ロッシーニ「セヴィリアの理髪師」の最新の比較

モノローグ(276) ロッシーニが24歳の時の作品 Mar.18,2016  

 

(1)セヴィリアの理髪師(1950年12月16日、メット実況)

ロジーナリリー・ポンス
フィガロジュゼッペ・ヴァルデンゴ
アルマヴィーヴァ ジュゼッペ・ディ・ステーファノ
ドン・バルトロサルヴァトーレ・バッカローニ
ドン・バジリオジェローム・ハインズ
アルベルト・エレーデ指揮

戦後コロラトウーラ歌手が払底していたころのものです。またここでステーファノが歌っているのも興味の的。よくよく考えれば、ここのキャストは悪いものでは無いのですが、出来映えで言えばあれこれ注文を付けたくなります。まず音が悪いこと、これはどうしようも無いことですが、低音をささえるエコーが欲しいところです。響かないから、音がばさっと切られてドライなのです。ポンスは一応ロジーナのコロラトウーラ版をそつなくこなしますが、それでも高音を支えきれず、長く持たせる場所では息がフラフラとしていて、それだけ音程が不定になります。ステーファノは喉を全開した時は中々のものですが、喉をかばってアルマヴィーヴァを表そうとすると、声から力が抜けて、残念な結果になります。最後のところ、何か聴かせるべき箇所が抜けていませんか?音が少々問題を含み、どさ回りの演芸大会みたいと言えば失礼でしょうか。ポンスが衰えた声しか聴かせないのは残念です。

 

(2)セヴィリアの理髪師(1956年、スカラ座実況) 

ロジーナマリア・カラス
フィガロティト・ゴッビ
アルマヴィーヴァ ルイジ・アルヴァ
ドン・バルトロメルチョーレ・ルイーゼ
ドン・バジリオニコラ・ロッシ・レメーニ
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮、スカラ座実況

これは実況であり、スカラ座の聴衆にさらされたカラスが初めて口笛を吹かれた時として有名です。その訳は不可解です。その前年にあのヴィスコンティの「椿姫」で絶対的な成功をし、またその前年には「ノルマ」で成功したばかりです。この時期になぜロッシーニで失敗したかは、本当のことは分かりません。カラスはこのあと同じロッシーニ「イタリアのトルコ人」を上演しましたが、カラスは質問に対し「ロッシーニは軽すぎるわ」という評を下しました。実に不思議。私の耳で確かめたところ、カラスは階段状の音階で音がうまく分離できておらず、音がつながって聴こえます。2月16日の公演と記載されていますから、まさにここの音が初日のものです。前半ではカラスの声は低い方が魅力的であり、高音部はセーヴしています。全体としての出来映えは悲しいかな私の耳では、カラスは調子が悪いのです。声の配布の誤りのようなものを感じます。本来のところカラスは高音でも、低音でも十分なはずですが、ここではカラスは最も危ない音域で歌っているような気がします。低い声をベースにしますと、高音部が引きつったような印象になります。途中で聞こえる観客の歓声と雑言の混じった音も、最後のそれらも、どうしたら良いか分からなくなります。なお、ここではティト・ゴッビの歌うフィガロは素晴らしい。しかしルイジ・アルヴァの歌う伯爵は失敗ではないでしょうか。実に頼りない伯爵です。

 

(3)セヴィリアの理髪師(1956年録音) 

ロジーナジュリエッタ・シミオナート
フィガロエットーレ・バスティアニー二
アルマヴィーヴァ アルヴィニーノ・ミスチアーノ
ドン・バルトロフェルナンド・コレナ
ドン・バジリオチェーザレ・シェピ
アルベルト・エレーデ指揮フィレンツエ音楽祭管

