道化師/トロイアの人々   2012.10.29
(1/2)道化師(レオンカヴァルロ)
1892年ルジェロ・レオンカヴァルロ作曲。オペラ「道化師」は、マスカーニがオペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」で優勝したのに対抗するがごとく、しかし1幕仕立てという制約を守らなかったゆえ、コンクールに優勝できなかったオペラです。実際の上演では両オペラが組み合わされることが多い。スジは南イタリア(恐らくカンブリオ)の農村でおきた殺人事件。カニオを座長とし、その妻ネッダ、トニオという少々反応が遅い座員、ペッペという座員を抱えた旅回りの芝居一座があります。そしてシルヴィオという農夫を加え、引き起こされる出来事で、最後はカニオがネッダとシルヴィオを殺してしまいます。言ってみればネッダが浮気性で、腰の軽いのが全てのきっかけになっています。



(235) レオンカヴァルロ「道化師」を観聴きして
芝居では、特徴的な名前が登場します。すなわちアレッキーノ(ペッペの役柄)、コロンビーナ(ネッダの役柄)というイタリア芝居につきものの名前が登場。これはリヒャルト・シュトラウスの楽劇「ナクソス島のアリアードネ」にも登場するもので、既に御馴染み。日本で言えば助さん、角さんか、あるいは熊さん、ハッツアん、と言ったところでイタリアの芝居で定番になっている名前です。

そのストーリー。カニオは今宵、道化芝居をするから観てくれと村の衆に呼びかけます。プロローグではトニオが芝居をすると口上を述べます。次に登場したネッダはひとりその場に立ち、「大空をはれやかに」という歌を歌いますが、あまり印象的ではありません(英国の評論家はカラスがネッダ役を務めたレコードを「少し妍のあるネッダ」と評しています)。トニオは何とかしてネッダの気を惹こうとしますが、ネッダはその気はありません。それどころかネッダは村の若いシルヴィオと一緒に駆け落ちしようと、相談しています。そこに現れたカニオは逃げた男を追いかけますが、村男は易々と逃げてしまいます。カニオはあれは誰だ?とネッダに迫りますが、答えを明らかにしません。その時芝居の準備に顔にドーランを塗るのを急いでくれ、と言われるので仕方なく、カニオは衣装とドーランを付けます。そこで歌うのが「衣装を付けろ」です。これはドラマティック・テノールの聞き所になっていますが、その箇所をいかに演技するかはテノール本人の工夫が効きます。

本来1幕仕立てのはずだった「道化師」ですが、ここで一旦中休みとなり、次に舞台での芝居のシーンになります。夫のいない間にコロンビーナ(ネッダ演じる)はアレッキーノ(ペッペ演じる)と家にいます。そこへコロンビーナの夫役のカニオが現れます。カニオはペッペのアレッキーノ役が囁いた言葉が気になり、ネッダを舞台で問いつめます。あの男はだれだ?コロンビーナは知らないと言って逃げ回り、客席中にいたシルヴィオに助けを求めますが、逆上したカニオはネッダを刺し、つづいてシルヴィオを刺してしまいます。このように舞台で演じられるストーリーと、現実の感情が交差してしまうのがこのオペラ「道化師」です。最後にカニオは舞台上で「La commedia et finita」(これでこの芝居は終わりました)と独白し終幕となります。

この「道化師」というオペラ、聴き終わった時に何かを感じますが、それは印象的な旋律や、それらがハチャメチャに壊れて互いの関係を壊してしまった時の、ホッとするような、「これで良いんだ」とでも言うような安堵が強いからではないでしょうか。熱が冷めてからの分析では「どうして」、「何故?」が勝ってしまいますが、この一過性の熱気のもたらす感じは、やはり捨て難いものです。

今までに録音されたものから下記を比較しました。
(1) スタジオ録音
  カニオ 座長 マリオ・デル=モナコ(T)
  ネッダ 座長の妻 ガブリエルラ・トウッチ(Sp)
  トニオ 喜劇役者 コーネル・マックネイル(Br)
  シルヴィオ 村の青年 レナート・カペッキ(Br)
  ペッペ 喜劇役者 ピエロ・デ・パルマ(T)

