モノローグ(269) 「ノルマ」の最新盤の比較   (July.2015)

知識を整理して、特別編を5つ書きました。ここでは(1)ヴェルディ「椿姫」、(2)ベルリーニ「ノルマ」、(3)ケルビーニ「メデア」、(4)ドニゼッティ「ランメルムーアのルチア」、(5)ドニゼッティ「アンナ・ボレーナ」の5曲に絞ります(なお、この文は5曲同文です)。イタリア・オペラのゴールは例えヴェルディの「オテロ」や「アイーダ」であっても、それを生み出したのは上記のベルカント・オペラだと思うためであり、何を聴けばイタリア・オペラと親しむ事が出来るか、を考えてこれら5曲を選び出しました。一部、昔書いた文を流用しますが、例えば「椿姫」編は全く新しく書き直したものです。最近は発売会社が余りに大きく変わったため、CD番号は書かず、代わりにその録音年月日や場所を見て頂く事にしました。下記は録音年月日の順番。

「ノルマ」がいかに優れた曲かは、色々ある録音をまとめて聴いてみると分かります。その例としてここに私が実際に持っているCDを比べてみたのがこの章です。米国のメトロポリタン歌劇場での歴史を紐解くといかに「ノルマ」が時代を超えて聴かれてきたか分かります。下記参照。

 

CDの比較
(1)ポンセル(断片1928/29)

ローザ・ポンセルのノルマ

これはローザ・ポンセルが歌った例ですが、ここでは僅かに2つの旋律の断片のみを確認できます。他には「ノルマ」の録音は地上に存在しないようです。これを聴いて感じたのは何ともポンセルの声は柔らかく膨らみ、聴くものを捉えるのだろうということです。それにこの録音年代が古いことがあって声は高音部に向けて自由に羽ばたきます。これならカラス以前の「ノルマ」の代表はポンセルだと言い切れそう。2段片を抜粋盤のごとく採用した理由になります。

 

(2)チーニャ(全曲放送1937)

ジーナ・チーニャのノルマ,ジョヴァンニ・プレヴィアーリオのポリオーネ、エべ・スティニャー二のアダルジーザ、ランクレディ・パセロのオロヴェーゾ、ヴィットリオ・グイ指揮。1937年 8〜9月。

オーケストラの音が大きくなったり、小さくなったりするが法則性に乏しい。全体に遅め。音が極端に小さくなるのは第2幕の重唱部分ですが、ソプラノを立てるにしても、もう少し管弦楽のボリウムを上げても許されるのではありませんか。チーニャはドラマティック・ソプラノの訓練を受けていたようで、声を放つ時は燦然と光ります。またそこでトリルを見せる時も、そのトリルはなかなか巧いのです。しかし第1幕の登場の場面では突然現れるようで、全体の中での位置づけがはっきりしません。第1幕が終わり、第2幕が開始する箇所では、音のピッチがずれていました。第3幕以後はオーケストラが引きずられ気味。ここではトリノ交響楽団が演奏し、グイの指揮は多少古くさいとはいえ、たっぷりとした経験を積んでいる筈なので、少し不満足。歌手も部分的にはここまで良いと思っていたところが、やはり現在の基準からすれば至らないところが多いと思います。

 

(3)カラス(全曲実況メキシコ1950)

マリア・カラスのノルマ、ジュリエッタ・シミオナートのアダルジーザ、クルト・バウムのポリオーネ、ニコラ・モスコーナのオロヴェーソ、メキシコ市立管弦楽団。1950.5.23

荒削りのカラスを聴くのに打ってつけです。最初の音からして、カラスらしからぬ、というかカラスらしいフレージングです。メキシコ・シティの管弦楽団というのはどんなものかという興味もありますが、それ相当。但し舞台を埋める合唱団等の雑踏から出る声は余り頂けません。カラスは時としてギシギシきしむのを物とせず、グイグイ音を引っ張っていきます。やはりまだ若いという印象は否めません。アダルジーザを歌うジュリエッタ・シミオナートは大層巧いのですが、これをノルマと対比されるのはやや考えます。というのは、この巧者のシミオナートは巧過ぎて、また声を出すのが巧みなため、ノルマより恐らく若いアダルジーザですが、かなり老けて聴こえるのです。ノルマの乳母と言う役柄だったら打ってつけですが。とは書きましたが、決してシミオナートがダメという訳ではありません。

