モノローグ(268) 「椿姫」の最新の比較   (June.2015)

知識を整理して、特別編を5つ書きました。ここでは(1)ヴェルディ「椿姫」、(2)ベルリーニ「ノルマ」、(3)ケルビーニ「メデア」、(4)ドニゼッティ「ランメルムーアのルチア」、(5)ドニゼッティ「アンナ・ボレーナ」の5曲に絞ります(なお、この文は5曲同文です)。イタリア・オペラのゴールは例えヴェルディの「オテロ」や「アイーダ」であっても、それを生み出したのは上記のベルカント・オペラだと思うためであり、何を聴けばイタリア・オペラと親しむ事が出来るか、を考えてこれら5曲を選び出しました。一部、昔書いた文を流用しますが、例えば「椿姫」編は全く新しく書き直したものです。最近は発売会社が余りに大きく変わったため、CD番号は書かず、代わりにその録音年月日や場所を見て頂く事にしました。下記は録音年月日の順番。

 

CDの比較
(1) カプシール (SP録音1928)

スペインのソプラノ歌手メルセデス・カプシールによる録音。リオネルロ・チェチルのアルフレード、カルロ・ガレッフィのジェルモン。ロレンツォ・モラヨーリ指揮のスカラ座管。

あれこれ注文があっても、全体として容赦すべき点は多いと思います。その印象は「古いな」の一言でした。カプシールは高音が自在なのは分かりますが、日本の三味線邦楽の歌い手みたいな発声をします。高音部でこれは無理だろう、と思える箇所をいとも簡単に出しています。中には超高音(楽譜に無い)も出していました。その歌い方を男性陣にも要求したのか、全員で古典邦楽をするのを聴いたような印象です。男性陣は2人とも実はもっと若いようです。第2幕は余り内容に関係なく、第1幕の調子でそのまま歌っています。ですからヴィオレッタとアルフレードの別れの高揚など、無い。第3幕ではスピードが上がり、あっと言う間に終曲部になります。しかしそのスピード感はむしろ椿姫の悲劇を上手く表していることに気がつきました。

 

(2) ポンセル (メト実況1935)

有名なローザ・ポンセルの歌う「椿姫」。フレデリック・ヤーゲルのアルフレード、ローレンス・ティベットのジェルモン、エットーレ・パニッツア指揮のメトロポリタン歌劇場管。

実際ポンセルというと神様のごとく考える人も多いのです。ある意味でそれは正解です。彼女のデビューは1918年で、ヴェルディ「運命の力」。またいきなりの共演者がエンリコ・カルーソーでした。その彼女は後にチレーア「アドリアーナ・ルクブルール」をメットで上演するかどうかで争い、それなら降りる、と即座に引退を決めたというエピソードがあります。この「椿姫」の公演は1935年ですから降りたのはその直後です。彼女はレパートリーの選び方に特徴があり、プッチーニをレパートリーに持っていません。実際にCDを聴いてみると声は均質です。「椿姫」のような高音を含んだ曲の処理の仕方ですが、かのレナータ・テバルディ同様の、その箇所でオーケストラの音の「半音下げ」を実行しています。途中でテンポが急に速くなるのが気になりますが、それでも全曲を聴き終えた時は深い満足感が得られます。テンポは指揮者に問題があるかも。あるいはバリトンのティベットが大丈夫かしらんと気になるほど音を遅出ししていたせいかも知れません。ポンセルの叫び声はリアルです。第2幕第2場や、第3幕では本気で動転しています。またこのCDでは少し先輩にあたるジェラルディン・ファラーがインタビューをしていますが、彼女がピアノ弾き語りで歌う第2幕の一部など本当に上手です。また私のニューヨーク時代に「ノルマ」を観たのですが、その前の週にラジオ中継に出てきたのがローザ・ポンセル本人でした。彼女は自分がプッチーニをレパートリーに持たなかったことを述べますが、ゆっくりしゃべるため、良く聞き取れました。

 

(3) アルバネーゼ (トスカニーニ放送1948)

これはトスカニーニの「椿姫」と言った方が良いでしょう。リチア・アルバネーゼのヴィオレッタ、ジャン・ピアースのアルフレード、ロバート・メリルのジェルモン、アルトウーロ・トスカニーニ指揮NBC響。

音楽市場で高名なレコード。トスカニーニは自らが信じる音楽を最高と考えていましたし、ヴェルディ「オテロ」の初演でチェロを担当しました。それゆえ皆々トスカニーニの気に入るように振る舞いがちになるのも当然。ですからトスカニーニの録音に近づいたのは、素直な、ほどほどの歌手・演奏家ばかりでした。アルバネーゼとかピアーズとかいうある種のステレオ・タイプが多くなります。トスカニーニは他にも「ラ・ボエーム」とか「リゴレット第4幕」を録音していますが、やはり上記の説明が有効でしょうか。音を聴いてみると大層懐かしい音がしますし、やはりトスカニーニだなあと思いました。決しておちょくっている訳では有りません。トスカニーニの鳴らす旋律は正確で、分解能にすぐれ、決してごまかしていないことが良く分かります。こんなに良く分解された音を耳にするのは、今まで何をやっていたんだろうと思う次第。例えば第2幕でヴィオレッタが「E strano」と呟く場面ですが、それらの音に続く次の音、さらに続く次の音、これらを引き続き聴きますと、息が止まるような気分になります。実際にお聴き下さい。これは参ったと思いました。途中でトスカニーニはふ〜ん、ふ〜んと鼻歌を歌っていますが、それはご愛嬌。トスカニーニ盤というのは私にとって、極めて重要。もちろんSPからの盤起しですが、そんな事は忘れてしまいます。苦言を呈するなら、アルバネーゼのヴィオレッタが気に入りません。声が上ずっていて、トスカニーニの絶大な信頼を得ていることは分かりますが、私の好みの声ではない。

