「こうもり」年末恒例ヨハン・シュトラウス  2011.12.10

暗いマーラーの音楽が一応終了しましたら、次には明るいオペレッタを取り上げたくなりました。まだマーラーを聴いている最中にそう思った次第です。欧州では年末/年始の出しものとして、この「こうもり」が定着しているようです。別に「こうもり」でなくても良さそうですし、あるいは「ヘンゼルとグレーテル」、あるいは「ピーター・パン」、あるいは「胡桃割人形」などが定番になっています。これらは子供を意識して選ばれていますが、大人が楽しむには「こうもり」のオルロフスキー公爵のひと言「シャンぺンよ!」が相応しいと考えました。



(204)モノローグ「こうもり」の本質
年末の一晩をこういうオペラ(というよりオペレッタ)を楽しんで過ごすのは一年間マナジリを決して励んだご褒美。チョッとした成功をニヤニヤしたり、しくじりをウジウジするより「シャンペンよ!」というのに集約されています。「どんな苦労をしたか」なんて済んでしまえば過去の話。世の中を楽しまなければ人生の無駄使い。それよりも次の目標に向かって算段する方がマシ。そのための一晩です。

如何にしてアイゼンシュタインから懐中時計を巻き上げるか、ロザリンデは策略を練り、実際に懐中時計を手に入れてしまいます。男とはかくもモロく、おめでたい存在、それを思い知らせてくれます。モーツアルトだったら笑い転げてしまい、ベートーベンだったら不真面目だ!と怒り出しそう。世の中、あらゆる楽しみを犠牲にして、いや犠牲という言葉も知らず、ひたすら努力することに意味があるという紳士淑女の皆様、それは良いことだけれど、ふと肩の力を抜いて深呼吸してみることもお勧めです。劇中で大時計が鳴って、皆ハッとして日常に戻るところなぞ、これはまさに忘年会です。

第2幕には有名な場面があって、「楽しい」とだけ叫び、紳士も淑女も一緒になって踊り回ります。オペラのスジなんてココではどうでも良いのです。愉楽の園を、それに相応しく踊るのです。また、その音楽の素晴らしいこと!ここはそれぞれの劇場の演出家によって様々な工夫がなされます。つまりゲストが登場して、「こうもり」って何?という調子で流行歌を歌ったり、まるでレビューみたいな世界が現れます。もちろん録音資金の心配な場合はそういう贅沢はできないわけですが。パーティ会場に皇帝ヨーゼフ2世から呼び出しの電話が掛かってくるという設定など、工夫が一杯。歌舞伎にもそのように愉楽を尽くす場面がありますよね。
千葉のF高



(205)モノローグ どんな「こうもり」があるか
私が持っている「こうもり」は5種類あります。クラウス指揮/ギューデン/リップによる版、カラヤン指揮/シュワルツコップ/シュトライヒによる版、そしてカラヤン指揮/ギューデン/ケートによる版、ボニング指揮/グスタフソン/ハワーズによる版、そしてミンコフスキー指揮の版があります。カラヤンの2種類とクラウスのは画像の無い音だけの世界、ボニングとミンコフスキーのは画像を伴います。さらに区分しますとカラヤン指揮/ギューデン/ケートのはLPのみであり、ミンコフスキーのはテレビ放送された画像をDVDに転写したもの、そしてボニングのは夫人のサザーランドが引退するのでその画像を録っておこうとデッカが乗り出したもの。カラヤン指揮/ギューデン/ケートの版でも同様に第2幕の途中にガラ・パフォーマンス(テバルディ、サザーランド、ニルソン、プライス、ヴェリチ、シミオナート、ベルガンサ、デル・モナコ、ピョルリンク、バスティアニーニ、コレナによる歌唱)を挿入してあり、それを含む版と含まない版の両方を発売しています(私の持っているCDには含まれない。聴くならLPの方のみ)。そのガラの場面にはデッカのオールスターキャストが参加している外、プロデユーサーのジョン・カルショウによると、フラグスタートも電話で参加することが計画されていました(パフォーマンスは1960年録音だが、フラグスタートは病気で2年後に死去。だからこそ電話による参加が考えられました)。カルロス・クライバーが指揮したものは、VHS時代に頻繁に観ました。ここではCDによる比較だけとします。

