さまよえるオランダ人(ワーグナー)       2012.5.30

リヒャルト・ワーグナーの出世作「さまよえるオランダ人(Der fliegende Hollander)」はドイツ語の解釈から、時として「さまよえるオランダ船」とも訳されます。成功した出し物(バイロイト音楽祭で取り上げたという意味)の第1作がこれです。私は1955年版で聴くクナッパーツブッシュ指揮、アストリード・ヴァルナイのコンビによる演奏がもっとも耳慣れています。それを買ったのは私がまだ学生時代で、恐らく4年生頃ではないかと思います。モノーラル盤LPでした。それは国内盤がまだだったので、海外からやってきた貴重盤でした。後にそれをクラスメイトのW君に貸したのですが、ちょっとしたアクシデントに見舞われ、私は後日、ステレオ盤にプレスされた日本語版LPを入手しました。


(219)モノローグ「さまよえるオランダ人」のストーリー
むかしオランダ船の船長が傲慢なことを口走ったため(嵐の喜望峰を自分の力で超えてみせる、と言ったのです)、そのオランダ船に乗った船長は未来永劫、海をさまようという、恐ろしい呪いを悪魔にかけられてしまいます。それからと言うもの、オランダ船は決して喜望峰を超える事が出来ず、また自ら海中に飛び込んで自殺を計っても、いつの間にか助けられて船中にいる、という次第でした。すでに長年ずっとその身を嘆いてきました。ただ、オランダ人に純情を捧げようという無垢な女性が現れた時にのみオランダ人は救われるということになっていました。もしその女性が誓いを破ったときは、彼女にも恐ろしい運命が襲い、オランダ人はまた永久に船旅を続けなければならないとなっていました。その「救われる」というのは、オランダ人が死ぬ事ができるという意味です。だから決してすべてがハッピー・エンドでは済まず、オランダ人の口走ったことの償いはしっかり取られることになっています。呪われたのはオランダ人船長だけで、普段船は死者達が悪魔の手配で運航しているという話。

この話は映画にもなっています。始め幸せに海を見ていたところ、見知らぬ船が停泊しているのに気がつきます。そのヒロインは結局「さまよえるオランダ人」のストーリーに従って未来永劫まで救われないことになるのですが、それを映画らしい映像に納めたもの。私はそれを中学生時代に深夜映画として見、さらに日中に2回見ました。実際あの頃テレビで親しんだ様々な映像は私の糧になっています。当時はまだワグネリアンという言葉の意味も知らないままでした(その頃、私はヴェルディ「椿姫」に夢中でした)。そして「さまよえるオランダ人」の最初の不協和音から最後の音まで通して聴くにはさらに時間がかかり、1964年にならないと全曲を論じることはできませんでした。

一旦知ると今度は徹底的に分析してみたくなるものです。当時の私の好みは同じワーグナーの「ワルキューレ」でしたから、それと比すとやや大人しい印象しか持たず、結局今まで舞台で観た経験は3回しかありません。東京で二期会が上演したものと、ジャン=ピエール・ポンネルの演出したものをニューヨークとサンフランシスコで観ています。もう一つの思い出は、日本ワーグナー協会が創立されて2年目の時に、東京赤坂の草月会館で総会を開いたのですが、お決まりの行事のあとで、ドイツで撮った映画を全幕みせて貰ったことです。ゼンタ(Sp)とダーランド(Br)が最も重要な役割りを演じますが、1960年頃では新人のアニア・シーリアが有名でした。バイロイト音楽祭を取り仕切っていたのはヴィーラント・ワーグナーとウォルフガング・ワーグナーの両孫でしたが、最もショッキングな改革をしたのは前者でした。

