モノローグ(263) 椿姫IIラストヴァージョン   (2014.12.11)

263「椿姫」の画像つき録音

「椿姫」に限らず、最近のオペラの新録音は画像付きのものが多くなっています。演出は優れたものが多く、また歌手達の熱演が多いからです。「最後の椿姫」なんて『しょった』タイトルを何故書いたかというと、余りに所有する「椿姫」が多いので、ここらで一息つきたい、と思ったからです。CD録音を含めると、私の手元に36種類もの「椿姫」がありました。これを見てもいかに私が「椿姫」が好きかが分かります。形式も色々あって画像の場合は、トンでもないもの(かつて、サッカー選手のアルフレードとその周辺をうろつくヴィオレッタ、という表現をしました。『音楽のススメ』第2巻を参照)もやや整理され、落ち着いた表現になりました。なおここで取り上げるロンドンのコヴェントガーデンの公演は、実演から既に約10年経っています。

これはアンドレ・ゲオルギュー、フランク・ロバード、レオ・ヌッチのトリオによるものです。ヌッチはとにかく、ゲオルギューは約10年前の演出ですし、今日やったらどうなるかは、また別問題です。ケースの書き込みを見ますと、これはイタリアの映画監督ルキノ・ヴィスコンティ演出の27年ぶりの改新だと言います。とにかく美しい。本人も背景も。あふれんばかりの熱気があります。ここでは貧乏たらしいものはありませんし、ヴィオレッタの商売上の陰の部分も隠されています。ゲオルギューは古くから活躍していますが、典型的なクリーミーな声で歌っていた若い頃のオペラを、今でも歌えるんだろうか、という疑問もあります(大概の歌手は10年もたてばプッチーニ「トスカ」等を歌うようになります)。昔のキリ・テ・カナワがひょっとするとこういう種類の音を出したかも知れません。残念ながらテ・カナワは声が長続きしませんでした。

開幕の部分で見える客間の演出は小さ目ですが、個人の邸宅としては立派なものです。あのテレサ・ストラータスのヴァージョン(フランコ・ゼッフィレルリ演出)が立派過ぎたのですね。それにしてもケースの先頭にある写真はとびきり良いと思います。我々もうっかり誤解してしまわないようにしなければならないのですが、そのフィルムが今の姿を見せている訳ではありません。

長い間この比較的新しい「椿姫」を見ようとしなかったのは、怖かったからですね。これでヴィオレッタが異様な装いをしていたらとか、全体のムードを壊すような演出だったら、と不安があったからですが、考えてみればこのコヴェントガーデンでは余り異様な演出は流行ませんし、中庸を行く国民だと言う点を思い出したら良かったのです。実際聴いた結果はまさにその通りでした。コヴェントガーデンはやはり安心して観られるところなのです。主役のアンジェラ・ゲオルギューはその時が,まさに盛りでしたし、その姿は実に美しい。この「見た感じ」というのが「椿姫」を鑑賞する場合、重要なポイントなのです。

当初、声が少し小さ目だな、と思わせましたが、それは稀有の心配でした。そして終了に向かって声はどんどん大きくなり、堂々たる「椿姫」を展開しています。声を出す時、大きく縦方向に開口するため、結果的に声が良く出ます。第一幕から第三幕までそれで通します。そして第四幕では、演技力の点でもまずまずでした。何より衣装が素晴らしい。この舞台そのものは経費節減という大号令が出ていたようで、その点は分かりますが、ヴィオレッタの衣装はこれで正解。まるでオーストリア皇后のシシーみたいです。

他のキャストについてはロバードのアルフレードとヌッチのジェルモンの親子。アルフレード役は可もなく、付加もなしという感じで、特段印象に残らない。もっともこれだったら別人を採用しても「椿姫」の録画はできただろうに、と思います。それにアルフレードという役は、可哀想になるくらいナイーブな役だから、ご婦人方の涙腺をしぼる方が成功の近道。ただ残念ながら、このロバードはそういう風情も見せていません、たとえば実生活のパートナーだったロベルト・アラーニャのような風貌が望ましいと思うのですが,現実には困難な事があるのでしょう(夫君だったアラーニャとは2013年に離婚)。ヌッチのジェルモンは憎々しく、この損な役柄を演じています。最後の幕になってやっとヴィオレッタの枕元にかけつけて話を受けるのだって、ジェルモンはそれを計算づくだった、と思わせるのです。死ぬ女性を相手にするなら、彼ならどんな約束だってするでしょう。

指揮者はショルティですが、得意ショルティがどうこうと言えるような音楽を作っていません。これも可もなく、不可もなしと言うべき出来上がり。ショルティがもっとダイナミズムを強調するとか,場面を盛り上げていれば別ですが、ごく平凡な出来映えでした。それはリッカルド・ムーティ等と比較してみれば明らかです。時代がショルティを抜き去ってしまったようです。と言われれば、ショルティとしては不満足だと思います。

しかしショルティがこれだけ成功したのも珍しい。「魔笛」は良かったけれど、あれはモーツアルトの音楽が良かったと言えそう。それがヴェルディではどうでしょうか。「オテロ」、「ドン・カルロ」、「アイーダ」,「リゴレット」等、悪くはないのですが、決定的に優れているとも言いがたい、そんなヴェルディのイメージがありました。特にそれが「椿姫」ともなれば大衆的人気を誇る曲だけに巧く行くかな、とコワゴワの疑問符がつきまといます。ショルティはサッソウとしていて、嶮がありません。彼らしい表現だったと思います。

ゲオルギューは全体のバランスが良く、程々に痩身。肺病のヴィオレッタにしてはあと少し痩せた方がのぞましいと思いますが、痩せすぎると今度は声が細くなるから、この程度で満足しないといけません。最後にヴィオレッタが死ぬところは何かハッピーエンドの幕切れみたいですが、嫌いではありません。ゲオルギューの顔ですが、少し注意しますと前から見たところ、顎が余尖っていないです。顔の下半分だけを見るとサザーランドに良く似ています。ゲオルギューは第四幕ではかなり強い声を出していました。これが長続きすれば良いのだがな、と気になります。彼女の歌や演唱がオペラ・ニュース等の雑誌を飾ることは控え目になりました。若い時代の若い声を用いて舞い上がるような高音を響かせるのも、その時期に限ったことと考えれば素晴らしいと言えます。将来も続くとか、長年利用できるとか考えなければ良いのですから。それも寂しい?

指揮ぶりから思い出したのですが,画面上で小さな円卓とか、階段とかが現れますが、ヤムを得ずにそうしたのでしょうが、全体に小ぶりです。手のひらに乗る程度の大きさの「椿姫」でしたが、全体としてこの「椿姫」は合格です。

千葉のF高










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