モノローグ(271) 「ランメルムーアのルチア」の最新の比較   (Sep. 2015)

知識を整理して、特別編を5つ書きました。ここでは(1)ヴェルディ「椿姫」、(2)ベルリーニ「ノルマ」、(3)ケルビーニ「メデア」、(4)ドニゼッティ「ランメルムーアのルチア」、(5)ドニゼッティ「アンナ・ボレーナ」の5曲 に絞ります(なお、この文は5曲同文です)。イタリア・オペラのゴールは例えヴェルディの「オテロ」や「アイーダ」であっても、それを生み出したのは上記のベルカント・オペラだと思うためであり、何を聴けばイタリア・オペラと親しむ事が出来るか、を考えてこれら5曲を選び出しました。一部、昔書いた文を流用しますが、例えば「椿姫」編は全く新しく書き直したものです。最近は発売会社が余りに大きく変わったため、CD番号は書かず、代わりにその録音年月日や場所を見て頂く事にしました。下記は録音年月日の順番。

最近マリア・カラスの録音を、新たにCDに焼いたものと、同時にそれを SSCDに重ねて一枚に焼いたもの(ハイブリット盤)が誕生しています。どんな音がするのか興味深く、私も試してみたくなりました。そこで「ランメルムーアのルチア」を集中的に聴き、Appendixにある批評を中心として、ここに並べることにしました。黒字で書いてあるのが旧批評文をベースにしたもの、青字で書いてあるのは新たに追加した文です。

 

CDの比較

(1)パリューギ (1939年録音)

L.パリューギ(ルチア)、J.マリピエロ(エドガルド)、J.マナッチーニ(エンリーコ)、M.ジョヴァニョーリ(アルトウーロ)、L.ネローニ(ライモンド)、M.ヴィンチグエッラ(アリサ)、NAXOS-8.110150-1、U.タンシーニ指揮。

リーナ・パリューギという人は余り知られていません。音が古いだけに、響きも古く、粉っぽい感じがつきまといます。歌についていうと、パリューギが登場したあと、その喉に注意を集中しますと、どうもこのソプラノはあまりトリルの技術を持っていないようです。ウーゴ・タンシーニの指揮はキビキビしていて快感です。始めの場面など速すぎやしないか、というくらい速い。第2幕の終わりに向かって行く所は、いわばドニゼッティ・クレッシェンド。これは楽しめます。ただ、私は思うのですがパリューギというソプラノは高い音を出せる事にいわば安住しているのかも知れない。加えて音を震わす(トリルを付ける)という技術もコロラトゥーラにとって大事です。この録音からは各所で、震わせ損ねているところが感じられました。やや鍛錬不足だったのだろうと思います。妻の批評は、もしルチアが20歳位ならば、この声はぴったりだわ、と申します。表現の若さと年齢との関係は私は余り考えておりませんでした。もっとも楽譜通りの年齢なら、イゾルデやブリュンヒルデは17歳程度。

そして「狂乱の場」。これは技術の限りを尽くし、美しさを限界まで示そうとする所ですが、パリューギもそれをやっていますし、後半のカヴァレッタでは突然ですが声が大きくなり、力の限り歌っています。狂乱の場ですから、どんな表情でも良いのです。そして第2幕ではエドガルド役のマリピエロは声を潜めて歌ったり、大きく歌ったりして一所懸命に表情づけをやっています。

 

(2)カラス (メキシコ・シティ 1952.6.10録音)

M.カラス(ルチア)、J.ステーファノ(エドガルド)、P.カンポロンギ(エンリーコ)、ライモンド(R.シルヴァ)、グイド・ピッコ指揮、メキシコ・シティ管、ALCHIPEL, ARPCD 0068-2
(青字で書いてあるのはここに始めて書いたものです)。

カラスのメキシコ旅行による録音です。この前々年、1950年に引き続いてイタリア・オペラ団はメキシコ・シティのメキシコ市立管弦楽団と共に公演をしています。声は全般に良く出ていますが、それでも狂乱の場の最高音をしくじってしまいました。必要な高音を維持する時間がほんの少し、短かったようです。あとは低い音を巧みに使い、また精妙な歌い回しで巧くカバーしています。ただし、これはいわばひいき目に見た場合の話で、やはり改めて1955年のベルリン公演のCDを掛けますと、その方が遥かに巧いのです。この巧さを巧みに表現するインデックスでもあれば良いのですが。これだけの巧みなコロラトウーラを歌える日本人歌手がいるでしょうか。カラスはこの年の前年、スカラ座にデビューして「シチリア島の夕べの祈り」で成功しています。決してトップフォームではありませんが、このCDも興味深いものです。

