温故知新:古い録音を聴いてみよう

モノローグ(287) Oct.30, 2017

 

ベートーベン「9つの交響曲」

良く聞く話では、ベートーベンの交響曲は奇数番のものと偶数番のものに分かれるのだそうですが、この中で最も魅力的なのはどれでしょう?こういう質問は答え難いと思います。酷ですよ。第3「英雄」は当然入るでしょうが、誰でも知っている第5「運命」も入る(このどっちがどうかという問いは辛い)、そしてホッとする第6「田園」は抜き難い。そして第7は「葬送」がある限り不滅であり、そして第8は不思議と呼称が無いが、ベートーベンはこれを好んだと聞きます。そして第9「合唱」は言うまでもなし。本当にどれにしよう?どれも素晴らしいが、やはり「合唱」のように皆に呼びかける形式が凄いのでしょうか。それに偶数か奇数かという分類は根拠の薄いものだろうと考えます。恐るべきベートーベンです。例えばモーツアルトと比較すると、モーツアルトはモーツアルトで素晴らしいのですが、それはあの天才を発揮するには相応しい場が必要だったのでは無いでしょうか。そう考えるとモーツアルトを代表するのは、「フィガロの結婚」、「ドン・ジョヴァンニ」、「魔笛」の3曲であり、それを取り囲むセレナーデ7番、そして「レクイエム」ではないかと勝手ながら思います。ベートーベンだって負けていない。ベートーベンの「第3」、「第5」、「第6」、「第7」、「第8」、「第9」はこれこそ人類の宝です。天才だけでなく、努力の大成果です。ワーグナーはこれらに比すと、大変残念ですが次点でしょう。数限りなく大きい遺産ですが。ベルリーニ「ノルマ」も同様。以上の曲は無くなった時を考えると、とても我慢ならないものです。そう考えると、私の個人的意見ですがシューベルトの歌曲集も挙げられます。代表曲は何でも良いのですが、私はシューベルトの少年時代の作品「糸を紡ぐグレートヘン」を落しては惜しいと思っています。

 

交響曲第1番

ベートーベン
アルトウーロ・トスカニーニ指揮 ミラノ・スカラ座管
1946年録音
KC 1010
基本的にNBC響と録音したのと同じです。初めに典型的なオペラになりそうな導入部があり、まるで歌をさそうような響きを感じます。誘いの巧みさは、まさにロッシーニばりです。

 

交響曲第1番

ベートーベン
アルトウーロ・トスカニーニ指揮 NBC交響楽団
カーネギー・ホール録音
1951年録音
BVCC-7003
恐るべき速さで演奏されます。当初はこの音の中に、ロッシーニを思わせるような、まるで歌劇の進行を助けるような響きを感じて思わず微笑しました。そしてその歌劇風の音楽が、やはりベートーベンらしく速い弦楽器のトレモロと一緒になって、まるで「ベートーベン」なのですよ。この後者の表現はいったい何だ、と言われそうですが、後少し「第9」の響きがあると私は思います。一瞬ですが確かに感じられます。もしベートーベンがこの旋律のまま、延長すればという仮の話です。もちろんベートーベンはそういうことをしないで、さらに交響曲を先に進めたのですが、これは凄いことです。

 

交響曲第1番

ベートーベン
パーヴォ・ヤルヴィ指揮 ドイツ・BVCCカンマーフィル
ケーペニック放送局で録音
2004-2005年録音
88697 33835 2
余り抵抗無く耳に入ってきますが、逆に言えばどうでも良いのかも(!)。テンポがやや遅めのため、第1楽章のイタリア・オペラ風はなにも抵抗を感じさせません。第1楽章は颯爽としていて、むしろ好意を寄せます。それが第2楽章に入ると、どうもこれは訓練がいるのかなあ、と色々と考え出した次第。もしこの曲が無かったら私の生活に差し支えるでしょうか、等々の余計な事も考えました。

 

交響曲第2番

ベートーベン
ウイルヘルム・フルトヴェングラー指揮 ウイーン・フィル
ムジーク・フェライン・ザール録音
1944年録音
CC33-3467
なにかオペラ風も感じますがそれも第1楽章だけです。あとの楽章は音が悪いのか、あまり深くしみ込んで来ませんでした。ただオペラと言ってもイタリアを期待すると、少しガッカリします。ドイツのイタリア・オペラだということに注意。

 

交響曲第2番

ベートーベン
アルトウーロ・トスカニーニ指揮 NBC交響楽団
カーネギー・ホール録音
1951年録音
BVCC-7004
これは出始め付近は古風なドイツ・オペラの焼き直しの感じですが、後半から全く新しいベートーベンに変貌して行く途中、と理解します。古いオペラの箇所ではまたもや「第9」の一部の旋律を思わせますが、それ以外でも、一体これはどこから取った、あるいは埋め込んだ物だろうか等、色々と推理が働くところ。太い道を足音高く、グイー、グイーとゆっくり回り登って行く調子が感じ取れますが、あそこは素晴らしい。