(2) 実況録音
  カニオ 座長 マリオ・デル=モナコ(T)
  ネッダ 座長の妻 ガブリエルラ・トウッチ(Sp)
  トニオ 喜劇役者 アルド・プロッティ(Br)

同じデル=モナコでも実況録音盤と、スタジオ録音盤のもたらす感じは決して同じではありません。実況録音盤からスタジオ録音に切り替えたとき、直ぐに感じるのは音が良くなったこと。さっと左右の空間が広がり、音は軽くなります。それがしばらくして感じるのは、やっぱりスタジオはスタジオさ、という言い訳と言うか自己弁明です。私の耳にはあの実況録音盤の熱気が素晴らしい。不思議とこれは強い。例えば「衣装をつけろ」と歌う場面、あの次にあるのは実況録音盤では鏡に移る己の姿、それを見た時カニオは、手鏡を思わず床に投げつけてしまいます!あれは毎回そうしたのでしょうか。それとも1回限りのアドリブでしょうか。私はあれはアドリブだったに違いないと考えます。その方がずっと格好よい。もし「道化師」のDVDを買いたいというのなら、あの実況録音盤をお勧めします。本当にすごい!そのあとできれいにお化粧の済んだ「道化師」をもう一度観ることをお勧めします。終幕部のカニオも素晴らしい。

ネッダを歌うのはガブリエルラ・トウッチですが、彼女の歌はそれほど冷めてもないし、熱くもないのです。いかなる歌でも歌えそう。実際彼女は遠からずしてメトロポリタンの花になりました。安心して聴いていられます。実際のところトウッチはソプラノなんだけどリリコ・スピント?それとも「鳥の歌」なんて歌っているからコロラトウーラ・ソプラノ?と迷ってしまいます。しばしば後者だと思ってしまいますが、私の見立てでは前者ですね。実は劇中に出て来る歌でオヤと思う節があったからです。トウッチの最善の歌はあとで録音したヴェルディ「イル・トロヴァトーレ」実況録音のレオノーラ役だと思います。

この「道化師」を聴いた直後は、デル=モナコの歌にしびれていますから、色々な事は後回しにしてカニオを聴きましょう。しかしカニオの歌ですが決して万全ではありません。諸所に怪し気に響くところが聴き取れますし、デル=モナコが余り器用なテノールではないことが分かります。何でも歌える歌手ではありません。でも、それが何だと言うのでしょうか。

(3) スタジオ録音
  カニオ 座長 ジュゼッペ・ディ=ステーファノ(T)
  ネッダ 座長の妻 マリア・カラス(Sp)
  トニオ 喜劇役者 ティト・ゴッビ(Br)
  シルヴィオ 村の青年 ロランド・パネライ(Br)
  ペッペ 喜劇役者 ニコラ・モンティ(T)

もう一つあるのがトウリオ・セラフィン指揮の、マリア・カラスのネッダ、ジュゼッペ・ディ=ステーファノのカニオ役というものです。ディ=ステーファノのカニオは一種のテノールの典型を上手く表しています。但し、これはネッダを歌うカラスが少し「作って」歌っているのが気になる人には向かない。この時期、カラスはノルマやメデアといった、いわば特殊な役柄を歌って喝采を得た為か、ネッダのような小さい役を歌うのに躊躇いのようなものを感じます。それはカラヤン指揮の「蝶々夫人」が最も典型でした。上記のトウッチと比すと、確かにカラスは各フレーズをしっかり歌っていますが、終わったあと全体としては何か「ためらった」印象を否めないのです。

これ以外にはプラチード・ドミンゴとテレサ・ストラータスのコンビによるものが出ています。これは未聴。

千葉のF高


(2/2)トロイア人たち(ベルリオーズ)
いわゆるロマン派オペラの時代の真っ最中に生まれ、その割には余り聴かれないオペラです。その舞台は豪勢なもので、巨大な合唱団が出て来て、しかもパリのオペラらしくバレエのシーンがしっかりと含まれます。とにかく長い! ワーグナーが嫌いな人があの長さ、すこしカットしてくれないかな、と呟くのを思い出します。私はワーグナーが好きだけれど、ベルリオーズはそうでもないかも。ベルリオーズの音楽では、あまり広く無い音域(と言うより声域)を用いているためでは無いでしょうか。ドレミファの5音階だけで表現できそうな曲はやはり限られます。また管弦楽器が時折姿を見せますが、けっして全体をリードしていない様です。声に対しては余り要求がキツく無く、メゾっぽいためかも知れません。題材は良いものですから、あとは「好み」ですね。余りに長いのは、神様の世界から未来に起きるハンニバルや、そしてローマが滅びるまでの予言を含むからです。こういう網羅主義を体現したような曲ですから、聴く方も準備をしてから取り組む必要がありそう。


