前の穏やかなものは姿を消したのですから、その変化は大きい。

1959/60/63交響曲第36番「リンツ」
ブルーノ・ワルター、コロンビア響、1959/60/63録音、CBS ソニー、CSCR 8341〜2
颯爽とした出だしをしています。当たり前のことですが、これはハ長調でした。特に第2楽章はまるで「フィガロの結婚」の雰囲気。決してこういう音楽では無いのですが、それでも窓辺に立っている伯爵夫人の姿が目に浮かびます。決してマムシではない伯爵夫人です。

1959/60/63交響曲第39番、K543
ブルーノ・ワルター、コロンビア響、1959/60/63録音、CBS ソニー、CSCR 8341〜2
この第1楽章を聴いていると、出てくる曲出てくる曲が、次々と彼のオペラを思わせる曲でした。まず出始めからして、あれは「魔笛」に太鼓を付加したものですし、それに続く「フィガロの結婚」、「ドン・ジョヴァンニ」、そして「フィガロの結婚」また「ドン・ジョヴァンニ」と続きます。これは決して同じ音楽だ、と言っているのではなく、その通り過ぎた残んの香がそれを思わせる、ということです。実際思い浮かべるのはホンの1節だけだったりして、確かめようがありません。でも元々の「魔笛」、「フィガロの結婚」、「ドン・ジョヴァンニ」を良く知っている人ならば、やはりそうだ、と同意されると思います。第3楽章に見られるような、はつらつとした曲も何となく歌を歌っているようです。つまりこれはオペラだと言えそう。

1959/60/63交響曲第40番、K550
ブルーノ・ワルター、コロンビア響、1959/60/63録音、CBS ソニー、CSCR 8341〜2
これについては五味康祐氏による紹介記事が思い出されます。ワルターはこの曲をなかなか指揮しようとせず、齢50歳を迎えてようやく指揮したいと思ったそうです。第1楽章はこれはオペラという大きなジャンルに収まらないな、と思いましたが、第2楽章に至ると少し伸びた(間延びした)音楽という印象でした。それが第3楽章では背筋がピンと伸びました。これほどリズムを強調しなくても良いかも知れませんが、それにしても素晴らしい。また最後の第4楽章では「フィガロの結婚」を思わせる旋律が2回、再現部でもう2回聴かれました。即ち結婚を控えたフィガロとスザンナの場面(第一幕開始部)で、フィガロが「この部屋を自分たちに呉れるなんて、何て親切で自分達は何と幸運だろう」と言ったのに対し、スザンナは「そうね、アンタが仕事に呼び出されて、その間に伯爵が私を呼ぶのに大層便利よ」と返す場面があります。伯爵がノックした時の音を表してDing Ding, Dong Dongという台詞を言うところ、その場面がさっと頭に浮かびました。

195?交響曲第40番、K550
ジェフリー・テイト指揮、イギリス室内管、録音年不明
これはかなり軽く風のように吹き抜けて行く感じです。草原を力一杯駆け抜ける少年の姿が目に浮かびます。途中で管弦楽の独奏が力強く入ったりしますが、それは確かに走っている時にそうありたいと考えます。但し、それだけで良いのか、迷うところ。つまりこの演奏からは何か精神性を感じることが難しい。

1959/60/63交響曲第38番「プラハ」、K543
ブルーノ・ワルター、コロンビア響、1959/60/63録音、CBS ソニー、CSCR 8341〜2
「プラハ」という題を持つこの曲は穏やかで、特にハッとするような場面は少ない。にもかかわらず、「プラハ」と言う曲は有名で、多くの演奏会に取り上げられています。ただ、第1楽章の中に、「魔笛」を思わせる旋律の扱いがあったし、第3楽章にもこれは「魔笛」だな、と思う瞬間がありました。この件では前にも申し上げましたが、決してオペラの旋律がそのまま用いられているのとは違います。そうでなく、「残んの香」を感じ、さっきまで貴婦人が座っていたとか、さっき貴族が通りすぎた、とかいう種類の香りを感じるということです。余命の短かったモーツアルトですから、交響曲がまずあって、その後でその極上の産品としてオペラを作曲した、ということでしょうか。そう考えるとあちこちに感じるモーツアルト・ファミリーの音楽も理解しやすくなります。実際このような解釈は他の作者達によって既に出ていたことでしょうか?私はそれを存じませんが、もし出ていたら、私の予感が当たったということで嬉しい。

1937交響曲第41番「ジュピター」、K551
ブルーノ・ワルター、NBC交響楽団、1937年盤
選出の交響曲40番に引き続いて作曲された(ケッヘル番号が次)ものです。モーツアルト最後の交響曲。これは思う程多く演奏されないと思います。どういう訳か不明。これを聴いていると、途中で何かモーツアルトのオペラを思わせる旋律にぶつかりました。そしてベートーベンの田園交響曲を思わせるような、急ぐ旋律も。第4 楽章にははっきりと「フィガロの結婚」を思わせる旋律も感じられました。作曲の順番からすれば、この交響曲41番の方があとから出来たものです。その旋律をあとで思い出そうと思い、必死になって頭の中に保って最後まで行き着いてしまいました(!)。