 

交響曲第3番

ベートーベン
ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮 ウイーン・フィル
ムジーク・フェライン・ザール録音
1944年録音
TOCE-3730
フルトヴェングラーは堂々とこれを演奏し、どこでも弛緩しません。それはどこでもそうです。一体私はトスカニーニとどっちが好きなんだろう、と悩む所。今はフルトヴェングラーです。しかも第4楽章で聴かれる繰り返しの堂々たる響き。凄い。戦中の録音とは思えないくらいです。

 

交響曲第3番

ベートーベン
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 プロイセン国立歌劇場管
1944年録音
KC1001
奇しくもこれはフルトヴェングラーの録音した年と同じです。まず音が美しいのです。実際、美しさでフルトヴェングラー盤に対抗しようというものですが、あまり後者のように身を削ってでも物にしようというより、まず素材の美しさに集中した感じでした。何とも美しさの技術はタップリ持っています。実はフルトヴェングラー盤で問題ありといえそうなのは、第2楽章と第3楽章のところ、少し工夫の余地があるかも、と思っていました。それらの場面でカラヤンの方は全く問題ありません。ますます美を高めようというところ。オマケに、ベートーベンの交響曲でも、途中にふと自分の香を入れて置く「遊び」の誘惑があります。カラヤンもワルターもそれをちゃんとしていました。そのうち、私も余り意地を張らないで、まあコレで良いか、と思うに至りました。

 

交響曲第3番

ベートーベン
アルトウーロ・トスカニーニ指揮 NBC交響楽団
カーネギー・ホール録音
1951年録音
BVCC-7003
この曲のポテンシャルはとてつもなく大きく、特に第1楽章の幾つかの箇所は最高と声をかけたい。同様に第3楽章にみられるホッとするフレージングは完璧です。私はこの第2楽章の葬送曲だけ他と比較可能だと思います。それは何回も聴いて得た私の個人的印象です。

 

交響曲第3番

ベートーベン
ブルーノ・ワルター指揮 シンフォニー・オブ・ジ・エア
カーネギー・ホール録音
1957年2月録音
30C37-7917
トスカニーニが天寿を全うしてから、わずか1ヶ月かそこらで開かれた演奏会(オーケストラが特別編成)を、ワルターの指揮でやったのがこれです。トスカニーニとワルターは音楽基盤の話をすれば、全く合わないのですが、音楽を離れ、個人のレベルでは全く無二の親友でした。ですからトスカニーニのリハーサルには、唯一許されてそこに在席したというワルター。その成果がコレですが、少し音がキャンキャンするのが気になります。あとは決してはみ出さない紳士の演奏といいましょうか。実は自分だったらあと一押しするところですが、そこがワルターらしく節制しています。

 

交響曲第3番

ベートーベン
パーヴォ・ヤルヴィ指揮 ドイツ・カンマーフィル
ケーペニック放送曲で録音
2004-2005年録音
BVCC 34136
全体をつつむような柔らかい響きで開始されます。そして気がつくと物凄い速度で、音色は普通で、突き進んでいます。この第1楽章はどれでも素晴らしいと思います。それが第2楽章に入ると、なんともダルで、遅いのです、確かに原譜がそうなっているからヤムを得ないといえば、その通りなんですが、これは聴き手は退屈を感じるのです。その代わり、第4楽章に入るとそれは素晴らしさを取り戻します。ただ原譜主義の楽器奏法を思わせるため、それを考慮すれば、という条件が付きます。それでもべートーベンは偉いと思います。本当にすごい。

 

交響曲第4番

ベートーベン
アルトウーロ・トスカニーニ指揮 NBC交響楽団
カーネギー・ホール録音
1951年録音
BVCC-7005
何か甘パンの中に、各種フルーツとか、干しぶどうその他が入ったような味わいがあります。逆にいえば、まとまりが少ないかも知れません。途中で出てくる旋律は明らかにベートーベンのものですし、またその中には「第9」と共通のものが一瞬だけ現れます。

 

交響曲第4番

ベートーベン
カルロス・クライバー指揮 バイエルン国立管
1982年録音
30CD-10040
そのクセのある音に耳が張り付きます。クセと書きましたが、「遊び」と書いた方が良いのかも知れず、あるいは「ころび」という単語が頭を横切りました。例えば最初の「運命の提示」の箇所で、そういう訳かここで一呼吸入れています。また突然テンポは遅くなったりするので、それを否定はせずとも、何か心に引っかかるものがあります。

 