戦後のバイロイト音楽祭を再開した時の最初のゼンタには色々な人が挑戦しましたが、戦後のピーク時を担当したのはアストリード・ヴァルナイでした。これに対して戦後の著名なバリトンだったハンス・ホッターがニューヨークで一度これを勤めたことがありますが、それは誠実な音でした。ヴァルナイがゼンタ役から降りた時、次に出て来たのがかのシーリアだったのです。私はそのころ、ナジェジタ・クロプニパがゼンタを歌った第2回目のベルリン・ドイツ・オペラの引っ越し公演をテープで聴いたのですが、クロプニパの声は取り立てて素晴らしいとは言えなくても、ワーグナーに飢えた耳には十二分に素晴らしかったという記憶が残っています。またシーリアの来日のあと、評論家によるインタビューで、いつイゾルデを歌う積もりですか、と尋ねられた所「それはもう歌いました」と答えたのは痛快でした。音楽祭の引っ越し公演では「ワルキューレ」(シーリア、トーマス、そして指揮はトマス・シッパーズ)と「トリスタンとイゾルデ」(ニルソン、ホッター、ヴイントガッセン、そして指揮はピエール・ブーレーズ)だけやったのですが、皆の関心は後者に集中していて、あまりシーリアは注目を集め無かったのです。インタビューを受けたシーリアは、そういう事を今更聴かれてもねえ、と答えていたのが印象的でした。

千葉のF高


(220)モノローグ「さまよえるオランダ人」の全曲録音の比較
1.ヨゼフ・カイルベルト指揮、アストリード・ヴァルナイ(ゼンタ、Sp)、ヘルマン・ウーデ(オランダ人、Br)、ルートブイッヒ・ウエーバー(船長、Bs)、ルドルフ・ルスティッヒ(エリック、T)1955年バイロイト音楽祭実況、テルデック、4609-97491-2
少し前までこのCDは最もポピュラーなものの一つでした。余りの人気にCD以前にLPとして発売されていたものです。ここで様々なキャスティングで「さまよえるオランダ人」を聴いたのですが、正直言って始まりはがっかりしました。あやふやな音程を必死で追いかけ、声もようやく出しているようです。ただ、これは後半を聴いて誤っていたことが分かりました。つまり音が小さすぎたのです。マトモなオペラの音量で聴くとコレは本当に素晴らしい指揮ぶりでした。特に後半宴会の歌のリズムが少し崩れるところ、あれはワザとでしょうから、カイルベルトの指揮特有のものと思います。さらに宴会の歌全体が素晴らしいもので、足音を加えて録音していますが、ああでなくては、と思った次第です。ゼンタ以外のキャストはあまり歌がどうこう言えるレベルではありません。でもこれは記念になる録音でした。最後近くでオーケストラが「トリスタンとイゾルデ」の第2幕の狂おしい場面のように響きますが、これも素晴らしい。

2.クナッパーツブッシュ指揮、アストリード・ヴァルナイ(ゼンタ、Sp)、ヘルマン・ウーデ(オランダ人、Br)、ルートヴィッヒ・ウエーバー(船長、Bs)、ウオルフガング・ヴィントガッセン(エリック、T)1955年バイロイト音楽祭実況、デンオン、CD-319
クナッパーツブッシュ指揮というのにまず惹き付けられましたが、カイルベルトとはまた異なる魅力があります(噂によればクナッパーツブッシュとカイルベルトは互いに犬猿の仲とか)。クナッツパツーブッシュは、本によると同年同じく「さまよえるオランダ人」を指揮するのがカイルベルトと聴いて不機嫌そうな仕草をしたそうですが恐らくこのCDの出始めの1/3はそれ意識していたのでしょう。それが時が経つとともに忘れてしまい、本来のクナに相応しくなります、聴き手にとってこれはチャンス!となります。これは聴きながらも気になったのですが、実際音楽がワーグナーらしく無い場合も、最もワーグナーになりきった場合も、聴いてみるとどちらもクナです。始めの1/3で比較すれば、このクナ盤を聴く方が楽しく、もっともワーグナー的な音楽を聴かせる場所は勿論クナの圧勝でした。コレを実感。それが残りの2/3の部分では必ずしもそうでなく、これは音楽の趣味の問題だと思います、テンポが揺れています。それは歌手達が万全の声を保っていただけに、明らかです。でも問題なく最後の1/3ではクナの思うままでした。それはアコーギクというのでしょうかテンポの揺れ、そのテンポ自体の大きな揺れ、合唱の部分におけるそのタイミングのとり方、が思うままに、ある意味では勝手気ままにゆれ動いて居たからです。ヴィントガッセンのエリックが示した思うばかりの声の使い方の巧さ、そのかわりオランダ人の声の用い方がそれまでと少し違い、オヤと思うような音色を聴せました。その点ヴァルナイの歌はいうこと無しでした。最後のシーンで声がすこし小さめに聴こえたかも知れないというリスクを犯していましたが、他の場面ではそうではない。あらゆる点からみてヴァルナイは万全です。それも他の年のものでフト感じる声の限界をここでは全く感じられないのです。

