(193)青木繁に触れる午後       2011.9.5
青木繁(1882〜1911)という画家がいます。この人は短命で、明治時代しか生きていません。偶然新聞紙上に、あと数日間ブリヂストン美術館(ブリジストン美術館ではありません。これは昔キット屋で校正して頂いたところ。「音楽のすすめ」第1巻第29話「ニュルンベルクの名歌手」の冒頭を参照)で「青木繁展」を開催していると出ていたので、妻と二人して観に行く事にしました。一日遅れれば、それは台風の難を被る恐れがありますし、日を早くするのも無理なので。どうしても金曜日しかありません。

美術館には東京駅八重洲口から徒歩で行きましたが、途中で八重洲ブックセンターがあったので寄り道。お目当ての本は店員に場所を聞いたら直ぐ分かりましたが、平積み状態でした(!)。高さが両脇より凹んでいましたから、それだけ売れている証拠か、とほくそ笑んで一冊買いました。

青木繁の展示室はやや暗い感じの絵が展示してありました。その一つ一つの絵を微に入り細に入り眺めると、なにか統一されていない感じ。油絵と細密画の間を行ったり来たりしている感じ。油絵は小さなキャンパスに収まらない、青木のモチーフが描かれていますが、描き切れないままになっている感じがしました。他方、細密系列の方は絵全体が精密に描かれている訳ではなく、中心は細密画風に、その他の部分は油絵の系列のような気がします。油絵はさっとひとナデするにとどまります。彼の代表作の「海の幸」はどちらの系列でしょうか。「わだつみのいろこの宮」は興味深く観ました。ここに描かれた少年は何ともギリシャ風ですね。クビの傾げ方、足の組み方等々、これは細密画か、それとも油絵かという悩みを超越しています。すばらしい。そして「海の幸」はオリジナル・サイズで観た印象と、それを縮小したコピーから受ける印象がまるで違います。縮小すればするほど、群衆像はくっきりとしてきます。これはどう考えたら良いのでしょうか。

何故なんだろう、と言うのが、答えにならないこの日の結論です。青木は油絵に憧れつつ、細密画で食べて行ったのでしょうか。表舞台から隠れるように去っていった青木は、それからの絵に本領が発揮されます。海の風景は凄い力があります。これは衰退だと書を読むと書いてありましたが、そうですか?彼には思い切り絵を描いて欲しかったと思います。何か隠したままになっているモチーフがあるみたい。年表が展示してあったので、それを覗きこんでいたら、妻はワーグナーの音楽との時代的関係はどうなの?と聞くので後で調べてみました。そうしたらワーグナーはまだドレスデン時代で「さまよえるオランダ人」を作っていたころ、青木の方は青春時代に入ったようです。考えているうちに、おもしろいテーマを思いつきました。ワーグナーの音楽ねえ。

そのあと美術館の出入り口の側に喫茶店があったので入り、トースト/紅茶セットを注文しましたが、紅茶を私はニルギリ、妻はダージリンにしたところ、大当たり。密かに心配していたのはニルギリってクセの強い紅茶じゃなかったか、ということですが、そういう心配はありません。おまけに店員のサービスが実に堂に入っていて、飲むばかりの温度にしたポットを運んできました。これにいたく感心。よく喫茶店にある、紅茶は自分で加減して、と言わんばかりのただの熱湯が出て来るのとは大違いでした。次にはまたここに寄ろう。実際、当たれば紅茶って美味しいものですよ。この店、気に入りました。

美術館を出てから、まだ早いし、お天気ももう少し持ちそうだから、銀ブラを楽しもう、と妻を促し4丁目に向かいます。京橋を通り抜けたところ、大昔の写真が展示してありました。アップル(コンピュータ)の店は今日は無理矢理に無視。そのかわり山野楽器店に寄りました。それにしても普段歩かないもので、足が痛い!山野楽器では妻の目を気にせず、1時間以内を予告して品を探ります。直ぐにCD棚を探して、ブルーノ・ワルターがメトロポリタン・オペラを指揮したモーツアルト「フィガロの結婚」全曲と、マリア・カラスが1956年にやった実況盤(カラスに対抗してゾルデッロが声を張り上げ、カラスの機嫌を損ねたという噂の品)からドニゼッティ「ランメルムーアのルチア」全曲、そしてジョーン・サザーランドがロンドンでデビューしたシリーズからベルリーニ「夢遊病の女」全曲を購入しました。そしてお目当てだったDVDでアダンのバレエ「ジゼル」全曲盤を探しましたが、思うもの(本当はイタリアのカルラ・フラッチ主演のものが欲しかった)が見つからず、何度も往復したあげくにキューバで1980年にやった実況で、アリシア・アロンゾの主演したものを買いました。結果的にこれが一番高価。サザーランドの1960年盤は楽しみです。後年のヘナヘナした声でようやく高音を出すのと違って、このデビュー戦では実に凄い声で歌っています。それはこの後、カーネギー・ホールで歌ったコンサート・ヴァージョンの「夢遊病の女」を聴いても実証できます。

