R.シュトラウスのオペラの比較

モノローグ(281) 色々な曲を含む Aug.31,2016

R.シュトラウスの各種録音を、年代別に整理したのが下記の通り。


(1) 「サロメ」− (1) (1944年、スタジオ録音)

サロメ      リューバ・ヴェリチ
ロブロ・フォン・マタチッチ指揮 オーストリア国営ラジオ放送管
「お前に接吻した」のみの録音
リヒャルト・シュトラウス作曲、1905年初演

歴史的に有名なリューバ・ヴェリチの声を確かめる事が出来ます。彼女の全盛期はちょうど第2次世界大戦の前後なので、その声を拾うのも大変です。しかし声は自在にコントロールされていて、どこでも破綻を来たしておりません。しかも「サロメ」以外にも拡大して聴くと分かるのですが、時おりコロラトウーラ唱法になるとドイツ風コロラトウーラ(レガートでなくカクカクと階段を走り降りるような歌い方)を聴かせます。その声はモーツアルト「ドン・ジョヴァンニ」のドンナ・アンナとか、場合によっては「魔笛」の夜の女王役も勤まりそう。中々の逸材だと思いました。ただ、音が悪く最初に掛けた所では、まるでジンタみたいです。ヴェリチはメトロポリタン歌劇場で史上最大の拍手を受けた歌手とされています。


(1)「サロメ」− (2) (1954年3月、スタジオ録音)

サロメ クリステル・ゴルツ
ヨカナーン ハンス・ブラウン
ヘロディアス マルガリータ・ケニー
ヘロデ ユリウス・パツアーク
ナラポート アントン・デルモータ
クレメンス・クラウス指揮ウイーン・フィル
リヒャルト・シュトラウス作曲、1905年初演

クレメンス・クラウスによる歴史的録音。そしてオーケストラがウイーン・ フィルです。さすが、と言うしかない録音でした。時折シュトラウス「ばらの騎士」から移したような音が響きます。勿論「サロメ」の方が先に作曲されたのですが、本質は変わらないものだと理解しました。オーケストラの音は全体に茫漠としていますが、それでも素晴らしいと思います。主役のクリステル・ゴルツの声はやや年取った女性を思わせますが、全曲を殆ど出ずっぱりで歌うのですから、それも目をつぶりましょうか。でもこれを少女の声で歌わせたら、さらに素晴らしくなるのに、と思ったのも事実です。ユリウス・パツアークは甲高い声で、余り好きな声質ではありません。このオペラはまだまだ開拓の余地が残っています。


(1)「サロメ」− (3) (1974年3月、映画録音)

サロメ テレサ・ストラータス
ヨカナーン ベルント・ヴァイクル
ヘロディアス アストリード・ヴァルナイ
ヘロデ  ハンス・バイラー
ナラポート ディエスワフ・オフマン
カール・ベーム指揮ウイーン・フィル
リヒャルト・シュトラウス作曲、1905年初演

ストラータスを「サロメ」に抜擢したもので、別記のマルフィターノによる「サロメ」に比して、これはまだ古典的な姿をとどめた「サロメ」です。アクセサリーや背景にもの凄い資金を投入しています。サロメ親子の頭はボウルを冠ったような姿ですが、アストリード・ヴァルナイはそのお陰で年を悟られないで済んでいます。全体にストーリーもオスカー・ワイルドの台本どおりですから、分かりやすい。ベールの踊り等、管弦楽の部分はベームらしいと感じました。ヘロデ役のハンス・バイラーは個人的には大変親しみやすい(昔トリスタンを歌っていました)。ストラータスですが、彼女は当時まだ38歳ぐらいでしょうか。声にヴィブラートがなく、スムースです。興味深く聴きました。


(1)「サロメ」− (4) (1997年4月8月〜10月、画像録音)

サロメ キャサリン・マルフィターノ
ヨカナーン ブリン・ターフェル
ヘロディアス アニア・シーリア
ヘロデ ケネス・リーゲル
ナラポート ロバート・ギンベル
クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮コヴェント・ガーデン管
リヒャルト・シュトラウス作曲、1905年初演

ここで指揮者ドホナーニは実にキビキビと躍動感あふれるような音楽を紡ぎだしています。それは最初から切れ目無く、誰の耳をも引きつけます。ここで大道具や小道具の類いは最小限に押さえられ、いわばアブストラクトな背景を提供していますが、それを好まない聴衆はその点を指摘すると思いますが、全体としてこれは成功した例。始め登場するナラポートは声にチョッとだけ脂気が感じられて、これでいいのかな、と思いましたが、あとは立派。キャサリン・マルフィターノは良い声で歌っていて、しかも余り震えません。昔ニューヨークで聴いたときはメットでなく、シティ・オペラでしたが、改めてニューヨークの批評家の耳が確かなことが分かります(当時はサミュエル・レイミーでさえ私はシティ・オペラで聴きました)。そしてアニア・シーリアのヘロディアス。まだ声が残っていて、ソプラノの主役でも勤められそうでした。背が高くやせ型。彼女の声はメゾを名乗っていますが、かなりソプラノっぽいのです。後半では立っているだけの印象ですが、それでも存在感がしっかり伝わってきます。マルフィターノは肉付きが良いため、薄いベール状の衣装から肉付きが透けて見えます。実に活発に動くサロメでした。


