モノローグ(272) 「アンナ・ボレーナ」の最新の比較   (Oct,2015)

整理して、特別編を5つ書きました。ここでは(1)ヴェルディ「椿姫」、(2)ベルリーニ「ノルマ」、(3)ケルビーニ「メデア」、(4)ドニゼッティ「ランメルムーアのルチア」、(5)ドニゼッティ「アンナ・ボレーナ」の5曲 に絞ります(なお、この文は5曲同文です)。イタリア・オペラのゴールは例えヴェルディの「オテロ」や「アイーダ」であっても、それを生み出したのは上記のベルカント・オペラだと思うためであり、何を聴けばイタリア・オペラと親しむ事が出来るか、を考えてこれら5曲を選び出しました。一部、昔書いた文を流用しますが、例えば「椿姫」編は全く新しく書き直したものです。最近は発売会社が余りに大きく変わったため、CD番号は書かず、代わりにその録音年月日や場所を見て頂く事にしました。下記は録音年月日の順番。

アンナ・ボレーナ
(英国ナショナル・ポートレート・ギャラリー)

ここまで色々なベルカント・オペラについて書きましたが、何かもう一つありそうな気がします。そう、「アンナ・ボレーナ」です。「ランメルムーアのルチア」同様に同じガエターノ・ドニゼッティの作品ですが、これを取り上げましょう。

アンは英語ではアン・ブーリン、イタリア語だとアンナ・ボレーナになります。ここではイタリア読みで通します。ヘンリー8世との関係、さらにその結婚が英国教会とカトリックの対立と結びつき、そのアンナの娘はエリザベス1世であることを考えると、この人の存在は英国史を左右するものでした。オペラに限っても、その名は何か特殊です。このオペラ「アンナ・ボレーナ」はミラノで上演され、ドニゼッティの実質的な出世作であるからです。ドニゼッティと言えば「ランメルムーアのルチア」が有名ですが、「ルチア」の初演はナポリで1935年です。余りに「ルチア」が有名になったため、「アンナ・ボレーナ」の方が忘れられてしまったオペラに分類されがち(ニューヨークのメトロポリタン・オペラではつい最近になって「アンナ・ボレーナ」を上演したそうです)ですが、その初演時には「アンナ・ボレーナ」は熱狂的に迎えられました。それでは何故「アンナ・ボレーナ」の上演が減ってしまったかという疑問ですが、それは後になると分かります。音は決して高くはないと思います。低めの音だから上手く声をコントロールできる歌手ならこれを試したくなるものと察します。ベルリーニとの比較ではかの「ノルマ」を 1年後の1831年にミラノのスカラ座で初演しています。その歌手はジュディッタ・パスタでしたが、奇しくもここの「アンナ・ボレーナ」の初演も1830年でミラノのカルカノ劇場で、これまた歌手はジュディッタ・パスタでした。その時のリプレットの草稿も共にフェリーチェ・ロマーニで共通。「アンナ・ボレーナ」と「ノルマ」の間で激しいライバル意識があったとしても不思議ではありません。

それでも現在カタログには4〜5種類しか出ていません。それは「アンナ・ボレーナ」にはマリア・カラスの超名盤が出ていて、これは容易な事では取って代わる事が難しいからです。そもそも「アンナ・ボレーナ」のCDは、1947年ジュリエッタ・シミオナートが参加したバルセロナ(リセウ劇場)での公演が最初でした。そして1957〜58年にはマリア・カラスとジュリエッタ・シミオナートによる公演がミラノ・スカラ座において行われました。それから後は余りにこの公演に圧倒されてしまいました。レイラ・ジェンサーによるものが直に上演されましたが、あとはモンセラート・カバリエ、マリサ・ガラヴァニ、レナータ・スコット、エディタ・グルベローヴァ,マリエア・デヴィーア、そしてビヴァリー・シルズ等がこの曲を歌っています。カバリエは前日になって降りてしまい、大騒動になりました。そうそうたるメンバーですが、絶対的な成功でも無いようです。ガルヴァニの歌い方はニューヨークで「ノルマ」を聴いたことがありますが、アンナを歌うとしても高音が不十分な印象でした。誰も「アンナ・ボレーナ」を歌おうとしないのです。