この印象ですが、たまたま手元に国産の全曲盤があり、一方ドイツ製の抜粋盤もあったので、両者を比較してみる事にしました。下記は其々の場合の印象です。

抜粋盤(ドイツ製)
音楽はさっそうとしており、エレーデの指揮ぶりが頷けます。歌手達も技量もあり、落ち込む箇所は無いと言ってもいいのですが、敢て言いますとシミオナートの声が中音域に偏っているため、ふと不安になりました。終曲部近くで全員が歌う場面で音が特に汚く、これは思わざる事でした。それにも関わらず、シミオナートのトリルの端に、ふと笑顔を感じる事ができて、私はやはりシミオナートが好きです。バスティアニー二のフィガロは貴族的ではないかもしれない、と心配しましたがこれは余計な心配でした。ミスチアーノの伯爵は声は良く出ていますが、トリルが不十分です。テノールのトリルって誰もが苦手にしているようですが、ここでの伯爵もご多分に洩れません。コレナのドン・バルトロは最も活発なブッフォでしたし、聴き映えがします。
全曲盤(日本製)
全曲を聴いた印象はまずスピードが速い。これは昨日聴いたグイの指揮ぶりと比較すると分かりやすい。元気はつらつであり、各キャストも其々に目覚ましく歌っています。シミオナートは既に45歳代でしたが、その範囲を超えて歌っています。これなら40になったばかりと言っても通用しそう。また素晴らしいのが男声陣で、フィガロのバスティアニーニは声がやや低すぎる気もしますが、それでも実に堂々たる歌です。コレナは何時もの通りでブッファの本質をつかんでいます。またシェピはどう見ても堂々たる紳士ぶりでしたから、これで伯爵に茶々を入れられては邪魔だと言いたくなるのが分かります。肝心の伯爵ですが、私はミスチアーノという歌手を良く知りませんが、彼の本質は必ずしも巧く伝わっていないかも知れません。実は彼は輝きのある巧い歌手だったかも知れません。声に備わった乗りと輝きを放つ時は実に巧いのですが、それが弱々しい声で歌うときは何とも貧相なのです。何よりテンポがキビキビしているので、全体を聴き終わった時には、良かったな、という印象が残りました。

これの改善すべき点をあげると、終曲部でしょうか。一旦終わるようにテンポをぐっと落とし、それから一気に高揚する形にすれば終わった気がしますが、このようにメリハリの無い終わり方では、それが分かりません。なおこれはドイツ盤でも国内盤でも共通の印象です。

 

(4)セヴィリアの理髪師(1957年 メット実況) 

ロジーナロバータ・ピータース
フィガロフランク・ガレラ
アルマヴィーヴァ チェーザレ・ヴァレッティ
ドン・バルトロフェルナンド・コレナ
ドン・バジリオジェローム・ハインズ
ベルタマーガレット・ロジェーロ
マックス・ルドルフ指揮、メトロポリタン実況

これは12月のクリスマスの頃にあった上演です。絶好調のピータースのロジーナを聴くことができます。本来の主役のヴァレッティは、出始めが不調でしたが、時として巧いと思わせるところもあります。コレナのドン・バルトロ役は、目立たないながら無難にこなしています。ドン・バジリオも同様です。目立たない所ではロジェーロのベルタが、歌唱としては今までで最も仕上がったできでした。もっともブッファを楽しむ為の工夫が今ひとつですが。コロラトウーラ版の「セヴィリアの理髪師」をさらっと楽しむ為にはこれも良いかと思います。観客はほとんどイタリア人でしょうか。時々聴こえる笑い声を聴いていると、それを感じました。

 

(5)セヴィリアの理髪師(1957年、スタジオ) 

ロジーナマリア・カラス
フィガロティト・ゴッビ
アルマヴィーヴァ ルイジ・アルヴァ
ドン・バルトロフリッツ・オーレンドルフ
ドン・バジリオニコラ・ザッカリア
アルチェラ・ガリエラ指揮フィルハーモニア管

