ヴェルディの歌劇の比較
「ナブッコ」 (ジュゼッペ・ヴェルディ)    2013.4.30
ヴェルディは第3作に「ナブッコ」を完成させ、歴史的な成功を収めました。1842年ヴェルディ28歳の出来事です。7回上演され、しかもその年の臨時シーズンがあって57回もの上演がありました。いわば空前絶後の成功を収めた訳です。とくに劇中で歌われるヘブライ人たちの合唱「行けこの思い、黄金の翼にのって」は大喝采を浴び、イタリア国歌に準ずる扱いをされるに至りました。それにしてもこの舞台回数は凄いですね。イタリアでは特定曲を何時まで上演するかは人気次第!予めこの曲は人気を呼ぶだろうから何回、というやり方ではありません。初回から1年以内に64回というのは驚異的です。実際聴いてみて思ったのですが、これは煽る様に次々と旋律を出すことにたけた指揮者を得れば、成功疑いなし。そのような活きのよい新作を、活きの良い演出で舞台に載せれば良いのです。なおナブッコの本名はナブッコドノゾルであり、上の娘をアビガーレ、下の娘をフェネーナと呼びます。但しアビガイーレは出自が女奴隷という文書を見つけて、逆上します。



ヴェルディ「ナブッコ」の比較試聴
この作品を万全の準備の上で上演しようとすると、幾つかの障害があります。まず女主人公アビガイーレに要求されるのが、とてつもない音域をカバーするソプラノ・ドラマティコ・ダジリタ(劇的かつ軽やか)の声です。初演は大成功でしたが、今日私たちが「ナブッコ」上演をしようとすると、誰に歌わせるかという問題にまずぶつかるのです。適切な歌手が幸にも見つかったときは成功疑いなく、ワレワレはそれをジッと待っています。ナブッコが有名なのは「眼には眼を」という古代報復法を目指したため。



(245)各種「ナブッコ」を観聴きした印象
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ナブッコ バビロンの王 Bar ジーノ・ベッキ
アビガイーレ バビロンの王女 Sop マリア・カラス
ザッカリア バビロンの神官 Bas ルチアーノ・ネロリ
イスマエーレ ユダヤに心寄すバビロン人 Ten ジーノ・シニムベルギ
フェネーナ ユダヤに心寄すバビロンの王女 Sop アナーリア・ピニ
ヴィットリオ・グイ指揮、サンカルロ劇場管、1949年録音。
この録音があることは大昔から知っておりました。そして録音がいわゆる海賊盤であり、それなりの悪い音に違いないと考えていました。MRF等の多くの海賊盤レコードが余りに貧相な音でしたから、心配したのは当然でしょう。マリア・カラスの場合、決心するまでそれは気の長い作業でした。ようやくこの「ナブッコ」を掛けた時、当然ながら気になったのは、果たしてどれだけ傷を拾い切れたか、という点です。しかし次の瞬間私の頬に浮かんだのは、成功した時に感じるヤッタ!というものでした。カラスの思い切り遅いテンポに包まれて、鑑賞可能というギリギリの所でホッとしました。いままでこの「ナブッコ」だけ、CDで聴いた事が無かったのですが、これなら安心して他のCD と比較できます。

低い声はウナリのような味ワイがあります。歌い始めの数小節が特にそうなのですが、それを僅か少しの間、我慢して次の音符を待ちましょう。たちまちカラスのウナリが生きて来ます。そして「ああ運命の書よ」では、カラスは凄い。限界で歌っています。限界と言ったのは同じカラスの別のアリア集ではそうではなかったからです。言いたくても言えない、ウズウズとした感覚は、一度聴いてみれば分かります。とにかく歌ったものを聴くとカラスはこれを歌えたのだ、という印象が出て来てホッとしました。さらに続いて第3幕になるとカラスは調子づいて楽譜にない音まで飛ばし出します。特に原調にない高音(限界の2倍に聴こえた)を出し、それはピタリと出ていますから、気持ちが悪いどころか、気分は逆に爽快になります。これでこの公演は成功したぞ、と高らかに宣言するような幕切れでした。

問題はその後の「行けこの思い、黄金の翼にのって」でした。この合唱の何処が悪かったのか、聴衆は納得せず、思いキリのブーイングの嵐。このブーイングは何を意味するのだろう?と不思議な気がしました。結局この合唱曲へのブーイングは2回歌って収まりました。