この公演のCDを聴いて気がついたのですが、カラスはまるで全ての音をしゃくり上げるように歌っています。もう少し詳しく言いますと、2拍目を特に強く出していることです。まるで音を引きずり上げているような響きです。これが強くどの音節でも強調されるため、聞き方によっては奇妙になります。昔カラスがまだ有名でなかったころから一般の印象として流布されたのが「カラスの声はまるツンざくようだ。どうしてそんなにクアウ、クアウとトリのカラスみたいに叫ぶんだ?」と言われた理由がこれだ、と気づいた次第。確かにそう聴こえます。私が始めてその歌い方を聴いた時、それは気持ちの悪いものでした。だからレナータ・テバルディの方が初期の頃一般受けしたのでしょうか。しかしこの歌い方はカラスの次の公演からキチッと直されていました。少なくとも全ての音をズリ上げるなんて変だ、と思っていた私は、それで安堵しました。そしてこの「ノルマ」の終幕へ向かう各フレーズは次第に熱気として受け入れられてきました。第1幕の「カスタ・ディーヴァ」のカヴァティーナが終了した時に最も大きな拍手を受けています。音は最悪の部類ですが、しばらくすると聞き取れるようになりますが、それでも音色をつかむまで時間がかかります。また肝心な場面として、ノルマが二人の子供を殺すことは出来ないと分かった時に発するうめき声は、ここではカラスはオーバーとも思えるような異常な声を出しています。

 

(4)カラス(全曲実況ロンドン1952)

マリア・カラスのノルマ、エべ・スティニャー二のアダルジーザ、ミルト・ピッキのポリオーネ、ジャコモ・ヴァイのオロヴェーソ、ジョーン・サザーランドのクロティルデ、ヴィットリオ・グイ指揮コヴェント・ガーデン管弦楽団、1952年8月11日

これは前年にスカラ座出演を果たし、意気揚々としていた時代の、ロンドンのコヴェント・ガーデンでの公演です。音が悪いのは相変わらずですが、メキシコのものよりまし。エベ・スティニャー二の声が美しい、という感想を持ちました。但し後で聞き直したところ、スティニャーニの声は美しいと思うのですが、少しおばさんっぽいな、と感じました。ヴィットリオ・グイの指揮は最適に近いのですが、時折遅くなります。第1幕は遅め。カラスの歌い方もやや遅めから開始されます。カラスは当初やや冷たい感じがつきまとい、熱気が感じられなかったのですが第2幕以降はそういう事はなく、熱気、熱気の連続でした。凄い。これに割り込むサザーランドのクロティルデもカラスに対抗しそうな気配でした。これは最後まで持ちこたえています。一つ問題なのは男性陣で、ポリオーネ役はミルト・ピッキで声が小さく、ロッシーニ・テノールと言いたいくらいですが、それでも案外良いのかな、と思いました。またバスのジャコモ・ヴァイは声はうっとりするくらいの美声ですが、時折聴こえる震え声が気になります。場合により指揮者のテンポがパッと変わるのですが、そうすべき箇所なので、頷けます。この指揮者に賛成します。

 

(5)カラス(全曲正規録音1954)

マリア・カラスのノルマ、エペ・スティニャー二のアダルジーザ、マリオ・フィリッペスキのポリオーネ、ロッシ・レメーニのオロヴェーソ、スカラ座管弦楽団。トリオ・セラフィン指揮。1954年4月27日-5月3日

ご存知マリア・カラスによる「ノルマ」の正規スタジオ録音です。これがどういう意味を持つかは色々考え合わせると面白い。正規の録音ですから観客の喝采は入っていません。それが良い事なのかどうか一概に言えませんが、私自身の意見としては観客はあった方が成功するということです。どんどんクレッシェンドして行くその快感はやってみなければ理解しにくいと思います。「カラスはどんどん進んで行くわね」というのが一緒に聴いていた妻の感想です。それに対する私の意見は「でもトップフォームではないよ」でした。まずテンポが異常に遅いのです。あれではカラスを乗せにくいのではあるまいか、と思います。第2幕ではテンポは早めになりますが、歌手の事を考えてそうしたのだ、と言われそうですが、甘やかしてはいけないと思います。アダルジーザの声は前述のおばさん声の度が高まったと思います。フィリッペスキのポリオーネは音色が少しマリオ・デル・モナコに似ています。ただ音量でも音色でもデル・モナコにほんの少し足りない感じがしました。カラスはここでは思い切り表情付けをやっていますし、それなりに成功しているのですが、もう少し声に潤いが欲しい。全体に声がくたびれています。ロッシ・レメーニは声があらゆる音領域で震えています。

やはりここで最後の責めを負うのはセラフィンの指揮がやや遅いことだろうと思うのです。セラフィンの「歌手に寄り添うようなテンポ」はここでは逆効果しか挙げていない、と判断します。カラスも歌う時にいかにしてその緩いテンポに付いて行くか、そこから逃れるのか、を考えている様です。

 

(6)カラス(全曲実演ローマ1955-1)

マリア・カラスのノルマ、エぺ・スティニャー二のアダルジーザ、マリオ・フィリッペスキのポリオーネ、ジュゼッペ・モデスティのオロヴェーソ、ローマ・イタリア放送管弦楽団。トリオ・セラフィン指揮。1955年6月29日