 

(3)カラス(ベルリン実況 1955録画)

M.カラス(ルチア)、J.ステーファノ (エドガルド)、R.パネライ(エンリーコ)、J.ザンピエーリ(アルトウーロ)、N.ザッカリア(ライモンド)、L.ヴィラ(アリサ)、クラウンPAL-2009-10、HV.カラヤン指揮。

ご存知カラヤン指揮の「ランメルムーアのルチア」で、カラヤン唯一のドニゼッティです。カラスをベルリンに招いて行った物ですが、色々と楽しいうわさ話がありますが、余り本当とも思えません。いやはや、かたや世界のオーケストラを総ナメにした寵児であり、かたや栄光を背負ったプリマドンナですから、合うはずがない?これは色々な実況録音盤として特異な存在です。あちこち拍手が入り、プロンプタの声が聞こえ、また有名な6重唱で起きた長い拍手については、カラヤンは思い切ってその6重唱全体を繰り返しています。カラヤンとしては珍しいことです。カラスはこれぞカラスだぞっ、という声を聴かせますが、音がそれほどスムーズではなく、高音がヒリヒリする瞬間があります。それでもカラスはアチコチにアクセントを付けて歌い、それぞれのポイントで声の技巧を尽くします。途中の高音はちゃんと出しています。エドガルド役のディ・ステーファノは喉を全開した発声で、そのイメージをチラリと見せます。ただディ・ステーファノは横に並んで歌うような場合、自分が一番だということを認めてもらうため、他を押しのけるような歌い方をしています。あの2回繰り返して歌われた6重唱がそう。カラスと一騎打ちになる第2場では、両者が声を張り上げ、叫ぶように歌うため、聴き終わった時はくたびれました。ルチアの兄のロランド・パネライは可も不可もありませんが、気品をくずすようなことはしていません。そしてアルゥーロ役のジュゼッぺ・ザンピエーリはやや音が高めでしたが、なかなか堂に行ったものです。書き遅れましたがニコラ・ザッカリアのバスは立派なものでした。複数の歌手が自分こそ一番、と信じてプレゼンテーションするのはなかなか壮観です。これはカラヤンにとっても楽しかったことでしょう。

狂乱の場は独立した聴き所ですが、カラスはある所は声を潜め、別の所では開放して咆哮します。そして最後の幕ではステーファノが自分の存在を見せつけます。実際それは声が大きく、十分にコントロールされていましたから、壮絶とでも言えるような声の咆哮でした。アンコールを求める声が当然起きましたが、カラヤンはこれを無視してオーケストラは開始してしまいました。これはカラヤンが正しい。というのはカラスはもう登場しませんが、カラスにしてアンコールは無かったのですから、もしステーファノにアンコールを認めたら、女神が激怒するでしょう。だからこそカラヤンは、その前の6重唱のところで、全員揃ったところで、アンコールしたのですね。素晴らしい公演で、ほとんど合格ですが、狂乱の場の最後の高音を止めたのが一瞬早かったと思います。それが無ければ無傷です。

 

(4)カラス(メトロポリタン歌劇場 1956年実況)

M.カラス(ルチア)、Gカンポーラ(エドガルド)、エンツォ・ソルデッロ (エンリーコ)、P.フランク(アルトウーロ)、N.モスコーナ(ライモンド)、T.ヴォティプカ(アリサ)、MYTO 3・CD 00137、F.クレーヴァ指揮。