あとは有楽町まで歩くのが暑くて暑くて!東京駅まで妻の励まし声を聞きながら、ようやくたどり着きました。東京のことなら何でも、このアーバンボーイに聞いて、と自信たっぷりだったのに、実は有楽町で道を間違えてしまいました。さっき山野では平気だったのに、もっと探したかったのが本音なのに、町中を歩くのは、ああシンド。

家に帰って2日後にようやく観聴きすることができましたが、アロンゾのジゼル役は適役でした。ほんの少し、この人の上背のなさを感じました。また気になったのですが、彼女は顔と肢体のバランスが悪いのですよ。あまり足が長くなく、アゴが張っていて、クビが前に突き出しています。これが気にならなければ問題なし。実に柔らかく手も足もしなやかに動きます。そのかわりキッキッと鋭角に切り込むことを期待すると当てが外れます。アロンゾが世界的にどの位の位置にたつのかは散々聞かされてきましたし、きっとその通りなのでしょう。ニューヨークでもアロンゾは大々的に宣伝されていました。松山樹子さんの書いたノートを覗きますと、褒めちぎっています。でもあの本にあったアンソンヒ(北朝鮮)の例もあるので、不安で不純な情報かも知れません。

コールドバレエの人数が多過ぎるような気もしましたが、それでも居心地のよい集団でした。思うに、アロンゾは常に他の人とは別のチュチュを着ていた方がよいのかも知れません。実際ジゼルが群舞の中に入った時、区別がつきにくいのです。主役だけ色違いのコスチュームを着るって良くあるでしょう?まずまず、これはアリシア・アロンゾというエスタブリッシュメントを確認するためのDVDだと思いました。

[ワーグナーと青木の関係]
まずドイツの巨人ワーグナーは「妖精」と「リエンツイ」を経て、1842年、明治維新の26年前に「さまよえるオランダ人」の初公演をしましたが、ワーグナーも案外近代に近い時期から活躍しました。「トリスタンとイゾルデ」は明治維新の10年前に完成していますが、「ニュルンベルクの名歌手」の作曲は明治維新の前年。バイロイト祝祭劇場が完成し「ニーベルングの指輪」を上演したのが明治8年、ワーグナー最後の「パルシファル」は明治14年です。死亡したのは明治15年。

そしてイタリアのヴェルディはワーグナーと同じ年の生まれ。第3作「ナブッコ」で大成功しています。明治維新の前々年(1866年)には「ドン・カルロ」を初演、「アイーダ」は明治4年に完成し、明治19年には「オテロ」、明治25年には「ファルスタッフ」を初演しています。ヴェルディが「ナブッコ」の合唱「行けこの想い黄金の翼にのって」(イタリア国歌に準じる扱い)で成功した年はワーグナーが「さまよえるオランダ人」の最初の公演をしたのと同じ年です。通常、ワーグナーやヴェルディは西暦で論じられますが、ここに敢て「明治」という年代を持ち込んでみると違ったことが見えてくるのです。

そして青木の誕生は明治14年、死んだのは明治43年でした。重なってはいますが、明らかに青木はワーグナーとヴェルディの栄光に満ちた年月の後塵を拝しています。結論じみたことを言えば、青木は西欧の芸術の世界に対して猛烈な憧れを抱きましたが、もはや適わぬこと、と感じて絶望しては居なかったでしょうか。西欧の輝きに圧倒されていなかったでしょうか。本人はそういうコトを尋ねられても、いいえ、と答えるだろうと思います。だから現在青木の絵を観る者が解釈するしかありません。
千葉のF高