これはローマ・イタリア放送管弦楽団による全曲演奏で、観客の喝采も入っています。音はやはり貧相ですが、これはセラフィンの指揮です。カラスは自信満々で、どこの劇場ともまだ騒動を起こしていません。実はその後、シカゴの劇場で大爆発するのです。ここではセラフィンがしっかりと歌手をサポートする、という点が徹底されています。そのテンポは神経に障らない程度に遅め。カラスは全力投球しています。それはあらゆる箇所で感じられますが、特に第3幕ではそれを見せつけます。こういう公演を見たいものだ、と感じました。放送録音だということは、それだけ自由度が増すことを意味しますから音も立派です。デル・モナコも立派な出来映えでした。これなら周辺から不平も出ないでしょう。さすがに放送用ですから、それなりの出来上がりを音楽から聞き取れます。例の子供達を殺そうとする場面では、ノルマのうめき声はメキシコ・シティと比すと弱いけれど、何となく分かるように出しています。

 

(7)カラス(全曲実況スカラ座1955-2)

マリア・カラスのノルマ、ジュリエッタ・シミオナートのアダルジーザ、マリオ・デル・モナコのポリオーネ、ニコラ・ザッカリアのオロヴェーゾ、スカラ座管弦楽団。アントニオ・ヴォットー指揮。1955年12月7日

いよいよ本番、という感じでこれを受け止めました。やはりスカラ座は特別ですから。それが実際に聴いていると、諸所にハードウエア系に問題があるように感じました。たとえばシミオナートが高音を張り上げるところ、極めつけは冒頭の序曲開始後の第2音節がすっぽり落ちています。これはひどい、と思ったのですが、これはあとでCDを買い直してみます。全体的にテンポはゆるめで,それゆえにゆったり落ち着いて聴けます。その代わりセラフィン盤のように、次はどうなるのだろうと、ハラハラしないのです。それが良い事なのかどうかは問題です。シミオナートは彼女個人としては最高の出来映えでした。それはアダルジーザ役がノルマ役を超えてはならない、という点と一部重なって、複雑な気分です。

上記の規律は無言で歌手にのしかかるのですが、シミオナート級なら話は別で、特別な基準で律する必要があります。もしこれがシミオナートの独奏会だとか言うのなら、立派な出来映え。デル・モナコのポリオーネ役はやや期待はずれ。それはカラスに対して思った感想(それ自体立派ですが、立派が当たり前なので、この種の公演ではそれだけでは目立ちません)と同じです。第2幕はデュエットの山ですが、カラスは不思議と余り聴こえないのです。実際他のCDと比して、カラスの部分が余り強調されていません。シミオナートやデル・モナコの太い声に押されている様です。それが第2幕の終わり頃になると、本当にこれは、と姿勢を正して聴くようになります。この第2幕の後半は本当に耳をスピーカーに寄せて聴きました。やはりカラスは凄い。そしてうめき声はヴォットー盤と同様の印象でした。

第3幕以降では、時折音程が不安定だったり、トリルが上っ面だけなぞる様に聴こえる箇所があるのです。さすがのカラスでもそういう場面があるのだな、と感じました。もし、同じ1955年盤からどちらの方を選ぶか、と聞かれたら,今の私はローマの方を選びます。あれはどこまでも細かく拾おう、という姿勢が感じられる盤でした。念のため、機会があれば最新のディジタル化を済ませた盤を買ってみたいと思います。ただし、ローマ盤では冒頭の序曲の開始後わずか第7小節から第10小節までがそっくり抜けています(Ricordi社のピアノ・ヴォーカル・スコアによる)。こんな目立つ箇所で抜けがあったなんて驚きです。

 

(8)カラス(第一幕のみローマ実況1958)

マリア・カラスのノルマ、マリアン・ピラッツイーニのアダルジーザ、フランコ・コレルリのポリオーネ、ジュリオ・ネッリのオロヴェーゾ、1958年1月。(青字は先の記事を短縮したものです)。CD 00151,MITO(MYTO NORMA ACT1)の印象

ガヴリエーレ・サンティー二の指揮ぶりが,キビキビしていて心地よい。急ぐところと、ゆっくりした箇所を,明確に区別していますので、心地よい。アダルジーザを歌うピラッツイー二もなかなか芯のある歌い方で、私の採点簿は○です。長老のオロヴェーソのネッリはまず声自体が頂けなく、ローマで飼い殺しされているバス、という感じです。ポリオーネはコレルリが歌いますが、コレルリの最も悪い点が現れています。つまり全体に細かいヴィヴラートがかかっていて、私の耳では黄色いプラスティック、という印象を避けられないのです。

