ヴェルディの歌劇の比較
「マクベス」 (ジュゼッペ・ヴェルディ)
「マクベス」を上演するとその劇場にとって不幸な事が起きると言われます。これは演劇としての「マクベス」なのか、オペラまで含む物なのかは、わたしは良く知りません。

ヴェルディはマクベスを完成させた後になってもさらに改訂したかったようです。ヴェルディのシェークスピア好きは良く知られている通り。あるソプラの歌手が、その話を聴いて是非自分にマクベス夫人の役柄を割り振ってくれ、とヴェルディに迫ったという話もあります。結局その時は「マクベス」の新作はできず、ヴェルディは原稿を焼いたとか。私自身もし声があったらマクベス夫人を歌いたい、と出来ないことでため息をついています。

各種「マクベス」を観聴きした印象
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マクベス ヨゼフ・メッテルニッヒ Br
バンクオー テオ・ヘルマン Ba
マクベス夫人 マルタ・メードル Sop
ヨゼフ・カイルベルト指揮、1950年6月20日、ベルリン歌劇場実況, WLCD 0068 2CD ADD、ドイツ語版。

マルタ・メードルのマクベス夫人が素晴らしい。高音の声が際立っています。また声の出し方ですが、まるでぶった切るようでした。そもそもこのドイツ語版では全てがゲルマンの匂いが立ちこめています。それはメッテルニッヒの歌うセリフを含め、全くのドイツ風でした。でもそのように単語毎にぶった切りのドイツ語を聴くのは楽しい。そのドイツ語をかき集めて歌う際の表情も面白い。

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マクベス エンツオ・マスケリーニ Br
バンクオー イターヨ・タージョ Ba
マクベス夫人 マリア・カラス Sop
ヴィットリオ・デ・サーバタ指揮、1952年7月12日、スカラ座実況、2.CDLSMH 34027

カラスが歌う時、それを聴く側は背中をしゃんとして聴かざるを得ない。指揮者のデ・サーバタの指揮はメリハリが効いており、スケールが大きい。マスケリーニは声の大きさがかなり変化するので、相当な長さを聴かないと評価が難しいと思います。カラスは、怒った様な声で、蹴飛ばすような発声で迫ります。ゾクゾクするようなメリハリです。またこの録音では通常はカットされるようなダンス音楽が演奏されます。それが長い。カットしても構わないと思いました。ああいう挿入音楽は、その素性を考えるとカット可。テンポがやや速く、特に第4幕では其れが目立ちます。カラスがあわてて追いかけても、追いつかないのです。魔女達の声はやや甲高く、まさに[Hexe]の笑い声だと思わせます。マスケリーニとカラスが声を重ねる箇所ではカラスの方が偉大だと再認識しました。

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マクベス ヨゼフ・メッテルニッヒ Br
バンクオー ルートヴィッヒ・ウエーバー Ba
マクベス夫人 アストリード・ヴァルナイ Sop
リヒャルト・クラウス指揮、1954年9月、ケルン実況、WLCO 0072 CD ASS

これはラジオ放送のための録音のようです。1954年のヴァルナイはバイロイトを征服した感がありますが、もう一つのレパートリーたるイタリア・オペラではこのようなものだったという記録です。メッテルニッヒの声には微妙な声の震え(震えは僅かです)があります。またここではメードルと同様に、ドイツ語で歌われます。メードルとヴァルナイを比較しますと、このドイツ語の語感ではメードルが勝っていると思います。ヴァルナイは努力の成果として高音もチャンと出ていますが、それがどうしても努力の結果だということが分かってしまうのです。他方、メードルの高音は「分かってしまう」と書く気になれないほどの自発性を感じるのです。“魔女達の怪し気な笑い声の部分は同様にメードルのチームの勝ち。”なおこれは実況ではなく、放送そのもののようです。少しテンポが遅い。

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マクベス レオード・ウオーレン Br
バンクオー ジェローム・ハインズ Ba
マクベス夫人 レオニー・リザネック Sop
エーリッヒ・ラインスドルフ指揮、メット管、1959年、RCA4516-2-RG