カラスは「ロッシーニは軽すぎる」と意見を述べましたが、それでもこの録音に乗り出しました。録音は嵐が過ぎたあと、1957年のものです。まず指揮者の音楽がほとんどシンフォニアだということでしょうか。普段と異なる感覚で聴こえてきます。例えば嵐の場面では整然として音が聴えますし、フィナーレの音楽もどこか理路整然という感じがして、オペラの劇場での成功という感じでは有りませんでした。でも私はその感覚は大切にしておきたいし、この演奏も存在価値あり、と思います。キャストの中では伯爵のアルヴァの声が年寄りじみて聴こえます。下町でステテコ姿で団扇を片手に抱えて動き回るという感じ。何ともその声は年輪を重ねていて、何かの弾みに年配の匂いをさせてしまいます。1幕冒頭でのあるかないかのか細い声からして、これはつらいなと思った次第。逆にフィガロを歌うゴッビは素晴らしく芝居気があってなかなか面白かった。ドン・バジリオを歌うニコラ・ザッカリアの声も深々と良く響きます。誰よりも注目されるのはカラスですが、正直言ってこれはカラスのベストではなかったようです。声がすでに乾涸びていて、上に引っ張るのがつらい。それでも最後の箇所は巧みでしたが、この時カラスはそろそろレジェーロから撤退することを考えていたに違いない、と思った次第。そういえばプッチーニ「トウーランドット」でも乾涸びた声だったな、ということを思い出しました。シンフォニーを聴く気分でこのCDを取り出し、特にフィガロ役のゴッビに関心が有るヒトは、これを聴いて怒り出すことは無いと思います.

 

(6)セヴィリアの理髪師(1958年、メット抜粋) 

ロジーナロバータ・ピータース
フィガロロバート・メリル
アルマヴィーヴァ チェーザレ・ヴァレッティ
ドン・バルトロフェルナンド・コレナ
ドン・バジリオジョルジョ・トウッティ
エーリッヒ・ラインスドルフ指揮メット歌劇場管

ここではメリルの歌にまず耳を傾けましたが、まずまずの歌い方をしています。ラインスドルフの指揮ぶりがさっそうとしているだけでなく、テンポの揺らし方も納得しました。その代わり長時間聴いていると、長いな、という印象が出てきました。LP時代にこの録音が余り売れなかったことがウワサされていますが、これが原因かと想像します。ピータースはコロラトウーラ版のロジーナとして現在では稀な例ですが、確かに彼女はコロラトウーラの箇所では抜群の技術を示しますが、あれはどうやって出した声だろうと思いました。それは低音部に戻って中音域をカバーしだすと、急に生気を失うのです。でもこれがなければ全体の印象を損ねるでしょうから、この時期にピータースを起用したのも宜なるかな、というところ。他のキャストを見ても、決して落ちる箇所がなく、これなら良いかと考えたのですが、全体を聴き終えると何かしら不安が残りました。

 

(7)セヴィリアの理髪師(1958年7月 ナポリ実況) 

ロジーナレナータ・スコット
フィガロアルド・プロッティ
アルマヴィーヴァ アルフレード・クラウス
ドン・バルトロカルロ・バディオリ
ドン・バジリオエンリコ・カンピ
ヴィンツイエンツオ・ベレッツア指揮、実況

ナポリの実況だとありますが、これがサン・カルロ劇場なのか、もっと小さい劇場なのかはわかりません。飛行機が飛ぶ音が聞こえますから、色々考えたのですが、不明でした。第1幕ではこの雑音は、音楽の進行を妨げていると思います。レナータ・スコット自身の歌も、高い音は素晴らしいのですが、チョッと低くなると、音の高さが決まりません。それに、低音はかなり醜い音でした。スコットがこの役を、早々に店じまいしてしまったのは賢明でした。アルド・プロッティはまだ自分の声を如何にすれば良いのか、整理できていない時期の声だと思いました。アルフレード・クラウスは調子良く行く時は良いのですが、あれ?と思う箇所では何処が良いのか分かりません。ベルタ役は結構拍手を受けていましたが、この種の声としては判断がむずかしい。こうなると低音がしっかりしたドン・バジリオは良かったと思います。指揮者ベレッツアは観る場所がハッキリしておらず、全体に締まりがありません。まるで学芸会みたいで、アチャラカ風という印象でした。それにプロンプタの声がハッキリ聞こえ過ぎて、別の意味では楽しい演奏でした。

 

(8)セヴィリアの理髪師(1959年、ミュンヘン実況、白黒) 

ロジーナエリカ・ケート
フィガロヘルマン・プライ
アルマヴィーヴァ フリッツ・ブンダーリッヒ
ドン・バルトロマックス・プレブシュティル
ドン・バジリオハンス・ホッター
ヨゼフ・カイルベルト指揮ミュンヘン・オペラ管、DVD1枚に収録
独語版