 

(4) テバルディ (ラジオ放送ローマ1952)

レナータ・テバルディが盛んに「椿姫」を歌っていた頃です。52年という時代はマリア・カラスとレナータ・テバルディが互いに激しく対抗した時代です。

当初、このCDを聴きますとテバルディは声を張り上げているばかりで、これは「椿姫」ではない、と思いました。所が第3幕に入るとテバルディは声を潜め、しんみりと表現に勤めるように変貌しました。本当にこの変化は大きかったと思います。「椿姫」の公演ではテバルディは高音が出ないので、第1幕では勝負にならず、第2幕だって高音に躓くテバルディに我慢しなければなりません。だからテバルディは第3幕で勝負したかったのだろうという話はどこかで読んだ事があります。第1幕ではテバルディは笑い声を頻発します。それも下品なくらいに。おかしい場面でも頻発したのでしょうか。全てはテバルディ(ヴィオレッタ)の職業を思えば理解できます。別荘でアルフレードに別れを告げる場面ではちょっと心が動きますが、ここでは声が弱すぎる。当初は内科的解決で場を改善できる、と思っていたのが、最後には外科的変貌を覚悟したようです。第3幕では2カ所音程が及ばないところが在りましたが、全体としては申し分ありません。

 

(5) カラス (チェトラ正規録音1953)

私にとってマリア・カラスとの大切な出会いでした。これはチェトラ盤ですが、その印象は消しがたく、大切にしたい。

例えここでのカラスのように音を大切にして一音一音を慎重に出していなくても、カラスは全体として良い演奏をしています。それはテノールもディ・ステーファノほどでなくても、これはこれで十分だと思いました。なおこの盤の最後には1951年に椿姫をやった時の舞台裏の写真が載っていましたが、それを見るとまだまだ太っていたカラスの状態がよく分かります。実際これを聴いて不満を覚えることはありません。楽しみは先に伸ばすことができるのです。私にとって代え難い録音。余り音にうるさく言わなければ、これでもOKです。何よりカラスの声にまだ糊しろ(余力)が残っています。

 

(6) カルテリ (映画画像1954)

ローザンナ・カルテリの最も成功した役柄の映画編。相手側ではアルフレード役のニコラ・フィラクリーティが声の小さい人で、あれでは余り説得力が無いなあというところ。でもフィラクリーティはまるで米国TVの人気番組に登場するさわやかな青春スター、という感じです。ジェルモン役のカルロ・タゲリアブーの声は立派でした。彼らは微笑しつつ歌っています。

ご本人には悪いと思いますが、ありふれた下町風の椿姫。「椿姫」というと、宮殿に住むような大金持ちを連想しますが、ここでは実際の生活レベルに合ったものを描きます。余分な家具も大きさも在りません。それでも貴族達は贅沢な生活をしていますが、アルフレードは年金生活者、ヴィオレッタは明日をも知れぬ不安定以外の何者でもない生活をしています。起き得る生活レベルというものが在るのです。まず家ですが第1幕のヴィオレッタの家はもっともらしい広さ。続くフローラの夜会の館だって狭さはあるのです。カルテリの歌い方を例えれば、口を小さく空けて声を放出し、その振動を上手く伝えるという方法。余り上手とは言えませんが、突然ある箇所では美声になります、カルテリは1952年頃、小型のスーブレットの代表でした。よく例えられるのが、昔のミレルラ・フレー二。カラスは当初は自分に親切だったが、何年か後になるとまるで忘れたような顔をされた、と本人は言っています。第2幕の高揚するシーンでは、カルテリはオヤとするほどの声の演技を見せました。ニーノ・サンツオーニョ指揮ミラノ・ラジオ・テレビ放送局管。

 

(7) テバルディ (正規録音1954)

レナータ・テバルディの「椿姫」54年盤は私が中学に入って最初に聴いたオペラのソースです(聴いたのは1957年です)。

同時にSPによる「マダム・バタフライ」なんかも聴いていたので、やはり時代だなあと思うのです。この盤には笑い声も入っていますが、それは2回のみです。当初からどうしてレナータ・テバルディはこんなに大きな声を出そうとするのだろう、と不思議がって聴きました。やはり第3幕に中心を置いていたのですね。次々と繰り出される音が弱いので、これを最初から欲しかったんだと思った次第。第3幕では全体の90%に満足します。相手役のジャン二・ポッジのやや青二才風の声だって「椿姫」としては相応しいと思います。そう思って聴くポッジは魅力的です。繰り返しますがテバルディの評価は第3幕を聴いてからにして下さい。

 

(8) カラス (ミラノ・スカラ座実況1955)

マリア・カラスの公演ですが、始め遅めのテンポで始まり、これじゃ少し遅いんじゃあるまいかと疑問もあったのですが、やがて速くなり、聴き終えた時は正常だと思いました。

マリア・カラスは勿論良い。各箇所を聴けば頷けると思います。加えてディ・ステファーノが素晴らしい。この青二才が実際どうやってアルフレードを表すかは分かりませんが、第2幕の終わりでもうどうしたら良いのか分からなくなって泣き叫ぶ場面を聴くと(ここで拍手があり)、やるじゃないか、という印象でした。カラスはこれ以降第3幕では殆ど歌わず、ナレーションを読むごとく処理していますが、これも正解。第2幕でジェルモンを送り出したあと、アルフレードに別れを告げるクライマックスでは、一瞬音が遅れたような気もしましたが、これは贅沢な不満です。これ以上に表現があるとすれば、それは1953年盤しかありません。最後の印象は、やはりスカラ座は違うな、と思います。音そのものを比較すれば、例えばリスボンの方が音はクリアですし、それはリスボンの利点ですが、色々な箇所の音の大小のコントロールはやはりスカラ座の勝ち。