正歌劇と喜歌劇
オペラと一口に言いますが、分類すれば真面目な結末を迎える正歌劇(「トリスタンとイゾルデ」や「ドン・ジョヴァンニ」等)と、コミックな結末を迎える喜歌劇(「こうもり」や「メリーウイドウ」等)に分けられます。後者はオペレッタと呼ばれ、上演する劇場もオペラハウスというより、もう少しこじんまりした所で扱われるのが通常です。ウイーンの正歌劇をするオペラハウスが有名なシュターツオーパー(国立歌劇場)だとすれば、この喜歌劇は普段はフォルクスオーパー(国民歌劇場)です。ただしそうは言っても「こうもり」は例外で、最も華々しい年末にはシュターツオーパー等で上演されます。精一杯着飾って出掛ける年中行事として定着しています。そうやって寒い冬を乗り切るのですが、我々もここで元気が出る楽しい「こうもり」を取り上げた次第。

「こうもり」のあらすじ
初めは銀行家アイゼンシュタインの家。舞踏会に来いという誘いの手紙をもった女中アデーレが、叔母が重病だからぜひお見舞いに行くための休暇を、とアイゼンシュタイン夫人のロザリンデに偽って願いますが、とんでもない、と却下されます。またテノール歌手アルフレードがロザリンデに言いよりますが、夫がいるのよ、と追い返されます。アイゼンシュタインは8日間禁固刑の宣告をうけている身ですが、友人ファルケがオルロフスキー公爵の館である舞踏会に行こうと誘い、禁固は明日からだからそれまで楽しもうよ、と入れ知恵します。アルフレードに心うごくロザリンデは、アデーレを田舎にでもやれば誰も知らないことだし、と秘かに考えますが、夫を刑務所に連れて行くはずの刑務所長フランクが現れて仰天。体裁を作るため「この人(実はアルフレード)は夫です」とウソを言って場をとりつくろい、アルフレードがアイゼンシュタインの代わりに刑務所に引かれていきます。

第2幕はロシア貴族オルロフスキー公爵の館。そこにアイゼンシュタインがフランス貴族だと偽の肩書きで現れます。アイゼンシュタインはそこにやって来たアデーレをまるで自分の家の女中そっくりだと言いますが、逆に文句を言われます。さらにフランスの侯爵を自称する友人のファルケが現れ、怪し気なフランス語で会話。アイゼンシュタインは浮気心を起こして、何と仮装した夫人のロザリンデに言いよるが、ロザリンデは知恵を働かせ、夫から腕時計を巻き上げます。

次にあるのは舞踏の場面。楽団がジプシー風の音楽を奏でると、夫人のロザリンデはハンガリーのチャルダッシュを歌います。アイゼンシュタインは皆に、昔舞踏会の帰りに、友人ファルケがこうもりの扮装をして路上に眠りこんでいたのに、自分はファルケを置き去りにしたことがある、と言います。そのあと第2幕のフィナーレになり、そこで皆で楽しくすごそうよ、と舞踏の場面になります。この場面は演出家の工夫にまかされています。舞踏のあと、アイゼンシュタインはロザリンデから懐中時計を取り返そうとしますが、ロザリンデは大切な浮気の証しを守ろうとして混乱になります。そこで大時計が朝6時だと知らせるので、皆々大慌てでそこを去って行きます。

そして第3幕は刑務所の入り口。所長フランクが「シャンペンの歌」を口ずさみ、昨夜一緒に踊ったアデーレを思い出します。アデーレが現れ、自分は実は女中だと打ち明け、女優になりたいから、とフランクに売り込みます。そこにアイゼンシュタインが来て、刑に服すために来た、とフランクに言いますが、もう収容されている、と信用されません。ロザリンデもそこに来て、自分が歌手アルフレードに惹かれたことを露にしてしまいます。しかしロザリンデは腕時計を突き出して夫に逆襲するので大騒ぎに。そこに友人ファルケが現れて、この騒ぎは自分が企んだ復習だったこと、それは大成功だったと告げ、一同了解。アデーレには女優になる夢を約束され、一同「シャンペンの歌」を歌って全曲が終わります。