これはミュンヘンのオペラ・ハウスが再建される前の上演です。戦後の雰囲気がまだ続いていたと察します。私自身がこの1959年12月25日という頃(中学3年生)には、まだ戦後という言葉が使われていました。この公演は近所の旧劇場で上演されたもの。狭い!舞台の絵など本当に狭く、苦労したことと察します。まずフィガロ役のヘルマン・プライの元気一杯の声に驚きます。これだから、プライがいたこの頃は幸せ一杯なのです。実際これを聴き、その仕草を見た時、これは精一杯なんでもやります!というアピールなんですね。それはしっかり受け止めました。それに何と言ってもこれは演奏する国の言語を使用(当時の習慣)していますから、ここではドイツ語になります。そしてそれは言葉から解放された歌手達の闊達な勢いが生じるのに役立ちます。相手方の伯爵を演じるブンダーリッヒの芯のあるテノール声も、他のCDに聴かれるルイジ・アルヴァなどに比すと、ヴンダーリッヒの方がずっと好ましいです。3人目の役者であるケートは出始めの所こそ、声がかすれていましたが、すぐ回復して良く歌っています。そしてロジーナはコロラトウーラのロジーナってこういう風に歌うんだ、と言わんばかりに超高音を響かせます。実際それはこの種の声として、最も美しいものでした。バジリオ役のホッターはバイロイトから戻ったばかりの貫禄で、本当に素晴らしい声でした。こういう小役をやれるところがホッターの良いところです。バルトロ役のプレブシュティルは小型で、ホッターとの対比で選ばれたのでしょうが、巧みでした。ただ、この公演で気になったのは、オーケストラの響きが余り無く、小さい音だけが出されていた事でしょうか。カイルベルトの指揮でそうなったのかどうかは、分かりません。でも誠実で真面目な音でした。

 

(9)セヴィリアの理髪師(1962年、スタジオ) 

ロジーナヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレス
フィガロセスト・ブルスカンティーニ
アルマヴィーヴァ ルイジ・アルヴァ
ドン・バルトロイアン・ウオーレス
ドン・バジリオカルロ・カーヴァ
ヴィットリオ・グイ指揮ロイヤル・フィルハーモニア管

全体の感じから申しますと、グイの指揮ぶりが落ち着いていて、あらゆる箇所でゆったり聴こえることでしょうか。実際その落ち着きぶりはまるでコンサート・ホールで上質の音楽を聴いているような感じです。オペラ・ハウスの熱狂の要素はありません。主役のロス・アンヘレスですが、「カルメン」に関して言われている「雌虎的要素が全くない」がここでもそのまま使えます。ロジーナは「マムシにでもなる」という意思の持ち主ですから、その点を考慮するとチョッと場違いな気がします。又トリルの技術ですが、耳を澄ませてきくと確かにトリルが発せられているのですが、全体から受ける印象は無理なトリルを聴いたみたいでした。ブルスカンティーニのフィガロは声がやや低く過ぎて、時としてフィガロが恐ろしい存在のように聴こえました。伯爵のアルヴァですが、ああいうテノールは人材不足でしょうが確かに巧みに歌っています。もう少し輝きを感じると、貴族の雰囲気が出ただろうと思います。単に音域の問題でなく、音色が問題です。アルヴァはあちこちで歌っていますから、その点は要注意。いっそフランコ・アライザのような歌手の方が良かったかも知れません。

 

(10)セヴィリアの理髪師(1971〜1972年録画) 

ロジーナテレサ・ベルガンサ
フィガロヘルマン・プライ
アルマヴィーヴァ ルイジ・アルヴァ
ドン・バルトロエンツオ・ダーラ
ドン・バジリオパオロ・モンタルソロ
ジャン・ピエール・ポンネル演出
クラウディオ・アバド指揮 スカラ座管