1937年ですから、ワルターは自分の安全を考えて米国に脱出した、その形跡を感じられます。この後に付いていたマーラー9番アダージョは、ウイーン・フィルですが、これこそ本当にワルター最後のウイーン・フィルだったようなものです。

1959/60/63交響曲第41番「ジュピター」、K551
ブルーノ・ワルター、コロンビア交響楽団、1959/60/63録音、ソニー、CSCR 8341〜2
ワルターによるステレオ録音の方。これは実に楽しく、おもしろい曲でした。ジュピターとあだ名されているものだから、つい肩が凝りそうとか、難しいイメージを持ってしまいますが、そうではありません。ただ、私が思った通りを言わせてもらいますと、明らかにこれはオペラであり、特に「フィガロの結婚」を意識したか、「フィガロの結婚」のイメージを持ち続けたものだろうと思います。まず最初の第1楽章、こんなに正直にオペラ的な音楽って無いでしょう。すると第2楽章は伯爵夫人になりますが、それは長い長いアリアで表されています。そしてメヌエットの場面ではおもわずこれだ、と叫びたくなるような第1幕のスザンナとフィガロの掛け合いです。ここでもDing ding, Dong dongと叩いているではありませんか。そして第4楽章は再びフィガロの結婚全体のイメージです。確かにそれを意識していると思いました(私の独り勝手ですが)。

1959/60/63交響曲35番「ハフナー」、K385
ブルーノ・ワルター、コロンビア交響楽団、1959/60/63録音、CBS ソニー、CSCR 8341〜2
これが始まった途端に何と力強い!と思わず感じてしまいました。途中がどうであろうと、これは一貫して力強い音楽です。そして第1楽章と第4楽章には共通の部分があるのではないでしょうか。繰り返して聴くには別の曲を選ぶでしょうが、だからと言って、これは等閑視できるものではありません。

1943交響曲第28番、K201
アルトウーロ・トスカニーニ指揮、NBC響、1943年録音、J-Music, Tokyo、KC-1012
モーツアルト18歳の時の作品。この年齢だと思えば、まあそんなものか、と言って済ませられますが、他方で、例の交響曲25番が17歳の時の作品ということを思い出すと、何とも口を閉ざしたくなります。この交響曲第28番には、特にオペラとの関連を示唆するようなものは感じませんでした。

ついでに聴いた曲がマーラーの第9交響曲で、これはワルター指揮ウイーン・フィルの演奏でした。時々、「大地の歌」の片鱗が感じられますが、総体としては第5番に似ているようです。

196?交響曲第25番,K525
クリストファー・ホグウッド指揮、エンシェント室内管、録音年不明、ポリドール、DCI-1033
何よりの驚きはこれがモーツアルト17歳の時の作品であることです。そしてこれから雪模様の空の下、失踪する男の姿が眼に浮かびます。これは傑作です。取り付かれたように、急ぐ姿です。素晴らしい。

19??交響曲41番、C-Dur、K551(アレグロ)
アルフレード・ショルツ指揮ロンドン響、録音年不明
全くマーツエル・クーロード指揮のメヌエットの演奏と同じ印象です。

千葉のF高





(188)モノローグ「近くにあったモーツアルトのCD(3/4)IIその2」
オペラ序曲の部

1946フィガロの結婚序曲、K492
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウイーン・フィル、1946年録音
まずこれがキャンキャンした音で録音されているのにがっかりします。こういう録音の記録はあるだけで感謝しなければならないのでしょうけれど、もう少し高音部を押さえたい。それにこの「フィガロの結婚」はテンポがセカセカして余り味あう気がしません。

1938「魔笛」序曲、K620
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ヘルベルト・フォン・カラヤン集、ベルリン歌劇場O、1938年録音
これだけベルリンのカペレでベルリン・フィルを指揮したものですが、少しクセが感じられます。終わりの部分の音がややバラバラです。これは遠くで聴いてもあまり変わりません。

1958/61「魔笛」、「フィガロの結婚」、「コジ・ファン・トウッテ」、「劇場支配人」、「フリーメイソンの為の葬送曲」の各序曲
ブルーノ・ワルター指揮、コロンビア交響楽団、1958年〜1961年録音。
CBSはワルターの為にワルター専属のオーケストラを自宅近くに置いてくれたと言います。そしてこの機会に!とばかり、モーツアルト、ベートーベン、ブラームスそしてドヴォルザーク等を次々と録音して世の中に出してくれました。オペラが無いのは残念ですが。「魔笛」はテンポも急がず、ゆったりと進みます。こういうのを聴くと、現代の多くの演奏が随分速くなったなあ、と思います。惜しいのは、ここに「ドン・ジョヴァンニ」が含まれないことです。なぜだろう、と不思議で堪りません。でもワルターの「ドン・ジョヴァンニ」には、メットの全曲実況録音がありますからね。また最後に入っていた「フリーメーソンの為の葬送曲」はおどろおどろしく、繰り返して聴く必要がありそうです。妻は「劇場支配人」が印象に残ったと言います。