これはカラスのスキャンダルと結びついた公演でした。カラスは正直言って(従って私の耳にも)調子が悪く、声が伸びず、特に高音がサッと下がってしまうという調子です。カラスと言えど不調はあったのですね。アレレと困った顔をしながら聴きました。ソンデッロのバリトンは美しく響くし、かなり良い公演になるのでは、と期待して聴き出したのですが、ソンデッロは馬脚を表しますし、カラスは高音が無理です。結局は指揮者のクレーヴァが良く無いのではないか、と思いました。実際、結婚式前後にある諸節ではどうしてこんなテンポが出て来るのだろう、と不思議に思いました。トラブルの内容はその付近になる高音(たった一音)をソンデッロが響かせ、対するカラスはそれを出し切らなかったのです。このCDの年月日を調べますと1956年12月8日とありますので、間違いありません。私の耳を信じる限り悪いのはカラスの喉です。クレーヴァの指揮はとんでもない跳躍があったりします。どうしてこの人がメットに迎えられたのか分かりません。

狂乱の場は、カラスは声を抑え、不調なりにまとまりの良い歌を歌いました。第2幕はレーヴンスウッド墓地の短縮版でさっと進み、そういう簡単版ではエドガルド役のカンポーラの声は楽天的で馬鹿みたい(!)に響きます。なおココで聴いたのはMYTO盤のCDでしたが、その空白部分に、カラヤンのベルリン公演から「ルチア」抜粋が入っていました。その会社は前出のPAL盤であってMYTO盤とは違います。MYTO盤では声が太く感じられました。こういうデリケートな音の変化があるから、CDも会社を選ばないとならないのです。

 

(5)モッフォ (映画 1956年撮影)

A.モッフォ(ルチア)、R,コズマ(エドガルド)、J.フィオラバンティ (エンリーコ)、P.ワシントン(ライモンド)、G.スカールマニ(ノルマンノ)、AM.セガドク(アリサ)、CF.チラリオ指揮、VAi、ITALY 69000

これはアンナ・モッフォの為に撮ったフィルム。モッフォは殆ど瞬きをせず、ジッと一点凝視。エドガルドも同様です。エンリーコはもう少し人間的に表情を変えますが、このルチアとエドガルドもまるで人形です。実演で接すると、モッフォは大層美しい人だと思いました。しかしオペラ全曲となると、もう少しリアリティも欲しい。

ちなみに声楽技術に問題はありません。もちろん感情移入が薄いのですが、私がルチアと聞いて頭に浮かぶ通りの音を出しています。「ルチア」の調子は全体としては高く無く、平均的には中音域に聴きどころが集中しています。ただ、難しいのはそのゆったりした旋律の中程に散らばる超高音域の音符をこなすこと。全体で20ページもの楽譜を歌ってへばらないスタミナを要します。

 

(6)カラス (ローマ 1957年実況)

M.カラス(ルチア)、E.フェルナンディ(エドガルド)、R.パネライ(エンリーコ)、D.フォルミキニ(アルトウーロ)、G.モデスティ(ライモンド)、E.ガラッシ(アリサ)、RAI管、マスターピース、CDLSM-H-34022、T.セラフィン指揮。

ローマ歌劇場の実況です。カラスに焦点を絞りますと、立派に歌っています。ただ狂乱の場を締めくくる場面で、最高音にキズが包まれていたことと、最後の音をキチンと歌うベキところでカラスの音が下がってしまったのが聴き取れました。これと1955年のカラヤン盤のカラスと比較してみると、誰でもカラヤン盤の方に一票投じるのではないでしょうか。

この1952年盤のルチアを聴くと、最後に登場する墓場でのエドガルド役は、気の毒なほど正直に聴衆に無視されています。終幕には拍手も聞こえ、怒号も聴こえましたが、あれを区別することは出来ません。カラスはローマと相性が悪く、ああこれからローマにいかなきゃならないわ、と言ったそうです。

 

(7)ケート (ドイツ語 1957.7.30-31)

E.ケート(ルチア)、R.ショック(エドガルド)、J.メッテルニッヒ (エンリーコ)、M.シュミット(アルトウーロ)、G.フリック(ライモンド)、H.テッパー(アリサ)、7243-8-264233-2-6、W.シュヒター指揮。