そして問題のカラス。これは力強く、正直言って私の耳にはどこがまずいのか分かりません。実に力を巧く配分しています。あえて指摘するなら,低い音で歌う部分の音色に、これは練れていないな、と思わせる箇所が見られる(カラスはこの音色のことを問題にして、公演を中止したのかも知れません)ことです。それだって無視することは可能です。カラスだから文句を言うだけ。また全体の印象は1955年のスカラ座やローマ放送の時の録音と比較してみると、声そのものの凄みというか、深々とした声は1955年版の方に多くの聴衆の関心が集まるだろうというところ。カラスは化け物です。なかなか理解するのは難しいのですが、実際に再生装置で聴いてみることから比較は始まるのでしょう。ここではコレルリのソロや、ピラッツイー二のソロも収録しています。

 

(9)チェルケッティ(全曲実況ローマ1958)

これはアニータ・チェルケッティのノルマ、フランコ・コレルリのポリオーネ、ミリアム・ピラッツイーニのアダルジーザ、ジュリオ・ネルリのオロヴェーゾ、というキャスト。チェルケッティがカラスのローマ歌劇場で降りた公演を引き継いだものです。カラスが降りたのは1958年1月2日、そしてここの公演を引き継いだのは1958年1月4日。指揮者はガブリエレ・サンティーニ。

カラスが退く僅か3日前に引き継いだばかりでした。まず音が古めかしく、埃にまみれた窓ガラスのイメージが鼻を突きます。結論めいたことを申せば、チェルケッティは堂々たる登場ぶりです。何しろカラスによって公演が中断したのだから、アンチ・カラスの側からもの凄い圧力(やれやれ、という)があったはずです。聴いてみると、チェルケッティは素晴らしいテンポで突き進み,あらゆるトリルをクリアしています。耳を澄ませて聴いてみて、アダルジーザとの2重唱のところで歌手が高音を出すのをケチった場面が3カ所ありました。それほど大きな欠点ではありませんが、その3カ所と、次の順序に移る場面で、一瞬ぎょっとするような声があったことも。他の場面では全く欠点がありません。これなら「ノルマ」は成功です。ローマ市民全体がこの公演の後押しをしていましたし、それは実に明らかなことでした。第2幕のアダルジーザとの2重唱の在る箇所の最後に見られる爆発的な拍手と歓声がアンチ・カラスの証です。自分たちはもうカラスを必要としないし、それでもこんなに立派な「ノルマ」をやれるんだ、と見せつけているようです。実際これはそう言えそうな公演でした。声質は滑らかで,必要に応じて大きな声も出ます。この滑らかな声というのが、魅力の一つ。

この直前にデッカ社がチェルケッティをとらえ、アミルカレ・ポンキエルリ「ジョコンダ」をマリオ・デル・モナコとジュリエッタ・シミオナートと一緒に録音したばかりでした。その次にデッカ社はこの「ノルマ」の録音計画を立てますが、残念な事にそれは実現せず。つまりチェルケッティはあっと言う間に声を無くしてしまったそうです。本当に最後に咲いた花がこの「ノルマ」だったという結果です。

 

(10)カラス(全曲正規スタジオ録音1960)

マリア・カラスのノルマ、クリスタ・ルートヴィヒのアダルジーザ、フランコ・コレルリのポリオーネ、ロッシ・レメーニのオロヴェーゾ、1960年9月、指揮はトウリオ・セラフィン。

掛け始めた途端にぱっと音が広がりをみせますから、技術的進歩がいかに凄まじいものかを思い知らされます。また音程を聞き取るのにも不自然なことはありません。コレルリのポリオーネは力強く,明快で、それほど黄色い音色もしませんから、これなら合格です。カラスは音がよくなったせいで、歌手の声が明瞭になって、それで万事よかった、といいたい所ですが、さに在らず。まるでどの音階でも、声というよりまるでガラス繊維を束にしたのがまとまって投げ捨てられているようです。高音にいくほどそれが目立ちます。音は邪魔なくらいに高音が強調されます。カラスの歌い方は全体としては本当に良く歌ったと言いたい。しかし本当はカラスは失われた声の自由さに苦しんでいるのが良く分かります。声がないからこそ、あの表現が工夫されているのでしょう。我々はリスナーですから結果だけ聴いていれば良いのでしょうし、そのような苦労を感じるのでは歌手(カラス)が悪いと言われそう。カラスの歌はどのように歌いたいかが良く分かります。あらゆる場面で、それは痛々しいくらいです。しかし、カラスが期待したほど、声は出ていないのです。歌手に「同情したリスナー」のレベルではカラスは、理想的に歌っています。またうめき声はほとんど聞き取れませんでした。

 

(11)サザーランド旧盤(全曲スタジオ録音1965)

ジョーン・サザーランドのノルマ、マリリン・ホーンのアダルジーザ、ジョン・アレクサンダーのポリオーネ,リチャード・クロスのオロヴェーゾ、指揮者リチャード・ボニング、ロンドン交響楽団、1965年。

