三つのオペラを聴き直す   2012.9.10
秋を迎え、音楽を再び聴きましょう。どの音楽から開始するかで悩みますが、ここでは古いもの、滅多に掛けないものから選ぶ事にしました。最初の古いもののグループですが、ここではブルーノ・ワルター指揮の1937年ザルツブルク音楽祭の実況から「フィガロの結婚」を選びました。この年と、年号はCDを聴く前から我々の注意を惹きます。すなわち翌年(この音楽祭の2ヶ月後)の1938年、ヒットラーは、オーストリアをドイツに吸収しました。それを考えると、大人しく聴いていられないのです。

そして2番目の「ワリー」。これはレナータ・テバルディとマリオ・デル=モナコのコンビによる最終商品です。テバルディはもっと声が自由だった時代に録音できたはずですが、デッカ社の苦渋の決断で録音しました。テバルディはここでは苦しい喉を絞っています。

最後にベルリーニの田園叙情劇「夢遊病の女」。作者ベルリーニが当時競っていたライヴァルのガエターノ・ドニゼッティの向こうを張ったもの。ジョーン・サザーランドの英国コヴェント・ガーデン歌劇場での「夢遊病の女」デビュウのライブです。登場人物はありふれた農民達で、貴族は一人いるけれどそれほど大きな存在ではありません。そこに夢遊病と言う珍しい病気に掛かった娘が、貞節を疑われ、色々あった挙げ句に疑いが晴れ、目出たく豪快なコロラトウーラ唱法の歌でメデタシメデタシとなる、というお話。



(232)モーツアルト「フィガロの結婚」について
ヴォルフガング・アマデウス・モーツアルトの作(1786)。これは凄まじい雑音の洪水で始まります。その洪水から楽音だけを取り出そうとしても、なかなか難しい。当初ワルターの「フィガロ」は少しあとにメトロポリタン歌劇場で録ったワルターの「ドン・ジョヴァンニ」と大して変らないだろう、とタカを括っていたのですが、この超特急で走る音は聴覚障害を起こしました。ここではフィガロは伯爵なみの低い声を出しますし、ああいう声で2尺、3尺とやられては苦笑してしまいます。ジャルミナ・ノヴォトナの歌うケルビーノの歌も物凄くテンポが速い。まるで早くこの上演を終えなければ破滅だ、と言わんばかり。伯爵夫人は全体の効果を考えていますが、他の歌手達がどこまでそういう共感を持っていたか疑問です。ワルターはどうしてそういうテンポを許したのでしょうか。やはり時代的背景が問題になります。ウイーンの常任指揮者等は既に解任され、そもそもマーラーの演奏も出来なくなっていましたが、ワルターはその最後の時期に、敢てマーラーをウイーン・フィルと共に取り上げ、その少し前にこのフィガロをザルツブルク音楽祭で取り上げました。実はワルターは不安で一杯だったのでしょう。実際、あるヒトはマーラーの第9番は、異常なほどテンポが速く、通常8分台のところを7分を切る速度で指揮していたと言っています。急がないと破滅が待っているぞ、と言う所でしょうか。

1937年8月ライブ版、ウイーン国立歌劇場Or
  伯爵 マリアンノ・スタービレ(Bs) 領主
  伯爵夫人 アウリキ・レツイ(Sp) 領主夫人
  スザンナ エスターレツイ(Sp) 女中
  フィガロ エツイオ・ピンツア(B) 作男
  マルツエリーナ ノーレーン・バリー 女中頭
  バルトロ ヴァジリオ・ラザーリ 医師
  ケルビーノ ジャルミナ・ノヴォトナ(Ms) 小姓
  ブルーノ・ワルター指揮、ウイーン・フィル

私の耳にはこのフィガロも、もう少し落ち着いて指揮して欲しかった。歌手達は、第2面になると全体に録音レベルが高くなって、互いの音色を比較できるようになります。エツイオ・ピンツアの歌うフィガロは相変わらずですが、それでも録音レベルの上昇によって、ホンの少しですが、ピンツアの声が笑いに包まれる余裕も見られます。音の速さは伯爵夫人にも引き継がれています。全体として第2面は第1面より良いのですが、あっちこっちテープを切ったり繋いだりしているため、評価し難いのです。そして最後の伯爵の「ペルドーノ(許してくれ)」と歌う後悔もそれが果たして本物かどうかはついに分からず。

そしてこのフィガロを買うかどうかですが、私みたいなへそ曲がりは別として、買わなくても構うまいという所です。どうしてもワルター指揮のモーツアルトのオペラ全曲を、というのなら、メトロポリタン歌劇場でやった「ドン・ジョヴァンニ」の方がお勧め。

