ジャコモ・プッチーニのオペラ

モノローグ(282) November 3, 2016

プッチーニのオペラを年代順に整理しますと下記の通りになります。プッチーニは「ラ・ボエーム」、「トスカ」、「蝶々夫人」の3作が有名です。面白い事に、ドイツでは最も人気のあるのが実はプッチーニだ、という結果があるらしい。特に「ラ・ボエーム」は人気の高い曲です。壮大さの無い曲は、遠慮しつつひっそりと聴く、ということをやっていながら、実際にそれらの音楽を享受しているのですね。言ってみればプッチーニは良くできた映画音楽みたいにリラックスする音楽、と言えば分かって貰えるでしょうか。全ての曲が風味豊かではありませんが、それを選び出すのはひたすら我々です。


(12) 「ヴィリ」− (1) 第2幕(1996年の一部のみ、スタジオ録音)

ルジェロ     ロベルト・アラーニャ
アントニオ・パッパーノ指揮ロンドン響
7243-5-56338-2-8 (「つばめRondine」の余白に入っている)
ジャコモ・プッチーニ作曲 1884年初演

ほんのお印だけの録音だから、これから全体をのべることはできません。ただ、最初の音楽のフレーズを聴いた時、これがプッチーニの初めての作品だと思えば、なかなか良い所をいっていたな、と感じました。それ以外は口をつぐむ事になります。


(12) 「マノン・レスコー」− (1) 第4幕(1954年、プッチーニ没30年,ローマ)

ミミ レナータ・テバルディ
ロドルフォ ジュゼッペ・ディ・ステーファノ
マルチェロ ジュゼッペ・タディ
アルベルト・パオレッティ指揮ローマ響
ARPCD 0231

ジャコモ・プッチーニ作曲 1884年初演

かつて学生時代にこの曲を好み、繰り返し聴いた覚えがあります。現在ではそういう事は稀になりました。テバルディはここでは声の心配なく、巧みにサポートしています。ただほんの少しだけ、声がもう少し伸びていたら、と惜しい気もしました。ディ・ステーファノはデル・モナコより応用が効いていますが、歌自体は特筆することがありません。


(12) 「マノン・レスコー」− (2) (1954年、スタジオ録音)

マノン レナータ・テバルディ
デ・グリュー マリオ・デル・モナコ
レスコー マリオ・ボリデルロ
大蔵大臣 フェルナンド・コレナ
フランチェスコ・モリナーリ・プラデルリ指揮
ローマ聖チェチェーリア音楽院管
POCL-3832/3
ジャコモ・プッチーニ作曲 1893年初演

実はプッチーニの最初の成功作は、今まで何度か聴いてはいたのですが、真剣に聴いたのは今回が初めてでした。どうしてかは自分自身ハッキリしません。出世作だと思えば許せるのでしょうが、全体にユニゾンを使いたいのに我慢している、という風情が感じ取れるからかも知れません。実際全編でプッチーニは弦楽器を大きくして、ため息を付く次第です。テバルディはこの曲を初期からこなしていますが、録音したリストはこれだけです。声は滑らかで美しい。滑らかさは第3幕でピークに達しますが、そこで あ…という調子の声でうまくコロラトウーラをこなしています。しかも1954年ですから声は万全です。ただ、声を大きくして苦しい箇所を通ろうとすることを感じました。デル・モナコは声がドラマティック過ぎるとも思いました。また、時折聴かせる発声上の欠点(声が純粋な響きを失う)は見られました。両者に共通するのは、声は自然状態で、十分出るから、少し稽古しておこうか、と発声練習みたいに音符に対処しているようです。贅沢ですがソレが出来たのは短い期間でした。メットの写真の本をみると「マノン・レスコー」の写真が最も嬉しそうに思えるのですが、それは理解できます。


(12) 「ラ・ボエーム」− (1) (1949-51年、スタジオ録音)

ミミ ルチア・アルバネーゼ
ロドルフォ ジュゼッペ・ディ・ステーファノ
ムゼッタ パトリス・ムンゼル
マルチェロ レナード・ウオーレン
ショルナール ジョージ・チェハノフスキー
コリーネ ニロラ・モスコーナ
レナート・チェルリーニ、ヴィクター・トルック指揮、RCAヴィクター管
8.11 0252-3
ジャコモ・プッチーニ作曲  1896年初演

「ラ・ボエーム」とアルバネーゼの組み合わせと聞くと一瞬たじろいでしまうほどですが、これはそれほどイヤではありません。アルバネーゼがこんなに滑らかに歌えることに驚きを感じました。何より指揮者が良く歌っています。それでも、アルバネーゼは年齢を感じさせますし、もしそれが違うなら、下町風の声と言えるのでは無いでしょうか。ディ・ステーファノはテバルディと一緒の時より、魅力が薄めです。


(12) 「ラ・ボエーム」− (2) (1951年、スタジオ録音)

ミミ レナータ・テバルディ
ロドルフォ ジャチント・プランデルリ
マルチェロ ジョヴァンニ・インギレーリ
ショーナール フェルナンド・コレナ
コリーネ ラファエロ・アリエ
ムゼッタ ヒルデ・ギューデン
アルベルト・エレーデ指揮 ローマ聖チェチーリア音楽院管
440-233-2   (またはNAXOS 8.110252-3)

ジャコモ・プッチーニ作曲  1896年初演

新鮮な味わいの「ボエーム」だったと思います。これを聴いて最初に感じたのはロドルフォを歌うプランデルリが案外な拾い物だったことです。よくよく耳をそばだてて聴いてみて下さい。良いでしょう?ただ、プランデルリは第3幕では一カ所、妙な声をだしているのが気になります。エレーデは巧いと思います。この名指揮者を認識しないできたのが誤りだった、と反省しました。ヒルデ・ギューデンは声の対比から、テバルディと思い切り違う歌手を選んだのだと思いますが、すこし声質がムゼッタに合わない気がします。テバルディとの声質もあまり対比がとれていません。あとのキャストは余り有名ではありませんが、それがこのオペラには向いていると思えます。


(12) 「ラ・ボエーム」− (3) (1954年、実況録音、ローマ)

ミミ レナータ・テバルディ
ロドルフォ ジュゼッペ・ディ・ステーファノ
アルベルト・エレーデ指揮 ローマ響
ARPCD 0231  (「マノン・レスコー」と同じ)
ジャコモ・プッチーニ作曲  1896年初演

テバルディが美しい。決して化粧粉っぽくなく、脂ののった旬の声です。私はミミがこれほど美しく表現された例をしりません。そしてステーファノは逞しい。どんな音でも出してやる、と構えているようです。テバルディの絶頂期を表していると思います。粉を吹き出したような表現なら例えばセラフィンと吹き込んだスタジオ盤など、他にも優れたものが有りますが、スッピンの品を探すならこれがお薦めです。


(12) 「ラ・ボエーム」− (4) (1956年、スタジオ録音)

ミミ ヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレス
ロドルフォ ユッシ・ピョルリンク
マルチェロ ロバート・メリル
ショーナール ジョン・リアドン
コリーネ ジョルジョ・トッツイ
ムゼッタ ルシール・アマーラ
トマス・ビーチャム指揮 RCAヴィクター管
HS-2088
ジャコモ・プッチーニ作曲 1896年初演

