モノローグ(270) 「メデア」の最新の比較   (Aug.25 2015)

知識を整理して、特別編を5つ書きました。ここでは(1)ヴェルディ「椿姫」、(2)ベルリーニ「ノルマ」、(3)ケルビーニ「メデア」、(4)ドニゼッティ「ランメルムーアのルチア」、(5)ドニゼッティ「アンナ・ボレーナ」の5曲に絞ります(なお、この文は5曲同文です)。イタリア・オペラのゴールは例えヴェルディの「オテロ」や「アイーダ」であっても、それを生み出したのは上記のベルカント・オペラだと思うためであり、何を聴けばイタリア・オペラと親しむ事が出来るか、を考えてこれら5曲を選び出しました。一部、昔書いた文を流用しますが、例えば「椿姫」編は全く新しく書き直したものです。最近は発売会社が余りに大きく変わったため、CD番号は書かず、代わりにその録音年月日や場所を見て頂く事にしました。下記は録音年月日の順番。

 

「メデア」のあらまし

歌劇「メデア」の評価という難しい所に達しました。「メデア」のストーリーは単純明快で、ジャゾーネ(イアソン)に裏切られたメデアの激しい反応と経緯を示します。これに付け加えるべき場面はなく、これから削ぎ落とす場面もありません。紀元前のギリシャのコリントスを舞台とし、最後には竜のひく空飛ぶ車が出てこの悲劇は終了します。決して「許し」とか、「マアマア」の世界ではありません。

コルキス(コーカサス)の山地の王女だったメデアは、ギリシャからアルゴー船に乗ってきたジャゾーネに一目惚れし、自分の親を殺してジャゾーネと一緒にギリシャに逃れます。そしてコリントスで二人は暮らすようになります。しかしコリントスの王はジャゾーネにメデアでなく、自分の娘であるグラウチェと結婚してはどうかと、勧め、ジャゾーネもその気になります。メデアはそれを聞いて逆上します。そしてグラウチェの婚礼の祝いに衣料を届けます。グラウチェは喜びいっぱいで、メデアから贈られた衣料を身に羽織ります。ところが、その衣料には魔法が掛けてあり、グラウチェが身につけたとたん、衣料は火を噴き、グラウチェは死んでしまいます。ジャゾーネはそれを聞いて怒り、メデアを問いつめます。血の匂いのする場面です。

メデアは自分とジャゾーネの間にできた2人の子供を殺して、ジャゾーネの苦しみを逆立てます。そして竜の引く車に乗って天高くコリントスの土地を飛び立ちます。その後の話もあって、メデアは東の地に降り、「メディア王朝」を立ち上げたとも言われますが、アテナイの王妃になった等を含め、神話の世界なのではっきりしません。

 

CDの比較

(1)カラス(フィレンツエ 1953.5.7録音)

マリア・カラスのメデア、カルロス・グイチャンダトのジャゾーネ、フェドーラ・バルビエリのネリス、ヴィットリオ・グイ指揮フィレンツエ管、GL100.521、Gala(同じ空箱のオマケにボーナス録音として入っています)

これは番外編としてニコラ・レッシーニョ盤の末尾の空白部分に納められています。全体に厚いベールのような響きがしますが、これはわざとエコーを掛けて聴きやすくしたものです。やはりエコーというのは考えもので、聴いていてエコーだと気がつくほどになると考えものです。お陰でバルビエリのネリスがよく分かりましたが、だからといってこれを全体として高い点を付けるのはひるんでしまいます。

 

(2)カラス (スカラ座、1953.12.10録音)

マリア・カラスのメデア、ジーノ・ペンノのジャゾーネ、フェードラ・バルビエリのネリス、レナード・バーンスタイン指揮スカラ座管、CDE 1019、Fonit Cetra

