クリスマスに相応しいオペラ

モノローグ(283) 2曲の比較視聴 Dec.5,2016

クリスマスに良く上演されるオペラを紹介いたします。できれば実演をご覧下さい。やはり折角のクリスマスですから、歌い方より雰囲気が大切ですね。ここではクリスマス・シーズンにピッタリの音楽として「ヘンゼルとグレーテル」と、「こうもり」を取り上げます。クリスマスの本来の意味は色々ありますが、やはりあの雰囲気は楽しく、素晴らしいと感じます。大体、どうして「ヘンゼル」や「こうもり」なんだと言う事ですが、これも本当の理由は分かりません。それでも町中が飾り付けられ、ホット・ワインの香りが町中を埋めるのです。町のコーナーには屋台が出て、クリスマスのキャンデーやクッキーが並べられます。そしてクリスマスの飾り物も。全体をクリスマスマーケットと呼びます。ああいう所には立っているだけでも楽しい。私は家内と一緒に、ミュンヘンのその種のお祭りの夜を楽しんだことがあります。日中は会議三昧でしたが、夜家内と一緒にアウトバーンをタクシーで40分くらい走り、ミュンヘンに行きました。ここでは誰にも会わないだろうと思っていましたが、肩をトントンと叩かれるのを感じて振り返ったら、仕事仲間のアメリカ人が、奥様と一緒にそこに立って居たのですよ。考えることは皆同じで、会議後ミュンヘンまで出て来ていたのです。僅か7名参加の会議のグランドフィナーレでした。


(1) 「ヘンゼルとグレーテル」(1981年、スタジオ録音)

ヘンゼル ブリギッテ・ファスベンダー
グレーテル エディタ・グルベローヴァ
父親 ヘルマン・プライ
母親 ヘルガ・デルネシュ
お菓子の家の魔女 セナ・ユリナッチ
眠りの精 ノーマ・バロウズ
暁の精 エルフリーチ・ヘーバルト
ウイーン少年合唱団
アウグスト・エヴァーディンク振付
ゲオルク・ショルティ指揮 ウイーン・フィル
UCBG-9111(上記の演奏はこの番号で保存)
エンゲルベルト・フンパーティンク作曲 1893年初演

ワーグナーの熱心な信望者だったフンパーディンクの手によるクリスマス向けのおとぎ話が、このオペラ「ヘンゼルとグレーテル」です。もともと欧米ではクリスマスのシーズンには「ヘンゼルとグレーテル」、「こうもり」、「ピーター・パン」、「胡桃割り人形」そして「青い鳥」といった演目が公演会場を埋めます。オペラになったのは前2 者ですが、ここに以前書いたことのあるヨハン・シュトラウスの「こうもり」を変形し、また新たに「ヘンゼルとグレーテル」を書くことにしました。元々「ヘンゼルとグレーテル」はLP盤のものを持っていましたが、この際、DVD盤を新調しました。なかなかのキャストで、ユリナッチが魔女役だなんて贅沢。音楽はあっけなく始まりますが、この音楽は平板にちかい。その代わり画像は立派で、各キャストによって引き起こされる状況の変化は上手く表されています。

始めの頃の場面で起きる主人の帰宅後にわかる幸運の食料品は楽しい。それから色々な不都合が起きるのですが、食料を探しに子供達だけで森の奥へ出かけたことを知った両親がうろたえる場面も分かり易い。このオペラになったバージョンでは、両親とも善人であること、それが子供達だけで魔女をやっつけるという仕掛けになっています。これは子供達を対象とするオペラにとっては不可欠でしょう。この管弦楽はショルティを持ってしても、やはり平板ですが、それはこちらが態度を変えなければなりません。未成年者でもまずはこういうオペラから馴染むのは良い事だと思います。子供達が集まる音楽会の会場がワーグナーの館のヴァンフリートに似ていたので調べたのですが、DVDを納めたケースには何も書いてありません。そのかわりヴァンフリートの方を調べた所、屋根を飾る装飾を除けばやはりヴァンフリートだと思いました。ここで歌っている歌手達、ブリギッテ・ファスベンダーのヘンゼルと、エディタ・グルベローヴァのグレーテルというコンビも正解でした。あまり買っていないグルベローヴァも万全でしたし、それは最後の幕で明らかにされます。ファスベンダーのクセ、体を前後左右に揺らすのはここでも見られましたが、それも構わないでしょう。そしてヘルガ・デルネシュの母親と、ヘルマン・プライのコンビによる両親も立派。そしてセナ・ユリナッチの魔女は何とも愉快なできばえでした。つまりおとぎ話のとおり、怖い魔女には違いないが、憎むべき魔女ではありません。あそこに魔女の絶叫が入れば、とも思ったのですが、それは止めて正解でした。

