アイーダ                     2012.12.18
アイーダ(ジュゼッペ・ヴェルディ)
次は活きのよい「アイーダ」を取り上げます。これはヴェルディがオペラから引退していた時代で、それまでに「ドン・カルロ」を完成させていたので、そこで筆を折っていたら「ドン・カルロ」の重々しい雰囲気のイタリアのオペラ作家として歴史に名を残した筈です。それだけでも第一級の作曲家たり得るほどヴェルディの才能は大きかったのです。ところがエジプトがスエズ運河の完成を祝う曲を欲しており、それもワーグナーに依頼するかも知れない、もしかするとフランス人グノーかも、という話が出て来ました。ヴェルディはワーグナーの才能を認めていたのですが、あえて人生計画を変えてアイーダの作曲を引き受けることにしました。

この結果、ヴェルディのオペラ26曲のうち、この「アイーダ」に始まり「オテロ」、「ファルスタッフ」に至る3曲を後期作品に分類しております。結果的にそれら3曲はイタリア・オペラの歴史に輝く星と見なされるようになりました。例えば余りに有名な行進曲は誰の耳にも残るもので、特にエジプトの藩主(国王)はこれを好み、ついにはその行進曲をエジプト国歌とみなすという有様。オペラが国歌に準じるというのは、かつてヴェルディの作曲したオペラ「ナブッコ」で、イタリアで得た待遇、其れ以来の2つ目です。「Viva Emanuele Re di Italia(イタリア国王エマヌエレ万歳。この頭文字を繋ぐとVerdiになります)」という言葉は、イタリアのハプスブルク家からの独立の暗号だとも言われています。とにかくそういう歴史的な転換期だったことも一役買って、このヴェルディは特別な存在になりました。今日冷静に聴いてみるとなにか歴史に符合させた音楽、ということもありますが、そういうのは僅かな傷に過ぎず、ヴェルディの栄光には傷付かないでしょう。



(240)歴史的な「アイーダ」の録音史
持っているCD、DVD類を下に比較します。録音順。また一部は画像もありますので、それを含めればこの曲を批評するのはかなり大仕事と言えます。
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ヴェルディ「アイーダ」
  アイーダ マリア・カニーリア
  アムネリス エべ・スティニャーニ
  ラダメス ベンジャミーノ・ジーリ
  アモナスロ ジーノ・ベーキ
  ランフィス タンクレディ・バゼロ
  エジプト王 イタロ・ターヨ
  トリオ・セラフィン指揮、ローマ歌劇場管、1946年7月録音、Naxos 8,110156-7

セラフィンの指揮というより、戦前から続いたローマ歌劇場の華やかな響きとキャストによる「アイーダ」です。最初に登場するカニーリアは、戦前のスタイルの代表みたいな人ですが、昔よんだ書物に「マリア・カニーリアという人が活躍していた」とあったため、探したらこれを発見しました。堂々たるリリコ・スピントのソプラノを響かせます。アムネリス役のスティニャーニの声も私の好みの部類です。この二人の声は現代でももっと聴いて欲しい。戦後の歌手の歴史を紐解くと、「カヴァレリア・ルスティカーナ」の作者みたいに天から地下に落ちた人もあれば、スティニャーニのごとく全ての役柄を歌っていたのに戦後締め出された人々もいます。戦時中の人脈が違うため、といえば分かるでしょうか。ここで貧相なのはジーリです。実際、ジーリの活躍した時代はもう少し古い時代。これがレコーディングされたのはユッシ・ピョルリンクの時代でした。だから戦後の耳で判断する他ありませんが、楽節の途中で「泣き」節が入るのは頂けません。

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ヴェルディ「アイーダ」
  アイーダ ヘルヴァ・ネルリ
  アムネリス エヴァ・ギュスタヴソン
  ラダメス リチャード・タッカー
  アモナスロ ジュゼッペ・ヴァルデンコ
  ランフィス ノーマン・スコット
  エジプト王 デニス・ハーバー
  アルトウーロ・トスカニーニ指揮、NBC響、1949年4月録音、RCA,BVCC 9717/18