1939「フィガロの結婚」の序曲
カール・ベーム、ドレスデン管、KC-2003、J-Music、Tokyo、1939年録音
猛烈に速い「フィガロの結婚」序曲でした。なるほどこの速さを、デッカ社のジョン・カルショウは嫌ったのか、と一部分納得しました。もう少し遅くて可です。それは私自身の判断でそう思いました。となると、ベームを論じる際は、その年代をよく考えてから判断しないと誤ることになりそう。なにしろこれが録音されたのは、1939年ですから、第2次世界大戦以前。批評文を読む際にはアチコチに気を配る必要があるのですね。

千葉のF高





(189)モノローグ「近くにあったモーツアルトのCD(3/4)IIIその3」
オペラアリア集(但し今までに出たものを除く)

1952モーツアルト・オペラ・アリア集
エリザベート・シュワルツコップ(Sp)、ジョン・プリッチャード指揮、フィルハーモニア管、1952年録音、EMI TOCE 3053
これは素晴らしいCDです。様々な有名なオペラの中から抜粋されていますが、特に彼女のスープレット役が面白いと思いました。すなわち「ドン・ジョヴァンニ」でツエルリーナの歌う「ぶってよマゼット」など。もちろん「薬屋の歌」も素晴らしい。スザンナ役では「とうとう嬉しい時が来た」。彼女はスープレットを歌う時は音色を変えていますね。それがぴったりの音色になっているから、感心するわけです。ある意味では貴婦人役より相応しいか。伯爵夫人の「楽しい思い出はどこに」は後半から急に声がピンと張ってくるのが面白い。もちろん伯爵夫人やドンナ・アンナ役も素晴らしいし、それぞれ音色を精一杯保っているのが良くわかりますが、それは当たり前。むしろスープレット役を歌う方に魅力を感じたわけです。

1991モーツアルト・オペラ・アリア集
チェチーリア・バルトリ(Ms),ジョルジー・フィッシャー指揮ウイーンフィル室内管、1991年録音、ロンドンPOCL-1149
いつものバルトリです。彼女は少しでも高音が含まれる場合は、フッと声を潜めて歌うので、そこだけ声が沈みます。最初のアリア「フィガロの結婚」からケルビーノの歌が2つ続きますが、いずれも同様。そして薬屋の歌(「ドン・ジョヴァンニ」)もそれに徹しています。それに加えて彼女の付近にねっとりした蜂蜜のような、足を引っ張るような粘液質のものが彼女の声質をコントロールしているかのようでした。口元からのぞくようなホワッとした雰囲気をもう少し出してほしい。それはベルガンサだったら得意なのにと思うのですが。これで最近ではベルリーニ「夢遊病の女」の主役まで歌っていますが、これは驚きです。全ての歌がそういう雰囲気をもっています。ただ、彼女はあちこちに潜んでいるコロラトウーラの箇所だけ、尤もらしく響くのです。それはロッシーニ「セヴィリアの理髪師」のレーザーディスク盤等でも堪能できます。要するにバルトリの声は案外声域が狭く、それほど高音も自由ではないのでは無いでしょうか。だからあの発声になるのでは。昔バルトリとサミュエル・レイミーが東京公演をした時、家内と私は嵐のために運行の乱れた地下鉄に腹を立てて、会場まで行かず途中で引き返してしまったことがありました。

「フィガロの結婚」ではスザンナの歌も歌っていますが、「そこだけ注意して聴く」という聴き方をする場合を除き、あまり良いとは思いません。同様に「ティトウス」からの3つのアリアも、また最後の「イドメネオ」に付け加えられた歌も同様でした。この「イドメネオ」にはアンドラーシュ・シッフのピアノ伴奏がついています。シッフは毎日ピアノの練習に約10時間も練習しないと気が済まない、ということをかつて読んだことがあります。ホロヴィッツなどはコンサート直前まで全然練習しないので、奥様に怒られていたとか。

1951歌劇「フィガロの結婚」〜第2幕、伯爵夫人のアリア「楽しい思い出はどこに」
エリノア・スティーバー(Sp)、ハワード・バーロウ指揮、ファイアーストーン管、1951年9月9月17日放送、フィルム、Sony Records SRLM 968-970
この伯爵夫人を聴いていると、ふと思い当たるのがマリア・カラスでした。声の切れ目の処理の仕方、その声の引きずり方等は、カラスを良く知らない人に伏せて聴かせたらカラスだと言いそう(昔は音が悪かったので)。スティーバーはバイロイト音楽祭1953年のカイルベルト指揮の「ローエングリン」のエルザを歌っていましたが、手元の解説書を見ても、もう過去の人だと思っていました。声の強弱等は余り分かりません。声だけでなく、演技もチェックできるのですが、そちらの方はやはり昔の人で、演技しようという意識が薄い人だと思いました。

1951歌劇「フィガロの結婚」〜第2幕、伯爵夫人のアリア「愛の神様みそなわせ」
エリノア・スティーバー(Sp)、ハワード・バーロウ指揮、ファイアーストーン管、1951年2月18日放送、フィルム、Sony Records、SRLM968-970
この印象は上記と全く同じです。