(194) 青木繁を取り巻く世紀末風
[影響の仕方はいろいろ]
我々は余りに多様な人々に取り囲まれていて、しかも、それぞれに自己主張の強い人々の集団ですから、皆と拮抗するのは大変です。例えば、哀愁きわまりないモーツアルトの「レクエイム」のラクリモサの最中に、野性味豊かなストラヴィンスキーの「春の祭典」のリズムが登場したら、ギョッとするでしょう? ただし、そこからが問題で、あのリズムが懐かしく思えてきたら、案外次のステップが開け、レクイエムの素晴らしい飛揚と別の世界を感じるでしょう。それも、それぞれに素晴らしく。ヒトの持つ特技、それは記憶できて、それを効率的に子孫へ伝授できることです。大昔から永々として築いてきた知恵の山、それを承知すれば、見かけ上まるで違う世界の価値を認めることができます。知識の山は知恵の山へと変貌します。その意味でここの文章は人間が今までどれだけのことをして来たか、を示すものです。それでは過去の遺産を振り返ってみましょう。

[ここでの記載法]
ここでは生まれた年だけで分類してあります。例えばフラグスタートは1895年に生まれたので19世紀の人になっています。また途中には、ジャンヌ・ダークとかアン女王とかも登場しますが、それは各時代を知る為の横軸と考えました。無いよりあった方が便利です。また年代表記法ですが、明治以降だけ、西暦と明治を列記してあります。明治という時代が誤解されているような気がしたため。実際、明治時代の始めの3分の1は19世紀なのですよ。但し青字で記してあるところは、その事件が起きた年を示します。もともと青木繁を検討する為に明治時代を中心に調べていたのですが、いつの間にかどんどん時間幅が広がってしまいました。

[パレストリーナからオルフまで]
それでも、上記の表題の範囲に絞り込みました。実はイタリアの宗教音楽家ジョヴァンニ・ダ・パレストリーナ以降しか私の興味を引かなかったのです。また現代作曲家カール・オルフが最新というのも止むを得ない事でした。少なくとも私の耳は、ドイツのカールハインツ・シュトックハウゼンの曲には惹かれません、よくよく考えてみると、これは私が今までドップリ漬かって来た音調の美学の影響ですね。誰だってそうだと思いますが、各人の記憶と経験が反映されます。

そして西欧を追いかけるなら、古くはフランスの女剣士ジャンヌ・ダーク(1412)、そしてイタリア人の探検家クリストファー・コロンブス(1451)、そしてどうしてもイタリアの画家レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452)、せむしの英国人リチャード3世(1452)を避けることができません。しかしこれは15世紀の話であり、その間にポーランドの科学者ニコラウス・コペルニクス(1473)の天文学的な意識変化が生まれています。イタリア人ヴァイオリン製作者アンドレア・アマティ(1511)や、イタリアの宗教音楽家ジョヴァンニ・パレストリーナ(1525)との間は少し空いています。繊細さと剛胆さを備えた英国のエリザベス1世(1533)のあと、英国の哲学者フランシス・ベーコン(1561)が生まれて「知識は力なり」と言っています。続いて有名なイタリア人ガリレオ・ガリレイ(1564)による意識変化の自覚がありました。人間観察にすぐれた英国の劇作家ウイリアム・シェークスピア(1564)のあと、日本の舞踏家、出雲の阿国が登場するのは1580年代になってから。そのあと怒濤のごとき輩出が続きます。そしてヴァイオリン製作者ニコロ・アマティ(1596)もアンドレア・アマティの弟として有名でした。そして同年には「我思う故に我あり」で有名なルネ・デカルト(1596)がフランスに登場し、自然科学的意識を確認しました。