ここで聴くジョーン・サザーランドは、録音そのものを恐る恐る行なっていますが、声は既に黄昏です。そして私自身怖くて彼女のCDに手が伸びないままでした。ロシアのアンナ・ネトレプコが最近「アンナ・ボレーナ」をウイーンの舞台で歌い、また録音を果たしました。だからもっと上演に掛ければ良いと思うのですが。「アンナ・ボレーナ」を実際に舞台にのせないのは、マリア・カラスの記念碑的上演が1957-58年のシーズンにスカラ座であったためだろうとウワサされています。完成度が余りに高かったため、もうそれ以上のものは望めない、と聴衆も観念してしまったとか。実際これはヴェルディ「椿姫」同様に、ルキーノ・ヴィスコンティが演出を担当。ヴィスコンティは貴族的です。しかし時代が過ぎてしまい、誰も自分の目で確かめたいと思いますから、もう1度(2度でも3度でも)これを上演して欲しいと考えるのが人情です。海外から伝わってくる評ではスコットもカバリエも良いと言うものの、それでも何か不足している、と後書きが付きます。でも考えてみて下さい。如何にカラスといえども、1957年に上演を計画したのはスカラ座の幹部なのですよ。やはり幹部がそれを決心することが肝要ではないでしょうか。

「アンナ・ボレーナ」の音楽は美しい。ただ、エピソードがあって、最後の幕で使われたメロディーはビショップの「埴生の宿」の盗用だったのです。ただしビショップはこれを民謡として発表していましたので、ドニゼッティはそれを拾っただけ、という言い訳で通しました。そして音楽全体に耳を傾けますと、音が低いのです。これはベルカント・オペラというジャンルでは珍しい。だから先に述べた人々がもう黄昏れ時を迎えていても、歌えると言う事でしょうか。それらの低めの音で支えられて、この管弦楽は優しく第1幕や第2幕を鳴らします。各種美点にも関わらず「アンナ・ボレーナ」は今日のところメジャーなオペラとは言えません。メットで取り上げたのが平成11年にやっとです。メットでは、まだケルビーニ「メデア」も上演したことがないのではないでしょうか。

日本での初演は1987年に林康子を主役として行っています。それは日本と林の間で密な交渉があったようです。林はその前にモンテカルロ歌劇場で「アンナ・ボレーナ」で成功しています。私は日本における公演を1回観ただけですが、林はなかなか美しい声でした(私は仕事が忙しい時期でしたから、仲間達の視線を避けて早々に文化会館へ急いだ次第)。あれでミテクレが堂々としていたら世界のどこでも通用したでしょうに。舞台写真を見る限り、カラス=ヴィスコンティのチームによる舞台は、これまた完璧でした。かくしてそのチームによる「アンナ・ボレーナ」の上演は絶対的に高い評価を得ています。

そもそも「アンナ・ボレーナ」はベルカント・オペラと言われていますが、譜面で決して見せヨガシのトリルは頻発していません。時折、有効な手段としてトリルが出てくるだけです。その意味で、これは「ルチア」のような曲とも違う気がします。安定した声が収まる空間領域で、上がったり下がったりしているだけ。それが如何に効果的かを考えて下さい。またDVDで全部を観てみると分かるのですが、アンナの登場する場面は実に多いのです。ですからこれは表現に長けたソプラノ歌手でなければいけませんが、アクロバットのような技術は不要でしょう。そして終曲部は深々とした納得で終わります。

 

CDの比較

(1)カラス (1957年ミラノ実況)

マリア・カラスのアンナ・ボレーナ、ジュリエッタ・シミオナートのジョヴァンナ・セイモー、ニコラ・ロッシ=レメーニのエンリコ8世、ジャン二・ライモンディのパーシー卿、ガブリエルラ・カルトウランのスメトン。ジャナンドレア・ガヴァツエーニ指揮のミラノ・スカラ座管。