交響曲第5番

ベートーベン
オットー・クレンペラー指揮 ロス・アンジェルス響
1934年録音
KCI-2007
音がメチャメチャに悪い。これは高音に音が集中しているから仕方が無いのですが、レコード面にある傷の音を含め、やはりダメかなあ。しかし全体のエネルギーの配分等は申し分なく私の頭にこびりついて入るテンポそのものなんですけれど。本当に私の虚像をみる様です。やはり音の悪さは難しい問題を提起しています。終わりの近くでまるでプロンプターみたいな人声が聴こえるのは何?そしてもっと大きな音の変化も感じました。

 

交響曲第5番

ベートーベン
アルトウーロ・トスカニーニ指揮 NBC響
1939年録音
KCI-2005
ハッキリした自己主張が分かります。テンポに狂いはなく、切々と自分の考えを訴えて来ます。そこで発見したのは、私はトスカニーニのテンポが私にピッタリしていることでした。どこを取ってもこれなら反感はありません。トスカニーニのようなイタリア人にベートーベンが分かるか、と恐ろしい言葉を投げる人も知っていますが、私はやはりこれが全身に良く合うようです。殊更に風変わりなメロディーで飾る必要はないでしょう。音は悪い方です。

 

交響曲第5番

ベートーベン
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ウイーン・フィル
1948年録音
Maestro Nobile, Herbert von Karajan
速い。当初すこし乱暴かなと思いましたが、あの速さは必要なものでした。第1楽章で一旦テンポをゆるめ、次の瞬間に爆発する所がありましたが、ああいう所はカラヤン流ですね。その代り第4楽章ではどうしようと、まるでうろたえた様に聴こえました。ベートーベンの曲にしては、その終わりの部分の音楽が、ややくどい気がします。あれは繰り返しや再現が必要でしょうか?

 

交響曲第5番

ベートーベン
アルトウーロ・トスカニーニ指揮 NBC交響楽団
カーネギー・ホール録音
1952年録音
BVCC-7006
この「運命」は非常にがっちり組み立てられていますし、徹底的にどんな曲かを示そうとしています。それはベートーベンが聴く者に教えようとしているからではないか、と考えます。一口に言うと、ややくどい所があるのです。私が高校生の頃、最も好んだ曲でしたが、当時でもあの結びの部分は少しくどいな、と考えていました。でも間違えないで下さい。この曲は私の座右の曲なんですから。でも今日の目でみれば「英雄」の方が魅力的です。

 

交響曲第5番

ベートーベン
ウイルヘルム・フルトヴェングラー指揮 ウイーン・フィル
ムジーク・フェライン・ザール録音
1954年録音
TOCE-3722
参った。これはどことなく理想的なテンポを潜め、それを人間の息の仕方に同期させています。このピッタリと寄り添うような管弦楽は、どうやって可能なの、と思う次第。第一楽章にみられる息を長く伸ばすような二つのルパートの箇所だけ一瞬聴き手として「どうして?」となりますが、ソコだけです。あとは本当に素晴らしい。フルトベングラーの指揮術を解析して欲しいところ。教えてくれないね?

 

交響曲第5番

ベートーベン
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィル
ムジーク・フェライン・ザール録音
1962年録音 ベルリン
POCG-9662
これはまた格好いいオーケストラです。音はやや大きめ。スピードは早めです。これでどこに不満があるのだろう、と考えましたが、それも不明瞭。ところがある時、フト気がついたのですが、これは大きなホールで大勢の聴衆を相手にした演奏法だと気がつきました。そう考えると皆そう聴こえます。あるいは屋外でも、これだけエネルギーをつぎ込んでありますからヘバルことは無いでしょう。

 

交響曲第5番

ベートーベン
カルロス・クライバー指揮 ウイーン・フィル
ムジーク・フェライン・ザール録音
1974年録音
F35G 50242
極めて速い速度で演奏されますが、これは心地好い。いままでクライバー指揮と聞いて、チョッとですが敬遠していましたが、これはそんな事は心配でありません。むしろ、このカルロス流だからそこに全幅の信頼を置いて良いと思います。第2楽章の2番目のリズムを刻むところ、あそこなど、本当に素晴らしい。これだから世の中にはカルロス教信者は増えるのでしょう。トスカニーニでなくとも、これは存在価値ありと判断します。

 

交響曲第5番

ベートーベン
ロリン・マゼール指揮 ウイーン・フィル
名古屋市民会館ホール録音
1980年録音
CBS/SONY 30DC 703
これは音がやや軽い。同じ曲でもなにかペンキを塗った、明るいホールみたいな印象があります。最初のところ、独特のリズム感覚で音を刻みますが、音楽を思う様にねじ曲げた箇所があります。ベートーベン第5ともなれば、こういう遊びは認められるのかな、と思いました。後半は極普通のリズムで、ただ音が軽いのが気になります。

 

交響曲第5番

ベートーベン
パーヴォ・ヤルヴィ指揮 ドイツ・カンマーフィル
ケーペニック放送局で録音
2006年8月録音
88697 33835 2
日本で一斉に発売が開始されたもの。久しぶりでこのCDを聴いたわけですが、昔感じたとおりでした。つまりこの曲全体を通しているのは、言い方は悪いのですが、なにか町をふらつく与太者の集団みたい。どこをとっても深く感じる所がないのです。あとは実際に聴いてみて下さい。