ラインスドルフのCDだということで、ある程度は構えておりました。レナート・ウオーレンは人の良いマクベスって感じです。音が次第に大きくなったり小さくなったりするのはヴァルナイで感じたのと同様ですが、遠い所から声が大きくなってくるのは不気味です。リザネックは声質と声量がいつも足りないという感じでしたが、それでも全体の音を出す際は自分に割り当てられた音をキチンと出しています。つまり音に関してはリザネックは必要なことをこなしているのであって、あとは音色が少し私の好みではないと答えたほうが良さそうです。2幕ではリザネックは声を色々工夫して替えていますが、どうやら音色が好きでないものだったと言うことに気がつきました。これは好みの問題です。第4幕や最後の部分は巧くオーケストラによる色分けを演出しています。テンポも適切です。時たまこの音楽を楽しみ、オーケストラ部分にも注意を払う、という聴き方をするなら、この録音も身近に置きたいと思いました。

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マクベス ディートリッヒ・フィッシャー=ディスカーウ Br
バンクオー ペーター・ラガール Ba
マクベス夫人 グレース・バンブリー Sop
ウオルフガング・ザヴァリッシュ指揮、ウイーン・フィル、1964年ザルツブルク音楽祭、ORF 013 ,抜粋、1964年7月実況

ディートリッヒ・フィッシャーディースカウはどんな場面でも整然としていますし、説得力のある歌を歌っています。それは分かるのですが、その整然たる歌がどれほど聴き手の胸を打つかどうかは、全く別の問題です。これは基本的に、ウオルフガング・ザヴァリッシュの整然たる交通整理を受け入れ易いか、否かに依るような気がします。グレース・バンブリーはデビュー後あまり時間が経っていないのですが、声についてはまずまずでした。不思議と高音に続くべき所で声が苦しそうに聴こえるのはどうしてでしょうか。いずれにせよバンブリーはこれでマクベス夫人を手中に収めたようです。特に最後の合唱はまるで壮大なヘンデルのオラトリオみたいで、その音色は薄く広がり、思わず耳を側立てさせる物がありました。

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マクベス ディートリッヒ・フィッシャー=ディスカーウ Br
バンクオー ニコライ・ギャーロフ Ba
マクベス夫人 エレーナ・スリオーティス Sop
マグダフ ルチアーノ・パヴァロッティ Tn
ランベルト・ガルデルリ指揮、ロンドン響、1971年、英デッカ440-048-2

妙な方式で録音した、と当時の新聞にありました。ここでのスリオーティスはまだもうすこしだけ円熟を待ってから聴きたいと思いました。実はスリオーティスはこの曲を吹き込んだあと、なにか調子が出ないのです。声の薄い部分で弱い声を聴かせているような感じです。その代わり高音部は堂々となって響き渡ります。中音域を抜けて高音域に入る直前に濁った音域があります。パヴァロッティの歌うマグダフはまだそれほどではありません。スリオーティスは未熟だと書きましたが、実はスリオーティスははや下り坂と言われる喉になっていて、当時のレコード評は褒めるのと貶すのとが両立していました。その未熟なスリオーティスも最後の大アリアに入ると俄然適切になります。美しすぎないように押さえ、それでいてポテンシャルは十分な声です。この部分ではこのCDは代表的なものと言えます。

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ジョン・プリッチャード指揮、グラインドボーン音楽祭管、実況、EAN:4988102332051、ASIN: B001IAPDQW
マクベス コスタス・バスカス Br
バンクオー ジェームス・モリス Ba
マクベス夫人 ジョセフィーン・バーストウ Sop
CNBC-4171,1972年

グラインドボーンの良さを巧みに出しております。噂に依ればこのマクベスの欠点は肝心のマクベスの声が不十分な点だ、とありましたがそれはサヴォンナリンナでもおなじ事で、そもそも声が十全なことは難しいのです。そしてこれとフィンランド版を比較しますとどちらも大関格ですが、この英国版の方がゆったりしており、全体を味わうにはこれが相応しいと言えそう。バーストウは巧く歌っていますが、カラスを先に聴いてしまうと今一歩の感を否めません。

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マクベス シェリル・ミルンズ Br
バンクオー レジェッロ・ライモンディ Ba
マクベス夫人 フィオレンツア・コソット Sop
マグダフ ホセ・カレーラス Ten
リッカルド・ムーティ指揮、ニューフィルハーモニア響、1976年、EMI CLASSIC 3 19279 2

