温故知新:古い録音を聴いてみよう

モノローグ(288) Nov.22, 2017

 

ブラームス「4つの交響曲」

ブラームスの交響曲を聴く時、何を聴くかによって、聴く者がどういう心境なのかを見抜かれてしまいそう。私だったらやはり交響曲第4番がすばらしく、それに比せば他のブラームスは無くても我慢できそうです。此の様に言うと、随分せっかちな人だと見透かされてしまいます。実際その通りで、我慢をしないと3番までのブラームスの交響曲(単一)を聴いていられないのです。そのように全体を通して聴きたくなるのが私のクセ。多くのCDが出ているうち、私見では、演奏を聴く側の年齢等をハッキリ指定するかどうかも、案外重要かも知れません。ブラームスといえば、それでは反ワーグナーかと聞かれる方も居られるでしょうが、私のワーグナーに対する思いは全く別に基準を持っております。それにしても、ブラームスとワーグナーという両雄をもつのは素晴らしい。

 

交響曲第1番

ブラームス
アルトウーロ・トスカニーニ指揮 フィルハーモニア管
1952年録音
ロイヤル・アルバート・ホールで録音 ライブ
TESTAMENT SBT 3167
トスカニーニのイギリス公演。
イギリスは、自ら音楽を余り生産せず、専らその消費に優れたセンスを発揮します(録音や再生技術に優れている)。指揮者はまだ「かくしゃく」としたトスカニーニ、そしてドイツの中でも特にドイツっぽいブラームス、それを聴くイギリスの聴衆、の組み合わせ。その現場に於けるライブがコレです。そもそも開幕公演だということを、英国国歌の演奏で示す辺り、さすが英国人のたしなみです。交響曲第1番を聴く時、第1楽章最初の太鼓で、あのタンタン….というリズムを刻むところ、あれを聴いただけでブラームスの世界に連れて行かれます。管弦楽で、自分こそベートーベンを継いで見せよう、と言う気迫が感じられます。ただし第2楽章、第3楽章には私はやや戸惑いを感じます。まるでフランス人が何となく陽に当たってコーヒーを飲む感じ。フランソワーズ・サガン「ブラームスはお好き」の世界。ところが、第4楽章は全く我々の耳にとってポピュラーなメロディー・ライン(このしつこさは歓迎)です。心地好さを感じつつ終曲に至るのは、全体の設計が上手かったからでしょう。トスカニーニの指揮のテンポは最適なものに聴こえました。またフィルハーモニア管弦楽団の音も立派。

 

交響曲第1番

ブラームス
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィル
1963年録音
ベルリンで録音
POCG-9673
全ての楽章においてトスカニーニより遅めです。ただ、どんなにイジワルに聴いても、私はカラヤンの指揮ぶりに、ケチを付ける事はできませんでした。そのテンポの速さを考えると、何かありそうだったのですが、カラヤンは巧みに傷を避けています。この第3楽章におけるポピュラーな雰囲気は特に素晴らしいと思います。ただ、一つだけ申し上げたいのですが、どうもこのCD盤を作る際に、音質が少し無視されているようなのです。つまりここに於けるCDの音は余り美しくなく、ザーという雑音が目立つ。これは偶然私の持つCDだけの話かもしれません。いつの日か、持っている全CDの大掃除をしたい、と思っています。またテンポは遅くても、それが演奏の質に影響を与えていません。

 

交響曲第2番

ブラームス
ウイレム・メンゲルベルク指揮 コンセルトへボウ管
1940年録音
コンセルトへボウで録音
OPK-2026
これは素晴らしい音質を持っています。何か削除するのでなく、追加するのでもなく、ただ魔法の手で処理したと、と思わせます。あらゆるメンゲルベルクにまつわる今までに聞かされた記録(その不本意な結果)がぶっ飛んでしまう様な CDでした。音が素晴らしいから、その内容もそうに違いない、と思えます。

 