なぜ「ヘンゼルとグレーテル」がクリスマス特有なのか、を考えると不思議な気もするのですが、むしろこれはクリスマス故に子供達も大人と一緒に楽しめるものだから、という見方が正解だろうと思います。「ヘンゼルとグレーテル」を純音楽として捉えると不満もあるかも知れませんが、やはりこれは楽しむための音楽であり、そのために巧みに設計されたものでしょう。ドイツ人達が考え出した巧妙な音楽イベントです。そして期せずして「ヘンゼルとグレーテル」はモーツアルトの「魔笛」を思わせます。あの「魔笛」だって演出によりますが、子供達が十分楽しめます。あそこに登場する人形とか、動物達は大人でも子供でもたのしめます。しかも純音楽として吟味すると100%音楽そのものです。だれが「魔笛」に文句を付けるでしょうか。これはモーツアルトの天才のなせる技です。モーツアルトはなにも考えずに、その巧みさをとりあげましたが、我々凡人はそこから思う存分エキスを取り出し、そして子供向きにだってかえる事ができるのです。

ここにノミネートされた歌手を考えると、エディタ・グルベローヴァは頂点を極めた年であり、それが華々しく歌っているときは、この人はまだピークにいる、と合点が行きます。そしてブリギッテ・ファスベンダーはズボン役として「薔薇の騎士」等を歌いまくっていました。そしてヘルガ・デルネシュはホッホ・ドラマティッシュで行くか、それともメゾ・ソプラノ路線に乗り換えるか迷っている頃です。どちらでも十分に通用します。そしてヘルマン・プライは最も豊かな時間を過ごしていました。そして最後に妖婆を歌うセナ・ユリナッチの堂々たる歌唱。これは素晴らしい。まだ、まだ歌えそう。一カ所ある高音は本当に堂々としていました。私はユリナッチを高く買っています。これらの名品を揃えたショルティにも乾杯。この人は何事でも熱心ですからね。ここでも手抜いていません。ウイーン少年合唱団も立派。


(2) 「こうもり」− (1) (1950年、スタジオ録音)

ロザリンデ ヒルデ・ギューデン
アデーレ ウイルマ・リップ
アイゼンシュタイン ユリウス・パツアーク
刑務所長フランク クルト・プレーガー
ファルケ アルフレード・ペル
オルロフスキー大公 ジークリンデ・ワーグナー
アルフレード アントン・デルモータ
クレメンス・クラウス指揮 ウイーン・フィル
POCL-3078/9
ヨハン・シュトラウス作曲 1874年初演

これは良いと思います。妙ないじくりがなく、素直に会話を大幅に省いた版を採用しています。最初はテンポが少し遅いのかな、と思えましたが、暫くすると全く「こうもり」向きの快適なテンポになりました。なにより良かったのは、最初アデーレの歌が流れ始めた時、それが完璧に訓練されたソプラノ歌手の声だったのです。これは正直なもので、我々は聴いていて、それが本物かどうかを即座に判断できます。先日のミンコフスキー指揮盤で感じたいらだちが綺麗に消えてくれました。やはり「こうもり」ならこうでなければ、と実感。歌手達はみな巧く、これと言った欠点は見あたりません。私はカラヤン盤の「こうもり」の次に(あまり順位は問題ではありません)これを押したいと思います。1950年の録音とありますが、LPが音楽録音の武器になって来た頃です。この「こうもり」はその資質を持った指揮者を、うまい時期に捕まえた録音として歓迎したい。


(2) 「こうもり」− (2) (1955年、スタジオ録音)

ロザリンデ エリザベート・シュワルツコップ
アイゼンシュタイン ニコライ・ゲッダ
アルフレード ヘルムート・クレプス
アデーレ リタ・シュトライヒ
フランク カール・デンヒ
ファルケ博士 エーリッヒ・クンツ
オルロフスキー大公 ルドルフ・クレスト
イーダ ルイーゼ・マルティーニ
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮フィルハーモニア管
TOCE-9143-44
ヨハン・シュトラウス作曲 1874年4月初演