 

交響曲第6番

ベートーベン(なおこの曲だけは、旧原稿と一部ダブっています)
ブルーノ・ワルター指揮 ウイーン・フィル
ウイーンのムジーク・フェライン・ザール録音
1936年録音(SP)
東芝EMI TOCE 8829
この音楽は長々とした長大なコーダで締めくくられます。全く個人的な印象ですが、あのコーダを少し縮めては、と恐る恐る考ています。他の部分は、まずテンポが速い事が挙げられますが、あれはやはりSP録音故のことかも知れません。何となく田園という長大な曲だから早く届けようという、善意の焦りもあったのかも知れないという意味。第2楽章にそれを感じます。あとの部分も、少し焦りのようなものを感じます。音は立派。これで万全のテンポで演奏したら、さぞや素晴らしいものになっただろうと思います。嵐の場面も素晴らしいのですが、やはりトスカニーニを聴いたあとでは、色々考えてしまうのです。ワルターだって一生懸命やっていますが、何か付け加えて欲しい。

 

交響曲第6番

ベートーベン
アルトウーロ・トスカニーニ指揮 NBC交響楽団
ニューヨークのNBC 8Hスタジオ録音
1939年録音(SP)
KC-1010 2CD-2
これも古い録音ですが、古ければ何でも同じかと言えば、そうではないのです。SP盤時代のトスカニーニといえば、怒りに任せてこれでも食らえ、という怒号が飛びそうですが、これは、そうでもないという例。意外にもここではトスカニーニは別段怒っていないのです。ただし途中ではテンポが猛烈に速い。ただその速さには、時々首を傾けざるを得ないのです。私は第一印象としてこの録音を賛美しますが、だからと言ってこれを大事にしまっておこうとは思いません。やはりちょっとだけ速過ぎるのです。そして嵐の場面ではどうなるかが重大ですが、ここで聴かせるトスカニーニ流の表情付けは、頷かせるものがあります。でも私は結局、先日聴いた1952年の録音の方が好きです。悠然さと、荒れ狂う速さを兼ね備えているからです。但し両者は約15年の開きがありますから、SP録音のために急いだのかも知れない、と考ているところ。

 

交響曲第6番

ベートーベン
アルトウーロ・トスカニーニ指揮 NBC交響楽団
カーネギー・ホール録音
1952年録音
BVCC-7005
これの形容に苦しみます。当初、第1楽章は驚くほどの柔らかさを聴かせ、これはトスカニーニに対する固定観念を払拭しなければ、と思ったのです。こんなに静寂で、幸せ感のある音楽を作ったベートーベンに感謝しなければならない。第1楽章は満足のいく長さで終わり、続いて第2楽章も再度、満足いくテンポと表情付け。そこで披露される小鳥の声(後半ではカッコウだとされます)は、適切なリズムと明確な意思の力で披露されます。やはりべートーベンは偉大です。よくぞハイリゲンシュタットでの自殺を思いとどまったと思います。誰がこの演奏に注文を付けられるでしょうか。他の指揮者でも同様な反応が起きることを望みます。そしてこれは第3楽章の嵐の場面に至ると、余りのその効果の激しさに驚きます。これは誰よりも激しく、嵐そのものを描いたもの。これを聴いた後は、私はトスカニーニ・ファンの一人になりました。第5楽章の旋律はもっと短くても構わないのですが、このままでもモチロン可。改めてトスカニーニの凄さに感心しました。1952年は私も家内もこの世に既に生まれていたわけですから、一度でもそのナマ演奏を聴いてみたかったと悔やむところ。

 

交響曲第6番

ベートーベン
ブルーノ・ワルター指揮 コロンビア交響楽団
カーネギー・ホール録音
1958年録音
CBS/SONY 22DC 5581
これは出始めの部分から素晴らしい。なんと形容したらよいのやら。途中ある小鳥の差し込みも、ナカナカなもの。ただ、第3楽章で感じたのですが、オーケストラの音色がまずいのでは?はっきり言って下手かも知れない。こんな事を素人の私が言うのは大層おこがましいのですが、もし私の勘が正しければ、やはりオーケストラの合奏部の弦楽器の輝きがねえ、と言うところ。もともとコロンビア交響楽団という名前のオーケストラは存在せず、あちこちからカキ集めた寄せ集めの集団だ、ということは周知ですが、それも初め良いと思いましたが、これはやはりダメ、と思った次第です。後半の楽章でも嫌な響きがしたのですよ。あそこを改善するには、オーケストラ全体をいじることになります。何となく、全体を上手く仕上げる為なら、このままで可ですが、史上最高の製品を作る為にはどこかで作為が要りそう。素材に恵まれているだけに惜しい。