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ナブッコ バビロンの王 Bar ティト・ゴッビ
アビガイーレ バビロンの王女 Sop エレーナ・スリオーティス
ザッカリア バビロンの神官 Bas カルロ・カーヴァ
イスマエーレ ユダヤに心寄すバビロン人 Ten ブルーノ・プレヴェディ
フェネーナ ユダヤに心寄すバビロンの王女 Sop ドーラ・カラーリ
ランベルト・ガルデルリ指揮、1965年録音、ウイーン歌劇場フィル。

これは世の中にまだ「ナブッコ」のCDが少ない頃、颯爽と現れた品です。と言う事は私はCDにした音も、アナログのままの音も両方聴いていました。 そしてスリオーティスの抜けるような高音を小気味良く思っていました。何と言っても「ナブッコ」はこの2人と神官を加えた3人の出来映えに左右されます。スリオーティスは前出のカラスみたいな曲芸的高音は聴かせませんが、声が中音部と高音部の2つで出来ているように聴こえました。他の人達と比較したのですが、この全音域でピタと決まっており心配無用。技術的な点では彼女の歌は問題ありません。あと、スコットの録音におけるようなハラハラするような遊び心が聴き取れたらもっと良くなるでしょう。22歳程度ではまだまだ若い声しかありません。しかし今となっては帰らぬ人です。

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ナブッコ バビロンの王 Bar ストーヤン・ポポフ
アビガイーレ バビロンの王女 Sop ゲーナ・ディミトロ-ヴァ
ザッカリア バビロンの神官 Bas ニコライ・ギャーロフ
イスマエーレ ユダヤに心寄すバビロン人 Ten ステファン・エレンコフ
フェネーナ ユダヤに心寄すバビロンの王女 Sop アドリア-ナ・スタメノーファ
リュスラン・ライチェフ指揮、1968年録音。

これは、ナブッコ等はイタリア語で歌い、一部はブルガリア語で歌い、イタリア語とブルガリア語のパンフレットをつけて、ポルトガルから印刷した、という変わり物です。それらの混声言語によるこの「ナブッコ」にどんな価値があるかと言えば、ひとえに少しでも若い時分のゲーナ・ディミトロ-ヴァの声がどう言うものかを確かめようということにあります。実際ここでディミトロ-ヴァの声は遥かに色彩感も、全体の声の陰影も良いのです。あまり繰り返しては聴かないでしょうが、ちょッとした試聴は繰り返すだろうと思います。ここではディミトロ-ヴァははち切れんばかりの声を持っております。特にその声は他のキャストの声と比して、堂々と区別が可能です。技術的にもこの盤の方が楽しめます。ただ録音技術の一般的な所は、さすが1968年と、古いなあと思うところがあります。声の震えが其れです。ここで声が万全だと書きましたが、あくまでそれはディミトロ-ヴァの守備範囲内での万全だと、お考え下さい。

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ナブッコ バビロンの王 Bar レナート・ブルゾン
アビガイーレ バビロンの王女 Sop ゲーナ・ディミトローヴァ
ザッカリア バビロンの神官 Bas ティミタル・ペトコフ
イスマエーレ ユダヤに心寄すバビロン人 Ten オッタヴィオ・ガラヴェンタ
フェネーナ ユダヤに心寄すバビロンの王女 Sop ブルーナ・バリオーニ
リッカルド・ムーティ指揮、1981年、スカラ座の録画。
このアビガイーレは少し老けていて、トリルの処理等、ブルガリア盤に劣ります。実際知名度が上がり有名な歌手になったディミトロ-ヴァは、トリルがやや失われた他、声を失いかけています。

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ナブッコ バビロンの王 Bar マテオ・マヌゲッラ
アビガイーレ バビロンの王女 Sop レナータ・スコット
ザッカリア バビロンの神官 Bas ニコライ・ギャーロフ
イスマエーレ ユダヤに心寄すバビロン人 Ten ヴェリアーノ・ルケッティ
フェネーナ ユダヤに心寄すバビロンの王女 Sop エレーナ・オブラスツォワ
リッカルド・ムーティ指揮、1978年録音。
ここではオブラスツォワが歌っているのが目立ちます。オブラスツォワのような強い声を強くして目立つのもテではあります。その分だけアビガイーレの高音ももっと冴えなければなりません。スコットにその点でやや疑問符が付きます。スコットはギリギリの演技力で通していますが、本当に彼女のフォルテッシモがどうなのか、はっきりさせてみないと。部分的には頷けるのですが。時としてハラハラする様なスコットの演唱では気を落ち着けられない欠点があります。これはレナータ・スコットという歌手の、最後の録音だとお考え下さい。オマージュになります。