再生の音を低めに設定したせいか、音が新鮮です。ロス・アンヘレスみたいに何となく歌って人身を掌握するのもテクニックだなあと思いました。まず指揮者のビーチャムが巧い。なんということのない場でも、ぐいぐい引っ張ってくれます。テンポが速めですが、この快調なテンポの心地よさは結果論ですが、良く作用しています。ロス・アンヘレスの歌はどこを取っても均質な声で、それを巧みにコントロールして聴き手を捕まえて離しません。昔、「小さなボエーム」がはやったころ、色々と言われていたのを思い出します。そしてなるほど、と思いました.確かにこの小ささは良い武器です。キャストのなかで、チョッと引っかかったのはムゼッタを歌うルシール・アマーラだけでした。アマーラの声が小さく、それをロス・アンヘレスとの対比において有効に使おうとしたのでしょうが、これは少しまずかったのでは?それではどんな歌手がふさわしいか、と考えると、同じEMIでカラスと付き合っているアンナ・モッフォが一人の例として考えられます。そのかわりモッフォには、余り自分を売り込むな、と水を指しておく必要が有ると思います。ロバータ・ピータースのコロラトウーラも良さそう。後はどの人も適任です。今後このレコードを再度聴くだろうと思いました。ただピョルリンクの声は少し年取りすぎた感じが否めません。もっと巧いロドルフォがいたと考えます。


(12) 「ラ・ボエーム」− (5) (1959年、スタジオ録音)

ミミ レナータ・テバルディ
ロドルフォ カルロ・ベルゴンツイ
マルチェロ エットーレ・バスティアニーニ
ショーナール レナート・チェーザリ
コリーネ チェーザレ・シェピ
ムゼッタ ジョアンナ・ダンジェロ
トウリオ・セラフィン指揮 ローマ聖チェチーリア音楽院管

411-868-2

ジャコモ・プッチーニ作曲  1896年初演

これはかつて良く聴いたレコードとして馴染みがあります。そこで新しいスピーカーを試しに聴いてみることにしました。予想通り、これは全曲にわたり見事な音のバランスです。単に良いだけでなく、ずば抜けて良いのです。テバルディはやはり大型過ぎるかも知れませんが、その代わり安定性とか微妙な味付けとか、本当に申し分ありません。あとはテノールもバスも勿体ないくらいのキャストでした。ある人がこれを評して、まるでヴェルディ「仮面舞踏会」にふさわしいキャストだと言いました。ムゼッタを歌うダンジェロの声は蓮ッ葉な所はキチンとそのように聴こえます。第3幕のミミの別れの場面など、極上です。彼女は遅めのテンポの箇所で光ると思います。ただし聴き継いで行ったとき、上手い、こんなに上手くってよいのか、という逆の疑問がでてきました。具体的に言いますと、申し分ない体格の大きさですが、それから出て来る不遜な自信がほんの少し目に付くようでした。しかしそういう自信にもとづく自信は他にかえられないでしょうし、あまり細かい話は抜きにしましょう。セラフィンを含め、各歌手のお手本になるものです。


(12) 「ラ・ボエーム」− (6) (1961年6月、スタジオ録音抜粋、ベルリン)

ミミ ピラール・ローレンガー
ロドルフォ シャーンドル・コーンヤ
ショーナール ホルスト・ギュンター
マルチェロ ディートリヒ・フィシャー・ディスカウ
コリーネ クラウス・ベルトラム
ムゼッタ リタ・シュトライヒ
アルベルト・エレーデ指揮、ベルリン国立管
UCCG-3370 423-875-2

ジャコモ・プッチーニ作曲  1896年初演

これを掛けて、直に気がついたのは、言葉です。ここでは全員ドイツ語で歌っています。その範囲での批評になりますが、巧い。ローレンガーも、そしてシュトライヒも、それぞれ完璧に近い。心配だったシュトライヒがこれほど聴く者のミミを捉えるとは意外でした。欠点としてはシュトライヒはストーリー全体について関心を示していないことでしょうか。シャーンドル・コーンヤはワーグナーの世界ではセンセーションを起こしていましたから大いに興味をもって聴きましたが、ここの録音に関する限り、それほどよくも思えませんでした。最高の高音部では声が裏返りそうになります。エレーデの指揮は、この曲として最高ランク。


(12) 「ラ・ボエーム」− (7) (1962年1月10日、実況録音、短縮)

ミミ レナータ・テバルディ
ロドルフォ レナート・チオーニ
ショーナール オテロ・ボリゴノーヴォ
マルチェロ エンツィオ・ソンデルロ
コリーネ ジオルジュ・タデオ
ムゼッタ シルヴァーナ・ザノリ
アトウーロ・バシーレ指揮、パルマ
MBRA Palma Teatro Regio
ジャコモ・プッチーニ作曲  1896年初演

偶然発見したCDです。パルマに戻って歌う、いわばテバルディの凱旋公演。決してこれがパルマ最終公演のつもりでは無かったでしょう。その相手を勤めるのがレナート・チオーニ。これはあまり頂けません。チオーニはあとでサザーランド(「ランメルムーアのルチア」)と組んでいますが、此処に聴く組み合わせはあまり良くない。声が弱過ぎるのです。エンツイオ・ソンデルロもここに登場しますが、彼はカラスとけんかしたメットの件で有名というだけ。暗い話ばかりですが、それでもテバルディがトスカニーニの故郷で歌った時の、記念すべきものです。


(12) 「ラ・ボエーム」− (8) (1998年2月20日、スタジオ録音)

ミミ ダニエラ・デッシー
ロドルフォ アンドレア・ボッチェルリ
ショーナール ダビテ・ダミアーニ
マルチェロ レナート・ジローラモ
コリーネ ユルヴィン・シャルロット
ムゼッタ パトリツイア・チョーフィ
スティーブン・メルクリオ指揮管弦楽団 カリアリ、イタリア
1998年2月20日で収録 パレストリーナ劇場
TV→DVDに保管
ジャコモ・プッチーニ作曲  1896年初演

ダニエラ・デッシーのミミですが、改めてその声と演技を賞味しました。デッシーは実際ミミとして最高のクラスに分類されていて、ストラータスやフレー二と比較が楽しみです。デッシーは低い声が滑らかで、しかも低音がでるのが印象的でした。背景がガラクタの詰まった屋根裏部屋でしたが、実際ああいう演出でないと外の光景とつながらないのでしょうが、第4幕で病身のミミが転がり込んでくる場面ではミミが意外にも元気な姿で部屋に現れたりします。これはまずい。またムゼッタの姿はイマイチ。音楽は良いのですが、ただこれを聴き終えた時、やはり「ラ・ボエーム」とは「可哀想な青春小説」なんだな、と思いました。青春という接頭語が付いているのはそれなりの全体像を表します。純粋に声自体で泣かせるオペラではありません。ここではミミの相手役のロドルフォをボッチェルリが歌いますが、目の不自由さをカバーするため、様々な工夫をしている事がわかりました。劇場の場所のカリアリという地名がどこかを知るため、地図を見たら地中海に浮かぶサルジニア島の南側にありました。こういう田舎びた町にもオペラ・ハウスがあるイタリアが羨ましい。


(12) 「トスカ」− (1) (1954年、スタジオ録音)

トスカ レナータ・テバルディ
カヴァラドッシ ジュゼッペ・カンポーラ
スカルピア エンツオ・マスケリーニ
堂守り フェルナンド・コレナ
アンジェロッティ ダリオ・カゼリ
アルベルト・エレーデ指揮 聖チェチェーリア音楽院管
UCCD-3946/7
ジャコモ・プッチーニ作曲  1900年初演