評判の高いスカラ座における公演の記録です。これと翌1958年の公演が共に世評高いものになっています。私はこれの存在を知ったのは海賊盤がどっと出た1970年代でしたが、悪名高いMRFの海賊盤でしたから、音は朦朧としており、しかもLPでしたから何度も裏表に掛け直して、漸くクライマックスに至るというシロモノでした。それが今ではCD化され、自在に修正を施してありますから、これなら推薦できると考えたわけです。ガヴァツエー二の指揮は速くキビキビしています。最初の部分ではカラスの声は細めで、やや枯れかかっていますが、ジョヴァンナとの2重唱からあとは天を駆け巡るような声の術を愉しめます。どうしたらあんなに見事な2重唱を聴かせることができ、あんなに悲劇感をあおり立てる事が出来るのしょうか。終局部の微妙なテンポの揺れとか、多くの工夫があります。この部分を保存するだけで海賊盤(というか実況盤)の存在価値は大きいと思います。言葉にならず。だからこそ、この公演の後、他の誰もスカラ座で成功出来ないのでは無いでしょうか。そしてこれを記録した者に幸いあれ、と言うところ。現代のテクノロジーを駆使して、最新の音に繰り返し更新して下さい。

 

(2)ジェンサー (1957年イタリア放送)

レイラ・ジェンサーのアンナ・ボレーナ、ジュリエッタ・シミオナートのジョヴァンナ・セイモー、そしてプリニオ・クラバッシのエンリコ8世、アルド・ベルトッキのパーシー卿、アンナ・マリア・ロータのスメトン。ジャナンドレア・ガヴァツエーニ指揮のミラノ・イタリア放送管。

ここの新人はトルコ人の若手(当時)、レイラ・ジェンサーです。彼女は実質的にこれで有名になり、カラスの陰の主役とされました。実際ベルカント・オペラであろうと、ヴェルディであろうとそのレパートリーはカラスそっくりでした。別名「海賊盤の女王」と呼ばれたのも宜なるかなというところ。そのCDを聴きますと、まず音が乾いていてしゃくれ気味でした。全部を聴き終えた時の印象ですと、スローテンポにしたくてしょうがない、という指揮者の心の中が読めるのですが、するとジェンサーの技量が追いつかないようです。このCDは全体としてはこれでもいいか、となるのですが、そこでカラス盤の方を思い出しては残念なことになります。シミオナートがここでも歌っていますが、その声質がまるでジェンサーに似ていて区別するのに苦労します。シミオナートも全力投球したいのに、舞台が用意されていないのでイライラしたかも知れません。歌手を比較しようなんてしないこと。なによりこのCDではエンリーコ役が弱いと思います。エンリーコであれば,辺り威風を払う風情が欲しいところ。

 

(3)スリオーティス(1966年カーネギーホール実況)

エレーナ・スリオーティスのアンナ・ボレーナ、マリリン・ホーンのジョヴァンナ・セイモー、そしてカルロ・カーヴァのエンリコ8世、プラチド・ドミンゴのパーシー卿、ジャネット・ベイカーのスメトン。ヘンリー・ルイス指揮の管弦楽団。カーネギー・ホールの実況。

指揮者ヘンリー・ルイスは一時マリリン・ホーンの結婚相手だったそうです。ここではあらゆる省略を避け、できるだけ全部の音を聴かせようという構え。普段聴いた事のない音が時折聴こえます。ホーンの声は何時もの通りですが、スリオーティスの声はあらためて聴きますと若い!若い声って良いですね。どこも若いのですが、ふと力を抜いたようなところが無いとは言えないか。

やはりここで感じたのは、この「アンナ・ボレーナ」という曲は長過ぎるんじゃないか、ということ。もし後半部だけなら何処を取っても素晴らしく緊張感があって、あれよあれよとしているうちに終曲を迎えますから、拍手しているうちに終わってしまい、前半のことを忘れてしまうかも知れない。プラチード・ドミンゴも参加していますが、添付資料によればドミンゴはテルアビブ歌劇場にいた間に膨大な数(300?)の曲をマスターしたとか。なるほど、これなら現在の彼がなぜワーグナーまで歌えるかの秘密が明らかです。指揮者はまるでロッシーニみたいな進行ぶりを聴かせます。それは新鮮でした。ただ苦言を呈するなら、プロンプターの声がやかましく、時として他の雑音も聴こえてくることでした。最後の部分はテンポが少し遅い気がします。当時は「アンナ・ボレーナ」という曲そのものが余りポピュラーでなかったため、プロンプターを配置したのでしょうか(コンサート形式とプリントしてありますが、そういう場合はプロンプターは不要でしょう)。この録音の弱点はバスの声が少し弱いことです。性格俳優のようなしっかりした声が欲しいのですが、そこが少し弱い。また声ははっきり分離されてそれぞれ明快に区別したいところですが、このCDでは満足しました。