そしてもう一つ、この録音トラックには最後に1956年のクナッツパーツブッシュ「神々のたそがれ」から「ジークフリートのラインの旅」と「ブリュンヒルデの自己犠牲」が入っていますが、これぞクナの最高傑作の録音であることを示しています。ヴァルナイは声の状態が録音技術の進歩に比して早すぎたのですよ、他の誰がこれほど完璧なブリュンヒルデを歌えたでしょうか。ニルソンでも無理でした、録音を無視すればフラグスタートより素晴らしい声を聴かせます。このヴァルナイのゼンタを聴いて家内はクナッパーツブッシュを聴くと正統派を聴いているという感じがするわ、と感想を述べました。

3.ゲオルク・ショルティ指揮、ジャニス・マーティン(ゼンタ、Sp)、ノーマン・ベイリー(オランダ人、Br)、マルティ・タルヴェラ(船長、Br)、ルネ・コロ(エリック、T)、1977年、シカゴ響、ロンドン、414-551-2
1977年録音。平たくいって、最初の音からして私の求めるゼンタの音ではありません。それは平凡というより、平板な演奏だと思います。ただし、最初のシーンでは大きなうねりが押し寄せるような力を感じます。私が違和感を覚えるのは、ノーマン・ベイリーとマルティ・タルヴェラの二人を重要な役柄に採用したことです。その両者の声は似ています。もっとコントラストを付けないと!他にもおかしいと思ったのはルネ・コロの歌うエリック役ですが、荒くれ男の集団の中にポンと置かれたフランス貴族の末裔、という姿を想像させたことです。いわんやゼンタって誰でしょうか。周りの娘達は亡者のように、疲れた目をして歌うのです。しかもこのマーティンのゼンタは、ありふれた街の娘という感じでした。ショルティの指揮が立体感が無いと申しましたが、一音一音は丁寧に音符通りに歌っていても、オペラってそれだけでは魅力が乏しいので。合唱はもっと低音部を尊重しましょう。

ところが音楽の後半になると突然にショルティがよみがえります。音が美し過ぎるのが欠点ですが(!)、ゼンタはドラマティックな勢いを示し、エリックだってこれは立派なエリックでした。ただ、相変わらず二人の低音が似た声をしているため、区別が付かない場面が多々見られます。それに合唱もショルティの趣味でしょうが、2つの男性グループ(オランダ人とノルウエー人)を区別せず、いずれも力一杯歌わせるため、音は良いのですが区別がつかないのです。私だったら、この2つのグループは分けて、このようなやり方でなく、録音だけというメリットを活かしてオランダ人達の合唱を遠方から響かせ、あるいはその中に意図的にバスを多く混ぜて区別を計るだろうと思います。でもこのショルティの「さまよえるオランダ人」後半の勢いには圧倒されました。