(236)ベルリオーズの「トロイアの人々」を観聴きして
指揮:ジェームズ・レヴァイン、メトロポリタン歌劇場、1983、
演出:ファアブリッチオ・メラーニ
エネアス:プラチード・ドミンゴ
カッサンドラ:ジェシー・ノーマン
ディド:タチアナ・トロヤノス


私が持っているのは上記メトロポリタンでやったジェームズ・レヴァイン指揮のものです。それはDVD以前にレーザー・ディスクとして出ていたものですから、何か編集が掛かっているかも知れません。ここではプラチード・ドミンゴの声が売りですが、フトおもうのはこれがドミンゴでなく、もっと柔らかい声、ホセ・カレラスだったらどうかと思うのです。背伸びをしたがるカレラスだったら、例えばエネアスの持つ不満の一部は伝わるでしょう。早くディドの元を去ってローマに行こうと焦るのも当然でしょうし。まずカッサンドラですが、ノーマンは豊かな声で取り組み、問題はありません。彼女の声は別に美声ではありませんし、ずば抜けて声が大きい訳でもありません。メゾがかったカッサンドラみたいな役には相応しいもの。あれがほっそりした柳腰だったらと思わないことはありませんが、そういうのを探すなら、テレサ・ストラータスか一時期のアニア・シーリアでしょう(もっと昔だったらマリア・カラス)。難しい役です。視覚付きの場合は色々な見方をしなければなりません。カッサンドラは勇将ヘクトールの妹ですし、少しは高貴さも備えている筈。

トロイア炎上自体はここでは登場せず、人々のセリフから現在燃えている最中だということが分かるのみ。やや素っ気ないと思ったのはトロイアの女達が集団自害する場面で、その経過があっさりし過ぎていることです。もっと思い詰めた表情を浮かべ、全身で演技して欲しかった。この自殺の場面だけでもオペラ化が可能ですが、ベルリオーズはさらに次のステップに進みます。この場合全体を支配するのは、大道具も小道具も、黄金色をしていることです。ミュケーネのごとく。それはさらにディドの場(カルタゴ)にも引き継がれますが、カルタゴでは黄金色に加えて青い色彩が加わります。これはひょっとするとディドの存在を表すのでしょうか。そう言えば、淡い青のガウンを彼女は着ています。またここでは、カルタゴの東側にはリビアがあり、人々はそういう地勢の中で生活していることが分かります。ただ私のイメージでは「幅の狭いリビア」を感じてしまいました。ディドは国王が死亡してしまった寡婦にあたりますが、その戦いの中で即位したこと等が聞き取れます。

カルタゴといえばハンニバルですが、ハンニバルはずっと後に生まれた英雄です。そのハンニバルがアルプスを越えたローマに侵入して、辱められた女(ディド)の復讐をしてくれるのは、このオペラのずっと後でした。そのカルタゴもまたローマに滅ぼされ、と延々とつづく古代史の世界。とにかくディドはエネアスがローマに行ったことを知った後に、悲しみのうちに死んでしまいます。このオペラはそこまでを扱います。とにかく長い曲ですが、何処まで行っても振幅の狭い音楽が続くのです。ディド役を歌うトロヤノスはこの終幕に近づく程、声を張り上げて行き、それは悲劇の表現として相応しいと考えます。トロヤノスの発声は少しくぐもる感じで、のどの奥で音程をコントロールしている様に思いました。

なお、このセリフを画面で追いかけつつ感じたのは明らかに「トリスタンとイゾルデ」に相応しいセリフが見られました。彼等を比較するなら、やはり私にはワーグナー流の媚薬の方が心地よく響きます。「トロイアの人々」には、当時の流行だったバレエのシーンが3つも含まれ、それぞれ半分に縮めても良さそうなものを感じました。あるいはもう少しディクションのしっかりしたテノールを使えば良くなるかも知れません。

千葉のF高











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