英国の物理学者アイザック・ニュートン(1643)を忘れてはいけません。目覚ましいヴァイオリン製作者アントニオ・ストラディヴァリ(1644)を間に挟み、凡庸な英国のアン女王(1665)が生まれています。ドイツの音楽の父ヨハン・セバスチャン・バッハとゲオルク・フリートリッヒ・ヘンデル(1685)、そしてバッハと競う作曲家ドメニコ・スカルラッティ(1685)が続きます。次にヴァイオリン製作者ジュゼッペ・ガルネリ(1698)が登場しました。ヴァイオリンの寿命は大雑把に言えば200〜250年ぐらいと言いますから、上記の名器を持つ人は注意をした方が良い?そして1714年にはドイツ人作曲家クリストフ・グルックが生まれ、オーストリアの剛腕女帝マリア・テレジア(1717)の治世、そして蒸気機関を発明した英国人ジェームス・ワット(1736)と続きます。このころゲヴァントハウス管弦楽団がドイツのライプチッヒに誕生しています(1743)。イタリアの化学者アレッサンドロ・ボルタ(1745)が電池を発明したのもこの辺りです。

格調高い詩を書いた劇作家ヨハン・ウオルフガング・フォン・ゲーテ(1749)がドイツに生まれたのはこの頃。同年、種痘に成功する英国人エドワード・ジェンナー(1749)が生まれています。1750年になるとイタリア人作曲家アントニオ・サリエリが生まれ、日本では浮き世絵作者の喜多川歌麿(1753)が生まれました。哀れなオーストリア生まれの王妃マリー・アントワネット(1755)のあと、オーストリア人の神童ヴォルフガング・アマデウス・モーツアルト(1756)が生まれます。オペラ作曲者ルイジ・ケルビーニ(1760)が生まれたあと、フランスの英雄ナポレオン・ボナパルト(1969)が生まれ、また偉大なルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーベン(1770)がドイツに生まれます。

さらにイタリアのオペラ作曲家ガスパーレ・スポンティーニ(1774)が生まれます。イタリア・オペラの殿堂スカラ座(1776)は当初より最高のオペラを提供し続けています。そしてヴァイオリンを持てば魔のウデだったイタリア人ニコロ・パガニーニ(1782)が生まれています。オペラ作曲家ジャコモ・マイアベーア(1791)は古い人だと思いがちですが、生まれたのはこの年で、イタリア系ユダヤ人。そして電気化学で活躍する英国人マイケル・ファラデー(1791)も生まれています。さらにイタリア人のオペラ作曲家ジョキアーノ・ロッシーニ(1792)が生まれます。また「ルチア」や「アンナ・ボレーナ」を作ったオペラ作曲家ガエターノ・ドニゼッティ(1797)と、歌曲王フランツ・シューベルト(1797)と、最高の喉を持つイタリア人ジュディッタ・パスタ(1797)が生まれています。これで18世紀が終わり。

そして新世紀に入ると、早世したオペラ作曲家、「ノルマ」を作ったイタリア人ヴィンツェンツィオ・ベルリーニ(1801)が生まれています。パリの街並を現在のように整備したナポレオン・ボナパルト3世(1808)はここで生まれます。進化論を「種の起原」にまとめた英国人チャールズ・ダーウイン(1809)、後に米国大統領となったアブラハム・リンカーン(1809)もこの頃の生まれです。バッハ復興に務めた作曲家フェリックス・メンデルスゾーン(1809)、翌年には時としてオルゼピウス等の評論家に化けた作曲家ロベルト・シューマン(1810)、ピアノ曲に専念した作曲家フレデリック・ショパン(1810)が誕生しています。そして重々しい楽劇作曲家リヒャルト・ワーグナー(1813)が生まれ、同年熱血漢のオペラ作曲家のジュゼッペ・ヴェルディ(1813)も誕生しました。オットー・ビスマルク(1815)は後に、ドイツ繁栄の基礎を築きました。

そして希代の英国ヴィクトリア女王(1819)もこの時代の人で、同年にドイツ人ピアニストのクララ・シューマン(1819)も生まれました。またフランスの田舎では「昆虫記」を書いた自然観察家ジャン・アンリ・ファーブル(1823)も生まれました。そして教会オルガニストだったオーストリア人作曲家アントン・ブルックナー(1824)が、またアメリカ大陸では土着の作曲家スティーブン・フォスター(1826)が生まれています。同年、絵画の世界ではフランス人で妖艶の画家ギュスタフ・モロー(1826)が生まれています。またこのころオーストリアでは深々とした低音を出すピアノのベーゼンドルファー(1828)社が誕生。そしてイタリア人ベルリーニのオペラ「ノルマ」(1831)はこの時期の作品です。「4人の少女」という家庭小説を書いた米国人ルイザ・メイ・オールコット(1833)もこの頃の人。クララ・シューマンを崇拝したドイツ人作曲家ヨハネス・ブラームス(1833)もこの時代に生まれています。中国では女傑西太后(1835)が生まれています。

