ヴェルディの歌劇の比較
「ドン・カルロ」 (ジュゼッペ・ヴェルディ)
ヴェルディ「ドン・カルロ」の比較試聴
この大曲は大昔にエリザベス英女王が某国を公式訪問した時に、女王を迎えるために選んで上演されたダシ物です。賓客とおなじ名前の王妃の役があるので相手に失礼かも、ということであれこれ話題になりました。繰り出される旋律とそれを飾る旋律の物々しさ。旋律自体が和声法で堂々としていますから唯でも重たい音楽です。

(249)「ドン・カルロ」の比較試聴結果
これは暗い、何処までも奥深くに伸びた柱の群れを感じさせます。誰が特に悪い、と言う訳ではありません。私の頭の中にはそのような柱廊という構造がこびり付いております。つい先ほどまでフランスで明るい太陽を浴びて走り回っていたカルロとエリザベッタの2人が、目の前が真っ暗になるようなアクシデントによってそれぞれ違う相手(それも決して結ばれない相手)と結婚しなければならなくなった、という悲劇。このプロットを読んだだけでこの「ドン・カルロ」というドイツ由来の劇(原作)は重々しく伸しかかってきます。この話の後に続くエリザベッタやカルロの運命、または幕切れに姿を表すドン・カルロ5世の幻の姿がどうなったのか、このオペラでは何も語ってくれません。ただ神秘的な力に因って天に向かったと想像させます。第一、ドン・カルロは病弱だったと伝えられますし、その様な弱者の運命を語らないで済ます、というのもスマートな幕切れだと考えます。あそこに登場するスペイン国王は数人の王妃を次々と得ています。

(250)各種「ドン・カルロ」を観聴きした印象
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ドン・カルロ(カルロ王子) ユージェニオ・フェルナンディ
フィリポ2世 チェーザレ・シェピ
ロデリーゴ(ボーサ侯爵) エットーレ・バスティアニーニ
大審査官(宗教裁判長) マルコ・ステファノーニ
エリザベッタ(フィリポ2世の妻) セナ・ユリナッチ
エボーリ姫(フィリポ2世の寵姫) ジュリエッタ・シミオナート
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、1958年7月 ウイーン・フィル、実況、独グラモフォン、MONO 447655-2

音がやや古いなあと感じました。そして全ての歌手や合唱にもそれを感じましたが、何と言ってもこれは1958年の実況ですから、それを勘案すればOKです。他に素晴らしい音を想像してもここの音とは比較しようが無いからです。チェーザレ・シェピの深々としたフィリポ2世の声は立派です。その代わりエットーレ・バスティアニーニのバリトンは、いつもはもっと抑制の効いた声だと考えると残念な気がしました。そして女性陣を見ますとジュリエッタ・シミオナートは声が十分出ており、高音もメゾとは思えない程出ていました。シミオナートはこの舞台では最高の出来映えだったと記した記事を読んだことがありますが、その眼で探しますと、当初はそれほどのものかなあという感じ。

セナ・ユリナッチのエリザベッタの声は昨年聴いたリヒャルト・シュトラウス「薔薇の騎士」における豊かな色彩感と、阿智振る舞いを彷彿とさせてこれで立派です。ところが先の幕まで行った時、エボーリ姫のアリア「呪わしいこの美貌よ」を聴いて気がついたのですが、完全に参ってしまいました。声量、声のバランス、飛び込み方、どこを取っても非の打ち所がありません。何と言ってもそれまで、薄々感じていたシミオナートは声がまあまあ、と言う印象をひっくり返すほどの素晴らしい声で開始されました。舞台のどこでそういう声を絞り出したかと思いました。ポテンシャル一杯の声が出ており、その中心にシミオナートは精一杯大きな声を張り上げるのです。お客達の歓声が耳に残ります。それも並大抵でない時にのみ聴かれる種類のものでした。先に述べたユリナッチは看過され、その分シミオナートが大きな喝采を浴びたのです。まだこれからグレース・バンブリーとコソットも聴く訳ですが、これは大変だ、と嬉しい悲鳴を上げたところ。