これは抜粋盤と言った方が良いかも知れません。オーケストラをドライブするシュヒターの指揮がキビキビしています。そしてヨゼフ・メッテルニッヒの歌うエンリーコが素晴らしく、それに応じてエリカ・ケートの技術等もなかなかなものです。ルチアに対するヘルタ・テッパーの歌うアリサの声の対比もしっかりあって、これは拾いもの、という感じを持ちました。全体のテンポが速い中で、狂乱の場で突然テンポが抑えられるのですが、これはわざと遅めにしたに違いありません。誰もがドイツ語で歌っていますが、この言語による印象がかくもあるものか、と思いました。大変クリアに発音され、それが次々と投げ出されるため、曲想がまるでイタリア語版のものと違うのです。ちょっとばかり「セヴィリアの理髪師」のところであったロバータ・ピータースの高音域での声を思わせます。妻は当初これは壮快なテンポだと述べましたが、進むにつれまるでミュージカルみたい、と感想を述べました。このCDは山野楽器本店で購入したものですが、昔ドイツ語で歌うイタリア・オペラのレコードが大量に市場に出回ったことがあるし、こういうのは他にもあると思います。面白い、という一言に尽きます。

 

(8)カラス (スカラ座管 1959年録音)

M.カラス(ルチア)、F・タリアビーニ(エドガルド)、ピエロカ、ベルナルト・ラディス(ライモンド)、カプッチルリ(エンリーコ)T.セラフィン指揮、WPCS-12974/5

(青字で書いてあるのは、ここで始めて書く記事です)。
1959年の録音でトウリオ・セラフィンが指揮し、マリア・カラスが歌ったバージョンです。この録音は前から知っておりましたが、それは単にそういう録音がある、ということといかなる評価を受けているかを知っているだけでした。カラスの録音とくれば何でも聴きたいと思っておりましたが、この1959年盤は声の衰えが著しい、と言われていたし、また実際そうだろうと思わせる点があったので、今慌てて買わなくても良いだろうと、先延ばしにしていました。そうこうしているうちにこの録音そのものが姿を消してしまったので、買うにかえない状態でした。それが最近この時期のカラスの録音を全てもとに戻ってディジタイズしたということなので、安心してその新盤を買い求めました。これはハイブリット盤であるため、通常のCDとしても聴けますし、高音を改良したSACDとしても愉しむ事が可能です(ここではそれはCD盤として聴きました)。全体にカラスの声は衰えを隠しきれず、特に最後の超高音は出すのが精一杯で、美感など期待する方が悪かったか、と反省を迫られる状態です。実際この時期カラスは「ルチア」に取り組んだ最後の時期にあたり、アリア集でももう「ルチア」を歌うのは、もうこれきりにしています。カラス本人がどう言おうと、全く歌っていない。そして事実この年にカラスはサザーランドとルチア歌いとしては交代したのです。

 

(9)サザーランド (ロンドン実況、1959年)

J.サザーランド(ルチア)、G.ギビン(エドガルド)、J.ショウ(エンリーコ)、K.マクドナルド(アルトウーロ)、J.ロールー(ライモンド)、M.エルキンズ(アリサ)、1959年ロンドン実況、GDS-21017、T.セラフィン指揮。

これは傑出した録音です。そして、指揮しているのがトゥリオ・セラフィンですし、またその時の演出はフランコ・ゼッフィレルリ。なによりゲネプロにマリア・カラスとエリザベート・シュワルツコップが居合わせました。その晩を境にカラスはルチア役から手を引きました。G.ギビンの風邪を引いたような声が感じ取れたのですが、実際その時は風邪だったそうです。妻はこのCDを聴いて、やはり若い時ね、と感想を述べています。

狂乱の場でサザーランドは自信に満ちて様々な装飾音を付けています。これは良かった。途中で拍手のために一時休止するものの、最後に向かって一直線に進みます。そしてサザーランドの絶妙なコントロールの効いた声で終わります。エドガルドはまだ風邪から全快していないようで、危なっかしく音程が震えますが、それを何とかごまかして急ぎフィナーレを作っています。最後にある拍手の大きさから判断しますと、最後にはサザーランドが舞台挨拶に出たような気がします。

 

(10)サザーランド (スタジオ録音、1961年)

J.サザーランド(ルチア)、R.チオーニ(エドガルド)、R.メリル(エンリーコ)、R.マクドナルド(アルトウーロ)、C.シェピ(ライモンド)、AR.サトレ(アリサ)、コヴェントガーデン管、ポリドール、F90L-5-217/9、英デッカ411-622-2、J.プリッチャード指揮。