千葉のF高



(206)モノローグ「こうもり」のCDの比較
(1)「こうもり」クレメンス・クラウス指揮ウイーン・フィル、1950年録音。
アイゼンシュタイン(ユリウス・パツアーク)
ロザリンデ(ヒルデ・ギューデン)
アデーレ(ウイルマ・リップ)
アルフレード(アントン・デルモータ)
オルロフスキー公爵(ジークリンデ・ワーグナー)
フランク刑務所長(クルト・プレーガー)
ファルケ(アルフレード・ペル)
この「こうもり」のCDは少し時代物だという印象があります。高音が固くてヒリヒリするのです。その点を除外しますと、掛けた途端には下記カラヤン盤よりテンポが遅い事に気がつきます。指揮者のクレメンス・クラウスといえばハプスブルクの血を引いた指揮者として知られています。そこからどのようなウイーンの香りがもたらされるか、と言う点は常に好奇心をそそります。初めの幕ではニコライ・ゲッダの声が弱いというカラヤン盤の心配が全く無く、パツアークの声は朗々としているので安心。リップの声が固いという批評記事も見ましたが、私の耳にはそうでもありません。リップは声の輪郭がはっきりとしていますが、シュトライヒと比すとさらに甘い声という感じがします。第1幕でロザリンデの登場後、その声は良く良く聴けばギューデンの声ですし、声のボリュウムも区別がつくくらい(少し大き目)。この両者にもう少しはっきりした区別がつくとなお良くなると想像しました。ここでのギューデンは上手いです。声を転がす時も、それを早送りする場面も、これは行けると思いました。年齢が行き過ぎないうちに聴ける声です。これが声楽の難しいところ。以前に「薔薇の騎士」のゾフィーとしてのギューデンに対して悪口を書きましたが、このロザリンデでは良かった。オルロフスキー公爵はアルトのジークリンデ・ワーグナーですがこれもナカナカ良かった。後で聴くカラヤン盤やボニング盤のオルロフスキーより好意をもちました。第2幕の幕切れの音楽がポツンと切れてしまうのが何とかなれば良かったのに。これはシュトラウスの作曲のせい?

(2)「こうもり」ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮フィルハーモニア管、1955録音。
アイゼンシュタイン(ニコライ・ゲッタ)
ロザリンデ(エリザベート・シュワルツコップ)
アデーレ(リタ・シュトライヒ)
アルフレード(ヘルムート・クレプス)
オルロフスキー公爵(ルドルフ・クリスト)
フランク刑務所長(カール・デンヒ)
ファルケ(エーリッヒ・クンツ)
この「こうもり」を掛けた途端に思ったのは、何と筋肉質な音楽だろうと言う点。無駄が無く、リズムを微妙にゆらしているのが良くわかります。アイゼンシュタイン(ニコライ・ゲッダ)がやや弱い声なのが気になりましたが、アデーレ(リタ・シュトライヒ)の甘い声も、第1幕にあるロザリンデ(シュワルツコップ)のピンと張った声も、それぞれの場に相応しいものでした。カラヤンのテンポは速くなったり、遅くなったりします。またこれは全部のセリフに音楽が無く、セリフだけの箇所は、本当にセリフだけです。オペラ・コミーク劇場でやる「カルメン」のような、といえばお分かり頂けるでしょうか。そういう箇所は難しいと思うので、このカラヤン盤はセリフしゃべりの為に吹き替え用の俳優を使ったか、と疑いました。私の持っている「こうもり」全曲盤にはそういう注意書きは見当たらず。中でもシュワルツコップを聴きますと、本当に上手い人だと感心します。完璧です。こういうのと比較すると下記の歌手は歌い過ぎ、または遠慮し過ぎ、という印象になります。繰り返しますが、ゲッダのアイゼンシュタインは声が弱すぎます。一度、アルフレードの歌が「リゴレット」の中から採ったように聴こえましたが、時代的に前後しないのかな。大変スッキリとした「こうもり」ですが、気に入りました。第3幕の幕切れがもう少し長くても良かったのに、とは唯一のグチまじりの不平ですね。

(3)「こうもり」ボニング指揮コヴェントガーデン歌劇場管、1990録音。
ガラ・パフォーマンス付き、サザーランド引退、画像付き

ゲスト:ジョーン・サザーランド、マリリン・ホーン、ルチアーノ・パヴァロッティ
アイゼンシュタイン(ルイス・オライ)
ロザリンデ(ナンシー・グスタフソン)
アデーレ(ジュディス・ハワーズ)
アルフレード(ボナベンツラ・ボルドネ)
オルロフスキー公爵(ヨハン・コワルスキー)
フランク刑務所長(エリック・ギャレット)
ファルケ(アントニー・ミカエル=モーア)
演出(ジュリア・トレベリャン・オーマン)