トスカニーニの「アイーダ」として永遠に価値があると思います。こういう言い草は散々聞かされてきましたが、今回の試聴で初めて本当だ、と感じ入った次第。音は貧弱な部類だし、途中で聴こえるトスカニーニの鼻歌も気になりますが、全体としての黄金枠とでも言うような、透明感のあるオーケストラと、そこから出る颯爽たる音。トスカニーニはあやふやな音を用いず、ぴしゃっと低音を決めていく、潔さ、清潔さ、思い切りが良いのです。思い切りはっきりとした低音を叩き付けるので、リズムに曖昧な点が残らない。こういう明快な「アイーダ」を聴かされると、その他の多くの「アイーダ」では、音の周辺に雑多な音が多いという気になります。ラダメスを歌うタッカーはそれほどイヤミはありませんが、特筆するものもありません。

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ヴェルディ「アイーダ」第2幕
  アイーダ マリア・カラス
  アムネリス エべ・スティニャーニ
  ラダメス マリオ・ピッキ
  アモナスロ ラファエロ・デ・ファルキ
  ランフィス ジュリオ・ネルリ
  ヴィンツエンツオ・ベレーザ指揮、ローマ歌劇場響、1950年10月録音、ARCHOPEL, ARPCD 0010

これは第2幕のみのCDです。同じくローマ歌劇場の、栄華の華を聴く事ができます。ここには第2幕のみという制約がありますが、それだけで、オペラ「アイーダ」がどの様な曲か、そしてマリア・カラスとはどんなソプラノなのか、その資質まで明らかになってしまいます。まずカラスは、マルッこく太っています。それも、そこらでお目にかかれない太り方。本当に健康そのものでした。それが見事なまでにやせ細ったのはいかなる方法によったのか、これはスパゲッティ会社でなくても興味津々なところ。その太ったカラスが吐き出すソプラノ声の凄まじさ。あらゆるフレーズが怨念に満ちております。スティニャーニが劣るワケではないのですが、ここではスティニャーニを吹き飛ばしてしまいます。また、聴こえたよ、あのカラスの叫び声、と合いの手を入れたくなるような録音です。

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ヴェルディ「アイーダ」
  アイーダ リューバ・ヴェリチ
  アムネリス マーガレット・ハーショウ
  ラダメス ラモン・ヴィナイ
  アモナスロ ロバート・メリル
  ランフィス ロレンゾ・アルヴァリ
  エジプト王 ジェローム・ハインズ
  エミル・クーパー指揮、メトロポリタン歌劇場響、1950年11月録音、WALHAL、WLCD 0412

ここで真っ先に目立つのはアイーダを歌うリューバ・ヴェリチです。後に録音技師だったジョン・カルショウの手記にも登場し、何時遊びに来ても良い、と歓迎されたこのソプラノは、この「アイーダ」では実際に歌っています。余りに寿命が短く、戦後10年一寸で引退に追い込まれた人ですが、その格好の舞台を聴く事が出来ます。彼女に関する数々のエピソードは有名です。ある役柄を2人のソプラノが競った時、相手役の名前がヴェリチということが分かった途端、尻尾を巻いて退散した等。プッチーニ「ラ・ボエーム」では決して主役でないムゼッタ役を演じた時、実際にはオペラ全体を食ってしまった等。実にレパートリーが広い人ですが、それはヴェリチという名前のマジックのためであろうと想像します。メトロポリタン歌劇場で最も長い拍手を受けた記録を持っています。映画「ファンタジア」に出て来る大柄のパンジーの様な声の持ち主。高音に向かってまるで限界がないように響きます。ただ決してカラスみたいにくっきりとした輪郭を持つ人ではありません。ハーショウは別曲で聴いた事がありますが、立派でした。

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ヴェルディ「アイーダ」
  アイーダ マリア・カラス
  アムネリス オラリア・ドミンゲス
  ラダメス マリオ・デル・モナコ
  アモナスロ ジュゼッペ・タディ
  ランフィス ロベルト・シルヴァ
  オリヴィエロ・デ・ファブリーティス指揮、メキシコ市響、1951年12月録音、EM2 TOCE-555999