 

交響曲第7番

ベートーベン
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン国立歌劇場管
ベルリンで録音
1941年録音
Maestro Nobile、Herbert von Karajan
これは音が悪く、引きつる様に音が聴こえます。特にピアニシモに変化する音がはっきり聴こえない。特に第1楽章だけ少々ダルな感じが付きまといますが、第2楽章の葬送曲、第3・第4楽章は猛烈な速さで処理されています。実際この速さは狂瀾怒濤という感じです、葬送曲が最も中庸を行っています。音をいじくったような感じですが、元の音に戻したものも聴いてみたい。全曲の印象はやはり素晴らしいと思いました。

 

交響曲第7番

ベートーベン
ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮 ベルリン・フィル
ベルリンで実況録音
1943年
TOCE-3733
これはもう一つあるフルトヴェングラー盤より約10年ほど古い録音です。元気なだけ音が豊麗なのです。音楽全体にわたってテンポが遅いのが気になります。そして至る箇所で音を豊かに響かせます。最初の音が既に大きいからそこで驚いて立ち止まります。私の個人的好みとしてはもう一つのザルツブルク音楽祭の方が好きですが、こちらの方でも次はどうなるか興味津々というところ。あと二つある第7番を楽しみにしましょう。

 

交響曲第7番

ベートーベン
アルトウーロ・トスカニーニ指揮 NBC交響楽団
カーネギー・ホール録音
1951年録音
BVCC-7004
この「第7」は凄い。あれだけのエネルギーを注ぎ込んでも、決してへたばらないだけの強靭さがあります。あの第2 楽章は長い間、葬送曲だろうと思っていましたが、トスカニーニはそうではないという事です。確かにあれは2拍子ではなく、どう考えようかと思っていた所でした。葬送曲でなく、しめやかな行進曲の冠たるような気もします。そして第3楽章、第4楽章の凄まじい集中力!これはベートーベンが自分しか楽譜に書けない、と考えた事は明白。私自身も全曲を聴いたあと、ぐったりしてしまいました。これは明らかに「第5」を越えます。

 

交響曲第7番

ベートーベン
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮 ウイーン・フィル
ザルツブルク音楽祭実況録音
1954年録音
C 293-921B
これを聴くとやはりベートーベンの偉大さを思い知らされます。あの面倒な第1楽章を問題なく処理しています。つづく第2楽章以下はややチョッと遅いな、と思わせるのですが、それはワルキューレで言われる死の予感のようなものでしょうか。実際此処で聴きますとあの第2楽章の葬送曲が尤もらしいのです。フルトヴェングラーが死去する4ヶ月前のザルツブルク音楽祭の録音。例えテンポがやや?と思ってもこれはそれを上回って素晴らしい。

 

交響曲第7番

ベートーベン
ブルーノ・ワルター指揮 コロンビ交響
ビヴァリー・ヒルズ近傍で録音
1958年
SRCR-8781
これはなり始めたとたんに美しい音だと思いました。バランスが取れていて、実にうまく全体を鳴らしています。それは第2楽章に入っても変わらなかったので、結局ワルターが指揮すると、どこにも嫌なところがない音楽をならします。どこでも今まで得ていた結論を再確認するに至りました。永遠の第2位と言いましょうか。第1位を狙うのは冒険が要るでしょう。この第7番を聴くたびに思うのですが、これはディズニー映画「ファンタジア」の最後の付近のバックグラウンド・ミュージックのような味わいがあります。音楽はそのまま、画面を想像して下さい。

 

交響曲第7番

ベートーベン
カルロス・クライバー指揮 ウイーン・フィル
ムジーク・フェライン・ザール録音
1975-1876年録音
F35G-50243
これを聴いていると、音のピットやテンポがピッタリと寄り添っているのが分かります。オーケストラがウイーン・フィルだし、録音会場がムジーク・フェライン・ザールだし、とにかく録音する側として可能な限りを提供しています。音の響きは木製の音で、全体に油っぽさもあります。これを混ぜ合わせるとあの音になる仕掛け。当初ややテンポが遅めかな、と思いましたがいずれそれは消えました。第2楽章の足音のようなターッタタ・ターッタタとなる場面で、明らかに足音が聴こえます。足音だという事はここで初めて意識したのですが、それに気づかせたカルロスに感謝。第4楽章の畳み込むところはカルロスの得意とするところ。全体に優秀な録音でした。

 

交響曲第8番

ベートーベン
ウイレム・メンゲルベルク指揮 コンセルトへボウ管
アムステルダム録音
1938年録音
4509-95515-2
例によってメンゲルベルク流の挨拶。少しこれは他の惚れたものと違うよ、という音を聴かせます。あとは意外にも音楽そのものでした。私の頭の中にある第8番そのものだったと言えます。録音時期が古いだけ、少し音が古い気もしますが我慢の範囲内。

 