 

(9) ステルラ (スタジオ正規録音1955)

ステルラが代役でEMIに録音したものです(カラスは自分のものと考えていたのが潰れて、大立腹)。EMIによるスタジオ録音。アント二エッタ・ステルラのヴィオレッタ、ジュゼッペ・ディ・ステーファノのアルフレード、ティト・ゴッビのジェルモン、トウリオ・セラフォン指揮のミラノ・スカラ座管。

ステルラの声は始めは粉っぽい感じですが、後半は改善され中々の味わいを聴かせます。カラスが使えない立場のセラフィンがステルラを起用したのは当然でしょう。ただ感じるのはステルラはかなり年を取っていて、少なくとも30歳以上に聴こえることです。プロット上ではヴィオレッタは23歳ぐらいですから、これはまずいと思いました。まるで年下の、少年期を脱したばかりの若い男性が、年取ったヴィオレッタに同情していかがですか?と聞いているような感じ、と言えば良いでしょうか。そのままの調子を第2幕以降も続けますが、後の幕は上記の私の印象からすれば、尤もらしく聴こえます。あの2幕のアルフレードとの別れの場面だって、もうあきらめているのだったらこれで十分伝わるし、それ以上は必要ないのだ、と割り切れます。第2幕、第3幕のやや一本調子と取られる感じも、あきらめていたら当然です。そして第3幕ではヴィオレッタは真実味を増してゆきます。アルフレード役のディ・ステーファノですが、あの能天気な歌い方は気になるのですが、元々そういう役柄ですからこれで分かるでしょう。母音を強調する歌い方は第1幕では格別の上手さを感じます。後々の幕までその調子のままなので、それが物足りないと思う人もいるかもしれません。ティト・ゴッビのジェルモンは立派という他ありません。まるで大正時代の家庭小説という感じ。この曲を録音し損ねたマリア・カラスも怒っていないで,録音テープを残す方策を真剣に考えれば良かったのに、と思います(これは後知恵)。セラフィンの指揮ぶりはヴァーサタイルですが、それなりにテンポを揺らしています。ただこの人に常に感じることですが、何か必死になって引っ張って行こう、という意思を感じる事は余り無かったと思います。このCDの価値をさらに高めるには、第1幕をさらに研いで細く、鋭くすることですが、それが出来たら素晴らしいです。

 

(10) テバルディ (フィレンツエ実況抜粋1956)

レナータ・テバルディ盤ですが、この全曲盤はあるのかも知れません。これは実況の抜粋盤であるため、いきなり乾杯の歌で始まります。

指揮者がかのトウリオ・セラフィンですからおなじみ。通常ならセラフィンはカラスと組んだところ、ここではレナータ・テバルディと組んでいます。例によってゆったりとしたテンポ、というよりその方が歌手にとって歌いやすいからでしょうか。一つ歌が終わる度に盛大な拍手が入ります。例えば「ああそは彼の人か」も同様ですから歌はゆっくり進みます。そしてテバルディはどんなフレーズでも慎重を極めて歌い、激しいずれとか、歌の品格を崩すようなことは一切しません。また録音はメロドラム社の形式に従っているので、どこを取ってもゆったりと美しく響きます。音程を下げて歌う場面ではセラフィンの指揮が遅いため、あまり効果はあがっていません。他の録音ではテンポが通常なら際立っていて,効果がありますから、少し残念です。そして第2幕第2場(フローラの舞踏会)はここではカットされています。そして第3幕に入るのですが、第3幕ではテバルディの他の録音で見られたようなしみじみとした味わいが消えていて、全体が大味です。最後の息を引き取るところはまるで首を絞られる場面の実況放送みたいな味わいで、さすがに首をかしげてしまいました。またここでアルフレードを担当するニコラ・フィラクリジは余りに非力なテノール。はじめテバルディのヴィオレッタとしての声がやや低め(フラット)ではないかと思いました。カラスの場合は第1幕ではやや高め(シャープ)気味でした。

 

(11) テバルディ (メット実況1957)

テバルディ最後の「椿姫」です。この1957年の「椿姫」出演後に、レナータ・テバルディは同曲から引退する旨をアナウンスしました。カラスが1958年のロンドン公演を最後としたように、テバルディはニューヨーク公演で「椿姫」から去ったのです。

ここのテバルディの歌唱法は従来のもので、全体はやや大きな声で歌い、第3幕だけ少し声を潜めて歌っていますが、時折声を張り上げています。オマケに付いているフレンツエの公演は日時から判断して上記のものと同じです。この方が(ゆったりした歌い方)全体として相応しい。テバルディはこのニューヨーク公演後に記者に向かい、今年で「椿姫」を引き受けるのはおしまいにする、と述べました。本人には分かっていたのですね。高音でも声を限りにフォルテで歌えば可能でしょうが、それは邪道ですから。自覚は困難ですが、誰しも大きめになって行くのが宿命です。学生が歌う場合、声が大きければ良いと思いがちですが、それは誤り。実はピアニシモが大切です。この公演記録はその点を確認する教科書みたいなものです。もうひとつ、CDに同封してあった解説を読むと、第2幕でヴィオレッタの歌の相手がBaronと記してあるのを発見しました。もしこれがジェルモンをさすのであれば、アルフレードの実家は男爵家ということになりますが?