(2)「エレクトラ」− (1)  (1949年1月、画像録音)

エレクトラ アストリード・ヴァルナイ
クリタムネストラ エレナ・ニコライ
クリソテミス イレーネ・ジェスナー
オレスト フレデリック・ヤンセン
エギスト マイケル・ローズ
ディミトリ・ミトロプーロス指揮 ニューヨーク響
リヒャルト・シュトラウス作曲、1909年初演

ニューヨークにおける定期演奏会の演奏で、カーネギーホールでの実況。拍手付き。ミトロプーロスの指揮はそれほど耳慣れていませんが、これを聴くと時としてメロディアスな響きを認めました。ここで女性3名による重唱はあまり区別しやすくありません。ヴァルナイの声は良く耳をすませばちょっとした輝きがあって分かりやすいのですが、それでもエレナ・ニコライのメゾ・ソプラノの声はヴァルナイのそれと同様な響きがあるため、少し立ち止まって考えなくてはなりません。イレーヌ・ジェスナーの声はもう少し軽い方が分かりやすいのですが、最後のシーンで際立つためにはこういう強めの声が必要だったのでしょう。エギストは他のところで指摘したような軽めの声ではなく、この方がエギストらしい。オレストの声は柔らかく、ホッとしますが、これで恨みをはらすとも思えない気がします。オレストって人選に悩みますね。途中で80節分だけ音が無くなっていますが、全体の理解はこれでも済みます。ヴァルナイはこれで米国を卒業し、2年後にはバイロイトにお嫁入りすることになります。


(2)「エレクトラ」− (2)  (1952年2月、実況)

エレクトラ アストリード・ヴァルナイ
クリタムネストラ エリザベート・ヘンゲン
クリソテミス ワルブルガ・ウエーグナー
オレスト パウル・シェッフラー
エギスト セット・スヴァンホルム
ジーン・マデイラ
ミルドレッド・ミラー
ルチーナ・アマーラ
フリッツ・ライナー指揮 メット響
リヒャルト・シュトラウス作曲、1909年初演

メットに於ける実況。フリッツ・ライナーがキビキビと指揮しています。ただエレクトラ役が他の女性2人と比して声が大きいため、必ずしも他の2人との関係を巧く伝えていないかも知れません。実際、エリザベート・ヘンゲンの声は音が比較的小さく、これでエレクトラに対抗できるかな、と考えました。まるで、エレクトラが母親に指図しているように聴こえる瞬間があるのです。クリソテミスを歌うウエーゲナーも、もう少し軽い声質だったらもっと区別できるかもしれません。アニア・シーリアだったらどうか、と考えました。


(2)「エレクトラ」− (3)  インゲ・ボルクの独唱録音

●一人、たったひとり
●オレストとの対話
●終幕部(フランセス・イーンドSp)
エレクトラ     インゲ・ボルク
フリッツ・ライナー指揮 メット響
リヒャルト・シュトラウス作曲、1909年初演

ここにあるのはフリッツ・ライナーの凄まじい集中力です。音自体が鮮明なのですが、加えてインゲ・ボルクの声も立派です。これなら通用します。もう一人、クリステル・ゴルツの声にあった、不安のような音色 (おばさんっぽい声)は、ここでは消えています。なかなか良かったコンサート。


(2)「エレクトラ」− (4)  (1953年12月、ラジオ放送、ケルン)

エレクトラ アストリード・ヴァルナイ
クリタムネストラ レス・フッシャー
クリソテミス レオニー・リザネック
オレスト ハンス・ホッター
エギスト ヘルムート・メルヘルト
リヒャルト・クラウス指揮 ケルン放送響
リヒャルト・シュトラウス作曲、1909年初演

これは大層演劇的な「エレクトラ」でした。このクラウスという指揮者の音を知りませんでしたが、これは名演でしたが、ウイキペディアを見ますと、このクラウスはこき下ろされています。演劇の匂いが満ちていて、歌手は演劇人のようです。ヴァルナイは声が絶頂期にあって、申し分ありません。10年以上経ってからのカラヤン=ザルツブルクの時のヴァルナイの声と比較して下さい。代わりにカラヤンと組んだ際はエレクトラを歌っていたレオニー・リザネックが、クラウスとはクリソテミスを歌っていますが、こちらの方はどうでも良いような歌唱ぶりです。これはやはりヴァルナイのエレクトラが最も聴き物です。レス・フッシャーのクリュタイムネストラは生々しくも女優のごとく声を発していて、これは聴き物です。ハンス・ホッターのオレストの声にはうっとりします。これなら始めから勝負がついているようなものか。


(2)「エレクトラ」− (5)  (1964年8月、ラジオ放送、ケルン)

エレクトラ アストリード・ヴァルナイ
クリタムネストラ マルタ・メードル
クリソテミス ヒルデガルト・ヒルブレヒト
オレスト エヴァーハルト・ヴェヒター
エギスト ジェームズ・キング
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ウイーン・フィル
リヒャルト・シュトラウス作曲、1909年初演