交響曲第2番

ブラームス
カール・ベーム指揮 ウイーン・フィル
1942年録音
KCI-2003
一体ベームは何を言いたいのか分かりません。音楽が軽く、映画音楽みたいなところがあるな、と思ったら今度はモーツアルトみたいなユニゾン風の音楽が出て来ます。指揮者のせいなのか、それとも作曲家のせいがあるのかも不明。恐らく私自身がこれにどっぷり浸かるには、かなり勇気が必要だろうと想像します。

 

交響曲第2番

ブラームス
ウイルヘルム・フルトヴェングラー指揮 ウイーン・フィル
1945年録音
ウイーンのムジーク・フェライン・ザールで録音 ライブ
TOCE-8523
驚いたことに、ここでは全音域が揃って動くようなユニゾンは存在しないか、あるいは聴こえない。これはフルトヴェングラーの指揮が、トスカニーニと全く異なることを意味します。微弱なモノトーンは全体にかかっています。聴き手が音楽を楽しんで聴くのはどちらか?もう一度聴くとすれば、私は今の所、トスカニーニの方に興味を持っています。もう一つ、これを聴きながら先日シューベルトを聴いた時を思い出しました。そう、これはまるで汽車が喘いで上り坂を進む様子みたいです。そう思った瞬間からそれ以外を想定できなくなりました。ブラームスが新古典派の音楽だと言われる所以の一部かも知れません。とにかく、まだまだ私の聴き込みが不十分です。このような状態ですから、いわゆるワーグナー派と、反ワーグナー派の争いも理解が及んでいないかも知れません。それが分かれば、もっと知識が増すだろうと考えますが。

 

交響曲第2番

ブラームス
アルトウーロ・トスカニーニ指揮 フィルハーモニア管
1952年録音
ロイヤル・アルバート・ホールで録音 ライブ
TESTAMENT SBT 3167
トスカニーニのイギリス公演。
物凄い勢いで、骨太の音が流れて来ます。この骨太い音と言うのが特徴。しかもかなり高速ですから、この曲がしんみりする曲か、どうかを味わうスキがありません。またこの厚い弦楽器の中で、ユニゾンが聴こえます。聴こえると言っても、全楽器群が揃ってはいないのですが、弦楽器を中心とする太い音の束が聴こえます。それがここで言うユニゾンです。これを聴いていると、ブラームスは少し無理しているような感じ。察するところブラームスは陽気なラテン系の音を使いたかった、でも出来なかった、と言えないでしょうか。楽しい旋律はまだ聴こえて来ない。

 

交響曲第3番

ブラームス
ウイレム・メンゲルベルク指揮 コンセルトへボウ管
1944年録音
KC-2004
音の悪さを承知して聴けば、これも楽しめます。音が何となく高い音に向かって集中して聴こえるのは、やはり音の古さに原因があります。私がメンゲルベルクをほめるのはコレくらいか。大変良い所もあるのですが、どうしてこの人はヒトと異なった表現法をとるのだろう、と思っています。あるいは芸術家らしいのかも知れませんが、私なぞは揺らぎの中に埋没して(つまり消えて)いることで安心を得ています。その差は無限大。

 

交響曲第3番

ブラームス
アルトウーロ・トスカニーニ指揮 フィルハーモニア管
1952年録音
ロイヤル・アルバート・ホールで録音 ライブ
TESTAMENT SBT 3167
トスカニーニのイギリス公演。
これぞブラームス、と思ったら最後までジッと聴いてみて下さい。やはり思うのですが、ブラームスはユニゾンが好きだと思います。それは音を幾つかの楽器で分散しても変わらない。また何かに追いかけられているみたいです。一方どんなに陽気でウキウキしていても、それは仮の姿、実は早くこの曲を終えたい、という希望が底辺にあるような気もします。それはブラームスの持つ、潜在的な劣等感のせいでしょうか。だから「あのブラームスの大荷物」なんて言われるのでは。トスカニーニは安定しきっています。その意味で、これは堂々たる演奏だと思います。

 

交響曲第3番

ブラームス
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィル
1964年録音
ベルリンで録音
POCG-9679
このCDを聴き始めて最初に考たのは、この曲は単調に近いと思ったことです。実際そうなんですよ。そして、それに耐えられないようだったら、そもそもブラームスと異なる世界を探してみて下さい。