これは若々しいというより発展途上にあったテバルディの記念碑として取り上げました。声は問題なく出ていますが、その表情はひたすら音符を声にしよう、とする真剣な学生みたいな感じです。むしろ予想外だったのが、ここでカヴァラドッシを歌うカンポーラでした。意外なくらいカンポーラは良い声を持っていますよ。そしてマスケリーニにも感心しました。そういえばマスケリーニはかつてカラスと共演していました。テバルディに期待していたのを、諦めたのは音楽の最終部分でした。あそこでテバルディは全く叫んでいません。あくまで歌を歌っています。エレーデの指揮ぶりは、最初と最後のテンポがゆっくりになりますが、全体としてこれらはOKだと思いました。エレーデという指揮者を見直したのは意外にも彼の棒は情熱的だと思ったからです。


(12) 「トスカ」− (2) 1954年、スタジオ録音

トスカ マリア・カラス
カヴァラドッシ ジュゼッペ・ディ・ステーファノ
スカルピア チェーザレ・シェピ
堂守り メルヒオール・ルイーズ
アンジェロッティ

フランコ・カラブレーゼ

ヴィクトリオ・デ・サーバタ指揮 スカラ座管
Catalogue Number 5677592
ジャコモ・プッチーニ作曲  1900年初演

当初からこのカラス盤の行く末をある程度予想していました。カラスを小さく見せようとする努力があって、ソレが耳に障ったのです。しかし第2 幕に入りスカルピアとの応答を聴くと、もはやカラスはカラス以外の何者でもありません。叫び、苦しむのですが、それはカラスだから、表現もできます。そして最終幕で、飛び込む寸前からの数小節、ここでカラスは声の限りを極めます。鋭い!こんな凄い声を他の誰が出せるでしょうか。この最後の数小節だけでも私はカラスに一票を投じます。本当にここは凄い!ディ・ステーファノの美声はここでは後半に聴く事ができますが、前半ではまだ青いのです。そしてデ・サーバタの指揮は決して音楽を邪魔せず、むしろ音楽を煽り立てますが、それもカラヤンみたいに音やアクセントで表現せず、あくまで音楽でその効果を得ています。


(12) 「トスカ」− (3) (1958年、パリ実況録音)

トスカ マリア・カラス
カヴァラドッシ アルベール・ランス
スカルピア ティト・ゴッビ
ジョルジョ・セバスティアン指揮 パリ・オペラ座管
オペラ座レジョン・ドヌール基金慈善事業 「マリア・カラスの真実」
ジャコモ・プッチーニ作曲  1900年初演

カラスがレジョン・ド・ヌールの寄付金のために出演した、有名な「トスカ」実演の実況です。これは第2幕のみの収録となっています。この時代ビデオ技術がまだ確立しておらず、それだけに不鮮明です。そして音質にも影響して、低音部が巧く録れていません。何となく声が単調に聴こえるのはそのため。そして、カラスはほっそり見えますし、アップしても変わりません。皺も見えない。ここではカラスは36歳です。ですから音は評価に加えず、単にカラスのイメージの美しさを強調するにはこれが最善です。実際カラスはコレ以外、画像(オペラの動くイメージとして)をとっておらず、ここで(1958年以前には)とったものしか私は持っておりません。舞台装置の絢爛豪華なこと!カラスの舞台衣装も格別です。


(12) 「トスカ」− (4) (1959年、スタジオ録音)

トスカ レナータ・テバルディ
カヴァラドッシ マリオ・デル・モナコ
スカルピア ジョージ・ロンドン
堂守り フェルナンド・コレナ
アンジェロッティ シルヴィオ・マイオニカ
モリナーリ・プラデルり指揮 聖チェチェーリア音楽院管
WS121,236
ジャコモ・プッチーニ作曲  1900年初演

すっかり年取った、つまり成熟した、トスカの声です。これはもはや1954年盤のように成長課程にあるからと言い訳できません。この歌で評価されなければなりません。これは昔よく聴いたものでしたから、何とも懐かしく響きました。まず序曲がゆっくりと始まります。全体のテンポも音調が変わる時の変わり方、その他は申し分ありません。それはこの曲の第2幕が終わった時点で気がつきました。引っかかる箇所が見あたらないのです。そしてテバルディのトスカ役も至るところで申し分有りません。最後の叫ぶ箇所もテバルディとして最善の努力の跡があります。これ以上はカラスでも無ければ無理。そしてデル・モナコのカヴァラドッシも情熱的です。私はデル・モナコにそれほどほれて居ないのですが、それでも好奇心をかき立てられます。ジョージ・ロンドンのスカルピアも、ゴッビなどを思い出すことがなければ、これで十分です。ロンドン氏のスカルピアをけなす記事にぶつかるのですが、それは行き過ぎではないかと思います。


(12) 「トスカ」− (5) (1961年、実況録音)

トスカ レナータ・テバルディ
カヴァラドッシ ジャンニ・ポッジ
スカルピア

ジャン・ジャコモ・グエルフィ

アルトウーロ・バジーレ指揮 NHK響
TV→DVDに保管 1961年NHK招聘公演
ジャコモ・プッチーニ作曲  1900年初演

これは私が高校生の時の公演で、ちょうど運動会があった日の夜これを放送しました。高校生だった私にはそれを聴くことが殆ど最後の機会だろうと思いましたが、実際そうでした。それから長く辛い試験勉強だけの高校生活が待っていました。一日当たり勉強時間が15時間という無茶な生活。例外はありません。記念日も日曜日も元日もナシ。持てる力を全て試験の為につぎ込みました。テバルディの印象はあまり表情が変わらない人だな、と思いました。


(12) 「トスカ」− (6) (1962年、実況録音)

トスカ レナータ・テバルディ
カヴァラドッシ ジュゼッペ・ディ・ステーファノ
スカルピア エットーレ・バスティアニーニ
堂守り カルロ・バディオリ
アンジェロッティ ニコラ・ザッカリア
ジャナンドレア・ガヴァツエー二指揮 スカラ座管

CDS 21023

ジャコモ・プッチーニ作曲  1900年初演

まず最初に考えなければならないのは、これは海賊盤出身だということです。コレは聴いてみればすぐに分かります。マイクの位置によって極端に音質が変わってしまうため、時として音が沈んだり、大きくなったりします。歌手たちはそれに対抗するように巧く歌わないとなりません。ですがテバルディだから、こういう録音盤を残すことが出来たのでしょう。それだけ音が悪くても買い手が付くかどうかです。第1幕では特に印象に残るような歌を歌っていませんが,第2幕で突然に、音が正常に近くなり、聴き耳を立てることになります。ただし長く続く事は期待できないのです。そのかわりこのCDを聴くと恐ろしいことを発見します。誰しもテバルディの「トスカ」を聴いた時は、決してハメをはずさず、音符を忠実にトレースするものと想像しますね?それがそうではないのです。どういう訳かテバルディは音楽に背いて、叫んだり怒鳴ったりします。その理由にはカラスに対する対抗心もあったかも知れません。それに「怒鳴るテバルディ」って案外聴きものです。彼女の声にそういう要素があることを確認したくなった人はこれ(またはミトロプーロス指揮の米国盤)を聴いて下さい。最後の飛び込む場面ではその叫び声を2回繰り返すのですが、あれはやり過ぎかなあと思います。ここでもディ・ステーファノの美声はカラヤン盤ほど際立つわけではありません。またガヴァツエーニは驚くほどゆっくりしたテンポで序曲を開始します。あれは少々遅すぎるのではないでしょうか。


(12) 「トスカ」− (7) (1962年、スタジオ録音)