カラヤンの「エレクトラ」。全体に特別なことはなく、標準的というべきものです。マルタ・メードルのクリタイムネストラが魅力的だったのですが、思ったほど響きませんでした。声の差別が余り付いていません。しかしカラヤンの指揮ぶりが颯爽としていて、それを愉しめます。ただし、ここで最大のネックはヴァルナイの声が既に衰えてしまい、カスカスか、あるいは声が出なくなっています。これは痛い。カラヤンは、この「エレクトラ」を最善と評しているそうですが、前述の通りリズムは認めますが、この声は別だと思います。この後ヴァルナイはクリュタイムネストラに交代しますが、それも宜なるかな。


(2)「エレクトラ」− (6)  (1966/1967年、スタジオ録音)

エレクトラ ビルギット・ニルソン
クリタムネストラ レジーナ・レズニック
クリソテミス マリー・コリアー
オレスト トム・クラウゼ
エギスト ゲルハルト・シュトルツエ
ゲオルク・ショルティ指揮 ウイーン・フィルハーモニー
リヒャルト・シュトラウス作曲、1909年初演

あらゆるオペラの中でも最大級のオーケストラ編成のCDを久しぶりに聴きました。まず開幕と同時に感じるのはショルティの音が持つ強靭さです。そして、この一族の下で働く下女達の素晴らしい声。実際彼女たちは後に大きな役を演じることになっています。ヘレン・ワッツ、イヴォンヌ・ミントン等です。まずコリアーの歌うクリソテミスは当初は余り力量を発揮していませんが、後半になると素晴らしく響くのです、高音も実にしっかりしています。エレクトラを歌うニルソンは言うまでもなく、声の限りを尽くして巨大なオーケストラの咆哮を押さえています。あの力強さはやはりニルソンでなければ出来ません。素晴らしい。そしてクリュタイムネストラは不気味な笑い声をまき散らしつつ退場しますが、あの場面はエレクトロニクスの助けを借りても、やはり素晴らしいものだと思います。そして後半に聴かされる声だけの場面でも、もうこれ以上無いというほど。グエーという叫び声も、真実味があります。この「エレクトラ」の後半でオーケストラが先頭にたって、グイグイと責め上げる場面は、本当に素晴らしいものです。


(2)「エレクトラ」− (7)  (1981年制作、映画録画)

エレクトラ レオニー・リザネック
クリタムネストラ アストリード・ヴァルナイ
クリソテミス カテリーナ・リゲンツア
オレスト ディートリッヒ・フィッシャー・ディスカウ
エギスト ハンス・バイラー
エギスト ヨーゼフ・グラインドル
カール・ベーム指揮 ウイーン・フィルハーモニー
リヒャルト・シュトラウス作曲、1909年初演

ベームとウイーン・フィルによるエレクトラの記念品です。ここでは後になるほど演出に目が向きますが、全体を、城のある地点における一昼夜を描きます。歌手達もまずまず。ヴァルナイのクリテムネストラはやや声が苦ししそうですが、原作に戻ってみれば、彼女は安心して寝る事も出来ないのですから、如何に苦労を見せても可だと思います。カテリーナ・リゲンツアのクリソテミスはさすがにニルソンが推したイゾルデらしく、それなりの出来映え。リザネックの歌うエレクトラは、彼女はこの役でも十分だったのかなあ、と思いました。もう少し突き抜けるような声が出れば満足します。そう思っていたら、パリ公演の「エレクトラ」がニルソン、ヴァルナイ、リザネックのトリオでCD録音されているそうです。ただDVDでないのが残念です。リザネックの性格俳優ぶりはこの「エレクトラ」後半で見られます。


(3)「薔薇の騎士」− (1)  (1933年、スタジオ録音、ウイーン)

侯爵夫人 ロッテ・レーマン
オクタヴィアン マリア・オルシェフスカ
ゾフィー エリザベート・シューマン
オックス男爵 リヒャルト・マイヤー
フォン・ファーニナル ヴィクター・マディン
ロベルト・ヘーガー指揮ウイ−ン・フィル
リヒャルト・シュトラウス作曲、1911年初演

SP原盤の「薔薇の騎士」です。まず承知しておく必要があるのは、これは抜粋盤に近いような構成になっていること、例えば全幕を約2時間で終了してしまいます。ですから、ここに登場しない人も居る訳です。たとえば第1幕で大勢が登場する物売りたち。そしてイタリア人歌手も出てきませんから、その名前はキャスト表にも見あたらないのです。従って、話の筋は飛び回ります。第1幕では一同が一斉に退場してしまうし、第2幕ではオックス男爵が突然呑み助になっています。シューマンがのんびりと聴こえるなど、ヘーガーの指揮ぶりに責任がある等が分かりました。第3幕でもオックス男爵は前幕からの性格を引き継いでいますから、少し辟易しました。でも、第3幕にある3重唱の素晴らしさの前にはそういう欠点は忘れましょう。オマケに入っていたシューマンの独唱によるリート「朝(あした)」など、ぞくぞくするような名唱です。