1983歌劇「フィガロの結婚」、第2幕、伯爵夫人のアリア「楽しい思い出はどこに」
キリ・テ・カナワ(Sp)、ジェームス・レヴァイン指揮、メトロポリタン管
1983年11月22放送、メトロポリタン歌劇場の100周年記念音楽会、レーザーディスク、SM158-0037

舞台袖から颯爽と現れた時、これは期待できるな、と思いましたが、結果的にはそれほど巧いとは思いませんでした。声が単調過ぎるのです。あちこち試してみたけれど、こういう結果でした、というところ。但し声に破綻は見当たりません。しかし聴衆が期待するのは、もっと開き直ってドスを聴かせることですよ。

1930エツイオ・ピンツアのメット名唱集
エツイオ・ピンツア(Bs)、1930年、「ドン・ジョヴァンニ」よりシャンパンの歌
窓辺に向かっての愉快な人物と歌の交換をする場面ですが、とにかく楽しい。当時の歌手は口移しが多かったと聴きますが、たとえそうであっても、これくらい朗々と響かせてくれるなら、十分に楽しめます。また古い録音には歌物が多いのですが、そのわけも良く分かるような気がします。

1929リリー・ポンス名唱集
リリー・ポンス(Sp)、1929年、「後宮からの逃走」〜第1幕「愛をもって」
ポンスの第1声を聴いて、これは博物館の歌だなあ、と思いました。この時代の録音は全て同様な音質をもっています。日本人でも関屋敏子などの古い録音を聴くと同様の音色がします。「後宮からの逃走」に相応しい高音はありません。フランス語で歌っています。

1929リリー・ポンス名唱集
リリー・ポンス(Sp)、1929年、「フィガロの結婚」〜第1幕「恋の悩みを知る君は」
同様にこれもケルビーノらしさを探しても無駄です。第一、ケルビーノはメゾ・ソプラノだし、ポンスらしい曲ではありません。フランス語で歌っています。

1922リリー・ポンス名唱集
リリー・ポンス(Sp)、1922年、「魔笛」〜第2幕「夜の女王のアリア」
この夜の女王で初めてポンスらしい曲に巡り会った気分です。フランス語で歌っているためか、末尾の処理など、あまり女王の復讐らしく響かないのですが。音程がやや危ない箇所もあります。

1922リリー・ポンス名唱集
リリー・ポンス(Sp)、1922年、「魔笛」〜第2幕「望みは全て消えてしまった」
悲しい気分の曲ですが、これは結構聴かせます。タミーノは目下、修練を卒業することで頭が一杯、パミーナの考えていることなぞ、思いもよりません。これもフランス語。

20世紀のディーヴァ達
1989 モーツアルト「ルチオ・シルラ」
チェチェーリア・バルトリ(Ms)、ニコラス・ハルノンコート指揮、ウイーン響、1989年録音〜甘い再会の時、TELDEC WPCS-10643/4

この時代をときめくバルトリです。さすが声は「猛烈」でした。この録音はあまり新しくはないのですが、当時これを聴いて、これからのバルトリに期待した人は多いでしょう。この「ルチオ・シルラ」というオペラというか、音楽劇は、モーツアルト16歳の作品であって、余り注目されていません。モーツアルトが小節ごとに両腕をおろして、「サッサッ」と締めるところが思い浮かべられます。

20世紀のディーヴァ達
1988 モーツアルト「コジ・ファン・トウッテ」〜恋はくせ者、TELDEC、WPCS 10643/4,1988年録音、フレデリカ・フォン・シュターデ(Ms)、アラン・ロンバール指揮、ストラスブール響
少しフォン・シュターデの音程が確固たる響きに欠けるような気がします。声はバルトリと比すと柔らかい響きを持っています。

20世紀のディーヴァ達
1988 モーツアルト「ドン・ジョヴァンニ」〜薬屋の歌
バーバラ・ボニー(Sp)、ニコラス・ハルノンコート指揮、アムステルダム・コンセルトへボウ響、1988年録音、TELDEC、WPCS 10643/4
随分甘い響きのある、少し声を引きずったような発声にしばし聞き惚れました。最近NHKの番組に出演していますが、演出に関しては旧派のようです。「あなたが慣れ親しんだ仕草をしていたら文句を言われることもあるでしょうが、そういうのは無視すれば良いのよ」と、コンクール出演者に入れ知恵をしていました。

20世紀のディーヴァ達
1993 モーツアルト「ティトウスの慈悲」〜「夢に見し花嫁姿」、TELDEC、 WPCS 10643/4
ルチア・ポップ(Sp)、ニコラス・ハルノンコート指揮、チューリッヒ歌劇場O、1993年録音
これは素晴らしい声でした。甘く響くのです。「ティトウスの慈悲」なんて曲はあまり親しんでいませんが、モーツアルトはこれを「魔笛」作曲中に受け、18日間で完成させたそうです。これは完成した日で言えば最後の作品になりますが、余り評価は芳しく無いようです。やはり最後は実質的に「魔笛」でしょう。

