温故知新:古い録音を聴いてみよう

モノローグ(286) Sep.29, 2017

 

モーツアルト「オペラ作品その他」「交響曲」

ここで取り上げるのは、コンサートで上演されるものだけですからご注意。本当のオペラ上演はここには含まれません。ここに登場しない「ドン・ジョヴァンニ」は決して人気がないのでなく、事実は逆です。

さて1930年-950年代の演奏を論じようとすると、どうしても戦争の影が感じられますし、それを抜きにしては音楽を論じ難くなります。ワルターのような指揮者は、まさにその筆頭みたいな人です。もしあの時点でウイーンに踏みとどまることが可能だったら、と様々なことを想像しますが、既に時遅し。余りにとんでもないことが起きたのです。絶頂期が失われたこと、も挙げられます。トスカニーニはワルターとは音楽上の意見が違うにもかかわらず、徹底してワルターの立場を支持し続けたのは立派でした。フルトヴェングラーとは表向き意見が全く合わなかったそうですが、フルトヴェングラーの本心はどうだったのでしょうか。メンゲルベルクは明らかにナチスよりの姿勢だったため、今日ではメンゲルベルクの残した録音は、開けっぴろげには楽しめない雰囲気をもっています。本当にナチスの影響というのは計り知れないのです。今日でも海外渡航VISA取得に当たってナチス条項というのが残っています。普段は余り気にしていないのですが、欧米の目はナチスに神経を尖らせています。複雑な国際事項です。私のようにギリギリの戦前生まれ(1945)の目でみれば、あれはどうしても逃げられない原罪のような感じ。ここではワルターとトスカニーニという理想的な関係に喝采したいと思います。トスカニーニの追悼演奏会で、ワルターがベートーベン「英雄」を指揮したというのが、それを代表していますね。

 

オペラ作品その他

オペラ「劇場支配人」序曲

モーツアルト
ブルーノ・ワルター指揮 コロンビア交響楽団
ビヴァリー・ヒルズ近傍録音
1958-1961年録音
35DC 72
テンポが少し早めですが、そんなにエクセントリックではない。付近の音がしないためか、コレは快適です。モーツアルトの劇音楽としては余りに短いですが、その特殊性を承知していれば、これは楽しめます。途中で聴こえる旋律の中にのちの「コシ・ファン・トウッテ」を彷彿とさせる音楽が混じるのですが、これは私の勝手な想像です。

 

オペラ「フィガロの結婚」序曲(1)

モーツアルト
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ウイーン・フィル
1946年録音
Maestro Nobile, Herbert von Karajan
テンポが強烈に速く、それは正直なところ、私の常識からはずれています。「フィガロの結婚」序曲に込められたあの周辺といっしょになって、懸命にバランスをとって生きようとする意思が無惨に拒否された感じ。これは楽しめません、という結果になります。

 

オペラ「フィガロの結婚」序曲(2)

モーツアルト
ブルーノ・ワルター指揮 コロンビア交響楽団
ビヴァリー・ヒルズ近傍録音
1958-1961年録音
35DC 72
申し分のない音楽の流れ、各部分の切り返しです。本当に「フィガロの結婚」は素晴らしい音楽だと思います。あの場面を入れて欲しかったな、とかあの重唱が抜けている、とかいう不満が一杯あります。それでもこれは秀逸です。

 

オペラ「コシ・ファン・トウッテ」序曲

モーツアルト
ブルーノ・ワルター指揮 コロンビア交響楽団
ビヴァリー・ヒルズ近傍録音
1958-1961年録音
35DC 72
先述したような、自作の「盗作」みたいな音楽があります。どっちが先だったかな。これは適当な時間長でできていて、申し分ありません。私が最近では最も好む音楽のひとつです。

 

オペラ「魔笛」序曲(1)

モーツアルト
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン国立歌劇場管
1938年録音
Maestro Novile, Herbert von Karajan
これも日頃だったら、これを聴きつつ、色々と訳が分からない、いったいどういう積もりなのだろ、と不平たらたらなのですが、一体どこが悪いと言うつもりだったのでしょうか。これで十二分に満足です。そう申し上げても何ら後悔しません。これら以外の音楽を編集したものもあります(セレナーデ)が、その中には音が悪いな、と昔から不満が一杯あった曲だったり、ここに追加した音楽が若干聴こえたりするモノがありますが、このペーパーに記下した部分は何も問題ありません。

 

オペラ「魔笛」序曲(2)

モーツアルト
ブルーノ・ワルター指揮 コロンビア交響楽団
ビヴァリー・ヒルズ近傍録音
35DC-72
「フィガロの結婚」を評した言葉の繰り返しになります。どうしてあの魅惑的な音楽を、かくも恐ろしい形に変更したのでしょうか。カラヤンは年齢が若い時分と年取ってからでは、大きくテンポが変わったのですが、それでも私は、初期のカラヤンが好きだと思っていました。しかしこのカラヤンは別の世界の人みたいです。