音楽が鳴り出した時の私の失望をお思い下さい。実際がっかりさせるような、寄りかかった歌唱でした。おそらくこの録音だけを聴いた人が下したルチアが、そのままサザーランド全体の評判になったのでは無いでしょうか。多くの美点のある1959年実況盤を抜きにしてサザーランドを論じることは大変危険ですし、問題を見誤ります。

この盤では結婚式の場面に追加されたプロットがあって、全体が長くなっています。追加された旋律には例えばエンリーコやライモンドの歌が入ります。また通常、狂乱の場でその部分が終了するのですが、ここでは狂乱の場の後にも短い旋律が付け加わります。最後にエドガルドが自らを刺す場面はあっさりしていて、いつ刺していつ息絶えるのか分かりません。サザーランドの為に申し上げますが、この録音は正直言って失敗です。私がサザーランドって素晴らしい!と言えるのはこの盤でなく、1959年の海賊盤の方でした。

 

(11)モッフォ (スタジオ 1965年録音)

A,モッフォ(ルチア)、C.ベルゴンツイ(エドガルド)、M.セレーニ(エンリーコ)、P.デュヴァル(アルトウーロ)、E.フラジェッロ(ライモンド)、C.ヴォッツア(アリサ)、GD86504(2)、G.プレートル指揮。1965年。

ジョルジュ・プレートルの指揮は全体として、キビキビしていると思います。アンナ・モッフォとカルロ・ベルゴンツイのくみあわせは、何か情熱に乏しく、例えば明かりをLEDで供給する場合みたいと言えば分かるでしょうか。モッフォはミテクレの良さに寄りかかり、ベルゴンツイは整然と歌いすぎるような所があります。モッフォの欠点は余り音量がないことのようです。だから声を張り上げた時に声が濁るのだと思います。そして途中で私は気がついたのですが、彼女がソロの場面では最高音域になるとさりげなくエコーが掛っているようです。あとは追加した音符が多過ぎるような気がします。

ここで気づいたのはエドガルドを歌うベルゴンツイに付いてコメントをする必要性です。ベルゴンツイは常に冷静かつ分析的であり、その分だけ醒めて聴いてしまいがちです。そのテクニックは優れたものですが、ただ、ベルゴンツイはたとえ火の中、水の中という勢いを感じる事が無い歌手です。決して恋の相手にしたいとは思わない歌手。情念が迫って来ないのです。そして狂乱の場におけるモッフォの喉は高音が目立ちますが、その声は重唱に消されてしまいがちです。

 

(12)スコット (トリノ 1967年録音)

R.スコット(ルチア)、L.パヴァロッティ(エドガルド)、P.カプッチルリ (エンリーコ)、G.マンガノッティ(アルトウーロ)、A.フェリン(ライモンド)、A.ディ・スタディオ(アリサ)、1967年トリノ録音、OPERA CD54004、FM.プラデルリ指揮。

これは抜粋盤というと長過ぎるし、全曲と比すとやはり抜粋なのかな、と思わせます。しかしその結果を聴くとルチアのレナータ・スコットも、エドガルトのルチアーノ・パヴァロッティも絶好調です。特にスコットの発声は千変万化で、あらゆる難所を巧みにすり抜けて行きます。スコットの唯一の欠点は、最高音をキチっと出せないことでしょうか。最高音(全曲に3カ所くらい)を図太い地声で唸るように出して呉れれば申し分ないところ。対するパヴァロッティも申し分のないメロディー廻しです。そしてモリナーリ・プラデルリの指揮の颯爽としていること! これは全曲が音の分離がよく録音されています。これを聴いて今まで初めて「ランメルムーアのルチア」がこんなにリズミカルだったんだ、と目から鱗でした。ただ、スコットとプラデルリは所属するレコード会社が違うのを忘れていました(当時のレコード会社の縛りは大変なもの)。またピエロ・カプッチルリの歌うエンリーコは始め素晴らしい歌手じゃないか、と思いましたが、途中からこれはむしろ粗野な感じがするな、に変わり、再び普通の歌手だ、と評価が3回変わりました。

 

(13)カバリエ (スタジオ 1967以降)

ああお気の毒に、ああ恐ろしい亡霊が姿を表しましたわ、エンリーコ様のおいでだ、私の死骸の上に(狂乱の場)ロンドン響、リチャード・ボニング指揮

これはカバリエがまだ勢いのあった時代の声です。中々きれいな均質な声をしています。最高音だけはさすがに無理なようです。それは避けていますが代わりの措置を取っていますから、全体を傷つけるものでは有りません。