これはカラスがメキシコの劇場において聴かせた記録です。音は前にあった抜粋盤より少し劣ります。これはカラスを聴きたい人向けの録音です。カラスはどちらかと言うと、キャンキャンしていますが、それでドミンゲスのメゾ・ソプラノに対抗しています。まずデル=モナコのラダメスが響き渡りますが、まだ若い時分のデル=モナコですから自信たっぷりのテノールを楽しめます。カラスは演技を持ち込もうとしているのが分かります。あちこちで呻いたり泣き声になったりするのです。時としてやり過ぎな感じも。凱旋行進曲などのオーケストラ・パートでさえ、指揮者は何故かテンポをぐっと抑えたりしています。ただ、私の耳には指揮者の気まぐれとしか考えられません。この第2幕の終わりの方で、エジプト国王はラダメスに勝利の印として娘アムネリスを与える、二人してエジプトを将来治めるように、と命じます。それを側で聴いていたアムネリスの歓喜の声。そしてアイーダの絶望。

今回のラダメス役はデル=モナコでした。彼は前もって承知していたようですが、実はもう一つ前の「アイーダ」メキシコ公演では、クルト・バウムが演じ、そのイヤな声を凹ませようと、その2幕終わりの合唱では、カラスは本来「アイーダ」の楽譜に書いていない高いEフラットを響かせて全体の耳をそこに集中させるということをやっています。しかもそのEフラットは長く長く続いて、最後の音までカバーするものでした。これはカラスが若かったためにできたことでしょう(後年同様の仕打ちをメトロポリタン歌劇場でバリトンのソンデルロにやられて怒り狂ったのはカラスの方でした)。その効果はハチャメチャでした。ここで特筆したいのはドミンゲスの声。これはわたし好みの声です。カラスは「泣き声」が入らなければすべて気に入っています。全曲を聴き終えた時は、グッタリしました。家内は「大変な演奏ね」と感想を述べましたが、私も同様。

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ヴェルディ「アイーダ」
  アイーダ レナータ・テバルディ
  アムネリス エべ・スティニャーニ
  ラダメス マリオ・デル・モナコ
  アモナスロ アルド・プロッティ
  ランフィス グリオ・カセッリ
  エジプト王 フェルナンド・コレナ
  アルベルト・エレーデ指揮、サンタチェチーリア聖音楽院楽団、1952年録音、LONDON、POCL-4070/1

これはデッカの録音による初期の例です。テバルディがタイトル・ロールを歌っていますが、これを好むかどうかで左右されます。つまり我々は此処までメキシコ・シティでのカラスの実況を聴いてしまったので、いきおいこういう表現になってしまいます。その結論を先に言えば、テバルディのアイーダには余計なものは付加されておらず、オペラを聴いた時に、特に聴くんじゃなかった、と不満の声は出ないだろうと言う事。余計なものは無く、必要なものはすべて含まれている、という理由が立派に成り立ちます。減点法が通用するコンクールだったら、間違いなくこれはファイナリストに残ります。では満足か、と聴かれれば私の耳には何か不満が残ります。その理由を考えつつ聴きましたが、それはアイーダとアムネリスの声は似ていることが不満のタネかもしれないという事を見つけました。私としてはもう少しドスの効いたアムネリスの声が欲しい。それに行進曲の部分で、ヤケにここはテンポがゆっくりしています。その直後になるとテンポも上がるのですが。指揮者のエレーデはどちらにしたかったのでしょう。なおここではデル=モナコがラダメスを歌っていますが、これは付き抜けるような大理石の声です。サンフランシスコ・オペラにテバルディと登場した時、「いいんじゃない?」とご夫人達がロビーで囁いたという噂も尤も。声の響きは素晴らしい。