これは余り古くは無く、むしろサザーランドとしては遅い録音です。しかしこの録音条件は素晴らしい出来映えでした。オーケストラが少しのろい。この旧版ならサザーランドの「ノルマ」だとして聴く事ができます。実際こんなに質的違いがあるのに、録音した時間差を考慮しないで演奏を比較するのは無理でしょう。結果的にこのCDの方が後年1984年に再録音したものよりずっと声は滑らかです。

 

(12)スリオーティス(全曲正規スタジオ1967)

エレーナ・スリオーティスのノルマ、フィオレンツア・コソットのアダルジーザ、マリオ・デル・モナコのポリオーネ、カルロ・カーヴァのオロヴェーゾ、シルヴィア・ヴァルヴィーゾ指揮、ローマ聖チェチーリア管弦楽団,1967録音

久しぶりにこのCDを聴きましたが、やはり私にとって、これは記憶がしみ込んだ録音です。私が実際にこの音源(LP)で聴いたのは26歳の時で、その時は10ヶ月間に63回聴いた記録があります(当時は日記をつけていました)。現実のスリオーティスが風邪のため声が出ず、本当にかろうじて音を出しているだけでした。それをラジオからの生放送を友人の故W君にテープを採って貰い、なだめすかして聴いたのです。そしてこのCDが当時はまだLPでしたが、それでフィオレンツア・コソットの傲然たる声を聴いた次第です。聴き直してみるとコソットはやはり逸材でした。結局この年に「ノルマ」を舞台で観るのはあきらめ,代わりにコソットとアルフレード・クラウスによるドニゼッティ「ラ・ファヴォリータ」を観た次第。従来コソットの活躍が先輩達を邪魔している形なのが癪にさわってコソットの弱点を必死にさがしていましたが、謙虚になればコソットはその限界の範囲で立派なメゾ・ソプラノです。実はここの配役でも、コソットの年齢が上ですが、それはこの両人のどちらの責任でも無い訳です。スリオーティスはとにかく若いのです。実際24歳。これでは当然ながら,声の切り込み等で不満もでようというもの。それでも出始めこそ、上記の欠点が聴かれましたが、第4幕では驚くほどのスリオーティスの世界を聴かせました。デル・モナコは力づく出だす傾向を感じますが、まずまず。カルロ・カーヴァは大したことの無いオロヴェーゾでした。指揮者のテンポは尤もらしいものでした。私はこれに賛成です。もう一つこの録音で問題になった短縮の問題ですが、私は心地よく聴く事ができました。実際カットされた箇所は無くても全体に全く影響ありません。

 

(13)カバリエ(全曲正規スタジオ1972)

モンセラ・カバリエのノルマ、フィオレンツア・コソットのアダルジーザ、プラチド・ドミンゴのポリオーネ、ルジェロ・ライモンディのオロヴェーゾ、カルロ・フェリーチェ・チラーリオ指揮:ロンドン交響楽団。1972年9月。

この録音を聴いた途端に思ったのはテンポがまちまちで一貫性が無い事です。一口で言えば遅い。またカバリエの歌い方ですが、やや努力が足りないのでは無いでしょうか。この時期確かにカバリエにドラマティック・ソプラノへの憧れがあってレコード面でもそれは感じられましたが、高音部をしっかり捉えていないようです。但し、旧来のソプラノ領域のコロラトウーラは技巧も性質も立派なものでした。コソットが遠慮気味に聴こえる箇所と、やはりコソットだからな、と思わせる部分があって面白い。ドミンゴは別にドミンゴでなくても構わないのですが、こういうソプラノ中心のオペラでは目をつぶりましょう。しかし指揮者に人を得ていないのが問題です。所々(第3幕など)で、突然テンポが緩くなる箇所がありますが、面白いと思うに加えて何故そこで?という疑問があります。このCDではキャスティングにも気を使ったことと思うのですが、残念ながらこのCDをもってカラス以外の「ノルマ」のベスト録音とは行かないようです。

 

(14)カバリエ(全曲オランジェ画像実況1974)

モンセラ・カバリエのノルマ、ジョセフィン・ヴィージーのアダルジーザ、ジョン・ヴッカーズのポリオーネ、アゴスティーノ・フェリンのオロヴェーゾ。レオナルド・ジョヴァノッティ指揮。古代オランジェ劇場野外公演。1974

これはカバリエが思い切り上昇指向を示していた時期の録音で、聴いてみると中々のものです。指揮者がテンポを揺らしますが、あまり気になる程ではありません。登場人物、とくに兵士達を急いで招集するさまがぴったりでした。そしてカバリエ本人ですが、声が絶好調で、最後近くまでそれは続きます。最後の部分では低音が必要になるのですが、ほんの少しだけ大丈夫かな、と思いました。その代わり、他の部分では全く疑問がありません。ヴィージーのアダルジーザは、発声の仕方が、「ア〜」でも「ウ〜」でも最初に出した音をそのまま引きずって出す傾向があります。アダルジーザとしては演技は堂に入っていたので、その点だけが気になります。画像による「ノルマ」は余り例がないため、これは貴重です。但し、ポリオーネを歌うヴィカーズは声が渋過ぎて、少し年を取り過ぎたような聞き苦しい発声でした。