(3)「薔薇の騎士」− (2)  (1952年1月、スタジオ録音、スカラ座実況)

ゾフィー リーザ・デラ・カーザ
オクタヴィアン セナ・ユリナッチ
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮スカラ座管
リヒャルト・シュトラウス作曲、1911年初演

これは、良くある事ですが、うんと若いときはゾフィー、青春期にオクタヴィアン、そして円熟期には元帥夫人を歌う、という風に役柄を換えた良い例です。ここにおけるデラ・カーザは見事にそれを果たして居ます。これはカラヤンの若い時の録音ですが、実に颯爽としていて良い気分になります。


(3)「薔薇の騎士」− (3)  (1954年 、スタジオ録音、ウイーン)

侯爵夫人 マリア・ライニング
オクタヴィアン セナ・ユリナッチ
ゾフィー ヒルデ・ギューデン
オックス男爵 ルートヴィヒ・ウエーバー
フォン・ファーニナル アルフレード・ペル
エーリッヒ・クライバー指揮ウイ−ン・フィル
リヒャルト・シュトラウス作曲、1911年初演

これは私自身の結婚式のBGMを編集した時に用いたもの。マリア・ライニングの声は、当時すでに50歳を過ぎていたため、高音部に難がありますが、声の出し方によっては若い人と張り合えます(すがすがしい、というかセロリみたいな感じ)。オクタヴィアンは特に第2幕の声は立派ですが、少し声量が小さめかな、というところ。しかし注意深く聴くとこれも巧く全体に整合しています。ゾフィーは元気一杯な感じで、第2幕では思い切り声を出しています。それでも第3幕では、各人とも其々の分を守りながらも、全体の調和を図っているのが分かりました。ルートヴィヒ・ウエーバーのオックス男爵だけがややオッサン風でしたが、それでも行こう!と声を掛ける場面では貴族の声になっています。クライバーの指揮ぶりですが、テンポの取り方はこれで正解。


(3)「薔薇の騎士」− (4)  (1956年12月、スタジオ録音、ロンドン)

侯爵夫人 エリザベート・シュワルツコップ
オクタヴィアン クリスタ・ルートヴィヒ
ゾフィー テレサ・シュッティッヒ・ランダル
オックス男爵 オットー・エーデルマン
フォン・ファーニナル エヴァーハルト・ヴェヒター
マリアンネ リューバ・ヴェリチ
ヴァルツアッキ パウル・キューン
イタリア人歌手 ニコライ・ゲッダ
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮フィルハーモニア響
リヒャルト・シュトラウス作曲、1911年初演

出始めは素晴らしく、いよいよ荘厳な音楽がはじまるぞ、と思っていたら、やや不満が残ります。それはテンポが遅い割に、ハッキリ各箇所で鳴っていないからです。声楽家では若き日のルートヴィヒが素晴らしい。やはりこうでなくちゃ、と納得させます。シュワルツコップは、これは例によって磨き抜かれた音色を持っていますが、第1幕の終わりあたりでは少しテンポが早すぎるんではないか、と思いました。でも第3幕でオックス男爵に力む場面等を聴きまと、さすがにシュワルツコップと感嘆。
ゾフィー役のシュッティッヒ・ランダルは少し声が重たいな、という印象でしたが、第2幕ではシッカリ歌って居ます。リューバ・ヴェリチは贅沢なキャスティングですが、結構な録音でしたと言うしかありません。パウル・キューンや、イタリア人歌手を担当するゲッダも同様。これらで徹底的にEMIが他社に勝ちたい意気込みが感じられます。私の好みとしてはゲッダより失敗した筈のフランシスコ・アライザが好ましいと思います。色々な指揮者による演奏時間を比較してみます。ここで、ベーム(1958年盤)、カラヤン(1956年盤)、カラヤン(1960年映画と同様のデラ・カーザ盤)、そしていにしえのエーリッヒ・クライバー(1954)盤を調べますと下記の通りでした。


(3)「薔薇の騎士」− (5)  (1958年12月 、スタジオ録音、ドレスデン)

侯爵夫人 マリアンネ・シェッヒ
オクタヴィアン イルムガルト・ゼーフリート
ゾフィー リタ・シュトライヒ
オックス男爵 クルト・ベーメ
フォン・ファーニナル ディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウ
カール・ベーム指揮ドレスデン管
リヒャルト・シュトラウス作曲、1911年初演

もう一つの「薔薇の騎士」の代表。ベームの指揮はテンポが速く(テンポが速いのは第3幕を除く)サッサと進むためか、バックのオーケストラの演奏する旋律線がくっきりと浮かび上がります。そして全体を聴き終えた時は深い満足感がえられました。オックス男爵を担当するベーメがすばらしく、最後の退場の場面では思わずドキッとするくらいでした。貴族ですね。ゼーフリートは何処でも巧く,何より颯爽としています。シュトライヒは第2幕では高音部につまったような響きを感じましたが、第3幕ではそういう事はありません。シェッヒの元帥夫人は、これは立派なものと思います。当初ここがネックになるかも、思いましたが、実際には立派な元帥夫人です。またイタリア人歌手を歌うルドルフ・フランクルはワーグナー風の歌い方ですが、やや古くささを感じます。