交響曲第8番

ベートーベン
ウイルヘルム・フルトヴェングラー指揮 ストックホルム・フィルストックホルムのコンセルト・ハウス録音
1948年実況
CC33-3467
私がベートーベンを改めて凄いと再確認した曲です。何と言っても第1 楽章にみられるような、繰り返しとそのタイミングの妙味。これはベートーベンしか出来ないことでは無いでしょうか。ベートーベンの時代に、ご本人に「第7」と「第8」ではどちらが好きですか、と聞いた所、本人はこの「第8」がいとおしいと答えたそうですが、そのわけは私には分かるような気がします。本当に凄い曲です。第1楽章後半は畳み込むようなテンポに、聴き手がついて行くのがやっとで、息も絶え絶え、という陶酔的なところもあります。

 

交響曲第8番

ベートーベン
アルトウーロ・トスカニーニ指揮 NBC交響楽団
カーネギー・ホール録音
1952年録音
BVCC-7006
この小さい交響曲は、猛烈な速度で演奏されます。実際これは1813年4月20日、ウイーンのルドルフ大公邸で非公開で初演をされましたが、この時交響曲「第7番」も同時に初演しました。但し一般公開はこの「8番」の方が約1年遅れて公開されています。この「第7番」と「第8番」を同時に世界初演するとは恐ろしい事です。オーケストラだってくたびれ果ててしまったのではないでしょうか。世評は「第7番」が圧倒的に受けたようですが、ベートーベン自身はむしろ「第8番」の方に愛着があったようです。私自身はまず「第8番」を楽しみ、それから「第7番」に親しんで行った経緯があります。長らく「第8番」では最初のところで、絶対フルトヴェングラーだと思っていました。他の指揮者では大概あのテンポの取り方に不満がありました。このトスカニーニ盤はどうかといいますと、あの速いテンポのお陰で、皆許されそう。あっさりした味付けです。

 

交響曲第8番

ベートーベン
ウイルヘルム・フルトヴェングラー指揮 ウイーン・フィル
ザルツブルク音楽祭ラジオ実況
1954年
C293-921 B
フルトヴェングラーの亡くなった年にとったものです。やはりエネルギーの枯渇でしょうか、何か力が感じられません。それはおなじCD面にあるベートーベンの第7と同様です。テンポがやや遅いのです。この遅さをさらに分析してみたいのですが、それは思いとどまりました。もっとフルトヴェングラーが元気な時の第8番を聴いてみたいと思います。

 

交響曲第8番

ベートーベン
ブルーノ・ワルター指揮 コロンビア響
ビヴァリー・ヒルズ近傍の録音
1958年
SRCR-8781
同じくこの音楽が始まると、それは幸せ感に溢れた物だった。オーケストラは上手く、いわばワルター・サウンドを奏でるが、ただしあそこの息づかいを、どうやって喘ぐように出すかというと、それは無理。フルトヴェングラー・サウンドの喘ぎはここには求められない。ワルターがわるいのでなく、他の指揮者でも同じ、さらにはフルトヴェングラー自身でさえ、年齢が迫ってくると、やはり出せないのだと思います。

 

交響曲第8番

ベートーベン
パーヴォ・ヤルヴィ指揮 ドイツ・カンマーフィル
ケーペニック放送局で録音
2005年録音
BVCC-34139 (82876-84518-2)
驚くべき速さで音楽は進みます。途中で遭遇する各音楽は分かっているからもっと先へ行こう、と呼びかけられている様です。そう思って聴きますと、この指揮ぶりも別段の抵抗はありません。怒れる若者たちの、狂瀾怒濤の音楽を楽しみました。この指揮者の他の曲と比較してみますと、殆ど唯一この曲は無抵抗で聴きました。こういうのも良いではありませんか。べートーベンの全曲をみても、これは卓越しています。

 

交響曲第9番

ベートーベン
ウイルヘルム・フルトヴェングラー指揮 ストックホルム・フィルフィル
S  ヒヨルディス・シンベリ
A  リサ・デュネル
T  ヨースタ・ベケリン
Bs  シーグルド・ピョリンク
合唱団
ストックホルム・コンサート協会管
1943年録音
KC-1009
まだ世界大戦中の、古典的な録音ですが、私の判断ではまだ市場価値はあると思いました。フルトヴェングラーはストックホルム管弦楽団と一緒に他にベートーベンの第8交響曲も録音しています。始まりの部分のおどろおどろしさは格別です。結論を先に述べてしまいますと、これは合唱団が弱いのです。とくにテノールの弱々しい声が全体を支配しています。勿論バリトンだって弱さがあるのですがテノールは力が弱く、まるで数人で歌っているような感じでした。ソプラノはハイ・ソプラノですが、その声は愛らしく響くのですが、愛らしさだけでは無理があります。第2楽章、第3楽章はすばらしく、第1楽章は途中でやむを得ず弱々しい部分があり、そして第4楽章は全体のバランスを少し崩したような弱さがありました。ここでシーグルト・ピョリンクが歌いますが、彼は1951年に再開したバイロイト音楽祭でヴォータン役を歌っています。