 

セレナーデ13番(1)

モーツアルト
ヴィレム・メンゲルベルク指揮 コンセルトへボウ管弦楽団
1942年録音
KC-1012
猛烈に速い演奏です。それは曲想を一つづつ確かめるというより、曲想が消えない様に、と急いでいる様です。その中で第3楽章のところで僅かですがリズムがつまづきそうになる箇所がありますが、人々の注意を喚起できたでしょうか。この速さに若干の丁寧さを讃えた演奏があるのですが、出典が明らかでないためここでは省略。

 

セレナーデ13番(2)

ブルーノ・ワルター指揮 コロンビア交響楽団
ビヴァリー・ヒルズ近傍録音
1958-1961 録音
35DC72
いわば標準的なセレナーデですが、ややエコーが掛かっているようです。それがこの演奏を少し古くさいと思わせるところでしょうか。しかしメンゲルベルクと比較すればワルターの方は健康的だと言えそう。このCD終了時には、エコーも消えていました。これは気にならない程度だったということでしょう。これは取っておきたいと思います。

 

交響曲

交響曲第33番

モーツアルト
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ウイーン・フィル
1946年録音
Maestro Nobile, Herbert von Karajan 系列
これは通常演奏されることの多い交響曲と少し違って、珍しい種類の音楽です。それだけにこの音楽に聴き惚れましたが、素晴らしいと言えるのは第1楽章の一部だけでした。それでもその気に入った部分は、オペラを目指すモーツアルトの準備中の音楽だったと思います。

 

交響曲第35番 ハフナー

モーツアルト
ブルーノ・ワルター指揮 コロンビア交響楽団
ビヴァリー・ヒルズ近傍録音
1940年録音
CSCR-8341
突然始まるので、びっくりします。その音がすこし汚いような感じですが、これは私の個人的感想です。ハフナーに滞在したのはたしかまだ20歳代ギリギリでしょうか。違っているかも知れません。その若さ故の筆のような感じが付きまとうのです。やや激しさを内包していますが、安心できるギリギリの線ですね。そのような形で収めたワルターに乾杯です。

 

交響曲第36番 リンツ

モーツアルト
ブルーノ・ワルター指揮 コロンビア交響楽団
ビヴァリー・ヒルズ近傍録音
1960年録音
CSCR-8341
これはかなりオペラを彷彿させます。まず最初の楽章ではホンの2小節位ですがオペラ「魔笛」の序曲のような音楽的インスピレーションが聴こえます。そして第2楽章では、「魔笛」のパミーナがしんみりと歌っているかの様です。第3楽章では昔書いた事がありますが、源氏物語の進行に伴って、音楽でそれを示そうという試みをしました。源氏が色々な制約をクリアして、いよいよ表舞台に復活することを示す音楽のどこかに、これを使えそうです。

 

交響曲38番 プラハ(1)

モーツアルト
アルトウーロ・トスカニーニ指揮 NBC交響楽団
1939年録音
KC-1012
最初の出始めからしてテンポが速いのです。猛烈に速いテンポです。それはあらゆるところで速いのです。これはまるでベートーベンを思わせるのです。そう、べートーベンですよ。そう思った途端に指揮者に対する敬意から、これでも良いかなと感じ入った次第。もし私の好きな交響曲を30曲選ぶのだったら、その中に入るかもしれない。

 

交響曲第38番 プラハ(2)

モーツアルト
ブルーノ・ワルター指揮 コロンビア交響楽団
ビヴァリー・ヒルズ近傍録音
1959年録音
SRCR 2303
初めの部分は懐かしく、優しい音です。2拍程度の長さだけ、何か他の音楽を思わせる音がしたので何だったか、考えているうちに通り過ぎてしまいました。本当に音楽を聴く時、こういう経験は良くあります。モーツアルトだったら当たり前かも知れません。第2 楽章にはオペラ「フィガロの結婚」を彷彿とさせる部分があります。ここまでは楽しんだのですが、第3楽章は少しダルな感じがしました。私の知識はオペラですし、その限りでは様々なオペラの旋律を承知していますが、管弦楽は貧相な経験しかないことを白状します。でも「プラハ」という曲はよく聴きますね。

 

交響曲第39番(1)

モーツアルト
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ウイーン・フィル
1949年録音
Maestro Nobile, Herbert von Karajan 系列
ここで音になっている音楽と、指揮者の意図したそれが、ずれている様に聴こえるのです。どうしてカラヤンはああまでして差を付けようとするのでしょう。

 

交響曲第39番(2)