  ベーム盤 カラヤン旧盤 同左ザルツブルク盤 クライバー盤
第1幕 68’35 70’02 68’58 71’39
第2幕 56’18 59’41 68’39 60’08
第3幕 62’45 61’35 62’20 65’19
全体 187’39 191’18 199’17 199’06

これらの比較から、まずベーム盤は早めだということが分かります。カラヤン盤(ザルツブルク)は遅く、それがベームが颯爽として聴こえる原因になっていると思われます。第2幕ではカラヤンの映画盤はますます遅くなり、ここでは異常なくらい遅い。なおデータはCDに付属のものですが、やや混乱。E.クライバー盤は遅めです。


(3)「薔薇の騎士」− (6)  (1960年7月、映画録音、ロンドン)

侯爵夫人 リーザ・デラ・カーザ
オクタヴィアン セナ・ユリナッチ
ゾフィー ヒルデ・ギューデン
オックス男爵 オットー・エーデルマン
フォン・ファーニナル エーリッヒ・クンツ
マリアンネ ヒルデ・レッセル・メイダン
イタリア人歌手 ジュゼッペ・ザンピエーリ
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウイ−ン・フィル
リヒャルト・シュトラウス作曲、1911年初演

これはデラ・カーザとシュワルツコップの二人を突然の交代というトラブルになったもの。決してどちらが良かったとは言えませんが、実際に聴いたところ、このデラ・カーザ盤も捨てがたい。どこかスースーという音が聴こえるようです。実際これなら他の録音での、シュワルツコップとの二重唱も二人を区別しがたいのは当然でしょう。オクタヴィアンはここではセナ・ユリナッチが勤めますが、この人は本当に巧い人との印象でした。オックス男爵のエーデルマンは肝心の箇所でブッキラボウに歌っていましたのでここでは△印。そしてゾフィー役はヒルデ・ギューデンですが、期待しておりましたが、ほんの少しネバネバした感じを受けましたのでやはり三角印。ザンピエーリの歌うイタリア歌曲は場違いなくらい立派でした。


(3)「薔薇の騎士」− (7)  (1960年8月、実況録画。ザルツブルク)

侯爵夫人 エリザベート・シュワルツコップ
オクタヴィアン セナ・ユリナッチ
ゾフィー アンネリーゼ・ローテンベルガー
オックス男爵 オットー・エーデルマン
フォン・ファーニナル エーリッヒ・クンツ
アンニーナ ヒルデ・レッセル・メイダン
イタリア人歌手 ジュゼッペ・ザンピエーリ
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウイ−ン・フィル
リヒャルト・シュトラウス作曲、1911年初演

記念碑とも言えるこの映画は元来はリーザ・デラ・カーザで録音されるところが、シュワルツコップと差し替えになり、それは1回のみの差し替えだったと言います。その結果がこの映画ですが、シュワルツコップの年齢を考えると、あの決断は仕方が無いか、とも思えます。カラヤンは実に颯爽としていて、晩年の贅肉がまだ見られません。客席の拍手を拾った場面が全く無いフィルムになりました。開幕して最初の場面で、マルシャリンが初めて歌いだすのですが、その僅かな小節を聴いて、ああやはりシュワルツコップは巧いなと思いました。というのは、そのあとは公爵夫人の声と歌は一口に言いますと、単調なのです。こんなものだったかな、と思ったのですが、それは誤りでした。第3幕最後のシーンではやはりシュワルツコップはこの「オペラという演技」を知っているな、というところ。彼女の場合、通常ならボンヤリと一本調子に歌うであろう箇所も、巧みに、それも微に入り細に入り、顔の表情と連携しているのは見逃せない。

最も第1幕での公爵夫人は赤い口紅を大きめに塗っています。ゾフィーを歌うローテンベルガーはオペラ分野でない出身だと聴きますが、出来映えはまずまずでした。頬の膨らみに目をつぶる必要あり、かも。オックス男爵は実に巧みです。エーデルマンを耳だけで聴いた場合、音だけでは巧さは伝わりませんが、画像があれば別。それはクンツの姿勢を見ながら思ったのと同様でした。クンツは常に腰を折り、まるで腰痛に悩むような格好で歌っていました。格好といえばまたもオックス男爵の家来達の品のないこと、あの青い色を来た従者達は、田舎者そのもの。昔読んだ「赤毛のアン」第2巻にある「改善会」に登場する品のない青いペンキを塗ったのを馬鹿にけなして書いていましたが、あの色は常にそういう印象なのでしょうか。逆に言ってあの役者達は一言も歌わなくても、実に巧いのです。最終場のシュワルツコップもやはり巧い。あの演技を含めてそう思います。演技抜きだったら他にも優れた侯爵夫人はいるだろうと思いますが。


(3)「薔薇の騎士」− (8)  (1964年12月、実況録音、メット)

ゾフィー エリザベート・シュワルツコップ
オクタヴィアン リーザ・デラ・カーザ
トマス・シッパース指揮メトロポリタン響
リヒャルト・シュトラウス作曲、1911年初演