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ドン・カルロ(カルロ王子) フィラヴィアーノ・ラボー
フィリポ2世 ボリス・クリストフ
ロデリーゴ(ボーサ侯爵) エットーレ・バスティアニーニ
大審査官(宗教裁判長) イーヴォ・ヴィンコ
エリザベッタ(フィリポ2世の妻) アントニエッタ・ステルラ
エボーリ姫(フィリポ2世の寵姫) フィオレンツア・コソット
ガブリエレ・サンティーニ指揮、1962年7月 ウイーン・フィル、実況、独グラモフォン、MONO 447655-2

これはグラモフォンがレコードに入れる前に録音したものですが、明らかにその音質を前者と比較するとこちらの方が優れています。ラボーは言ってみれば農村から出て来たばかりの声なのですが、その素質は認めます。声をフワッと浮かせたり、様々な方法を理解しています。そのかわり、固化の歌手達と比較すると一寸お目出度く感じるのです。しかし二重唱などピタ!と合っています。あれは相当の練習した結果。またエボーリ姫の「サラセンの踊り」はこればかりは美しい声を振りまいています。はじめエリザベッタとカルロの2重唱のところでエリザベッタにもう少し声があったら、とうっすら感じた不満が吹き飛ばされます。もう一つ気がついたのがオーケストラの違い。昨夜までザルツブルク音楽祭の実況ということで、ウイーン・フィルとベルリン・フィルの奏でるオーケストラを楽しんだ次第ですが、ココからはスカラ座の美しい弦楽器を楽しみます。コソットは声が善かれ悪しかれ注目を浴びる所ですが、ここで気がついたのは別の箇所ではコソットは申し分なく響いていますが、それが別の箇所に進むと、ふと力が抜けてしまう様です。ホンの一瞬だと勘弁してきましたが、メロディーラインを繋ぐ時にやや不自由さを感じました。全力投球でないのです。フィリポ2世、宗教裁判長を並べるといずれも素晴らしいと思います。

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ドン・カルロ(カルロ王子) カルロ・ベルゴンツイ
フィリポ2世 ニコライ・ギャーロフ
ロデリーゴ(ボーサ侯爵) ディートリッヒ・フィッシャー・ディスカーウ
大審査官(宗教裁判長) マルティ・タルヴェラ
エリザベッタ(フィリポ2世の妻) レナータ・テバルディ
エボーリ姫(フィリポ2世の寵姫) グレース・バンブリー
ゲオルク・ショルティ指揮、1965年7月、コヴェントガーデン管、スタジオ、POCL 3956/3958

これはようやく腰をあげたデッカによるもの。ここでショルティは予想通りのきちんとした指揮ぶり。思いのほか(やや期待外れという意味)だったのはロデリーゴを歌うディートリッヒ・フィッシャー=ディスカーウでした。声が細かく震えるのです。ベルゴンツイのカルロも予想通りでしたし。レナータ・テバルディの歌うエリザベッタも全くの予想通りでしたからため息が出ようというもの。つまりテバルディのエリザベッタは恐らくこんな物だろう、と想像できた通りだったからです。悲しいことですが、ここのエリザベッタには予想を上回るものはありませんでした。テバルディはタハ・トホ・テヘという調子で柔らかさを出すことに精一杯の努力。エボーリ姫を受け持つグレーズ・バンブリーの声にはギョッとするほど耳新しい響きがありました。「ドン・カルロ」のような大物オペラの歌い始めでしたし、まだまだ謙虚な腰の低さは、ハタからみて、もう少しリラックスしても良いんだよ、と言いたくなるほどでした。恐らくこのCDはバンブリーの最初期の録音だと思いますが、その頃の彼女の腰の低さは顕著でした。ただバンブリーの声に第1幕では驚かされましたが、第2幕以降になると余り大した事が無いのです。ショルティのせいかも知れませんが、少し音楽との間に隙間がみられます。テバルディは予想通りで、すでに(悲しい事に)「現役時代は遠い事」を再確認。またベルゴンツイは声をカバーする術を知っていて、決してハメを外しません。