 

(12) カラス (リスボン実況1958)

マリア・カラスはリスボンで公演をし、次にロンドンでやりました。それらは「椿姫」として最後の公演でした。

リスボンの観客達はスカラ座より大人しい。マリア・カラスはそのリスボンの人々に向けて色々と工夫しているのが分かります。第1幕では声を大きく、アルフレード・クラウスと張り合います。それが第2幕に入ると声に強弱のメリハリを効かせます。ここでもカラスは音程の悪いのが気になりました。ジェルモン役のセリー二はウダツの上がらないバリトンと思えば良いのでしょうか。確かにジェルモンは田舎紳士なので、あまり貴族的な人ではまずい。最後の挨拶では思い切り高音を声の限り伸ばしています。少し過ぎたる感じ。さらに第2場ではカラスは全体の中で埋もれるように響かせますが、それはスカラ座盤の方がよかったのにな、と思いました。最終幕ではカラスは声を小さくしたりせず(ホンの一部を除いて)、やはり大きな声で「自分こそがここでの中心だ」ということを知らしめます。終了後の感じはそれです。全体に声を大きくしたり小さくしたりカラスは色々していますが、必ずしもそれに適切な理由がはっきりしません。

 

(13) カラス (ロンドン実況1958)

マリア・カラスは同じ年の5月にロンドン公演をしました。

これはカラスにとって「椿姫」最終公演まであと一回というシリーズでした。第1幕は声が共鳴を欠き、全体に粉っぽいというか、声に脂ののりが在りません。音程も悪くて、ちょこちょこと変わるのが気になりました。またアルフレード役のチェーザレ・ヴァレッティが声が無くて、まるで小さい。はてと思っている間に第2幕に入りましたが、例の最後のアルフレードへの投げかけでは、声は望んだ通りの大きさで始まりましたが、長続きせず、結果的に小さかったと思います。その第2場でアルフレードが後悔の念に襲われますが、僅かに群衆からの応援あり。第3幕は声の大きさやツヤは十分なものになりました。本当にカラスがもしこの効果を計算して初めの幕の調子をああしていたのなら、別の評価も可能です。なおここに於けるアルフレードの声は十分でした。あとダラスに於ける公演が何回かあるのですが、残念ながらその全曲テープ録音等は無い様子です(リハーサル風景なら一部あります)。

 

(14) ロス・アンヘレス (スタジオ正規録音1959)

ヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレスのヴィオレッタ、カルロ・デル・モンテのアルフレード、マリオ・セレーニのジェルモン、トウリオ・セラフォン指揮のローマ歌劇場管。

当初はややテンポが遅め。これを聴いて頭に浮かぶ光景は、年頃鍛えてきたヴィオレッタが「職業的生活の一環」として新しい若い男とアバンチュールを愉しもう、と思った所から開始されます。アントニエッタ・ステルラの場合と同様にこれもまた波長のあう親戚のおばさんと甥の遭遇といった感じがします。それでもロス・アンヘレスは年齢が32歳から35歳と言ったところで、他方のステルラは28歳から32歳と言ったところ。アルフレードが若さしか無いカルロ・デル・モンテのような根っからの能天気でもなく、他方で生活感もないタイプの人なのが、やや残念な感じです。マリオ・セレーニのジェルモンは少し荒れた表現をしていますが、これは役柄。あくまで私の想像ですが、このように少し年増のヴィオレッタだと解釈すると、実にスムースなのです。第3幕ではさすがに年を加減しますが,基本は変わらない。あまり切実な「椿姫」では有りませんが、これなりに愉しめます。

 

(15) モッフォ (スタジオ正規録音1960年)

アンナ・モッフォのヴィオレッタの他に、リチャード・タッカーのアルフレード役、ロバート・メリルのジェルモン役、そしてフェルナンド・プレヴィターリ指揮のローマ歌劇場管です。

(表面の挿絵に描かれたのがまるでレナータ・テバルディみたいで違和感があります)。モッフォはいよいよRCAの本丸で歌う事になり、はりきっているところ。実際60年代に全曲盤を一つ買うとしたら、「椿姫」候補は何だろうか、と考えたところ、モッフォも候補の一つだったのです(値段も手頃でした)。まずリチャード・タッカーのアルフレードの声がイケません。明らかに老けた声で、これで青春を味わうのは不可能です。モッフォの声ですが、第1幕ではどんな歌い方をしても許されるとは思うのですが、第2幕では勝手が違います。その第2幕の表現があまり上手くないのです。第3幕では死にかかっている身ですから、それで当たりを取ろうとするのはやめた方が良い。またモッフォはあらゆる箇所で「泣き」を入れていますが、あまり入れすぎるのも問題。ロバート・メリルのジェルモンはこの頃としては最善の選択だったかも知れないのですが、あの声が若干ひび割れているのが気になります。

 

(16) サザーランド (スタジオ正規録音1962)

ジョーン・サザーランドのヴィオレッタ、カルロ・ベルゴンツイのアルフレード、ロバート・メリルのジェルモン、ジョン・プリッチャード指揮によるフィレンツエ五月祭管。当時のデッカのオールスター・キャストの「椿姫」です。