この時期にテバルディはトスカニーニに会ったことがあり、アドヴァイスを受けています。それはテバルディが「アイーダ」を歌った事が無いのは、これはドラマティックな声を要求するから恐ろしい、と述べたそうです。これに対しそんな心配は無用だ、それにほんの少しだけトリックを使えば済む話だ、とトスカニーニは答え、歌い方を伝授したそうです。その結果、テバルディは「アイーダ」を自分の歌にしたと言います。ここではスティニヤーニの声がやや調子が違うようです。第一、他のキャスト群の、テンポが遅くはありませんか。時として早くなりますが、有機的と思えないのです。あえて言えば、ここではラダメスとアムネリスの物語だと考えれば納得が行くのです。ですから決してアムネリスは叫ばないし、急ぎません。王女そのものです。しかしテバルディは、残念ながらこの録音からはあまりオーラが出ていません。これはカラスの勝ちです。

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  アイーダ マリア・カラス
  アムネリス ジュリエッタ・シミオナート
  ラダメス クルト・バウム
  アモナスロ ジェス・ウオルターズ
  ランフィス ジュリオ・ネルリ
  エジプト王 ミカエル・ラングドン
  みこ長 ジョーン・サザーランド
  ジョン・バルビローリ指揮、コヴェントガーデン管、1953年録音、TESTAMENT、SBT2 1355

これはロンドンのコヴェント・ガーデンに於ける実況録音です。先に1951年にメキシコでカラスが超高音でペシャンコにしてしまったクルト・バウムが第一幕でこれを聴け!と言わんばかりの高音を続かせますが、声質は既にかさかさした感じ。シミオナートが素晴らしい。そのため登場して直ぐの場面でも、決して他のキャストに押されていません。むしろ時折聴こえるカラスがどうしてこんなに声が弱いのだろう、という調子でした。これはロイヤル・ファミリーに生まれた、生まれながらの王女の声です。素晴らしい。カラスの声には少々陰りを感じます。CDケースに見えるカラスの姿を見ますと、まだ太っています(シミオナートが痩せていて、何とも美しい)。にも関わらず声は既に痩せて行く様です。1953年というと、バーンスタインのスカラ座デビューの年で、カラスはケルビーニ「メデア」を物凄い声で歌った年でもありますが、私がもしカラスの海賊盤を一切聴いていなければ、誤解してしまうところ。そして又も第2幕、第3幕でバウムは延々と自己の声を高く延ばします。あれは病気か。高く長く続く声は、それが美しい場合こそショッキングですが、ここのバウムの声では苦笑しか誘いません。最後の場面まで上記の印象は変りませんでした。即ちバウムの声はシワがれて聴こえ、アイーダの声もなにか不調です。ただ、シミオナートが加わるとぐっと重みがまします。かつて書いたような印象記と少し違うのは、ここでは300B管球式アンプで聴いております。

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  アイーダ マリア・カラス
  アムネリス フェードラ・バルビエリ
  ラダメス リチャード・タッカー
  アモナスロ ティト・ゴッビ
  ランフィス ジュゼッペ・モデスティ
  エジプト王 ニコラ・ザッカリア
  トウリオ・セラフィン指揮、スカラ座管、1956年録音、東芝EMI,TOCE 6010-11

カラスの声の衰えは明らかになって来ました。加えて声にワーブル(声が揺れること)が目立つようになりました。声を張り上げているにも関わらず、その声が大きく響かないわけはこのワーブルのせいかもしれない。バルビエリのメゾ声はまずまず。かつてこの演奏にクエスチョン・マークを付けましたが、今回も同様の印象です。ここでカラスの声が衰えたように書きましたが、すこし注釈をつけますと、歌い回わし等はむしろ上手さを増しています。サメてしまったのは素材たる声そのものです。総合的な意味でカラスを捉えるなら、もう少しあと、カラヤン「トロヴァトーレ」の時の歌でしょう。後半に向かってますますカラスの声の震えは目立ちます。タッカーについてコメントしますと、可も無く付加もなし、というところ。ピアースとかジーリのように、積極的にけなそうとは思いません。そしてアムネリスを歌うメゾの声は頑丈で、その骨格もしっかりしていますが、全体を聴き終わった時点ですと、このメゾは体格の良い下宿屋のおばはんという感じです。