4.フリッツ・ライナー指揮、キルステン・フラグスタート(ゼンタ、Sp)、ヒエルベルト・ヤンセン(オランダ人、Bs)、ルートヴィッヒ・ウエーバー(船長、Br)、マックス・ローレンツ(エリック、T)、1937年、コヴェントガーデン王立歌劇場、StadingRoomOnly、SRO-808-1
これは1937年のコベントガーデン王立歌劇場の実況録音、の一部分の短縮版です。従って掛け始めの娘達のささやきとか、また有名な「水夫の合唱」もありません。フラグスタートの歌声は「ゼンタのバラード」や終わりの部分で聴く事ができます。やはり時代が時代だからなあ、と開き直って聴くしかありませんが、それでも最後のシーン(ゼンタのソロの部分)は恐るべき胸声を響かせています。でも私は、このCDの作り方に異議があります。やはり水夫の合唱がないのは不満です。またこの録音がフリッツ・ライナーの指揮で行われたという点、それを1950年のメトロポリタン歌劇場のライナー指揮の実況と比較すると、1937年のライナーはあと少し円熟が必要だったと思わせます。

5. ウオルデーマール・ネルソン指揮、パルズレフ(ゼンタ、Sp)、サイモン・エステス(オランダ人、Br)、マッティ・サルミネン(ダーラント、Br)1985年バイロイト音楽祭実況、映像付き
1985年録音のバイロイト音楽祭実況。これは心理劇を全面に押し出したもので、ゼンタが死んだのは確かだが、オランダ人は?という気持ちもあります。リューディゲの歌うゼンタは高音まで十分に出ますし、その声は時間が経つ程適切に響きました。声が少し堅いのですが、音が大きいだけ、十分に味わって聴くことができます。エステスのオランダ人は、声が少しだけ普通に聴こえました。また全体に言えることですが、この演出で行くとなれば、どこでアップするか予め検討しておく必要があります。実際、ゼンタの顔をアップするとイヤに老けた顔だな、と思います。そして画質が上品すぎます。実際、ある場面では合唱がオランダ船に驚いてひっくり返る場面がありますが、あそこはここでひっくり返ってくれ、と予め言われた通りの予定調和の演技。

6.ロルフ・ロイター指揮、R.リューディゲ(ゼンタ、俳優)、G.ハネマン(オランダ人、Br)、俳優)、1964年映画版
映画を模写したもの、というか映画のストーリーに音楽を重ねたもの、とも言えます。役者が喉を開けてみせているだけでは無いようですが。リューディゲはアゴの辺りが何となくブリジット・バルドーを彷彿とさせます。純粋の音楽として聴くと、これはかなり出来映えが問題の作品。声が出ていないし、伸びてもいません。それでも「さまよえるオランダ人」のあらましを手軽に楽しもうとすると、これは価値のあるものです。かなりの刈り込みがありますが、ストーリーはまずまずです。ダーラントの姿がなんとも嫌らしく、金の亡者という感じが良く分かります。後半に入っても同様ですが、ここではゼンタの表情がありません。この演出で感心したのは、あの合唱の場面で、男達が脚を力強く上下させるカ所です。これは舞踏の専門家に違いない、と思いますが、顔はスクリーン上には見えません。終わりはあっけなく終了ですが、もし「さまよえるオランダ人」のあらましを知りたいという動機をもっているなら、これも選択肢です。

7.オットー・クレンペラー指揮、アニア・シーリア(ゼンタ、Sp)、テオ・アダム(オランダ人、Br)、マルティ・タルヴェラ(船長、Bs)、エルンスト・コツーブ(エリック、T)フィルハーモニア響、BBC合唱団、1968年録音、ニューフィルハーモニア、東芝EMI
1968年録音でまだシーリアには初々しさが期待できます。何と言ってもクレンペラーの指揮が素晴らしい。時としてどうして?とクビを傾げたくなるのですが、それもこの「さまよえるオランダ人」の価値の前には大した事ではありません。ダーラントは始め聴いた時は少し汚い性格があるな、と思いましたが、それも当たり前。序曲等の演奏は申し分ありません。そしてゼンタの登場後に聴かせる音は、時として頼りなく、どうしてこの若い娘が欧米で喝采を浴びたのか不思議になります。それでも父親やオランダ人との2重唱では思い切りが良くなったせいか、なるほどこの声で勝負したのか、と理解しました。ただ全曲を通じて感じたのは、合唱団が大人し過ぎます。もっと野性味のある声でこの荒くれ男の集団を表して欲しく、それを迎え撃つオランダ人は陰気くさい声で現して欲しかったと思います。総じてこのオランダ人は満足いくものではなく(私の耳には)、もう少しドスの効いた表現であって欲しい。