トスカ レオンタイン・プライス
カヴァラドッシ ジュゼッペ・ディ・ステーファノ
スカルピア ジュゼッペ・タディ
堂守り

フェルナンド・コレナ

アンジェロッティ カルロ・カーヴァ
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ウイーン・フィル
POCL-3921/2
ジャコモ・プッチーニ作曲  1900年初演

これは複雑な気分にさせられます。最初から最後まで、聴きどころはシッカリ押さえてあって、文句の付けどころが見あたらない。と思っていたら文句がありました。このオペラをなでるように慈しんでいるのは分かりますが、そうすればするほど、音楽をいじり過ぎていると思われます。あんなに気をつかって録音したのに、と不満の声を押さえ切れないのですが、もっと押さえても良かったのに、と感じました。でもそうしたら、「トスカ」はどうなったでしょう?カラヤンが気を使ってこれが完成したのですから、余り文句を言うのは避けましょう。CDを掛け始めて当初は本当に巧く次から次へと「仕掛け」が登場してそれぞれに魅力的と思えます。特にジュゼッペ・ディ・ステーファノの美声の素晴らしさ!これに対し、プライスも適切に応答しています。しかし「いじり過ぎ」という最初の印象は変わりません。そっと音楽自体からオペラの楽しみが出てくれば申し分ないと思います。カラヤンのリズム、テンポ、強弱の弾み、いずれも合格です。ああ疲れた、と言いながら聴きました。プライスは黒人ですが、初めてこのような大きな役を引き受けました。


(12) 「トスカ」− (8) (1964年、ロンドン実況)

トスカ マリア・カラス
カヴァラドッシ レナート・チオーニ
スカルピア ティト・ゴッビ

フェリーチェ・チラーリオ指揮 コヴェント・ガーデン管

Catalogue Number 2564605440 カラス最後のロンドン公演

ジャコモ・プッチーニ作曲  1900年初演

カラスがコヴェント・ガーデンに出演した時の「トスカ」の画像です。パリの場合と同様、第2幕だけ撮ってあります。パリの画像と比較しますと、こちらの方がより鮮明ですし、低音部もまずまず含まれます。その結果、ティト・ゴッビのバリトンも始めからオドロオドロしく響きます。舞台装置はパリのものより落ちていたでしょうか。また失ったものとして、カラスの顔に皺が目立つようになったこと。そして腕も少し前より太ったみたい。この時1962年、カラスは40歳。代わりに得たものはもの凄い演技力です。コレは本当に素晴らしい。声だけを聴いてクビをかしげることがあったのですが、視覚を加えた印象になるとまるで違うのです。カラスの表情の変化に注意して下さい。よくあんなに変わるものだと思います。


(12) 「蝶々夫人」− (1) (1951年、スタジオ録音)

蝶々夫人

レナータ・テバルディ

ピンカートン ジュゼッペ・カンポーラ
スズキ ネル・ランキン
シャープレス ジョヴァンニ・インギレッリ
ゴロー ピエロ・デ・パルマ
ボンゾー フェルナンド・コレナ
アルベルト・エレーデ指揮 聖チェチェーリア音楽院管
(SET 478 1535)  478-1897-98
ジャコモ・プッチーニ作曲  1904年初演

テバルディ初の「蝶々夫人」の録音です。実際彼女がこの録音で見せた勢いが感じられます。まだ全体のエネルギー配分が思うようになっていないのですが、それは最初からは無理でしょう。登場の場面では録音レベルが小さくなっているため分かりにくいのですが、遠方に音を飛ばそうという意思が弱く、第2幕に入って、ようやく遠方まで届くようになりました。これはテバルディだから出来ることだということが分かりました。カンポーラのテノールは音量が少しだけ弱いのかも知れませんが、チェーザレ・ヴァレッティなどと比較すると、立派に出ています。カンポーラの声質が少しカルロ・ベルゴンツイに似ていることに気がつきました。シャープレス役のインギレッリと共に、甘い声質を持っています。エレーデの指揮は、テンポが遅めですが、まずまず。テバルディは最後のシーンの前で、怒鳴り声みたいに響く所があります。あそこだけ少しなんとかしたい。なかなか良く出来た楽譜だと思うのですが、終幕部に向かう直前の音楽が7分以上費やすのですが、なんとか縮められませんか。


(12) 「蝶々夫人」− (2) (1956年、スタジオ録音)

蝶々夫人 マリア・カラス
ピンカートン ニコライ・ゲッダ
スズキ ルチア・ダニエリ
シャープレス マリオ・ポリエルロ
ゴロー レナート・エルコラーニ
ボンゾー フリニオ・クラバッシ
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 スカラ座管
TOCE-59407/8
ジャコモ・プッチーニ作曲  1904年初演

マリア・カラス唯一の「蝶々夫人」ですが、第1幕と第2幕で印象が少し違います。カラスはこの日本人女性をよく解釈したと思いますが、第1幕では、子供の声を擬態していて、余り好きではありません。この第1幕ではカラヤンの「蝶々夫人」という印象がするのです。実際ソプラノの声よりも、オーケストラの音が素晴らしい。ゲッダの歌うピンカートンはどうという事のないピンカートンですが、私の好きな声ではありません。この終幕部に向かう重唱ではカラスは自分の存在を主張していますし、またその方が尤もらしい。ルチア・ダニエリのスズキはなかなか味わいのある声でした。第2幕はカラス本人に注意が集中しますが、カラヤンの指揮ぶりが、チョッと小ぶりかな。最後のアリアはカラスの独壇場でした。これを聴きながらなぜ私は、「蝶々夫人」を避けていたのだろう、という疑問が出て来ました。プッチーニの作曲手法も分かりましたし、やはり味わいの有る曲だと今は思っています。


(12) 「蝶々夫人」− (3) (1957年、スタジオ録音)

蝶々夫人 アンナ・モッフォ
ピンカートン チェーザレ・ヴァレッティ
スズキ

ロザリンド・エリアス

シャープレス レナート・チェーザリ
ゴロー マリオ・カルリン
ボンゾー フェルナンド・コレナ

エーリッヒ・ラインスドルフ指揮 ローマ・オペラ管

BVCC-8875/76

ジャコモ・プッチーニ作曲  1904年初演

声のパワーという点で遜色のあるモッフォの、精一杯のお化粧で化けたらこうなる、という感じの出来映え。まずラインスドルフの指揮はなかなか調子が良いときは良いと思います。だれないのです。私は「蝶々夫人」というオペラがこれほど微弱な楽節の組み合わせでできていることに、感心しました。ライトモチーフと言いましょうか、その感じで長々と続き、それを繰り返します。あそこにあった楽節が此処にも見つかった、というところ。またヴァレッティの声が足りず、やっとこさ、メロディーラインをトレースするのみ。モッフォは、有名な楽節よりも、対話のシーンで映えます。本人が大切と思う箇所は、最後に息を吐き出す方法で、其々の箇所で強調しています。しかしあまり多過ぎると、効果が減じます。第2幕ではモッフォの対話は真剣味を帯びていましたが、ただ、非声楽的な効果音(泣く場面が多過ぎる)が多いので、制限した方がもっと良くなる気がしました。久しぶりに聴く「蝶々夫人」ですが、思っていたほどの嫌らしさは有りませんでした。それは「ラ・ボエーム」でも、「トスカ」でも、「トウーランドット」でも言えますから、案外私もこれら4作に関しては、認めているのかもしれません。


(12) 「蝶々夫人」− (4) (1958年、スタジオ録音)