さらに時代が下ると、甘美なメロディーに満ちた音楽を書いたロシア人作曲家ピョートル・チャイコフスキー(1840)が生まれています。松方コレクションにもなったフランスの彫刻家オーギュスト・ロダン(1840)は後に多くの銅像を作りました。そしてアドルフ・アダンの古典バレエ「ジゼル」(初演1841)がパリ・オペラ座で初演されました。世界一の名にかけてウイーン・フィルハーモニー管弦楽団(1842)はウイーンで華々しい活躍をしています。またノルウエーの片田舎では少し自信のない作曲家エドヴァルド・グリーグ(1843)が生まれ、かつロシアでは「金鶏」の作曲家ニコライ・リムスキー=コルサコフ(1844)が生まれました。

このころフランスきっての名女優サラ・ベルナール(1844)が誕生。またバイエルンの狂王ルートヴィッヒ2世(1845)が生まれ、同年、「指環の写真」で有名になったドイツ人ウィルヘルム・レントゲン(1845)も生まれています。米国の発明王トマス・エジソン(1847)はオハイオ州ミランで生まれ、ニューヨーク市アストリアではピアノの帝王スタンウエイ(1853)社が設立され、同年、ピアノのベヒシュタイン(1853)社もドイツに設立されました。そして「晩鐘」を描いたフランスの農民画家ジャン・ジャック・ミレー(1855)もこの世に生まれ、イタリアでは異国情緒の作品が目立つオペラ作曲家ジャコモ・プッチーニ(1858)が誕生しています。国産初のシェークスピア翻訳家、坪内逍遥(1859)もこの時代の生まれです。また声の入った音楽の作曲家で指揮者グスタフ・マーラー(1860)の誕生、続いてフランス語を重視した作曲家クロード・ドビュッシー(1862)が生まれています。

印象派の絵画はこのころに集中していますが、前記画家ミレーのあと、第1回印象派展が開催(1874)され、画家エドウアール・マネ(1862)、画家クロード・モネ(1840)、画家エドガール・ドガ(1878)、画家ポール・セザンヌ(1839)画家ピエール=オーギュスト・ルノアール(1841)、後に画家ポール・ゴーギャン(1848)、画家ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ(1853)等のポスト印象派も参加しました。ゴッホ(オランダ人)を除いて殆どフランス人。そして米国のヘンリー・フォード(1863)は自動車の大量生産化で成功して行きます。また金銭感覚にも優れたドイツ人作曲家リヒャルト・シュトラウス(1864)が生まれました。癇癪持ちで有名な指揮者アルトウーロ・トスカニーニ(1867)、忍耐力のある女性化学者マリー・キュリー(1867)、古典に強い幸田露伴(1867)も生まれていますが、いずれも明治維新の前年生まれ。また飛行機の発明家ライト兄弟の兄ウイルバー(1867)と弟オーヴィル(1871)が生まれています。米大陸横断鉄道が初めて開通(1869)したのはこの頃でした。

[ここから、明治という元号を併記します]
芸妓の川上貞奴(1871、明治4年)もこの頃の生まれ。ロシア人の世紀の舞台プロデユーサーのセルゲイ・ディアギレフ(1872、明治5年)も誕生しています。イタリア生まれで、アメリカで大成功した歌手エンリコ・カルーソー(1873、明治6年)も、ピアニストとしても有名だったロシア人セルゲイ・ラフマニノフ(1873年、明治6年)も生まれています。1902に大西洋を跨ぐ無線通信を成功させたイタリアの発明家グリエルモ・マルコーニ(1874、明治7年)、「惑星」の作曲者英国人グスターフ・ホルスト(1874、明治7年)、英国プレナム宮に生まれた貴族の子孫ウインストン・チャーチル(1874、明治7年)、「ペルシャの市場」の作曲家アルバート・ケテルビー(1875、明治8年)、独得の和音を持つフランスの作曲家モーリス・ラヴェル(1873、明治6年)もこの年に生まれています。パリのオペラ座(1875開場)は設計者の名前から、ガルニエ宮と呼ばれています。