8.フリッツ・ライナー指揮、アストリード・ヴァルナイ(ゼンタ、Sp)、ハンス・ホッター(オランダ人、Br)、スヴェン・ニルソン(船長、Bs)、セット・スヴァンフォルム(エリック、T)、1950年録音、NAXOS, 8.110189-90
1950年のメトロポリタン歌劇場の実況です。ライナーの指揮ぶりは颯爽としていて、留まる所がありません。これでもかこれでもか、と迫るのです。それはあらゆる場合でそうなっていて、背景に流れる風の音や、BGに強調する太鼓の連打にも現れます。勿論音楽の進行もこれ以上は無いという程の凄まじさ。退屈する所がありません。無さ過ぎるのが欠点かも知れません。正直これを聴くとぐったりしてしまいます。エリックは他のエリック達と違って、堂々とゼンタと渡り合いますし、現れたオランダ人のホッターは堂々たる声で圧倒します。この3人の張り合う様は凄い迫力があります。ゼンタはまだ若かりし時代の、週給制の薄給に甘んじていた時代のヴァルナイです。声が自由で音域に不安がありません。CDの途中はフェードアウトでつないでいます。

そして後半。ますます指揮者万歳です。面白くテンポが変わります。イン・テンポに進む所が面白い。ヴァルナイの声は鋭く天を切り開くようですし、またエリックも負けていません。対するオランダ人のホッターは大事に音符を拾っていますが、これが最後のシーンになるとオランダ人が如何に絶望したかをしみじみと聴かせます。その直前にある合唱ですが、これは秀逸。音が揃っておらず、まるで飲んだくれの海の荒男ですが、この曲には相応しい。指揮者の札付きです。それで歌たい放題歌うので、暴力的な素晴らしさです。対するオランダ船の方からはもう少し整った声で遠方起源で聴こえますが、これも筋に相応しい。ショルティ版は巧い合唱を聴かせましたが、でもあの時はまるで整った教会の歌みたいでした。私はこのフリッツ・ライナーの指揮ぶりが大好きです。

9.アントラ・ドラティ指揮、レオニー・リザネック(ゼンタ、Sp)、ジョージ・ロンドン(オランダ人、Br)、ジョルジョ・トウッイ(船長、Bs)、カール・リーブル(エリック、T)、コベントガーデン合唱団、1962年録音、ロンドン、POCL-3935/6
1962年録音。ドラティの指揮というのは余りアピールしなかったが、聴いてみて思い違いだったと感じさせられました。これを聴くと壮大なスケールで作られていることが分かります。そして合唱に心がこもっていて事務的ではありません。シーリアの出ていた盤ではどうしても合唱が弱いのです。あと色々な細部がありますが、何よりもここではスケールの大きさを強調したいと思います。男性陣のジョージ・ロンドンの歌うオランダ人は思い切り巻き舌を聴かせたもので、堂々と歌っていましたから、ロンドンって悪く無いじゃないか、と感じた次第。ただバスを歌うジョルジョ・トゥッィとロンドン演じるオランダ人の声が互いに良く似ているのが問題です。そしてレオニー・リザネックの歌うゼンタがやや覚束なくてブラーヴァとは言えないのです。当時様々な役柄に挑戦していましたし、そのリストを見るとさぞや、と思いたくなるのですが。まだ見限ってはいませんが、いつまで続くでしょうか(リザネックの声質に欠点がある)。