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  アイーダ アントニエッタ・ステルラ
  アムネリス ジュリエッタ・シミオナート
  ラダメス ジュゼッペ・ディ=ステーファノ
  アモナスロ ジャン・ジャコモ・グエルフィ
  ランフィス ニコラ・ザッカリア
  エジプト王 シルヴィオ・マイオニカ
  アントニオ・ヴォットー指揮、スカラ座管、1956年録音,Legato Clsaaics LCD-204-2

これは前記のカラス最後のアイーダ録音の年ですが、これはスカラ座実況です。またセラフィンはスカラの専属では無かったので、ここではアントニオ・ヴォットーが指揮台に登ります。その声について申しますと、ディ=ステーファノのラダメスが颯爽としており、歓呼の声が聴こえました盛大なヴォットーの指揮ぶりも颯爽としていて、妻はヴォットーの指揮は常に颯爽として、広大な広がりを感じると申しております。シミオナートはどんな場面でも王女の威厳を忘れません。ここで注意して欲しいのですが、この演奏は立派なものです。適切なテンポで進められています。シミオナートの歌うアムネリスは立派過ぎる程迫力があります。これは決して他の歌手達と同じではないのです。そしてステルラのアイーダを評するなら、これも立派な出来映えでした。確かに低音域がやや止まってしまうようなところがありますが、アイーダ全体として上演するときならこれは素晴らしい組合せです。くり返しになりますが、このヴォットーの指揮ぶりと、ディ=ステーファノの歌は申し分にありません。その秘密は少しだけ遅れ気味に声を出すことのようです。但し危険なカケがあります。ジョーン・サザーランドが遅れ気味であるために色々と注文が多いのですが、言葉は同じでも中味に違いがあります。なによりディ=ステーファノには情熱が感じられます。ディ=ステーファノ、シミオナート、ステルラ、そして指揮者のヴォットーを加えたこのアイーダ、一度接して下さい、

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  アイーダ レナータ・テバルディ
  アムネリス ジュリエッタ・シミオナート
  ラダメス カルロ・ベルゴンツイ
  アモナスロ コーネル・マックネイル
  ランフィス アーノルド・ヴァン・ミル
  エジプト王 フェルナンド・コレナ
  ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ウイーン・フィル、1958年録音、DECCA 414 1872 2

ここに登場する歌手達の声は文字通り減点法で試験したようです。最初にソロを歌うベルゴンツイは朗々とした声を響かせ、どこをとっても欠点らしい欠点は見当たりません。これがピカートンやカヴァラドッシだったら上手過ぎる、と一言コメントできますが、ここで歌うラダメスは本質的にカヴァラドッシではありません。そしてシミオナートやテバルディについて言及しますと、すこしテンポが遅いのです。それはこの行進の場面では遅いテンポで悠々と歌える意味はありますが、ホンの一瞬もうすこしアップテンポにしたいと思いました。

テバルディの声は相変わらず固く、ベルゴンツイの声はまるでコンクールみたいに完璧です。あんなに完璧に歌ってはつまらない。シミオナートは第2幕までは何か衰えたなあ、という印象でしたが、第3幕に入ると流石スカラ座で鍛えた声でした。勿論衰えてはいますが、それを最大に生かしています。やはり問題はフォン・カラヤンのテンポです。あんなに遅いテンポでは、歌が死んでしまいます(私見)。楽器類の鳴らし方は最上でした。シミオナートがラダメスとやり合う場面は、両人とも声が付いていました。前に聴いたアントニオ・ヴォットーではテノールは少し長目、メソ・ソプラノは少し短めでした。

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  アイーダ ルシール・アマーラ
  アムネリス リタ・ゴール
  ラダメス カルロ・べルゴンツイ
  ネルロ・サンティ指揮、メトロポリタン歌劇場管、1962年5.12録音、MYTO NCD 934 84