 

交響曲第4番

ブラームス
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮 ベルリン・フィル
1943年録音
ベルリンで録音 ライブ
KC1048
驚くほど柔らかい音質とテンポです。こんなに柔らかい音でブラームスを指揮するとは、全く驚きでした。それで全曲を支配しています。柔らかさと言っても力の無さを表していません。出来映えは本当に素晴らしい。音質も大きな傷はありません。この扱いを巡って、今だ私の頭の中で音がグルグル回っています。

 

交響曲第4番

ブラームス
アルトウーロ・トスカニーニ指揮 フィルハーモニア管
1952年録音
ロイヤル・アルバート・ホールで録音 ライブ
TESTAMENT SBT 3167
トスカニーニのイギリス公演。
これを聴いてほっとしました。じつに懐かしい響きです。これでブラームスはユニゾンから脱却できただろうと思います。ユニゾンが悪いとは言いませんし、まだその名残りを第1楽章の中に感じる事も出来ますが、それはホンの付けたし。コレは確かです。全体の流れの中では素晴らしい音楽です。つまりブラームスは今度こそ自由に作曲することが可能になった様です。しかもメロディーが一つだけ耳に留まるのではなく、追い打ちを掛けるように、別の素晴らしいメロディーも聴こえて来ます。本当にここでのブラームスは素晴らしい。

 

交響曲第4番

ブラームス
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィル
1963年録音
ベルリンで録音
POCG-9679
ここでブラームス第4番の美しさのルーツを考えます。一つの解釈は、まずそこを支配する全音調でワーッと鳴らし、それから残りの部分だけで追い掛けるように覆い被さると言うものです。いずれの音も美しく、安心して次のフレーズにバトンを渡せます。そしてその時々で音の調和を計ります。もう一つの解釈は、太い筆で書くもので、その太さに圧倒されてオロオロしているうちに、巨大な慣性だから後からヨロヨロ追い掛けて調和を計ろう、とするものです。まだ結論は出ていません。

 

交響曲第4番

ブラームス
カルロス・クライバー指揮 ウイーン・フィル
1980年録音
ウイーンのムジーク・フェライン・ザールで録音
F35G 50041
これは素晴らしい。開始と同時に感じるのはあの管弦楽の素晴らしさ。どこを取ってもブラームスです、ここに至るまでブラームス探しは何をやっていたのか、と叱責したくなるほどの出来映え。この4番に関してはホッとするのみ。おまけにこのCDは録音が良く、音質が良く、何処まで行っても問題はありません。私が長らくブラームスを敬遠していたのは何故?と自分に問いかけたくなります。管弦楽の終わりを告げるこの曲をもう一度聴きたい。フルトヴェングラーは音が悪いので比べ難い、でもカルロスがあれば満足です。

 

管弦楽集

ブラームス
ハイドンの主題による変奏曲集
トスカニーニ指揮ニューヨーク・フィル
1936年録音
KC-1038
かなり古い録音で、これは録音のせいなのか、それとも指揮者が意図した音楽なのか迷います。かなりあっさりした味付けです。

 

管弦楽集

ブラームス
ハイドンの主題による変奏曲集
トスカニーニ指揮フィルハーモニア管
1952年録音 ライブ
TESTAMENT SBT 3167
トスカニーニのイギリス公演
これは録音が比較的古くないだけあって、音はまずまずです。これを聴いていて、トスカニーニは骨格を大事にする人だな、と思いました。たしかにカラヤンのものと比較すると、カラヤンの方が楽しみ易いのですが、それは化粧術を心得ているからだと思います。

 

管弦楽集

ブラームス
悲劇的序曲
アルトウーロ・トスカニーニ指揮 フィルハーモニア管
1952年録音
ロイヤル・アルバート・ホールで録音 ライブ
TESTAMENT SBT3167
トスカニーニのイギリス公演
これはややガッカリしました。人を驚かすような音が多く、それで開始部を支配しておこうという狙いでしょうか。開始部以外では問題ありません。これは指揮者のせいでは無く、作曲家のせいではないか、と考えています。

 

 

千葉のF高












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