これはロッシーニ「シンデレラ」同様のポンネルの演出によるフィルム映画です。ただし音質面ではアレコレいわれていますが、一部当たっています。まず高音部が引きつったように鳴りますし、音そのものが小さくなってしまいます。これは技術面のせいなのか、それともアバドが若い為か、まだ不明のままです。確かにアバドは若く、どうしようかと悩んでいるところが分かります。ルイジ・アルヴァがここではアルマヴィーヴァ伯爵を担当しますが、これは他社に吹き込んだものより、ずっと巧く感じます。アルヴァがいかに歌うか、興味津々でした。フィガロ役のヘルマン・プライは相変わらす巧い。視角的にはフィガロそのもの。ただ第一幕では、その一部で男声のコロラトウーラが滑ってしまいました。対するロジーナ役のベルガンサは、ムラが無くどこでも滑らかに歌っています。確かに一時代を作った人だということを再確認。ここでモンタルソロがまた登場しますが、どこでも最高の出来映えでした。

 

(11)セヴィリアの理髪師(1974 年8月と1975年5月録音) 

ロジーナビヴァリー・シルズ
フィガロシェリル・ミルンズ
アルマヴィーヴァ ニコライ・ゲッダ
ドン・バルトロレナート・カペッキ
ドン・バジリオルジェロ・ライモンディ
ベルタフェドーラ・バルビエリ
ジェームズ・レヴァイン指揮 ロンドン交響楽団

ジェームズ・レヴァイン指揮が集めた最良のキャスティングによる「セヴィリアの理髪師」。これはこのオペラが持つプリマドンナ・オペラの要素を努めて排除した、アンサンブルを重視したオペラです。最後の場面を聴くと、なるほどこういう風に纏めたか、と感心しました。レヴァインは終始きりっと引き締まっていますし、フィガロを歌うシェリル・ミルンズは颯爽としていますし、伯爵を歌うニコライ・ゲッダは始めやや乱暴だな、と思ったのですが、考えてみれは大体この伯爵は後(モーツアルト「フィガロの結婚」)では嫌らしい姿になって現れるのです。そう思うとこのフィガロも受け入れられます。巧い所は巧く、乱暴で嫌らしい所はそれなりに。またベルタという小さな役ですが、ここでは必死に歌っていますが、それがピッタリです。音を外しそうにもなりますが、それくらい歳とった女中さんだと思うからです。シルズの声はここという場面で、声の震えが見られます。これはトリルとは違う。ですが、その他の場面を含めますとなかなか立派です。それほどコロラトウーラを強調していない。このCDは米国筋では良く売れているようですが、なるほどと思いました。

 

(12)セヴィリアの理髪師(ミラノ・スカラ座管1982年録音) 

ロジーナマリリン・ホーン
フィガロレオ・ヌッチ
アルマヴィーヴァ パオロ・バルバチーニ
ドン・バルトロエンツオ・ダーラ
ドン・バジリオサミュエル・レイミー
リッカルド・シャイー指揮 スカラ座管

この録画を見た時気になっていたのはマリリン・ホーンが気ままな歌い方をするのではなかろうか、ということでした。結果的にそれは全く余計な心配でした。まず音が良いので気を良くしましたが、最初に耳に飛び込んだバルバチーニのアルマヴィーヴァ伯爵の声ですが、何とかならないかという一群の中に分類してしまいました。トリルが下手。ところが暫く進むと、下手だったはずのトリルを巧くこなしていました。それは後々まで同じ印象で、巧い箇所と下手な箇所が交互に繰り返されるのです。圧倒的に巧いと思ったのはレオ・ヌッチの演じるフィガロでした。これだけ力強く歌いきれれば、聴く者の口を塞いでしまいます。アクの強さがプラスに作用しました。続けて登場するホーンは不思議なくらい押さえていました。アレレと言う感じです、ドン・バルトロの登場後はダーラが巧い。ドン・バジリオはレイミーが歌いますが、実はバジリオはこんなに消極的な人間だっけ?と思いました。全体の舞台回しというより、毒にもならず、薬にもならないように聴こえました。ホーンは決して大人しさが出続けていたのではなく、時としてさすがと思わせるようなテクニックの切れもあります。しかし全体の中に巧く沈んでいる感じでした。シャイーはどんな物か興味津々でしたが、ごく普通です。決してシャイーだからどうという感じではありません。ここでのシャイーは巧みで、闊達な響きを作っていました。最後の処理ですが、この演奏に関する限り、巧く処理したようです。全体を聴いて、これは巧みに処理された巧いものでした、という評が与えられます。