これは下記ゲオルク・ショルティの代わりとしてサンティによる別テイクです。キャストは殆どショルティ盤と共通ですが、指揮者が違います。ここのはイタリアのサンティが指揮しています。ホンの少しですがテンポが遅め。アマーラの声は興味深く聴きましたが、高音に向かって少しうねります。また高音トップで少し声が掠れ気味。でもそれはプライスだって同様な点を指摘できることです。やはりメットは層が厚いと言うことですね。ウラやましいことです。但し終幕部のみしか収録されていません。

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  アイーダ レオンタイン・プライス
  アムネリス リタ・ゴール
  ラダメス カルロ・べルゴンツイ
  アモナスロ マリオ・セレーニ
  ランフィス チェーザレ・シェピ
  エジプト王 ジョン・マッカーディ
  ゲオルク・ショルティ指揮、メトロポリタン歌劇場管、1963年7.12録音、MYTO MCD 934 84

これは立派なキャストですが、肝心のプライスの歌うアイーダが、最初の一声からオヤと首を傾げる物でした。つまり中音域が怪しい音です。思い切り頭を開放してこれを聴いてもハスキー過ぎると思いました。私の聴き方が悪いのかもしれません。アムネリス役のゴールの声が、その素晴らしさを見せつけました。アイーダの方はそうでありません。ベルゴンツイやシェピも素晴らしい声でしたが、肝心のアイーダにクエスチョン・マークが付いてしまいました。プライスの声はスケールは大きいのですが、あれでもう少し透明感があれば良かったと思います。好みの問題かも知れませんが、ややがさつな声。第1幕の終わりで爆弾のような音が派手に聴こえたのですが、あれはアメリカ人向けでしょうか。エジプトではまだ爆薬は発明されていないと思うのですが。群衆シーンではワーという効果音が挿入されています。思ったより良かったのは、ベルゴンツイのテノールで、これはチョッとした拾い物。ゴールは申し分ないと思ったものの、途中で息切れしたように聴き取れました。プライスにはどうしても、がっかりするような要素が多かったと思います。しかし米国人たちの熱狂ぶりが伝わってきます。

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  アイーダ レイラ・ジェンサー
  アムネリス フィオレンツア・コソット
  ラダメス カルロ・ベルゴンツイ
  アモナスロ アンセルモ・コルツアーニ
  ランフィス ボナルド・シャロッティ
  エジプト王 ルイジ・ローニ
  フランコ・カプアーナ指揮、ベローナ野外劇場、1966年録画

そう古い年代のものでは無いのですが、これを見ると随分年代を重ねたものだな、と思いました。オーディオの世界は、この頃(1966以降)に随分進歩。またカルロ・ベルゴンツイの姿とその演技を見ると、ややがっかりします。紋切り型で、おまけにベルゴンツイの首の根元のあたりで脂肪が揺れています。最初に観た人はそれだけでやや退き気味になります。コソットが尤もらしく、凄みがあります。先年鬼籍に入ったレイラ・ジェンサーは舞台上を動く様が気をそそります。ジェンサーはスカラ座に出て約10年でしたが、これを聴くと盛りは過ぎようとしていると思います。喉のコントロールが効かなくなって中音域でほんの少しだけヒビが入ります。これはステルラやプライスで見られたものに近い。これはジェンサーはトルコ人で、余り録音されず、正規のメジャー会社での録音はゼロ、その代わり海賊盤はあまた知れず、という海賊盤の女王でした。特にカラスと同じ曲を歌い、最初がドニゼッティ「アンナ・ボレーナ」だったという経歴の持ち主でした。もう少し録音事情がよければ、結構よいものが残ったのに、と悔やまれます。ここではカプアーナが指揮を務めますが、どう言い表したいのか、はっきりしない指揮ぶり。そして第2幕になると、コソットの声にやや翳りが見えて来ます。彼女は数年前にも日本で歌っていましたが、あの高音ははや見られず、うなり声に変っていました。アイーダはスカートの裾を両手で摘み、それを捧げる様に持つところがサマになっています。ただ、学生達でしょうか、物をもって舞台を彼方此方に走り回るとき、アルバイト気分でやっている様子が丸見えでした。ベローナですから学生は探し易いのでしょう。ただ、ユカタを着流した男どもが、よたって歩くような所、もう少し訓練しないと。また凱旋の場面では馬車が見えましたが、あの時代に馬車はあったかしら。終幕部に向かいコソットは絶唱を響かせましたが、あれは迫力がありました。そしてジェンサーもまた精一杯の演技でしたが、ただ第3幕では汚い声になっています。また問題だったオーケストラが声楽部を支えるユニゾンは十二分に聴こえ、最後のアイーダ、アムネリス、ラダメスの3つの声はくっきりと分離されました。