 

(15)バンブリー(全曲イタリア・バリ実況1977)

グレース・バンブリーのノルマ、ジュゼッペ・ジャコミー二のポリオーネ、レイラ・クベルッリのアダルジーザ、ロバート・リオイドのオロヴェーゾ、バリ交響楽団、指揮:1977年8月12〜14日。

これはバンブリーが絶好調だった時代のもので、原譜による2人のソプラノによる公演としています。珍しくイタリアのバリ(長靴の裏側にある都市)での公演の実況録音です。バリの公演はさすがに国際的とは言えないのか、その印刷物からキャスティングを読み取るのに苦労しました。ここでの主役はグレース・バンブリーです。この時代はバンブリーは自信満々の時代で、メゾ・ソプラノからソプラノへ変身を果たしたころです。思ったより声に輝きがあり、伸びているような印象。むしろ始め思ったのはテンポが遅め。またバンブリーの声が質は立派だが、ピッチが不正確という印象があります。声は大概はさっそうとしているのですが、不安定さは実は最後までつきまといました。性質は厳然たるソプラノで、少し響く性質です。声に注目して一気に聴いたのですが、ふと立ち止まって、いったい何を言いたいんだろう、という疑問にとらわれました。最後になってそういう疑問が出るのは重要です。

 

(16)サザーランド(全曲シドニー画像実況1978)

ジョーン・サザーランドのノルマ、マルガリータ・エルキンスのアダルジーザ、ロン・スティーブンスのポリオーネ、クリフォード・グランドのオロヴェーゾ、シドニー実況、リチャード・ボニング指揮、1978.8.1

サザーランドが「ノルマ」を録音しようとする時、誰しも気になるのは声が十分出るだろうかという事です。エルキンスのアダルジーザにやや難が在ります。サザーランドは声がどうにもコントロールできない箇所があります。

 

(17)サザーランド(全曲カナダ画像実況1978)

ジョーン・サザーランドのノルマ、タチアナ・トロヤノスのアダルジーザ、フランシスコ・オルテスのポリオーネ、ジュスチーノ:ディアスのオロヴェーゾ、トロント管弦楽団、カナダ、リチャード・ボニング指揮。

サザーランドはこの約10年後に引退に踏み切ります。紛らわしいのですが、この英連邦録音盤にはシドニー・オペラハウスで録ったものと、カナダのトロントで録ったものの2種類が存在します。シドニーで録った方の「ノルマ」は歌手に少し難があるようです。アダルジーザですが、ここで歌うタチアナ・トロヤノスの才能が少し上回っていると思いました。マルガリータ・エルキンスによるものはトロント盤より音も、表現も少し部が悪いようです。実際両者を比すと、共にいい年ですから、どちらもソロソロおしまいになる年齢。ポリオーネはオルテスの方がましです。

 

(18)サザーランド新盤(全曲正規1984)

ジョーン・サザーランドのノルマ、モンセラ・カバリエのアダルジーザ、ルチアーノ・パヴァロッティのポリオーネ、サミュエル・レイミーのオロヴェーゾ、ウエールス交響楽団。指揮リチャード・ボニング、1984年8月〜9月

これは旧盤の録音後23年後の再録音です。意外なくらいテンポが早くなっています。当初はこれ遅いんじゃなかろうかと思いますが、さほどではない。結論から申し上げますと、これはダメです。いかにキラ星のごときキャスティングで飾っても、それはダメな者を束にしたに過ぎません。とくにサザーランドの旧盤を知っていますから、つい比較してしまうのですよ。声がかすれてようやく音程を出すのみ。またカバリエ等も期待はずれでした。普通ならこのキャストには最高水準の録音を期待するのですが残念です。パヴァロッティもうっかり誰だったっけ、と箱を調べ直しました。サザーランドは夫君の精一杯のサポートによって高音部も全て出していますが、音だけでは救われません。表情に無理があります。

 

(19)グルベローヴァ(全曲正規2005)

エディタ・グルベローヴァのノルマ、エリナ・ガランチャのアダルジーザ、アクゥイラス・マチャンドのポリオーネ。フリードリッヒ・ハイトラー指揮、州立フィル、2005年録音、オーストリア。