 

(13)セヴィリアの理髪師(アカデミー管 1982年録音) 

ロジーナアグネス・バルツア
フィガロトマス・アレン
アルマヴィーヴァ フランシスコ・アライサ
ドン・バルトロドメニコ・トリマルチ
ドン・バジリオロベルト・ロロヨ
ネヴィル・マリナー指揮 アカデミー管

バルツアを聴くのが目的でしたが、同時にアライサの景気の良い音を楽しみました。まずマリナーの指揮ぶりですが、これが落ち着いていて、実に英国風とも言うべきリズム、テンポなのです。これを聴きながら、いったいどうしたら他の解釈が出てくるのだろう、とさえ思いました。最初に登場するアライザの伯爵は、声も良く出ていましたし、全体に熱気を帯びていて中々良かったです。とにかく安心して聴いていられるのです。対してアレンのフィガロは少し声が小さい。もっと終わりに近づくと、そうでも無いのですが、一般に声が小さく、あるいは小さめでした。バルツアのロジーナは申し分ありません。どこを取ってもバルツアの技術は万全です。オマケにこのロジーナは「マムシにでもなるわ」というセリフが有りますがその方面の味付けが申し分ないのです。これがもっと安全な歌い方をするロス・アンヘレスの歌い方と対比すると断然バルツアが光ります。それでもバルツアは全曲で仕切ろうという気が無いようで、巧く全曲をまとめています。この曲の後半ではアライサが存在価値を主張するのですが、決してバルツアやドン・バルトロと争いません。終幕部で歌われるロッシーニ自身の「シンデレラ」との音楽の類似ですが、ここで歌うアライサの歌は他と比較して最も巧く歌っています。最後の重唱ではバスの声がハッキリと熱気を帯びて聴こえますが、これはこれで良いでしょう。通常は小さな役である女中のベルタは堂々と気後れ無しに歌っています。また最後の詰めの部分ですが、マリナーが堂々と指揮していて、ここでは最良の音で終わっていました。

 

(14)セヴィリアの理髪師(1987年トリノ歌劇場実況) 

ロジーナルチアーナ・セッラ
フィガロブルーノ・ポラ
アルマヴィーヴァ ロックウエル・ブレーキ
ドン・バルトロエンツオ・ダーラ
ドン・バジリオパオロ・モンタルソロ
ブルーノ・カンパネッラ指揮、トリノ実況実況

始めに気がついたのは、これは高音部を強調する録音になっていますから、もしこれで豊かな中低音部を期待しますと、ガッカリします。何か人工物を床に叩き付ける際に出るガシャガシャという音に似た音が聴こえ、これはかなり邪魔でした。アリアみたいな所では、その邪魔は感じなくて済むのですが。セッラはアリアでは素晴らしいコロラトウーラを聴かせます。これは疑いなく、超一流でした。ただアリアを離れた場所では、やや一本調子に聴こえます。per forza o per amoreで始まるところは長大なアリアになっていて、これを全部聴かされるのですが、他の指揮者ではお目にかかれない所なので、少し違和感あり。しかし聴き映えは、ロジーナの技量によりけりで、シッカリした技量があればそれだけトクした気分になります。ここではセッラはその資格があります。続けて最後のシーンの一つ手前で、シンデレラに使われた歌が出て来ますが、ここでは男声が歌います。フィガロの独壇場になっていますが、実際巧い。これだけテクニックを聴かせれば聴く者の口を塞いでしまいます。このCDは3枚組になっていますが、音量は、その切れ方に依存しているような感じ。あくまで私の感じです。オーケストラの音は、全体としては端正ですが、適切なテンポでした。聴いて良かった、という印象。

 

(15)セヴィリアの理髪師(シュヴェツインゲン音楽祭1988録画) 

ロジーナチェチーリア・バルトリ
フィガロジノ・キリコ
アルマヴィーヴァ デイヴィド・キューブラー
ドン・バルトロカルロス・フェラー
ドン・バジリオロバート・ロイド
ガブリエレ・フェッロ指揮シュツットガルト放送管、ミヒャエル・ハンペ演出