ムーティの指揮のテンポが小気味よくたちまちピークに向かいます。実際のテンポよりズッと速いのです。こうなるとまるで別の曲ですね。おまけにコソットが絶好調で、どんな高音でも自在に出すのです。ミルンズはやや学芸会風ですが、見方によって異なります。コソットの好調は第2幕第3幕に持ち越されますが、それはやや複雑な意味があります。つまり調子が良いのですが、コソットがそれに乗ってしまい、イケイケで歌うのです。結果的にこれでよいのかな、と言う事になります。ヴェルディがソプラノ歌手に向かって伝えたという話、あなたは素晴らしい喉の持ち主だが、それがまずい、という言葉。これを正しく理解できるかどうかでヴェルディのお眼鏡に叶うかどうかが決まるのです。それくらいマクベス夫人はムヅカしい。第2幕をいかに歌うかでは相当の表現力を要します。また第3幕ではコソットはソロを歌う際に、決してソロではないのだ、という点で少々注意を必要とするようです。これはほんのチョッとした箇所ですが、他であれほどピカピカですから目立つのです。ホセ・カレラスは持ち前の若々しい声を振りまき、またムーティの指揮はここまでで最もキビキビしたもので気に入りました。

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マクベス ピエロ・カップチルリ Br
バンクオー ニコライ・ギャーロフ Ba
マクベス夫人 シャーリー・ヴァーレット Sop
クラウディオ・アバード指揮、スカラ座管、1975年12月7日実況、OPD-1337

当時はチョッと高音が出せるメゾソプラノは次々とソプラの牙城に侵入しました。グレース・バンブリー、シャーリ・ヴァーレット等は可能な限りソプラノを歌い、それは彼女らの誇りとなりました。若いうちは可能でも、いわゆる円熟期を迎えた時に、一部の歌手達は高音に不安を覚えて来るのも無理からぬ所でした。ここで聴くヴァーレット全盛期に彼女はどんな物だ、聴いて御覧、と各種のソプラノを主に歌う様になりましたが、それが見せびらかしになると目の越えた聴衆にとってイヤミになります。このマクベスでは初めに手紙が届いたのを読む場面がありますが、その処理法は少し変っていて、恐らく男の声で読んだと思います。音域は必要な部分は全てカバーしています。カップチルリは可もなく不可もありません。ある音域と音調で聴かせる舞踏音楽等管弦楽だけで鳴る箇所は素晴らしいと思います。ヴァーレットはある音域の範囲では音量を押さえてナカナカの音楽性を感じます。まるでクリスティーナ・ドイテコムのような音色を持っています。

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マクベス ピエロ・カップチルリ Br
バンクオー ボリス・クリストフ Ba
マクベス夫人 シルヴィア・シャーシュ Sop
ランベルト・ガルデルリ指揮、ハンガリー放送管、抜粋、COCO-78475、1978年 KOREHA

これを聴き終わった段階で、いったいどういう評価がふさわしいだろうと考え込んだ品です。主役を歌うシャーシュは鳴り物入りでスカラへなだれ込んだので有名ですが、その歌はとにかくCDまたはLPに焼いた段階であまりにメチャクチャな事は避けるべきだったと思うのです。後半は5つの管弦楽団と2つの舞踏専門の楽団、夫々の専属指揮者という構成。これでは批評のしようがない。ガルデルリの指揮した部分は正しい音でしたし、その音楽は立派に生きていますが、他の指揮者はまるでダメ。シャーシュはやや力まないと高音がでません(1カ所、出ない音を避けていました)。音が出ている限りはまずまずの出来映えでした。参考までにこれは税込み定価が1000円ですから余り文句を言っては悪いとは思うのですが。編集方針に文句があります。バレエ音楽偏重です。それを別々の指揮者達が棒を振るのですから想像あれ。

アストリード・ヴァルナイ、イタリア語によるマクベス夫人
指揮者ヴィットリオ・グイ指揮、1951年6月、フィレンツエ音楽祭
これは恐るべきヴァルナイの声の威力を感じます。一段高い所で、朗々と響き渡るその声の骨格の明瞭さ、声の自由さは特筆すべき物があります。これは実況放送ですから観客席の反応も分かります。昔持っていたLP盤とおなじ音源のようです。

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レイフ・セーゲルスタム指揮、サヴォンナリンナ音楽祭管、実況1993年7 月
マクベス ヨルマ・ヒュンニネン Br
バンクオー ヤアッコ・二へネン Ba
マクベス夫人 シンシア・マクリス Sop