 

(4)スリオーティス(1968/69 年デッカ・スタジオ録音)

エレーナ・スリオーティスのアンナ・ボレーナ、マリリン・ホーンのジョヴァンナ・セイモー、そしてニコライ・ギャーロフのエンリコ8世、ジョン・アレクサンダーのパーシー卿、ジャネット・ベイカーのスメトン。シルヴィオ・ヴァルヴィーゾ指揮のウイーン国立歌劇場管。

またもスリオーティスで、ホーンも共通です。そしてここではニコライ・ギャーロフがエンリーコ役を勤めます。このCDに関しては前出の実況盤のできと比較されます。正直言って長過ぎる全曲盤だと思います。全てのフレーズと、耳慣れない音楽を聴かされるという感じ。最初はアンもジョヴァンナも声そのものに集中力が不足している気がします。特に最後のシーンのもう一つ前のところは、歌手達は本来の力を回復したかのような様相ですが、そのあとで直にくたびれ果てたことが明らかにされます。作品全体としては前半は余り面白くなく、後半で持ちこたえています。指揮者のテンポの取り方ですが、結果的にはこれで良いのでしょうが、テンポと言うより、オーケストラはまるでロッシーニの曲をやっているみたい。合唱が加わったりすると、ロッシーニのオペラのアルジェの大守が遭難船と向かい合っている場面のような感じ。それはそれで面白いのですが、やはりこれはドニゼッティだからそれなりの味わいが欲しかった。バスの声が際立って聴こえるのですが、改めてそれが良い選択だったと思います。ただニコライ・ギャーロフは声が後半ヘンリー8世らしくない。各歌手は限界内で一生懸命に歌っていますが、声の傷は隠せず。最後のシーンだってもう少し大きな声は欲しかったと思います。

 

(5)サザーランド(1984年 カナダ放送局の録画)

ジョーン・サザーランドのアンナ・ボレーナ、ジュディス・フォレストのジョヴァンナ・セイモー、そしてジェームス・モリスのエンリコ8世、ミカエル・メイヤースのパーシー卿、ジャネット・コスターのスメトン。リチャード・ボニング指揮のカナダ・オペラ管。

この演奏はガヴァツエーニほどテンポが速くなく、ほどほどでした。サザーランドの声は思ったほど引きつってはいませんでしたが、2・3カ所、音がやや下がったところがありました。サザーランドですからそれを意識せざるを得ないのですが、彼女なりにベストを尽くしたというところ。画像が有るのは善し悪しです。正面から見た顔は年齢を感じさせます。聴いていてこれは拾い物だ、と思ったのはスメトン役の声でした。なかなか巧い。モリスのエンリコ王は、やや声が荒い気がしましたが、ああいう役柄だからわざとそういう発音をしたのかも知れません。鼻声がまずい気がします。でもエンリコ8世と言えば英米の友人達は揃って一番好きだ、と申します。私は嫌いな方だと言って返しますが、趣味の問題ですからこれは勝手。シーモアがアンに打ち明ける場面や、最後の場面はもう少し期待したいところですが、ほんの少し私には物足りない。妻はあのビショップの歌が盗作といいますと、マア!といって驚いて見せましたが、彼女の全体の印象はこれは衣装に集中的に予算をつぎ込んだみたいね、と申します。近年オペラの演出がすっかりモダーンなものが増え、いずれ「アンナ・ボレーナ」もGパンとセーター姿で歌うようになるのかも知れませんが、複雑な気分です。

 

(6)サザーランド (1987年 デッカ・スタジオ録音)

ジョーン・サザーランドのアンナ・ボレーナ、スザンヌ・メンザーのジョヴァンナ・セイモー、そしてサミュエル・レイミーのエンリコ8世、ジェリー・ハドレーのパーシー卿、バーナーデッテ・マンカ・ディ・ニッサのスメトン。リチャード・ボニング指揮のウエールズ国立歌劇場管。