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ナブッコ バビロンの王 Bar シェリル・ミルンズ
アビガイーレ バビロンの王女 Sop グレース・バンブリー
ザッカリア バビロンの神官 Bas ルッジェロ・ライモンディ
イスマエーレ ユダヤに心寄すバビロン人 Ten カルロ・コスッタ
フェネーナ ユダヤに心寄すバビロンの王女 Sop ヴィオリカ・コルテス
ネロ・サンティ指揮、1979年録画、パリ・オペラ座
このナブッコではナブッコ、アビガイーレ、ザッカリアの3名の歌唱がそのまま全体を支配します。そもそも「ナブッコ」のようなオペラで、これほど鮮やかな色彩等あって良いのでしょうか。全ての面で綺羅です。衣装デザイナーもキラキラ趣味まる出しだし、私としては少し足踏みしたくなりました。古代ですからどんなに綺羅ビヤかでも構わないとも思うのですが。バンブリーは声を色々と変える技術を持っていないようです。


アリア集に聴く「ナブッコ」
マリア・カラス、ライヴ・コンサート、ああ私の見つけた運命の書よ、1949年録音、東芝、管弦楽団(不明)。
これは内容的には下記に準じる感じですが、さすがにイキがよく、声の問題はありません。あとはこれに如何に色づけしていくかですが、まだこれから変貌して行く声です。
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マリア・カラス、ヴェルディ・アリア集、ああ私の発見した運命の書よ、1958年録音。
これは正規の録音として有名です。マクベス等、カラスが執着したらしい曲が演じられますが、ただシビアに考えますと、アビガイーレの大アリアは、殆ど完成に近い出来映えですが、その最後の箇所で、声が金切り声になっているのが返す返すも残念です。
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アニタ・チェルクエッティ、ああ私が発見した運命の書よ、1959年ENI録音、Living Stage、西独、LS 4035156。
これはご存知アニタ・チェルクエッティの録音デビューです。彼女は問題児だったマリア・カラスの代役としてナポリのサンカルロ劇場を喝采で埋めたのですが、よくよく聴くと、必ずしも最高の出来映えではない様です。
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アニタ・チェルクエッティ、私は死んで行くわ、1960年録音、Living Stage.西独、LS 4035156。
これもおなじ時期の録音です。結果的に大歌手の素材を殺してしまった苦甘い思い出の籠ったCDです。
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フィオレンツア・コソット、ああ私が発見した運命の書よ、ネロ・サンティ指揮、ロイヤル・フィルハーモニックOrc、1978年録音。
これはコソットが長年夢見て来たソプラノによるアリア集です。彼女も出来る限りの、あの手この手を使ってこの難役に挑んでいます。声の状態も最高に近い。何しろ低音がしっかりしていますから、それだけ高音も冴えるわけ。
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片岡啓子、ああ私が発見した運命の書よ、レナート・レンツエッティ指揮、モンテカルロフィルハーモニー管、1993年録音。
片岡がヴェルディを得意としていた事は明白であり、T氏がまるで血の滴るビーフステーキを食べているような、と書いたので有名です。惜しむらくは最後の音がストーンと一本調子に落ちてしまった所です。
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スカラ座再開記念コンサート、アルトウーロ・トスカニーに指揮、スカラ座管、序曲、行けこの思い黄金の翼に乗って、1946年録音。
スカラ座の再開記念演奏会であり、レナータ・テバルディの登場した演奏会。イタリア人がスカラ座再開を熱狂的に迎えているのが分かります。
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エリック・カンゼル指揮ポップス・オーケストラ、ナブッコより「行けこの思い黄金の翼に乗って」1994年録音。
ウインド・オーケストラらしく、爽やかですが、それなりの限界もあります。パーティ会場にこれをひっそりと鳴らして置くのが適切。


(246)全体的な印象
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以上の結果から、現在の私の耳に残るのはカラスのライブ・レコーディングだけです。あとは帯に短し、タスキに長し、です。カラスでさえ録音にその難しさを残しています。まず御聞き下さい。これから一点だけ選び出すとしたらどうか、ですがまずカラスの全曲は省きます。凄い演唱の記録ですが、毎日これを聴くかと言われればたじろぐ感じです。音も悪いし、と小理屈をこねて「カラスは除く」と書くのが正しいだろうと思います。スリオーティスのCDは現存するCD群から選ぶならそれもよいか、と思うのですが、それを複雑にしているのはスコットのCSに気に入らない所があるため。やはり全体としてはスリオーティスの方がましか、と思う次第。スコットが全然だめ、というワケではありません。

千葉のF高










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