千葉のF高


(233)カタラーニ「ワリー」を聴いて
アルフレード・カタラーニの殆ど唯一のオペラ。聴く時は、いつもだと歌を一つ一つ分解すように聴くのですが、ここでは全体の流れを重視する聴き方をしました。そうして聴くと、「ワリー」の全体としての流れで特徴が掴めたような気がします。結論からいうと、「ワリー」をエンターテインメントとしてとらえれば、それなりの評価になり得るということでした。なぜエンターテイントかは、聴いてみれば分かることで、音がモノフォニック(例えオーケストラが鳴り響いていても)であって複雑なポリフォニックな重層をみせておらず、おまけに映画音楽みたいに特定の音にずーッとポルタメントをかけているのが分かったからです。そして合唱がしつこいくらいに挿入されています。幕開けの最初の部分はまるでスメタナ「売られた花嫁」風であり、最初に登場するワルターは澄み切った音を響かせます。それがプリマドンナの登場となると音は大人しくなります。

ここで音といったのは「オーケストラの音」の意味です。このCDではレナータ・テバルディに歌わせていますが、その成果はあくまでテバルディの声を最後に保存しておく、という点に尽きます。声が相当固く、それだけ途中に挿入される音は響きが滑らかではありません。そもそも滑らかさというのは、若い喉なら、黙っていてもついてくる物です。実際、歌い手の声を保存したい場合を除いて、この「ワリー」の録音は失敗でした。最高音が出ないのを見越して、その部分をオーケストラが強い音で全体を支配するように工夫しているのに気がつかれることでしょう。同様にデル=モナコの声も同じく声に余裕が認められません。それでもこのデル=モナコは其れ自体が宝として思えるのですが、フト遠ざかって聴きますと声が不安定だなあ、とか、あの音はもっと繋いだ方が良いのだが、という不平不満が取り巻きます。もっと他の優秀な歌手(または全盛期の歌手)で聴いてみたかったと贅沢を言っています。

アルフレード・カタラーニ作曲、1892年にミラノ・スカラ座で初演。キャストは下記の通り。
  ワリー ヒロインの娘 レナータ・テバルディ(Sp)
  ハーゲンバッハ 狩人 マリオ・デル=モナコ(T)
  シュトロミンガー 地主 フスティア・ディアス(Bs)
  ワルター ツイター弾き リディア・マリンピエトリ(Sp)
  アフラ テレーサ ステファニア・マラグ(Ms)
  ファウスト・クレーヴァ指揮、モンテカルロ国立歌劇場Or.

それでは誰が、と聞かれるなら、この時期だったらエレーナ・スリオーティス(Sp)ではどうでしょうか。パヴァロッティと組み合わせてはいかが、と思うのです。デッカの声楽陣はそれくらい厚いものでした。スリオーティスにはチョッとこの曲に相応しい歌い方をコーチすればできたでしょう。歌と言えば一部が映画「ディーヴァ」に引用されたということで、それをセールスポイントにする宣伝が多いのですが、誰も「ワリー」とか「ジャンニ・スキッキ」(プッチーニ)が歌えたからって、目覚ましい新人を発掘したとは思いません。私は、ただ可能性を確かめたい人にスリオーティスとパヴァロッティの組合せを提案したのです。後半の音楽は取り留めない感じです。結局、このオペラは余り上演されない理由が分かったような気がします。

千葉のF高



(234)ベルリーニ「夢遊病の女」を聴いて
ベルリーニ3大オペラの一つ。結果的にもしノルマが誕生しなかったらベルリーニの存在はこの「夢遊病の女」になっただろうと言われています。「ワリー」同様、スイスのチロル地方に広げられる田園劇です。但し「夢遊病の女」には「ワリー」に無い、超絶的コロラトウーラがあります。それとベルリーニの方が舞台をある焦点に向かって盛り上げて行く術に優れています。結果的にその部分だけがくり返し、独唱等で取り上げられていて、曲をポピュラーなものにしています。古くは関屋敏子のキャリアにこの「夢遊病の女」が含まれています。ただ、突出したソプラノが必要なため、そうそう全曲を簡単に上演されないようです。最近ではメゾ・ソプラノのチェチーリア・バルトリも録音を出しています。

全曲を録音したものはマリア・カラス(一種類)、ジョーン・サザーランド(三種類)が挙げられます。これらは良く聴いています。最近はディジタル録音が容易にできるため、チョッとした上演をライブでとってしまう、という物も散見します。しかし上記カラスとサザーランドを凌駕していないような物は避けています。カラスのものはアントニオ・ヴォットーを指揮に迎え、1957年にスカラ座で録音したものです。セラフィンでない理由ですが、1957年という年を考えれば直ぐ分かる事ですね(「椿姫」の録音の件でカラスは指揮者のトリオ・セラフィンと大げんか)。実際のところ、スカラ座の自主公演だったケルビーニ「メデア」以外にはセラフィン=カラスの線は崩れたようでした。多分セラフィン指揮EMIでなければ可と考えたのでは無いでしょうか。これに対し、サザーランドは事情が少し違います。