蝶々夫人 レナータ・テバルディ
ピンカートン カルロ・ベルゴンツイ
スズキ フィオレンツア・コソット
シャープレス エンツオ・ソンデルロ
ゴロー アンジェロ・メルクリアーリ
ボンゾー パオロ・ワシントン

トウリオ・セラフィン指揮 聖チェチェーリア音楽院管

SET 478 1535
ジャコモ・プッチーニ作曲  1904年初演

セラフィンはここでは表に出て来ません。あくまで黒幕です。ベルゴンツイは例によって、余りにキチンとしているので、私の興味をよばず。そしてレナータ・テバルディは予想どおりの歌い方ですが、その印象を平たくいえば、大きな声を要する場面では少し力んでいるような感じがします。その力を納められる場面では、素晴らしい声です。この録音はテバルディにとって2度目ですが、最初の盤と比して感じるのは、あとの盤の方が力ずくで声を出しているような気がします。このままでも十分なのですが、敢て比較すると、旧盤の方はより声はナチュラルです。カラスと比較しますと、前半はテバルディの、そして後半はカラスの勝ちです。


(12) 「蝶々夫人」− (5) (1959年、スタジオ録音)

蝶々夫人 ヴィクトリア・デ・ロスアンヘレス
ピンカートン ユッシ・ピョルリンク
スズキ ミリアム・ピラツイーニ
シャープレス マリオ・セレーニ
ゴロー ピエロ・デ・パルマ
ボンゾー パオロ・モンタルソロ
ガブリエーレ・サンティーニ指揮 ローマ・オペラ管
TOCE-9936-37
ジャコモ・プッチーニ作曲  1904年初演

全体を聴き終えた時の感じは、部分的に得られる感想とは全く異なります。ロスアンヘレスは余り変化せずに歌って行きますが、ピョルリンクは少し違って聴こえます。当初はピンカートンという若者をどう歌ったとしても同じだよ、と聴こえたのです。まるで風呂上がりのオッサンが湯気をたてながら喉を震わす、という調子。あまり好ましく有りません。まるで他人事みたいに考えている感じです。ただし後半では態度がキリっと変わり、真剣さが感じられました。いずれにせよ、第1幕での2人の重唱等は、あまり芝居気が無いようです。第2幕以降、最後に向かって真剣さが感じられます。これはサンティーニの指揮のおかげ。ピラッツイーニのスズキは、声も技術も大した事ありません。でも以前彼女のアダルジーザがマトモだったのに、それを思わせないのです(カラスのローマにおける「ノルマ」中止事件)。


(12) 「蝶々夫人」− (6) (1962年、スタジオ録音)

蝶々夫人 レオンタイン・プライス
ピンカートン リチャード・タッカー
スズキ ロサリンド・エリアス
シャープレス フィリップ・メーロ
ゴロー ピエロ・デ・パルマ
ボンゾー ヴァージリオ・カルボラーリ

エーリッヒ・ラインスドルフ指揮 RCAイタリア・オペラ管

82876-82622 2
ジャコモ・プッチーニ作曲  1904年初演

ラインスドルフはオペラの感じをよくつかんでいるようで、結構上手いと思いました。プライスは当初はともかく、第1幕の重唱では遠くから声を投げているような感じ(野球でいうシュート見たいに、手元を離れてのちにグッと高速化する)で、それはテクニックがまるでドラマティック・ソプラノ見たいです。対するタッカーは余り声がなく、声もやや寒い感じです。古い記憶ですが、タッカーが来日した時、あまり人気が出ないことを本人が寂しく思っている、と書いてあったのを思い出します。プライスは第2幕以降、油気が抜けてしまい、ぱさぱさした感じが残りました。やはりこの曲は声楽家にとって危険だ、ということでしょうか。キャスティングの中に、アンナ・ディ・スタジオがケティ役を努めていること分かりました。懐かしい。


(12) 「西部の娘」− (1) (1958年、スタジオ録音)

ミニー レナータ・テバルディ
ジョンソン マリオ・デル・モナコ
ランス コーネル・マックネイル
ウオーレス ジョルジョ・トッツィ
フランコ・カプアーナ指揮フィレンツエ音楽祭管、1958年録音
UCCD-3344/5
ジャコモ・プッチーニ作曲  1910年初演

全体に無難な音域しか使わないため、テバルディはそれなりに巧く歌っています。それでも何カ所か耳を疑うような高音があって、そこではテバルディは強い声でカバーしています。本当にこの「強い声」でピアニシモの代わりにするのはソプラノにとって末期的と考えます。この時点でのテバルディの録音年齢を調べました。すると1958年と出てきましたので、それなら問題ないはずなのに、と不思議な感じです。昔イタリア・オペラ団の日本公演で、この曲をアントニエッタ・ステルラが歌っていましたが、その際の演技が良かったと評されていたので、この公演を見聞きしていない私は特に興味を持っていましたが、ステルラの方がテバルディよりも若干高音が出るんですね。あとのキャストはデル・モナコのジョンソンもまあこんなものか、と言えるような歌唱で、特に感心するものではありません。マックネイルのランスも同様。終わったときは漸く「終わった」という感がしましたが、オペラ全体を観てもそう思えるのは残念でした。考えてみれば私がニューヨーク時代にC君より「自分が観たオペラは『西部の娘』と『薔薇の騎士』だけだよ」と告げられたことがあります。しかも「西部の娘」はレナータ・テバルディで聴いたというのです。最初が無理だったね、というのが私から精一杯の慰めの言葉でした。ここでは私は「西部の娘」が終わってホッとしています。


(12) 「つばめ」− (1) (1996年、スタジオ録音)

マグダ アンジェラ・ゲオルギュー
ルジェロ

ロベルト・アラーニャ

フルニエ ウイリアム・マッテウッティ
リゼッテ インヴァ・ムーラ
ランバルド アルベルト・ニナルディ
アントニオ・パッパーノ指揮ロンドン響
5 56338 2
ジャコモ・プッチーニ作曲  1917年初演

コレは一部、製盤不良があったものの、全部を無事に聴き終えました。音が何ともゆったりしているため、あまり緊張感はありません。そのゆったり感は聴く方の態度にも直に反応してしまい、聴いたような、聴いていないような、という風で余り必死で聴いた印象が残りません。そういう種類のオペラだと思えば良いと思います。歌手では主役の二人ゲオルギューとアラーニャは素晴らしい声でした。特にゲオルギューはこれならヴィオレッタを巧く歌えたのも当然だと思います。指揮者のパッパーノは可もなく不可もなしという感じ。しかし私に残された時間を考えると、余り繰り返して聴く気は起きないと言ったら言い過ぎでしょうか。


(12) 「外套」− (1) (1961年、スタジオ録音)

ミケーレ ロバート・メリル
ジョルジェッダ レナータ・テバルディ
ルイージ マリオ・デル・モナコ
ラ・フルーゴラ ルチア・ダニエリ
ランベルト・ガルデルリ指揮フィレンツエ音楽祭管
POCL-3959/61 (この中に含まれる)
ジャコモ・プッチーニ作曲  1918年初演

各キャストは其々想定年齢があげてあって、ミケーレの50歳は最もらしいが、ジョルジェダは25歳、ルイージは20歳だといいます。またラ・フルーゴラは50歳を想定していますが、どう聴いてもテバルディは老けすぎていますし、デル・モナコは10歳以上サバ読みです。逆にダニエリは耳障り良く歌っていますから、あれで50歳を想定するのは困難です。私はむかしダニエリを聴いたことがありますが、素晴らしい声でした。それをここでは50歳にしています。またテバルディとデル・モナコという二大看板がもっと若い人でもよかった、と思います。むしろその方が成功したでしょう。と書くことは私がこのCDに疑問を持っていることを示します。