これも素晴らしい歌の共演です。時としてシュワルツコップとデラ・カーザの声が重なった時、区別がつかなくなることもありますが、それだけ声の融合は巧くいっているとも解釈可能。音自体は古いため,雑音に悩むこともあります。これはメットのお祭り公演「4人のプリマ・ドンナ」と称されるものですが(あとテバルディとサザーランド)、さすがにここに抜粋されたものは立派な声です。


(3)「薔薇の騎士」− (9)   (1978年、実況録音、ミュンヘン)

侯爵夫人 ギネス・ジョーンズ
オクタヴィアン ブリギッテ・ファスベンダー
ゾフィー ルチア・ポップ
オックス男爵 マンフレード・ユングヴィルト
フォン・ファーニナル ベンノ・クッシュ
イタリア人歌手 フランシスコ・アライザ
カルロス・クライバー指揮ミュンヘン歌劇場管
リヒャルト・シュトラウス作曲、1911年初演

これも素晴らしいテンポで進みます。この背景には青銀色の背景が感じられます。ファスベンダーは姿勢が余り良くなかったと思いましたが、その声は立派でした。それにしても首筋をキッと伸ばした方が良い筈です。ジョーンズは声を潜めた時に表現が甘くなります。イタリア人歌手の役はアライザが担いますが、2度目の終わりで、ウッカリ声が裏返りそうになりました。アレレっていうところ。ファスベンダーの声は良くまとまっている上に、切れ味も良いのですが、第一幕では化けたのを表そうとして苦労しているのが、分かりすぎる程分かります。その代わり第2幕では本当の男声みたいに巧い。ゾフィー役のルチア・ポップですが、まるでコマドリ姉妹みたいな顔でおもしろい。さらにギネス・ジョーンズの顔も何となく、園まりみたい。ここではベンノ・クッシュ演じるファーニナルの声が心もとない。オックス男爵役は鼻風邪を引いたような声でした。しかしそのテンポ設定は申し分ありません。


(3)「薔薇の騎士」− (10)   (1983年11月、スタジオ録音、デトロイト)

アンタル・ドラティ指揮デトロイト交響楽団
リヒャルト・シュトラウス作曲、1911年初演

オーケストラだけによる「薔薇の騎士」ハイライト。これを聴く事によって、筋が良くわかるほか、どこを強調すべきかも分かると思います。実際これを聴くと、あらゆる箇所はまさに「薔薇の騎士」の世界でした。私自身の描く世界は、ここに記録されたテープから2箇所を切り捨てたいのですが.第3幕になって感じたのは、この演奏はどこかマントバー二楽団と大して変わらない?結局本質的にこの「薔薇の騎士」とはエンターテインメントだと達観。


(3)「薔薇の騎士」− (11)   (1984年、録画録音、ザルツブルク大劇場)

侯爵夫人 アンナ・トモワ・シントワ
オクタヴィアン アグネス・バルツア
ゾフィー ジャネット・ペリー
オックス男爵 クルト・モル
フォン・ファーニナル ゴットフリーク・ホーニック
イタリア人歌手 ヴィンソン・コール
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウイーン・フィル
リヒャルト・シュトラウス作曲、1911年初演

「薔薇の騎士」は最高のエンターテインメントという従来の印象を再確認しました。これは辛気臭い芸術ではなく、エンターテインメントだという割り切りが、必要ではないかと思います。そうすることによって厳しさが無いとか、おとぎ話だとか、女性好みの記事のような事柄だという、様々な誤解や、誹謗中傷から自由になれます。すると何と美しい旋律に満ち、何と美しい衣装、お金持ちの世界だろう、とひたすら感嘆できます。本来オペラが持っていた筈の世界です。いかにその方向に集中しても、それは当然なのであり、大いに楽しめば良いのです。ここでの演奏はあらゆる面で徹底しています。それを自覚しているかぎり、我々は救われます。この録音はテンポ設定が素晴らしい。本当にこのテンポにはとらわれてしまいます。バルツアが何とも巧いし、トモワ・シントワの歌声にも惹かれるものがあります。ペリーはいかにもアメリカから来たという感じがします。そしてイタリア人歌手を歌うコールも立派。クルト・モルは当初鼻声に聴こえましたが、それに慣れればこれは立派でした。また全体(特に第2幕)では背景にある大道具や人員の配置が、徹底して左右対称になっていたのが印象的。


(3)「薔薇の騎士」− (12)   (1985年、実況録音、ロンドン)

侯爵夫人 キリ・テ・カナワ
オクタヴィアン アン・ハウエルズ
ゾフィー バーバラ・ボニー
オックス男爵 ジョナサン・サマーズ
フォン・ファーニナル オーゲ・ハウグランド
イタリア人歌手 デニス・オニール
ゲオルク・ショルティ指揮コヴェント・ガーデン管
リヒャルト・シュトラウス作曲、1911年初演