この後半戦ですが、ゼンタのバラードに始まり、オランダ人とともに滅んで行くところまでをカバーします。私はこの場面を聴いて、ドラティを見直し、リザネックとロンドンを再評価したくなりました。そして合唱は相変わらず巧い。何よりドラティの腕でしょう。ある種のスピード感を持ち、どんどん飛ばして行きます。これが快適に響きます。途中はまるで「トリスタンとイゾルデ」第2幕にある進行形のパッションが感じ取れました(3小節程度しかありません)。これをあとで家内に話したら、「あ〜それそれ!」という答えが帰ってきました。キズが無い訳ではなく、例えばオランダ人が影から飛び出して「これで永遠に去ったのだ」と叫ぶ所はもっと強く、自暴自棄で歌って欲しいのですが、3小節ぐらいやや甘いかな、と思った瞬間がありました。それ以外は素晴らしい、の一言に尽きます。リザネックのような歌手は、ゼンタのような幕切れ部を持つ曲であれば、幾らでも存在価値があるのだ、ということをようやく認識しました。

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全曲ではないが、「さまよえるオランダ人」の部分からそのイメージを得られる演奏:
10.インゲ・ボルク:1955年モンテカルロで録音、ジーン・フルネット指揮, ORFEO、C714061B
インゲ・ボルクの名前はドイツ圏では有名です。大関格のソプラノとして活躍しました。その写真を見て最初に感じるのはドイツのソプラノだなあ、ということ。はっきりした性格だということが分かります。そのワーグナー歌唱を聴いたとき、先ず感じるのはこの人はワーグナーでなくても歌えるだろうなと言う事、ただここで示された録音は古いためもあって、全力投球していますが、やや声が思うようには出きっていないと感じました。それにしてもボルグを引退に追い込んだのは、追い込んだ方が悪い!(あるいは気が利かないなあ)

11.レオポルト・ルートヴィッヒ指揮、フィルハーモニア管弦楽団、ビルギット・ニルソン、ハンス・ホッター、1957年録音、東芝EMI、TOCE7299
この録音は長い間、イチオシとされたものでした。まずはハンス・ホッターの全盛期の録音として無敵であること。そしてニルソンの若々しい声質、どこでも思うままに出て来る音量、等は聴くものの耳を捉えて離さないところでした。結局はこの録音は後にデッカの録音としてよみがえりました。ニルソンはゼンタ役でバイロイトに出た事はありません。私はむしろニルソンがバイロイトで歌っていない諸役、オルトルート(ローエングリン)やクンドリー(パルシファル)やジークリンデ(ワルキューレ)の中にこそワーグナーのいい所がある気がしますが。いずれもヴァルナイの得意とするところです。ニルソンの声の本領が超ドラマティック・ソプラノだった、と思えば良いと思います。彼女の歌うクンドリーなぞは、チョッと想像し難い感じです。

12.アストリート・ヴァルナイ
WPCS-10643/4、1955年録音、テルデック。20世紀のディヴァ達

ヴァルナイの1955年の録音です。これは前年の録音と比すとやや舞台後方から声が聴こえます。またゼンタのバラードでは最後に力んで叫ぶというか、怒鳴るカ所があります。それが好き嫌いを左右するでしょう。

13.キルステン・フラグスタート
1949年サンフランシスコ歌劇場コンサート実況、NAXOS、8.110143

これは1937年のよりさらに進んだ抜粋で、サンフランシスコ歌劇場の実況です。当時まだまだ勢いが衰えない反ナチス、または反ドイツの雰囲気の中で無事にフラグスタートは戻ってきました。声は万全ではありませんが、一応キチンと歌っています。あの雰囲気でワーグナーを歌うのは神経を尖らしたに違いありません。妻はこれを聴いて、きちんと歌う人ね、と感想を述べました。