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ドン・カルロ(カルロ王子) ホセ・カレラス
フィリポ2世 ルジェッロ・フルラネット
ロデリーゴ(ボーサ侯爵) ピエロ・カップチルリ
大審査官(宗教裁判長) マッティ・サルミネン
エリザベッタ(フィリポ2世の妻) フラーマ・イゾ・ダミーコ
エボーリ姫(フィリポ2世の寵姫) アグネス・バルツア
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、1986年3月 ベルリン・フィル、実況、SIBC 14-5,ソニー

あらゆる音がクリアーです。ガラス製品の詰まった大袋をザラーと床の上に散らしたような感じと言えば分かるでしょうか。そして各パートの出す音の正確なこと。これは素晴らしい。中でもルジェッロ・フルラネットとアグネス・バルツアの肉感に満ちた声はなにより素晴らしい。こういうのを聴くと、いままで他の歌手で聴いたのが何だったんだろうとさえ思えます。フルラネットも随分成長したなあと感じます。ただしこの演出には今ひとつ物足りなさを感じます。面白い事にこれに先だって出たのは殆ど同格な名門ウイーン・フィルによる録音であり、それに対するこれは対抗すべきベルリン・フィルによる録音だったことです。何かが違う。まだ何なのか把握していないのですが、ある音が出ている時、次の音を準備するその仕方が違うのかも知れません。とにかくこれはバルツアの声が圧倒的なことです。シミオナートの様なここで大声をだせば次回にはさらに大きな声を求められるぞ、という心配は無い様です。それでもシミオナートはその悪条件でも問題なく、精一杯の声を出していますから、やはり恐ろしい声だと思いました。

アリア集に聴く「ドン・カルロ」
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アストリード・ヴァルナイ、ヘルマン・ヴェイゲルト指揮、RPCD 0221、ヴェルディ/ワーグナー・アリア集、1951年マクベスより日の光が薄らいで、酷い運命よ。
聴いた途端にヴァルナイのものだ、と分かります。やや乱暴なのですが、それで緊張感を醸し出します。この時代のものとして抜群の音質を持っています。

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ジュリエッタ・シミオナート、酷い運命よ、聖チェチーリア音楽院管、フランコ・ギオーネ指揮、1958年
シミオナートの単品アリアってありそうでナカナカありません。アイーダなんて聴いた事がありません。このギオーネ指揮のものはようやく見つけたものです。1958年といえばシミオナートのドラマティックな歌い回しと、声の両方のバランスがとれた頃の作品です。惜しむらくはこれはスタジオ録音らしく、ライブ特有の熱気がやや少ないことです。それでも「熱気」という要素に[ ]を付ければ、これは立派な出来映えでした。高音から低音まで声がよく回っています。

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マリア・カラス シュツットガルト公演1959年、この世の空しさを知る神、ニコラ・レッシーニョ指揮、南ドイツ放送管
これはカラスが全曲から身をひいて、リサイタル盤や、抜粋盤が多くなって来た時期のものです。さすが実況ならではの熱気に溢れています。それに実況の場合目立つのですが、やってやろうかという思い切りが良いのです。これはエボーリ姫のアリアですが、まるで全曲を聴いた時のような感じがします。エッジが良く切れていますし、声もまだマスクされていません。中音域より低い箇所でのドスの効き方は素晴らしい。こういう録音を残してくれたのは有り難い。

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アントニエッタ・ステルラ イタリア・オペラ・アリア集、世のむなしさを知る神、1960年、ブルーノ・バルトレッティ指揮
ステルラのこのCDはまるで全曲を披露したみたいな感じです。たた声が頼りなく、音にドスが効いていませんが、エリザベッタの悩む様子がよく現れています。

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マリア・カラス、不滅のマリア・カラス、アントニオ・トニーニ指揮、酷い運命よ、 1962.年
これは前にあったシュツットガルト版と殆ど時期的な差がありませんが、安泰の安定感とドスは比較にならないくらい、シュツットガルト盤の方が優れています。ほんとうにカラスの実況盤というのは何時録音したかに注意を払わないとなりません。