 

(14)スコット (東京実況、1967年録音)

J.サザーランド(ルチア)、R.チオーニ(エドガルド)、R.メリル(エンリーコ)、R.マクドナルド(アルトウーロ)、C.シェピ(ライモンド)、AR.サトレ(アリサ)、コヴェントガーデン管、ポリドール、F90L-5-217/9、英デッカ411-622-2、J.プリッチャード指揮。

これは第五回NHKイタリア・オペラ公演の一環として得た演奏です。レナータ・スコットの歌はまだ声がギスギスしていないし、なかなか上手いです。ソット・ヴォーチェの出し方、高い音をドラマティックに出すテクニックなど上手い。顔はまだ太っていた時代ナノで,見てくれは良くないのですが、聴覚的には本当に素晴らしい。マリオ・ザナーシのバリトンも素晴らしい。そしてカルロ・ベルゴンツイのエドガルドですが、各シーンを切り取って聴くぶんにはベルゴンツイは絶妙なバランスで歌っている事が分かりますし、それは魅力的です。音色も絶妙で、声をヒッパル所も適切です。とまあ持ち上げたのですが、ベルゴンツイ特有の欠点もあります。それは「情熱」の欠如です。あの曲をどこでも同じ姿勢で(背中をピンとさせて)歌っているのがベルゴンツイです。

 

(15)サザーランド (スタジオ 1981年録音)

J.サザーランド(ルチア)、L.パヴァロッティ(エドガルド)、S.ミルンズ(エンリーコ)、R.デヴィーズ(アルトウーロ)、N.ギャウロフ(ライモンド)、トウーランジョー(アリサ)、F90L-50217-410-193-2、R.ボニング指揮。

これは録音の技術的水準が高い。エコーが掛っている場が多いのですが、それが外れることもあります。例えばレーヴンスウッド城の中でエンリーコにペシャンコにされたルチアが、家庭教師のライモンドとやり取りする所は巧みにエコーを掛けていますが、それが突然エコーが取れて、パッと音が広がり、テンポが一呼吸遅くなります。ここは感心しました。

あと感心したのはニコライ・ギャーロフのライモンド役とルチアーノ・パヴァロッティのエドガルド役です。意外なことに、ここではリチャード・ボニングの指揮が巧いと思います。サザーランドはやや退屈されるかも知れません。これは音のレベルをホンの少しだけ上げた方が真のところが分かります。

 

(16)サザーランド (メット 1982年撮影)

J.サザーランド(ルチア)、A.クラウス(エドガルド)、P.エルヴィラ(エンリーコ)、P.プリシュカ(ライモンド)、J.ギルモア(ノルマンノ)、A.バイビー(アリサ)、1982年11月メトロポリタン歌劇場実況、画像付き、R.ボニング指揮。

リチャード・ボニングの指揮はスカラ座のランザーニよりぐっと速くなります。時としてこんな早さをコーラスは付いて行けるだろうか、と余計な心配をしてしまいました。肝心のサザーランドですが、当時56歳。普通なら大昔に引退していますが、そこはサザーランド。

サザーランドはこの長大なアリア(狂乱の場)を歌い出すことが出来ます。いわゆる「血液(ブラッド)」と題される血だらけのガウンを着て現れますが、その血の量はやや少なめ。第3幕にはルチアはもはや登場せず、相手のエドガルドの聴かせどころです。ここではアルフレード・クラウスが引き受けていますが、クラウスの顔って、どこかの国の財務大臣みたいで、目線がはっきりしないまま。またサザーランド同様に、腰が痛いのか座って歌います。

 

(17)スチューダー (スタジオ 1990年8月)

C.ステューダー(ルチア)、P.ドミンゴ(エドガルド)、J.ポンス (エンリーコ)、FDL.モーラ(アルトウーロ)、S.レイミー(ライモンド)、J.ラーモア(アリサ)、ユニバーサル・クラシックUCCG3299/80、I.マリン指揮