レナード・バーンスタインが指揮した1953年のスカラ座の実況。たまたまバーンスタインがイタリアに来ていて、指揮者が病気のため代役に抜擢された、という曰くのあるもの。結果は素晴らしいものでした。最初の序曲からしてこれは並々でない速さですすみます。それが3度も繰り返されるため、聴き手はそのメロディーにすっかり飲み込まれます。あの猛烈なスピードはただものではないのです。またそのスピードによって聴き手は「メデア」に集中できるのです。カラスの「メデア」を聴くと、一言一言が重々しい意味を持ち、他のキャスティングの場合にある「?」というものがありません。これを一緒に聴いた妻は「凄いわね。イタリア語が分からなくても意味が良く伝わるわ!」と率直な感想を述べました。カラスはドスの利いた声で唸るように歌います。第2幕、第3幕と進むにつれますますカラスはポテンシャルを上げて行きます。カラスはもはや楽譜が何を指しているのか、無視するがごとく咆哮を繰り返します。参ったと正直に思いました。またバーンスタインの指揮ぶりもますます好調で、本当にこれが偶然のなすわざとは思えないのです。神様がこの「メデア」という曲に最高のプレゼントを呉れたものと信じました。このケルビーニの作風を考えていたところ、意外にもベートーベンだと思ったりします。実際ベートーベンの交響曲第7番、第8番を聴くと、「メデア」を思わせる箇所があるでしょう。ギシギシときしむようなオーケストラを速く鳴らすのはそこに秘密があるのかも。また逆に、モーツアルト「魔笛」を思わせる瞬間があるのもお分かり頂けると思います。最も声の状態の良かった時(決して長く無かった)の、最上の演技がここに込められています。

 

(3)カラス(スタジオ 1957.9録音)

マリア・カラスのメデア、ミルト・ピッキのジャゾーネ、ミリアム・ピラツイー二のネリス、指揮トリオ・セラフィン指揮スカラ座管、DENON、COCO-6118-19

これは「メデア」を日本の国内に知らしめたLP盤ですが、それを再度CD盤として出したものです。そもそも「メデア」を必要とする人がどれだけいるかですが、どんな曲でも500名集まらないと商売が成立しないそうです。この評価ですが、私の耳には余りにオーケストラが甘く端正に聴こえます。大人しい演奏です。またカラス自身の声がくたびれていて、油気が抜けていて、傷が目立つのです。せっかく聴くのだからもう少し調子の良い時の記録を取っておいてくれなかったかな、と残念な気がしてしょうがありません。本当にこれは声を大して言うのですが、この演奏だけでカラスを評価しないで頂きたいと願う次第です。

 

(4)カラス(ダラス、1958年11.6録音)

マリア・カラスのメデア、ジョン・ヴィッカーズのジャゾーネ、テレサ・ベルガンサのネリス、ニコラ・レッシーニョ指揮スカラ座管、GL100.521、Gala

まずテンポが速い。こうでなくては世の中は受け入れにくいだろうと思います。そしてカラスの声が万全です。どこを取っても甲乙つけ難いのです。私はテンポを重要な要素と考えます。実際トータルとしての印象は「メデア」録音の最上の一編はこのレッシーニョ指揮盤か、あるいはバーンスタイン指揮盤になります

 

(5) カラス (スカラ座 1961.12.14録音)

マリア・カラスのメデア、ジョン・ヴィッカーズのジャゾーネ、ジュリエッタ・シミオナートのネリス、トマス・シッパーズ指揮スカラ座管、OPD-1261

スカラ座でのカラス最後の「メデア」の記録です。実際には翌年1962年5月に最終回を迎えています。これはトマス・シッパーズの素晴らしい指揮ぶりで有名です。声だけで判断すると、第2幕等の前半でカラスは力が入らず、しかも声の揺れが目立ちます。声が割れて細かく分裂して聴こえるのです。悲しいほどの凋落ぶりでした。これだけ声をまとめる事が出来なければ歌手生命をはばからなければなりません。しかし第3幕など後半にはいると、別人のごとくなります。声は安定し、力強いメデアらしい声を聴かせます。ン、アーン、ン、アーンと巧みに飛び込みますし、時としてアア、ン、アアーンと侵入する声を聴かせます。これだけ聴かされるとカラスはやはりカラス!と再確認せざるを得ません。また共演者が素晴らしく、シミオナートが聴けます。

 

(6)ジョーンズ (商用CD録音 1967.8)