モーツアルト
ブルーノ・ワルター指揮 コロンビア交響楽団
ビヴァリー・ヒルズ近傍録音
1960年録音
SRCR 2302
この曲は出始めが激しいため、あとも続くだろうと思わせますが、案外スッキリとしています。初めの音楽はまるでドン・ジョヴァンニみたいな雰囲気を持っています。後第3楽章は魔笛を彷彿させますが、あとはゆっくりと消えて行きます。第一楽章のそれをほめておきながら此の様に申すのは、若干後ろめたのですが、モーツアルトの管弦楽に特有のものがあり、確かにオペラは素晴らしいのですが、管弦楽はこういうものが多い。真に素晴らしいオペラを選ぶなら、「フィガロの結婚」、「ドン・ジョヴァンニ」、そして「魔笛」の3曲だと思います。これは私の私論です。

 

交響曲第40番(1)

モーツアルト
ブルーノ・ワルター指揮 NBC交響楽団
1939年録音
KCー2002
ワルターの録音に時々感じるのですが、ワルターは時代の進行に伴って、左右されていないかな、と言う事です。時々の時代の空気みたいなものに左右されてはいないかな。この交響曲では録音が少し早すぎたかな、と感じたのです。平たく言って、ワルターのモーツアルトは、この時期は万全ではない。むしろ晩年に残したものの方が心を打つようです。もちろん、この録音のようにこれは素晴らしい録音だと信じますが、「もっと良かった」という印象を残すものがあった筈です。大層古い録音ですが、出始めがほんのちょっとだけ遅めのテンポで、何か水飴質なところがあります。第4楽章は猛烈に速いと思いました。あれはテンポのずれが気になり、私の耳には受け入れられないところがありました。

 

交響曲第40番(2)

モーツアルト
ブルーノ・ワルター指揮 コロンビア交響楽団
ビヴァリー・ヒルズ近傍録音
1959年録音
SRCR 2303
これは最初の部分の素晴らしい印象がのこり、それは全体を支配します。本当の話、モーツアルトはここに至って、初めて諸々の制約から自由になったのでは無いでしょうか。第1楽章、そして第3楽章の繰り返し、素晴らしいの一言に尽きます。モーツアルトがもし最初からこういう音楽を志していたら、とあり得ないことを考えますが、本当に目を見開きます。普通モーツアルトといえば交響曲とかセレナーデとか色々挙げられますが、そこでどうしてオペラが登場しないのか、と不思議な気持ちに捕われます。ここで「普通」と最初に申し上げましたが、これは正確に言えば「音楽が好きで、モーツアルトが大好きな人たち」という意味です。もしその友人がオペラを聴く人だったら話は簡単です。その方はモーツアルトのオペラの素晴らしさを承知されているはずです。本当に、そうなんです。沢山の作品の最後を占める「フィガロの結婚」、「ドン・ジョヴァンニ」、「魔笛」の三作。まさにこれらこそ、モーツアルトを代表する作品に間違いありません。単に歌ものは嫌い、とか言ってはならないのです。それは多分に、学校で教えられた音楽の種類が悪かったのです。この三作の中で「フィガロの結婚」だけは、最後の音楽処理が曖昧で、あれをもう少し整理してくれれば、と私は考えますが、イヤだったらあの部分を外しても一向に影響されないのです。おそらく、歌手達の登場頻度等で契約が色々あったに違いありません。それがやや未整理だと感じる原因だと思います。これはあくまで私の個人的想像です。

 

交響曲第41番 ジュピター(1)

モーツアルト
ブルーノ・ワルター指揮 NBC交響楽団
1938年録音
KC-2002
これはざっと聴き流すなら問題ありません。あれこれ考え出すと問題点も見つかります。それにしても素晴らしい。あの太鼓のようなドーンドーンという深い響き、あれはこの曲に速さを要求しています。

 

交響曲第41番 ジュピター(2)

モーツアルト
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 イタリアRAI響
1942年録音
Maestro Nobile, Herbert von Karajan
耳慣れた音楽ですから、「あいまいさ」はそのままに出来そうですが、さにあらず。この曲が本来出そうとする音楽と、指揮者が出そうとしている音楽の間にチョッとした差があります。

 

交響曲第41番 ジュピター(3)

モーツアルト
ブルーノ・ワルター指揮 コロンビア交響楽団
ビヴァリー・ヒルズ近傍録音
1960年録音
CSCR-8341
最後の交響曲ということで身構えて聴きますが、結果的にこれは第40番の交響曲を越えて居ないのでしょう。もし41番を全部取り去るとなれば、ああ惜しかったなあ、で済みますが、40番を取り去るとすると、絶対反対するでしょう。その執念の違いです。

 

 

千葉のF高












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