20世紀のディーヴァ達
1987 モーツアルト「魔笛」〜「復讐の心は地獄のように燃え」、TELDEC、 WPCS 10643/4 エディタ・グルベローヴァ(Sp)、ニコラス・ハルノンコート指揮、チューリッヒ歌劇場O、1987年録音
グルベローヴァが出演したので、過度に持ち上げられている気がします。他の盤でも聴いているので、それとこれを比較しますと、やはり同じ所でチャルダッシュ風の発声があり、最高音(F)は声を弱めています。おまけにこのヴァージョンは最後の締めくくりで指揮者がぐっと音を「ためて」いるのが分かりますが、それは好きずき。

モーツアルト・コンサート用アリア「恐れないで、いとしい人よ」
1958/60/63テレサ・ベルガンサ(Ms)、ジョン・プリッチャード指揮ロンドン響、1958/60/63年録音、ロンドンPOCL-2446
これを聴いてようやく本命にたどり着いた感じ。実際、ベルガンサの声は高音までムラがなく、実によく響きます。演奏はオーケストラとピアノの両方が混在していましたが、あれはチェンバロの代用でしょうか?とれともピアノ?少なくとも私は最近感じているチェチーリア・バルトリの見せよがしの歌よりこれに好意をもちました。

モーツアルト「ティトの慈悲」〜アリア「私は行くが君は平和に(第1幕)」
1981アグネス・バルツア(Ms)、ハインツ・ワルブルク指揮ミュンヘン放送響、1981年録音、ORFO C171 881A
始めバルツアの力の籠った歌唱を聴き、これなら先日聴いたテレサ・ベルガンサより上かな、と思いました。ただし、後半の方でせわしない旋律があるところ、ここで歌い方がはっきりしなくなります。せわしない旋律と言うのは、コロラトウーラ唱法で歌えば良いのですが、驚いたことにバルツアはそこを大急ぎで済ませようとしているようです。あまり落ち着いた歌い方ではなく、しっかりトレースしようという態度でもないと感じましたので、これは減点です。力で歌おうとしていないでしょうか。

モーツアルト・オペラ・アリア集
1959アンナ・モッフォ(Sp)、アルチェオ・ガリエラ指揮、フィルハーモニア管、1959年録音、TESTAMENT-SBT-1193
ガリエラのフィルハーモニアといえばバックは贅沢なもの。ここでモッフォはひたすらモーツアルトを歌おうとしています。しかし最初の「フィガロの結婚」に出てくるアリアを二つ聴くと正直言ってがっかりしました。つまり、モッフォは全くそれらの曲に寄り添っていないのです。その2つとは共にケルビーノの歌う歌でした。ケルビーノみたいなメゾ・ソプラノを普通のソプラノが歌うのだったら、高音は無理がないでしょうし、余裕綽々だろうと考えたのは浅はかでした。最初のケルビーノでは高音部が引きつって聴こえる箇所が気になりました。第2の歌ではチャルダッシュ風の高音処理がまずい。音をホンのすこし投げ出すのですよ。ところが次に出たスザンナの歌は突然巧く聴こえました。やはり慣れですね。自分にあった曲で、実際何度も歌った経験があること、それが肝心なのだとヒシヒシと感じました。実際、スザンナになった途端に歌はまともになりました。

そして「コジ・ファン・トウッテ」からデスピーナの歌を2つ。声が余り変わって聴こえない点は相変わらずですが、まだこれは良かった。ところがその次に「後宮からの逃走」になるとマズい。つまりこんなハイ・ソプラノをもともとモッフォの喉は想定していないのです。それは聴くまでもないこと。第1幕途中でア〜ア、とおかしな箇所を指摘するようになってしまいます。コンスタンツエが「ああ私は恋をして幸せでした」と歌うアリアです。それが済んで「ドン・ジョヴァンニ」に入るとホッとします。ここでは音質もモッフォ向きの声に直り、もっともらしいツエルリーナを歌っています。ただし、そのような立派なツエルリーナは、他にも沢山いるので劇場ではモッフォには、余り関心が無かったようです。それに続く「魔笛」ではホッとするような、味わいがありました。たった一カ所で引きつるような響きがあったものの、全体としてこれは良かったです。要するにモッフォは自らの声と喉に相応しい曲を常に選べば良いのでしょう。実は私は昨日来頭をよぎっている「プラハ交響曲」のあるフレーズが、魔笛のまさにこのアリアに続くものでは無いか、と考えていたのです。勿論これは私が勝手に想像しただけですが、私の頭の中では実にしっくり合致しました。それだけに、モッフォのアリアが聴こえた時、思わず天の采配だ、と思ったわけ。

そのあと「羊飼いの王様」のアリアがありましたが、これはあっちこっち引きつっていました。彼女が歌うのは無理ではないでしょうか。そしてケッヘル番号しか知らないのですがK369の歌曲は本当に耳を覆いたくなうような惨状でした。高い音がみな割れて聴こえます。それではと思い、良く知られた「アレルヤ」を掛けたら、こっちの方はがらっと音色が違います。つまり十分に慣れていますし、そういう慣れた曲はどうもモッフォの声域にあっていると言えそうです(それでも一部割れて聴こえました)。最後に聴いたのが大ミサ曲ハ長調から2曲続きます。この最初のアリアは楽しくてたまらないという風情で歌い出します。言ってみればまるでヴォカリーズ見たいな味わい。第2のアリアの方は、やはり声を張り上げる際に、声が引きつって聴こえます。モッフォらしさを出すにはどうしたら良いか、考え込んでしまいました。