誰よりも関心を持たれるのは、このCDが実質的にオペラへのデビューであるチェチーリア・バルトリです。この時バルトリは22歳でした。コンサート等で20歳ぐらいの時を過ごしていたのですが、何と言ってもこの「セヴィリアの理髪師」こそ彼女の名声を一挙に世にしらしめました。誰よりもトリルが巧く、軽々とこなす姿を見ると末恐ろしい気がします。それにさすがに画像を録るなら20歳程度で録っておくのが得策だということをこのDVDは証明しています。最近のバルトリの映像では見るに耐えないような、グロテスクとも言える低音部の響きが重なって、愉しめないのです。しかしこの「セヴィリアの理髪師」に於けるロジーナは軽妙そのもので、才気活発だし、言う事はありません。本当に巧い。支えるキリコのフィガロも顔の表情がイキイキしていますし、最適な顔でした。その代わり、伯爵はトリルが滑りガチで、やや疑問点があります。他のキャストは皆何かしら良所をもっていますが、同時に欠点も挙げることができます。まずはこの22歳のバルトリに祝杯を挙げましょう。舞台が狭いため、演出家が苦労した事が伺えます。

 

(16)全曲盤ではないもの(録音年月日は不問) 

アリア集の一部です。全曲盤とアリア集は別もので、互いに参考になりませんが、それでも無いよりマシと考えます。

16-1 ティッタ・ルッフォ、往年のメトロポリタン歌劇場の名歌手たち(1920年録音)
私は町の何でも屋、ヨーゼフ・パスターナック、管弦楽団

有名なルッフォですが、これを聴きながらふと思ったのは、昔浅草オペラで有名だった田谷力三の歌でした。案外これがぴったりではないでしょうか。時代のせいもあります。

16-2 スペルヴィア、(1927年録音、1926年録音)
シンデレラ〜コンチータ・スペルヴィア 今の歌声は、激しい愛の火に (第II幕)、管弦楽団

相変わらずヴィヴラートの多い声ですが、まるでエディット・ピアフみたいというのも良く当たっていると思います。そもそもこの時代、コロラトウーラで歌うという事自体が一種の色眼鏡で見られたことを思い出しましょう。「まるで●●(田舎)ウグイス(田舎でしか通用しないウグイス)」という表現がありますが、これは余り芳しくないことを意味します。時代に免じてそれは忘れましょう。

16-3 リリー・ポンス、フランス語歌唱(1928年〜29年録音)
今の歌声は、ガブリエレ・クローツ指揮、グランド・オーケストラ

ポンスはフランス語で歌っています。声は細い声で、すさまじい装飾に満ちています。あまりに装飾がごってりしているため、これはどうやって元に戻るのか不安になります。ロバータ・ピータースのような高音部を得意とする歌手と比較すると、このポンスの声はか細い気がしました。

16-4 ルイサ・テトラツイーニ、(1911/32録音)
今の歌声は、SP録音、あらえびす

これは針音を消していないため、サーという雑音が聴こえます。まさに私の言う「ネコの声」でした。典型的でしかも嫌な場面の声量も大きくなります。

16-5 アメリータ・ガリクルチ(ボードン指揮楽団、1927年録音)
アルジェのイタリア女〜むごい運命よ、イサベラ(Amici〜)

これも針音処理をしていないため、少しサーという音が聴こえます。音は全体として驚くほど明快ですが、ここでガリクルチは前半では余り熱が感じられませんでしたが、後半になってから、なるほどと頷ける技術になりました。

16-6 マルガリータ・カロージオ (1946年録音)
今の歌声は、それじゃ私じゃないの(フィガロとの2重唱)フランコ・パターネ指揮、コヴェントガーデン歌劇場管

カロージオは始め大した歌手じゃないな、と思いました。それが後半のコロラトウーラの音節に入りますと、もう自由活発でこれは悪かったと謝りたくなるような出来映えでした。コロラトウーラ歌手としては別項におけるロバータ・ピータースの流れを汲んでいます。トリルを必要とする辺りから発声箇所が体内で別の箇所に移動するという感じ。これなら愉しめます。その代わりフィガロとの2重唱ではややつまらない歌でした。