快適なテンポの「ルチア」。指揮者は当時30歳ぐらいのルーマニア人。こういうルチアなら、ベルカント・オペラを始めて聴く人にもアピールするかも知れません。キャストが立派です。シェリル・スチューダーにプラチード・ドミンゴ、サミュエル・レイミーそしてファン・ポンスです。こういう素敵な「ルチア」なら歓迎です。スチューダーの最初の発声は、エンリーコと会う場面から後は凄い。エンリーコと対決する気分を盛り上げています。勿論、エンリーコだって立派なものですが、それに十分に対抗する声なのです。エドガルドの声は十全ではありませんが、たちまち全力を尽くすような立派な声になります。実際、このドミンゴによるエドガルドを一度聴いてみれば、その凄さが分かります。そして家庭教師のライモンドの声も立派。極めて速いテンポで進むのも歓迎。6重唱のあと、カットされそうな場面がありますが、それを実際に演奏しているにも関わらず、長いと感じないのです。指揮者マリンのスピード感に感心しました。

ルチアが広間に現れて狂乱の場を披露しますが、声がさほど狂っているようには感じません。それでもただならぬ声だとは思います。スチューダーの声はあらゆる音域が自由自在なので、狂乱の場はそのままカヴァレッタの場面に続くのですが、ここの音の取り方が変わっています。ベルカント・オペラなので、カヴァレッタを自由にうたうのは作曲家公認ですが、一カ所だけ、疑問があります。それは狂乱の場の幕切れで、これで終了する、という瞬間、重唱が力一杯歌って終わるのですが、そのクライマックスのところ(最高音)で、ルチアの声がかき消されています。弱々しいのではなく、かき消されているのです。スチューダーの声量が足りないのかも知れませんが、このようなスタジオ録音では、スチューダーの声をピックアップして、もう少し目立つようなお化粧があっても可ではないか、と思うのです。私はスチューダーの「ルチア」を観たことはないのですが、これなら観て損はしなかったと思います。

 

(18)デヴィーア (スカラ座撮影 1992年5月)

M.デヴィーア(ルチア)、V.ラ・スコラ(エドガルド)、R.ブルゾン(エンリーコ)、K.コロンベラ(ライモンド)、E.ガヴァツイ(ノルマンノ)、F.ソヴィラ(アリサ)、Eni、BVロ-62-63、S.ランザーニ指揮。

マリエラ・デヴィーアのルチアは必要な音程をカバーしていますし、必要な技術もあり、その限りで十分なものです。少しだけ高音域に以降する時に声が震えます。ただ、スカラ座で成功した、と言うにはもう少し華が欲しい。デヴィーアにその決定的なものが見当たりません。ダメだという問題は無さそうですが、積極的に押す理由もありません。教師役のコロンベラは少し蓮っ葉な感じがつきまといます。ブルゾンは可も無く不可も無い、という感じ。有名な「狂乱の場」があります。つまり気が狂った人が歌うのだからいかなる不合理も可能になるので、歌手達の目立ちたがり性を満足させてきましたが、デヴィーアはそれほど狂乱しているとは思えません。あの結婚の合唱は聴いていると恥ずかしいような気がします。あまりに音が薄くて弾まず、まるで廃鉱の跡上で踊る盆踊りです。

 

(19)ダムラウ (スタジオ 2013年録音)

D.ダムラウ(ルチア),Y.カレヤ(エドガルド)、L.テツイアー(エンリーコ)、M.マクローリン(アリサ)、ERATO 0825646219018、H・ロペス-コボス、ミュンヘン・オペラ管弦楽団。

最新版のCDです。これはERATから出ていますが、どうも録音はミュンヘンでやったらしく、録音した会社組織は英国にあるという不思議なCDです。主役のダムラウはあまり高音部が自由でありません(私の耳には)。やっと絞り出していますが、その後処理が上手くいかない。それでも前半に比せば、後半では強い高音を聴かせました。指揮者がテンポに一家言あるらしく、歌でない部分では管弦楽を景気よく鳴らします。これはロマンティック・オペラだということを思い出せば、もっとゆっくり進めても構わないと思うのですが、そういう目で見ると余分なところが散見します(カットしても構わない箇所が少なからず見られる)。全ての箇所につきあっていると、散漫になり、「ルチア」の本質を見落としてしまうかもしれない、と思うためです。テノール役のカレヤはなかなか素性の良いテノールでした。ただ重唱の部分で、時折ルチアの声にかぶってしまうのは不注意だと思います。またこのオーケストラにヴェロフォン(グラス・ハーモニカ見たいな音を出す楽器)を使用しているのが注意を引きました。確かに「ルチア」初演当時はグラス・ハーモニカだったんですね。昨日レナータ・スコットの演じる「ルチア」を観たばかりだったので、カットの問題とか、声の大きさの問題とかで比較してしまいますが、私だったらやはりスコットの方にひかれます。