私はサザーランドのアミーナ(「夢遊病の女」のヒロイン)をカラス以外では、全曲盤から聴いたのではなく、アリア集から聴きました。それから全曲盤を聴いたのですが、全曲盤ではリチャード・ボニング指揮の旧盤、そして新盤、そして最後に入手したのがコヴェントガーデン歌劇場におけるデビュー盤でした。その印象ですが、ボニングのスタジオ録音新盤は最も詰まらなく、そしてコヴェントガーデンの実況が最も素晴らしいものでした。そして此処では取り上げませんが、イギリスのグランドボーンにおける実況盤(これが世界デビュー)もあります。つまり我々にはデビュー盤と称する物が2つあるのです。かつてドニゼッティ「ランメルムーアのルチア」の録音の際に書いたとおり、サザーランドの実況盤は素晴らしいのです。その代わり、実況録音の時期を過ぎてスタジオから送り出された録音は、どうも、と肩をそばめなければなりません。それは「ランメルムーアのルチア」の最初の録音からして言える事です。何が違うのか?それは覇気です。

どう考えたってサザーランドのような巨女(私は握手したことがありますが、まるでグローブでした)が夢遊病でフラフラとアブナッカしい木橋を渡るというのは、余り見たく無いものです。そのウソを本当みたいに見せるのは喉だけです。

1821年にジュディッタ・パスタ主演でミラノのカルカーノ劇場で初演。キャストは下記の通り。
  伯爵 ロドルフォ ヨセフ・ロウロウ(Bs)
  村娘 アミーナ ジョーン・サザーランド(Sp)
  アミーナの婚約者 エルヴィーノ アゴティーノ・ラッツアリ(T)
  村の青年 アレッシオ ロバート・バウマン(B)
  アミーナの養母 テレーサ ノーレーン・バリー(Ms)
  旅館の女主人 リーザ ジャネット・シンクレア(Sp)
  トリオ・セラフィン指揮、コヴェントガーデン王立歌劇場Or.

これはそれほどストーリーに起伏がない叙情劇。初演当時、ベルリーニの作品の中では最も人気があったのですが、専門家からはストーリーに不満が挙げられました。
(第一幕)
アミーナとエルヴィーノの結婚式のために着飾った村人が集う。エルヴィーノはアミーナに結婚指環をはめてやります。そこに久々にその土地を踏む、大地主のロドルフォが到着し、アミーナの美しさを讃えます。

最近この辺りで夕方になると、髪を振り乱した幽霊が出るという噂が流れています。その夕方、村人達が伯爵に挨拶にやって来た時、アミーナが伯爵の部屋で眠っているのを見て驚きます。アミーナは目覚めますが、エルヴィーノは裏切られたと、婚約を破棄してしまいます。

(第ニ幕)
領主ロドルフォの城に近い所で、村人達はアミーナの潔白の証しを得ようとしています。エルヴィーノは物思いに沈んで現れますが、アミーナの必死の弁解も役に立たず。アミーナの指から婚約指環を抜き取ってしまう。そしてエルヴィーノはリーザと結婚する積りでいます。ロドルフォは誤解を解こうとしますが、無駄。人々は夢遊病のことを知らないからです。テレーサは昨夜伯爵の部屋に落ちていたリーザのハンカチを示し、アミーナの純潔をあきらかにしようとします。

そこにまさに夢遊病のアミーナが静かに現れ、腐ったような木の橋を渡ります。それは正気では不可能な歩行でした。全てを理解したエルヴィーノは自責の念にとらわれ、アミーナに再度指環をはめると、アミーナは正気に戻ります。そして一同の喜びの中で、歓喜の歌を歌い、めでたく終幕を迎えます。この巻だけ聴いているぶんには問題ないし、むしろその素晴らしいコロラトウーラの技術に圧倒されます。ただしここに達する以前のアミーナの歌い方には、ああまたか、という感慨も否めません。のんびり歌い、一歩後からついて行くようなサザーランド節なのです。その録音盤を買って初めてこれに接しようとする人は、普通は最初から聴く習慣がありますから、大したことないな、という印象を持ってしまいます。やっぱりダメか、と引導を渡しかけて、最後にブラブーラ唱法の洪水に接することになります。結局は「ラ・ソナンブラ(夢遊病の女)」というオペラは、最後の部分を聴けば全体をほぼ過たず理解できそう(大昔にT、Ka氏らは、聴いていて恥ずかしくなるようなオペラ、と評しました)。結局は、先にのべたような独唱会で接する聴き方にも、同情してしまいます。そしてこの録音はかのトリオ・セラフィンだったことが救いになっています。

千葉のF高
(以上)











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