ギネス・ジョーンズのメデア、ブルーノ・プレヴェディのジャゾーネ、ピラール・ローレンガーのグラウチェ、フィオレンツア・コソットのネリス、ランベルト・ガルデルリ指揮、ローマ聖チェチェーリア管、英デッカ452 611-2

次の世代の「メデア」を狙ってこれが出来ました。カラスが実際にもはや歌わなくなりましたし、その引退後の年数を数えると十分だと判断したのでしょうか。ギネス・ジョーンズは始めからワーグナーやシュトラウスを専門としていた訳ではなく、イタリア・オペラのドラマティックなものを歌っておりました。デビューしてまだ間がなかったのです。まず管弦楽の目覚ましさに驚かされました。これまで聴いていたのはほぼ全部が実況でしたから、耳がすっかり実況盤特有のノイズや人々の動く気配等に悩まされていました。しかしこれはスタジオ録音で、しかも天下のデッカ録音です。それを思い出させて呉れたのです。ランベルト・ガルデルリ指揮のローマ・聖チェチーリア音楽院オーケストラです。それは上手い指揮ぶりでした。第1幕では女性陣も上手く、ピラール・ローレンガーも素晴らしい声を出していましたし、合唱も立派。メデアが登場するまでこれはいいな、が続きました。ローレンガーの声が震えるのを「椿姫(ベルリンのキャスト)」に、これはダメだと全体に疑問を投げかけました。それがここではかつて耳障りだったものが魅力的に響きましたので、変わるもんだなと思った次第。第2幕になると全体にくたびれて、声の魅力で引っ張られることがなくなり、やはりジョーンズには荷が重過ぎたかな、とため息を付いた次第。第2幕の表現は他の幕と差別化をはかった方が良いと考えますが、このCDではそれが少し困難かな。しかし第3幕では素晴らしい声を出しています。全体のテンポが速いため、その速さに由来してそう響いたのかも知れません。あっと言う間に終曲を迎えましたがモノは試し、とカラスのトマス・シッパーズ盤と引き比べてみたら、これはやはりカラスの方に一票を加えました。どこが、と聞かれても、実際に聞いてみれば分かるよ、としか答えられません。

 

(7)ジェンサー (フェニーチェ座1968年12.15録音)

メデア:レイラ・ジェンサー、ジャゾーネ:アルド・ボション、ネリス:ジャゾーネ・フィオリーニ、指揮カルロ・フランチ指揮、フェニーチェ座管、CLAQUE GM2005/6

上記のジョーンズのあと、それと殆ど同じ頃にもう一つ出たのがこのレイラ・ジェンサーでした。ドラマティック・ソプラノは単に声が大きいだけでなく、時として低い声で、面々と訴えなくてはならないので大変です。そしてマーケットを見渡すと、ジェンサーがおりました。彼女もカラスの全盛時代と同じ時期に歌っていました。声は低くなっていますが、それはこの「メデア」にうってつけでしょう。ジェンサーはあらゆるところで力んでみせるので、あれは少し耳障り。力み過ぎです。またオーケストラがやや不揃いで貧弱な感じでした。あちこちではっとするような要素は在りましたが、歌劇「メデア」全体としては描ききれていない気がしました。このシリーズのタイトル「CLAQUE」とは、あらかじめ座席を回って拍手を頼む類いの人々を指します。サクラ。

 

(8)シャーシュ (商用録音1976年録音)