文学の世界では、北海に面するハンザ同盟都市リューベックに生まれた作家トマス・マン(1875、明治8年)が誕生しました。ワーグナーで有名なバイロイト祝祭劇場(1876)はドイツの辺境バイロイトでの楽劇上演を開始。日本では毒蛇や疫病等の医学者、野口英世(1876、明治9年)が生まれ、また翌年モスクワのボリショイ劇場では失敗に終わったが「白鳥の湖」が初演(1877、明治10年)され、日本では作曲家の滝廉太郎(1879、明治12年)も生まれています。仕事熱心なトマス・エジソン(
1879、明治12年)は白熱電球を発明しました。スペインの画家ピカソ(1881、明治14年)の活躍はいくつかの時代に渡って有名ですが、スタートは青の時代で、最後はゲルニカの時代です。ドイツ生まれのユダヤ人で20世紀最高の物理学者アルバート・アインシュタイン(1879、明治12年)はこの年の生まれ。日本にも来た不世出のロシア人バレリーナのアンナ・パブロワ(1881、明治14年)が生まれ、抗生物質ペニシリンの発明をした英国の医学者アレクザンダー・フレミング(1881、明治14年)も生まれました。発明王エジソン(1891、明治24年)の映画の改良もこの頃でした。

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1882)はベルリンを本拠地に活躍。その作品が世界を震撼させたロシア人作曲家イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882、明治15年)は同時期の生まれ。ニューヨークのメトロポリタン歌劇場(1883)は、1776年に生まれたミラノのスカラ座と常に競っています。フランスでは服飾デザイナーのココ・シャネル(1883、明治16年)が誕生し、デザイン(シャネル・スーツ)や香水(シャネル5番)等で活躍しました。アインシュタインのライヴァル物理学者の、デンマーク生まれのニールス・ボーア(1885、明治18年)が生まれ、後に量子論で活躍しました。また女優の松井須磨子(1886)も生まれ、ワーグナーの音楽に心酔したウイルヘルム・フルトヴェングラー(1886)も生まれました。ピアノとエピキュロスの園も楽しんだアルトウール・ルービンシュタイン(1887、明治20年)もこの時代の人として誕生しました。オランダではロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(1888、明治21年)がアムステルダムに誕生しています。斬新なロシアの作曲家セルゲイ・プロコフィエフ(1891、明治24年)は、このころの生まれ。

作曲家チャイコフスキーの有名なバレエ曲がはやったのは、意外にも最近の話でした。チャイコフスキーのもう一つのバレエ「眠れる森の美女」はサンクトペテルブルクのマリインスキー劇場で初演(1880、明治13年)されました。バレエ「くるみ割り人形」(1892、明治25年)もマリインスキー劇場で初演、改訂版「白鳥の湖」の復活上演もマリインスキー劇場(1895、明治28年)で行なわれています。なお「白鳥の湖」はチャイコフスキー初のバレエ音楽でした。それだけに耳ざわりの良い音楽。なお、これはワーグナー「ローエングリン」からの影響が見受けられると言われています。ドイツの現代作曲家カール・オルフ(1895、明治28年)もこの頃の生まれ。

偉大なワグネリアン・ソプラノ、キルステン・フラグスタート(1895、明治28年)はこの時期に生まれました。また米国きってのプリマドンナ、ローザ・ポンセル(1897、明治30年)も生まれています。さらに男性バレエの跳躍で有名なロシア人ヴァーツラフ・ニジンスキー(1900、明治33年)はパリのモンマルトル墓地に葬られていますが、1950年に死亡。ドイツ生まれの映画女優マレーネ・ディートリッッヒ(1901、明治34年)はこの頃に誕生。またシカゴ大学で最初の原子炉に成功したイタリア人物理工学者エンリコ・フェルミ(1901、明治34年)もこの年の生まれ。