これはサザーランドの引退記念公演として末代まで残るでしょうが、純音楽的な出来映えでいえば、先のカラヤン/シュワルツコップ版に一歩譲ります。セリフの部分がやや甘いことと、原譜にないようなセリフが挿入されており、しかも延々と続くからです。これは勿論構わないことですが、そのように時代に合うように、楽しむための大衆芸能だと割り切れば良いのです。トスカのように高所から落ちるとか、ケルビーノみたいに庭に落ちるとか、またはフランス語の会話で「ロンドン駅に列車は何時につくでしょう」、またはシャラポワの話等、会話練習帳みたいなセリフが多く飛び散ります。年末に聴く「狸大御殿」と言えば良いのでしょうか。ただ申し上げたいのは、第3幕冒頭に挿入された会話、芝居の間つぎによくあるコントの類い、あれは少々長過ぎます。この録音はハウスキャストだと思いますので、個々の歌手には触れません。ボニングには少々お節介さを感じました。アデーレ役の歌手は声は張りの良いものでしたし、オルロフスキー公爵はどこかの仏教国から来た客人の雰囲気を持っていました。またこの演出ではこうもりの復讐だと明かすのは第1幕の中になっています(本当は第2幕のはず)。またガラの場面ですが、サザーランドは緑色の、そしてホーンは青いジョーゼット生地(のように見えた)のドレス姿でした。先頭はパヴァロッティ。これで本当に最後だと思えば全て許せるレベルです。英国のブレア首相(当時)夫妻が観に来ていました。

(4)「こうもり」マルク・ミンコフスキー指揮モーツアルテウム管弦楽団、2001録音。
ザルツブルク音楽祭2001実況、画像付き。

アイゼンシュタイン(クリストフ・ホムベルガー)
ロザリンデ(ミレイユ・デルンシュ)
アデーレ(マリン・ハルテリス)
アルフレード(ジュリー・ハドリー)
オルロフスキー公爵(ダヴィッド・モス)
フランク刑務所長(ダーレ・デユジング)
ファルケ(オラフ・ベーア)
演出(ハンス・ノイエンフェルス)
この「こうもり」は西暦2001年以降の録音ですし、現代的な演出が売り物になっています。もし「こうもり」に基ずく象徴劇だと断ってから「こうもり」の題名で切符を売り出すなら(またはポスターにそう明記してあれば)構いませんが、この広告を見て「こうもり」の切符を下さい、という客がいたら、その客に対しては大変な失望を与えるに違いありません。もしその客が「こうもり」を初めて観るんだ、という場合だったらコトはもっと重大です。現代的な演出というのはあっても構いませんが、この「こうもり」ほど改作してしまい、元の薫りが無くなってしまうのは問題ではないでしょうか。音楽の流れもしばしば止まってしまい、一体あの親しんだ「こうもり」はどこにあるのか迷う子羊が沢山いるに違いありません。歌手はまずまずのレベルですが、コロラトウーラなど技術的な不満はあります。私の個人的な好みで言えば、もう結構と申し上げたいシロモノでした。また衣装のデザインは全く嫌いなものでした。全体に挿入部分が多く、時間も160分と長い。こう長いと、これが「こうもり」だってことを忘れそうです。

(5)もう一つあった録音
舞踏会でロザリンデが歌うチャルダッシュをヒルデ・ギューデンが歌ったCDがあります。しかもこれはカラヤン指揮ウイーン・フィルによる全曲盤(カラヤン2度目の「こうもり」)から抜粋したもの。1960年の録音ですからギューデンとしては、ややトウがたった感じです。思い切り声を張り上げて声を出しています(フォルテの方が高音は楽)。その範囲内で上手い。

近々の「こうもり」の上演
昨週、米国から到着したばかりのOpera News誌12月号によれば、今年もウイーン国立オペラ(12/31)、ウイーン国民オペラ(12/31)、ミュンヘン州立オペラ(12/31)、プラハ国立オペラ(12/31)、仏ローレーヌ国立オペラ(13/31)、ベルリン・コミッシュ・オペラ(12/31)等で年末恒例の「こうもり」が上演されるそうです。また「こうもり」と並んでこの季節に付き物の「ヘンゼルとグレーテル」(フンパーディンク)も各地で上演されており、ウイーンの国民オペラでは12/28に、ドレスデンのゼンパー・オペラでは12/12にやる予定です。ベルリン・ドイツ・オペラでは12/27にやりますし、米国ではメトロポリタン・オペラが12/26に、ヴァージニア・オペラが12/4に、やります。またその雑誌には我が国の新国立劇場(12/7)の「こうもり」上演も堂々と記載されていました。皆様、良いお年を。
(つづく)




















<<Appendix 雑記帳トップへ戻る