 

交響曲第9番

ベートーベン
ウイルヘルム・フルトヴェングラー指揮 バイロイト管
S  エリザベート・シュワルツコップ
A  エリザベート・ヘンゲン
T  ハンス・ホップ
Bs  オットー・エーデルマン
バイロイト祝祭合唱団
バイロイト祝祭劇場で録音
1951年録音
C754 0818
余りに有名なバイロイト盤ですが、そのライナーノートを読むうちに、これが1943年盤と比して、全体が遅くなっている事に気がつきました。第3楽章がわずか2秒だけバイロイト盤の方が早くなっている他は、バイロイト盤の方が遅いのです。それは第1楽章で尤も顕著で、そこでは約1分近く遅くなっています。そして私には早めの方が心地好く響きます。その代わりここではバイロイト盤のヴォーカルが合唱をふくめ、その表現が全てのパートで優れています。颯爽たるエーデルマンも、シュワルツコップも本当に申し分ありません。表現ではフルトヴェングラーの指示でしょうが、小太鼓を連打する場面では、ほんの少しアレと思いました。それでも全体として、これは本当に申し分ない録音です。ただ別のCDで気がついていましたが、最後の瞬間、ほんの一瞬だけ、録音機をリセットするのが速過ぎるのです。これは前半にあった観客の咳をカットするためとか、拍手を押さえるためかも知れません。あれが最後まで録音してあったら、これは素晴らしい録音物の一つになったところ。いや、このままでも良いのですが。

 

交響曲第9番

ベートーベン
アルトウーロ・トスカニーニ指揮 NBC交響楽団
S  アイリーン・ファーレル
A  ナン・メリマン
T  ジャン・ピアース
Bs  ノーマン・スコット
ロバート・ショウ合唱団
カーネギー・ホール録音
1952年録音
BVCC-7007
「8番」同様のあっさり味の演奏だったといえます。特に第1楽章はあっさり味だという感じが強いのですが、決して悪い意味ではありません。全曲を聴いて、本当にこれに参りました。各楽章の味わいとか、各ソロ・パートの感じがどうとか、細かいことでなく、全体を聴いてみて下さい。本当にこれは優れています。アイリーン・ファーレルのソプラノや、ナン・メリマンのメゾ・ソプラノの声が十全かどうかではなく、そしてジャン・ピアースのテノールやノーマン・スコットの男性陣のウタの上手さ、下手さ等には、立ち入りたくないのです。「全体としての成功」で聴きます。上記では本当にピアースのウタは下手だと思います。テンポは速めで、これを聴いていると、合唱部の途中で涙ぐみました。こういうことは滅多にないのですよ。

 

交響曲第9番

ベートーベン
エーリッヒ・クライバー指揮 ウイーン・フィル
S  ヒルデ・ギューデン
A  ジークリンデ・ワーグナー
T  アントン・デルモータ
Bs  ルートヴィヒ・ウエーバー
ウイーン学友協会合唱団
ムジーク・フェライン・ザールで録音
1952年録音
425-955-2
E.クライバーの指揮テンポはフルトヴェングラーと比して全部が速いのです。それは開始後すぐに分かりました。問題はそのあとですが、E.クライバーは特段光り輝くところも、アピールする点も無いのです。デモーニッシュな驚きは期待しすぎたかもしれません。ある範囲内でポテンシャルを感じますが。合唱は下手というか、音が籠っています。このムジーク・フェライン・ザールのもつ限界のようなものを想像しました。それでも第1楽章のテンポは私には心地好いものです。

 

交響曲第9番

ベートーベン
エルネスト・アンセルメ指揮 スイス・ロマンド管
S  ジョーン・サザーランド
A  ノーマ・プロクター
T  アントン・デルモータ
Bs  アーノルド・ヴァン・ミル
プラッシュ合唱団&ヴォー国民教会青年合唱団
ジュネーヴのヴィクトリア・ホールで録音
1959年録音
UCCD 3009
サザーランドのコンサート歌手デビューに近く、また珍しくアンセルメが指揮しています。私はこれを高校生になったばかりの頃から聴き慣れていました。アンセルメのテンポは正確です。また各音を明快に分離して聴かせます。分離はメチャメチャに良く、打楽器は明快です。ああ懐かしいと聴いていたら、余りこの表現はすこし頂けないな、等思いが浮かびました。何といってもあの第1楽章が1943年盤より約2分も短いのですから、押して知るべし。速さのために、この葬送曲みたいな場面はあったっけ?と思う箇所もあります。実は聴きながら、バレエ・リュッスの指揮者を勤めたかのアンセルメですから、この明快さはクセなんだろうと思いました。声楽部分に入りますとバリトンもテノールも余り声はありません。サザーランドは声が柔らかで、声は控えめです。人形のようなこじんまりとしたソプラノです。他と随分違うので、こういうのを比較してみたい人にはお薦めです。