ショルティ指揮ですが、最初これで付いて行けるかな、と思いました。何となくショルティのテンポが他と合わない気がしたからです。私の耳にはその差を縮めようとする指揮者とオーケストラの間で、弛緩が生じているように聴こえたのです。それが後半になるとぐっと巧く合うような気になりました。そして最後の場面ではオーケストラも歌手達も、指揮者の棒に寄り添い、これは成功したと思いました。演出はそれほど奇異な感じはありません。第2幕の背景はキラキラした「アルミとガラス」細工みたいな感じですが、これは意図的なものでしょう。元帥夫人は余り声を強調していませんが、それでも第3幕ではセーブした声は有効です。アン・ハウエルスのオクタヴィアンは良く声を出していましたし、演技も上手。バーバラ・ボニーのゾフィーは表情が少し現代風。オックス男爵のジョナサン・サマーズはミテクレと声質が余り良くなく、実際目を瞑って聴くと、声の演技は余り効いていないよう。フォン・ファーニナルは声に加えて表情が余り良くない。もっと他にも歌手が居ただろうに、と思います。イタリア人歌手はここでは出しゃばっていませんが、もう少し声が欲しい


(4)「ナクソス島のアリアードネ」− (1)  (1954年、スタジオ録音)

アリアードネ(プリマドンナ) エリザベート・シュワルツコップ
作曲家 イルムガルト・ゼーフリート
ツエルビネッタ リタ・シュトライヒ
バッカス ルドルフ・ショック
ハルレキン ヘルマン・プライ
執事 アルフレッド・ノイゲバウア
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮フィルハーモニア管
リヒャルト・シュトラウス作曲、1916年初演

この曲のCDとして標準的なものがこれです。カラヤンの指揮はキビキビしていて、弛緩しません。本当にこの時期のカラヤンは格好良かった。始め弦楽器が奏するリズムなど聴くとわくわくします。そして音が違う。ここではフィルハーモニア管弦楽団が演奏していますが、余計なことを考えることなく、音楽に没頭していることが分かります。何よりシュワルツコプが素晴らしい。声を強めて出し、その声は微塵にも震えません。高い音も自在です。やはり素材があって、料理法も良く知っている人だと思います。シュトライヒは声は細いのですが、それを存分に駆使しています。これはこれなりに巧い。ゼーフリートの印象がやや弱いのですが、聴き方が悪かったのかも知れません。


(4)「ナクソス島のアリアードネ」− (2)  (1954年4月、スタジオ録音)

アリアードネ(プリマドンナ) リーザ・デラ・カーザ
ハイリッヒ・ホルライザー指揮ウイーン・フィルハーモニア管
リヒャルト・シュトラウス作曲、1916年初演

これはほんの一部だけをアリアードネ役が歌ったものですから、これで全体を歌った場合を判断するのは難しい。この短いアリアードネの歌い方は決して下品ではなく、さりとて強烈でもない歌い方でした。


(4)「ナクソス島のアリアードネ」− (3)  (1965年8月、スタジオ録音)

アリアードネ(プリマドンナ) ヒルデガルト・ヒレブレヒト
作曲家 セーナ・ユリナッチ
ツエルビネッタ レリ・グリスト
バッカス ジェス・トーマス
ハルレキン ゲルト・フェルトホフ
執事 エリック・フレイ
カール・ベーム指揮    ウイーン・フィル
リヒャルト・シュトラウス作曲、1916年初演

これは驚きました。メットで観て以来の『動くアリアードネ』でしたが、そこでツエルビネッタを担当したレリ・グリストのソプラノには本当に耳をすっかり奪われました。ああいう声は一般に透らないことが多く、聴こえないことが多い。しかしグリストの声はエッジを立てて、どこでもビンビン響くのです。結果的にベームの指揮はキビキビとしていますし、あとテノールのジェス・トーマスも颯爽としていました。そして作曲家のセナ・ユリナッチは堂々たる声ですし、お買い得なDVDでした。惜しむらくは舞台上の証明が暗く、よく見えないこともあるのが気になります。グリストに感心したので、他の役所を探したら、曰く付きのクレンペラー盤「フィガロの結婚」がありました。余裕が有る時に買いたい。アリアードネのような曲は全体の構造が複雑なので、こういうものでとにかく動く舞台の記録を観てから購入を決めるのが賢明です。


(4)「ナクソス島のアリアードネ」− (4)  (1977年11/12月、スタジオ録音)

アリアードネ(プリマドンナ) レオンタイン・プライス
作曲家 タチアナ・トロヤノス
ツエルビネッタ エディタ・グルベローヴァ
バッカス ルネ・コロ
ハルレキン バリー・マクダニエル
執事 エーリッヒ・クンツ
ゲオルク・ショルティ指揮ロンドン・フィルハーモニア管
リヒャルト・シュトラウス作曲、1916年初演

出始めの弦楽器の弾奏はウキウキします。出始めの箇所を聴きながら、これは素晴らしいと思いました。また作曲家のトロヤノスがしっかりと聴こえて来るし、声の対比が取れています。作曲家は自分の音楽を台無しにされ、いわば嘆きの歌を歌う訳ですが、それもシッカリと伝わってきます。プリマドンナ(アリアードネ)の声が既に盛りを過ぎた人、というのが露骨に分かりました。