この広告が初出した時を覚えていますが、そのときはT氏が褒め言葉を並べていましたが、それは続かないものでした。1963年頃のサザーランドは声に脂気があって、誰でも出せる声の持ち主ではないと思いました。しかしLPを実際に聴いているとややがっかりしたものです。多分に録音の仕方に問題があったのでは無いかと思います。サザーランドの声は十分に大きいのですが、まるで声の細い人のようにエコーを掛けて録音してしまうのが、まずい原因。サザーランドの声はワーグナーが歌える程に大きい。ただ第2幕の終わる頃に、「アルフレード、私を愛して」と繰り返す場面で、漸く彼女本来の声の大きさを聴かせます。あれを聴き逃したら、誤解されるでしょう。サザーランドはここで真剣に表現しようとしています。第3幕の中にもそういう箇所はあります。アルフレード役のカルロ・ベルゴンツイは真面目な発声ですが、それは善し悪しです。アルフレードって少し能天気なくらいが良い、と考えるからです。ロバート・メリルのジェルモンは良いのか悪いのか判断に苦しむのですが、それもエコーと割れ声のせい。

 

(17) モッフォ (映画画像1968)

アンナ・モッフォがLPに吹き込んだ「椿姫」はこのビデオより8年前(1960年)にあります。但しここでは画像になった1968版が批評の対象。フランコ・ボニッソルリのアルフレード、ジーノ・ヴェッキのジェルモンです。

彼女は序曲が鳴っている時から、いかにヴィオレッタが美しかったか、を思わせる細い肢体を披露していますが、実はさっぱり肉感がありません。顔の表情はまるで死んでいます。どうしても映画風のアテレコだとああいう風になるんだ、という事は分かるのですが、こうまで無表情では困ってしまう。それに目はまばたきもしていないのです。ジュセッペ・パターネ指揮のローマ歌劇場管で、これではお決まりのコース。ボニッソッリはやはり米国人気TV番組のスターという感じ。モッフォは、第2幕でもその姿勢は変わらず、ヴィオレッタはあの高揚するシーンでもいっこうに高揚しないのです。もっと高揚感が無いと!そしてフローラの舞踏会のジプシー達の踊りや表情はイタリア人なら好きだろうけど、という感じ。ただ最終幕ではモッフォは力が蘇ったようでした。ああいう演唱をもっと早く見せてくれたら、と思うことしきり。最終幕ではあらゆる小道具は取り払われ、皆売り払ってしまったことが良く分かります。その中でヴィオレッタが倒れてしまう場面では男性陣はボンヤリと立っているだけ。私の好みと少し違います。

 

(18) ローレンガー(ベルリン正規録音1968)

ピラール・ローレンガーのヴィオレッタ、ジャコモ・アラガルのアルフレード役、ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウのジェルモン役、ロリン・マゼール指揮ベルリン・ドイツ・オペラ管。

このCDをかつてこき下ろした覚えがありますが、改めて心静かに聴いてみます。まずそのスピードの速さに圧倒されます。ロリン・マゼールの指揮ぶりは1963年に初来日した時の記事で良くしっていますが、その時に担当した「トリスタンとイゾルデ」を評して「まるでトリスタン・マーチ」と冷やかされました。「椿姫」もベルリン・オペラの出し物で、余り時間が離れていないから比較は可能だろうと思います。ジャコモ・アラガルのアルフレード、ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウのジェルモンという配役。それをマゼール指揮ベルリン・ドイツ・オペラ管が演奏します。このベルリン・ドイツ・オペラというのは当時東西ベルリンに分割されていた事情を反映して、西ベルリンにあるドイツ・オペラがドイツを代表するものとされました。わたしがモーツアルト「ドン・ジョヴァンニ」を聴いた時もこれで、そこのハウス・キャストと言えそうな人々が歌っていました。ローレンガーの喉はいかがと注意して聴いたところ、少しは改善されて聴こえましたが、それも第2幕までの話で、第3幕ではローレンガーはオヤと思うほどの冒険をします。第3幕があればこそ、このCDをも聴こうと思うのです。特にジャコモ・アラガルのアルフレードは何となく無駄だったと思わせます。フィッシャー=ディースカウのジェルモンは始め、もの凄い雰囲気を身につけて登場しましたが、第3幕はありふれた常識人の声に戻りました。それでも全体として、私はこの「椿姫」もまた選択肢の一つに加えようかと思うに至りました。

 

(19) シルズ (正規ABC録音1971)

ビヴァリー・シルズのヴィオレッタ、ニコライ・ゲッタのアルフレード、ローランド・パネライのジェルモンです。

シルズの声は常にヴィヴラートが掛かって聴こえます。そしてレコード会社の方針でしょうか、全ての繰り返し、高音への跳ね上げを実行しています。どんなところでもそうですから、完全な全曲盤を聴きたい向きには、ぴったり。第1幕以外はそれ相当に愉しめます。これで画像が付いていれば音に気を取られないで良かった、という印象になると思います。シルズは50歳を過ぎていると思いますが、顔を見つめないで聴いていればOKです。アルフレード役のニコライ・ゲッダは狭い音域を必死に広げようとして少々無理をしています。ジェルモン役のロランド・パネライはやや乱暴な歌い方ですが、この役にはぴったり。録音はエコーのかかったホール録音ですが、少々耳障り。もう少しデッドな音をも聴いてみたいところ。第2幕で声を張り上げる所では、シルズは思い切り出そうとしているのが良く分かります。高音は問題ありませんし、文字通り、「アメリカの椿姫」の代表です。

 

(20) シルズ (TV用画像 1976)

ビヴァリー・シルズのヴィオレッタ、ヘンリー・ペトロスのアルフレード、リチャード・フレデリックスのジェルモン、ユリウス・ルーデルがフィルム・センター響によるサンディエゴ・オペラの野外公演の実況(ウオルフ・トラップ・ファーム公園)。