あらえびす名盤集(電気録音以前の巨匠たち、オペラ・アリア集)
1905アデリーナ・パッティ(Sp),モーツアルト「ドン・ジョヴァンニ」より「ぶってよマゼット」1905.12録音
野村胡堂の残したコレクション。かの三浦環がパッティと同額のギャラを要求したとかいう伝説があります(この伝記を読んだ時、私はまだ中学生でしたので、ひょっとするとメルバと同額だったかも知れません)。それは莫大なものだったようです。すでに衰えた後の録音ですが、とにかくパッティはこういう歌声だった、という証拠写真です。その代わり、歌いぶり等は各人の判断待ちです。というより、こういう古い音はそのまま比較試聴する対象にはならないのではないでしょうか。

あらえびす名盤集(電気録音以前の巨匠たち、オペラ・アリア集)
1910ネリー・メルバ(Sp)、ヤン・クーベリク(Vn)、モーツアルト「フィガロの結婚」より「恋とはどんなものかしら」&「愛に神様みそなわせ」、1910.3.19録音
前出のパッティと大して変わらない印象です。声はかなりくたびれた印象です。確かにメルバと言えば大御所でしたし、大学の図書館で昔読んだ古い「レコード比較試聴録」を紐解けば、「素晴らしい歌手だった」と記してありますが、あまりそういう印象は薄い(これを聴く限り)と思いました。大学の図書の書き手は、本当にメルバを聴いたことがあるのかしらん?

カラオケ・オペラ
1992レポレロの「カタログの歌」、スティーヴン・ペイジ(Br)、ジュリアン・ビッグ指揮チェコ響、1992年録音
このタイトルはカラオケとして歌う場合のCDであることを示します。またここで実際歌っているのは大将のドン・ジョバンニでなく、家来のレポレロです。そのカタログ歌を聴くと、声がややふざけた音色を持っていますが、レポレロだったらがっかりしないで済みます。これなら大きな劇場でも歌えるでしょう。少なくとも私にはエリー・アメリングの歌よりも楽しめました。

19??20世紀のプリマドンナ、ME 408s
レオンタイン・プライス(Sp)、「ドン・ジョヴァンニ」より「冷たいですって?」、録音年不明
これはイケます。実況らしく、最後に歓声が録音されています。やはりスタジオ録音のすました音と、実況の熱気はちがうかな、というところ。但しプライスは実演の熱気を損なわない程度に、ゆっくりと声を潜めて歌うところがありますが、それは好きずき。

レオンタイン・プライス熱唱集
1963/71レオンタイン・プライス(Sp)、「フィガロの結婚」より「楽しい思い出は何処に」、1963-71年録音
プライスはここで無難に歌いこなしていますが、声に艶がありません。どこか録音に問題があったのではないかと考えます。

メトロポリタン・オペラ・ガラ(ルドルフ・ビング引退記念)
1972レオンタイン・プライス(Sp)、「フィガロの結婚」より「楽しい思い出は何処に」、ドイツ・グラモフォン、1972年録音
ここではフルに声を出して歌っています。確かに実況の熱気が感じられ、プライスも中々のもの、という印象が残りました。

ヴィクトリア・デ・ロスアンヘレス(Sp)
1953/58「フィガロの結婚」より「楽しい思い出は何処に」、1953〜1958録音、RRC 1232
ロスアンヘレスのモーツアルトの歌には努力の痕跡がありますが、それでも全体をこれで代表させて楽しめるか、と言うとそうでもありません。少しテンポが遅いと思います。

ビヴァリー・シルズ(Sp)、UCCD-3094
1974「後宮からの逃走」より「あらゆる苦しみが」、1974年録音、1974年録音
これはやはり若年の技量偏重が目立つような歌です。それで全体を通してしまっているので、本当のところ、終わったらホッとしました。

ビヴァリー・シルズ(Sp)、UCCD-3094
1974アリア「あなたに明かしたいおお神よ」、K418
中にスープラ・アクート(超高音)が含まれるだけ、目立ちますが、全体としては凡庸。それもビヴァリー・シルズだから許されるような曲でした。

エディタ・グルベローヴァ(Sp)
1987/92「魔笛」より「地獄の復讐は炎と燃え」ニコラウス・アーノンクール指揮チューリヒ歌劇場管、1987-92年録音、WPCS-21146
いわばグルベローヴァの「ウリ」の品なので特に耳をそばだてて聴きましたが、残ったのは不満でした。どうしてコレを世界最高と言えるのでしょうか。所々音を出すタイミングを遅らせて、例のチャルダッシュ風の味付けをしています。