(4)「ナクソス島のアリアードネ」− (5)  ひとこと

リヒャルト・シュトラウス作曲、1916年初演

[グルベローヴァ発見] 1979年3月6日

メットへ一人で行き、R,シュトラウスの「ナクソス島のアリアードネ」を観た。最近英国デッカが録音したのと全く同じキャストというのがウリだったので期待していたが、主役にマユツバを感じていたが、案の定、プログラムにしおりが挟んであり、レオンタイン・プライスが病気のため、ヨハンナ・マイヤーがアリアードネ/プリマ・ドンナの2役を演じるという。赤いカーペットを敷き詰めた階段をくるくる駆け登ってファミリー・サークルへ飛び込む。開演ぎりぎり。ところがふと見るとまだ開幕前なのに、幕が上がっている。しかも舞台では色々な人物が「仕事を始めている。これは「アリアードネ」という劇中劇ドラマに合わせた演出の一部なのだ、と悟った。タチアナ・トロヤノス(Ms)が作曲家の役を勤めたが、ナカナカ巧い。トロヤノスは生はおろか、レコードでも放送でも聴いたとが殆ど無かったが、良い歌手だと思う。ショルティ盤のビゼー「カルメン」に当初ベルガンサが予定されていたのが、急にトロヤノスに変更されたのだが、これならトロヤノスの「カルメン」も悪くあるまい。(注:トロヤノスにはギリシャの血が混じっており、後で買ったベルリオーズ「トロイの人々」のLDではカルタゴの女王ディドを堂々と演じている。1993年8月21日に死去)。そしてグルベローヴァは輪を掛けて良かった。どんなパッセージでも堂々と歌い抜き、コロラトウーラのパッセージの技巧は万全である。余りにすばらしく、アリアの途中なのに拍手が巻き起こったのである。


(5)「エジプトのヘレナ」− (1)  (1965年8月、スタジオ録音)

ヘレナ ギネス・ジョーンズ
メネラス マッティ・カストラ
アイトラ バーバラ・ヘンドリクス
アルタイル ウイラード・ホワイト
ダ・ウド カーティス・ライヤム
ヘルミオーネ ディナ・ブライアン
全知の貝 マルガリータ・リロワ
アンタル・ドラティ指揮 デトロイト響
リヒャルト・シュトラウス作曲、1928年初演

これを歌うギネス・ジョーンズは元気一杯ですが、本当に歌いきった時はご苦労様と言いたくなります。そのスタミナには恐るべきものがあります。音色はもうすこし暗さが感じられると良いのですが、私の耳には若いなあという印象でした。始め、このヘレナの運命はいったいどうなるやら、と危ぶんだのですが、そこはシュトラウス流のオーケストラの分厚さでカバーし、ますます聴き手の聴覚をそこに集中させます。そのため、始め中央の音が高めに聴こえたのが、半ばを過ぎてからもっと音が広がってきました。これに割を喰ったのがバーバラ・ヘンドリクスでした。それは聴き手の勝手であって、ヘンドリクスに罪はありません。私は昔NHK交響楽団の定期会員だった時に、ヘンドリクスを聴いて感心したことがあります。ただ、それにしても最後に得た印象は、シュトラウスはもうこれで出尽くしたようだ、と思ったことです。さんざん音の分厚さや、女性優位や、導入部の巧みさと終曲部の巧みさ、といったテクニックを聴かされたので、もうあとはすっきりしてモーツアルトを聴きたいものだ、と思いました。


(6)「アラベラ」− (1)  (1954年4月、スタジオ録音、抜粋のみ)

アラベラ リーザ・デラ・カーザ
ズデンカ ヒルデ・ギューデン
マンドリカ パウル・シェフラー<
マテオ アルフレード・ペル
ハインリッヒ・ホルライザー指揮ウイーン・フィル
リヒャルト・シュトラウス作曲、1933年初演

これはデラ・カーザの歌が相応しいと思います。笛や太鼓をたたいて誉め称えるほどではありませんが、世紀末の没落貴族を描くこの作品には良くマッチしています。


(6)「アラベラ」− (2)  (1954年、スタジオ録音、抜粋のみ)

アラベラ エリザベート・シュワルツコップ
ズデンカ アニー・フェルバーマイア
マンドリカ ヨゼフ・メッテルニッヒ<
マテオ ニコライ・ゲッダ
ロブロフォン・マタチッチ指揮フィルハーモニア管
リヒャルト・シュトラウス作曲、1933年初演

ここのアラベラの歌い方はシュワルツコップでは、少し考え過ぎでは無いでしょうか。これをデラ・カーザの歌と比較すると、そのオーバーなことが浮かび上がってきます。何かチョッとした瞬間に、アラベラの素性が出てしまうのですが、それがあまりピンと来ないのです。


(7)「カプリッチヨ」− (1)  (1954年4月、スタジオ録音、抜粋のみ)

伯爵令嬢 リーザ・デラ・カーザ
家令 フランツ・ビエル
ハインリッヒ・ホルライザー指揮ウイーン・フィル
リヒャルト・シュトラウス作曲、1942年初演

これもデラ・カーザの歌は短いですし、コレで全体を評価できないと思います。素性は良く、現在は困難な立場にある姫君、というところ。


 

千葉のF高












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