このフィンランド版のマクベスは全体のバランスもさることながら、個別の合唱に勢いがあります。そしてマクベス夫人を比較すると両者の違いは明らかです。つまりマクべス夫人を歌うマクリスは顔の表情からしてピッタリです。世評高い人ですが、あれでマクベスをやり込めるのは立派でした。少なくとも私は劇中で表情を2、3変させるのに感心しました。全体のテンポがやや早目で、あっと言う間に第4幕へ進んでしまいきます。マクベス夫人はセリフ毎に顔の表情を変えています。

アリア集に聴く「マクベス」
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ヴァルディ・アリア集、マリア・カラス、勝利の日に、日の光が薄らいで、夢遊の場、1958、フィルハーモニア管,
カラス最良の喉を聴かせます。1957年とか1958年とかと言いますと。一瞬の差で絶唱となったり、傷だらけになったりするので有名です。これは下記の1959年(レッシーニョ)同様です。

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スリオーティス・アリア集,マクベス〜勝利の日に、オロヴィエロ・デ・ファブリティス、ローマ歌劇場管、BA 924
これは傷の少ないスリオーティスです。始め押さえ込んだ様にしゃべる手紙の場などはなかなか聴かせます。このなかでの最高音も問題ありません。

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マリア・カラス、ライブ・パフォーマンス・シュツットガルト1959年、ヴェルディ〜勝利の日に、ニコラ・レッシーニョ指揮、南ドイツ交響楽団、EMI、Rtシリーズ5-62682-2-7。
実況ですが、時々指揮者に止められたりしますが、最終的に得られた物は、それらの産物の中から選び出されたものです。つまり1959年におけるカラスの最良の姿を選び出したものと言えます。

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レイラ・ジェンサー・リサイタル、レイラ・ジェンサー、1968年、マクベス〜 勝利の日に、夢遊の場、Allegro、実況
ここでのレイラ・ジェンサーは本人にとっては引退間際のものであり、それだけに苦しい「逃げ」も多々見られます。高音はことごとく引き裂く様ですし、聴いていて気持ちが良くありません。それでも意地を張ってジェンサーはクリアしていました。

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マルタ・メードル・アリア集、マクベス〜勝利の日に、夢遊の場
ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮、NDR交響楽団、ARPCD 0236 1951年
これはドイツ語によるマクベス夫人。ものすごい違和感があります。このマクベス夫人ならどんな難関でも突破できただろうに、と思います。これで第4幕をどう表現したかを知りたいところ。ヴァルナイが歌った盤と比較できますが、これは比較が無理。メードルの変則的な勝ちだと感じました。

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シルヴィア・シャーシュ・ドラマティックアリア集〜勝利の日に、夢遊の場、ランベルト・ガルデルリ指揮ナショナル・.フィルハーモニー管、1978年、英デッカ436 446 2
シャーシュは注意深く表現しており、彼女が歌っている限り、例え速度が遅くても、全体の味を損なう物ではありません。問題はシャーシュが歌わない箇所ではメチャメチャな音楽だったせいで、評価したくありません。

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ヴェルディの「オテロ」を聴き比べている時と殆ど同時期にシェークスピアの「オセロ」が世田谷パブリックシアタで上演されたので観に行きました。これは私にとって絶好の機会だったと思います。4月にはヴェルディのオテロ全幕を8種類と、抜粋を4種類も聴いたので、すでにヴェルディの描いたオセロ(オテロ)が身に付いておりました。オセロを見ながら、オテロの諸セリフを思い出すのは面白く、また如何にシェークスピアをオペラに反映したかを思い知った次第。オテロ役の仲村トオルは声が良く響きます。全体に言える事ですが、声が大きいのは俳優としてイロハだと思うのです。こう書くのは他の俳優達が必ずしもそうでなかったから。また全般に日本語をセリフにする際に言葉が長過ぎたと思います。これは福田訳を採用しています。仲村トオル以外では、デズデーモナが山田優、エミーリアは高田愛子が演じました。エミーリアは殆ど最後の層状でしたが、あのセリフ回しの巧みさ、速度の加減等はナカナカのモノです。全体としては見終わった時シェークスピアはやはり偉大だと思いました。

千葉のF高










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