(12) 「修道女アンジェリーカ」− (1) (1961年、スタジオ録音)

修道女アンジェリーカ レナータ・テバルディ
公爵夫人 ジュリエッタ・シミオナート
修道院長 ルチア・ダニエリ
修道長 アンナ・ディ・スタジオ
ランベルト・ガルデルリ指揮フィレンツエ音楽祭管
POCL-3959/61 (この中に含まれる)
ジャコモ・プッチーニ作曲  1918年初演

キャストはそれぞれ役割を果たしていますが、シミオナートを除いて役柄上に少しずれがあります。まずテバルディですが、後の方のシーンでは全くの叫び声になっています。これは困ったことです。もっと若いフレー二の方が相応しかったことを示します。そもそも「3部作」をこの時期に急ぐ理由がないため、余り気乗りしないのですが。


(12) 「ジャンニ・スキッキ」− (1) (1961年、スタジオ録音)

ジャンニ・スキッキ フェルナンド・コレナ
ラウレッタ レナータ・テバルディ
ツイータ ルチア・ダニエリ
リヌッチオ アゴスティーノ・ラッザリ
ランベルト・ガルデルリ指揮フィレンツエ音楽祭管
POCL-3959/61 (この中に含まれる)
ジャコモ・プッチーニ作曲  1918年初演

これは面白い曲でした。例の「私のお父さん」がありますが、テバルディはぐっと押さえて歌っています。これはその方が良い。ただしふと思うのですが、もっと若い人でも良かったのでは無いでしょうか。死人の周りにひしめく親戚一同が何を考えていたのか分かってしまう音楽。あのざわめきはリアルでした。


(12) 「トウーランドット」− (1) (1926年〜1932年、スタジオ録音)

トウーランドット エヴァ・ターナー
リュウ マリア・ザンボーニ
カラフ アウレリアーノ・ノベルティレ
ピン、ポン、ポン等 アリスティーデ・バラッキ
エットーレ・パニッツア指揮、スカラ座管など
CDH-7-61074-2
ジャコモ・プッチーニ作曲  1926年初演、フランコ・アルファーノ補筆

スカラ座の実況の場面では、音がぐっとしまります。またその部分では、指揮者の個性も映えます。ターナーの声は、1926年盤では音が化粧されていることが分かります。聴き易く、ドラマは生き生きとしています。


(12) 「トウーランドット」− (2) (1937年、スタジオ録音)

トウーランドット エヴァ・ターナー
カラフ ジョヴァンニ・マルティネリ
ジョン・バルビローリ指揮(不明)、ロンドン・フィル
CDH-7-61074-2
ジャコモ・プッチーニ作曲  1926年初演、フランコ・アルファーノ補筆

チーニャとほとんど同じ時期に、もう一人トウーランドットとして有名なエヴァ・ターナーがジョヴァン二・マルティネリを相手にロンドン(コヴェント・ガーデン)で録音したものが残っています。ターナーの声には突進力があります。雑音が目立ちますが、その代わり、声は美しさを増しています。この録音ではその他のキャストの出来映えはバラバラです。マルティネリの声も、トウーランドットと一緒のときでもあまり透るものではありません。


(12) 「トウーランドット」− (3) (1938年、スタジオ録音)

トウーランドット ジーナ・チーニャ
カラフ フランチェスコ・メルリ
リュウ マグダ・オリヴィエロ
フランコ・ギオーネ指揮、トリノ響
8.110193-94
ジャコモ・プッチーニ作曲  1926年初演、フランコ・アルファーノ補筆

古くプッチーニが死亡したばかりの頃に早くもレコード が録音されています。チーニャのは1938年のものが多く編集されています。チーニャの声は小さめの饅頭みたいです。美しく、耳を傾けたくなります。声量は余り無い模様ですが、例えればレナータ・テバルディがその全盛期に「トウーランドット」を歌うとすれば、このようになっただろうという所。音が小さい気がします。


(12) 「トウーランドット」− (4) (1955年、スタジオ録音)

トウーランドット インゲ・ボルク
カラフ マリオ・デル・モナコ
リュウ レナータ・テバルディ
ティムール ニコラ・ザッカリア
アルベルト・エレーデ指揮、聖チェチェーリア管
POCL-2553/4
ジャコモ・プッチーニ作曲  1926年初演、フランコ・アルファーノ補筆

音が鳴り始めた途端に、その音の深々した感じが良いと思いました。エレーデという指揮者はなかなか優れた指揮者だという昔の印象を思い出します。デル・モナコはほんの少しですが、高音が狙ったところから離れているようでした。でもほんの少しです。ボルクは高音がピシッと決まるので心地好い。これは工夫した結果でしょうが、それにしてもこの音は素晴らしい。リキんで、これから歌うぞって所が見事です。テバルディは大変立派ですが、立派過ぎるかも知れません。これでは主役の声。ただし年を取っていますから、少しだけ下げた方がよいのでは無いかと思います。


(12) 「トウーランドット」− (5) (1957年、スタジオ録音)

トウーランドット マリア・カラス
カラフ ユージニア・フェルナンディ
リュウ エリザベート・シュワルツコップ
トウリオ・セラフィン指揮、スカラ座響
CDS 7 47971 8
ジャコモ・プッチーニ作曲  1926年初演、フランコ・アルファーノ補筆

トウーランドットとして登場したマリア・カラスの声も納められていますが、ここでカラスの声は昔書いた寸評通り、乾涸びています(聴き方によりますが)。あとになるほど素晴らしい感情表現ですが、登場したばかりの所で声に問題があるのです。またここでリュウを担当するのがエリザベート・シュワルツコップですが、その声はカラスそっくりで、不注意だと気がつかないことも在るでしょう。シュワルツコップはそれなりに上手く、巧みですが、リートでなくオペラだという事に留意しますと、複雑な印象です。リュウの声もまるで年上の家庭教師みたいです。恐らく実際にはリュウは10代半ばでしょうから、もう少し若い方が良い。またここで指揮者に触れなければいけません。トウリオ・セラフィンが指揮しているのですが、大当たりでした。久しぶりに戻った娘との再会を喜んでいるようで、キビキビしています。3名の大臣たちを含め、全てが上手く行っていますし、また指揮棒が示すテンポを忠実にフォローしています。これなら素晴らしいと批評をして何も問題ありません。


(12) 「トウーランドット」− (6) (1959年、スタジオ録音)

トウーランドット ビルギット・ニルソン
カラフ ユッシ・ピョルリンク
リュウ レナータ・テバルディ
エーリッヒ・ラインスドルフ指揮、ローマ歌劇場管
RD85932Z(2)
ジャコモ・プッチーニ作曲  1926年初演、フランコ・アルファーノ補筆

ビルギット・ニルソンが主役を張りました。しかも相手のピョルリンクは同じスウェーデン人です。「身びいきの激しい」ニルソンにしてみれば格好のキャスティングです。ピョルリンクは声に潤いが少し欠けているようです。決定的というほどではなく、あと1mm脂身の厚みあれば、という程度ですが。テバルディはニルソンの手記をみれば分かることですが、ここではニルソンと戦っています。リュウの登場場面で全力投球しているのがひしひしと伝わってきます。それにしてもニルソンって何という歌手でしょうか!あらゆる場面で満場の聴覚を奪っています。凄い。おまけにニルソンが得意な高音はBまで自在です!テバルディは高音が得意でなく、Bがやっとこさ、なのと比すと、その違いは明らかです。テバルディだってこの盤では本当に素晴らしいと思いますが、それを上回るニルソンの高音は決定的でした。