米国では絶大な人気を誇ったシルズの公演です。最初から最後までシルズでいっぱいという感じ。シルズはどういうシチュエーションか考えずに進めるので、どの幕も平板です。アルフレードはメキシコ系かと思わせますが、声は良く透り、そのかわり見てくれが貧相でした。同様にジェルモンはまるでシルズの子供のように見えました。シルズはマトモに向かい合って聴いてみたいとは思うのですが、ここで得た情報だけである程度は全容が分かると思います。声が細かく震え(ワーブル)、第1幕ではそれが耳障りです。第3幕ではそれは改善されました。まるで都はるみショーの匂いが有ります。

 

(21) コトルバス(K.クライバー指揮1976?77)

イレアーナ・コトルバスのヴィオレッタを聴くというより、カルロス・クライバーの指揮ぶりを聴くためのもの。アルフレード役はプラチド・ドミンゴ、ジェルモン役はシェリル・ドミンゴ。

この演奏はかつては余り好きでなかったのですが、さすがに時間を経てこれはすてきな演奏だと思うに至りました。以前の印象はやたらと速いばかり、と思っていたのですが、さにあらず。キリッとした筋肉質の音楽で、第3幕の一部を除いてそのリズム感は抜群でした。そのリズム感で歌うと第2幕、第3幕後半など、素晴らしいのです。コトルバスの声自体は余り好きではないのですが、その代わり声楽的に考えたコントロールが万全です。対してドミンゴのアルフレード役はやや脂が全身に回った感じですが、声楽的には万全です。もう少しハメを外してもよかったかも。同様にミルンズも余り怖くないジェルモンでした。もっと野蛮で下品さがあれば良かったと思うのです。余りに自制心に富んでいたので、勿体ないです。オーケストラの音は素晴らしく引き締まった音でした。こういう「椿姫」を時々聴きたいものです。

 

(22) ストラータス (映画画像1982)

この映画は編集のトリックがあるため、必ずしも「椿姫」ストーリー全体を忠実には描いておりません。テレサ・ストラータスのヴィオレッタ、プラチード・ドミンゴのアルフレード。

例えば第3幕ではヴィオレッタは開幕直後に手紙を読んでおり、その前にあった諸々のセリフ類が見あたりません。ストラータスの声は当初は少し集中力を欠き、テクニックでも至らない点が多かったのですが、特に第1幕では中音部のみが響いていましたし、なによりあの様な大広間を飛び回るのはやり過ぎだろうと思います。欠点としてはストラータスは姿勢があまり良くなく、また表情が余り伺えない(一般に無表情)のです。それは相手方のドミンゴについても同様。ストラータスの演技はプッチーニ「ラ・ボエーム」等を見ると中々表現力があると思っていますので、ここでやや惑うのです。ただ声の状態が第3幕では飛び切り上等の中音域を響かせています。演出はゼッフィレルリ。またそこではストラータスの顔の表情がオヤと思うほどの笑顔になっていました。第1幕ではこれは本当に最後まで行くだろうかと思った点は、最後まで見て、これは残るだろう、と印象が変わったことを白状します。これはお金を限りなく費やした豪勢な演出です。

 

(23) スコット (スタジオ録音1982)

レナート・スコットのヴィオレッタで、アルフレード・クラウスのアルフレード役、またレナート・ブルゾンのジェルモン役、リカルド・ムーティ指揮フィルハーモニア管。1982年録音。

これは実際に聴いてみて少々がっかりしました。録音年齢がスコット47歳、クラウス53歳という年齢を考えるべきでした。ご両人が必死になって高音を絞り出していますが、効果が余り無いのです。スコットは高い音になる前にいったん音を止めて、一息ついてから強く押し出す形を取っていますが、これは余り良くない。音が窒息してしまいます。クラウスは音自体に中年臭さがありますし、ブルゾンのジェルモンは第2幕後半を聴いて見れば分かりますが、誰に対してどんな願いを言っているのかが、全く分からないのです。という訳で、聴き手としては出来るだけ好意的に聴きましたが、結果はこれなら買わない、と極端な結論を出しそうになります。ムーティの管弦楽指揮では第2幕後半の終局近くで突然大きな音を出して注意をひきますが、あそこは声そのものが大きくないといけません。ここではスコットは力が不足しています。スコットはこれで無ければ20年前の録音しかなく、それを考えると歌手の録音では、もう少し気を使って欲しかったというところ。終幕部は上手く録音されています。

 

(24) マクローリン (グラインドボーン画像1987)

グラインドボーン音楽祭は本来モーツアルトの上演をするはずですが、この日はヴェルディ「椿姫」でした。マリー・マクローリンのヴィオレッタ、ウオルター・マックネイルのアルフレード、ベルント・エリスのジェルモン、そしてベルナール・ハイティング指揮ロンドン響で、ピーター・ホール演出です。

ドキッとするような演出がありますが、あれはあちらの都合(ピーター・ホール)でしょう。バイロイトでラインの乙女達をヌードで泳がせた張本人。マクローリンはまだ贅肉がついていて、チョッと見た感じは1952年以前のマリア・カラスみたいな顔をしています。声は均一に近いのですが、第1幕での声の跳ね上げはありません。あとはホール特有の演出がありますが、基本的にそれらは受容可能です。歌の方はマクローリンの声も並み。それに加えて若干太り気味です。

 

(25) アリベルティ (実況録音?1990)

ルチア・アルベリティの日本の実況ですが、拍手の入れ方のタイミング等、余りに上手いのでこれはひょっとしてゲネプロの収録かも知れない。実況の良さはこれでは出ません。ルチア・アリベルティのヴィオレッタ、ペーター・ドヴォルスキーのアルフレード役、レナート・ブルゾンのジェルモン役、ロベルト・パターノストロ指揮の東京フィル。