エディタ・グルベローヴァ(Sp)
1987/92「ドン・ジョヴァンニ」より「もうお分かりでしょう」ニコラウス・アーノンクール指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管、1987-92年録音、WPCS-21146
これも同様。ドンナ・アンナ役で彼女はどういう評判を持っているのか、興味津々です。私の耳には、コロラトウーラ歌手がコロラトウーラを歌った、としてしか聴こえませんでした。

エディタ・グルベローヴァ(Sp)
1987/92「ドン・ジョヴァンニ」より「いいえ愛しい人よ」ニコラウス・アーノンクール指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管、1987-92年録音、WPCS-21146
これも全く上記と同様の印象です。

エディタ・グルベローヴァ(Sp)
1987/92「ルチオ・シルラ」より「小暗い淵から」ニコラウス・アーノンクール指揮ウイーン・コンツエントウス・ムジクス、1987-92年録音、WPCS-21146
この歌は声自体が実に魅力的でした。でもやはり、音楽は若年の作品らしく余り深みは感じません。

ジョーン・サザーランド(Sp)
1960フランチェスコ・モリナーリ・プラデルリ指揮コヴェント・ガーデン歌劇場O&合唱団、1960年録音、プリマ・ドンナの芸術、ロンドンPOCL-2971/2
なるほど、この曲をサザーランドが全盛期の声で歌うとこうなるか、と納得できました。これならグルベローヴァの歌よりも魅力がありますし、さらに最後の音はさらに一オクターブ跳ね上げても許されるか、と思います。これは「プリマ・ドンナの芸術」というアルバムから取りましたが、さらにLPならモーツアルト「魔笛」の第一幕の夜の女王のアリアを聴けます。但しここではLPは別扱いという私の原則に従い、省きました。色々聴いて来たサザーランドですが、結局彼女の喉は高いE音が限界で、其れ以下なら自由自在に歌えますが、高いF音は出ない人だということも、ここではっきりと理解。

「ドン・ジョヴァンニ」より「もうお分かりでしょう」
1971ビルギット・ニルソン(Sp)。カール・ベーム指揮プラハ国立歌劇場管、1971年録音
ニルソンの声は、私の耳には少し遅れ気味の発音をしていることと、詳細なコロラトウーラを歌う際にはチョッと怯んで、丸く歌い収めているように聴こえました。これはニルソンを好むかどうかに依存すると思います。声はリンとしていますし、それでモーツアルトを歌うとどうなるか、は常に好奇心の対象です。妻はこれを聴いて、少しクビを傾げて、これは役柄かしら、それともニルソンの資質に関係あるのかしら、と私に尋ねました。私自身は昔LPでこれを聴いた時から、反応の鈍さを感じていました。彼女はあらゆる音を出していますが、私の耳にはそれがゆっくりスローテンポで歌わせる原因だろうと察しています。ゆっくり歌う箇所は堂々としています。私はベームの指揮はエキセントリックなところが無くて、なかなか気に入りました。

「ドン・ジョヴァンニ」よりドンナ・アンナのアリア「私死にそう!」
1971ビルギット・ニルソン(Sp)、カール・ベーム指揮プラハ国立歌劇場響、1971年録音
巨体に知恵はまわりかね、と言ってはややイジワルでしょうか。それに私の耳には、ニルソンは少し声が不安定なようです。それを発散するために、落ち着いたフレーズでは堂々と歌わなければならなかったようです。

「フィガロの結婚」より「愛の神様みそなわせ」、POCL-9503/8、ポリドール
1955レナータ・テバルディ(Sp)、アルベルト・エレーデ指揮、ローマ国立歌劇場O、1955年録音
この録音はLP時代から親しんでいたのですが、印象は相変わらずでした。つまり決して下手ではありませんが、熱がこもらないというか、伯爵夫人の心象を捕らえたとは言い難いのです。コンクールだったら模範的歌唱として褒め讃えられてもおかしく無いと思うのにも関わらず。

「フィガロの結婚」より「楽しい思い出はどこへ」、POCL-9503/8、ポリドール
1955レナータ・テバルディ(Sp)、アルベルト・エレーデ指揮、ローマ国立歌劇場O、1955年録音
印象は前記した内容と全く同じです。

「ドン・ジョヴァンニ」より「もう言わないで」、TOCE-8614、東芝EMI
1953マリア・カラス(Sp)、トウリオ・セラフィン指揮、フィレンツエ五月祭管、1953年録音、1953年録音
この弱々しさを強調した声に少しぞっとします。はっきり言って嫌い。実際これは何回聴いてもこんなに声を潜める必要はないのでは、と言いたくなります。どの小節でも音は完璧なのですが、カラスさん、もっとエネルギーを注ぎ込んで!