これはかなり衰えたアンの姿です。実際もう前の年に盛りは終わったと思っていましたが、実際その通りでした。ここにはサザーランドの他にサミュエル・レイミーがエンリコとして入っていますし、スザンヌ・メンツアーが新人としてセイモー役をやっています。それぞれに声が小さめでした。セイモーなぞはよくよく考えてみれば、控え目で初々しいメゾ・ソプラノであれば役柄にピッタリというところですが、それはアンナ役がバリバリであることが前提です。残念なことにサザーランドはもう声のリソースが油切れ状態ですから声が出ません。レイミーは深々としたバスを響かせましたが、さらに凄みが合っても良い。レイミーも既に黄昏れているかも知れません。やはりこの曲はロッシー二の音楽を下書きにしているという感じでした。それではなぜこの曲が初演から暫くは席巻したのでしょうか。思うにジュディッタ・パスタの喉が優れていたのでしょう。またカラスの演じたこの曲が、十分な推敲によって不要部分は切り落とし、それで無駄無く感動的な曲に生まれ変わったのではないでしょうか。それは指揮者ガヴァツエー二が優れていたと言い換えることも出来そうです。この「アンナ・ボレーナ」というオペラの本質を考えさせたCDでした。その限りでやはり「アンナ・ボレーナ」の本質は優れた曲だと言えます。

 

(7)全曲盤ではないもの (録音年月日は不問)

アリア集の一部です。全曲盤とアリア集は別もので、互いに参考になりませんが、それでも無いよりマシと考えます。

7-1 マリア・カラス (1957年録音)
ニコラ・レッシーニョの指導によるダラスでのコンサートのためのリハーサル。ああ私が生まれたあのお城
ここでは「アンナ・ボレーナ」の部分を取り上げます。リハーサルというのはその内容が、実によく分かるのですが、ここでは何故、何処を直せといわれたのかが分かるのです。そして全体の完成度が高く、カラスの声の状態も驚くほど良いのです。こういう状態ならどんどん歌って欲しい。レッシーニョは以前に書いた覚えがありますが、有能な指揮者だと思いました。どこを取っても素晴らしい感覚の持ち主です。

 

7-2 マリア・カラス、(1959年録音)
CDは最高の状態で録音された商業品です。ああ私が生まれたあのお城
まだ声が残っており、表現もどこを取っても過不足ありません。カラスの独特のフレージングや遅れ気味の強音の当て方、今日でも参考になります。アリア集にしておくのはもったいない位です。EMIとしてはこのハイライト版が売れたら次に全曲盤を、という戦略だったものと察します。デッカはスリオーティスを立てて、その戦略を実施しましたが、スリオーティスの声の衰えが予想より速くきました。

 

7-3 スリオーティス(1965年〜1966年スタジオ録音)
アンナ・ボレーナ〜(1966年〜録音)ああ私が生まれたあのお城
スリオーティスの残したレコードでこの「アンナ・ボレーナ」は最上のものです。例えそのフレージングに改良の余地があったにせよ、ここで歌われる声は若く美しい。美しい声で歌われるのは楽しいと思います。程度の問題ですが。

 

7-4 中丸三千絵,(1990年録音)
アンナ・ボレーナ〜ああ私の生まれたあのお城、EMI TOCE-6950
中丸は中々良い声をしています。そしてその声には少しヴィブラートが付いています。外国人のソプラノと比較しても遜色ない声の持ち主でした(だった)。それでもアリア集の限界を打ち破るものでは有りません。それを承知で聴いて下さい。

 

7-5 ホーン(2000年編集)
アンナ・ボレーナ〜第1幕第3場のみ、あああの方は何ということを言われたのか、米OPD-2104
ホーンの声はいつでもそれと分かるため、区別がつかないことはありません。堂々たる切り口で歌っています。これでノーブルな雰囲気が出ていれば申し分ないのですが。ここに収まっているのは第1幕の中でジョヴァンナ・セイモーがエンリコ8世と逢うところ(あああの方は何と言う事を言われたのか!…)で、ジョヴァンナに結婚する事を約束しようとするところ。全く出典が不明なので、エンリコを誰が歌っているのか確かめたくても出来ません。ただ言えるのは、(ホーンが)もう少し高貴な声だったらな、というところ。

 

 

 

千葉のF高












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