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マリア・カラス、1958年、世の中のむなしさを知る神、ニコラ・レッシーニョ指揮 最も標準的なエリザベッタだと思います。

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カラス・アリア集、ヴェルディのヒロイン(II)、さあもう嘆きなさるな、1958年、ニコラ・レッシーニョ指揮。これも標準的なエリザベッタだと思うほか、わざわざこれをアリア集に挿入する必要性を疑う次第です。あっても構わないが、LP時代に貴重なトラックを無駄使いしたような収録の仕方にやや首を傾げます。

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知られざるカラス、世の中の空しさを知る神、1958年、ニコラ・レッシーニョ指揮、アムステルダム・コンセルトへボウ管
これは声楽的にややこれで良いのかな、と首を傾げますが最後に盛大な拍手があったことから、これがライブだと言うことに気がつきます。ライブならそれなりに意味を認めますので、最上ではなくても、価値ありでしょう。

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レイラ・ジェンサー・アリア集、フェルナンド・プレヴィターリ指揮、1968年、さあもう嘆きなさるな
ジェンサーの海賊盤ですが、彼方此方で苦労して録音しているのが伺われます。音程が定まらない。このアリアは追放された伯爵夫人を慰めるための物ですが、特にこれで評価を下せるものではありません。

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レイラ・ジェンサー・アリア集、フェルナンド・プレヴィターリ指揮、1968年、世の空しさを知る神
これは前記のおまけに録音したような感じですが、次第に激しさを見せています。それが部分的には良いと思いますが、カラスの競争相手ではありません。
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マリア・カラス ジュリアード音楽院講義実習1971年、ヴェールの歌 ユージーン・コーン ピアノ伴奏
これはエボーリ姫の歌です。歌劇「ドン・カルロ」にある直接無関係な歌ですが、カラスが如何に歌うべきかを教え、それに対して自由な発想ならこういう風に歌え、と指南します。皮肉なことに中に含まれる歌はカラスの方がうまい。カラスの方が空気が凄い。

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フィオレンツア・コソット 呪わしい美貌よ、ロイヤル・フィルハーモニック・ オーケストラ、ネロ・サンティ指揮 1978年
これは全曲盤で上手く歌ったコソットのエボーリ姫の歌(上記とは違う)です。聴き出した途端、まずいと思いました。全曲がエボーリ姫ですから増々それは拡大されました。全曲がもっと別の曲だったら、とも考えましたが、ここでは情け容赦なくカラスとコソットの戦いをやって貰った次第。コソットはまずテンポが遅い。途中で力んだ箇所ではまるでエボーリ姫ではないみたいでした。結局コソットはすでにピークを過ぎた歌手だと思えば納得がいきます。歌手が上手いかヘタかを判定する最上の方法の一つは、その歌手が歌う場の流れを聴く事です。

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(251)ゴールデンウイークにぶつかったので、映画を観に行きました。「リンカーン」です。旧千葉駅から映画館があったはずの所までが遠く、果たしてこれで正しい方向だろうか、と何度も疑いつつ、係の人にも道を尋ねてようやく到着しました。私が小学生時代に家でよんだ偉人伝が見つかり、それを大急ぎで読んだ上のコトです。今読み直しますと、文体というかスタイルの古さが感じられますが、11歳程度の時分では抵抗無かったと記憶しています。この本はカナが振ってある為かもしれません。映画では殆どが南北戦争の末期を選んであります。おしまいにフォード劇場の歌芝居が出て来ましたが、思わず微笑んでしまいました。昔フォード劇場を見物に行ったおり劇場内にも立ち寄ったのですが、我々の子供がちょろちょろしていたので、落ち着いていられなかった覚えがあります。

もう一つ読んだのは、やはり懐かしい小学生時代の本で「家族ロビンソン」です。よくよく読めばチョウザメと象が同居したりしていますから、これは自然科学としてはおかしいのですが、それを承知して読むなら面白い。
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千葉のF高










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