後年日本にも来たウクライナ生まれのピアニストのウラディミール・ホロヴィッツ(1903、明治36年)も誕生しています。また若くして目覚ましかった作曲家アラム・ハチャトリアン(1903、明治36年)はアルメニア生まれ。ストラヴィンスキーのバレエ「火の鳥」(1910年、明治33年)はパリ・オペラ座で初演されています。ロシア・バレエ団(モンテカルロ)に参加したロシア人バレリーナのアレクサンドラ・ダニロワ(1903、明治36年)もこの時期に生まれます。物理学者アルバート・アインシュタインは特殊相対性理論を発表(
1905、明治38年)しています。スウエーデンの伝説的な映画女優グレタ・ガルボ(1905、明治38年)はここで生まれ、舞台プロデューサーのディアギレフは、ロシア・バレエ団(1909、明治42年)を結成しています。古典的な踊りかたで高名なバレリーナのアリシャ・マルコワ(1910、明治43年)は本当はイギリス人だそうです。日本でも人気の高いイタリアのメゾソプラノ、ジュリエッタ・シミオナート(1910、明治43年)もこの時代の人。さらにリトアニアのヴァイオリニスト、ヤッシャ・ハイフェッツ(1911、明治44年)はヴァイオリンの技術が完璧すぎて神様に嫉妬されそう、というエピソードの持ち主。ロシアのストラヴィンスキーのバレエ「ペトルーシュカ」は(1911、明治44年)パリ・シャトレ座で初演されています。タイタニック号(1912、大正元年)はこの年に海難事故にあっています。そして観る者を震撼させたロシアのストラヴィンスキーのバレエ「春の祭典」(1913年、大正2年)は、パリのシャン・ゼリゼー劇場で初演され、大混乱を起こしました。

日本にも来た物理学者アルバート・アインシュタインは一般相対性理論を発表(
1916、大正5年)しました。なかなか日本に姿を表さなかったドイツのソプラノのエリザベート・シュワルツコップ(1915年、大正4年)は、1970年になってようやく、私も日本で聴くことが出来ました。初めてDNAの構造を明らかにした英国の生物学者フランシス・クリック(1916、大正5年)もこの頃生まれました。また、熱狂的なファンを持つ、米国のギリシャ移民のソプラノ、マリア・カラス(1923、大正12年)が生まれます。米国人チャールズ・オーガスタス・リンドバーグによる大西洋無着陸横断飛行の成功(1927)もこの頃。上記フランシス・クリックのパートナーだった生物学者ジェームス・ワトソン(1928、昭和3年)は米国人です。このようにして、現代に続く人間に囲まれ、そこで築かれた複雑な人間関係にサポートされているのが、現代に住む私達です。

現代はコンピュータに支配されています。そもそも人間は怠けモノですから、面倒な仕事は機械にまかせておこうと考えたのでしょう。そして人間は労働から解放されたい、という大きな欲望が働いています。しかし大問題は、そもそもコンピュータにアイデアを創出する能力があるかどうかという点。面白いことに、英国で最初のプログラム内蔵コンピュータを英マンチェスター大学で作り上げたのですが、英国人はあらゆる部門(コンピュータに限らず)で、先鞭をつけても、それを産業化し商業化する意欲では、米国の後塵を拝している点。

千葉のF高



(195) 青木繁と巨視的方法
情報の大海の中にいると、細部にスポットを当てるだけでは不十分で、遠方まで見るため情報を整理しないといけません。ここにあるのは大勢の人々がそれぞれ得意な分野でやってきた記録です。全く取り留めのない、カオスみたいなものです。画家のミレー、質実のキュリー夫人、芸に優れたパガニーニが集まっても、どうなるやら。でも私はカオスにも何かしら法則があるのでは、と考えています。カオスって、個々の成分はバラバラな方向に動いているようでも、全体としては途方もないエネルギーを持っています。エネルギーのカタマリ。真の新しさはカオスの中でこそ生まれるのでは無いでしょうか。

以下は「青木繁」という一人の画家を集中的に観た時、頭の中を瞬間的に走った妄想です。「隣人の牧場との境はどこだっけ、という問題は身近で、法律はそのためのもの。他方、物凄い長期間では、そこは海の底かもしれず、インド大陸が中国の下に潜り込んでいるかも知れません。そのスケールになると、法律は無力です。精密さを求める方向以外にも、さらに根源的な問題を解く手法があるのではないか、と考えます」。ここにお示ししたのは、単に名前と国籍ですが、その変遷に注意すると面白いことが浮かび上がって来そうです。それを明らかにしたいですね。

千葉のF高







今回はエッセイ「青木繁」でしたが、次回は予定に戻って「薔薇の騎士」になります。
















<<Appendix 雑記帳トップへ戻る