(12) 「トウーランドット」− (7) (1965年、スタジオ録音)

トウーランドット ビルギット・ニルソン
カラフ フランコ・コレルリ
リュウ レナータ・スコット
モリナーリ・プラデルリ指揮、ローマ歌劇場管
HS-2088
ジャコモ・プッチーニ作曲  1926年初演、フランコ・アルファーノ補筆

それほどニルソンが素晴らしいなら、もう一つあるニルソンのスタジオ録音で、フランコ・コレルリのカラフ、レナータ・スコットのリュウというキャストではどんなものかを確かめることにしました。出始めは素晴らしいテンポで始まりましたし、おまけにスコットの歌が高音を伸ばして強から弱へ変化させる唱法でしたから、これは素晴らしいと思いました。例のテバルディはこれが不得意らしく、ついつい強から強へ変化なしで突っ込むやり方で自爆してしまうので、これはスコットを参考にしなければ、と思った次第。所が、ストーリーが進み,ニルソンの強い声が響き渡った時、どうもその強声に聞き慣れぬクセがあって、それは繰り返されたのです。平たく言えば、ニルソンも声が衰えたことを意味します。せっかく他の音が良いのに、これでは困ったなと感じた次第です。コレルリも絶好の調子でした。指揮者の最後のあたりの処理の仕方も堂に入ったのものでした。


(12) 「トウーランドット」− (8) (1966年、実況録音)

トウーランドット ビルギット・ニルソン
カラフ フランコ・コレルリ
リュウ ミレルラ・フレー二
ズービン・メータ指揮、メット響
G.O.P.756-CD2
ジャコモ・プッチーニ作曲  1926年初演、フランコ・アルファーノ補筆

これはメットの実況録音ですが、ほとんど録音年代は同じ1966年です。ここにおけるニルソンは素晴らしい調子でフォルテを張り上げます。本当にオペラの評価は難しい。これより1年前の録音の方が調子が悪い、という結果なのです。ですから実際にどうかは、その時の調子の善し悪しで評価するしか無いのです。これは大いに難しい。フレー二はこの実況盤の残りに、自らのリサイタル盤を入れておりました。これはうっかりすると見落としてしまいます。ほとんど同じ時期の1967年にニュージャージー州で行ったもので、そこにカルメン(ミカエラ)、アドリアーナ・ルクヴルール、フィガロの結婚、マノン、ロミオとジュリエット、外套、ラ・ボエームからアリアを録っています。それが上手いのです。特にジュリエットのアリアなど、あの舞踏会での場面など絶妙でした。ミミも上手いし、どうしてこういうアリア集の編成だとフレー二は上手いのでしょうか。これはホールの大きさに合わせてそこに十分な声量を届けることを考え、過剰なサイズを避けたのが効いていると考えます。実際これを聴き、既に聴いたテバルディの同様の曲を連想してみると、どっちが良いか即答できない感じです。


(12) 「トウーランドット」− (9) (1966年9月3日、実況録音)

トウーランドット ビルギット・ニルソン
カラフ ディミトリ・ユズノフ
リュウ モンセラ・カバリエ
フェルディナント・プレヴィターリ指揮、コロン劇場響
LS-1020
ジャコモ・プッチーニ作曲  1926年初演、フランコ・アルファーノ補筆

アルゼンチンは南米で北半球とは季節が違うため、ここでの秋の上演は良いキャストが取りやすいという利点があります。それで1966年9月3日に上演した「トウーランドット」は主役がビルギット・ニルソン、リュウはモンセラ・カバリエ、カラフはディミトリ・ユズノフによっています。音が余りクリアでなく、やや朦朧としていますが、雰囲気は良く伝わります。最初に気づくのはユズノフの声に何か不純物が混じったようなものが含まれていることです。トウーランドットでは余り大きな傷ではないのですが、それでも「誰も寝てはならぬ」の後でもう少し透明感と若さを感じさせればなあ、という不満も出ます。カバリエは透明感のある声で歌っていますが、少し声が一本調子かなという小さな不満。そしてニルソンはさすがに元気一杯で、堂々たるトウーランドットを演じています。これに関しては不満は有りません。指揮者のフェルナンド・プレヴィターリの全体に急ぐようなテンポが心地良く、ざっと聴いたかぎり何も不満はないばかりか、トウーランドットを巧みに演じています。一つ驚いたのですが、第2幕の開始のところが2枚目のCDへ移行しないで、その前のCDの最後に収納してあります。こういう収納が良いか悪いかは悩ましいところ。


(12) 「トウーランドット」− (10) (1969年、映画版)

トウーランドット ビルギット・ニルソン
カラフ ジャンフランコ・チェッケレ
リュウ ガブリエルラ・トウッチ
ジョルジュ・プレートル指揮 トリノ響
映画→DVDで保管
ジャコモ・プッチーニ作曲  1926年初演、フランコ・アルファーノ補筆

さらにイタリア録画の「トウーランドット」芝居版があり、ビルギット・ニルソンが主演し、ジャンフランコ・チェッケレのカラフ、ガブリエルラ・トウッチがリュウを歌うものを持っています。そしてジョルジュ・プレートルが公共放送機構のオーケストラ等を指揮しています。これは映画版ですから、いわば吹き替え版に近く、音は全て生々しく響きますし、通常の録画とは違います。ニルソンは美しく、声は全盛期の輝きを持っています。このくらい出ないと、トウーランドットに相応しいとは言えないのですが、これなら合格です。それに対しカラフは吹き替えがありありと分かってしまい、まるでデル・モナコの吹き替え見たいに響きました。英雄的であり、低音部から高音部を出すのが上手すぎるという印象です。トウッチは声が大きくテイクされていて、声の大きさでは別段問題はありません。実際にこれだけ出れば、満足です。ニルソンの表情が3幕後半で変わったかという疑問が残り、これはニルソンのおごった姿と喉だったという印象があります。気になるのは、チェッケレの声は本当でしょうか。デル・モナコにソックリの声が聴けるのですが。


(12) 「トウーランドット」− (11) (1972年、スタジオ録音)

トウーランドット ジョーン・サザーランド
カラフ ルチアーノ・パヴァロッティ
リュウ モンセラ・カバリエ
ズービン・メータ指揮、ロンドン・フィル
414-274-2
ジャコモ・プッチーニ作曲  1926年初演、フランコ・アルファーノ補筆

サザーランドをタイトルロールとする録音があります。サザーランドが若い頃、その声の巨大さを生かすには、押さえてベルカントものをうたう、ワーグナー歌手への転換をする、という二つの選択肢を持っていたそうです。これは夫君のリチャード・ボニングの意見により、彼女はベルカントものを歌うことにしたそうです。それが1973年に至り、レコード録音として「トウーランドット」を歌う事にしたそうです。その代わりボニングの指揮でなく、ズービン・メータが指揮棒を取りました。その出来映えは、多くのヒトの関心を集めましたが、まず音が新鮮で、全ての楽器がよく鳴っています。まるで白黒映画から70mmのフルカラー映画に切り替わったような印象です。リズムを揺らすところもチャンと揺れています。そしてパヴァロッティの歌うカラフも歌としての出来映えは素晴らしい。ただ、パヴァロッティが年を取っているような気もします。パヴァロッティの声がタタールの王子様、という設定が怪しいと思いました。全く同じ事がモンセラ・カバリエの歌うリュウにも言えて、ここで聴くリュウは実に上手いのですが、それが少し年を取ってしまったよう聴こえます。これらは贅沢な悩みですから、気にしないで下さい。最後のソロで、サザーランドは声を少し弱めますが、あれが愛に目覚めた事を表すのでしょうか。