アリベルティは寒がりで、部屋にいる人がアゴを出す、というウワサ。防寒対策の熱で、貰った花束も早々に枯れてしまうそうです。オーケストラは日本のオーケストラ。彼女は横顔の線がカラスみたい、と評判になっていますが、横顔は似ているのかどうかは個人的な好みに左右されます。肝心の歌が似ているなら分かりやすいのですが、それほどでも無く、既に過去の人。アリベルティの声はきれいですし、上手く出しているのですが、2階建て方式(一旦中2階に持ち上げてから、目ざす最高音に駆け込む歌い方)で通しているのが残念。時として破たんを来しても構わずに歌う方が観客の耳にアピールすることもあります。所々耳を捉えるところがあるのは確かで、それが有るからこそ主役を張れるのですが、あと少しドラマを反映するといいのではないでしょうか。どんな箇所も難なく乗り越えています。それにはっきりした強弱を付ければ良いと思います。美しく、のんびり歌ってはいけません。相手をつとめるドヴォルスキーのテノールは全体におめでたい表現がありますが、それも演技と思えばいいでしょう。青二才風。ブルゾンのジェルモンは良いと思います。

 

(26) テ・カナワ (スタジオ録音1992)

キリ・テ・カナワのヴィオレッタが聴けます。アルフレード・クラウスのアルフレード、ディミトリ・ホルロフスキーのジェルモン、ズービン・メータ指揮のフィレンツエ5月祭管。

メータの指揮が注目されます。テ・カナワの声が第1幕・2幕と第3幕でまるで違うのに気がつきます。第1幕開始後はこれは声を無くした人のCDだなあ、と思いましたが第3幕ではその評価が変わってテ・カナワはまだいけるじゃないか、となりました。あるいはテ・カナワの声に音質変換器をとりつけたのではあるまいか、とも思ったくらいです。他のキャストの声は別で、クラウスの歌うアルフレードの声はどう聴いても年寄りの声です。それも40代以降の、やっとこさ喉を開く声です。またジェルモンの声は始めこれは拾い物かもしれないと期待したのですが、第2幕半ばにあるところは少しガッカリ。アンニーナのオルガ・ボロディナは一体どういう見込みでこの人と契約したのだろう、と不思議に思いました。この人はチャイコフスキーの歌曲集のCD以来聴いていますが、本当に音楽の骨格がしっかりしています。それがアンニーナという、取るに足らない役(失礼)で参加しているのです。その声は朗々と響く感じで、他のキャストのはっきりしない声と峻別されます。ただヴィオレッタの声が何もエレキの助けを掛けていなくて、またそこで響き渡る声が喉の加減だけに寄る場合は、テ・カナワも魅力的な存在ということになります。前半だけを聴いた印象だと、これは「椿姫」は大悲劇というより小粒のチョッと悲しい物語というわけです。その場合第1幕のようなパーティは開けないでしょう(経済的に)。

 

(27) ゲオルギュー (コヴェントガーデン画像1994)

アンドレ・ゲオルギューのヴィオレッタ、フランク・ロバードのアルフレード、レオ・ヌッチのジェルモン、ゲオルク・ショルティ指揮ロイヤル・オペラ管。

これが録画された時期はやや古いのですが、ショルティの追想という意味もあってここに取り上げます。何より主役ゲオルギューが、まだヴィオレッタを歌えた時がどんなものだったかが分かるのは嬉しい。ヴィオレッタを歌うゲオルギューが素晴らしい。全編通してすばらしいとは言えないのですが、第2幕、第3幕の緊張したフレージングに感心します。他にこれくらい力を込めた表現は絶頂期のカラスしかいません。ヴィオレッタとアルフレードとの別れ、ヴィオレッタと他の全ての人々との別れの場面などは真に迫りますし、その力強さには本当に感心します。不満があるとすれば第1幕の歌い方がやや遠慮していました。本当はもっと歌えたに違いないと思います。ショルティのテンポもキビキビしていますし、これは聴く価値アリと思いました。ただアルフレードの歌い方が焦点が甘く、第2幕冒頭のソロなど、音程がずれていて聴きづらい。見てくれが悪いのは本人のせい(喉)では有りませんが、もう少し集中しないと。背景は第1幕は正解です。第3幕の背景も中々良かったですが、第2幕はチョッと考察が必要みたい。最終場面でヴィオレッタが苦しみ、痛さを訴える場面なぞなかなかです。ゲオルギューの目は余りまばたかないのですが、それは小さな不満。本当にこの画像を撮っておいて良かった。

 

(28) グヴァザーヴァ (TV画像2000)

2000年にTV録画されたイタリアの画像で、ここではロシア人のエチェリ・グヴァザーヴァが勤めます。

マルチカメラによる合成を考えたもので、指揮者は全ての音を聴く事が出来ないそうです。ストラータス盤同様にトリアノン(民家風)を使用したり、本来宮殿だったイタリア大使館を建物に見立てています。グヴァザーヴァだけでなく、他のキャストを含め、皆プロの顔(撮影用の顔)をしていますが、唯一ホセ・クーラのアルフレードだけ異色です。余り上背が無いし、太めの顔で髭が濃い。グヴァザーヴァは背が高く、痩身ですから、この役に相応しい。というより、ひょっとするとこれはカメラ・テストに合格した人だけがフイルムに収まっていて、他の人々はカメラから離れたのかも知れません。第1幕では演技もプロらしく見えます。但し声に脂が足りず、声が細すぎるのが気になります。これではヴィオレッタ以外の役柄では不釣り合いな事が出るに違いないと思います。何よりオペラでは声が重要ですが、その声を張り上げる場面では全くダメな人でした。また指揮者はズービン・メータでしたが、彼は余りオペラ指揮をやりませんが、今回の録画の秘密を調べたところ、マルチTVワークで録音を進める際、メータに聴こえない程度の弱音を配給していたらしい。全体の背景はさすがに素晴らしい。