ようやくこのCDに到達しました。まずハイトラーによる指揮ですが、清潔な指揮ぶりでなかなか良かったと思います。このノルマはイタリア語です。ただオーケストラに付随した合唱(特に男性陣)がまるでドイツ語で歌ったような清潔感に満ちたものでした。グルベローヴァの歌い出しはコロラトウーラ技術の粋のような見事なものでした。彼女のその種の技術は別のものと考えていたのですが、これは見事なもの。流れるような流麗さを持っています。それと付き合うガランチャは音色がまるでジュリエッタ・シミオナートにそっくりで、当初これは好きなタイプだと膝を打ちました。結局これは次第にガランチャが遠慮してしまうため残念な結果になりました。アリア「カスタ・ディーヴァ」のような有名な箇所では、アレと思うような別種の旋律が聴こえますが、全体を壊すものでは有りません。ただ第2幕の2重唱に入ってからは、この両者の歌が互いに遠慮するので、結果は想像の通りです。それは後へ引き継がれており、第4幕では明らかにグルベローヴァは疲労困憊しております。ああいう声を出してはまずかった。ガランチャはそれに合わせるがごとく声を潜めています。結果的にオペラ終了時にはやっと終わったか、と思いました。グルベローヴァに対してきついことを記しましたが、彼女が60歳になろうとしている年配だということを考慮すれば、それなりに立派な成果と言えます。彼女は30数年前のシュトラウス「ナクソス島のアリアードネ」でのツエルビネッタ役で聴いて、卒倒した覚えのある歌手ですから、ご苦労様と言いたいのです。年を無視して喝采するのは控えます。

 

(20)バルトリ(スイス全曲正規録音)

チェチェーリア・バルトリのノルマ、スミ・ジョーのアダルジーザ、ジョン・オズボーンのポリオーネ、ミケーレ・ベルトウージのオロヴェーゾ。ジョヴァンニ・アントニーニ指揮、ラ・シンティッラ管弦楽団。2013年7月24日

(これは先に記述した批評文を参考に簡略化したものです)
バルトリは高音が欲しい時もその高音を十分な時間持ちこたえていません。第2幕に気づいたことですが、あのトリルに満ちた空間はそのようなトリック空間だったと私は判断します。どこでも声を飲み込むように出すため、感情を表わせないのです。どうしてあんなに声を飲み込むように出すのでしょうか。まるで恐喝するような声ですよ。各フレーズの最後は慣習的な高音を出すものですが、それらは全てカットされています。アノ切り口はまるでいつも怒られているような感じです。それほど残された時間は長くないのです。現在バルトリは48歳、ジョーは52歳です。

バルトリは音の強弱を無視しています。これは誤解を招く表現ですが、バリトリが音の強弱を出そうとするとトリルの技術が死んでしまうのです、実際、何カ所かで強弱に表情を付けようとしていますが、それはあらーと絶句してしまうようなダメな歌の出来映えでした。音そのものも大切にしてほしいと思うのはそのような場面です。カラスが長い息を利用して朗々と歌い上げるパートを、バルトリはあっという間に通り過ぎようとしています。大いに聴きくたびれた、と言いたいのです。あの息の詰まるような近接声ですから、それは本当です。そのかわり、このCDは音がずば抜けて良いのです。この音は技術的勝利でしょう。

 

(21)全曲盤ではないもの

録音年月日が必ずしもはっきりしないものを含みます。

21-1 ジンカ・ミラノフ(1945録音)
ノルマ〜「清らかな女神よ」、「聴きたまえノルマよ」、RCA Gold Seal BVCC 5127。マーガレット・ハーショウとの重唱あり。
ミラノフは丁寧に歌っていますし、ハーショウもそれに相応しく付き合っています。カラス以前にはこのミラノフがメットではノルマ歌いとして第1人者とした考えられていました。音は滑らかですが、フィオリトウーラにやや改善の余地あり。

21-2 アニタ・チェルクエッティ(1950〜録音)
ノルマ〜「清らかな女神よ」、Living Stage、LS 4035156
チェルケッティのノルマは全曲盤から想像できる通りでした。妻はこれを聴いて、チェルケッティは少し元気が無いわと申します。でもその時点では他に代わりがいるか?と聞けばやはりチェルケッティしかいないのです。決して次のアント二エッタ・ステルラで代用できないのでは。

21-3 アントニエッタ・ステルラ(1960録音)
ノルマ〜「清らかな女神よ」、イタリア・オペラ集、POCG-3027
他に誰がうたう?と問うた時に、答えに詰まってしまった場合に彼女をあげることも苦しいながらあり得ます。彼女の歌い方はフレーズがコマ切れになっていて、全体が長く流れ難いと思います。声も苦しそう。やはりステルラがノルマを演じるのは無理ではないでしょうか。

21-4 ジュリエッタ・シミオナート(1961録音)
ノルマ〜「清らかな女神よ」、440 406-2
大人しいノルマでした。オフ・マイク気味なのが気になりますが、高音をその範囲内(カヴァレッタをカットしていますから、余り根拠にはなりませんが)で完璧に出そうとしていますから、そういう場面の箇所ではカットした理由が頷けます。これもアリア集だからこのCDを録音したものと思います。