 

交響曲第9番

ベートーベン
ハンス・シュミット・イッセルシュテット指揮 ウイーン・フィル
S  ジョーン・サザーランド
A  マリリン・ホーン
T  ジェームズ・キング
Bs  マルティ・タルヴェラ
ウイーン国立歌劇場合唱団
ゾフィエン・ザールで録音
1965年録音
K30Y 1501
物凄い迫力で始まります。これは分解能の問題ではなく、「剛」の文字を頭に叩き込んで、突き進んで行った物の様です。粗くても逞しく、ドンドン進むタイプ。そのためか音楽には遊びのようなものがありません。それはテンポを数字で比較しても頷けます。ヴォーカルが主流となる第4楽章では、まずタルヴェラの堂々たる声が響き渡りますが、あれはもう少し年を経てからでも良かったような印象でした。ある意味ではキングも同様。ホーンは声が際立つため、どこでもこうなるだろうと予想した通り。まずくはないのですが、第9合唱でソプラノとメゾ・ソプラノを混ぜて配置することを考えた時、おそらく作曲者の時代にはやはりメゾ・ソプラノが際立つのは、やや不思議なことでは無かったでしょうか。サザーランドの声も以前のアンセルメ指揮で聴いた声と比すと、随分ロマンティック・オペラに影響された発声だな、と思います。合唱はホールにゾフィエンザールを使ったことが響いて、分離は良くなりましたが、それでもあの女声部分はまるで声域を限って録音したかのように響くのです。全体として、第1楽章は素晴らしく、第3楽章は余地があり、そして第4楽章はもっと別のものもあっただろう、と言うところ。ここの指揮者イッセルシュテットが指揮した第3交響曲や、第8交響曲も聴いてみたいと思いました。

 

交響曲第9番

ベートーベン
カール・ベーム指揮 ウイーン・フィル
S  ギネス・ジョーンズ
A  タティアーナ・トロヤノス
T  ジェス・トーマス
Bs  カール・リッダーブッシュ
ウイーン国立歌劇場合唱団
ムジーク・フェライン・ザールで録音
1970年録音
POCG-9663
まずテンポがバラバラに変化します。第1楽章は猛烈に速く進みますがそれは全体を心地よく聴かせます。ただし個別に聴くと、第1楽章では余りにバラバラで、しかもせっかちです。イメージを纏めるのが難しい。悪く言うと、一体ベームは何を表したいんだ?と言いたいほど。コレばかりはベームに回帰した現在でも、頂けないなあ。第2楽章はもっともマトモでした。第4楽章はヴォーカル主導ですが、明らかに遅い。途中で速くなっても、気がつくと又も遅い。時代がやや古いですから、時代を考慮しなければなりませんが、リッダーブッシュの喉が素晴らしい。今まで歌ったエーデルマン等と比較しても、これはずっと上手い。トーマスは声がやや小さめに聴こえ、それは印象を少し削ぎます。ここではキングの方が上手い。トロヤノスはこの時点では名前が余り知られていなかったのですが、声も同様に小さめ。ジョーンズは声の出始めが新茶の味わい。上手く出ています。オーケストラを含めると、このベーム盤は変わっていますがお勧めします。

 

交響曲第9番

ベートーベン
パーヴォ・ヤルヴィ指揮 ドイツ・カンマーフィル
S  クリスティーネ・エルツエ
A  ペトラ・ランク
T  クラウス・フローリアン・フォークト
Bs  マティアス・ゲルネ
ドイツ・カンマーコア
ケーペニック放送局で録音
2008年録音
BVCG 10004
この変わった集団がどんな第9を聴かせてくれるか、興味津々でした。始まりは言葉は悪いけれど、投げやり調でした。それでどうなるのだろうと思いましたが、暫くすると各部がキリッとして、ベートーベンの息を感じられるようになりました。これなら、と思ったものです。畳み込むような箇所は激しい。第2楽章、第3楽章では中だるみが感じられ、それは意図的なのか、無意識なのかは分かりません。私はそれを真面目に聴きましたが、第4楽章に入ると異様さを感じました。まずテンポがぐっと遅くなりますが、これは何故?合唱部分だけ遅いのです。バリトンの声はまだ小さめですが、これは全体を聴いてからにしよう、と我慢します。そしてさらに進み、ソプラノが出てくるの待っていたところ、ソプラノはホワーンと膨らむような柔らかい声でしたが、何しろ音量が小さい。オーケストラを含めてこの合唱部分は印象が薄い。何か意図があるものと考えます。第1楽章の、キリッとした部分だけ聴き直したい。

 

 

千葉のF高












<<Appendix 雑記帳トップへ戻る