此処でお見せするアムネリスは常に首を立てており、常に首を垂れていたアイーダと対称的でした。ただし演技上そうなっているから首を垂れていた次第で、幕間のコールでは全く別の雰囲気に。すなわち「タイトルロールを歌うのはこっちよ」と言うべくゴウ然とした態度をとり、他方コソットが先に歩もうと何度も試みたのを退けました。しかしコソットはオカッパ頭でしたが、少し変です。そしてコソットはもの凄い低音を響かせました。

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  アイーダ モンセラ・カバリエ
  アムネリス フィオレンツア・コソット
  ラダメス プラシド・ドミンゴ
  アモナスロ ピエロ・カップチルリ
  ランフィス ニコライ・ギャウロフ
  エジプト王 ルイジ・ローニ
  リカルド・ムーティ指揮、ニューフィルハーモニア管、1974年録音、EMI TOCE-0131-32

ここでムーティは速いテンポで棒を振っています。どんなに早くてもオーケストラも歌手もへばったりしません。冒頭の深い胸声の男声はこれでどうだ、と言わんばかりですし、コソットも、憎らしいくらい立派でした。コソットに欠点が見つからないか、と耳をそばだてて聴いてみましたが、完璧でした。傲然たるアムネリスの後、ラダメスの歌があり、さらにアイーダの独唱が続きますが何処をとってもアムネリスは立派。アイーダが歌うアリアでは、カバリエがへばらないことを祈ったのですが、同情など不要とばかりカバリエの独唱が続きます。第2幕以後の色々なパートの投げ合いを聴いていると、これは正当派(これを聴くと、上記のショルティ指揮による派手な演出ぶりがまるでイヤミのように響く)による「アイーダ」だと痛感しました。勿論ムーティの指揮ぶりが小気味よいテンポだと感心しているのです。ここにさらにアイーダとアムネリスの対決がありますが、実に堂々としています。何処まで行ってもアイーダは王女であり、アムネリスもまた王女です。最後までアムネリスは高音を胸声で出していました。アムネリスは徹底的にアムネリスとして「上から目線」ですし、アイーダはまたアイーダそのものです。ラダメスは途中(2つめの凱旋のマーチ)でややくたびれたテノール声になりますが、終幕までには元に戻りました。最後のシーンを聴いていて気がついたのは、ここでアイーダ、ラダメス、アムネリスの3種類の声が混じらずにキチッと分離して聴こえます。こんなに気を許してこの3重唱を安心して聴けたのはこのムーティ版が初めてでした。

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  アイーダ ジルダ・クルス=ローモ
  アムネリス グレース・バンブリー
  ラダメス ペーター・グーガロフ
  アモナスロ イングヴァル・ヴィクセル
  ランフィス アコースティーノ・フェリー
  エジプト王 ルイージ・ローニ
  オランジェ野外劇場、トマス・シッパーズ指揮、1976年録画、映画との折衷版、ドリームライフ、DLVD-1032