21-5 レナータ・テバルディ(1968録音)
ノルマ〜「清らかな女神よ」,モンテ・カルロ歌劇場、ファウスト・クレーヴァ指揮,テバルディ・コンプリート・セット66CD
私はこういうCDが存在することを知りませんでした。コンプリート・セットというのが出て、調べたらこれが有りました。テバルディの内心の憧れがあったでしょうから、どうしてもそういう種類の歌を入れておいたのでしょう。聴き手の側にたっていえば、テバルディの「ノルマ」は、あれば聴きたいと思うのが自然です。実はそれ以外にも「清教徒」のアリア等も有るのです。「どうしてノルマを録音しないのですか?」という問いかけに関し、「どうして?あんなにカラスが巧く歌うのに」と返ってきた、という説。私は正直言ってテバルディがそんなに神聖とは思っていませんが、ここでは目をつぶってカスタ・ディーヴァを掛けてみましょう。

意外にもスピーカーから流れるカスタ・ディーヴァはマトモでした。思い切り遅くドライブしていますし、音自体を小さくしたり、エレキの技術を思い切り効かせています。冒頭のフレーズは強い表現でしたから、次の弱々しい表現が目立つわけ。途中3カ所くらいでオヤと思いましたがそれは意地悪な聴き方をして始めて分かるようなものですから、ざっと聴く場合はこれで十分でしょう。ああ良かった。これでカラス/テバルディの競い合いはおしまい。

21-6 シルヴィア・シャーシュ(1978録音)
ノルマ〜「清らかな女神よ」、POCL-2780
出始めの部分は驚くほど素晴らしい.力を込めて歌っているのが分かります。ただ、ふと気が付いたとき、全体がバラバラになっているのが分かり、特選にできないことが分かりました。やはりアリア集の歌い方なのでしょうか。

21-7 サザーランド/ホーン/パヴァロッティ(1981NY実況録音)
ノルマ〜アダルジーザ!、私にもそういう日があった、458 207-2
サザーランドが他の2人を招いたものと思われます。「ノルマ」にかなり長い時間を割り当てられており、そこでは2重唱に特に長い時間を費やしています。実況盤ですから、米国人達の歓声がよく分かります。しかしこれは米国では成功しても、私を含む他の国ではどうかな、と斜めに見ました。サザーランド本人は声が乾いているし、油気が少ないのです。またここのパートを際限なく再生することを目指していて、しかも成功していますが、これは全曲盤ではないことを思い出す必要があります。私はこれを繰り返し聴くことに少しためらいを感じています。

21-8 エレーナ・スリオーティス(1971年録音)
ノルマ〜清らかな女神よ、NHK 東京イタリア歌劇団、1965/1966年「スリオーティス「アンナ・ボレーナ」の付録トラックに収録
スリオーティスの伝説的な実況です。これを長い間発見しないままにいましたが、思い立って確認ヒアリングをした結果、間違い無くこの71年の実況はNHKイタリア歌劇団の公演です(1971.9.1の実況)。それは私のメモとイタリア・オペラの伝記に基づいて,また間違いなく自分自身の音楽テープからそう確信しました。最も良い部分だけCD化したものです。何と美しい声だろう、と思います。美し過ぎてノルマらしく無い、筋を読め、と言いたくなるようですが、全てを許す。これが日本産の音源だった事に感謝したい。繰り返し再生する価値ありです。

スリオーティスの声は1965年頃のスタジオ録音のアリア集で最もよく、それに前後する1966頃のカーネギー・ホールでの実況録音がそれに準じます。さらに1968年頃にスタジオ録音による「アンナ・ボレーナ」全曲をした訳ですが、この頃既に危険信号が声に出ています。そして1967年には「ノルマ」スタジオ録音をしており、ここの「ノルマ」NHK実況録音は1971年で既に誰の耳にも悪い記憶が残るような結果でした。ただし全曲ダメというわけではなく、カスタ・ディーヴァは立派ですが、後の部分がいけない。それには上記実況テープを繰り返し聴かなければなりません。私はそれを現在MDに入れてありますが、このMD形式は廃止されましたから、どうやって保存しようか、と悩んでいるところ。なおこのテープには71年録音とだけ書いてあって、どこにもNHKオペラのものだ、という事は明記してありません。あくまで私の解釈だと言う点を記しておきます。

21-9 マリア・カラス(1971録音)
マスタークラス、ユージーン・コーン(P)
ノルマ〜清らかな女神よ、セラフィン指揮1954年記録、ポメラ・へバート(歌P伴奏)
これはこれで興味が持てます。カスタ・ディーヴァの旋律をピアノだけで聴かせるのが面白い。

 

千葉のF高












<<Appendix 雑記帳トップへ戻る