16-7 ジェニー・トウーレル・声の肖像 今の歌声(1946年録音)
トウーレルの声は当初オヤと思うほどの知的な声でした。決して見せよがしのトリルなど聴かせません。節制ある態度で音符通りに歌っていますから、安心しました。その代わり最後の締めくくりは音が低過ぎたかも知れません。しかし興味深い歌手ではあります。

16-8 カラスの東芝ビデオ(ビデオとして観る)(1958年録音)
今の歌声は、ジョルジュ・セバスチヤン指揮

この歌はやや歌い方に突進力が欠けているような気がします。しかしここでそれを挙げつらうのはやめましょう。それより姿と全体の場の雰囲気が伝わってくるだけで満足しなければなりません。

16-9 マリア・カラス・シュツットガルト録音(1959年録音)
今の歌声は、レッシーニョ指揮放送響

これはシュツットガルトのリサイタル実況ですが、ここでは声が少し震えています。その代わり、所々にあるテンポを自在に変化させる技術は素晴らしい。マトモに勝負に出せる歌でした。ただしカラスはこの曲以降、ロッシーニの曲からは離れてしまいました。

16-10 テレサ・ベルガンサ・リサイタル(1960年録音)
今の歌声は、激しい愛の火に

ここでベルガンサは何時ものように美しく、若々しく、全部合わせて90点を取れそうですが、ただやはり全曲録音だったらこうは行かないだろうと思います。ここにある録音された声は実に美しい。

16-11 マリリン・ホーン・アリア集(1966年録音)
今の歌声は、スイス・ロマンド管

ホーンのカマトトぶりがおかしく感じました。中低音はあくまで柔らかく歌い、激しい自己顕示欲を押さえています。それでも2カ所、どうしても力んだ声になってしまう場面もあり、ホーン自身もしまったと後悔していることと思います。ホーンの歌の技術は実際もの凄い物があり、世界一の技術保持者でしょう。それは分かるので、もう少し声をしぼる技術も付けてくれたら、と思います。ピアノを弾く時、右手だけで低音部をも維持しようとするのに似ています。

16-12 カラスのマスター・クラス、ユージーン・コーン(P) 今の歌声は、(1971年録音)
カラスの叱声も聴こえますが、テンポの取り方等、確かにカラスの言い分も分かる気がします。

16-13 アグネス・バルツア・アリア集(1981年録音)
今の歌声は、ミュンヘン放送管

何処から見ても堂々たるバルツアのロジーナという感じでした。あらゆるところで音を自在にコントロールしています。どう見てもこれも落とせません。結局我々はベルガンサ、バルツア、ヴァレンティーニ、ホーン、そしてバルトリという名歌手達を同時に録音を通じて聴ける状態にいるのです。

16-14 バルトリ・ロッシーニ・アリア集(1988年録音)
今の歌声は、ボローニャ市立歌劇場管

バルトリは前出のベルガンサをよく研究しているようです。如何にして完璧な技術と感情の燃焼を組み合わせるか、これに留意したように思えます。若い時の吹き込みですが、私はこれは満点にちかいと思います。

16-15 シェリル・スリューダー・コロラトウーラ集(1989年録音)
今の歌声は、ガブリエレ・フェッロ指揮ミュンヘン放送響

ステユーダーはか細い声でした。それまで聴いたのがバルトリ、ホーン、カラスでしたから、特にそれが目立ちます。終曲部では普段聴かない超高音を響かせましたが、案の定ひり付く寸前の声でした。あれは減点。全体にこれだというイチオシの部分がなく損をしています。

16-16 ヴァレンティーニ・アリア集(1995年録音)
今の歌声は、KC00195CDオーケストラ

ヴァレンティーニは声が少し震えますが、その点だけ除けば問題ありません。もっとも美しい一人だと思います。美しいだけでなく、声にある陰りが生きてきます。

16-17 森麻季アリア集(2006年録音)
今の歌声は、ヴロツワフ・スコア・オーケストラ

森は美しく巧みに歌っていますが、これがアリア集だからそれらの美点が生きます。但し森の歌い方で全曲録音できるとは思えないのです。

 

千葉のF高












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