「後宮からの逃走」より「どんな責め苦があろうとも」、TOCE-8614、東芝EMI
1954マリア・カラス(Sp)、アルフレード・シモネス指揮、RAI管、1954年録音
この実況と思しき録音(終了後に拍手がはいっている)では、ずっとエネルギーが感じられます。そして声をやや遅出しにしたり、逆に早出しにしたり、声の魔術をいろいろ聴かせます。「後宮からの逃走」が佳曲であると思うかどうか、に掛りますが、ここでは佳曲としておきましょう。妻はこれを聴いて、「後宮からの逃走」の筋ってどうだっけ?と切り出し、これならそもそも誘拐されないわ、と申しております。

「後宮からの逃走」より「どんな責め苦があろうとも」、TOCE-59436、東芝EMI
1957マリア・カラス(Sp)、ニコラ・レッシーニョ指揮、ダラス交響楽団、リサイタル・イン・ダラス、1957年録音
これはゲネプロ用のもので、録音途中で指揮者の指示で音楽が止まることもあります。カラスの声は絶好調です。何と言っても1957年です。ただ最後の締めくくりの部分、少し声をセーウ゛したかな。途中でホワッと歌う等、これはモーツアルトであることを忘れて、ただドニゼッティやベルリーニ流に激しく歌っているように聴こえます。

「ドン・ジョヴァンニ」より「今こそ分かったでしょう」、マリア・カラスの芸術
1963マリア・カラス(Sp)、ニコラ・レッシーニョ指揮、パリ音楽院管、TOCE-7831〜43、1963年録音
これは声が出た瞬間からカラスの声だと直ぐ分かります。これが録音されたのが1963/4年ですから既に声が衰えているのは明らかです。それを思い切りカラス流のマジックを掛けています。そう、これならモーツアルトのセンスに合うかどうかは別として、ずばりカラスの声です。

「フィガロの結婚」より「愛の神よみそなわせ」、マリア・カラスの芸術
1963/64マリア・カラス(Sp)、ニコラ・レッシーニョ指揮、パリ音楽院管、TOCE-7831〜43、1963/64年録音
これは伯爵夫人を歌うのですが、ここで少し考え込みました。カラスが無理にモーツアルトを歌うとどうなるか、という問いに答えるため、彼女はここで歌ってはいないでしょうか?以前に低い評価をしたレナータ・テバルディと余りかわらないような印象です。

「ドン・ジョヴァンニ」より「ひどい人ですって?」、マリア・カラスの芸術
1964マリア・カラス(Sp)、ニコラ・レッシーニョ指揮、パリ音楽院管、TOCE-7831〜43、1964録音
ますますカラスの叫びは鋭くなりました。これで押す事は可能ですが、もう少し柔らかく歌えるかもしれないな、と感じました。カラスがモーツアルトに化けようとするのは少しおこがましいのです。

「ドン・ジョヴァンニ」より「何というふしだらな」、マリア・カラスの芸術
1963/64マリア・カラス(Sp)、ニコラ・レッシーニョ指揮、パリ音楽院管、TOCE-7831〜43、1963/64年録音
これは珍しくドンナ・エルヴィラを歌っています。ただ、やはり声がある時だったら十分に楽しんだだろうと思いますが、ここの声はヒステリックに響きます。いやはやその声ですから、あとは想像あれ。

ジュリアード音楽院マスタークラス、「ドン・ジョヴァンニ」より「もう言わないで」
1972マリア・カラス(Sp)、ユージン・コーンのピアノ伴奏、1972年録音、TOCE-3963〜85
これは面白いマスタークラスの実況録音です。この最初の「ドン・ジョヴァンニ」だけで、23分49秒分です。韓国人のSpを指導していますが、実際にカラス自身が歌っている場面も多いのです。実際、こんなに頻繁に介入するのはうるさい、と思いました。そもそもこの韓国人の歌は「カラスのドンナ・アンナ」ではないのですから。これはまるでカラスのコピーを作ろうとしているかのようです。それでも両人が一緒に歌っている所を聴くと、間違いなくカラスの方が圧倒しています。相手方が一人でまかされた箇所は、まったく頼りなく、というかデモーニッシュな雰囲気がまるで聴こえません。対するカラスが歌う場面では、これはどうか、と言える程アクセントが付いています。韓国人はせっかくカラスの指導を受けるチャンスなので、真似をしようとは思わず、カラスの凄い雰囲気を味わって下さいね。

千葉のF高



(190)モノローグ     真夏の夜の夢
インテルメッツオ
シェークスピア「真夏の夜の夢」の古い米国映画をテレビでみました。1935年版で、監督がマックス・ラインハルト、そしてミッキー・ルーニーがパックの役で出ています。これがDVDに録ってあったのです。説明等はカラーだったのに、ハッと気がつくとモノクロで映っているので、妻にきいて納得。いずれのキャラクターも軽やかに飛び回り、そしてこの物語自体も飛び回るため、いまどこだっけ?ということもありました。こういう古い映画もたまに見るとよいか。ミッキー・ルーニーは子役として大いに流行ったわけですが、この撮影当時は14歳で、身長は160cm無かったと言います。すでに90個も映画を録っていたので、画面をみて小さいからと侮ったら大変かも。ジュディ・ガーランドとセットとして売られていました。すでにパック役として声が変声し始めていて、あちこちで高笑いする場面がありますが、それは声をマトモに出したくないからでは、という疑いを持ちました。とにかく一度御覧あれ。メンデルスゾーンの音楽を伴う版を基にしています。

千葉のF高







(ここで交響曲とオペラ関連の項は終了。次回は、新たにその他のモーツアルトの項目です)














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