シルヴィア・シャーシュのメデア、ヴェリアント・ルケッティのジャゾーネ、クララ・タカスのネリス、ランベルト・ガルデルリ指揮ブダペスト響、HCD11904-05-2

さらに時間を経てから出たのがこのシルヴィア・シャーシュの歌う「メデア」です。カラスの再来と言われたのは何人いたでしょうか。アニタ・チェルケッティに始まり、エレーナ・スリオーティス、そしてこのシャーシュです。結論として皆短命でした。このCD を掛け始めた時、最初はオーケストラの柔らかい響きに感心し、これは取り組まなければと緊張しました。このランベルト・ガルデルリという指揮者はつい2回前に、ジョーンズの指揮で聴いたばかりでしたからそのせいでもあります。いいな、と思ったのはつかの間で、すぐにシルヴィア・シャーシュの高音にしゃくれた響きを認めたのです。トウがたったというか、酢がたったというか、高音部にぽつぽつと穴があいたような感じでした。これはあらゆる高音でそうでした。高音がダメなら低音はどうかというと、気持ちの悪い低音を響かせていましたが、やや苦しそうです。ドラマとしてみると、最後の幕で盛り返したのですが、それでも声を出せるようにテンポを加減している様子。第2幕をどのようなテンポで乗り切るかは、ここの音からは分かりません。残念ですがシャーシュはカラスの競争相手にはならないようです。それでも音色は時としてカラスそっくりでした。

 

(9)アントナッチ (トリノ歌劇場2008年10月録音)

アンナ・カテリーナ・アントナッチのメデア、ジュゼッペ・フィリアノーティのジャゾーネ、チンツイア・フォルテのグラウチェ、サラ・ミンガルドのネリス、エヴェリーノ・ピド指揮トリノ王立劇場管弦楽団。

「メデア」の音楽を始めて聴いた時から40年が経ちましたが、実際問題として「メデア」の映像化をやっておこうというソプラノがいなかったため、待たざるを得なかったのです(やっとネットで入手を図りました)。アンナ・カテリーナ・アントナッチの声は良く練れていますが、それだけに力を押さえる必要があって前半では少しむりかな、と思わせました。それが第3幕に入ると少し盛り返しました。 ウワサどおり、トリノ歌劇場は小さめ。それは全体のバランスを取りやすいというメリットもありました。始めは演出を理解するのに戸惑いましたが、そのあとで感じたのは、第1幕より第3幕の方が圧倒的に集中できるということです。まずはオーケストラの音が少しくたびれた埃りっぽい音だったのは残念。最初、オーケストラの音が、まるで古楽器のチェロを擦るように聴こえましたが、後になるほどその印象は薄らぎました。最初に出た海の風景ははっとするほどで、イタリア人のこの種の才能を確認。このトリノのオペラ・ハウスでは1973年にカラス自身がテノールのディ・ステーファノと共同で「シチリア島の夕べの祈り」の演出を担当しましたが、実際には余り演出の仕事はしなかったようです。アントナッチの声はとにかくも、オーケストラの音が平凡で余り特色を持っていません。アントナッチを含め、全体にもう少し工夫の余地あり。

 

(10)全曲盤ではないもの

「メデア」は余りポピュラーでないため、この項目も少ないのです。

10-1 テレサ・ベルガンサ、(アレクサンダー・キプニス指揮、1958年録音)
ベルガンサはその経歴から分かるように、「メデア」1958年(ダラス)公演に出て以来、目覚ましいメゾ・ソプラノでした。単にネリスが巧いだけでなくて、軽い役柄、特にロッシーニにおいて誰しをも魅惑します。それを生かすには、やはりロッシーニを目指すことだろうと思います。ここではネリスでしたが、甘い声はそれらの大成を予感させます。

10-2 カラスのマスタークラス(1971年)ユージーン・コーン(P)
メデア〜貴方の子供達の母親は、セラフィン指揮1955年記録、リューバ・チェレスキー(歌P伴奏)

思いがけないテープでしたが、ゆっくりと聴く「メデア」の旋律はゆったりしてそれは美しい。しかしカラスがギョッとするような凄みのある声であれこれ注文を付けますが、あまり歌手に取って役にたたないような気もします。この受講生はその声が美しくなく、また「メデア」歌いとしては音程が合わない(声が低すぎる)からです。

10-3 レオニー・リザネック(1972年録音)
「メデア」〜,ウイーン・フィル、ホルスト・シュタイン指揮

第2幕ネリスのアリア「あなたと一緒に泣きましょう」の場〜を歌っていますが、そのアリアそれ自体の出来映も平凡、そこでメデアが歌う歌も平凡です。何時ものことですが、私は未だリザネックの声に魅力を感じません。相性が悪いのです。もう少聴いてみなければなりません。

 

千葉のF高












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