14. アストリート・ヴァルナイ
1954年録音、Archipel Records, ARPCD 0221、

ヴァルナイが1954年のコンサートで歌った時の録音です。声はまずまずという感じですが、時としてアレと思う場面もあります。ヴァルナイ・クラスになると採点も厳しくなります。これは私の耳には、そしてヴァルナイのファンとしては、決して彼女を代表する歌唱ではありません、と申し上げます。

15.キルステン・フラグスタート
1948録音、ハヴァナ・コンサート、EKR-CD-15

1948年のキューバのハヴァナでのコンサートの実況録音です。この時期フラグスタートの声は万全でしたが、別の理由で欧米の大劇場から閉め出されていたのです。最初の声に驚かされます。それは音程の揺れとか、息切れとかを全く感じさせない説得力に富んだ物です。堂々とした声。だた、これは後の録音でしばしばお目にかかるのですが、特に高い声を出そうとすると、昔はこんなじゃなかったけどなあ、という印象を否めないのです。

16.ジェシー・ノーマン
クラウス・テンシュテット指揮、ロンドンフィル、1987年録音、EMI、CE33-5335

これは珍しい録音です。まだ若い時代のノーマンの声が響き渡るのは壮快です。響きは一様でムラがありません。それで全音域がしっかり出ていますから、これを聴く方でもしっかり受け止めると気分爽快です。なぜこの時代に全曲盤を録って置かなかったのかと、レコード会社の怠慢を言いたくもなります。そしてゼンタという役柄は、単に若々しいだけではなく、チョッとばかり偏執狂的な要素があるので、ここでノーマンが歌うようなやや暗い音質で、力を秘めて歌うのが魅力的に響くのです。

17.ワルトラウテ・マイヤー
ロリン・マゼール指揮、バイエルン放送管弦楽団、1996年録音、BVCC-762

マイヤーの声はやや遠くから聴こえ、また声の分離や切り込みに不満が残りました。ショルティお勧めでしたが、私の耳には声量が不足です。

18.フリートリッヒ・ショル(Bs)
右側か、他。WAGNER、No.6、220722-321F、1922年録音

1922年の録音だけに、技術的な不如意はありますが、ショルはあまり技巧を感じさせない、素直な歌いぶりで全部の曲目を歌っています。風格が感じられます。途中からメラニー・クルトと交代で歌いますが、このクルトという人はまずメゾ・ソプラノのような声質の持ち主でした。高い所に行くとふと力が抜けてしまい、あまり力強く響きません。

19.ハンス・へルマン・ニセン(Bs)
右側か,他。Wagner、No.6、220722-321F、1928年録音

これは録音されたのが1928年ということから、ある程度は覚悟していたのですがマアマアの音質です。それにニセンの声が意外なほど若々しく感心しました。古い録音ですからヒリヒリノイズが邪魔ですが、それさえ耐えられれば大丈夫。

20.(スイトナー指揮)トマス・スチュアート、ヨゼフ・グラインドル、バイロイト音楽祭の100年
これはLDの時代に買ったもので、次のウオルフガング・サヴァリッシュ指揮のものと共に、殆ど視覚専用です。合唱の場面を指揮トレーナーが行いますが、これは女性でした。合唱そのものというより、ああいう雰囲気でやるものか、と感慨深いものでした。本当に動物を追いかけるような感じです。でも幸福でしょうね、こういう練習に熱中できるのですから。スチュアートとグラインドルの掛け合いも、色々な組み合わせで聴いてきましたが、スチュアートがバス、グラインドルがバリトンだということを再確認しました。スチュアートが素晴らしい声を出していました。その代わり、グラインドルの声にちょっと不満が残りますが、これはあくまで正式上演の前のゲネプロみたいなものなので、声をセーブしているのかも知れません。

21.(ウオルフガング・サヴァリッシュ指揮)アニア・シーリア、バイロイト音楽祭の100年
ここでは「ゼンタのバラード」の始めの部分が聴けます。マリー役の女性らと共に腰掛けていますが、20代の始めになったシーリアが聴けます(これがバイロイト・デビュー)。自信満々ですが、巧く歌えるかどうかはこれから聴衆のテストにさらされるわけです。頑張って。