序曲は実にゆっくりはじまります。どう言う訳か猫の歩く様を想像しました。これを聴いていると大昔、35年も昔ですが家内を初めてメットに案内したのが「アイーダ」だったことを思い出します。その時の出し物が「アイーダ」、主役がジルダ・クルス=ローモ、アムネリスがフィオレンツア・コソットでした(別記の音楽のすすめ、第4-2話:NY放送の多様さ)。久しぶりに日記で確認しました。クルス=ローモはメキシコ人で、高い音はそっと出す人で少しヒリヒリした感じの人でした。声はクルス=クルス・ローモは必要最低限の声、バンブリーは思ったより声が出ていません。実はこの映画版は日本語対訳でしたから、歌がそのままイタリア語で分かるのですが、妻はアイーダが虐められていたとは思ったけれど、アムネリスがこれだけ酷い言葉で虐げていたとは思わなかったわ、と申します。そして第2幕から猛烈にスピードが上がります。凱旋の場はありふれた演出ですが、そのあとの場で、特にアムネリスとアイーダがやり取りする場面はいけます。アムネリスは第3幕で身悶えしてラダメスを救おうとしますが、この場面は全体としてハラハラすること請け合い。更にその後の墓場のシーンではアムネリスに関心が集まろうというもの。確かにこのオペラ、最後の音はアムネリスの祈りの声でした。声がどうというほどの物ではありませんが、全体をジッと眺めましょう。

もうひとつ、高音を滑らかに出す技術をクルス=ローモは持っていますが、この点は特筆できます。モッフォとかニルソン、テバルディなどはある程度の高音は出ても、あまり喉を膨らませていないようです。シュワルツコップはこの道の達人でした。喉の開閉が出来るかどうかでソプラノ達を並べて競わしてみたいところ。

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  アイーダ シルヴィア・ヴァーレル
  アムネリス ラリーサ・シャチコワ
  ラダメス ホセ・クーラ
  アモナスロ レーオ・ヌッチ
  ランフィス アンドレア・パピ
  エジプト王 カルロ・ストウリラリ
  ベローナ野外劇場、ダニエル・オレーン指揮、1999年録画

もっとも新しい版です。全体としてみればこれは現代版なのでしょうが。それでも「アイーダ」という古い革袋からそれほど自由ではありません。まず目立つのはバレエを特別偏重という感じがして仕方がないのです。あらゆるシーンで、バレエ化出来そうな所は全部バレエにしています。中にはその為にプールまで建設していますが、あれは無駄です。凱旋の場面ではバレエのための人数を確保するのに熱心ですが、その分コーラスが薄手に感じました。もともと「アイーダ」が持っていた祭典的要素が薄れた気がしました。歌手達の中ではホセ・クーラがダントツに目立ちます。スッキリしていて、マントが風になびく風情が良い。アムネリスの衣装等は、エジプトと言うよりまるでギリシャ・ローマの雰囲気ではないでしょうか。アムネリスの髪型はココ・シャネルの戦前の写真を思わせますし、いろいろ。ソプラノは声のコントロールは巧みでしたが時折速く小走りに動きます。アムネリスの声は散漫に拡散しているのが気になるところ。ソプラノの高音は、いわゆる2階建て方式で(低音域から高音域にギアチェンジする際に、高音域にいく前にホンの一瞬だけ中音域で支えを入れること)、それほど自由ではないと思いましたが、太い声がいるときはチャンと出ていました。第3幕ではアイーダとアムネリスの声を対比できるので、差がよくわかります。但しオペラが演劇の一種だと思えば、ここのアムネリスの演出も有り得ると思います。もうひとつ、第3幕ではアイーダが飛んだり跳ねたりしますが、あれは止めた方が良いと思います。
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と言うわけで、全体としてムーティ指揮の「アイーダ」が1,2位を争うものと思いました(他はカラスの52年メキシコ版)。ステルラの版はディ・ステファーノを聴くため、という特殊な目的を持つ人が聴く事になります。またムーティの管弦楽の歯切れが良く、バシン、ガシャンと締めくくりの音の立ち上がりが良いのです。トスカニーニ張りのイタリアの音でした。こんなに沢山のアイーダを集中して聴くのは初めてでしたが、実に様々なテンポの取り方があります。個人の喉はこの全体像がどうかを理解してからやれば良いと思った次第です。現代的な演出ではついつい演技にまどわされてしまい、それで吉としてしまいますが、良く良く聴き比べますと、旧タイプの歌手達の方が合格点が高く、上手く歌っていることは明らかです(ホセ・クーラは別)。

千葉のF高











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