 

(29) 全曲盤ではないもの (録音年月日は不問)

アリア集の一部です。全曲盤とアリア集は別もので、互いに参考になりませんが、それでも無いよりマシと考えます。

 

29-1 マルガリータ・カロージオ (1951録音)
椿姫〜「ああそはかの人か」、Lebendige Vergangenheit
MONO-89616

これはカラス以前に盛んだったカロージオの歌です。そもそもカロージオはヴェツイアでベルリーニ「清教徒」を歌う予定だったのに喉が故障してしまい、その代役として無名だったマリア・カラスが呼ばれ(同じ劇場でワーグナー「トリスタンとイゾルデ」を歌っていた)、それが思いがけず名唱だった、という伝説があります。カロージオは、と言いますと、あらゆる箇所で必要なことは全てやっ?ています。それでも変わった声(歴史的な声に分類される)が少し混じっています。

 

29-2 アニータ・チェルケッティ(1950’s録音)
かのチェルケッティの歌です。

まだ自信がなさそうですが、スローテンポだからそう聴こえるのでしょう。そばで聴いていた妻は「余り恐ろしくないわ」などと申します。それにしてもこういう歌手がゾクゾクと登場するのは、やはりイタリアだからでしょうか。

 

29-3 マリア・カラス/ダラス・リハーサル (1957年録音)
椿姫〜「ああそはかの人か」、EMI Classics、TOCE-59436
上記のカラスの喉が次第にくたびれて、スーパー高音が自在に出なくなった時代、カラスはダラスで良くレッシーニョの指揮で歌う様になりました。そのあるリハーサルの風景がこれです。

リハーサルらしく決して最高音を出さず、高音のくり返しを避けて歌っていますし、何か気が入っていないような印象があるのですが、それはリハーサルだから。カラスの「椿姫」は間もなく最終段階に入ります。

 

29-4 J・サザーランド・プリマドンナの芸術(1960録音)
椿姫〜「ああそはかの人か」,ポリドールPOCL-2971/2

アリア集だと言う点を最大に生かして、歌いまくっています。トリルもこんなところで、と驚くような位置で聴かれます。サザーランドはこういうアリア集がメインで、全曲盤の方が心奪う歌になっていないような気がします。そもそもサザーランドは演技でも顔の表情が余り変わらないのです。

 

29-5 レオンタイン・プライス(1960頃)
椿姫〜「ああそはかの人か」,BMG 09026-68158-2

プライスがヴイオレッタを歌うのは興味深いのです、聴き終えて得た印象はやはりプライスはアリア集の歌手ではないようです。あちこちで不満があります。昔聴いた時は問題なかったのですが。

 

29-6 シルヴィア・シャーシュ(1978)
椿姫〜「ああそはかの人か」,POCL-2780

これは典型的なアリア集の欠点を持っています。これだけ聴いていれば問題有りませんが、全体を表していません。声自体は澄んでいて魅力的な響きを持っています。超高音は避けています。

 

29-7 ジューン・アンダーソン(パリ・オペラ座、1987録音)
椿姫〜「ああそはかの人か」,EMI Classics、7243 5 56949 28

ジューン・アンダーソンはサザーランドの後釜として売り出していた歌手ですが、これを聴くと音域だけはサザーランドを踏襲していますが、歌う方は少し違うようです。サザーランドより歌の魂がさらに抜かれています。

 

29-8 Cエディタ・グルベローヴァ(1989録音)
椿姫〜「ああそはかの人か」、テルデックWPCS?20046(4509-93691-5)

グルベローヴァの得意な分野を網羅したCD.「椿姫」からは「E strano」だけが入っていますが、音が短めにぶった切れていて、全体がぼそぼそした感じです。私自身はこれを聴いて心揺さぶれることが有りませんでした。

 

29-9 シェリル・スチューダー(1990録音)
椿姫〜「ああそはかの人か」、英EMI CDC-7 49961-2

スチューダーはどんな音域でも、どんな声量を要求されてもOKという人ですが、新ためて歌を聴いてみたところ、惜しいかな、彼女もまたアリア集ではそれほど心に残るものではありませんでした。

 

29-10 中丸三千絵「その日から」(1991録音)
椿姫〜「さらば過ぎ去りし日よ」,東芝EMI TOCE-6950

声自体ははっとするような要素があります。ただ惜しいことに、ここでは比較的楽なアリア「さらば過ぎ去りし日よ」だけ存在します。どうしてここで「ああそはかの人か」を入れてくれなかったのでしょうか。

 

29-11 アンナ・ネトレプコ(2004録音)
椿姫〜「ああそはかの人か」,独グラモフォン、UCCG-1213

なかなか魅力がありますが、ただネトレプコはアリアでブッたぎっていて、全体を想像させないところがあります。声自体にも不安がありました。最高音は出ています。流して聴いていると心地良いのですが。

 

29-12 森麻季 (2006録音)
椿姫〜「ああそはかの人か」、Terdex、AVC-25115

やっぱりアリア集の悪い点が丸見えになっています。これだけ聴かされたら良さそうですが、全曲盤と比較するとがっかりします。難しい注文ですが、この声をもっと生かした歌を歌うようにした方が良さそうです。

 

千葉のF高












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