さっそうたるカラヤンの「こうもり」です。シュヴァルツコップもシュトライヒも全盛期の声を聴かせます。おまけにカラヤンがキビキビしたテンポで、たるみがなく、本当にこれは素晴らしい「こうもり」ではないかと思います。これは(4)にある2001年ザルツブルクでの「こうもり」と対比すると、両者の違いは明らかです。あくまで音楽としての「こうもり」がコレです。大体「こうもり」に意味をこめるなんて必要かしら?人は、年末の忙しかった頃を惜しみつつ、その年を越す時に「こうもり」を聴きたくなるのでは無いでしょうか。すくなくとも私は、「こうもり」を求める際には他の目的はありません。素晴らしい。


(2) 「こうもり」− (3) (1990年、実況録音、サザーランドの引退)

ロザリンデ ナンシー・グスタフソン
アイゼンシュタイン ルイス・オライ
アルフレード ヘルムート・クレプス
アデーレ ジュディス・ハワーズ
フランク エリック・ギャレット
ファルケ博士 アントニー・ミカエル・モーア
オルロフスキー大公 ヨハン・コワルスキー
リチャード・ボニング指揮ロイヤル・オペラ管
TOCE-9143-44
ヨハン・シュトラウス作曲 1874年4月初演

英語公演の記録ですが、「こうもり」であり、大晦日公演ですし、加えてサザーランドの引退公演ですから、余りゴチャゴチャいうのは止めましょう。それに加えこの公演は、これがサザーランドの告別演奏会だということです。そしてマリリン・ホーンとルチアーノ・パヴァロッティが登場します。彼らは礼儀を守っていますが、なかなか聴き映えがします。それでもホーンの声が少し衰えたような気がしましたが、全体には瑞々しさを保っています。劇中、ロッシーニ「セミラーミデ」の中にあるアルサーチェとセミラーミデの2重唱がありますが、これは良かったと思います。「こうもり」の中でも、ヴェルディ「椿姫」やモーツアルト「フィガロの結婚」、プッチーニ「トウーランドット」等からの引用がありますが、それらは観客からの拍手で明らかにされます。日本ではチョッと難しそう。主役のロザリンデは第1幕ではやや声が滑り気味で、何となくアデーレ役が示す切れ味に押されているような気がしましたが、第2幕では回復し、堂々たるロザリンデを演じていました。有名歌手の引退公演にこの「こうもり」がよく付随するのですが、全体として成功でした。第3幕であった俳優による一人漫才も堂にいっていました。


(2) 「こうもり」− (4) (2001年、スタジオ録音)

ロザリンデ ミレイユ・デルーンシュ
アイゼンシュタイン クリストフ・ホムベルガー
アルフレード ジェリー・ハドリー
アデーレ マリン・ハルテリス
フランク デイル・デューシング
ファルケ博士 オラフ・ベーア
オルロフスキー大公 デーヴィット・モス
マルク・ミンコスキー指揮ザルツブルク・モーツアルテウム管
ザルツブルク音楽祭2001年
Catalogue Number 100341
ヨハン・シュトラウス作曲 1874年4月初演

やっとこの曲を聴き終えたという感じです。一体何を言いたいのかが分かりません。ここに登場する歌手達も、果たしてこれは本職だろうか、それとも劇団員なのか、と疑いながら聴きました。ソレくらい声が不安定で、ようやく高音を出しているからソプラノだろうか、という感じなのです。ロザリンデもアデーレもそうなのです。アイゼンシュタインは始めから役者だという事が分かっていましたし、やがて本性が現れたオルロフスキー大公は苦しそうな発声でしたし、あれはそういうものだ、ということが分かりました。なかでもファルケが一番目障りでした。全体のストーリーの中では重要な役割を演じているのは分かったのですが、正直なところ、ファルケが現れるとため息を付いていました。そこに登場する役柄も、毛沢東まで引用されていたり、ユダヤがどうとか、シェーンブべルクがどうとか、本筋に無関係な場面が多く、一体これは劇団員の同窓会なんだろうか、とも思いました。私の期待したのと余りに食い違っていたため、厳しい事をかきましたが、勿論そういうのが好きな方は、まさにコレが「期待に答える作品」になるのです。私にはヨハン・シュトラウスの歌劇「こうもり」は殆ど聴こえて来なかったのですが。

それでは皆様、良いお年を!


 

千葉のF高












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