 

(20)R.ピータース (スタジオ 1966年)

ロバータ・ピータース(ルチア)、S.コーンヤ(エドガルド)、F.ヴァレッラ(エンリーコ)、J.ディアス(ライモンド)、シルヴィオ・ヴァルヴィーゾ指揮、メトロポリタン管弦楽団
これは現在市場から消えているため、見つかるまで空白のままにしておきます。

 

(21)全曲盤では無いもの(録音日は不問)

21-1 トティ・ダル・モンテ(ルチア)(1926年録音)
ランメルムーアのルチア〜あたりは沈黙に閉ざされ、ヨーゼフ・パスターナック(指揮者)、管弦楽団

戦前から良く知られた歌手ですが、ダル・モンテの声は余り普通の声と違っては聴こえません。ドイツ系の歌手という大軍団がいますが、イタリアから選べば必ずダル・モンテは入るでしょう。ここではルチアのアリア一つしかありませんが、敢てそれを尊重します。大雑把に言えば「猫の声」に近い。

21-2 マリア・カラス (1949年〜録音)
マリア・カラスというタイトルのチェトラへの録音集
チェトラ・レコードへのカラスのラジオ放送の録音です。咳払い等、観客がいるのが分かります。全体として始めての公開放送ながら安定感がやや問題を含んでいました。カラスはまだ先のある若手だった時代。

21-3 ジョーン・サザーランド(1959年録音)
サザーランド(ルチア)、あたりは沈黙に閉ざされ、香炉は燻り、ネロ・サンティ指揮、音楽院管
ごく若い時代のサザーランドの声ですが、出来映えは余り後と変わりません。ここの指揮者とは上手く行かなかったという話ですが、それを含めても完成品になっています。

21-4 プラチード・ドミンゴ(1966年録音)
ランメルムーアのルチア〜再終幕の最終場面,スリオーティスのカーネギー・ホール実況盤の残りのトラックに入っています。
少し何か鼻にかかった発声が気になりますが、彼の若い時代の声を聴くことができます。これはこれで立派なエドガルドではないかと考えます。

21-5 モンセラ・カバリエ (1974年〜録音)
ランメルムーアのルチア〜狂乱の場、ヘスス・コボス指揮
ニューハーモニア管。恐らく全曲録音から取ったもの。
カバリエが丁寧に歌った記録です。あくまで音を出そうとしていますが、そのためには伝統的な響きも無視しています。全体に美しく、問題は見あたりません。

21-6 ジューン・アンダーソン、A・クラウス、(1987年録音)
ランメルムーアのルチア〜第1幕
ルチアの第一幕も狂乱の場の一種です。普段から思うのですが、これらの場面を論じる上で、味わいとか、背景の理解とかは無くても構わないのかも知れないということです。ノルマとかメデアだったらそういう訳に行かないのですが、狂乱らしい狂乱ならどうせ狂っていますから、どうにでも処理可能です。アンダーソンは楽な方法を探しているようですが、それではメトを制覇できないと思います。

21-7 エディタ・グルベローヴァ (1987年以後〜録音)
ランメルムーアのルチア〜狂乱の場、WPCS-21146
先に椿姫で申した通りの情報です。やはりこれを愉しめるかどうか、という一点で評価可能です。私の評価は余り芳しくないのですが。

21-8 アンナ・ネトレプコ(2004年録音)
ランメルムーアのルチア〜香炉はくゆり、マーラー・チャンバー・オーケストラ、指揮クラウディオ・アバド、UCCG-1213
声は良いのですが、それは「ルチア」がそういう性質をもったベルカント・オペラだからで、余りここで音のつながり等を論じなくても可だからあります。実際これを聴いていると心地よいのです。

 

千葉のF高












<<Appendix 雑記帳トップへ戻る