(12) 「トウーランドット」− (12) (1987年、実況録音)

トウーランドット エヴァ・マルトン
カラフ プラチード・ドミンゴ
リュウ レオーナ・ミッチェル
ジェームズ・レヴァイン指揮、メット響
Catalogue Number 0730589
ジャコモ・プッチーニ作曲  1926年初演、フランコ・アルファーノ補筆

もう一つ、エヴァ・マルトンとプラチード・ドミンゴのコンビによる「トウーランドット」の画像があり、現在ではDVDに保存されています。1987年のメトロポリタン歌劇場の実況。どこから見ても米国人好みのキンキラキンの演出ですが、それもよし。マルトンは途中、急に声が大きくなるパッセージだと、そこの声量がぐっと増します。その際、マルトンはチョッと歯を見せるのですが、あれだけでトウーランドットの感情が変化したというのはやや難しい(後述のニルソンも最後に歯を見せますが、あれでは無理)。ドミンゴは全曲で確かに歌っています。またここでリュウを担当しているのがレオーナ・ミッチェルですが、ミッチェルは小型の体躯を生かして歌い、リュウに要求されるあらゆる面を満足させます。


(12) 「トウーランドット」− (13) (2008年、実況録音)

トウーランドット イレーネ・テオリン
カラフ ワルテル・フラッカーロ
リュウ 浜田理恵
アントネルロ・アルレマンディ指揮、東京フィルハーモニー
TV RAI uno (DVD)に保管
ジャコモ・プッチーニ作曲  1926年初演、フランコ・アルファーノ補筆

我が国の第2国立劇場でやった「トウーランドット」の公演。これはイタリア喜劇の形式を踏んでいて,最後は現代に戻ります。中々心地よい音でした。イレーネ・テオリンのトウーランドット、カラフがワルテル・フラッカーロ、浜田理恵がリュウというキャスティングでした。アントネルロ・アルレマンディ指揮の東京フィルハーモニー管弦楽団、児童合唱はNHK児童合唱団でした。放映されたものを録画したのですが、テープの公開は2008年10月7日と10日でした。テオリンは目下売り出し中、NHKやバイロイトで色々な役柄を歌っていますし、浜田理恵も国内でホフマン物語のジュリエッタなどを歌っています。喉はよく開いていますが、ちょっと乱れることがあります。後半喉を旋回するところでは声の良さが見られます。テオリンは高い音が自由ですが、中音部から低音部は苦しい。とくに低音部は出ていません。そのかわり高音の強音にかんしては文句ありません。浜田理恵は声が細かく揺れることを追加しておきます。


プッチーニの音楽を聴く
1964年頃の米国のBell Telephone提供の番組をDVDに焼いたものがあります。そこでニルソンはプッチー二「この宮殿の中で」を歌っていますが、本当に堂々たる歌いぶりで、あれならカラフが何を言っても無駄だろうと思えるものでした。あと出演している歌手の名を挙げますと、レオンタイン・プライスとジョーン・サザーランド。レオンタイン・プライスは堂々としてヴェルディ「運命の力」を歌い、テバルディはポンキエルリ「ラ・ジョコンダ」を歌っています。いずれも全盛期の味を残している時代のものです。サザーランドは歌謡曲も歌っていますが、もう一つドリーブ「鐘の歌」を歌っています。この「鐘の歌」をDVD(メトロポリタン歌劇場の100年)ではリリー・ポンスが軽快に歌っています。ポンスも悪くない。ここではジェラルディン・ファラーが大きく取り上げられていて、ファラーが米国人に取って女神だったことを痛感します。とにかく我々は遠い日本にいますから、ローザ・ポンセルに比してしまうのですが、もう少しポピュラーな歌手も人気があったのです。そしてキルステン・フラグスタートの登場と、ワルキューレの雄叫びのシーンが入っており、またマリア・カラスの劇的な登場も収録されています。ニルソン、サザーランド、プライス、テバルディの4名に関して、みなこれぞプリマ・ドンナって感じで、堂々としています。ほとんど首を動かさないところがプリマ・ドンナの条件なのですね。

さらに続きを見ようと思いファイア・ストーンのプログラム集等から抜粋してみました。古いシリーズは、歌謡曲のようなものが多いのですが、中にはクラシックも含まれます。エレノア・スティーバーの歌の中に「蝶々夫人」の「ある晴れた日に」があり、テバルディの歌シリーズには「蝶々夫人」、「ラ・ボエーム」、「トスカ」が含まれます。まず「トウーランドット」ですがこれはDVDになっていますが、エヴァ・マルトンが歌います。これは立派。

ニルソンが米国ベル・テレフォン・ショーに出演した時のものもあります。堂々たるものですが、トウーランドットに関してはやや散漫な印象でした(ここでは「この広い宮殿の中で」を歌っています)。あと着替えてワーグナー「タンホイザー」、ヴェルディ「マクベス」、ヴェルディ「運命の力」、そしてご存知ワーグナー「ブリュンヒルデの自己犠牲」の一部を歌いますが、やはりこれですよ。ニルソンの本領を発揮するものはやはりワーグナーだろうな、ということを痛感しました。

歌のリスト
「トウーランドット」を短く理解しようと、いわゆるハイライト盤を作りたいと思っても、そういうものは余り存在しません。もっともプッチーニらしい音楽というものが余り魅力がないのかも知れません。だからといってオーケストラが派手に鳴る第2幕後半を選ぶと必ずしもプッチーニでないという事情があります。古い録音媒体に見つかる歌を下に整理します。

  1. リチア・アルバネーゼ、リュウの方を歌っています。案外巧い。
    リュウだけ歌っています。1945年録音
  2. アントニエッタ・ステルラ、リュウのみですが、これにツヤが欲しい。
    アルバネーゼより少ないのです。1955年録音
  3. レオンタイン・プライス、リュウのみ。ごく普通の出来上がりです。1960年録音
  4. アンナ・モッフォ、リュウのみ。声が出ていますが、ある音域をはみ出すと急に出にくくなります。意外です。他の領域は良い。1960年録音
  5. レナータ・テバルディ、トウーランドットの方を歌っていますがあるフレーズは柔らか過ぎ、別のフレーズは固過ぎで、一貫せず。1964年録音
  6. キリ・テ・カナワ、リュウのみを歌っている。さっと聴く分にはこれで十分かも知れません。2000年録音
  7. ジェーン・イーグレン、トウーランドットの方を歌っています。これは期待して買ったのですが、ダメでした。体格が良くても声が出ていない。2000年録音。

いずれにせよ、プッチーニは若い(若かった)のです。最初に書いた「ヴィリ」は明治16年の作品ですし、「ラ・ボエーム」が明治28年、「トスカ」が明治32年、「蝶々夫人」は明治38年、そして「トウーランドット」は大正12年の作品です。これなら、どこかご近所にこの曲を聴いた人がいても不思議ではないのです。プッチーニはその時代の人々の感性を捕まえる名人でしたから、あのアイス・スケートの定番曲に、「トウーランドット」のアリアが採用されても不思議は無いのです。


 

千葉のF高












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