22.ロブロ・フォン・マタチッチ指揮、NHK交響楽団(1968年)
NHK響、アーカイブ
序曲だけを演奏しています。これは心地よく、颯爽と響きました。まるでスピーカーから音が飛び出すような感じ。但し欠点もあって、それは音の粒子が粗いということです。マタチッチの指揮した録音は、時として物凄く高く評価されていますが、音が蜜かどうかという点にはご注意。間違ってもカラヤンみたいな磨いた音ではありません。

23.ヨハンナ・カズキ(Sp)
Wagner、No.1、220722-321/A、1908年録音

これは余りに古い録音で1908年という古さです。ソプラノとバリトンの掛け合う始めの部分が取り上げられています(別記のニルソン/ホッターのカ所)が、ソプラノは高音は出ていますが、決して判断可能な声質ではありません。バリトンの方は明らかに不満が目立ちます。その歌と声はまるで湯上がりのおじさんです。

24.エリザベート・レートベルク
Wagner、1930年録音、220722-321/J

1930年録音というハンディにも関わらず、これは堂々とした歌唱でした。ソプラノが独特のキョロキョロとする場面はオッカナびっくり聴きましたが、これは歌唱法の違いでしょう。高音部をキョロキョロとさせ、急ぎ終わらせるのです。この時代のソプラノは誰でもそういう傾向があると思いました。

25.オットー・クレンペラー指揮
オットー・クレンペラー指揮、フィルハーモニア管、エミ、1960年録音、EMI、7243-5-66805-2-4

クレンペラーの指揮というのはかつて少しがっかりした経験があるので、今回久しぶりに聴くオランダ人の序曲はいかがと興味しんしんでした。それが素晴らしい突進力のあるオーケストラを聴かせます。これは凄い演奏でした。少なくとも私が18歳の時にこれを聴いて感心したのも当然です。

26.ウイルヘルム・ピッツ
ウイルヘルム・ピッツ合唱指揮、バイロイト管、1958年録音、グラモフォン、429-169-2

お馴染みのバイロイトの音ですが、少し音がしゃくれて聴こえました。開幕から3ツの合唱を聴いた次第ですが、「これぞバイロイトの音」という程の深々とした音で無かった(少なくともこの「さまよえるオランダ人」に関して)のが残念です。

27.ハンス・ホッター
Wagner、No.5、1942年録音、220722-321/E

録音は1942年ですが、音とのバランスが良いのです。もちろんホッターはこのオランダ人という呪われたキャラクターを問題なく現しています。これも素晴らしい、こういうキャスディングでオペラ全曲録音が残されていないのは残念で仕方がありません、あったとしても(例えばコレ!)海賊盤として、という注釈がつきます。

28.マリア・イエリツア
マリア・イエリツア、1926年録音、MONO 89079

これはイエリツアの1926年の録音を集めたものです。当然「ゼンタのバラード」も突然幕が降りて来た表現になります。声それ自体は中々良かったと思います。私がチョッと心配したフリーダ・ライダーやネリー・メルバの古い録音の音みたいに響く心配は無用でした。均質な声をしています。それを出す高音部は魅力的です。

千葉のF高


「さまよえるオランダ人」の演奏について
舞台で上演する時は全幕を一幕として扱う場合と、3ツの幕に分解する場合があります。どちらを好むかは各人の好み。とにかく切り難いのです。古い伝説に基づくお話ですが、こういうストーリーに郷愁を感じるのは私だけでは無いと思います。今度の6月10日に錦糸町のホールで「さまよえるオランダ人」の全幕のコンサート形式の演奏が行われる予定で、私も妻を伴って一緒に聴きに行きます。今までの経験から、完全なコンサート形式では無いような気がします(期待しています!)。「水夫の合唱」の際には大きく体を揺らすことと予想しています。

これでこの章は終わり。次回は「ヴェルディとワーグナーの可視化」を予定しています。













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